MATTのひとりごと

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ライル・リッツ「幻のアルバム」

2006年04月01日 | DVD,CD

「ウクレレでジャズを」(Verve VL-1045)の紹介
ハワイアン・ウエーブ誌第169号(2006年3月号)掲載

毎年7月の最終日曜日にワイキキのカピオラニ公園で開催されている「ウクレレ・フェスティバル」には、サポート・ミュージシャンとして、さらには自身のウクレレ・ソロでも出演するライル・リッツの姿が必ずあります。彼は現役のころは一流のスタジオ・ミュージシャン(ベース奏者)としてフランク・シナトラ、ビーチ・ボーイズほか錚々たるミュージシャン達の録音を5000曲以上サポートしてきました。

このベース奏者ライル・リッツがウクレレと出会ったのは楽器屋でアルバイトをしていたときのことでした。店にあったウクレレを手にしたところ大変素晴らしい音色に魅了され、すぐに自分用のウクレレを購入、毎日のように弾きこんでいたのです。

しかし社会にでたライルが選んだ職業はプロのベース奏者であり、ウクレレはあくまでも趣味としての楽器の域をでなかったのですが、スタジオ・ミュージシャンとしての仕事場には必ずウクレレを携えていき、録音が一段落するたびにこの楽器で好きなジャズを演奏していました。そして周囲にいたスタジオ・ミュージシャンたちが集まってきてジャム・セッションを行うこともたびたびあったそうです。

このセッションを聴いたヴァーヴ・レコードの担当者からウクレレを中心としたアルバム製作を提案されたライルは、スタンダード・ナンバーやラテン、さらには自分の名前をモジったオリジナル曲「Ritz Cracker」等を含めたアルバム「How About Uke?」を1958年にリリースいたしました。このタイトルはこのアルバムの収録曲「How About You?」の「you」と「uke(英語の発音ではユーク)」を掛けたシャレなのですが、先般わが国で復刻されたCDの邦題が「ハウ・アバウト・ウケ?」になっていたのにはがっかりしました・・・・。

そしてこのアルバムがウクレレの故郷であるハワイで大変評判をとったことと、翌年6月にハワイが米国の50番目の州に昇格することになったことを記念して、セカンド・アルバム「50th State Jazz」を1959年に発売いたしました。今回ご紹介いたします「ウクレレでジャズを」はこの「50th State Jazz」を1962年に日本のヴァーヴ・レーベルから発売したアルバムなのです。

ジャケット写真には英語のタイトルを説明するような情景として、米国国旗を縫っているおばあちゃんに孫娘がハワイ州を象徴する星を手渡している様子が写っていますが、アルバムの中身にもハワイアン音楽を意識的に加えてあって「お祝いのアルバム」といった意味合いを持たせています。

このアルバムの出た当時のわが国では、ハワイアン音楽関係者よりもジャズメンの間でこの演奏が話題となったようですが、売れ行きはそれほどでもなかったのか、ファースト・アルバムの「How About Uke?」はついに発売されませんでした。しかしさいわいなことに先年ユニバーサル・レコードからこの2枚のアルバムが復刻CD盤として発売され、しかもいずれもステレオ盤で登場したのには感激しました。

当時、すでにマスター・テープはみなステレオで作成されていたのですが、レコード会社の設備投資の都合により円盤のもと(ラッカーマザー)を作成するカッティングレース(丁度レース:旋盤のような形状をしているのでそう呼ばれています)のヘッドすなわちカッティングヘッドとそれを駆動するアンプ一式が高価なためなかなか購入できず、ヒットが見込まれるディスクから優先的にステレオでカットされ、のこりはモノーラルで、という時期が長く続いたのです。そしてこのアルバムだけでなく、ウクレレでいえばオータサンのビクターでのアルバム、ジョニー・ウクレレのアルバム等々かなりのものがモノーラルでのリリースになってしまったのです。

その後、逆に音源がモノーラルであるにもかかわらずステレオのように見せかける「擬似ステレオ」が続発し、有名歌手の古いアルバムがこの形で再リリースされるようになりました。ハワイアン界で言うと、ステレオ録音がほとんど無いうちに亡くなってしまったアルフレッド・アパカの音源などが手当たり次第「擬似ステレオ化」されましたが、ひとつの音源から周波数帯域を分け、さらに位相をずらすなどして左右チャンネルに振り分けたため、全体にボワーッとした音になってしまいました。この「擬似ステレオ競争」が一段落したのち、再びモノーラルでリリースされたアパカを聴いてほっとした経験があります。

この2枚のアルバムを出して以後ライルのウクレレ・アルバムはプッツリと出なくなり30年以上が経過したのですが、その間にスタジオ・ミュージシャンから引退した彼はハワイに引越しウクレレ・フェスティバルやオータサンとの演奏でベースを弾いたりウクレレを弾いたりという生活に変わりました。そしてその後ふたたびウクレレのソロ・アルバムやオータサンとのウクレレ・デュオ・アルバムをリリースするようになりましたが、奥さんの強い希望でオレゴンに引越してしまい、催しのあるたびにハワイへやってくるという生活に変わっています。

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
間違った! (iisan)
2006-02-22 21:29:50
私も楽器屋でアルバイトすればよかった。

                 

                    
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すぐに・・・・ (MATT)
2006-02-22 22:02:42
梅サンに頼みましょう。そうしましょう!
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ライル・リッツさんは、 (モリパパ)
2006-02-23 23:04:27
 そうです。去年の夏、みなさんの演奏を聴きにいったサーフライダーホテルでライル・リッツさんの演奏もありました。少しユーモラスに演奏していてさすがだと思いました。孫娘?と共にリラックスして演奏している姿はとても微笑ましく思いました。いつか余裕を持って人前で演奏したいものです。無理だろうな・・・。
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エメリーちゃんは実の娘です。 (MATT)
2006-02-24 00:27:49
中年になってからの子供なので可愛くてたまらないようです。(ってどこかにも似たケースが????)
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赤面・・・・。 (モリパパ)
2006-02-24 23:23:02
 いやはや。二男の将来のお世話は、長男にお願いしています。
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