ここ数日、涼しい。
朝、夕は、ひんやり涼しい。
いよいよ、秋が来たのかなあ、と思える。
〇
しかし、テレビ画面では、
世界中で、豪雨、洪水の被害を報じている。
今まで、見聞きしたことがない、規模だ。
地球上の気温が上昇して、気候異変が起きている。
今日から、10月。
今年も、残すところ、あと3か月。
ぼんやり、過ぎし月日を、振り返る。
そう、今年の元旦に、大地震が・・・・。
あれから、9か月。またまた、豪雨洪水・・・。
なのに、
僕は、たまたま、被災はしていない。
いつ、遭遇するかはわからない。
ああ、涼しいなあ、と、
朝夕、つぶやくことができることに、
言い尽くせない幸せと感謝の念を感ずる
僕がいる。
〇
ふと、思う。
100年前の今日は、どんなだったのだろう、と。
どんな世界だったのだろう。
どんな生活だったのだろう。
どんな政治経済だったのだろう。
100年前の10月1日。
1924年だ。我が国の年号では、大正13年。
歴史年表を開いてみた。
≪前年に、関東大震災、とある。
死者10万。行方不明5万人・・・。≫
確か、親父が、7才だった年だ。
では、100年後は?
2124年。地球は、自然は、人の暮らしは、
どうなっているのだろう。
〇
100年前も、100年後も、
僕は生きていない。
けれど、
考えることができる。想像することができる。
「考えることができる」ってことが、
すごいなあ、と思う。
パスカルが言った言葉
「人間は、考える葦、である」
って、本当だ!
つい、この頃、なのです。
この年令になってふと思える、です。
僕に、「考える」という能力が与えられている!と。
当たり前だけど、
今まで、自覚してなかった、のです。
〇
涼しい。。
ひんやり、涼しい。
100年前も、
100年後も、
10月1日は、今日、僕が感じている
涼しい風が吹いていたし、
涼しい風が吹いているのだろう。(・・・か?)
そう、
人間は、「考える」だけじゃなく、
「感じる」こともできる、んだ。。
この、与えられた能力=「考える力」「感じる力」
を、僕の余命で、存分に発揮したい、と思う。
〇
さあ、今月は、何をやろうか。
≪何をしなければならないか≫
≪何をすべきか≫
≪何をしたいか≫
≪何ができるか≫
考えよう、っと。。。
〇
やっと、秋が来たなあ。
冷涼な空気。
100年前も、
同じ月が、出ていただろう、
同じ撫子が、同じ紅葉が、同じコスモスが、
咲いていただろう、
100年後も、
同じ月が、出ているだろう、
同じ撫子が、同じ紅葉が、同じコスモスが、
咲いているだろう。
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「1日は、1000年のごとし、
1000年は、1日のごとし」ー聖書
僕の好きな、聖書の言葉、です。