本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

日銀福井と民主松井の村上汚染=李下に冠を正さず。

2006-06-20 06:44:25 | 政治
*京都の民主党は壊れているのか、松井参院議員(46歳)が村上の通産官僚時代の同期だとかいうことで、秘書給与の面倒を(法的に不明瞭な形で)見て貰っていたという疑惑が発覚した。本人の説明が今日あるそうだから、取敢えずそれを待ちたい。

*日銀福井はお粗末である。ファンドに投資した1,000万円は「サラリーマンには負担が大きかった」と言いながら、その運用結果は関知していなかった(←儲かり過ぎて「びっくりした」)などとそらっとぼけている。それが本当に「虎の子」の金だったら気が気じゃなかった筈だろう。小泉が連れて来た人間は例外なく守銭奴だ。

(後註:昨日6/20の会見では「(今回の疑惑の元本たる)1,000万円を含めて慈善事業への提供を考えている」などと言明しているが、心に疚しいところがないのなら、何故そこまでする必要があるのか理解に苦しむ。ではその1,000万円は最初から即ち6年も前から不要な(=乃至は不浄な!)金だったのかということになる。
 「辞任すべき」という世論の動向などどこ吹く風とばかりに「辞める気がない」とはほとほと困った「日銀のプリンス」だがチャリティに回すという点に限って言えば、今回の儲け分に加えて俸給の一部返上だけで充分ではないのか。そんなことまでされては却って厭味だということがわからないとは殆ど「ゼロ金利時代の天上人」的感覚である。この国のトップたちは果てしなく変調である。)

*第一「通貨の番人」たる日銀総裁が、文字通り「貯蓄より株式投資だ!」を地で行って五年で倍にする(!)など「インサイダー取引」そのものではないか。
 1,000万円を銀行に預けても五年で1万の利子という時代に「利益は私腹を肥やす目的には使わない」などと今更軌道修正したからといって、それで「内規には触れない」とは、いったい何の為の内規だ?!「日銀マンたるもの、いささかたりとも国民に疑惑を持たれるような振舞いをしてはならない」(=「瓜下に冠を正さず」)という内規を書いたのは福井自身だというから笑わせるではないか。

*いよいよもって「ペテン師の時代」というしかないご時世である。国のトップに立つ人間が法螺ばかり吹いていて、何が青少年の教育か。

 テレビ等で能書き垂れている人達の大半は「勝ち組」ではないかと私は疑っている。タレントの浮沈に顕著だが、売れずに食えない芸人たちはどんどん露出する機会を失っていく。・・・。
 昔はそれでも政治経済の支配層らの人脈・閨閥・学閥・近親関係・・etc.を地道に調べ上げていた学者・ジャーナリストはいたように思うのだが、今はどうなっているのだろうか?

 私はいつも思う。「車夫馬丁の子でも総理大臣になれる」(福翁)のが民主主義であり、そして「政権交代のない民主主義などあり得ない。それは独裁政治である」と。

============

李下に冠(かんむり)を正さず

《スモモの木の下で冠をかぶりなおそうとして手を上げると、実を盗むのかと疑われるから、そこでは直すべきではないという意の、古楽府「君子行」から》人から疑いをかけられるような行いは避けるべきであるということのたとえ。→瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず →瓜田李下(かでんりか)・・『大辞泉』



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。