出逢い と さよなら の喜び♪
喜び と 悲しみは
2つで1つ だから
泣かないで
明日は きっと 晴れる
出会いと サヨナラは
2つで1つ だから
どうか 忘れないで
いつか きっと 逢える
―作詞作曲・工藤慎太郎・30才(一平の師匠)
素敵な、涙の出逢い、再会に恵まれました。
10年前、僕は、高校の先生を辞めました。先生時代に、軽音楽部の顧問を、やりました。20年。
なんと、その時、部員だった連中と、再会しました。
中には、35年ぶりの出逢いの人もいました。18才で卒業だから、35年を足すと、43才です! すっかり変わって、人目見たときは、すぐは誰だかわかりませんでした。が、はなしているうちに、顔の中の眼を中心に、高校生だった彼の顔が、蘇ってきました。おおお!おまえー、かあ!1 という風に。
僕と一緒に、顧問をしていたY先生が、この春、先生を退職する。
軽音部のOBから、僕に電話がありました。「Y さんの、〈退職お疲れさん会〉 を計画してるんだけど、アキオさんも、一枚加わらない?」と。**当時から、部員たちは、Y先生を、Yさん、と、僕を、名前で アキオさん(一平の本名は、アキオ、といいます)と呼びました。「 いいとも、いいとも、一枚も2枚も・・・・、いいとも」と言うわけで、僕も、一枚加わりました。
アキオさん、Yさんには、内緒で。サプライズ!でやろう。
ということで、その集まりがありました。昨年末の日曜日、夜7時に横浜駅西口モアーズ前に集合して。
そのときの写真が、僕に送られてきました。
その写真、ご覧あれ。
僕が、今、ギター弾き語りをしているのは、軽音楽部、の顧問をしたことが、根っこ、にあります。もし、顧問をしてなかったら、音一平はうまれていません。
「せんせい、クラスに5人も部員がいるんだから、担任でしょ、夏合宿、志賀高原だけど、見に来てよー」って、僕のクラスの軽音部女子が、僕に言うのでした。僕は、バスケ部顧問、応援部顧問でしたが、軽音部の顧問ではありませんでした。
翌年から、なんと20年間も、僕は軽音部顧問をやることになったのでした。あの、女子の一言が、ながなかったら、・・・今の音一平は生まれていません。
人生って、出逢いと、さよなら、だなあ、とつくづく思うのです。
軽音部OB諸君、これ読んで下さっていたら、輪を広げようヨ♪
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