ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の女人講中 石像(8)

2019-02-28 20:10:06 | 水戸

 水戸で、おおくの女人講(子安講)は、月の15日に、宿を講員の持ち回りとし、子安神、観音、地蔵、木花開耶姫などの掛軸をかけ、それに精進料理を供えて参拝し、その後、講員が飲食を共にして行われたそうです。

 

北葉山観音(水戸市老人福祉センター葉山荘(千波町1677)近く)
 天明2年(1783)のように見えます。石仏をのせていた台のようです。「千波村女人講中」とあります。

 

成沢町(飯塚食品(成沢町427-4)を北に約100m、左折約50m)
 寛政3年(1791)、「女人中九人」とあります。

 

仏性寺(栗崎町1984)
 文化15年(1818)、「女人和平講中」とあります。左手で子どもを抱き、右手に何か持っている姿です。

 

和光院(田島町415)
 天保9年(1838)、「世話人当村東坪女人講中」とあります。

 

大山神神社(つばさ保育園(鯉淵町2066-14)脇の小路を北へ約620m)
 Y字路のまたに建てられた神社境内にあります。大正3年(1914)、台石に「女人講中」と刻まれています。布に包まれた子どもを抱いています。

 

元石川町(㈱電気管理協会(元石川町822-1)道向かい)
 大正15年(1926)、「江東坪女人講中」とあり、お乳をのむ子どもを抱いています。今のところ、水戸で見た一番新しい女人講中と刻まれた石仏です。

水戸の女人講中 石像(7)

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水戸の住職墓地(1)

2019-02-27 20:09:09 | 水戸

 僧侶のお墓は卵塔(蘭塔)といわれるように、縦長の丸型が多いようですが、そうでない五輪塔型や、宝篋印塔型等いろいろなお墓も見られました。卵塔は無縫塔(むほうとう 無縫とは無形無相の意味だそうです)ともいうそうで、禅宗の僧侶の墓に始まったようですが、その後、宗派を越えて用いられるようになったようです。

 

常照寺(元吉田町2723)
 卵塔の多い墓地です。歴代寺住職の墓誌があり、開山の敬峰と、勧請開山としてその師・仰堂(ぎょうどう)の名が刻されていました。古いスタイルの灯籠も墓域にありました。

 

清巌寺(元吉田町3240)
 両側に卵塔が並び、中央に「歴代上人之墓」と刻された五輪塔が建てられていました。

 

祇園寺(八幡町11-69)
 ここは普通の墓石が並んでいます。墓正面に刻まれた住職名の下は「和尚塔」となっていました。墓地入口の左側です。

 

神崎寺(天王町8-17)
 墓地の中央近くにあり、「神崎寺累代先師墓」と彫られた石柱が墓域入口にあります。墓域の前には、下から三番目の球形の水輪が平たくなった五輪塔が並び、その奥に、宝篋印塔や卵塔がありました。

 

妙徳寺(加倉井町909)
 日蓮宗だからなのでしょう、「南無日蓮大菩薩」の碑が中央に建てられて、その横に「歴代上人之墓」がありました。それ以前の住職の墓なのでしょう、先の尖った墓石や、卵塔もありました。

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水戸の大瓶束(2)

2019-02-26 20:37:13 | 水戸

 今回は、大瓶束(たいへいづか)の装飾物・結い綿(ゆいわた)の部分に目を向けてみました。結い綿は、大瓶束の根元にある装飾です。家紋の結い綿は、綿の束をまん中で縛った上下に扇を開いたような形をしていますので、建築の方でも、そんな形のものが装飾的に付けられたので名付けられたのでしょう。

 

吉田神社本殿(平戸町1979)
 ここは最もシンプルな大瓶束です。「大瓶」の名前の通り、いかにも大きな酒壺といった感じがします。

 

鹿島神社本殿(中河内町95)
 「結い綿」という名称を意識した装飾なのでしょう。下部が紐で縛られた植物模様のようです。

 

吉田神社本殿(吉沼町157)
 束本体が下に伸びたといった感じの、イチョウの葉のような模様の結い綿です。

 

香取神社本殿(中大野町703)
 扇形の植物模様らしい結い綿が、別の材で作られて取りつけられているようです。

 

吉田神社本殿(堀町36)
 植物の芽を意識した模様のように見えます。朱色がはえています。

 

桂岸寺本堂(松本町13-19)
 唐草模様と植物模様が混じり合ったような感じの彩色結い綿です。桂岸寺は全体的に装飾にたいへんこだわってつくられているようです。

水戸の大瓶束(1)

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水戸のアートタワーが見える場所(1)

2019-02-25 20:18:28 | 水戸

  ぶらっと歩きをしていると、ときどきアートタワーが目にはいってきます。そんないくつかをご紹介します。ちなみに、アートタワーは、市制100周年を記念して建てられ、正三角形のチタンパネルを螺旋状に組み立てた、高さが100mある、非常に珍しい建物だそうです。

 

水戸八幡(八幡町8-54)から
 水戸八幡の駐車場からよく見えました。

 

大町3丁目あたりから
 NTTの大きな鉄塔の間に、アートタワーが見えました。

 

青柳から
 こちらの方面からはアートタワーが水戸市街地のよい目印になります。

 

千波湖から
 太陽光が壁面で反射したときは光って見えてきれいです。湖面にうつった像も光っています。

 

茨城県庁25F(笠原町978-6)から
 両者の土地の標高差は1mくらいで、あまりないようです。アートタワーは100m、県庁25F展望台は108mだそうで、県庁の目線の方が10mくらいは高いようで、県庁からアートタワーを見ると、すこし見おろしている感じです。

 

水戸芸術館(五軒町 1-6-8)敷地内から
 水戸芸術館の建物からからアートタワーを見たところ、NTTのアンテナが左右に見えました。

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水戸にある能島征二の作品(2)

2019-02-24 19:42:22 | 水戸

友愛の碑(新荘小学校 新荘2-11-1)
 学校内の中庭のようなところにありました。昭和44 年度の卒業記念に建てられたようです。新荘小学校は豊田天功の屋敷跡だそうです。

 

藤田東湖像(藤田東湖誕生の地 梅香1-1-8)
 藤田東湖は、父・幽谷の屋敷だったこの地で生まれたそうです。像の建てられたのは平成3年のようです。

 

徳川斉昭公・七郎麻呂(慶喜公)像(偕楽園公園千波湖西岸)
 あくまでも攘夷を基本にすえた斉昭と、開国して国力を高めようとした息子の慶喜の父子像です。農民への感謝をあらわす、小さな農人形へ、箸一口分のごはんを供えるということは、慶喜の子供のころ、斉昭から引き継がれたようです。この像は、平成11年に建てられたようです。市役所1Fにも小さな同じ像が置かれています。

 

加藤浩一先生像(水戸市役所1F 中央1-4-1)
 前水戸市長・加藤浩一の胸像が、市役所1Fに並べられた市長像群の中にあります。平成25年に建てられたようです。

 

春風彫刻(水戸市役所 中央1-4-1)
 最近開庁した新しい市庁舎の完成を記念して建てられた像のようです。平成30年と刻まれています。

水戸にある能島征二の作品(1)

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