MATTのひとりごと

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サンズ・オブ・ハワイのすべて (2006年3月17日)

2006年03月17日 | 演奏家


復刊したハワイアン音楽専門誌「ハワイアン・ファン」で、歴史に残るハワイアン音楽のミュージシャンたちに毎月スポットを当て、ある程度まとまると「ハワイアン・ミュージシャン事典」となるような記事を続けたい、という希望があり、エディー・カマエとサンズ・オブ・ハワイの紹介を担当することとなりました。わずか2ページに写真を満載した状態で記事を書くため、言いたいことの1割も書けませんでしたが、まあサンズ・オブ・ハワイの概要だけでも読者の皆様に知ってもらえれば、と以下のように掲載いたしました。

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サンズ・オブ・ハワイとエディー・カマエハワイアン・ファン誌第33号(2006年3月号)掲載
 2005年度のナー・ホークー賞授賞式に於いて「エディー・カマエ/サンズ・オブ・ハワイ」に対して最高の賞である「アルバム・オブ・ジ・イヤー賞」と「アンソロジー・アルバム賞」が授与されました。60年近い演奏活動とハワイアン音楽の保存に努力したエディー・カマエに対し、今回の授賞は彼のハワイアン音楽に対する情熱を讃える意味でも素晴らしい決定だったと思います。

 1927年8月4日にホノルルで生まれたエディーは21歳のときにショイ・イケミとウクレレ・デュオ「ウクレレ・ラスカルズ」を結成してプロ活動を開始、6年ほど演奏を休んだ後1959年にギャビー・パヒヌイと共にハワイアン・音楽の復興を目指したグループ「サンズ・オブ・ハワイ」を設立しました。オリジナル・メンバーはエディー(ウクレレ)ギャビー(ギター)のほか、ジョー・マーシャル(ベース)とデイヴィッド・ロジャース(スチール・ギター)の4名で、特にデイヴィッドの参加はエディーの「ハワイアン音楽には絶対にスチール・ギターが必要」という持論の実現のために欠かせないものでした。しかし、素晴らしいスチールを弾くデイヴィッドは「本業」である船乗りの仕事で頻繁にグループを抜けるためコンスタントなグループ活動ができず、この結果メンバーが他のグループに属してしまう等々、当時の彼らは「幻のグループ」でもありました。

 グループとしての活動が休止している時期に、ほかのメンバーが別のグループで活動していたのに対し、エディーだけは逆にこの機会をとらえて古いハワイアン音楽の発掘に精を出していました。当時のハワイ各地にはそれぞれのファミリーだけに伝わる音楽が数多く存在していたので、なんとかこれらを保存したいと思ったエディーはハワイ全島を回り歩き、古い音楽の収集に努めたのです。

 エディーのファースト・アルバム「ハート・オブ・ジ・ウクレレ(1959年)」、そしてサンズ・オブ・ハワイのオリジナル・メンバーによるアルバム「ギャビー・パヒヌイ・ウイズ・サンズ・オブ・ハワイ(1961年)」と「ミュージック・オブ・オールド・ハワイ(1963年)」の合計3枚のアルバムはCDとして復刻されていますので、当時の彼らの目指していた演奏に触れる事ができます。 その後しばらくはギャビーに代わってアタ・アイザックスやサニー・チリンワースがギターを弾いていた時期があり、この時期に「ディス・イズ・エディー・カマエ・アンド・サンズ・オブ・ハワイ(1965年)」というアルバムをリリースいたしました。そして1970年にギャビーがグループに復帰するとともに、モエ・ケアレが加入し、歴史的なアルバム「ザ・フォーク・ミュージック・オブ・ハワイ(1971年)」をリリースしました。このアルバムこそ初期のサンズ・オブ・ハワイの集大成ともいえる作品で、メンバー全員の紹介をした24ページにも及ぶ小冊子等が附属した豪華カートンボックスのアルバムでしたが、近年小冊子の内容も元のままでCD化されています。 1973年にはギャビーに代わってまだ21歳のデニス・カマカヒが加入しました。このデニスはギター奏者としてはもちろんのこと、作曲家として「コケエ」「ワヒネ・イリケア」ほかたくさんの曲をサンズ・オブ・ハワイに提供しました。彼の在籍中にリリースした7枚のアルバムには彼とエディーの作品が数多く含まれていますが、これまでは4枚目の「クリスマス・タイム(1978年)」と7枚目の「ベスト・オブ・サンズ・オブ・ハワイ(1981年)」のみがCD化されていたところ、昨年受賞したアルバムが「7枚目と重複しないベスト・アルバム」的にリリースされましたので、当時の演奏を幅広く楽しむことができるようになりました。

エディー以外のオリジナル・メンバー全員が他界した現在、彼は以前にもまして古いハワイアン音楽を後世に残す活動に打ち込んでいます。近年は特に映像の形で7つの作品をリリースし、そのうち2作品はすでにDVD化されています。彼の努力によりハワイの若い世代も先人のつくりあげたハワイアン音楽に触れることができるのは素晴らしいことといえます。 エディー及びサンズ・オブ・ハワイの歴史は書籍「ハワイアン・サン/ザ・ライフ・アンド・ミュージック・オブ・エディー・カマエ(2004年)」とDVD「ザ・ヒストリー・オブ・ザ・サンズ・オブ・ハワイ(2004年)」に詳しく紹介されていますので、興味をお持ちの方は是非ご覧ください。

マット・コバヤシ

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7 コメント

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春の装いに誘われて (mittu)
2006-03-17 20:38:30
MATTさん、今晩は!

プログもいい感じに衣替えですね。

ギャビー・アタ・サニー・モエ・イズなど私も大好きです。ハワイ音楽の素晴らしさを残してくれた先人達に感謝ですねぇ。カマエさんも高齢でしょうが元気で末永く活動されることを願いたいですねぇ。書籍とDVDの紹介ありがとうございました!
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サンズ・オブ・ハワイ (モリパパ)
2006-03-18 07:02:03
 MATTさん、おはようございます。去年の夏、ハワイで、「THE FOLK MUSIC OF HAWAII」を買いました。英語の解説はまだ読んでいません。(読む能力がありませんの方が正しい表現かもしれません。)スティールギターの音が独特でそれでいてシンプルなきれいな音です。実際はわかりませんが、ハワイ人の復興には、サンズ・オブ・ハワイの音楽も力になったのでは。だからの現在のハワイのミュージシャン達が彼らを尊敬し音楽が残っているかもしれません。また、昔のハワイの音楽も彼らのおかげで再生され、後世の人達に歌われているのでしょう。しかし、関係ないのですが、ハワイのミュージシャンは清貧な感じですな。
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エディーは皆から尊敬されています。 (MATT)
2006-03-18 09:11:55
mittuさん、モリパパさん 今日は!

エディーはミュージシャンにありがちな「うわついた」性格がまったく無く、後世の人たちにハワイ音楽の歴史を伝える作業に今でも没頭しているため、誰からも尊敬されています。

あのオータサンでさえ自分の「師匠」ですのでエディーの前に出ると緊張しているほどです。一方ハーブ・オータ・ジュニアにとっては「やさしい小父さん」に過ぎず、少しも物怖じせず「アンクル・エディ」と話し掛けるので、父親のほうがあせっています。



モリパパさんの言われるように、ハワイ音楽、そしてハワイ人の人権復興にエディーをはじめとしたミュージシャンの力が大きかったことは間違いないでしょう。



一度そういったミュージシャンの集まりに行ったことがありましたが、なんと会場の言葉はすべてハワイ語でした。

年代を問わず会場全員がハワイ語で話すのを聞き、全く理解できなかったのですが、彼らのハワイ復権に対する思いが伝わりました。
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ワンポイント! (iisan)
2006-03-18 11:25:23
このブログの写真や記事を大きくして見たいという方は

←左の「最新の投稿」からタイトルをクリックしましょう。カマエ氏の右手の爪の長~いこと。



神戸の写真もこうすれば見えますよ。                     
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サンズ・オブ・ハワイが横に長く (MATT)
2006-03-18 15:53:28
神戸は縦に長いので見るのに苦労されると思いますがお許しを!

神戸の写真は当初一枚ずつリンクさせようと思ったのですが、30枚以上アップするのがめんどうなので、次は6枚ずつまとめようとしました。

しかしそれでも6枚になるのでエーイッと一枚にしてしまったのです。

このサイトにアップできる容量は一枚あたり1MBしかないのに、なんとそれぞれの写真が1MBずつあってとてもムリ。そこで縮小したり圧縮したりとけさの3時過ぎまでかかってやっと完成したのです。

ちなみに30数枚もありながら550KBという小ささです。(ってこちらじゃなく神戸のページに書くべきでしたね!)
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パラカとオーバーオール (Noritaka Nemoto)
2016-01-11 16:00:12
パラカは最近よく見かけますけど、オーバーオールと組み合わせは見なくなりました。
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Nemotoさん (MATT)
2016-01-12 02:06:53
こんな昔の記事をよく探されましたね!

ハワイでも普通の店にはパラカ・シャツを売っていません。
たまにコスコ(コストコ)で期限を切って販売することがありますがそれでも上下が別々でオーバーオールは見かけません。
以前、名古屋の会社でオーバーオールを製作していましたが、これも現在は取りやめているようで、おっしゃるようにこのジャケットの写真のような情景は見かけないですね。
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