21日・・NHKーBS2で
「沢田研二スペシャル」が放送されましたーー
昔の紅白歌合戦などの秘蔵映像を一挙に見る事ができて
「ザ・タイガース」以来、大のジュリー・ファンだった私・・
すごーく懐かしく・・
とても楽しく見る事が出来ました
それにしても・・当時のジュリーは輝いていましたねーー
あの・・何処から見ても美しい姿・・
甘く透き通るような高音が最高なんです・・
それに楽曲の素晴らしさ・・
三拍子揃って・・本当に当時は飛ぶ鳥落とす
まさにスーパー・スターでしたぁーー
同世代の
永ちゃんとジュリーの接点が
永ちゃんの本「アー・ユー・ハッピー?」に出てきます・・
レコーディングに沢田研二が来た事があった。
ジュリーはもう時の人だった。
沢田研二にしてみたら、
キャロルって、すごいバンドがいるらしいって聞いて、
見に来たんだろうけど。
オレは「わっ、ジュリーだよ!」って興奮した。
「よろしく」沢田研二にそういったら、
「がんばって」っと彼は言った。
「ありがとうございます」って言ったときは、
もう何回か言葉をかわして
「オレたちはもうダチだよ」っていうような気持ちだった。
その後しばらくして、どこかでジュリーと顔を合わせた。
オレたちは嬉しくて「ジュリー!」と
まるで友達に声をかけるような感じで言った。
むこうも「どうも、どうも」と言ってくれた。
オレはもう二人は友達でなければいけない、と思った。
「今度、電話してよ」とオレは沢田研二に言った。
だけど、こちらから電話番号を聞くのは、まだおそれ多いと思った。
「なんかあったら電話してよ」
「ああ」と、たぶん沢田研二は迷惑そうな顔をしていたと思う。
だけど、こちらはそんな事お構い無しだった。
「友達じゃん、オレたち」
「電話番号教えるからさ」とメモを渡した。
でも、そんときオレは電話を持ってなかった。
「服部方(呼)~」メモにそう書いて渡した。
アパートの大家の服部さんの電話番号で呼び出してもらうって事だ。
「大家にはちゃんと言っておくからさ、電話して」と、ジュリーに言った。
アパートに帰ると
「今度、ジュリーから電話があるかもしれない」って大家に言っといた。
電話は来なかった。
俺は、けっこう傷ついた。
「やっぱり雲の上の人なんだな。えらいってこういうことなんだな。
えらくならなきゃいかんのかな」と、思った。
呼び出し電話じゃダメなんだ、
部屋に電話のある男になりたいと思った。
1972年がキャロル、デビューの年・・
73年はジュリーが「危険なふたり」を歌っていた頃・・
この話・・私は、なんだか胸がキューンと、しちゃうのです・・
そして、その後の二人の波乱に満ちた人生を考えてしまうのでした・・・
「沢田研二スペシャル」が放送されましたーー
昔の紅白歌合戦などの秘蔵映像を一挙に見る事ができて
「ザ・タイガース」以来、大のジュリー・ファンだった私・・
すごーく懐かしく・・
とても楽しく見る事が出来ました
それにしても・・当時のジュリーは輝いていましたねーー
あの・・何処から見ても美しい姿・・
甘く透き通るような高音が最高なんです・・
それに楽曲の素晴らしさ・・
三拍子揃って・・本当に当時は飛ぶ鳥落とす
まさにスーパー・スターでしたぁーー
同世代の
永ちゃんとジュリーの接点が
永ちゃんの本「アー・ユー・ハッピー?」に出てきます・・
レコーディングに沢田研二が来た事があった。
ジュリーはもう時の人だった。
沢田研二にしてみたら、
キャロルって、すごいバンドがいるらしいって聞いて、
見に来たんだろうけど。
オレは「わっ、ジュリーだよ!」って興奮した。
「よろしく」沢田研二にそういったら、
「がんばって」っと彼は言った。
「ありがとうございます」って言ったときは、
もう何回か言葉をかわして
「オレたちはもうダチだよ」っていうような気持ちだった。
その後しばらくして、どこかでジュリーと顔を合わせた。
オレたちは嬉しくて「ジュリー!」と
まるで友達に声をかけるような感じで言った。
むこうも「どうも、どうも」と言ってくれた。
オレはもう二人は友達でなければいけない、と思った。
「今度、電話してよ」とオレは沢田研二に言った。
だけど、こちらから電話番号を聞くのは、まだおそれ多いと思った。
「なんかあったら電話してよ」
「ああ」と、たぶん沢田研二は迷惑そうな顔をしていたと思う。
だけど、こちらはそんな事お構い無しだった。
「友達じゃん、オレたち」
「電話番号教えるからさ」とメモを渡した。
でも、そんときオレは電話を持ってなかった。
「服部方(呼)~」メモにそう書いて渡した。
アパートの大家の服部さんの電話番号で呼び出してもらうって事だ。
「大家にはちゃんと言っておくからさ、電話して」と、ジュリーに言った。
アパートに帰ると
「今度、ジュリーから電話があるかもしれない」って大家に言っといた。
電話は来なかった。
俺は、けっこう傷ついた。
「やっぱり雲の上の人なんだな。えらいってこういうことなんだな。
えらくならなきゃいかんのかな」と、思った。
呼び出し電話じゃダメなんだ、
部屋に電話のある男になりたいと思った。
1972年がキャロル、デビューの年・・
73年はジュリーが「危険なふたり」を歌っていた頃・・
この話・・私は、なんだか胸がキューンと、しちゃうのです・・
そして、その後の二人の波乱に満ちた人生を考えてしまうのでした・・・
後期の曲は知りませんでしたが、ほとんど口づさめる曲ばっかりだって凄いことですよね
後から録画しておけばよかったと後悔した次第です
ほとんど一緒に歌ってしまいましたぁー
今まで、あまり昔の映像が出て来てなかったので・・
絶頂期のジュリーの姿は、まぶしいほどでした
いまだに、ものすごいオーラが有りますもの・・