場末の雑文置き場

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体操コーチの処分を巡る問題について

2018年09月01日 | 政治・社会

体操、宮川選手と速見コーチと体操協会の件。

ネット上の意見を見ていると、コーチのことまで被害者扱いしたり、処分が重すぎる、不当だという意見が多数出てきているのが怖い。
暴力行為があったのは確定的事実なんで、処分は妥当。選手が何を言おうがパワハラの事実があろうが覆すべきでない。選手が納得していたなら暴力を振るってもいいわけがない。パワハラがあったならそれも調べた上できっちり処分すればいいだけで、暴力問題とは分けて考えるべき。

宮川選手は今回の処分が自分を朝日生命体操クラブに入れたいがための陰謀と捉えているようで、もうこれが確定的事実であるかのように話してる人も多いけどちょっと待って欲しい。これは宮川選手がそう言っているだけで、まだ証拠もない。宮川選手の思い込みという可能性も充分ある。言い方は高圧的でも、本当に暴力コーチから宮川選手を守ろうとしたのかもしれない。

いつもはなるべく立場の弱い人の味方をしたいと思ってるいんだけど、今回はいろいろ気になることがあって素直にそうできない。
宮川選手、なんだか視野が狭くなっているように見えるんだよな。それにコーチに依存し過ぎのように思える。宮川選手は被害者だし今回のことで選手生命を絶たれるようなことがなければいいと思うけど、それはそれとして宮川選手の言うことを全面的に信用はできないかな。宮川選手の主目的はあくまでもコーチの処分軽減で、パワハラの訴えはその材料に過ぎない印象だし。

もちろん塚原光男の「全部嘘」発言は問題だと思う。それに塚原夫妻の態度を見ているとパワハラもありそうだと思えてくるが、このことに関しては第三者委員会の報告を待ちたい。
なんにせよ、宮川選手と速見コーチを引き離したことは間違っていない。でも、あれだけ宮川選手を傷つけてしまったのはその過程がまずかったからだろう。とは言え、あれだけコーチに入れ込んでいる状態だと難しいよね。

Twitterなんかを見ると多くの選手が宮川選手を応援していることから、引き抜きの話も単なる宮川選手の思い込みではないのかもしれないとは思う。
ただ、あの人たちがコーチの暴力を問題視していないようなのが気になる。
とある元体操選手は「さえとゆうと先生を応援しています」と書いていた。宮川選手だけじゃなくてコーチまで応援しちゃうのか。「暴力はいけないことだとわかっているが、これは違うと思う」って、何が違うんだ。田中理恵がTwitterにこの文章のリンクを貼っていたので、あの人もきっと同じ意見なんだろう。

他の選手たちも大体似たようなもので、協会の圧力は問題にしてもコーチの指導法についてはあまり問題を感じていないような印象を受ける。本人が了承していれば暴力も可だというような空気。
それだけ暴力的指導が普通のことになっていてみんな感覚が麻痺しているのかな、という懸念が湧いてきて少し調べてみたところ、どうやらそうらしい。自分は体操ファンなんで、なんだかいろいろ残念。

でも多分スポーツの世界ってこういうものなんだよね。だからサヨクである自分とスポーツ観戦が好きな自分との折り合いをどうつけていいか悩むときがある。スポーツには暴力だけじゃなくナショナリズムも付き物だしね。

この問題に高須がしゃしゃり出てきたのも嫌な感じ。宮川選手を支援するとか言っているらしい。高須がなんで宮川選手に目を付けたのかってこと考えると、なんだかな。暴力コーチを庇い続ける健気な様子に打たれたのでは、と思えて正直気持ち悪い。
高須はやっぱり暴力を容認する立場で「師弟の間の信頼関係があれば愛のムチですから」「星一徹と星飛雄馬の関係を僕は理解できます」なんて言っていた。コーチの処分を取り消すべきだとも。わかってはいたけど、駄目だコイツ。
こんな人に支援されたら宮川選手の視野が更に狭くなっておかしな方向に行ってしまいそうだ。でも今の様子だと、周りにそう思って止めようとする人がいたとしても聞き入れないだろうな。

最後に、Twitterなどで他の人の意見を見ていて気になったこと。宮川選手を新体操の選手だと思っている人を何人も見かけたけど「体操」だから。なぜかよく間違えられるけど、体操と新体操は全然違う競技なんで。ラグビーとアメフトくらい違うんで。
あと、宮川選手の容姿についてどうこう言う奴はクズ。宮川選手がコーチに恋愛感情を持っているとか下衆な勘ぐりをするのも良くないと思う。


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