本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

私的ギャンブル論Ⅱ

2015-03-28 10:13:03 | 社会


 それで部屋に居ても体調は優れないので、この際ギャンブルに少しだけ嵌まってみたい気になっている私である。と言っても、昨日の敗北で軍資金が減ったので、今日もし行くとしても住之江の場外で我慢しようと思っている。本当は尼崎に行きたいのだが、交通費その他が馬鹿にならないのである。昨日尼崎に行くことになった理由の一つに尼崎名物の《多幸焼き》をまた食べたくなったからというのがある。《たこ焼き》とはいうものの入っているのはタコではなく、蒟蒻なのである。これは新装開店となった今の尼崎でもやっていたが、名称は《多幸焼き》ではなく普通の《たこ焼き》に変わっていた。そこ一軒しかやっていないということだった。
「随分小綺麗になったけど、客足はどうか?」と水を向けたら、やっぱり相当落ち込んでいるとの話だった。もうお年寄りは競艇にも行けないのだろうか。

 ☆以下は昨日の話の続きになるが、《有馬記念》にはもう一つ傑作な(♪)思い出がある。いつの頃か忘れたが、私はほんの遊び心で友人達の名前を無断で借用して何かに応募したことがあって、それはグランプリの出走馬のうち自分が応援し期待する馬を一人三頭ずつ申込書に記入するものだったが(私はランダムに何も考えず機械的に書いて応募しただけだが)うち1枚の応募がなんと実際のレースの1着から3着までを見事🎯的中してしまったのである。馬券などは1枚も買わなかったのだが、もし千円だけでも買っていたら私は巨額の富を得ていたと思われる。私は競馬からはずっと疎遠になっていたからレース結果などには全く興味がなく知らなかったわけだが、年が明けてからその友人の元に突然、中央競馬会からロゴ入りの派手な革ジャンが贈られて来たというので、驚いた友人が「そんなことをするのはあいつしかいない!」と私に連絡が来た。私が仕方なく無断で名前を借用したことを白状すると、彼は「こんな派手なジャンパーは着ないから」とご褒美のジャンパーを(お前が着ろと)私に送付して来たのである。でも私だってそんな競馬の宣伝隊みたいなものは着ないから、あるとき釜ヶ崎の慈善団体にカンパしてしまった。そこはキリスト教の団体(カソリック)で、私は気が向くといろいろカンパしていたのである。

 ☆私は東京には都合18年間いたが、そのうちの大半をあるギャンブラー揃いの職場で過ごした。そこはもう《悪の巣窟》と言いたいくらいの職場で、ギャンブルをしない人を探すのが困難な職場だった。彼らに言わせると「人生全てギャンブルだから」少々の金を費やしたからと言って非難される筋合いはないとのことだった。進路の選択から結婚相手の選択に至るまで全てギャンブルだと言うのである。
 中央競馬をやる人が一番多くて、次が競艇もしくは競輪だった。地方の公営競馬が好きな人もいた。うち、私が親しくなったのは2~3の競輪狂いの人達だった。私には彼らの話が面白かったからである。馬の血統がどうの厩舎の人間関係がどうのという話は、私にはしっくり来なかった。競輪を私にみっちり教え込んだのは、私より一回り年長の《元博徒》だった。私に戦争直後のパチンコの話を教えたのも彼だ。彼の持論は「博徒とテキ屋は違う」というもので、彼自身自分が博徒だったことを誇りに思っていた。が「今はもうみんな一緒くたになってしまった」と嘆いていた。彼には何回も競輪場へ同行して、競輪のイロハから教わった。



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