本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

直接民主主義と代行主義。

2010-03-26 15:35:52 | 世界
中国検索サービスから撤退=「言論の自由」めぐり政府と物別れ-米グーグル
3月23日5時16分配信 時事通信
 
【シリコンバレー時事】インターネット検索最大手の米グーグルは22日、中国本土でのネット検索サービスから撤退し、同日から香港を拠点とする同社サイトで検閲抜きの中国語版検索サービスを始めたと発表した。一部情報を非表示とする事前検閲制度の撤廃を求めた中国当局との交渉が物別れに終わり、「言論の自由」が保障されない環境下でのサービス継続は困難と判断した。
 グーグルによると、中国法人自体は維持。北京や上海で手掛ける研究開発事業や主に多国籍企業を対象とする中国国外サイトへの広告仲介など検索以外の事業は継続する。
 同社が当初警告していた全面撤退を回避した形だが、営業担当者や技術者ら従業員計約600人の雇用に関しては、「今後、中国本土から香港のサイトにアクセスできるかによる」と指摘、中国当局による接続制限などの措置が講じられた場合、人員削減が不可避との見通しを示した。
 同社のドラモンド上級副社長は発表の中で、「中国政府は一貫して検閲ルール維持にかたくなで、議論の余地がなかった」と批判。その上で、香港を代替拠点とする「賢明な解決策」(同副社長)を尊重するよう当局に要請、強制遮断などの対抗措置を講じないよう重ねて訴えた。 

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<タイ>治安維持法30日まで延長へ タクシン派のデモで
3月22日20時25分配信 毎日新聞
 
【バンコク西尾英之】タイのタクシン元首相派組織「反独裁民主戦線」(UDD)による大規模反政府抗議行動で、同国のステープ副首相(治安担当)は22日、バンコク首都圏に23日までの予定で適用中の治安維持法を、30日まで延長する方針を示した。一方、軍は22日から、政府機関や軍施設、検問所などに武装兵士を配置すると明らかにした。

 アピシット政権はUDDに対し、抗議行動終結へ向け政府との対話開始を呼びかけているが、UDDは「首相本人以外との協議には応じない」などと拒否し、抗議行動を継続する構え。政府は対話呼びかけと警備強化の両面で、UDDへの圧力を強める狙いとみられる。

 元首相派がバンコク市内で大規模なデモ行進を行った20日夜には、国防省付近など2カ所で爆発物が爆発。元首相派による犯行かは不明だが、軍は再発防止のため武装兵士を配置するとしている。

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小林陣営違法献金:北教組幹部起訴 1600万円、原資は未解明 被告、黙秘続ける 3/23毎日新聞東京朝刊

 小林千代美衆院議員(北海道5区)陣営に北海道教職員組合(北教組)が違法献金したとされる事件は22日、北教組委員長代理ら2人が起訴されるに至った。「北教組マネー」に切り込んだ札幌地検。北教組は「不当弾圧」と強く反発し、逮捕された幹部は黙秘を貫いた。水面下で両者の攻防が激しく繰り広げられてきたが、小林陣営に渡ったとされる1600万円の原資は依然としてベールに包まれたままだ。【木村光則、和田浩幸、山田泰雄】

 「話したくない」。北教組関係者によると、委員長代理の長田秀樹被告(50)ら幹部3人は逮捕直後から黙秘を続けた。逮捕前、地検の任意聴取や報道陣に、長田被告らから1600万円の資金受領を認めていた小林陣営の会計責任者、木村美智留被告(46)も逮捕後、「検察に話すとリークされる」と黙秘に転じたという。

 一方、札幌地検は複数回にわたり、北教組本部のある北海道教育会館(札幌市中央区)を家宅捜索。会館裏の倉庫の鍵を壊して入るほど徹底的に行われたが、08、09年の細かい資金の流れを記載した会計書類や領収書は見つからなかったという。捜査関係者は「会計資料が隠ぺいされた可能性がある」と見る。

 だが、検察幹部は「負け戦はしない。必ず有罪にできる」と強気の姿勢を崩さなかった。捜査関係者によると、札幌地検は木村被告の逮捕前の任意聴取の段階で、400万円ずつ計1600万円の入金が記載されている通帳を入手。これが木村被告の管理する裏口座だった。さらに、北教組が管理する札幌市内の金融機関の口座について資金の出入りを照会。ほぼ同時期に計1600万円の資金が引き出されていたことも確認されたという。

 こうした資金の流れを示す証拠を支えに、札幌地検は長田、木村両被告の起訴に踏み切った。札幌地検の米村俊郎次席検事は22日の記者会見で、委員長(故人)と両被告が「実行行為をすべて担当した」と説明。起訴猶予処分の書記長と会計委員についても米村次席は「共犯と認定している」と述べた。

 これに対し、北教組は22日、事件について「いまだ委員長代理の自由が拘束されており、証拠関係が明らかでない段階で公訴事実の認否・反論に言及することは控える」などとのコメントを出しただけ。資金提供の有無も含め、これまで一切説明していない。小林陣営に渡ったとされる1600万円の原資も闇のままだ。

 こうした北教組の姿勢に対し、道内の40代の組合員の男性はこう訴えた。「どこから金が出ているのかが全然分からない。きちんと使途を説明してくれれば『そうか、問題ないな』『いや、それはダメだ』と言える。組合が説明責任を果たしているとは思わない」

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 ■解説
 ◇検察を批判、説明責任果たさず

 北教組の違法献金事件は、民主党とその支持団体である労働組合の間の不透明な資金の流れを表面化させた。北教組は幹部3人が逮捕された際、「不当な組織弾圧」との声明文を発表したが、資金提供疑惑を検察との対決にすり替え、覆い隠そうとしているように見える。

 北教組は昨年8月の衆院選で小林千代美衆院議員の陣営の「責任労組」として、幹部が陣頭指揮を執った。起訴された陣営の会計責任者は逮捕前、報道陣に、資金繰りに困り、北教組幹部に資金提供を依頼して受け取ったことを認めている。

 だが、北教組は具体的な説明を終始避けた。道内の民主党や労組関係者からは「政治資金収支報告書を訂正すればよいだけの話。強制捜査や逮捕の必要があったのか」「小沢(一郎・民主党幹事長)さんが不起訴になったことの意趣返しではないか」など、検察の姿勢に疑問を投げかける声も出た。

 鳩山由紀夫首相の偽装献金事件、小沢幹事長の虚偽記載事件。政治とカネをめぐる問題は、政権交代後も後を絶たない。何度も明らかになった企業から政治家への違法な資金提供と同様、労組と政治家の関係にも厳しい視線が注がれ始めている。

 衆院選にかかわった労組は北教組だけではない。小林陣営の公職選挙法違反事件の公判でも労組の裏金の存在が指摘された。「労組マネー」の透明化が求められている。【水戸健一】

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2010年03月25日 『日刊ゲンダイ』掲載
中井大臣 30代ホステスと“路チュー”写真

「私は独身、何か問題ありますか」

 連日のように30代の銀座ホステスと飲み歩き、東京・赤坂の議員宿舎に呼び込み、週刊誌に熱々の“路チュー”写真まで撮られた中井洽国家公安委員長(67)。25日午前、平野官房長官に官邸に呼ばれて、事情を説明した。
 その後、記者団に対し、「予算が上がって、一生懸命やらなければいけない時期にお騒がせして申し訳ない」と話した。記者から「大臣を辞任しますか」と聞かれると、「どうしてですか?」と問い返す場面もあった。
 24日夜も、今回のスキャンダルについて「何か問題がありますか。私は独身だし、飲み食いは全部、自分の金だ」と開き直りを決め込んだ中井大臣。ホステスに議員宿舎のカードキーを貸与するなど問題行為も発覚したが、「(議員宿舎の)カードを4枚もらい1枚を(女性に)渡しただけ。規則なんてないし、届け出もいらない」と説明した。中井大臣は13年前に妻が自殺しており、現在も独身だ。

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議会リコールへ自転車街宣開始=河村たかし名古屋市長 jiji.com

 市議会改革などをめぐって議会側と対立する河村たかし名古屋市長は27日、議会の解散請求(リコール)に必要な著名を集めるため、市民に直接、協力を求める街宣活動を開始した。同市の場合、議会リコールには36万5000人余り(有権者の約5分の1に相当)の署名が必要となる。
 河村氏は市内の商店街などを自転車に乗って回り、「(署名集めの)受任者になって一緒に議会を解散させましょう」と呼び掛けた。まずは受任者5000人以上の登録を目指しているという。 
 24日に閉会した同市議会では、河村氏が提出した市議会議員の報酬と定数を半減させる条例改正案が否決されるなど、河村氏と議会側の対立が深まっている。(2010/03/27-20:04)

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2010年03月27日 『日刊ゲンダイ』掲載
今、民主党を批判して誰が得する

毒食わば皿までだろう

 いつものことだが、また鳩山内閣が迷走している。生方騒動につづいて、今度は郵政民営化の見直し問題で閣内に亀裂だ。タイミングの悪いことに、中井洽国家公安委員長の女性スキャンダルまで噴き出した。よくもまあ、次から次へと問題が起こるものだ。
 これでは、支持率が下がるのも仕方がないのか。世論調査を見ると、昨年の衆院選で民主党を支持した有権者が、民主党政権に失望しはじめている。
 政権交代があったことについては「よかった」と68%が評価しているが、いまの政治に「満足」しているのは14%しかなく、「不満」が82%に達している。国民の意思を「反映している」は26%、「反映していない」は72%だ。
 しかし、日本の有権者は政治意識が低すぎる。国民が民主党を支持し、戦後初めて、選挙による政権交代を実現させたのは、ほんの半年前のことだ。少しくらい期待を裏切られても、自分たちでつくった政権なのだから、長い目で政権を育てる必要があるのではないか。
 だいたい政権が発足してから、まだ半年しかたっていないのに、失望するのは早すぎるというものだ。歴史作家の加来耕三氏がこう言う。
「国民はせっかち過ぎます。政権交代したからといって、次の日から成果があがるはずがありません。

 たとえば明治維新です。明治政府が落ち着くまで10年かかっている。1868年に江戸幕府を倒したが、その後も内乱の連続だった。佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱……。77年に西南戦争を鎮圧し、やっと中央集権の明治政府の形が固まった。強大な武力を誇った明治政府でさえ既得権の抵抗に手を焼いたのです。まして、民主主義の下で一歩一歩、政策を進めなくてはいけない鳩山政権が、半年程度でなにもかもやれるはずがありません」
 民間企業だって、赤字会社を半年やそこいらでは黒字にできやしない。

●着実に実績を残している鳩山政権

 なにより、民主党政権の目指す「国民生活が第一」という方向は間違っていない。有権者が民主党を支持したのも、理念に共感したからだろう。
 国民は鳩山政権に失望するヒマがあったら、理念を実現するように民主党の尻を叩くことだ。
「国民の多くが鳩山政権に歯がゆさを感じているのはよく分かります。しかし、政治のプロから見ると予想以上に成果を挙げているのも事実です。大臣経験者がほとんどいない素人の集まりなのに、戦後5番目の速さで予算を成立させた。自民党政権では絶対に思いつかない『事業仕分け』という画期的なこともやった。驚くのは、日米外交の『密約』まで認めたことです。間違いなく、戦後史に残る成果です。迷走していると批判される普天間問題だって、もともと自民党が10年以上解決できなかった難問。ただでさえ難しい問題を、鳩山首相はなんとか『県外』という高いハードルで決着させようとしている。なぜ、大マスコミがあそこまで批判するのか分かりません」(政治評論家・本澤二郎氏)
 鳩山内閣の未熟さが目につくこともある。たしかに失敗も多い。しかし、あの中曽根康弘だって、首相就任半年間は、腰が落ち着かず、自分がなにをやっているのか、分からない状態だったそうだ。鳩山政権が、多少ガタつくのは仕方がない。
 しかも、民主党政権は、自民党政権が60年間築き上げた「政官財」の癒着構造を叩き壊して、「国民生活が第一」という、まったく新しい政治システムをつくろうとしている。簡単にやれるはずがない。カベにぶち当たるのは当たり前だ。
「もし、国民が鳩山政権にスピーディーな成果を求めるなら、剛腕の小沢一郎にすべての権限を与えることです。彼に権力を集中させれば、多くのことが解決していくでしょう。ところが、小沢一郎が動くと、国民は『独裁だ』と批判するのだから支離滅裂です」(本澤二郎氏=前出)
 国民は、自分たちが民主党政権をつくったという自覚がなさすぎる。ここで民主党に失望してもなにもはじまらない。昨年の衆院選の一票がムダになるだけだ。

●だったら自民党政権に戻せばいいのか!

 ところが、有権者だけでなく、民主党政権の実現のために論陣を張ってきた学者までが民主党批判に転じているのだから、どうかしている。「毒を食らわば皿まで」ではないが、一度、民主党を応援したのなら、最後まで初心を貫くのが学者の良心というものだろう。
 いまごろ「見込み違いだった」というなら、見識を疑われるというものだ。この先、なにを言っても信用されないと覚悟したほうがいい。
 それよりなにより、いま民主党を批判したら、自民党と官僚を喜ばせるだけということを分かっていないのではないか。九大名誉教授の斎藤文男氏(憲法)が言う。
「民主党を批判している人は、どんな政権を望んでいるのでしょうか。まさか、自民党政権の復活を期待しているわけじゃないでしょう。国民は、自民党の賞味期限は切れたと判断して民主党政権を誕生させたのです。実際、60年つづいた自民党政治は完全に行き詰まっていた。借金だけ膨らませ、福祉を削り、雇用まで破壊してしまった。国民は自民党にウンザリしているのです。しかし、このまま民主党への批判がやまず、支持率が下落したら、夏の参院選はどうなるか分からない。死んだはずの自民党が勢いづき、民主党は過半数を割り込み、日本の政治は再び大混乱に陥ってしまいかねない。国民が本当にそんな政治状況を望んでいるとは思えません」
 日本の政治をよみがえらせるためには、自民党政治を完全に叩き壊し、民主党に国民のための政策を実現させるしかない。
 そのために、いま国民がすべきことはなにか、ハッキリしているはずである。

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1.現在衆議院の定数が480議席、参議院の定数が242議席である。参議院など、あの広いアメリカの上院定数が100しかないことを思えば如何にも多過ぎる。根拠はないが、私は衆院で300か200、参院100もあれば充分ではないかと常々考えている。議員報酬も多過ぎる。彼ら議員センセイたちは与野党こぞってお手盛りばかりしているのである。
 共産党は「悪法たりとも法は法」の精神の党だろうから、政党助成金などはきっちり全額受け取って、それを「国境なき医師団」でも「ユニセフ」でもお好きなところへカンパしたらいいのだ。

2.「民主主義はややもすると『衆愚政治』に陥る欠点がある」などと我々は中学校・高校で教わるのであるが、むしろこれは「全ての民主主義は衆愚政治である」と言い換えた方がより正確であると私は思う。
 近くはメディアの誘導するままに国民の大部分が踊らされた「小泉郵政選挙」の熱狂ぶりが良い例である。今となっては昨夏の衆院選がそうでなかったという保証はない。「持ち上げておいて後に叩く」というのがメディアが使う常套手段であって、その落差が大きければ大きいほど、テレビの視聴率は上がり、新聞も売れるのである。「豚は充分肥えさせてから屠れ」である。
テレポリティックスの時代はメディアが我がもの顔に世論を扇動・誘導し形作って行く時代である。個々には営利追求の一私企業に過ぎない媒体が、何様のつもりか、不祥事を起こした私企業や自治体の長らをカメラの放列の前で平伏させて撮る恒例の「謝罪会見」に一種違和感を覚えるのは私だけだろうか?
 人民裁判だの三角帽子だのを言うのなら、あれこそまさに形骸化したセレモニーに過ぎないとは言え、人民裁判であり私的リンチそのものだ。
 私は彼らメディアの私兵たちが「国民の代表」だなどと思ったことは一度もないのである。

3.一方例は適切でないかも知れないが「直接民主主義」という言葉から私が連想する中の一つは聖書の中のピラトの挿話(マタイ伝27-15等)である。
 過越しの日の特赦で盗賊(帝国への反乱軍の首謀者という説もある)のバラバ・イエスと「ユダヤ人の王=メシア・イエス」の「どちらのイエス」を釈放するかとピラト総督に尋ねられた群衆は「釈放するのはバラバだ!イエスは磔にしろ!」と口々に叫ぶのである。祭司長らに予めそのように言いくるめられていたからである。
 直接間接を問わず、民主主義にはファナティックな衆愚性・妄動性・付和雷同性は多かれ少なかれ必須の付きもの(憑物)のように私には思われる。

4.パリ・コンミューンの研究から、レーニンは大臣(政治委員)の報酬は熟練工の賃金を上回らない額が適切であるとした。我が吉本隆明センセイは元々レーニンからは離れている筈だが「政治家はご町内のゴミ当番でいい」と言っているし、名古屋の河村市長だって共産主義者ではないが、彼の「政治家はボランティアでやるべきだ」という主張も結局ここに収斂して来ると思われる。
 分相応以上に金の欲しい連中ばかりが集まって政治をやるから世の中おかしくなるのである。彼らは一様に「報酬を少なくすると権威が失墜し、なり手がいなくなる」などと子供騙しみたいなアホなことを言って反論するのだが、自ら率先して「政治家になりたい連中」などという人種は所詮現況その程度の者たちでしかないのである。

5.ドイッチャーの言葉に「代行主義」というのがある。
 いわゆるスターリン主義を批判した言葉で、民衆の意思は人民会議(ソヴィエト即ち国会)が代表する⇒人民会議の意思は党中央委員会が代表する⇒中央委員会の意思は委員会の議長が代表する・・となって、結局旧ソ連の民衆の声はスターリン唯一者によって代表・代行されるというものである。
 何億何十億という人々が好き勝手に言いたい放題していたらどんな話もまとまらないだろうということで、我々は自らの代表を選挙で国権の最高機関に送り込んで政治を差配して貰う習慣になっている。制度は習慣である。投票したからには何をどうされても本来文句は言えないのである。故埴谷雄高が(衆院選挙は)「四年に一度の白紙委任状」だと言って選挙なるもの一切を棄権した所以である。
 さて、そんなこんなで、いったいわが国の行く末はどうなるのかね?w

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 ウィキペディア@pediaによると: ↓

アイザック・ドイッチャー(Isaac Deutscher, 1907年4 月3日 - 1967年8 月19日)は、ポーランド生まれのマルクス主義者、政治活動家、ソ連研究家。
生涯

生地のクラクフ大学で文学や歴史を学び、1926 年にポーランド共産党に入党し党機関紙の編集に当った。
スターリンの路線に反対してトロツキー派として1932年に党から除名される。1939 年にロンドンに渡ってポーランド系ユダヤ人新聞の記者となり、1942-49年に『エコノミスト』誌、1942-47年『オブザーヴァー』誌の編集にも参加。以後著作活動に専念し、『スターリン Stalin:a Political biography』(1949年)を出版。
のち、『武装せる予言者 The prophet armed』(1954年)、『武力なき予言者 The prophet unarmed』(1959年)、『追放された予言者The prophet outcast』(1963年)のトロツキー伝三部作を完成した。

これらの著作は多くの資料を駆使しながら共産党員としての経験に裏付けられた水準の高い叙述であり、ロシア革命史、ソ連邦史の研究として準古典的ともいえる地位を占めている。この一連の研究はレーニン伝の完成によって完結する予定であったが果たさなかった。

晩年はイギリス・カナダ・アメリカで時事問題の論評を精力的に行ない、またヴェトナム戦争に反対してティーチ・インに積極的に参加した。ローマで客死。

cf.米上院
cf.河村たかしHP
cf.2チャンネル名古屋河村市長に抵抗する議員屋を落選させるスレ
cf.ピラト

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