ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の工事(23)

2023-05-31 19:36:22 | 水戸

 今回も4月から5月にかけて見かけた工事のいろいろです。

 

桜川河川敷(若宮町)
 桜川が那珂川と合流するあたり、桜川右岸の河川敷で行われている工事です。護岸と遊歩道の整備なのでしょうか。このあたりは水害がもっとも起こりやすい場所なので、工事も大変なことでしょう。写真奥が桜川の上流で、背後はすぐに那珂川です。

 

旧コンビニ建物取り壊し(泉町3-2-1)
 旧・三菱東京UFJ銀行(旧・川崎銀行)建物となりの、コンビニエンス店跡地の解体工事が行われていました。銀行建物を購入したアダストリアが、コンビニ店跡も購入したという話を聞きました。

 

薬王院屋根葺き替え(元吉田町682)
 薬王院では、50年を過ぎた銅葺き屋根からの雨漏りなどがひどくなったようで、屋根の葺き替え工事が行われているようです。来年いっぱいで完成できるかどうかという感じの大工事であるようようです。

 

セイコーマート設置(水戸市民会館 泉町1-7-10)
 6月14日オープンに向けて店舗工事がすすんでいるようです。24時間オープンでなく、6:00から24:00までの営業のようです。この市民会館ビルでは、一番始めに豆の但馬屋がオープン、次いでこのセイコーマート、7月2日に本体の市民会館がオープンするようです。

 

ツバメの巣(本町)
 古い巣が一部崩れたのでしょうか、ツバメも自宅の修繕工事を実施したようでした。写真の黒い部分が、まだ乾燥していない頃の補修したところです。

水戸の工事(22)

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水戸の100年記念碑(3)

2023-05-30 21:06:55 | 水戸

飯富小学校創立100周年像(飯富小学校 飯富町4420-1)
 飯富小学校は、明治6年(1873)7月に字内方に開校したそうです。写真は、昭和48年(1973)11月13日に飯富小学校創立100周年記念実行委員会が建てた、きぼうという像のようです。

 

茨城県誕生100周年タイムカプセル(茨城県立歴史館 緑町2-1-15)
 明治4年(1871)11月13日に、初めて茨城県という県名が用いられるようになったそうです。昭和46年(1971)が茨城県誕生100周年ということで、100年後に開くというタイムカプセルを、昭和47年(1972)11月13日の県民の日に埋設したようです。県民の日は、茨城県を名のった日にしたようです。

 

市制100周年飯富郷土誌
 水戸市制100周年を記念して、郷土を知る運動などで地元への関心が高まっていた飯富地区では、実行委員会が、飯富郷土誌を出版したようです。碑ではありませんが、記念碑的な存在でしょう。出版は平成1年(1989)3月1日となっています。

 

市制100周年記念共同宣言(水戸市役所 中央1-4-1)
 平成4年(1992)1月に39の市が参加して、市制施行100周年の共同宣言を行い、そのプレートを作ったようです。39の市名が記されています。明治22年(1889)4月1日に、日本で初めての市制を開始した市が水戸市を含む31市で、その後、明治33年(1900)2月15日までに市制を開始した市が9市あり、その内、東京市は都になったので除いて8市、その合計が39市のようです。「信頼に基づく人間関係のもとに、創造性と活力にあふれる、生きがいと夢のある都市づくりをめざします。」など、3条が記されています。市役所に以前飾ってありました。

 

山根小学校創立100周年像(ヤマネ&リリースクエア 全隈町261)
 明治22年(1889)に開校した山根小学校は、平成23年(2011)3月に閉校になったそうですが、その跡地にあるヤマネ&リリースクエアの敷地内に、山根小学校等の遺跡が保存されています。写真ののぞみという像は、平成1年(1989)6月14日に、山根幼稚園創立10周年も同時に記念して、実行委員会が建てたようです。

水戸の100年記念碑(2)

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水戸城二の丸角櫓の風景

2023-05-29 21:02:31 | 水戸

 令和3年に、二の丸の角櫓(すみやぐら)が復元公開されました。付近で、角櫓を誰でも見ることができる場所はどこだろうと歩いてみました。今回は、その際に撮った写真です。

 

水戸駅北口ペデストリアンデッキ(宮町1)から
 駅を出て、ペデストリアンデッキ上で、すぐに目がつく水戸城の一部ということが、角櫓復元の大きな理由の一つだったようです。派手さはありませんが、シンプルできれいな建物だなと思います。

 

旧二の丸跡入口の通路(36°22'21.1"N 140°28'40.8"Eあたり)から
 旧二の丸跡方面から入ると、この風景が出迎えてくれます。この崖下には、水戸藩の市川三左衛門などの重臣屋敷が並んでいたそうです。建物の2階からは、埋め立て前の千波湖も俯瞰できたことでしょう。

 

旧三の丸高台・林業会館(三の丸1-3-2)あたりから
 お濠をへだてて、旧三の丸方面から撮った写真です。同じ位の高さから角櫓を見ることができます。

 

駿優教育会館(三の丸1-1-42)から
 駿優教育会館前から見上げた角櫓です。

 

駿優教育会館(三の丸1-1-42)壁面ガラスにうつった角櫓
 駿優教育会館の壁面ガラスにうつった角櫓です。

 

三の丸1丁目信号から
 三の丸1丁目信号あたりから見上げた、夜間照明をした角櫓です。

水戸城二の丸角櫓(すみやぐら)のこまかいこと

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水戸・大井神社にある3つの井戸

2023-05-28 19:22:34 | 水戸

 大井神社(飯富町3475)は、仲国造(なかのくにのみやつこ)の建借馬命(たけかしまのみこと)などを祀っていて、平安時代にまとめられた延喜式に式内社(延喜式の内に記載された神社という意味だそうです。)として記されている古い神社だそうです。神社の周辺には、祭神の建借馬命が掘ったという伝説を持つ3つの井戸があります。大井、仲井、加満井(かまい)というそうです。どの井戸も、大井神社の前を通る市道(飯富181号線)の脇にあり、大井三寒泉といわれたようです。井戸の近くには葭池、樋口、谷原、沼向という、井戸や水にちなんだ字名(あざめい)があったそうです。

 

大井(36°25'14.2"N 140°25'03.8"Eあたり)
 杉山というバス停の近くで、道路下の一段低いところにあります。「おみだらし」ともいうようです。池のようになっていて、四周をしめで囲い、大井神社のお札が立っています。新編常陸国誌に、「村中ニ大井戸ト云(いう)字(あざ)アリ、其所ニ涌泉(ゆうせん)アリ、大井神社ノ御手洗ト云」とありますが、それなのでしょうか。写真上部のガードのある所が市道です。

 

仲井(飯富町1478)
 集会場として使われているとかいう、緑っぽいペンキを塗った古いバスの裏手の崖下にあります。ここでは、コンクリートの井戸枠があって、井戸の形をしていました。中にはポンプが設置されていました。

 

加満井(釜井戸 36°25'58.1"N 140°24'55.5"Eあたり)
 この井戸が一番知られているようで、釜井戸というバス停もあります。四周をコンクリートで囲った池と、井戸枠の両方があります。どれにも、水神を祀った石造物があるようです。

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水戸市民会館プレオープン見学

2023-05-27 20:44:38 | 水戸

 ミトリオという、水戸市民会館、水戸芸術館、京成百貨店を結んだ新しい水戸市の中心地域ができるようです。7月に開館予定という市民会館のプレオープンイベントがおこなわれていたので、見に行ってきました。2013年度プリツカー賞を受けた、伊東豊雄による設計だそうです。見学してみると、木を多用したり、やぐら広場という巨大な空間をつくったり、矢羽根模様を全体に使用たり、気軽に休息できる場所を至るところにつくったり、子供に気を配ったり、外の2施設との調和をはかったり等々、いろいろ考えられているように見えました。今度市民が、どのようにこの立派な施設を利用していくのかということが一番大事なことだと思います。

 

1F   やぐら広場 広々とした空間でした。

 

1F フェンスなどに、矢羽根模様が多用されています。

 

1F 案内板には、すべて薄い木の板が使われていました。

 

1F 床は、きれいに磨かれたコンクリートでした。

 

1F 旧市民会館にあったというグランドピアノの演奏も行われていました。

 

1F 4Fまで吹き抜けているらしいグロービスホールという大ホールです。2000席で、車椅子の場所があったり、前何列かを演奏スペースにすることができたりするそうです。壁には梅の花びらをデザインした反響板が付けられているようです。

 

1F グロービスホールやユードムホール(中ホール)の座席は、矢羽根模様でした。 

 

1F ホールの床には、列の表示がありました。

 

1F グロービスホールには、泣き声などがもれない、子供室が設置されていました。

 

2F こどもが遊べる、広いこどもギャラリーがありました。

 

2F 京成百貨店に渡れる歩道橋が見えました。地下にも通路ができるそうです。

 

2F 集成材の柱です。ギザギザの継ぎ目が見えます。また、木目部分もこだわりなく使われているようです。

 

3F 3Fからは、集成材の木組みや、補強金具を目前に見ることができました。

 

3F 写真はスプリンクラー施設のようです。ノズルのある配管もあちこちで見られました。

 

3F 壁面や天井に適度なデザインがある大会議室です。

 

3F 男性用トイレにも子供用の設備がありました。

 

4F ユードムホール(中ホール)です。ここの壁は、矢羽根を変化させたデザインの反響板のようでした。

 

4F 茶室としても使えるらしい和室が2つありました。

 

4F 休息スペースです。各階に、たくさんの色々にデザインされた休息スペースが作られています。

 

4F 和室の外には屋上庭園があり、アートタワーが借景のようになっています。

 

4F 壁面にガラスが貼られた小ホールです。このホールの外には、芝生広場がありました。

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