フィクション『同族会社を辞め、一から出直しオババが生き延びる方法』

同族会社の情けから脱出し、我が信ずる道を歩む決心をしたオババ。情報の洪水をうまく泳ぎ抜く方法を雑多な人々から教えを乞う。

人生の半分を犬と一緒に生きている。

2021-06-14 20:24:03 | ショートショート

あつしが柴犬のけんたと出会ったのは13歳の時だった。

けんたは父親が買ってきた。少し前に病気をして気が弱くなっていたときに、犬かネコにそばにいてほしくて、母親に、どちらか飼いたいとせがんだらしい。そこで、野良猫は嫌だから犬にして、と言われ、柴犬を扱う店に行き、気にいったけんたを連れてきたのだ。

まだ生後2ヶ月の赤ちゃん犬。仔犬だ。とても小さくてまるでぬいぐるみのようだった。

あつしには兄が二人いたが、二人ともその仔犬に夢中になった。もちろんあつしも夢中になった。

 

あつしは今年、26歳になった。

20歳の大学3年生の時に4学年上のまりと知り合い、大学卒業した歳の11月に婚姻届を出した。22歳だった。すぐに嫁さんは妊娠し、翌年9月に可愛い女の子が生まれた。23歳だった。

嫁さんと一緒に子育てする毎日。

保育園への送り迎えも進んでやる。振り替えで休みの平日には娘も保育園を休ませてどこかへ遊びに連れ出す。

けんたは13歳になった。人間ならもう68歳らしい。良いおじいさんだ。

赤ちゃんだったけんたが、いつの間にかあつしを超えておじいさんになってしまった。

俺は人生の半分をこいつと一緒に生きてきたんだ。

あつしはけんたを見て思う。

犬の一生は人間よりもずっと短い。

あつしにとっては人生の半分だけど、

犬には一生だ。そして、出会った時の年齢よりも長く一緒にいることになるのだ。

けんた、おまえが家に来たときに子供だったあつしは、いまや立派な父親になった。

おまえはあつしの成長を一緒に見守ってくれたね。

毎日散歩したり、耳をなでてくれたり、カーテンで巻かれたり、

いろいろいじられていたね。

そんなあつしが家に帰らなくなってけんたの知らない女性と暮らし始めたあげく、子供までもうけた。

だけど、けんたは怒らなかった。

けんたは優しいね。

けんたが犬で、人間より早く歳を取り、寿命は15年くらいだと言うことは知っている。

だけど、けんたとずっとずっと一緒に歳を取っていきたい。

あつしがおじいちゃんになる頃、けんたも一緒におじいちゃんになろうよ。

 

 

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私が死ぬとき

2021-02-05 23:16:34 | ショートショート

もし、前世というものが存在するとしたら、

私は以前『誰』だったのだろうか。

いつ生まれいつ死んだのか。

いつ今の私の体に入ったのか。

今の私の体が死んで、再び別人の体に入るとしたら、

また一から赤ん坊として生の道を歩み始めるのか。

それは面倒だな。

生まれて何も出来なくて、ただひたすら与えられるだけ。

今の私は、もうそういう時期を過ぎて好き勝手に生きられて楽なのに。

親の愛とか、世間の人たちとか、幼稚園だの学校だの、

仲良くだのいじめだの頑張るだの良い点を取るだの、

そんなことをまたやらなくちゃいけないんだな。

今死んだら、

楽に生きられる人の体に入るわけにはいかないかな。

一から生きるのは結構ハードなもんで。

 

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これがわたし

2020-09-05 22:00:16 | ショートショート

小さい頃親が事務所に入れてくれた。

お芝居をしてドラマに出るのが私の日常だった。

学校生活もあったけど、子役としての活動は面白かった。

中学校や高校の時はあまり目立つといじめに遭いそうだったから、

クラスの中ではかなり大人しくしていた。

大人になって、いろんなドラマに出た。

芝居は面白い。自分で工夫したり、先輩たちにいろんなことを教えてもらった。

テレビだけではなく舞台の仕事もあって、

世間を驚かせるような役もやってのけた。

それをやり遂げるのが私の役目だから。

と思っていたし、頑張れば世間の評価が上がって、期待された。

だけど、芝居って、何だろう。

カメラが回っているとき、みんなが期待しているような演技をする。

表情を作る。

舞台でもそう、自分じゃない自分を演じるとみんな拍手をしてくれた。

舞台を降りれば、素の自分に戻れる。

そのはずだった。

いつの間にか、プライベートでも友達と会うときでも芝居をしていた。

大げさな表情、明るい笑顔、彼らが私に求めるものを、私は見せるようになった。

無理して。

暗い顔は似合わない。

らしくない。

と言われそうで。

ひどく疲れるようになった。

本当はこんなことしたくないと思うようになった。

だけど、親は、「普通の人ができないことをしているの、すごいことよ」という。

私だって、その世界にいる自分のことをすごいと思う。

でも、友達にさえ作り笑顔を見せ続けなければならないことが続くと、

やめたくなる。

ああ、世間に期待されているのに、やめるわけにはいかない。

このまま演技を続けるしかないのか。

時々誰もいないところで、動物のように吠えた。

そして我に返って、自分の今のことを思い出した。

ああ、もうやめたい。

どこかに逃げたい。

逃げたい。

ここからいなくなりたい。

どうしたらいいだろう。

私はロープに手をかけた……

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勘違い

2020-03-08 22:25:51 | ショートショート

 よしえには訳あって、一緒には暮らせない彼氏がいた。

一緒にいられないのは仕方ないとしても、彼にいろんな女がアプローチしてくるのがよしえにはつらかった。

彼に関しては、彼が元気がないと私も苦しい。彼を楽しませてくれるなら、いろんな女と過ごしたっていいのだ。

私は日ごろ、彼の世話をすることが出来ないのだから。

いろんな女と付き合い、元気になった彼と会って、幸せな時間を過ごせれば私は満足なのだ。

彼が幸せで元気なら、他の女たちとデートをしてくれていいのだ。

私に会えなくてしょげて元気をなくして魅力がなくなるくらいなら、他の女と会ってほしいのだ。

 

 どうしても、昔自分を好きだった男の事は軽く見る嫌いがある。

それは大昔のことなのに、

『貴方は私のことが好きなのだから、私の思い通りになる。この人は私の言うことなら聞く』と思い込む節がある。

だから、男が自分の言うことを聞かないと腹を立てるのだ。

 

 聞いた話だが、彼の中学の時の初恋の人もそうらしい。

彼の事をブログで読んで、ぬけぬけと会いに来て、会ってみたら、けっこうかっこよくて、むなしい自分を忘れさせてくれた。

私が結婚すべきはこの人だったのかもしれない、と思わせてくれた。なのに、彼は他の女友達と楽しそうに会話をする。

私は我慢ならない。おしゃべりをやめて。

彼はやめない。どうしてやめないの?貴方、私の事が好きなんでしょう?だったら、私の言うことを聞きなさい。

 彼は首をかしげる。

「貴女の事は確かに昔好きだった。昔だよ。それは思い出話だ。しかも告白して付き合った、という事実はない。

こうして会ったからと言って、今の貴女を好きになったわけではない。かつて中学で同級生だった友達同士、と言う関係だ。

目の前の僕が、未だに貴女の事を愛していて、貴女のために何でもすると思っているの?

飛んでもない勘違いだね。貴女が寂しそうだから少し付き合ってあげたけれど、僕は今の貴女を好きでもなんでもないんだ。

ああ、誤解させたのなら許してくれ。貴女の遊びに付き合ってあげただけだよ。

 …今の君はそんなに寂しいの?昔の思い出にしがみつかなければ生きていかれないくらいに…。かわいそうだね」

 

よしえは、男を縛ることはできない、と、その女に教えてあげたいと思った。

いや、教えるなんで出来っこない。それは、その女が自ら悟るべきものだ。

私が時間をかけてそうなったように。

よしえは、数年前の自分を見るようで、少し切なくなったのだった。

 

 

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追いかけているのはかつてのあの人

2019-10-26 16:20:33 | ショートショート

再会、という出会いがある。

それにかつての恋人同士は簡単に燃え上がってしまう。

エツコはカズオとの逢い引きにとても満足していた。

今の生活に足りないものを満たしてくれるから…そう感じていた。

だけど、時間が過ぎるにつれ、なんとなく違和感を感じるようになってきたエツコ。

私はカズオのことを好きなのかしら?

こうして逢っているととても楽しいのだけれど、

別れた後のむなしさがつらくなる。

それはいつも一緒にいられないから?

いいえ、それとも違う。

この違和感は何だろう?

とエツコは考えるようになった。

そして、時間が出来てもカズオと逢うのを控えていた。

そしてあるときいきなり「私が好きなのはかつてのカズオだ」

と言うことに思い当った。

長い年月がたっているのだから、いくら同じ人間とは言え、多少違っている部分はあるだろう。

そんな、今のカズオを好きになって付き合い始めたはずだった。

だけど、違った。

エツコが求めていたのは若い頃付き合っていた時のカズオだった。

なんだか子どもどうしてじゃれ合っているようなふざけ合っているだけの恋人同士だった。

今にして思えば。

それがとても懐かしい。そして今それが欲しい。

欲しくてもかなわないのである。カズオは昔の彼ではないのだ。

エツコがすっかりおとなになり、世間一般の生活を送り続け、

もう童心などなくなっているかのように見える今、

彼女が欲しがっているのは、まさにそれだったのだ。

お互い邪魔されず好きなだけ逢うことが出来た、あの時間が欲しいのだった。

それに気付いたので、エツコは、どうにもカズオと逢えないでいるのだった。

このまま終わってしまう?

自然消滅?

案外、もっと歳を重ねたら、よく、赤子に帰る、と言うではないか。

そうなったら、また、昔のように、じゃれあうようにふざけ合うように付き合うことが出来るかもしれない。

エツコはそう思った。

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