本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

アポカリプト。

2008-01-16 12:31:00 | 
1.アポカリプト(2006年)は私にはショッキングというか、いろいろ多岐に亘って考えさせられる映画だった。冒頭「文明が滅びるのはまず内部崩壊からだ」という学説が引用されていて、まるで「そんなことをしているから滅ぼされてしまうんだ」と言いたげなコンセプトが感じられるが、映画が描くのはスペイン人が『黒船』で来襲し彼らにいいように弄ばれる直前の中米の社会状況(?)である。映画では海岸に出た主人公が初めて「船」を見て妻に「あれは何?」と訊かれて「人を運ぶものだ」と答えていた。スペイン人は最後に砂浜に上陸して来るが主人公と交渉を持つことはなく、西欧人が姿を現すのはこの1シーンだけである。インカ帝国を滅ぼしたのはピサロの率いる200名に満たない大航海時代の遠征軍だったが、彼らは現地人の知らない「銃」と「馬」を船に乗せて運んで来ていて、この二つの「文明の利器」の力で征服を果たした。カトリック教会や王権も無論彼らの精神的・経済的な支柱だった。アステカ王国を滅ぼしたのもスペイン人エルナン・コルテスで、彼はぶんどった財宝や工芸品を自国へ持ち帰り、1519年にのちの神聖ローマ帝国皇帝カルロスV世となるスペイン国王に献上した。献上品はスペインやブリュッセルで公開展示され、画家アルベルト・デューラーなどにも感銘を与えた。マヤの場合はどういう経過で滅亡したのか私は不勉強で正確な歴史を知らないけれど、事情は似たようなことではなかったろうか。青銅器も鉄器も知らないままピラミッド建造に知られるような石器と石造の文化を爛熟させた、トウモロコシが主食の農耕文明だったということである。

 映画はネイティヴ・アメリカンの血を引く走力抜群の青年を主人公に抜擢した大活劇で、とにかく走りまくるところが凄い。いつも言うようにいわゆる「ヒューマニズム」などというものは「超近代の発明」に過ぎないわけだから(!)野蛮・残酷と言ったところで、これを今の感覚や価値観で論じてみてもあまり実りあることとは思われない。現代にしたところで、野蛮や残酷がどれだけ我々と隔たったところに位置しているかということである。

 allcinemaの【解説】では: ↓

「パッション」「ブレイブハート」のメル・ギブソンがメガフォンをとり、マヤ文明の衰退を壮大なスケールで描いたアクション・アドベンチャー。マヤ文明後期の中央アメリカのジャングルを舞台に、狩猟民族の青年が過酷な運命に翻弄されながら家族を救うため奔走する姿を過激な残酷描写を織り交ぜハードなタッチで描き出す。セリフは全編マヤ語で、キャストは主に映画経験のない若者たちが抜擢された。
 誇り高き狩猟民族の血統を受け継ぐ青年ジャガー・パウは、妻子や仲間と共にジャングルで平和な生活を送っていた。ところがある日、彼らの村は都会からやって来たマヤ帝国の傭兵による襲撃に遭う。なんとか妻子を涸れ井戸の中に隠すも、捕らえられたパウは他の仲間と一緒に街へ連れ去られてしまうのだった。そして、干ばつを鎮めるための儀式の生け贄になりかけるが、奇跡的にその犠牲を免れたパウ。しかし、それも束の間、今度は“人間狩り”の標的として広場に駆り出され、傭兵たちが放つ無数の槍や矢から必死に逃げ回る。これを機にジャングルの中へ飛び込み難を逃れたパウは、妻子の待つ故郷の村を目指し走り続けるが…。

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cf.マヤ。
cf.マヤ文明に挑むーー中村誠一。

 さて、Historian doesn't buy 'Apocalypto'とか'Apocalypto' does disservice to its subjectsとかいう映画批評もあって、要するにこの映画はあまり『ガクジュツ的』でなく(時代考証もなく)史実をあれこれ継ぎ接ぎ細工しているため、評価は絶賛する人と酷評する人へ2極分解している。が、人種・民族の問題は我々にとって今尚続く極めて現実的な課題であることを思えば、この映画が賛否両論の「物議を醸す」作品であった功績は認められて然るべきである。

 で、今日の科学メモ:アポカリプトとマヤ文明崩壊から一部引用すると ↓

●農耕が非常に発達し、森林も所有・管理されていたので、主人公が密林に逃避行するのも、農作しない狩猟民が出てくるのも、ヘン。
●マヤ民の住居は広場に礎石(そせき)を置いて建てられ、果樹や家畜をともなうのが普通。
 映画のようにジャングルの中にぽつんとしてはいない。
●人間の捕獲はふつう政治抗争・いくさの際に発生していたのであって。
 映画のように生贄(いけにえ)や奴隷(どれい)目的で帝国が無垢の民を狩っていたという証拠はない。
●主人公が聞いたこともなかった「都会」を知るという設定だが、マヤ時代はやたら栄えていたのでどこの地も10~20kmも歩けばピラミッドや街にぶちあたる。政治ネットワークもたいへん発達していたので、帝国の中枢を耳にしたことがないというのは無理。
●マヤで珍重された翡翠(ひすい/ジェード)はたいがい王族専用。
 そこらじゅうの民が翡翠でゴージャスに着飾っていたわけではない。
●生贄の首切り台が、アステカ様式。マヤではそんなものは確認されていない。
●一度に数百人もの人々が首切りイケニエされるというハデハデな設定、アステカでさえそんなことをやったかどうかわかっていないのに、ましてマヤでは…。
 マヤでの供犠(くぎ)は、公開ではなくひそやかに、いきなり殺すのではなく血抜きで徐々に死なせたものと推察されている。

 同じく→映画「アポカリプト」が行ったマヤ文明破壊には以下の記述もあって議論は尽きない。 ↓

メル・ギブソンの新作映画『アポカリプト』、
メルの前作同様(?)、一部で大顰蹙(だいひんしゅく)
 【白人来襲前のマヤ世界を、マヤ語と現地民で描いた大作】

●リアルに再現したと喧伝しながら(史実にない)残虐行為でマヤ文化を汚しまくる
●マヤ帝国の没落は西欧とは無関係な経緯だったのに、わざわざ時代をねじ曲げて、堕落したマヤ人は敬虔なスペイン人(キリスト教徒)に征服され潰えたのだとこじつけていく

★マヤ人は大勢現存しているが、現状はものすごい虐げられている。
★しかも、ついこないだまでキリスト教徒がマヤ人を何十万人も惨殺しまくっていた。
★そんな厳しい状況にある彼らの、かつての先祖までをも謂われのないウソッパチで踏みにじる気か。

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2.ブラッドはルーシー・リュー主演の一種風変わりなバンパイアもので、『ブラッド・ダイアモンド』ともブラピとも無関係です。あっそ。とても血腥くて残酷だからリュー様の魅力だけで保っている映画かな。うん。

cf.ルーシー・リュー Lucy Liu 女優特選

3.スネーク・フライトSnakes on a planeは飛行機パニックもので乗客らがマフィアの放った刺客=毒蛇の群れに襲われて残酷なシーンも多々あるんだけど、初めと終わりに挿入される音楽がとても軽快で爽やかな感じが見た後に残るのはいったいどういうこと?ってかパニックものやホラーものって結構『爽快感』あるんだよね。だって陰鬱な惨憺たる印象だけで終わってしまったら、もう誰もパニック映画もホラー映画も見なくなるよな♪
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