本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

テラセン(寺銭)

2015-03-30 08:24:30 | 政治

 テラセン(寺銭)というのは、昔お寺で賭博が開帳されていたときお寺が《運営費》の名目で取っていた手数料のことで、その言い回しが今でも厳として残っているのである。賭博をご開帳する側は何も《慈善事業》をしているわけではなく、儲けを獲たいがために《賭場=とば》即ちバクチを開くわけだが、これがあるときから法的に規制されて自治体等主催の《公営ギャンブル》だけが認められることになった。「賭博を開く《胴元》になれるのは役所だけだぞ!」と法改正されたわけで、このため《博徒》たちは食い扶持を得る手段を突如奪われ、結果博打は陰に籠もって違法状態で開帳されることになり、今でも彼らは時々当局によって摘発されている。

 今公営ギャンブルは中央競馬、公営競馬、競艇、競輪、オートレース、ばんえい競馬・・とさまざまあるが、為政者たちはそれだけでは到底満足出来ず、「奴らからあぶく銭をもっと絞り取れ!」と言わんばかりに新たに《カジノタウン》の設置を画策しているから我々貧乏人はますます私利私欲に目が眩んで生活が大変になること必定である。

 但しカジノを作るには法改正が必要であるが、法律を変えたからと言って直ちに金の出所が増えるわけではない。景気の好循環が社会の末端で暮らす人々にも及ばないと、ギャンブルに行く金など発生しない。今ある公営ギャンブルの魅力を高めるのではなく、そんなものはどうなっても構わないから(!)取り敢えず目先を変えたいというだけである。脳味噌の足りない政治家や役人たちの身勝手で安直な御都合主義である。

 我が国のテラセンの比率は25%と決まっている。競馬も競輪も競艇も皆同じだ。ファンが仮に1000円投票すれば自動的に主催者側が250円召し上げてしまうことになる。運営費も選手達の報酬もそこから支払われる。残った750円を欲に目が眩んだ者達で奪い合うわけだから、元々ファンサイドから見れば千円の金額は750円の価値しかないのである。この25%のテラセンは諸外国と比べて異様に高いと言われているが、私は調べたことがないので詳しい事情は知らない。

 既述の通り私は先日何年ぶりかで尼崎競艇場に行ってみたわけだが、設備は改装されて随分立派な施設になっていたにも関わらず、客足は逆にすっかり落ちてしまったのだと、これはみんな現場の人達が述懐していた。業者と癒着した役所の側が《公共工事》をしたかっただけという匂いが紛々とするが、それはどこの自治体でも同様だろう。

 私も「また来てね♪」と現場の皆さんに何度も誘われたが、私だって《打ち出の小槌》があるわけではないから限界というものがある。今日も行きたい気持はあるが天気が良くない。アッソ。


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