*昨日あべの橋でいかがわしい路上と遭遇した。それは南米から来たというフォークロアのパフォーマンスで、カラオケをバックに各種の笛を演奏する男が一人と、「コーヒー・ルンバもあります♪」などと矢鱈通行人に声をかけて1枚2,500円のCDを売りつけようとする女(←日本人?)が一人という二人組編成であった。
せっかく通りかかったのだからと思っていつもの習性からムービーを回したら、男は極度に顔を撮られることを嫌がり程なく演奏を中止した。私は路上を撮影し始めて2年以上立つが、こういう人間も珍しい、というか初めて出合った。(笑)
私は路上そのものがれっきとした違法行為な上、まして路上に於ける無届の物品販売など犯罪であるから(!)という理由で、路上を撮影することに関して被写体側の事前の了解をとったことなどない。
それは私が「そもそも大道芸人に肖像権も著作権もへったくれもない(!)」と思っているからであって、私個人が彼ら一般に対してすこぶる同情的であることとは別の問題なのである。
ところが彼に無断でムービーを回したことが向こうのプライドを傷つけたのか、はたまた本当に顔を撮られてはまずいことがあるのか(←私にはその両方の理由からと思われたが)彼は演奏を止めて「ビデオは駄目だ」「何のために撮るのか?」と言って来た。
別に私が彼のパフォーマンスに感激したわけではなかったし、嫌がっている人間のムービーを無理やり撮る理由もなかったのでどうでも良かったが、挙動不審なのが気にかかったので「なぜ駄目なのか?」と去り際に一応訊いてみた。「自分はいいとも悪いとも言ってない」と彼は言うので「では許可したらいいだろう」と言ったら「それは駄目だ」更には「頭悪い(!)」などと言って来た。馬鹿野郎、てめえなんかに馬鹿呼ばわりされたくねえや!
売るものはないけれど金は欲しい。
それでフォークロアと民芸品か。
Sol de los Andesがどれだけ日本で成功を収めているのか私は知らないが、去年『造幣局通り抜け』の際彼らの路上を撮ったムービーはYouTubeでは2万回以上再生されている。(今年は4/20に行ったが彼らはいなかった)
それで柳の下の泥鰌を求めて、彼らも民謡と民芸品に活路を求めたのか・・?
安直と言えば安直だが、日本の各地で繰り広げられている『村興し』『町興し』も似たような精神構造かも知れないのだ。
思えば私がSol de los Andesのムービーは何本も撮っていると言うと、女は「彼はソル・デ・ロス・アンデスとは兄弟だ」と説明し、彼のグループから分派したのがソルだとも言ったが、そんなことは初耳だった。笑。が、本人は「ソルとは友達だ」と言った。ここで早くも二人の言い分が食い違っていたから怪しいと私は睨んだわけである。ぁそ。
あべの橋では以前釜ヶ崎支援の偽団体がカンパ活動をしたこともあり、信じやすいのもどうかと思うが、騙す人間よりは騙される人間の方が数段上等で値打ちがあると私はいつも思う。
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日韓首脳会談 『西日本新聞』
2004年12月、当時の小泉純一郎首相と盧武鉉大統領が鹿児島県指宿市で会談し、首脳同士が年1回程度相互訪問する「シャトル外交」開始で合意。その後、竹島(韓国名・独島)領有権問題などで日韓関係が悪化した。盧大統領は05年6月にソウルで小泉首相に靖国参拝中止を要求、同年末には来日を見送りシャトル外交は中断。06年10月、当時の安倍晋三首相は就任直後に訪韓し関係改善を確認。福田康夫首相は今年2月、ソウルで李明博大統領と初会談した。
日韓首脳会談 信頼醸成へ足掛かり 竹島問題、なお道険しく
(2008年4月21日掲載)
【解説】福田康夫首相と韓国の李明博大統領は21日の会談で、首脳間の信頼醸成を基礎とする「日韓新時代」構築に向け足掛かりを得た。ただ歴史認識、竹島(韓国名・独島)領有権問題など懸案での溝は埋まらず、北朝鮮の核、拉致問題での緊密協力も実効性の担保はない。「一層成熟したパートナーシップ関係」をいかに実現させるか、依然道は険しい。
大統領は会談後の共同記者会見で、歴史認識について「過去を直視する中で、共同のビジョンを持ちながら未来に向かわなければならない」と未来志向の関係構築を目指す姿勢を強調。盧武鉉前大統領も当初は「未来志向の関係」を掲げながら、当時の小泉純一郎首相の靖国神社参拝などで関係が一気に冷却化。「過去を考えれば、まだ全幅の信頼は置けない」(政府筋)と、疑心をぬぐい去れてはいないのが実態だ。
懸案の経済連携協定(EPA)締結交渉は再開に向け実務協議開催で合意したものの、韓国内の抵抗は強く今後の交渉は容易でない。経済産業省幹部は「利害がもろに対立する交渉ができる状況ではない」と指摘する。
両首脳は日韓が国際的課題で対処するための共同研究を開始することで一致した。二国間の枠にとどまらずアジア、世界の中で果たすべき役割を考えながら、新たな日韓関係を切り開いていく視点も不可欠だ。
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天皇訪韓を直接招請 李大統領が会見で
2008年4月22日 『中日新聞』朝刊
韓国の李明博(イミョンバク)大統領は21日午後、天皇、皇后両陛下と皇居・宮殿の「竹の間」で会見。未来志向の日韓関係の発展について歓談し、韓国訪問を招請した。
宮内庁によると、天皇陛下は「今回のご訪問によって日韓関係がさらに増進することをうれしく思います」と表明。李大統領の訪韓招請に「政府が検討し、決定することになっていますが、招待には感謝します」と答えられた。
「天皇訪韓」をめぐっては、1990年に当時の盧泰愚(ノテウ)大統領が初めて正式招請。以来、歴代大統領が招請し、盧武鉉(ノムヒョン)前大統領も2003年に天皇陛下との会見で招請したが、日韓関係が悪化するなどして実現していない。
◆首相「今後検討する」
福田首相は21日夜、李明博韓国大統領が天皇陛下との会見で訪韓を直接招請したことについて「今後検討していきたい」と述べた。官邸で記者団の質問に答えた。
町村信孝官房長官は記者会見で、天皇訪韓について「いずれの機会にはと思っているが、日時、スケジュールを今、具体的に検討する状況にはない」と述べた。
◆陛下「感謝します」
「招待は感謝します」。皇居・宮殿で21日行われた天皇、皇后両陛下と韓国の李明博大統領夫妻との会見は、終始和やかな雰囲気で進んだという。過去4代の大統領に続く訪韓招請。天皇陛下は今回も「自分の外国訪問は政府が検討し決定することになっています」と“象徴”の立場を踏まえて答えられた。
午後2時半ごろ、両陛下は宮殿の車寄せに出迎えに立ち、車を降りた夫妻と笑顔で握手。通訳を通じて会話を交わしながら、会見場所の「竹の間」へ向かった。
宮内庁によると、会見は約20分間。「(福田)総理との良い会談ができました」と大統領。若者の交流を一層強化してゆくことで合意したことを紹介すると、陛下は「それは良いことですね」と応じた。大統領からの訪韓招請は会見の後半だったという。
会見を終えた大統領は車寄せまで見送った両陛下に日本語で「ありがとうございました」とあいさつし、皇居を後にした。
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チベット暴動 追悼法要 善光寺で聖火リレーの朝
2008年4月22日 『中日新聞』朝刊
長野市で26日に行われる北京五輪聖火リレーの出発式典会場を辞退した善光寺で同日早朝、チベット暴動の犠牲者を追悼する法要が営まれることになった。市民団体「チベット問題を考える長野の会」(野池元基代表)が21日発表した。
亡命チベット人や支援者の国際組織「チベットに自由を求める学生の会」(SFT)日本支部との共催。善光寺の僧侶5人を含む7人でつくる「平和を願う僧侶の会」(若麻績敬史(わかおみけいし)代表)が協力する。
善光寺本堂で毎朝行われる勤行に合わせて追悼法要を営み、暴動で犠牲になったチベット人と中国人の名前を読み上げる。当日は午前6時半に境内に集合、在日チベット人家族と支援者ら約40人が参列する予定。一般の参加も受け付ける。
法要後、両団体は聖火リレーのルートとなる出発点やJR長野駅前付近などに「チベットに自由を」などと書いた横断幕を掲げ、アピール活動をする。
善光寺に39ある宿坊の一つの住職である若麻績代表は「一人の僧侶として参加し、国や民族などの差異を超えた互いの理解を願う」と話した。
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せっかく通りかかったのだからと思っていつもの習性からムービーを回したら、男は極度に顔を撮られることを嫌がり程なく演奏を中止した。私は路上を撮影し始めて2年以上立つが、こういう人間も珍しい、というか初めて出合った。(笑)
私は路上そのものがれっきとした違法行為な上、まして路上に於ける無届の物品販売など犯罪であるから(!)という理由で、路上を撮影することに関して被写体側の事前の了解をとったことなどない。
それは私が「そもそも大道芸人に肖像権も著作権もへったくれもない(!)」と思っているからであって、私個人が彼ら一般に対してすこぶる同情的であることとは別の問題なのである。
ところが彼に無断でムービーを回したことが向こうのプライドを傷つけたのか、はたまた本当に顔を撮られてはまずいことがあるのか(←私にはその両方の理由からと思われたが)彼は演奏を止めて「ビデオは駄目だ」「何のために撮るのか?」と言って来た。
別に私が彼のパフォーマンスに感激したわけではなかったし、嫌がっている人間のムービーを無理やり撮る理由もなかったのでどうでも良かったが、挙動不審なのが気にかかったので「なぜ駄目なのか?」と去り際に一応訊いてみた。「自分はいいとも悪いとも言ってない」と彼は言うので「では許可したらいいだろう」と言ったら「それは駄目だ」更には「頭悪い(!)」などと言って来た。馬鹿野郎、てめえなんかに馬鹿呼ばわりされたくねえや!
売るものはないけれど金は欲しい。
それでフォークロアと民芸品か。
Sol de los Andesがどれだけ日本で成功を収めているのか私は知らないが、去年『造幣局通り抜け』の際彼らの路上を撮ったムービーはYouTubeでは2万回以上再生されている。(今年は4/20に行ったが彼らはいなかった)
それで柳の下の泥鰌を求めて、彼らも民謡と民芸品に活路を求めたのか・・?
安直と言えば安直だが、日本の各地で繰り広げられている『村興し』『町興し』も似たような精神構造かも知れないのだ。
思えば私がSol de los Andesのムービーは何本も撮っていると言うと、女は「彼はソル・デ・ロス・アンデスとは兄弟だ」と説明し、彼のグループから分派したのがソルだとも言ったが、そんなことは初耳だった。笑。が、本人は「ソルとは友達だ」と言った。ここで早くも二人の言い分が食い違っていたから怪しいと私は睨んだわけである。ぁそ。
あべの橋では以前釜ヶ崎支援の偽団体がカンパ活動をしたこともあり、信じやすいのもどうかと思うが、騙す人間よりは騙される人間の方が数段上等で値打ちがあると私はいつも思う。
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日韓首脳会談 『西日本新聞』
2004年12月、当時の小泉純一郎首相と盧武鉉大統領が鹿児島県指宿市で会談し、首脳同士が年1回程度相互訪問する「シャトル外交」開始で合意。その後、竹島(韓国名・独島)領有権問題などで日韓関係が悪化した。盧大統領は05年6月にソウルで小泉首相に靖国参拝中止を要求、同年末には来日を見送りシャトル外交は中断。06年10月、当時の安倍晋三首相は就任直後に訪韓し関係改善を確認。福田康夫首相は今年2月、ソウルで李明博大統領と初会談した。
日韓首脳会談 信頼醸成へ足掛かり 竹島問題、なお道険しく
(2008年4月21日掲載)
【解説】福田康夫首相と韓国の李明博大統領は21日の会談で、首脳間の信頼醸成を基礎とする「日韓新時代」構築に向け足掛かりを得た。ただ歴史認識、竹島(韓国名・独島)領有権問題など懸案での溝は埋まらず、北朝鮮の核、拉致問題での緊密協力も実効性の担保はない。「一層成熟したパートナーシップ関係」をいかに実現させるか、依然道は険しい。
大統領は会談後の共同記者会見で、歴史認識について「過去を直視する中で、共同のビジョンを持ちながら未来に向かわなければならない」と未来志向の関係構築を目指す姿勢を強調。盧武鉉前大統領も当初は「未来志向の関係」を掲げながら、当時の小泉純一郎首相の靖国神社参拝などで関係が一気に冷却化。「過去を考えれば、まだ全幅の信頼は置けない」(政府筋)と、疑心をぬぐい去れてはいないのが実態だ。
懸案の経済連携協定(EPA)締結交渉は再開に向け実務協議開催で合意したものの、韓国内の抵抗は強く今後の交渉は容易でない。経済産業省幹部は「利害がもろに対立する交渉ができる状況ではない」と指摘する。
両首脳は日韓が国際的課題で対処するための共同研究を開始することで一致した。二国間の枠にとどまらずアジア、世界の中で果たすべき役割を考えながら、新たな日韓関係を切り開いていく視点も不可欠だ。
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天皇訪韓を直接招請 李大統領が会見で
2008年4月22日 『中日新聞』朝刊
韓国の李明博(イミョンバク)大統領は21日午後、天皇、皇后両陛下と皇居・宮殿の「竹の間」で会見。未来志向の日韓関係の発展について歓談し、韓国訪問を招請した。
宮内庁によると、天皇陛下は「今回のご訪問によって日韓関係がさらに増進することをうれしく思います」と表明。李大統領の訪韓招請に「政府が検討し、決定することになっていますが、招待には感謝します」と答えられた。
「天皇訪韓」をめぐっては、1990年に当時の盧泰愚(ノテウ)大統領が初めて正式招請。以来、歴代大統領が招請し、盧武鉉(ノムヒョン)前大統領も2003年に天皇陛下との会見で招請したが、日韓関係が悪化するなどして実現していない。
◆首相「今後検討する」
福田首相は21日夜、李明博韓国大統領が天皇陛下との会見で訪韓を直接招請したことについて「今後検討していきたい」と述べた。官邸で記者団の質問に答えた。
町村信孝官房長官は記者会見で、天皇訪韓について「いずれの機会にはと思っているが、日時、スケジュールを今、具体的に検討する状況にはない」と述べた。
◆陛下「感謝します」
「招待は感謝します」。皇居・宮殿で21日行われた天皇、皇后両陛下と韓国の李明博大統領夫妻との会見は、終始和やかな雰囲気で進んだという。過去4代の大統領に続く訪韓招請。天皇陛下は今回も「自分の外国訪問は政府が検討し決定することになっています」と“象徴”の立場を踏まえて答えられた。
午後2時半ごろ、両陛下は宮殿の車寄せに出迎えに立ち、車を降りた夫妻と笑顔で握手。通訳を通じて会話を交わしながら、会見場所の「竹の間」へ向かった。
宮内庁によると、会見は約20分間。「(福田)総理との良い会談ができました」と大統領。若者の交流を一層強化してゆくことで合意したことを紹介すると、陛下は「それは良いことですね」と応じた。大統領からの訪韓招請は会見の後半だったという。
会見を終えた大統領は車寄せまで見送った両陛下に日本語で「ありがとうございました」とあいさつし、皇居を後にした。
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チベット暴動 追悼法要 善光寺で聖火リレーの朝
2008年4月22日 『中日新聞』朝刊
長野市で26日に行われる北京五輪聖火リレーの出発式典会場を辞退した善光寺で同日早朝、チベット暴動の犠牲者を追悼する法要が営まれることになった。市民団体「チベット問題を考える長野の会」(野池元基代表)が21日発表した。
亡命チベット人や支援者の国際組織「チベットに自由を求める学生の会」(SFT)日本支部との共催。善光寺の僧侶5人を含む7人でつくる「平和を願う僧侶の会」(若麻績敬史(わかおみけいし)代表)が協力する。
善光寺本堂で毎朝行われる勤行に合わせて追悼法要を営み、暴動で犠牲になったチベット人と中国人の名前を読み上げる。当日は午前6時半に境内に集合、在日チベット人家族と支援者ら約40人が参列する予定。一般の参加も受け付ける。
法要後、両団体は聖火リレーのルートとなる出発点やJR長野駅前付近などに「チベットに自由を」などと書いた横断幕を掲げ、アピール活動をする。
善光寺に39ある宿坊の一つの住職である若麻績代表は「一人の僧侶として参加し、国や民族などの差異を超えた互いの理解を願う」と話した。
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