場末の雑文置き場

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「ヒロイン」なるカタカナ語の崩壊

2016年03月13日 | ジェンダー・家族等

「ヒロイン」というカタカナ語の使われ方が、元となったheroineという英単語からは大分乖離してきている、という話を以前ここで書いた。
この傾向は全く止まる気配はないどころか、最近ますます加速してきている。

例えば、男性キャラクターが「ヒロイン」と呼ばれていたりするのをよく見るようになった。
「ヒロイン」と呼ばれる男性の特徴は、すぐ敵に捕まるとか、健気とか、可愛いとか、そんな感じかな。こういうのを見るたびに、ものすごく違和感をおぼえてモヤモヤする。
男に健気、可愛いイメージを持つのが気持ち悪い、って言いたいわけでは全くない。そういうことじゃないんだ。

「可愛い」っていうのは女性に大して使われることが多いだけで、もともと女性を意味する言葉ではない。でも「ヒロイン」には明確に「女性」っていう意味が含まれている。
男性をヒロイン呼ばわりするのは一見ジェンダーフラットであるように見えるけど、実際は全く逆だと思う。「ここではたまたまこの役割を男性が引き受けているけど、これは本来なら女性の役割だ」っていうことをものすごく意識させられる感じがして、だから嫌なんだ。

一般的にこうあるべきとされる男性像からちょっと外れた男性を「ヒロイン」と呼ぶ一方、強い、たくましい女性に対してはヒロインという呼称が使わなかったりする。強い女性キャラクターが「ヒロインじゃなくてヒーローだ」って言われたりね。強かろうがたくましかろうが、性別が女性でなおかつ主人公であれば本来の意味から言えばヒロインなのに。
こういうことの積み重ねで、「ヒロイン」という言葉に弱い、健気であるなどの固定的なイメージがだんだんと強化されていっている。

もともとは、「ヒロイン」と言う単語の意味は「女主人公」で「ヒーロー」の女性形だ。大事なことなのでもう一度書くけど「主人公」だ。「主人公の恋人」なんて意味はもともとないし、添え物的な意味もなかった。

日本人で「ヒロイン」と聞いてパッと主人公を思い浮かべる人はどれぐらいいるだろう。もしかしたら半分もいないかもしれない。
オタクの世界に染まっている人ならなおさら、ヒロイン=主人公なんて思わないんじゃないかな。ヒロイン=主人公の恋人なんだと本気で勘違いしている人は少なくなさそう。主体的な女性キャラクターに対して「○○はヒロインじゃなくてもはや主人公だ」みたいな奇妙な言い方をする人もたまに見るし。主人公とヒロインが両立しないものだと心底思っていないと、こういう表現は出てこないと思うんだ。

もちろん今の日本でだって「主人公」の意味でヒロインって言葉が使われることはよくある。でも決して主役ではない、添え物・客体的な存在である女性キャラクターが「ヒロイン」と呼ばれるケースはもしかしたらそれ以上に多いかもしれない。

それと地続きな感じで、物語の中での重要性を問わず、自分にとって女性的魅力のあるキャラクターを「ヒロイン」と呼びたがる人たちがいる。
ある主要女性キャラクターが自分にとって性的魅力に乏しく、脇役でより好みの女性キャラクターがいた場合「この作品のヒロインは○○じゃなくて○○だ」と言ったり。「ヒロイン」であるかどうかと性的魅力の有無なんて、もともとは全く関係ないのに。

もともとの「ヒロイン」は添え物じゃないし、男のために存在する生き物でもない。どちらかというと優秀なイメージを持つ言葉だった。英雄って意味だってあった。それが今の日本では弱々しい、客体的なイメージを持つ言葉に変わってきてしまった。
言葉の意味は変わっていくものだけど、それにしてもおかしな方向に行きすぎじゃないかと思う。


→「ヒロイン」ってなんだ?

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