本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

中国波乱万丈。

2014-05-29 10:29:29 | 世界
 ここは私のブログでは最古参だが、昨日は【342pv:134ip:9456位】とのことで、現在のアクセス数としてはBIGLOBE、JUGEMに次いで第三位である。ビッグロブは既に400以上のアクセスを2回達成しているし、ジュゲムは昨日は2回目の200超えを果たした。どちらもYouTubeからのiframe動画を多用しているせいもあるんだろうけど、それにしてもどういうのだろうか、皆さん新しい記事がお好きなようである。
 確かにここの私の古い記事なんてどうしようもないものが多いからね。w

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 今日は中国の【文化大革命】前後の話を書こうと思って、取敢えず【大航海舵手】(←タイトルは多分間違っていないと思うのだが、検索にかかって来ないのだから私には何とも言えない。)という当時【北京放送局・日本語版】で冒頭使われていた曲をアップしようかと考えたのだが、グーグルでもモジラでも、YouTubeでもそれは発見出来なかったから、公的には最早削除されてしまったのかも知れない。これは大海へ船出する中国を指導する偉大なる舵取りとして毛沢東を礼賛する、非常に景気のいい?曲だったのである。

 私の高3のときの友人に中国かぶれの男がいて、彼は学校にも【毛沢東語録】という赤い表紙のハンドブックを持参して来ていて(無論日本語訳だった)、私も勧められてそれを買ったが興味が沸かなくてあまり読まなかった。
 それでも私は【ニッポンの同志の皆さんこんばんわ!こちらはペキン!放送局です!♪】で始まる日本向けラジオ放送を殆ど毎晩のように聞くことになったのである。

 元々は【資本主義の道を歩む一握りの実権派】(←後には【走資派】と呼ばれたその代表が劉少奇とされた。彼は《上海コンミューン》など労働者を組織した云わば都市型の革命家で、毛沢東に次ぐ中国共産党NO.2の存在だったが、結局は党内闘争に敗れて粛清されてしまった。)対【農村に基盤を置く毛沢東派】との権力闘争が全国規模に拡大したものがあの【文化大革命】だったのである。その後粛清の嵐は党内外に吹き渡り、密告は奨励され、毛沢東の片腕だった【林彪】元帥は身の危険を感じてソ連に亡命しようとしたところを撃墜されたし、【批林批孔】とか【四人組】とか様々な党内対立を経て今の中国はあるのである。但し、ここに【批林批孔】までは文革真っ最中の時期の話だが、【四人組】となるとこれはもう既に文革否定の話になって来る。

 私がなぜ突如として文革の話を始めたのかというと、私が書きたかったのは日本へ留学もしくは働きに来ていた中国人たちとの短い交流について書きたかったというのがそもそもの動機であり、その前段として始めたのだが、長くなり過ぎたので続きは後日に譲ることとする。他には日系ブラジル人たちとの交流もあったからそれも書きたいからまた書く。東京を出てから愛知県にやって来た私は、行く先々の職場で彼ら海外からの出稼ぎ労働者たちと出会ったのである。元より彼らはお金が欲しくて来日しているわけであって、そのために必要となれば日本人とも親しくしてもいいかなというスタンスなので、彼らはこちらが仕掛けなければ決して自ら心を開くことはなかったように思う。
 それは豊橋の技術科学国立大学へ留学して来た中国人たちにしても同じことだった。


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