かつて二宮読売新聞は厳格で商品管理も行き届いていた。
12,3年前までそこは野口新聞店とよばれていた。経営者が野口久枝
という女丈夫で当時65だったが、新聞配達など店員の男衆をどなり
つけるほどの侠気にまさっていた。むろん店員がしくじったり不祥事
を起こした場合にかぎる。新聞梱包の上によりかかったり腰掛けたり
するとそれがどんな大男だろうと容赦なく罵声が浴びせられる。
「気をつけろ、このバカたれが!みんなそれでおまんま喰ってるだ。
商品をてめえの汚い尻で穢すんじゃねえ。」こう大声で罵られる。
こんな光景を実際に何回も見聞して野口新聞店の店員たちは育つのだっ
た。ところが女丈夫も病気には克てない。高齢者特有の疾患に見舞われ
た。有名大学出の跡取り息子がひとりいたが、どういうわけか大手町
読売本社の判断は野口新聞店の廃店だった。そこで二宮に乗り込んで
来たのが佐崎徹哉という東京石神井でやはり読売販売店をいとなむ店主
のせがれで、みるからにまったくの素人であった。何が困るかという
と、もともとキャリアがないゆえに企業には労務管理と商品管理がある
ということさえ知らないで、それらすべてにおいて管理がずざんで
あるという点だ。本人が現場に出ること一切なく、商品である新聞も
配達員の労務管理も世に言うまるなげだ。あらくれの流れものが入れ
替わり立ち替わりしたが、新聞梱包には腰掛けがわりに作業着のまま
尻を落とす。缶コーヒー片手に煙草も吸い、配達まえの雑談に余念が
ない。こういった光景が日常茶飯事だ。たまに来るタクシー乗務員が
買ったばかりの新聞紙を持ち帰りながら横目でみてまゆをひそめるの
である。配達直前のほとんど裸同然の新聞にのっかるのは読者に対す
る冒涜であろう。商品をなんともおもわない経営者は顧客にたいする
親愛がまったく不足しているのだ。言語道断である。こういった状態
が十数年つづいているのである。読者はいい面の皮だと同情される。
そのあいだにはあの忌まわしい東日本大震災・福島原発の放射能
だだもれ案件がある。福島はもちろん、神奈川県や静岡までもセシウム
がふりそそいだのは周知の事実だ。放射能についてなんの配慮もなさ
れずに露地に置きぱなしにされた配達用新聞にも当然なんらか影響が
あったはず。これを些事と考えるかそれとも一大事だと考えるかは
それぞれ個々の自由に属する。影響が目に見えて出るといわれる五年後
がいまだからこそ言うのである。なにごともなくつつがないのが一番
よい。無問題であることをこころから祈っている。
二宮にもマクドナルドの店がある。中国上海での商品管理がずさんで
日本マクドナルドが経営の危機に陥っており、それが現在までつづい
ている。毎年巨額の赤字らしい。テレビでなんかいも放映された
あれを見れば、一事が万事で、だれからも信頼を得られないだろう。
とりわけ食べ物系は日本ではきびしい評価をされる。商品としての
新聞は食べ物ではないけれども、われわれはときどきそれをひろげて
爪切りをしたり、場合によってはミカンやキュウリやかぼちゃを置く
ことも厭わない。ものがなかった頃には新聞を折って袋をつくり、その
なかに大学芋を入れ平気で売り買いしてた。たぶん容器が無いぶん安価
ですんだ。これを買って何気にすることなくおいしいと食べたのも事実
だ。新聞紙はそれほど親しみがある身近な存在であるのだろう。ただし
放射能成分セシウムがごま塩よろしくふりかけになっているとしたら
話は別だ。二宮マクドナルド店と二宮読売新聞店が向い合わせというの
がなんとも皮肉、苦笑せずにはいられないレベルだ。