本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

もったいない。

2008-05-12 22:07:11 | 社会
船場吉兆がまた、今度は一度出した料理の使い回しをしていたというニュースで思い出したことがある。5/4の同志社の学生の話と繋がっている。私は今もあるのかどうか知らないがJR京都駅前の某大型ホテルのお膳運びのアルバイトに就いたが一週間で辞めてしまった。そのホテルで知り合ったばかりの同志社の彼が他の旅館へ移るというのでそれに付いて行くことになったからである。思えば付和雷同型そのもののいい加減なお兄ちゃんだったわけであるが、よく言えば言わば私は引き抜かれたのである。あちゃ。で、そのホテルで思い出すことと言えば、夕飯のおかずが豆腐1丁だけだったということである。京風の豆腐だから真四角で大きいのだが、夕飯のオカズが豆腐だけとはひどい。味噌汁もなかったように思う。他に惣菜が欲しかったら宴席が終わった後片付けに入った際いくらでも自由に調達してくればいいというシステムだった。最初は「宴会の残りものなんて・・」と流石に抵抗があったが、先輩たちはみんな事もなげにやっていることだし「郷に入りては郷に従え」の精神で(はあ?)私もすぐ慣れた。あちゃ。手付かずの料理でも酔っ払いの唾くらいは飛んでいるかも知れないが毒は入っていないだろうし、そのまま捨てるのではもったいないと言えばこんなにもったいない話はない。それも初めのうちは「手付かず」に拘ってはいても、そのうち馴れて来ると箸が付けられた品も平気で分捕って来るようになる。「習うより馴れろ」である。(はあ?ちょっと違うってか?!ぁそ。)こうなって来ると殆ど「残飯漁り」だが、でもこれに近いことを船場吉兆は社長命令でやっていたことになる。「食品衛生法上はなんら問題はない」なんてったって、これはあーた、立派な『料金の二重取り』じゃないか。「もったいない」というなら、京都の大ホテルを見習って少しは従業員らに食べさせてやったら良かったんじゃないの?あっそ♪*それで移籍した先のホテルは修学旅行生主体だったが、引率の先生方だって夜になれば一席設けるわけである。でもその片付けのため座敷に入るのはパントリーの責任者たる仲居さん一人だった。彼女が手付かずの料理だけうまく見繕って集めてくれるので、我々兵隊さんは戦利品の御相伴に与るだけだった。ラッキーってか、そこも夕飯のオカズは粗末なもので、ただ味付け海苔と生卵は朝晩自由に食べられたがそれらも学生さんたちの残したものだ。 . . . 本文を読む