個人の家や、その一族でお守りしている、私祭の神社がよく見られます。普通の屋敷神より見ごたえがあるようです。神道を大事にした水戸藩の一つの特徴なのでしょうか。
御瀧山井戸権現(見川3)
ほかに地蔵菩薩や、満願記念御砂踏場などもあります。神社下の崖から龍頭の瀧というわき水が流れ出ていて、それをうたった、「岩たたく 龍頭(りゅうず)の瀧のせせらぎに もろびと救う 法(のり)の声聞く」という歌碑もあります。
地方神(酒門町 酒門共有墓地入口付近)
ジカタガミと読み、その音から痔の病気などに霊験があると信仰されたそうです。ポヂガミサマといわれ、ボチという素焼きを奉納して満願を記念したそうです。戦中は、出征兵士が酒門神社の後にこの神社に千社札を貼って参拝していったそうです。
鷲の宮稲荷、稲荷三明神(大場)
県道235号線沿い、大場小学校近くにある小山に祀られています。鉾(ほこ)神社の玉串もありましたので、鉾神社の神主さんが来てお祭りをしているのでしょう。
菊池神社(谷田町備前堀沿い)
水戸では、「さんずいの菊池は違う」という言い方があるそうで、九州から移住してきたという菊池氏は一目置かれるようです。この神社氏子もその一族なのでしょうか。そういえば、那珂(なか 今の水戸はこの中に含まれていたそうです)初代の国造(くにのみやつこ)だった建借間命(たてかしまのみこと 伝・愛宕山古墳は墓)も北九州から来た人だったようです。時代を越えた人の流れがあったのでしょうか。
交通安全を祈る女神の祠(関鉄観光バス㈱水戸営業センター 住吉町348)
昭和15年に、全国で戦闘機の墜落事故が相次いだのを悲しんだ22歳の女性が、当時陸軍航空通信学校だった現在の関鉄敷地内の井戸に身を投げて、安全を願ったそうで、その後、大空の女神と呼ばれたそうです。戦後になって、昭和40年に彼女の冥福を願うと共に、交通安全の見守りを祈念して祠が建てられたそうです。これはほかの神社と性格が違うようです。