場末の雑文置き場

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ツイッターレディース的なもの

2018年07月28日 | ジェンダー・家族等

御茶ノ水女子大がトランス女性を受け入れると発表したとき、Twitter上では保守派のみならず、決して少なくはない数のフェミニスト系アカウントからの反発が見られた。
否定意見の具体的内容としては、男性の体を持った者に対する漠然とした恐怖を表明するものからトランスに対する嫌悪感丸出しで攻撃的なものまでいろいろとあったが、後者はもう完全にアウトだし、前者も問題がないとは言えないと思う。

それがトランスフォビアだと批判されても、かれらの態度は硬化するばかりだった。女性に文句を言うのはおかしいしこれは差別じゃない、もともと性暴力を起こす男がいるからこういう懸念を示す女性がいるんだから責めるなら男を責めろ、といったような感じで。
自分が偏見を持っていたり差別したりしていると頑なに認めないあの態度って、フェミニストがさんざん他にとられてきたものじゃないのか。どうして同じことを他の属性に対してしてしまえるんだろう。

私の恐怖心を尊重しろって? だけどトランス女性が抱えるであろう恐怖心については考えたことがないんだろうか。これから大学に入学しようという未成年のトランス女性がネット上のあんな意見を見てしまったらどう思うか。トランスは私達の恐怖心に配慮するのが当然と言いながらトランス女性の気持ちなんて一切考えず、傷つけるような発言を繰り返していた人もいた。これが多数派の傲慢でなくてなんだろう。

さらに恐ろしいのは、あの人らは今回の件でも自分たちこそが被害者であると思っていたことだ。圧倒的マイノリティの訴えを女性という弱い存在に対する強者からの威嚇、攻撃みたいに受け取っていた。

女性差別を盾にして移民差別など他の差別を煽る手法は今までにも見た事がある。恐怖を言い訳にして自身の差別性から目を背けようとしているところも全く同じ。
差別に反対するものであったはずのフェミニズムを差別の道具に使うのって、単なる差別よりももっと悪質なんじゃないだろうか。こういうのを免責してはいけないと思う。

それで思い出すのが、ツイッターレディースと呼ばれる差別集団。
今回のトランスジェンダーへの攻撃の仕方はあのツイッターレディースとそっくりだった。自分はいつでもマイノリティで被害者なんだと言いながらより弱い立場の人を踏みまくっていて、自身の加害性には完全に無自覚なところが。

今回トランスフォビアを表明したアカウントの中でも特に悪質なものにはアカウント名にエビマークを付けているものが多かった。このエビマークとツイッターレディースとの関連性については以前から一部で言われていた。つまり、このマークを付けているアカウントの中に元ツイッターレディースが大量に混じっているんではないかという。
それでエビマークを付けたアカウントの発言をよく見てみたところ、確かに差別発言を垂れ流しているようなものも多かった。だからかれらには前から警戒していて、今回の件もやっぱりな、って感じではあった。

元ツイッターレディースと私にもわかるもので代表的なのというと、山崎マキコがいる。作家で一応有名人なので名指しで。凍結されたあと新しいアカウントを作って転生していて、現在は吉村(@battahasegawa)と名乗っているようだ。長谷川、松田とときどき名前を変えているけど、アイコンはずっと同じなのですぐわかる。
この間少しこの人のツイートを見てみたら、いまだにひどい差別発言を続けていた。御茶ノ水女子大の件については漠然と恐怖を表明するだけじゃなく入学許可を白紙に戻せとか言っていたし、他にもトランスフォビアを煽るような発言もしていた。女性は女性の体に生まれただけでMtFよりマイノリティであり、MtFは女性より強者で経済力もある、みたいな無茶なことまで。トランス女性を女性とは認めず、なにがなんでも自分たちこそがマイノリティだということにしたいらしい。

まあ、山崎マキコはそもそも差別反対の人なんかではなくただのひどい差別主義者なんだからもう仕方がない。だけど普段理性的な感じのことしか言っていないようなフェミニストっぽいアカウントが平気でこういう人をフォローしたりRTしたりしているのが怖い。自分は表立って差別発言していなくても、内心は共感しているってことなんだろう。

他の元ツイッターレディースも大体同じ。別アカウントで何事もなかったように発言を続けていて、そこそこの支持を得ている。かつてツイッターレディースを批判していたような人たちまで取り込んで。
「この人は大丈夫そうかな」と思ったフェミニスト系アカウントのフォロー欄を見てみると、エビマーク付けて差別発言しているアカウントがズラッと並び、お決まりの山崎マキコ(@battahasegawa)もいたりするとすごいガッカリ感がある。あんたついこの間「差別主義者」を厳しく批判してたじゃん、あんたがフォローしてるのは差別主義者と違うのかよ、とツッコみたくなったり。

いまや元ツイッターレディース及びそういうのを許容して積極的に受け入れるような人たちがツイッターフェミニズムのメインストリームになってしまっているようだ。山崎マキコとか本当にひどいと思うけど、アンチフェミの人以外からの批判も少ないし(決してないわけではないけど)。

最後に。「女性差別は最後に残る差別」って言っているフェミニスト系の人を結構よく見るけど、私はこれにもいつもモヤモヤしている。多分こういうことを言う人は女性差別以外の差別には無関心なんだろうと思う。
確かに、人種差別に反対している人間が女性差別的であったりするのはよくあるんだろう。でもその逆の、女性差別に反対する人間が人種差別的であったりする事例も私は散々見てきた。現にツイッターレディースみたいなのもいるし。

最近は、女性差別にだけ敏感で他の差別についてはほとんど言及しない人も警戒対象になった。普段ヘイト発言はしなかったとしても。
女性でフェミニストっていうのはつまり、「自分が踏まれないための戦い」をしているわけだから、自分が「踏む側」に立っている差別に対してどういう態度をとっているか、っていうのがその人を見る上での重要なポイントになってくると思う。

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