事実は映画よりも奇なり

乳がんで余命2週の告知もキリスト教の27歳の裏千家師範は延命薬で百八夜を内鍵付きの病室にて戦うも・・・

介護 【 病室の母 】 と 私

2013年01月17日 20時38分11秒 | 介護   

1月17日
一昨日の夜にツイート終わってパソコン閉じたあと、、、体調不良
玄関口どころか電話にも出られない 

 

1月10日
考えすぎてた。新たなる年を迎えたのだから、と。

土台から書き直したりせずに書類に日記紛いを漁っての書き込む作業に戻りましょう、、、
体調不良の中から、、、
便秘なだけなんですけれどね、、、

タグ付けを丁寧に、
地道にコツコツやりましょうかTwitter。。。

 

 

1月7日
明日が仕事始めです。 
本年もクリスマスまで、宜しくお願いします。

今日から 「北の国から」の再放送が始まりました。
一回目の放送が観たいと常々思っていましたので運良く番組表に見つけられて嬉しかった。
放送開始は1981年だったのですね。 
その年は、原点回帰における彼女が逝った年であり、阿蘇を終の棲家として生活しだした年です。互いに季節も秋から。
知らなかった。私が見始めたのは1990年に福岡に舞い戻ってからの再放送でしたから。
どおりで、ストンと胸を打ち一杯になったわけです。

阿蘇に住み始めた数ヶ月は私も電気も水道も無く沢の水を使いランプの生活を楽しんだ。
電気が来てからも冷蔵庫は野菜に酒にビールなどを凍らせないための温蔵庫でした。
懐かしい。
さ、明夜から再び、ポチポチいかせて頂きます。

夜露死苦!

 

 

2013年(平成25年)1月1日

あけましておめでとうございます。 

 

 


 

 

12月28日
今年は「吾唯足知」を熟成させる年だったみたい。
さて来年は、、、楽しみ。 

 

12月25日
クリスマスも終わります。
今年も 「原点回帰」 にてお騒がせする中、お付き合いくださいまして感謝の念に堪えません。
ありがとうございました。
2012年も、あと一週間です。みなさま、良い年をお迎えください。 
年末年始も原点の投稿は休みなく続けますが、七日までツイートでの使用は控えます。

平成25年も宜しくお願い申し上げます。 

 

12月08日
ほぼ大掃除も終わり、新しい部屋も居心地良いです。 
が、しろうおなお手々をハイターに殺られ少しヒリつきます。
7月7日に退院した母とはそれっきりですが何の連絡もないのは元気にしている証でしょう。 

 

11月24日
原点回帰も第七部に至って、とうとう写真なりを使用しなければならない投稿と思われる書類に打ち当たる。
二代目のパソコンと共に真剣に考えねばならないのだが購入以前の問題山積だ。
電話の盗聴から発展したパソコンとの接続妨害を回避したい名義もだが、ネット関連の口座振替が既に四ヶ月は引き落とされていないのだ。どうなってんだろう。 
振込の口座が代わったとしか思えないのだが、私は手続きどころか何もしていない。代わったとしても、どこの誰の口座に移ったのかも、不明。 
考えられるのは、母だが。今はもう、・・・なので、調べるには母に心配どころか、苦しめる話になってしまう。いや、私が何を言いたいのかも理解できずにパンク状態になるでしょう。
困った。 

 

11月17日(土)
このところ着信専用にしている固定電話への「探り」が「脅し」が激しさを増している。中には10年以上に亘って続く番号も入っている。まともなのは一本もありません。
番号通知しないと鳴りもしない電話ですが、それでも受信拒否に入れるブラックリストは満タンだ。
すべてが「買います」やら「保険」に絡みつけての卑しきカネ。それと解ると一刀両断に断るのですが、向こう側からは「ひそひそ話」やら「聞いた話と違うといった独り言」で、その場は収まる。が、数日して再び同じ人間で繰り返す。
はっきりした悪で断罪できるが故か、幼稚さから抜け出せないらしい。
よって、これ以上の相手先電話番号はブログに掲載する、と警告する。
この人達は黄泉の国に至っても気付けないんでしょうね。大切なのは必要なのは何かに。
そして国家権力との間で苦しむのか焦りを垣間見る。

母が穏やかに天寿を全うしてくれるまでは少なくとも私から波風を立てての身体で動くことはない。 
いや、それでも動かないだろうから放っといてほしい。
信ずる道さえ閑けきに勝る安らぎはないよ。

 

11月01日
原点回帰 の投稿では必要と思われる日記に原稿に書類などなどを押入れから選び抜いた山脈はいいものの標高30センチ。 
一ヶ月経過の今日になっても登り切ったのは厚さ数ミリのコースター。
机に椅子の回りはジャングルジム、、、
少し片付けないとホットカーペットも出せない、、、
何時になったら解放されることやら溜め息ボンベ、、、

 

10月19日
このところの病院通いですが、原因の第一は食生活の乱れらしい。きちんと食事する時間を設定しましょうかね。

 

10月7日
昨日だったかな一昨日か、待ちに待ったブログへの訪問者が来てくれた。
私の知人ではない。師範の、です。
こういう方の来訪を待ち望んでいたのです。
やっぱり、ツイッターでも繰り返しツイートしなければならない、と痛感しました。 

 

10月04日
アイコンは言うまでもなくツイートからRT分も動く画像をTLに流されるのは遠慮してください。アイコンの場合はブロックさせて頂くしかありません、、、by 普通でも目が悪くなるのも当たり前の老人。 

 

2012年7月30日
七夕の7日に退院した母は女の家に居ます。
音沙汰無いから元気にしているのでしょう。 よかった。
こんど会うのはお正月でいいからね。 

 


 

母と子の看取り看取られ 2012年4月27日に再び倒れてから6月22日まで。

6月20日から、
? さる女優さん張りに唇が腫れてるな、と思ったら言語療法にて発声練習した後でした。
毎日の自主トレも今日は車椅子で外に出ての 「あいうえお。がぎぐげご。ぱぴぷぺぽ・・・」
昨日とは全く違って聞き取りやすい母でした。流石に療法士さんです。 

(ここでページが二枚に分かれてしまったのはブログの容量の問題だけです)

 

6月24日から7月7日の退院に至る まだ会えない娘に伝える看取りの家 となります。

7月4日から、
「もう救急車は呼ばない」 そうです。
この趣旨の答えを何度私は聞かされたことでしょうか。 
4月27日に搬送された二度目の今回は「寝たきりとおむつの余生で介助決定した」と諦めかける私でした。
が、7日土曜には吸い取りパット無しのリハパンで退院です。

看護師、療法士、助手、病院関係者の方々には心より御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
三度目も貴方方のお世話になるかも、わかりません。
よろしくお願いします。
その時には又もや肉体労働者の出番となるのでしょう。
それまで英気を養います。

 


 

パーキンソン病に2005年の「右外傷性大腿骨頭壊死」から2010年10月22日に左半身不随の脳梗塞後遺症を患い2011年7月までの回復期リハビリテーション病棟に至った八ヶ月間ですが一日も休まずに毎日で二人三脚する母との介助日誌ならぬ漫才記、だけに終わる予定でしたが、またもやの二ヶ月半が加わるのでした。

 



 

【 女の家 】  
2011年7月10日 母が私へと連発する 「ばかちん、、、バカチン、、、馬鹿ちん、、、
これには深い意味があります。

父の医院跡地に母がコツコツと汗して働いたお金でやっと建てた家を「あの眼医者」に騙し取られた恨みが込められているのです。
「眼医者」は妻への慰謝料さえ未払いだ。
母と妻は仲も良かった。会えなかったが会いに来てくれた孫娘同様に気にかけている。

「 十一夜 家族 」 に詳細。

 

 

 

病室の母 「看護計画」    
内容については互いに同じ心構えで為すべき行動計画でしょう。少なくとも完全看護だとして病院側だけに押し付けられる類ではない、ことだけは確かである。

病室の母 「ありがとう」   
〈 母を治療・看護・援助してくださる全てのスタッフに捧げます 〉

 

 

 

病室の母 6月17日-7月6日 (2011年 退院)
1日から、、、ここ二三日は夜に下痢気味らしい。寸前でアウトになるところを機敏な看護師さんに助けられているみたいだ。

母子漫才、、、パジャマの巻。「(妹が買ってきた)それ小さかし胸が空いとうけん交換してもらうと」「(きれいに畳もうとしたら)もう名前がマジックで書いてあるよ」「あ、そうね、、、アハハハハ・・・」

 

六月の母 01-16 
16日から、、、本日の母子漫才も歩行練習で、、、
数メートルですが杖なしの歩行練習は、、、
お手手のつなぎ方から、
「みぎ、、、ひだりぃ、、、みぎっ」
まるでフォークダンスだっぺ、、、
はずかちぃっ

「リハパンを普通のパンツに戻す」と言い張る。そして今日、リハパンから自分勝手に進歩させてのババ色ババパンに穿き替えてた。トイレ介助で気付いたので「勝手なことしたら駄目」お尻を ペン したら、チビったぁ

 

五月の母 17-31  
31日から、、、30日は美容師さんが病院に来てくれる日でした。
わずか10分遅れてるだけで、
「死にたいと。。。死なせて。。。」
もう大変。顔も真っ赤に泣き出して、、、
「こんなこと(リハビリ)しても治らん。。。」
、、、大泣き、、、
私は手鏡を持って、ウロウロ、、、
耳はどうの、、、後ろはどうの、、、
ボソボソ、、、ぼそぼそ、、、
「かわいくなった」
みんなに言われて、、、ご機嫌。。。
もう笑った。

 

五月の母 01-16 
15日から、、、 テーブル上に「眠前薬」 眠る前に飲む薬が置いてあります。
ぷるぷる震える右手一本しか使えない身体。起き上がれないし寝返りもうてないし腰を90度以上深くにも曲げられないから何かを取りたくても大変だし、、、
何もかもが一人で何処まで出来るのか出来る可能性があるのか探求から練習の毎日毎日なんです。
薬の袋を片手でもハサミを使って切り、服用できるように看護師さんがいろいろ考えてくださいます。

「おやすみ」 少なくても二回は病床の母に言い直して帰路につく日々が続きます。多いときには五回、行きつ戻りつ、後ろ髪を引かれる夜が訪れます。。。あの娘が大学病院に搬送されたのもGW明けでした。ここから108夜を闘ったの

 

四月の母 13-30 
30日から、、、 患者として入院させたんだからカネを払ってんだから何事にしても病院は全てに責任がある完全看護なんだから対処するのが当たり前、、、だと御自身を誤魔化し社会をも煙に巻こうとしてはいけない。信頼関係の構築です。保険やら年金やらで当たり前だとか押し付けてはいけない。コミュニケーション、、、細やかに大切です。

差し入れの品が重なった。テーブル上にそれらのタッパに皿に袋を箱を置き直しては食べ、食べては並び替え、少し位置をずらしては中身を確認し、同じタッパでは何度も何度も中を聞き返しては食べた。御機嫌にも満面の笑みを浮かべ

 

四月の母 01-12 
12日から、、、 テイッシュは使い捨てだって何時も言っているのにパジャマのポケットなんかに貯めこむんです。洗濯すると辺り一面の牡丹雪、、、きれいですよ、、、な訳ないでしょ。

今日の、ばぁば、、、「ひよこ」を頬張りながら一言も二言も。。。だから「ひよこ と 千鳥饅頭は形が違うだけで一緒だろ」 って言ったら 「皮が違う」 。。。そんな違いが解る婆さんだったら、下半身も早く元気になっておくれ

 

三月の母 12-31 
27日から、、、「2011年03月20日、わざわざ遠い地から娘がブログを参考に「やぶれまんじゅう」とか色々持って病院に母を見舞いに来てくれました。なのに10年ぶりの母どころか20年ぶりの私も会えなかった。「 十二夜  一人娘も一人っ子 」 に詳細。 

母は孫の後ろ姿を見つけて名前を叫んだが、あの声です。とても遠くまで届く声ではない。孫を見た職員の方々に様子を聞き回り「確かに孫だと確信した」 私に後ろ姿の見たままを事細かく教えてくれた。娘へ。ありがとう。すごく喜んで

 

 

平成23年
2011年3月11日 午後2時46分頃
東北関東巨大地震発生 M9,0

 

 

三月の母 01ー10 
10日から、、、 病棟の患者さんたちの態度、気配り、心遣いは一般社会では有り得ない素晴らしさを創造されたりするのです。
御自分の今から他人に対する接し方を、゛人への思いやり゛を創っていかれる。
感じ入る瞬間が多い私なのです。
考えさせられる自分の部分に恥じ入ります。
あらためて心に留め置く一人ひとり、ひとつひとつの体験です。

 

二月の母 17-28 
22日から、、、ここ数日、あたいの来るのを待つどころか、まるで時間が停止しているかのように途中まで行動に起こした状態で待ち構えている。「もう来る頃だと思っていた」と、にたにた、、、笑ってやがる。

少し伸びているのが気にかかり、ちょっと、「ぎゃーーーーーーっ」 隣りの病室から看護師さんが駆けこんでこられた。が、居合わせた5~6人全員どころか当人も笑い転げているので安心される。ちょっと爪切りの刃を当てただけなのに


二月の母 15ー16 
16日から、、、おはよう。。。躊躇せぬ恥なき介助で歩みたいと450から1000チョイの安物ばかりに身を落としているのに、便座と間違われての手に始まり、坊主頭へのシャワーやら顔へは水鉄砲です。今日こそ身支度を役立たせてよね。

毎日毎日うんちうんち。丸一日出ないだけで看護師さんに求める。昨日、私が行った時には「もう入ってました」 それもトイレ前で待機しているのです。看護師さんから報告されて駆けつけると情けない顔で手を握りしめて来ましたが見る


二月の母 01ー14 
14日から、、、今日は 「介護の日」
母が倒れたのは去年の10月22日でした。今日から介護を学びます。ベッドに座らせ肩を支えながら二人並んでテレビ観ました。当日まで元気だった頃の母には憎たらしさもあったのに、介護からテレビからマッサージから食事から何から何まで、今は愛おしく、可愛くって堪りません。何時までも教えられる息子だ

うがいさせたら少し聞こえましたが。ペッ、顔に飛んできた。それだけ後ろに首を傾けられたということで、どれだけ戻せば良いのか分からなくなってる。少しづつ本来を取り戻してくれます。好きなだけぶっかけてくれっ


一月の母 06-31 2011年 
29日から、、、 
本心から食べてくれそうな、それでいて栄養ある物を探して色々持っていくのだが、好き嫌いってか我が儘が酷くなってきた。そんな中、「いらない」と言っていた物が「少し気になったので」、、、「ひょっとしたら」と思って買い求めたら、、、美味しそうに食べてくれました。“価格”です。高い物を遠慮している。。。かわゆいやっちゃ。。。

 

1124-1231の母 2010年
、、、その方(黒木メイサ)、あんなに有名なのにブログで投稿した「湯たんぽ」を読んで下さり、スタッフに置き換えるばかりか可愛い写真まで添えてツイートしてくれました。(突然の介護に混乱する私を応援してくれたのです)感謝の気持ちは忘れません。とことん恩返しします。(テレビドラマも見たことないし、曲さえYou Tubeでしか聴いたことがない、、、なんてここだけの秘密です)

ベッドに座らせ肩を支えながら二人並んでテレビ観ました。当日まで元気だった頃の母には憎たらしさもあったのに、介護からテレビからマッサージから食事から何から何まで、今は愛おしく、可愛くって堪りません

 

 

2010年10月22日 夜 女の家にて風呂上りに倒れる。すぐに孫(姪っ子)が気付いてくれました。

この一ヶ月、急変をおくびにも出さずにTwitterする日々でした。
一日に800ccは水分を補給しなければならないのに飲んでくれず、飲んでもらうのに一苦労です。
ゴックン、、、できない。飲み込める力さえ、、、ないんです。
肺に入らないように水にはトロミをつけてあるんですが、これが不味いらしい。
最も恐れるのは肺に水が入っての、、、肺炎でした。
そうなれば、神に委ねるしか、の生命らしいので。
体力は気力から。
そこへと大切なのは、怒り、喜び、笑い。。。

新聞やニュース等でよく聞きかじる死因の 「肺炎」 二文字に包括された恐ろしき内実を知りました。

 

 

 

母(原点) 【気】 2005年
元来のパーキンソン病に、この2005年の足を取られての「右外傷性大腿骨頭壊死」、、、2010年10月22日に左半身不随の脳梗塞にて後遺症をも患い現在のリハビリです。

大腿骨を骨折してしまった。救急車で運ばれた病院で信じられない位に、声も、何から何までが“最期”を“感じ取っている”とさせる母をみました。そこで、「急いで下着とかバスタオルやらタオルケットを取り出してきたから、紫のバンツ

 

 

 

 

ふくおか医療情報ネット http://bit.ly/iezK0T 現在診療中の、いろいろな条件で、医療機関を探す。休日夜間急患センター在宅当番医を探す。医療情報を見る。子供の医療相談。予防情報、保険・医療・福祉情報。かしこい医療機関のかかり方。電話・FAX案内サービス。等

 


原点回帰 「 第三部 告発 44 - 59 」 

2013年01月15日 21時09分52秒 | 原点回帰 

「絵になんか興味ない。あんなものーーーーー、」と、院長は吐き捨てた。啖呵を切るも、あれよあれよと、「あれは(姉に妹の嫁入り道具として)頼まれて(姉妹の代役で)買っていたんだ。カネは(妹への財産分与の分から前倒しで)出しますからと頼まれて仕方なくお前と会ってやっていただけだ。貴様なんかーーーーーだ」  姉は、私から絵画を買っておかないと「家に来なくなる」と考えられて(こう姉に助言したのは後見人。この日々から私と妹との結婚話をまとめる腹積もりの姉だった。(46 99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 3/6 より)

 


原点回帰 「 第一部 純愛 1 - 23 」 

原点回帰 「 第二部 殺人 24 - 43 」

 

原点回帰 「 第四部 言霊 60 - 80 」

原点回帰 「 第五部 薫陶 81 - 93 」

原点回帰 「 第六部 記憶 94 - 106 」

原点回帰 「 第七部 法治 107 - 116 」

原点回帰 「 第八部 鶴翼 117 - 完結 」

 


44 99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 1/6 

 

長き眠りに、

・・・・・「楽にして・・・・・

茶の手鑑を言わせる。

みしみしと黙りこくる時間、日々に三人姉妹な密室。
息を引き取るまで、絶え焦れるまで真っ直ぐと天に 【何か】 を見据えていたという。瞑想を突き抜ける眼光で。
今日来る人の正夢にならなかった。取り付かれても本望だ。
だからの 【ひとつで二人を生きる】 と言える。

探し当てた南阿蘇の 【御山】 に院長と姉との二台で走ったのは九月も中旬となる日曜日。
メモリアルとなる丘ではボーリングの工事中です。
院長夫婦が丘を気に入ってくれた上にボーリングで飲み水が確保できれば土地を購入する契約を村役場の土地所有者と結んでいた。

姉からは、
「妹に見せたかった。連れて来てあげたかった」
なんて素晴らしい言の葉をいただきました。

温泉に入りに行かれる院長の車、助手席の姉と交し合う熱い目線も名残で忘れられない。


一人になった私は院長の、
「終わったことだ」
たる言葉に 「終わりになんかするもんか。なにが終わったんだ」 と真剣に、かなりムカついた。激しく突き上げてくる怒りだが、
≪ 妹に見せたかった。連れてきてあげたかった ≫たる文言を墓碑銘の 「上の句」 として、自分の心の中で、


≪ 連れてきたよ。遊ぼう ≫ 彼女に語りかけるようになっていく。

姉の言の葉は翌月に知る羽目となる、
≪ あなたは妹があんなに好きになった人なのよ ≫
これ 「下の句」 として姉妹の心とも、言の葉は彼女の魂とも睦み合って今なお墓碑銘として 【御山】 の比翼塚にある。

むかついた私も惚けまくる院長も、それはそれ。
「言の葉」 の姉。「連れてきたよ」 と姉妹と言い交わす私は、院長にとっては保養所、その実は墓標とした話で院長との間では資金の調達から建物の青写真が元請けの建設業者から某デパートまで交えて進んでいく。

最終的に私が 【御山】 に投入した資金は億を超えます。重婚まがいに彼女をもらう支度金で用意した分だけでは足りなくなりました。

院長の本音には、姉妹から病院から性描写してやれば 「人に言えなくなるだろう」 という計算もあったんです。今、ここで負けるわけにはいきません。

 

 


45 99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 2/6 

 

四十九日が過ぎます。

『妹の為に喪中は私を許してあげるように』 なんて願われたらしい姉。 

十月中旬の職場の応接室に、看護婦さん達も事務も全員を早々と帰らせた後の刻限で呼び出された私が座るや否や院長は、

「全額現金で持って来い」

私が、その顔つきも言葉も読み解けない状況下に姉が入室されるが挨拶もされないなりに、

「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」

いきなり姉に怒鳴られて棒になった私の視野に、したり顔で院長が躍り出る。
姉はソファの肘掛けに、クイッと腰を動かして座られた。あの動きだ。もう駄目。まともに奥様の顔が見れない。

「(姉に私は) 『現金でお返しします』 と言われたでしょ」

「あれは 『彼女の墓標へと御山の資金に振り向けるのは俺が分かっているから(奥様には)こう言ってくれ』 と先生に頼まれたんです」

院長は踏ん反り返りながら、私に挑み顔する。
恨みがましい姉と怯える院長の何ともいえない空気。
私は(彼女がそうなら)なぜ見舞いも止められたんですか? 
病室に行っても良かったんですか?
まさか映画みたいにナレーションされた性描写は彼女のことじゃないでしょうね、と思い巡らせ始めている。そこまではっきりした初めての雰囲気でした。

「男の人たちは・・・」

姉が 「顔負け」 と呆れて退室されるのを見計らい、隣室で盗み聞きしていた一人の男が入れ替わりにタイミング良く入ってくる。
この時、姉は丁重に挨拶を交わされた。私の時には顔色ひとつ、会釈さえ無視されたのに。
これが、姉との最期。姉妹ともで後ろ姿が見納めとなっている。
寂しすぎる二人との別れ。
男は繁華街にて義兄弟で店を営む、と初対面の私に対して強圧的に名乗る。この男は兄の方でした。

 

 


46 99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 3/6

 

姉と入れ替わりに入ってきた強圧的な「その店」の兄は、

「喪が明けるのを待っていた。そのカネは俺が受け取る家具代金だ。支払日は過ぎているので早く払ってくれ」

さも私が支払いを滞らせているかのように捲し立てる。

「絵になんか興味ない。あんなものーーーーー、」
と、院長は吐き捨てた。
啖呵を切るも、あれよあれよと、

「あれは(姉に妹の嫁入り道具として)頼まれて(姉妹の代役で)買っていたんだ。カネは(妹への財産分与の分から前倒しで)出しますからと頼まれて仕方なくお前と会ってやっていただけだ。貴様なんかーーーーーだ」

姉は、私から絵画を買っておかないと「家に来なくなる」と考えられて(こう姉に助言したのは後見人。この世界に入った最初から後見人の医師会長は顧客でもあった)私を自宅に招き入れるためだけに「必要だから」と姉妹が買っていたんです。
この日々から私と妹との結婚話をまとめる腹積もりの姉だったらしい。

この信じられない思惑と姉妹だからこそ尚更院長の反感を買い、私ともども虚仮にしてやりたくなっていったんでしょうか。
姉とは違って、妹の方には社会的な柵もない。ある意味、冠婚葬祭も含めて世間に束縛されている院長には自由が羨ましい立場の、家を出られる妹。それも相当の財産を持って。

院長が、憂さを晴らせたのかおとなしくなる。

が、なんといっても遅すぎる。

今度は 「喋りすぎた」 とか独り言で反省しつつ、ブツブツと 「何時もだ」 とか何やら口籠もったあと、びくつきながら、私を覗き込む院長だった。



立ち会っていた店の兄の方はといえば、そこまで聞かされていなかったらしく、びっくり仰天した面持ちで院長を質問攻めにしている。

「二人で話しがあるから外で待っていろ」

私がシャツターを潜って外に出ると、兄の店で一緒に働いているという弟が立っている。
立ち聞き、会話を承知していた。
少し離れた喫茶店まで二台で走らせる。

そこでは驚天動地の宇宙が私を待ち受けていた、

 

 


47 99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 4/6

 

喫茶店まで二台で走らせた私たちです。
弟の話が私に比翼塚への道を歩ませる。

 

「最初から嵌められたんだよ。
(私が絵画の)預り証を書くからいけないんだ。現金化への計略を急がされて院長に教えた。
あの人は狡猾で俺達でも振り回される。あなたの手に負える相手ではない。
ずいぶん妹さんを嫌っていた。
絵に興味は無いはずだ。だから俺たちも持っていかなかったし、買われるのには首を捻っていた。
兄は裁判所に勤めていたから法律には詳しい。言うことを聞いたほうが良い。
妹さんの結婚生活にと奥様が用意されたマンションは俺たちが売った紫檀家具がびっしりと押し込められていて、もう動かせない。住めない。倉庫だ。奥様もご存じないだろう。見たら、びっくりする」

 

後は院長が彼等兄弟に話していた彼女への、悪口雑言。
みんな教えてくれた。
弟が初対面の私なのに包み隠さず教えてくれた背景には 「噂になっていた私の仕事の好調ぶり」 から私との取引を願ったからに他ならない。
綺麗な彼女だった、との彼の話しぶりに私は初めて態度を示し、頷いた。
弟は笑っている。

 

この笑いに気分を害した私と見るや、弟は話を変える。
いつも売れ筋の絵画ばかりを取り扱って儲かっているらしい私に接近しておきたい機会を逃がすまいとみたのでしょう、

「どうして見舞いに行かなかったのか」

「止められていた。行けたんですか?」

「もちろん行った」

ピクッ、身をよじらせる私が膝を乗り出して問い合わせたいのは唯一つ、

「会えたんですかっ!」

「何を言ってるんですか。会えるはずはないでしょう。行くのは当たり前だっ」

弟は不思議そうに私を量りかねている。

 

やたらに悲しくなった私は、当事者には当たらずに第三者といえる弟には 「聞ける」 と食らいつき、

お手伝いさんみたいに使われている。
「カネを出してやっている。家に住まわせてやっている」 と言われていた。

 

この瞬間、弟は飛び上がった!

 

 


48 99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 5/6 

 

「家に住まわせてやって、、、」
とまで私が話した瞬間だった、 

 

弟が椅子から飛び上がった。

「奥様が知られたら許されないっ!
「奥様は優しい方だが厳しい方だ。亡くなった妹さんでそんな事が分かったら大変だっ!!

 

私が院長から聞かされ続けたままで学び取ろうとした途端、まるで雷に打たれたかのように前のめりに椅子から飛び上がった弟は吐き散らしながら独走する、

「あの人は養子だ。旧姓は 『おおしま』 だ。

 

そこは私も幾度と無く訪問して知っていたし、赤のフェアレディを覚えてもいた。
「今年はプールが作れない」 との話も。

 

私に見舞いを許せば、病室における姉や姪との一日二十四時間での看病となり、普通ではいられない中で、突然に、くるりん、白日の下にさらされたでしょう、不文律の事実、婿養子。

 

彼女が何度も飲み込んでいた 「家の秘密」 は、これだったんだ。
義理でも兄から私に、自分が 「どう言われているのか」 を知り、私に打ち明けようとしても打ち明けられなかった、公然の秘密。

 

目から鱗とは良く言ったもんだ。電光一線され、今の今までもやもやしまくってた一切合財、
「くたばりぞこないの我が身を知らしめる」

 

彼女は、その性暴力の病室でも、姉に 「その夫」 を言わなかった。
・・・凄い。凄すぎる。

 

性描写から見舞いを止め続けた件から、絵画の代金は彼女の墓標とする土地建物の代金に充当する件など。私を信用させるべく姉も一緒に 【御山】 に連れて行き、院長としては私の名義ともなる土地の場所も覚えておく算段だったと姉に知られたら、間違いなく、あの家を身一つで追い出されたであろう。
身を守る必要に迫られた。そして、それは新婚から欠かさない 「夜」 の方法とは同じ軌道を姉相手に更に激しく走っていく。

 

兄の方が喫茶店にやって来る。

入れ替わりに、私は院長の待つ応接室に戻る、

 

 



原点回帰 「 第一部 純愛  1 - 23 」 「 第二部 殺人 24 - 43 」 を読まれてない方は目を通してからにしてください。この物語は三流以下でも推理小説な内容となります。

あらすじ 【  朝顔  】 これは記憶喪失からの回復過程で投稿したページを羅列しただけでしたが、現在の投稿段階で軽薄も猪突猛進に反発される方は日本史を学ばれたら如何でしょうか。

このページのタイトルに挿入するリンク先は原文。

 



49 99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 6/6

 

院長の待つ応接室に戻った私です。

 

「早く払え。いつ払う。払わなければ画商をやっていけなくしてやる。世間はおまえより俺の言う事を信用する。(セックスで洗脳している) 姉もだ。言っても無駄だ」

 

またしても姉との夜を持ち出す院長であり、
「一度握った力はどんなことをしても絶対に手放さん!!」

 

以前に自慢していた警察の私物化をも院長は語る。
が、関係ないとの私の表情が、思いが妹に在ると見るや、

「(その社会的立場としての妹を)辱しめてやりたかった。
(〇〇も抜け落ち)つるつるで赤ちゃんみたいだったぞ。
(見えるようになった〇〇は)ピンク色で(・・・・・)きれいだったぞ。
助けを求めていたが知ったことかっ」

 

見せびらかしたつもりなのか、卑しく笑う院長の対象は姉であり、延命薬の妹にも果たせた積年とか言う身勝手極まりない恨み、おぞましかった。

加えて、生まれつき陰毛の無い子と付き合った経験があった私は様子から感覚を思い出してしまう。
不思議と静かでした。突き抜けていたのかも。

 

「(彼女の体を)もったいなかったな。哀れな〇〇〇(彼女の社会的立場)」

へらへら笑っている。

「死んだら(死ぬんだったら)終わり。今まで苦しまされた分、楽しませてもらった」

などど言いながら、カネとセックスの絵図面を思い出して頭の中に描いている。

・・・・・仕上げたらしい。



不文律を持ち出すしかなかった、

 

 


50 カネで買えないもの

 

不文律を持ち出すしかなかった私です。

「さっき弟から聞きましたが養子なんでしょ」

「『養子』と名札をぶら下げんといかんのかっ」

 

私が言葉にしなければならなかった背後関係を棚に上げるどころか葬り去った表看板で怒鳴り挙げた院長に、

 

「赤ん坊の頃から面倒を見てやっている、凄いカネが掛かった、住まわせてやっているとか散々言いたい放題でしたが、あそこは彼女の家じゃありませんか」

 

「ああ、そうだ。とんでもない事を言う奴だ。土下座して謝れ!」

 

激しく睨みつける私の腸は煮えくり返っている。

家具屋の兄が喫茶店における弟との私の話を聞き、心配して戻ってきた。

 

院長は養子の件を私に漏らした弟への文句を兄に言い、兄も 「後で注意しておきます」 と謝罪している。
この中においても 「言葉巧みに私に言わせた会話を録音して奥様用に編集したテープ」 を使おうかと院長は兄の方に相談から同意を持ちかけているが、

「使わない方が・・・

「どうしてだ」

 

そんなことも判断できない院長だったのか、と私は呆れ、この時ばかりは締め付けられる情けない胸の内を家具屋と共有しな、院長と睨み合っていく、

 

「(奥様は)蔵の中を見せてもくれん。仕事なんかせんでもカネはあるが養子に入る条件として代々の医者は続ける約束事があるからだ。医者は趣味だ」

院長は怒鳴り、家具屋は笑っていた。
図に乗る男たちは黄金の旗色で大笑いする。
こんな算術なんかよりも未完の大器を最大漏らさず希求したかった私は、その、彼女の話題に移る。すると、

 

「見舞いに行った」

「(病室に)入れたんですかっ!」

「入れるはずが無いだろう。だが病気見舞いに行くのは当然だ」

 

家具屋が弟から聞いたらしい 「この、見舞いに行った行かない、の話しの訝しさ」 に首を傾げる時、

 

「こいつは行ってない」

にたにたした顔で院長は 「してやった」 の含み笑いで得意げに受け流す。

「妹さんとそうだったら、どうして行かなかったのか」

 

私が答えようとした言葉に被せてくるのは、

「知らん。行きたくなかったんだろう」

院長は吐き捨てた。有頂天になって高笑いする。

 

「(私が)何か言いたそうですよ」

院長が、家具屋が、ソファの角へ、隅へとめいめいの席で後退り、恐ろしき形相だったのであろう私へと震え上がりながら、

「顔色が変わる」

「妹の話になると前からこうだ」

 

家具屋が院長に目線だけで問い返していく、
院長は自らを奮い起こすかのように、

「何か言いたいことがあるのか。(伯父や一族にも)責任を取らせてやる」

「関係ないでしょ」 と家具屋。

「知ったことかっ」

 

ふらふら、起立した私。
めらめら、一人の男としての私事だけで天国の彼女を抱き上げる。

 

「このまま帰していいんですか」 の家具屋。

「こんな奴に何ができる」

 

かわいそうでかわいそうでたまらなかった。

 

 


51 「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」 上

 

その 「あんなに・・・」 を何故、

あの命の綱の夜の目に・・・・・仕込んでくれなかったのでしょうか。

この文様の姉を起爆剤にして、

「えっ、そんなに? でも・・・ 」

と殺陣は狂恋夢じゃなかったのか、の音量で・・・きょろつけたんです。 

 

「会える。逢ってください。ちょっと来てください」

 

何だって良いから、一言、何故わずかな時間に態度で示してくださらなかったのか・・・

 

・・・恨みます・・・すみません。もう言わない。
魂の雄たけび、自分を責めているのです。
誰に対してたる情けなさではありません。

 

思い出す。 

「僕たちは二階で別々の部屋に寝てるんです。用が有るときだけ行ったり来たりして・・・」
アッ、と思ったが後の祭り。別にソンナ意味で言ったんじゃなかったんですが、アッと顔に出したがために、ソンナ意味になっちゃいました。

「夫婦だから」 姉は笑っておられた。そして、
「仲がよろしいのを妹の前では言わないで下さい」 釘を刺されちゃった。

こんな笑みも苦言もみんな水車っぽい自然体に温かい湿り気あふれた真心で掬い上げてくださる。
ふとした塩っぱさに首を突っ込まされる妹を枯淡のパラソルな目配りで庇護される聡明な方でした、奥様たる姉は。
節々にて願いの糸を紡がれた紀行文に一瞥を投げて姉妹を捨て去ることなんて出来なかった。ここに理屈なんてのは無い。

 

「二つもの命で妹は殺された」 に等しいと姉に知れれば、

「奥様は許されない」 と私に素直な抑えられなかった激情を叩きつけてくれた家具屋の弟からを思い病んだ。

 

真実を公にしなければ。妻子との家庭は守らねばならない。これだけを考えようとはしていったんです。
なのに後から必ず続いてくるんだ。金魚のフンみたいに。

 

公にすれば、姉は生きていけなくなる。
代診にされるのか。医院は。
医師会も大学病院も後見人までも大変な事態に陥る、と。
立ち塞がる場所は底なし沼でした。

 

我が家だけを考え、幸福行き普通列車に愛娘を抱きしめて固執すれば良かったのでしょうか。何人もの方が社会的に葬られても。
死に物狂いで死中に活を求めた。四面楚歌の住環境となり朦朧としていく。

結局、拝金思想のカネが、憎しみの対象となった。


調子づいて私に全ての裏工作から経緯まで事細かに喋りすぎてしまった院長は動き出した。

使う価値のある人たちは即ち地域に影響力もつ権力の持ち主となる。たとえ、嵩にかかってくる種類であろうとも。
私を黙らせなければ、手にした権力どころか資産も何もかもを失うのである。
どれぼど必死になって考えたことやら想像すると、今は笑える。滑稽だ。

「なんで俺が命を賭けて戦わなければならないんだ」 って何時も不思議だった。

すると決まって誰か知らない女性が、

「守ってあげてください」って背中から話しかけてくるんだ。

 

 


52 カネより大切なもの

 

別宅という悲しい生い立ちの星を持つ彼女こそ正統な血筋でした。

 

姉の呟きを思い出します、

「油断していました。引き取らなければ良かった。茶を習わせても何にも成らなかった。あんなに不幸な子はいない。わたしが代わってあげたかった。わたしも長生きできません」

火葬でも骨壷に 「抓めるだけ」 さえも延命治療のために骨は脆くなってしまうらしくて消えうせ、ここでも涙です。

 

私が仕事を家庭を第一として姉に事実を話せても、その日も 「夜」 は来る。
床で仕込まれた、夫による夫の為の作り話で妹は二度も殺されたとなれば院長どころか巻き込まれて苦しむ方々が多すぎる。大物すぎる。四面楚歌の苦しみ、七転八倒の毎日だった。

 

それでも後見人に電話を入れられた。
電話口に出られた病院長は私に何ひとつも言わせず一気呵成に、
「養子とは知らなかったんだろう。カネでも何かあったらしいが(それは自分には)関係ない。これ以上、姉を苦しめないでくれ。俺が許さない」

黙ったなり、私は切りました。
捲し立てられた後見人とも、これっきりです。
電話を取られた交換の女性に名乗っただけで、あとは一言も発することさえできなかった。

 

先代が亡くなられ 「若すぎるけれど医院を継がないといけない」 の姉でした。
まだ二十歳か、その前の姉です。
候補者選びが始まった。
お見合いの相手は当初、他におられた。が、「好きな相手が居ます」 と釣書で断られている。

お鉢が回ってくる。

「運が良い。運は大切だ。
「この男は後悔している。
「(セックスの技)婿入り前に勉強した。
「カネより大切な物は無い。
「カネで買えない物は無い。

 

四十九日を過ぎてから、養子、養子とポンポン飛び出してくるようになった。
それまでは一体なんだったんだ。
これを 「世間」 で片付けてしまうのは情け無い。

はっきりしていること。それは、
人を、院長を如何のこうのといったって今日から始まらない。
自分自身はどうあるべきだったのか。その部分で 【ひとつで二人を生きる】
この中、カネより大切なもの、カネで買えないものを教えてやるという熱いものを感じている。

 

 


53 「クララってご存知ですか?」

 

立ち位置に紅葉散る綾絵踏みかな

・・・・・・・・・・・・・・・・・・だまし絵であれ立ちすくんじゃう

 

「湯は家族にて」 たる教えは幼い頃より聞いていた私だったのに。だから我が家では嗜まなかった。暗さで奥深い落とし穴でした。

 

値千金の言葉を思い出す。

「クララってご存知ですか?」
彼女に問い掛けられたんですが、とっさの事で思いつかず、
「ご存じないわよ」
それだけで、その場は終わっていました。

 

すぐに思い出したんですが、
「くらら」 という花の名前です。
が、あの場の雰囲気は 「花」 ではなかった。

「クララ」 
こっちの方だったんだろうと後に確信している。清貧に生きた 「聖女クララ」 といわれるフランシスコ修道会の女性です。

この 「くらら」の場合は阿蘇の山に咲くのです。
黒き斑点あるオオルリシジミという珍しい夢見鳥(蝶)が、この苦参だけを求めて即かず離れずに舞い出で、短い命を終えます。
淡い黄色の火山性植物で草槐とも書くみたいです。
幼虫にぱくつかせて育もり、小満を見る目の前にて成体になる。
グチャグチャになっていた私の頭は、この 「クララ」 を夏風に咲く 「くらら」 に重ねて人格化させていたらしいんです。
それで彼女のメモリアルとする御山は阿蘇へと無意識に向かわせたみたい。

 

問い掛けられたフランシスコ修道会のクララと共に懐かしい値千金の記憶です。洗礼も受けていた彼女でした。

 

くらら萌えオオルリシジミ涼し阿蘇泣く目ひらひら乳の目さらさら

 

クララかな遥かに燃える気兼ね瑠璃

 

(1978年版と2008年版広辞苑より抜粋)フランチェスコの創めた托鉢修道会。第二会の修道女は聖女クララが協力して開創。謙遜と服従、愛と清貧の戒律。キリストの愛の実践を旨とし、貧者や病者に奉仕する。灰色の会服をつける。

 

四季を問わずに巧みだった彼女のワンピースは恬淡とした会服だったのです。おまけに従順と貞潔まで付いてきているみたい。

 

 


54 産婦人科を開業の亡父でしたから

 

わたしは幼い頃から赤ちゃんの泣き声に包まれて育ちました。
お母さんのおっぱいが欲しいのか、お母さんの鼓動や温もりが欲しいのか、どこか痛いのか、おむつなのか。泣いている感じでわかる時もあります。

それで私は人一倍、病室や泣き声に病院の臭いにはするどいんです。

そこに持ってきて、

「助けを求めていたが知ったことかっ」
の、性犯罪です。それも余命2週で死を待つだけの妹に対して。
加えて、彼女が毎日毎日で待ち焦がれた私の見舞いをも巧妙に押し留め続けた。
犯行現場となったのは亡父の出身となる大学の医学部の付属病院です。
内鍵まで取り付けられていた。
こんな信じられない事実の連鎖ってありますか。



阿蘇を御山として彼女のメモリアルたる建物の建設は、たとえ現金化するための口実だったとはいえ、私は見舞いにも行けない身をぶつけて探し、求めた。
ここには院長など存在せず、逝ってしまった彼女との約束事にしていくのです。

院長の陰謀だったと分かった後も、御山には約束通りに事を運んだ。
彼女が結婚資金から支出していた絵画の売却代金に加えて、私は私で用意した資金を注ぎ込んでいくのです。
私の投入資金は当初の思惑を超えてどんどん膨らんでいった。
何から何まで自分の持分で対処しなければならなくなったのも大きかった。

 

私は仕事が出来なくなっていた。

「これからどうするの?」 投げかけてくれた妻の優しさが耳に焼き付いている。

姉にさえ真実を告げられたら、それだけで我が家は安泰でした。

 

 


55 姪の浜で産婦人科を開業していた亡父です

 

四十四で他界した父は姪の浜という地で開業医をしていた。
この父の為に有志の方々が集まられて ≪相浦三郎君を想う≫ なる小冊子が出版された。寄稿して下さったのは地元の経済界に医師会を代表される重鎮の方々ばかりでご健在の方も多い。

内容は遊びに乗っかる話ばかりです。
クラブ、ボート、酒、カメラなどで医療に関しての寄稿は一件もありません。
付き合いで寄稿に応じてくださった環境だけで生まれた本ではない証なんでしょうか、文章の背後には酒飲みの父を嫌っておられたことが伺える投稿もありました。これこそ本物だと私は受け止めております。
歓楽街での女遊びから源氏名まで出された地元では有名なデパートの亡き会長の内容には笑っちゃいました。反面、泣きました。
まさに追悼です。

八月二十五日夜明け前、聖女クララに透明になった彼女の思い出は尽きません。
この娘を妹とする姉との三人の席でのこと、何かの話から亡き父が話題にのぼった熱く長い夜がありましたが、この照れ臭さの中、つい、この小冊子まで一言二言、私は取り上げてしまったのです。
別に色づけしたわけではありません。時代は徳川家康の本のブームでした。読んでいなかった私です。時の姉妹の優しく穏やかで柔らかな映像が明日の音声を想像させるかのように脳裏にこびり付いているんです。

二十五日は他のご先祖の月命日に重なってしまったので、彼女は二十四日とされました。喪中に在る時から既に亡父の追悼本に重ねてしまい、彼女の本を書き上げるのを自分史と考えてきた私です。

御山から書き直し書き直ししてきた原稿を積み上げると一メートルを超えていましたが、ほとんど使えません。なぜなら記憶を失っていたときの内容は私自身が意味不明の部分が多いんです。
彼女を知る以前から青色申告へとダンボール箱にレシートからチケットからメモ類は勿論、帰宅した時点で投げ込んでた山に手帳が、ここで役に立ってくれたのです。

 

 


56 憎しみを植え付けてはいけない 上

 

福岡に残す妻にまだ幼稚園だった愛娘、一人にさせる老いゆく母、嫌がらせ電話に耐え忍ぶ女たちとも振り返れなかった。
南阿蘇に墓標を建設する霊魂との約束事は破棄できなかった。死者には敵わない。
ごめんね。

「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」
姉に打ち明けられた私は、
「姉だけでも守ってください」
たる逝った裏千家師範のクララからの遺言にしていた。
「妹を連れてきてあげたかった。見せたかった」
と草千里を仰ぎ見る姉の「願い」を受けた。
私財を投じ、比翼塚とした終の棲家にしてしまう。

「おかしい」 と腑に落ちないだけであり、
「何をしているのか判断できない」 腑の抜けた情け無い大黒柱だったのです。
「産まれてこなければ良かった」 なんて、
「そんなに嫌われてしまったの」 なんて、
百八夜で性暴力の餌食にされ続けた挙句に逝った師範に言わせた私なんです。

眼鏡が狂った男にはなりたくなかった。適った男になりたかった。
なのに、この心をも師範の抜け落ちた姉妹の家は逆手に取り、姉妹との出会いから逃げ込み婚な師範が私に魅せた二年間に舞台裏で画策し続けた挙句の 「夭折の真相」 を抱え込んだ我が家を一族を社会的にも抹殺するべく動いてた。
姉に師範殺しが露見すれば、裸一貫にされて必ず 「アノ家」 を追い出される結末が読めたからである。

 

「一度握った力はどんなことをしても絶対に手離さん」
この言葉通り、私だけでなく一族から強迫しだす義兄たる院長が活用するのが、法を秩序でなく混沌とさせた警察と現役警察官出身の弁護士による陵辱であり、へつらい、媚び、おもねる人脈やら社交辞令に儀礼から一歩踏み込んだ傲慢な群れである。

医院のこじんまりした患者さんの待合室には少しの長椅子が整然と並んでいる。
ここには座りきれないほどの看護師さんたちが、若いばかりか、かわいくって化粧も上手な、一昔前の言葉を借りればモデルさんと見間違える姿で動いている。
病室は一つも無い。なにより、三十路近くも普通の顔立ちの女性も、一人たりとも、居ないのである。
医者は趣味だと大言壮語してはばからない御山の大将に相応しい、ハーレムでした。

警察官は女性から煙たがられやすい職業で結婚相手にも困るから集団見合いとは表向きの理由。
要は力を私物化したいが為の供応でした。
看護師さんたちの使用者たる立場を利用した義兄の思惑は当時でも十年以上に亘る。
飲酒運転で停車を命じられても免許証で身元が判明すれば敬礼までして見送ってくれたそうだ。
悦に入っていた。この力、
「使っても良いぞ」言われたが、頭を下げてお断りした。

これに限らず、こんな奢り傲慢さには間髪を容れず、にべもなく逆らい続ける私にも腹を立てていたのでしょう。

そしてこの医院は悪くなって当たり前の老人医療が多い。
厄介な患者は大学病院に送れば良い。死人も出ない。
休日出勤も残業も無い五時の道路には看護師さんたちを迎えに来た車たちが列を成していた。

こんなに姉から周囲から甘やかされて育てられた義兄、
「医師会の伯父にも責任を取らせてやる」
暴言が気になっても動けなかった。
院長は自分から調子に乗って真相を何から何までベラベラ喋っておきながら、逆切れしただけの情け無い末路だ。

 

 


57 裏千家師範と私と銀座の画廊の、家系 上

 

彼女が逝ってしまった後、私の精神状態に付け込んで搾取される金銭の額もだが、私たちは若さに欲望を漲らせていただけの遊び仲間、飲み友達というだけの下らなさだったのか。
それに加え糟糠の妻を東京に住まわせ、彼女を地元に置くと苦肉の策を決断した年の秋、つまり彼女が倒れる半年も前に私から借り入れた1450を450しか返さないと、師走には開き直っていた。

五ヶ月後の入院です。
祥月命日が生まれる。数ヶ月が経ちました。
【御山】たる墓標の資金に充当してくれと依頼される彼女が買ってくれていた絵画の売却にあたっても約定通りに支払ってくれなかった。
翌年になり、この銀座の画廊と取引のある北九州の画廊主と共に私たちは朝一便で上京した。

 

銀座に出向く決心から商取引の帳簿合わせを迫る私に銀座の画廊は、
「(彼女への性暴力に抵触する情況) 見舞いに行ってない」
と、持ちだした。
混乱する精神に鞭打って前に進もうとしていた私であり、もう目一杯だったのです。

壊れた。混乱させられた刹那、完全に真っ白。
なぜ銀座に来ているのか、さえ忘れてしまった私が居た。
彼女の存在から姉から何から何まで、これら記憶の一切合財が遥か雲の彼方に煙のごとく逃げ去ってしまいました。

 

そのまま搭乗した機中でも 「何しに来たんだろう」としか分かりませんでした。
銀座の画廊も、帳簿もカネも 「おかしい」とは分かるのですが、「なぜ」とか「どこが」となると、さっぱり。
きれいに消し去ってしまいました。
空っぽの脳みそは滞りなく以後の入力を、そのままに曲げたり癖を付けたりしないで吸収するのです。

抵触されてからの帳簿合わせは、逆に支払いで請求され、何も分からないままに決まっておりました。
主張される勘定に反論を出せる約束事への記憶どころか、彼女どころか姉妹に付随する情報さえ忘却の彼方。

この真っ白にさせられる銀座の日には、早々と私が取引する他の銀座の画廊に対しても 「背信行為の私」とした吹聴が始まっていた。
院長の追い風にもなり、人脈の一員とも化していく。

 

日帰りとなった翌日でした。
銀座に出向く前の日に電話でお願いしていた医師会の重鎮となる親しくお付き合いをさせて頂いた方の御自宅を訪問するも、何の相談だったのかも思い出せない。
恥ずかしい話を持ち出しただけであり、医師会とも、この方とも、これっきりにしてしまいました。亡くなられたのです。

 

銀座の画廊も彼女の場合と同じ 「約束事」の信用取引や人としての生き方の次元に置いて、約束の日の数日前に私は支払ってしまうのです。
この額が、でかすぎました。

 

 


58 医は算術ではなく鬼手仏心です

 

完全な記憶喪失にさせられる銀座の朝でした。

バブルと名付けられた実体なき社会が終焉を迎える頃、ゴッホとルノワールの計2点の絵画が米国のオークションにて二百数十億という史上最高額で落札されたニュースが映像と共に飛び込んできた。
依頼された会長と代理人たる銀座の画廊主は親子である。姓が異なるのは師範と同じだったからだ。

 

しかし私も町医者の家に生まれておきながら何なんですが、町医者という職業がこんなにも人間的に小さなものだったなんて、体験から【御山】で考えさせられました。
良く言えば地域社会での客足と柵で雁字搦めなのに医師会や医療の圏内から食み出して社会的影響力を行使できるところが認識の誤りを生んでいる。

 

師範の墓標とした【御山】の阿蘇は魂との契約である。周囲が如何有ろうが関係なかった。
院長の恐ろしき算術の陰謀から絵画の購入は花嫁道具だった上に性暴力を知っても、これは破れない。
無意識の意識が、両天秤に掛けたかのように家族を蔑ろにした阿蘇に向かわせた。
逝った年も冬には阿蘇のペンション住まいとなり、比翼塚の草刈りから枝打ち、沢に下る小道を整地したりと汗を流していく。

 

こんな中、女たちだけが取り残された福岡の我が家には中傷に嫌がらせの電話が引っ切り無しに入っていた。
家庭があり、家も在る間、着信音に妻は両耳を塞いでしゃがみ込み、母は頑張れるも 「それなりの対応」にて音を収める。
妻も母も、家族で耐え忍びながらも、恐ろしくなった私から命じられた通り、我が家の女たちは師範殺しの知りえた限りの真相を院長の犯罪の内容を姉妹の家の秘密を守り通した。
全てを誰にも口外しなかった。

妻は叫んだ、

「どうして私たちが犠牲にならなければならないの」

「みんな生きている」

わたしは突っぱねる。話にも何にも成りはしない。

 

 

こんな苦しみの我が家へと姉からも電話が入っている、

「今後ウワサにして妹の名誉を傷つけないようにしてください」

黙ったなり、聞いてあげた我が家の女たちでした。

 

 

取引先だったデパートからも、

「(姉妹の家)と何か有ったらしいが、(その地域)の出張所所長は取締役だから何も聞きたくない。もう出入りしないでくれ。おまえも終いだな」

繁華街にもご一緒していた美術部からの突然の電話でした。

 

 

母は着信音に、

「(あの恐ろしい家からかも)」

感じるらしくて、ピクッと体を深層心理で震わせる。電話を取れなかった。

鳴り分けてくれる機能に買い換えて(2000年03月22日)から、ずいぶん楽にはなりましたが。

 

 

医者の人脈を利用してのものが殆どと思われる。一方的で意味不明で嘘っぱちだらけの電話による後遺症です。
わたしだけでなく家族の全員が数年前まで抱えていたんです。

 

「かわいそうな方」

真実で師範を思いやれた、ただ一軒の家なのに。

 

大切にしている亡父の遺品の一つに、墨色五彩 『鬼手仏心』 の掛け額がある。
心は受け継いだつもりです。

 

 


59 この日「花も蕾で」日の出を友に

 

純粋な、真っ白な女性でした。それでいて、大きかった。
迎え火な太陽は 「八月のクリスマス」 として記憶喪失者に刻まれる。記憶する最期の姿は、退室する見返り美人だった。
たかがカネ、されどカネなのか、ために私は 「見舞いを止められていた」

なぜ、そこまで、義兄なのに、医者なのに・・・

 

さくらんぼ稚児握り締む桃石榴雲は俯くみな熱き縁


ドアがノックされるたびに、

毎日毎日、待ち焦がれていた。

「産まれてこなければ良かった」

「そんなに嫌われてしまったの」

 

こんな、してやったりの師範に性暴力の週末は、私を尻目に否応なしに訪れていた。
病室の天のみの空を見つめ「椿灰に愛と清貧の戒律」で逝く。

 

マリア観音はかなものなり閻魔堂なる飛天ひん抱き幸と見見えん


「知らなかった」
「ごめんね」

 

済まされる歳月の彼方、ではない。

 

・・・また陽は昇る。。。

 

  

 

 


Twitter の今日、みんなと過ごす作品展。内容案内

2013年01月15日 08時58分53秒 | みんなと過ごす作品展 

 

病院へ行こう: Twitter 115 「寒い冬にも彩りを! ~育てやすい冬の花~」 

 

みんなと過ごす1月14日(月) その2  

 

みんなと過ごす1月14日(月) その1 

 

病院へ行こう: Twitter 114 今日は大雪の為、お店が営業できません。皆様、すみませんm(_ _)m 

 

みんなと過ごす1月13日(日) 
night ropeway

 

病院へ行こう: Twitter 113 新成人おめでとうございます 

 

みんなと過ごす1月12日(土) 

 

病院へ行こう: Twitter 112 これは…丈志の背中?!凄い!無駄のない筋肉!こりゃ楽しみ♪ " 

 


Googleの 病院へ行こう Twitter の今日 は翌日回しとなる gooの みんなと過ごす作品展  - カテゴリー へのRTとは一線を画し、今その時のTLから写真に140文字を Googleへと転写しております。された方への通知機能はありません。病医院勤務あるいは介護関係等で夜勤ある h_l_8 のリストに有名人を加えた別の窓 (私は不在) となる Twitter もあります。

古い記事では写真が消えている箇所がありますがリンク先をクリックして頂ければ反映されると思いますし怪しいリンク先は無いと断言します。

このページでの容量では以下しか紹介できませんが作品はまだまだ遡れます。
2012年11月03日の時点では、みんなと過ごす作品展が207日分、病院へ行こうが180日分くらい公開中です。

 

災害発生時の重要リンク集

 

TLの有名人紹介 

カラパイア 

マイスカイ新聞 

雲と大地のあいだには|「心のビタミン」をさがす toraの博多湾出没ノート 

今年も雪だるまの季節!シロフクロウのハリー|フクロウ,インコ,ペンギンと遊ぶ掛川花鳥園ブログ 鳥達の飼育日記 

軽井沢野鳥の森ブログ 

 


 

みんなと過ごす1月11日(金) 

 

病院へ行こう: Twitter 111 俺の“折れない心”に付き合ってくれてる身体と、やりたい事をやり続けられる環境に感謝し、今日も頑張ります 

 

みんなと過ごす1月10日(木) 

 

病院へ行こう: Twitter 110 信号待ちいきなりウィンドウをコンコン。「のせてってよ~」って、助手席側に回ってドアあけて入ってきた 

 

みんなと過ごす1月9日(水) 

 

病院へ行こう: Twitter 109 さりながらさりながらとてくりかへす 日常に降る銀の秋雨 

 

みんなと過ごす1月8日(火) 

 

病院へ行こう: Twitter 108 向井理が出演する リコー の企業CM 「愛するを、品質に。」 8日からオンエア。京都十六社朱印巡り。東京都薬用植物園で「万葉集と薬草」 

 

みんなと過ごす1月7日(月) 

 

病院へ行こう: Twitter 107 「夏の七草」があると聞いたのだが、どのようなものか。(栃木県立図書館) 

  

みんなと過ごす1月6日(日) 

 

病院へ行こう: Twitter 106 飲み過ぎ…食べ過ぎ…朝寝坊、社会復帰できるのだろうか。片瀬海岸は早くからお散歩やサーフィン 

 

みんなと過ごす1月5日(土) 

 

病院へ行こう: Twitter 105 今日は小寒 「寒の入り」とも言い 今日から出すのが寒中見舞いですね 

 

みんなと過ごす1月4日(金) 

 

病院へ行こう: Twitter 104 遭難者以外の登山者の皆さんへ(お願い) 栃木県警察:「山でヘリを見かけたときは、手を振っての挨拶はご遠慮願います」 

 

みんなと過ごす1月3日(木) 

 

病院へ行こう: Twitter 103 ピンクに染まる樹氷。雪に浮かぶ三重塔。ビルから花火。玉せせり。霜柱。 

 

みんなと過ごす1月2日(水) 

 

病院へ行こう: Twitter 102 ただいま午前6時ですが、この大行列!風物詩になった渋谷109の初売りに来ています 

 

みんなと過ごす1月1日(火) 

 

病院へ行こう: Twitter 101 あけましておめでとうございます 
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みんなと過ごす12月31日(月) 

 

病院へ行こう: Twitter 1231 世の移り変わりにともない 「鐘の音」に対する苦情が多いため 除夜の鐘をとりやめます 

 

みんなと過ごす12月30日(日) 

 

病院へ行こう: Twitter 1230 兵庫県川西市で起こった猫62匹の多頭飼育崩壊は、里親探しが難航していて 

 

みんなと過ごす12月29日(土) 

 

病院へ行こう: Twitter 1229 子宮頸がんなど3ワクチン 無料接種 恒久化へ 

 

みんなと過ごす12月28日(金) 

 

病院へ行こう: Twitter 1228 ドルフィンツアー☆野生のイルカ達が生息する島「御蔵島」。その数何と200頭近くだという。東京からわずか200kmに、野生のイルカ達の楽園が存在する 

  

みんなと過ごす12月27日(木) 

 

病院へ行こう: Twitter 1227 中村勘三郎さんの本葬が築地本願寺で行われます  

 

みんなと過ごす12月26日(水) 

 

病院へ行こう: Twitter 1226 古川聡(JAXA宇宙飛行士)「ようこそ宇宙の特等席へ!地球周遊ナイトクルーズ」 

 

みんなと過ごす12月25日(火) 

 

病院へ行こう: Twitter 1225 一夜明けて。サンタは来ませんでしたが、笑い声はたくさん 

 

みんなと過ごす12月24日(月) 

 

病院へ行こう: Twitter 1224 年々クリスマスがくる度に家庭を築きたくなる。。。正月すぎたらまた忘れちゃうのかな 

  

みんなと過ごす12月23日(日) 

 

病院へ行こう: Twitter 1223 天皇陛下 79歳の誕生日 

 

みんなと過ごす12月22日(土) その2 

 

みんなと過ごす12月22日(土) その1 

 

病院へ行こう: Twitter 1222 星出飛行士がロボットアームで「きぼう」船外に取りつけた「スプライト及び雷放電の高速測光撮像センサ(JEM-GLIMS)」でスプライト観測か? 

 

みんなと過ごす12月21日(金) 

 

病院へ行こう: Twitter 1221 相川七瀬「4年ぶりのアルバム、2013年2月6日発売決定!」 

 

みんなと過ごす12月20日(木) 

  

病院へ行こう: Twitter 1220 白いナマコが捕れたよ~ 

 

みんなと過ごす12月19日(水) 

 

病院へ行こう: Twitter 1219 アカウントもタグも覗けますし使えるようにもなりました  

 

みんなと過ごす12月18日(火) 

 

病院へ行こう: Twitter 1218 テスト中

 

みんなと過ごす12月17日(月) 

 

病院へ行こう: Twitter 1217 未来のために今日がある。諦めたら最期。想いは叶う。皆がそう思えば世界は変わると思う 

 

みんなと過ごす12月16日(日) 

 

病院へ行こう: Twitter 1216 全国 秋冬のライトアップ・イルミネーション・花火・火祭り 2012-2013 

 

みんなと過ごす12月15日(土) 

 

病院へ行こう: Twitter 1215 コウちゃんのアルバムリリカル*ワンダーききました(*'▽'*)しょうこちゃんの作曲した「笑おうかな」めっちゃいいです 

 

みんなと過ごす12月14日(金) 

  

病院へ行こう: Twitter 1214 なんと183個もの流れ星が!今晩の「きらめく星空ウォッチング」でも、きっと流れ星が見ることができるはずです。 

 

みんなと過ごす12月13日(木) 

 

病院へ行こう: Twitter 1213 山中教授「メダル、もう見ることはない」 

 

みんなと過ごす12月12日(水) 

 

病院へ行こう: Twitter 1212 首相官邸 【北朝鮮発射情報】 

 

みんなと過ごす12月11日(火) 

 

病院へ行こう: Twitter 1211  今冬最初の雪すら待たずに、いってしまったせっかちな雪だるま様へ。 #勘三郎恋し 

 

みんなと過ごす12月10日(月) 

  

病院へ行こう: Twitter 1210 家族でできるノロウイルスの消毒法 ノロウイルスの家庭内感染を予防するには 等 

 

みんなと過ごす12月9日(日) 

 

病院へ行こう: Twitter 1209 昨日、大昔にお付きあいしていた方に偶然会った。突然だったので正直ちょっと動揺してしまい変にクールなご挨拶しかできなかった。あれじゃ逆に 

 

みんなと過ごす12月8日(土) 

 

病院へ行こう: Twitter 1208 災害発生時の重要リンク集をご案内します 

 

みんなと過ごす12月7日(金) その2  

 

みんなと過ごす12月7日(金) その1 

  

病院へ行こう: Twitter 1207 魚油をたくさん摂ると床ずれの痛み、不快感、潰瘍が改善 

 

みんなと過ごす12月6日(木) その2 

 

みんなと過ごす12月6日(木) その1 

 

病院へ行こう: Twitter 1206 あまり税務署とケンカしない方がいいですよ。 

 

みんなと過ごす12月5日(水) 

 

病院へ行こう: Twitter 1205 <訃報>中村勘三郎さん 

 

みんなと過ごす12月4日(火) 

 

 

 

 

 

 


みんなと過ごす1月14日(月) その2

2013年01月15日 08時52分14秒 | みんなと過ごす作品展 

木も重たいだろうね… RT @yumiko0330: 家の裏はこんなに・・・雪!積もった~ #mysky twitpic.com/bv5ejq

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桜の木に降り積もる雪。 twitpic.com/bv5cgi

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Twitter の今日、みんなと過ごす作品展。内容案内 blog.goo.ne.jp/goo60xyz/e/bef… 

 

#東京 114今日は大雪の為、お店が営業できません。皆様、すみませんm(_ _)m 113新成人おめでとうございます ~ 1209昨日、大昔にお付きあいしていた方に

#地図 108京都十六社朱印巡り ~  1207魚油をたくさん摂ると床ずれの痛み、不快感、潰瘍が改善 他300件以上


泉涌寺・七福神巡り。雨でうんざり。 - twitpic.com/bv1oli

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竹駒神社、どんと祭りの火入れ式です。雪が積もり、なかなか火が付きませんでしたが… twitpic.com/bv3yda

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やはり、装甲車両のようなライドだけは頂けない気がしたけれど、そうまでしないと振動がひどくて痛い思いをするという。良くも悪くもホワイトキャニオンらししいといえば、そうなのかもしれない。 twitpic.com/buvxep

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本日は降雪のため 営業時間を13時までとさせていただきます なお"ホワイトキャニオンさよなら乗車""ジュエルミネーション"は休止させていただきます 長きにわたりご愛顧いただきありがとうございました よみうりランド遊園地

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Twitter 113 新成人おめでとうございます
 Twitter 114 今日は大雪の為、お店が営業できません。皆様、すみませんm(_ _)m mytubaki.blogspot.jp 

 

#ピンク @MizU_38 蚊帳の中 @feelgreen55 らん展 @YukieKawamura 誕生日 @shoko_higuchi 野菜

#バレーボール @swimmerhagitomo VIVA!!成徳 @TeamUehara 昨日、岩手県宮古市に行ってきました

#大雪 @shirokumaossan @bombon_sawa ありがとうごぜえますだ

#愛知 @meteojapan 本格的な雪に @tokyo21211 凧揚げまつり盛況ー畳10枚の大凧 @yamanakako_info 山中湖

#ラン @feelgreen55 @glaciarium_ 只見線特別豪雪地帯探訪 @teruhikosaigo こんな夜はすき焼きに雪見酒

#予報 @ohtakepapa 東京では21時頃まで、千葉では23時過ぎ頃までは止む見込み @yoichiomar @tottorihana

きゃりーぱみゅぱみゅ @pamyurin 成人式 @sohnandae 裸参り!!どんと祭!!国宝 大崎八幡宮:祭事:松焚祭 #仙台

#習志野 @nanase_aikawa 歩いて帰りました @tokito36 ジムへ徒歩で @asagiri 陸橋にノーマルタイヤで

#憂鬱 @nomura60kg @bombon_sawa ゆーきのふーるまーちをー @YukieKawamura 早めの電車 @ANNEinfinity 談志師匠

みんなと過ごす1月13日(日) blog.goo.ne.jp/goo60xyz/e/4a2… 

 

#三十三間堂 @zaouss 夜のロープウェイ @YUMIMOMA 全国かるた大会 @gol3_goldstar 木古内町寒中みそぎ祭り @sygyq729 弓道女子

#ロウバイ @5296_kd 三十三間堂。通し矢は @quattroooo 今日の津軽  @hananeko__ いい香り

#八重の桜 @sakuyastaff 原種のヒビスクス・インスラリスが見頃 @Fermer_9632 。丸瀬布「山彦の滝」。沖縄の成人式。御嶽山。松江城。身延山


クリボウの写真日記: Facebook のアプリで… goo.gl/fb/fRUkP 

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みんなと過ごす1月14日(月) その1

2013年01月15日 08時43分46秒 | みんなと過ごす作品展 
 

みんなと過ごす1月12日(土) blog.goo.ne.jp/goo60xyz/e/60e… 

 

#沖縄 @rysyuka 待機 @godivako メジロと緋寒桜 八重岳 @aizu_tsurukan 高田の大俵引き

 
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ロンドンもかなり冷え込んできました。そろそろ降るかな?雪? RT @upopy: @_HOTEI 布袋さん、今日の岩手県の“中尊寺”です。とっても寒いです。 pic.twitter.com/JtlzB75C

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??(????? ? ????)???" RT @Regular_size: 使わなくなった急須(Teapot)を小鳥たちのために素敵にリサイクル twitpic.com/bv0a8r

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境内もうっすらと雪化粧を始めました。この分で行くと、明朝は雪掻きが必要になるか? twitpic.com/bv08ss

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天然氷の「森のスケートリンク」、本日は雪のためお休みいたします。楽しみにしてくださったみなさま、申し訳ありません。

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すっごい雪!出かけようかと思ってたのに、まさかここまで降るとは…??×?×?????

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わー、凄い雪!姪っ子本日成人式なのにー…大変だ!でも部屋から見る雪はキレイで素敵です。

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雪で騒いでる関東民に本当の積雪というものを見せつける twitpic.com/bv01dn

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#キュン旅網走 昨日「流氷砕氷船おーろら」と「おーろら2」が道の駅「流氷街道網走」の岸壁に入港した。「流氷初日」も発表され、これで「流氷観光」の役者が出そろった^^あとは流氷本隊の接岸を待つだけだ^^ pic.twitter.com/w00BkRpp

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気象庁は東京地方に大雪注意報を発表。多いところで、東京23区で5センチ、多摩地方で10センチの予想。 #wcntenki

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谷川岳天神平の尾根までプチ登山しての見晴らしです(群馬県みなかみ町)。谷川岳山頂方面はやや雲がかかってますが、好天でした。 flickr.com/photos/glaciar… flickr.com/photos/glaciar… 

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13日17:28、岩手山上空に細い月(地球照)。月齢1.6。~つづく~ pic.twitter.com/FwK9qjqG

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昨日、三十三間堂で行われた新成人による通し矢。凛々しいですね☆今日は生憎の雨模様ですが、思い出に残る良い成人の日にしていただきたいですね! fb.me/2b0126XEb 

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完全防備で稽古場着いた。ゼイゼイ。頼れるものはやっぱ長靴だな。 pic.twitter.com/bXNbj1aW

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明日の出勤時にはあちこちで面白い雪だるまが見られるかも? bit.ly/yXPuag 

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原点回帰 「 第五部 薫陶 81 - 93 」

2013年01月14日 19時53分54秒 | 原点回帰 

終結宣言の行われる日時に場所の情報は、六日前の夜の八時か九時の二十分から四十分の間に、警察も二箇所に電話で通報してあげた。現在の私がここまでおおっぴらに警察から法曹界まで含めて対峙できるのは、これら真実と誇りを身に纏っているからです。この九州戦争が切っ掛けとなって暴力団対策法が制定された。(82 時速60で車間距離25が30分映画するには何台必要か より)

 

 


原点回帰 「 第一部 純愛  1 - 23 」

原点回帰 「 第二部 殺人 24 - 43 」

原点回帰 「 第三部 告発 44 - 59 」 

原点回帰 「 第四部 言霊 60 - 80 」 

上記を読まれてない方は目を通してからにしてください。この物語は三流以下でも推理小説な内容となります。

 

あらすじ 【  朝顔  】 

これは記憶喪失からの回復過程で投稿したページを羅列しただけでしたが、現在の投稿段階で軽薄も猪突猛進に反発される方は日本史を学ばれたら如何でしょうか。

 

原点回帰 「 第六部 記憶 94 - 106 」

原点回帰 「 第七部 法治 107 - 116 」

原点回帰 「 第八部 鶴翼 117 - 完結 」

 

このページのタイトルに挿入するリンク先は原文。

 



81 殺したのは私です

 

阿蘇ファームランドが建設される以前、ここには国立牧場の牧草地が広がっていました。
連なる丘、丘、丘の栄養がたっぷりと与えられて維持管理される草本が風と共に生きて四季に伏せる素晴らしきロケーションを鮮明に覚えています。
ランドに遊びに行かれた思い出ある方は、周りの景色を心に蘇らせてください。
丘に車を乗り入れて写真を撮る家族連れ、女性に子供たちの屈託ない楽しそうな声が樹木に谷に外輪山に木霊します。
車の中で朝を迎える男と女の性も多いとまでは言えないが、居ることは居る。
ひとつひとつの丘に、一台、あそこにも一台と数えられても一所に二台はない。
暗黙の了解か。目立つのは夜空に花な車体のシルエットだけ。

数十年ぶりとかの厳しかった冬も三寒四温に始まる春を迎えようと抗う、その日は暖かくなった日曜の朝でした。
寝ぼけ眼で外に出る隠者は20メートルばかり先、木々の横に2頭のドーベルマンを見つける。
ゾッーーー。。。
思いは長いが、血の気は一気に引いている。

唸り出た。
数回だけ、早いが落ち着いて四肢を運動させただけで、もう半分近くも距離を縮めた位置にまで迫っている。

この間、まず私は自分の太股を激しく打っ叩いている。
逃げず、手足を動かさず、ジッとして高い位置から静かに気合いを込めて目だけ、だけを睨みつけてやると直前でも空中でも、犬は必ず止まる、と弁えていた私です。
瞬間で、この行動が実践できました。
時は日常から2秒で死ぬ覚悟が出来てしまう時代だからこその、精神でした。

(これ、狂犬病の犬は勿論のこと、闘犬には使えませんからね。目は二つある。近づきすぎたら左右どちらかに決めて焦点を当てるんです)

硬直しながらも一旦は拳も握り締める。
生卵は二つとも完全に身体の中に逃げ込んでしまったのを覚えても、おしっこしたいのさえ忘れても、心は折れなかった。

早朝の清々しい大気に抱かれるはずだったのに、重く低い唸り声は近頃やたらと森を震わせていた不気味なモノの正体を納得の確認させる。



殺しました。



「放たれたのを恨んでくれ」
左手で拝んだのは、その類にあっても突出した無条件に素晴らしき体型の2頭です。流石は日本最大の組織でした。
そん所そこらの組とは何から何まで違い過ぎ。
たびたび映画で観たシーンのドーベルマンたちが、バック・トゥ・ザ・フューチャーばりに時空間から飛び出してきていた。

のちに聞かされる話ではドイツからの直輸入。価格から訓練費用は正にポルシェもカレラでした。
可哀相な愛玩犬でした・・・・・ごめんね。止むを得なかったんだ。

この朝露は当初、久留米の 「殴り込み」 だと受け止められて大騒ぎになり、熊本県警にも非常召集が掛かった。
関係者も双方の世界で緊張が走った。

ここで冷静に考えて頂きたいのです。

及び腰、逃げ腰だった熊本県警の言い分が、
「九州戦争(確か双方で50人近くが殺害されていたと記憶します) は福岡の事件であって、熊本では何も事件を起こしてはいない。本部長にヤル気がない」
でした。
これが根底から覆るのです。
冒頭に落とした観光客が殺られたら・・・・・。
怖がっていた熊本県警も動かざるを得なくなる。

が、私を野放しには出来ない。面子を重んじる裏社会なんです。
で、終結宣言の情報を態と私に流す事によって、何処かの組織に 「私を殺す大義名分を与える」
殺人っていうのは裁判費用から残された家族の面倒まで見ないといけないからカネが掛かるらしい。

一週間を切ったら宣言の中止を求められても間に合わない。
で、六日前の漏洩となっていた。
が、これも熊本県警の逃げで失敗となったんです。


だから私は空に地に生かされている。


人間の命なんて何処で拾うのか、わかんないものですね。
あの2頭、天国で師範と姉が可愛がってくれているでしょう。

そのうちボクも逝くから。

 


82 時速60で車間距離25が30分映画するには何台必要か

 

青春キャンパス前は山道にあってもここだけが100と10メートル続く直線になっている。

たった100でも絶対に60以上は出している九州戦争の終結宣言に集まったベンツの全長が少なくとも3台は入り続ける。
何回置きかは4台が走り抜けた。稀に5台だ。
さて問題です。午前0時15分から38分までの間に何台のベンツが通ったでしょうか。はっきり途切れ出したのは45分過ぎです。
わたし頭わるいから計算できません。

零時の五分前あたりから、交通整理する声が聞こえ始めていた。
私を意識して、感づかれる場所は最後に残しておいたみたいです。
広大な土地があるから離れたところから先に駐車していったんでしょう。
集まってくるベンツは、前もって知らなければ気付けないほどの静けさでした。

一転しての誘導です。
すぐに拡声器での演説が始まった。数人が代わる。
零時9分には静かになります。

そして夜を切り裂くアクション映画。
“単純な反復的な車列だろう”と考える人は、私の書き方が悪いからだ。
ビデオに撮らなかったのを悔やんでいます。
街路灯なんてない。ウチの電気もテニスコートの照明も落としている。
外輪山を走るヘッドライトさえ見えない。つまり真っ暗闇。
この闇を切り裂き、すっ飛んでくる車の数、途切れない。

絶やさない段取りも素晴らしいが、車間距離の無さは、ド迫力。
闇の森の夜から出現し続ける黒一色のベンツの車列。
下る山道の研ぎ澄まされた暗闇に時空を超越して吸い寄せられ、フッ、溶け込んで消え続ける瞬間が永遠の闇を現実に無口な風で刻みつける。
これだけで短編映画になった。

延岡から宮崎方面に帰る車はウチの前を通らなくても“登り”の別ルートで行けますが、それこそ曲がりくねった道を走らなければならない。
観光ホテルのお泊り組がいたら、それも登りになる。
“その家”に少し滞在した車もあるでしょうが、これらは少ないと思われる。
だから終結宣言に集まった殆んどの人たちは、ウチの前をすっ飛んだはずです。

ここでおかしな話がある。
私は1時25分まで起きて、映画の続きを見ていた。不思議なことに“登り”の車は1台も通らなかった。軽も二輪もトラックも。もちろん警察車両らしき普通車も。

市内からは一時間の距離なのに。それも真夜中。もっと早く来れるのに。
私のレコードは昼間ですが、繁華街にあるデパート裏の駐車場からで40分と数十秒。
もっともっとおかしな話がある。
この騒動の通報によって日本の全警察官の半数以上に戦後最大、つまり警察発足以来最大の非常招集が掛かったんですが、なぜ?
高速のインターで検問に入ったらしいが、どれだけ離れたインターで成功しだしたのでしょうか。
笑える。
ま、北海道は間に合ったでしょうね。
半数といっても沖縄に離島に事務職は省かれるだろうから、全員といっても良いんでしょうね。
真夜中に叩き起されたのは何万人になるんでしょうか。
熊本の失態のために。大変な月日を捜査してきた福岡の現場が可哀そうだ。

何故なら、この終結宣言の行われる日時に場所の情報は、六日前の夜の八時か九時の二十分から四十分の間に、私は警察も二箇所に電話で通報してあげたから。


殺されるかも知れないが知り得た情報を通報するのは国民の義務だろうと死を賭して決断したのに。
現在の私がここまでおおっぴらに警察から法曹界まで含めて対峙できるのは、これら真実と誇りを身に纏っているからです。
この九州戦争が切っ掛けとなって暴力団対策法が制定された。

2キロ下った国道57号線で湯布院から大分方面は右折ですが、これ以外の国内は全て左折します。高速に乗らない熊本市内でも郊外でも殆んどがインターまでは同じ30キロ余りの国道を走る道程になる。
遭遇した人たちは驚いたでしょうね。
だいたい信号では止まったんでしょうか。
止まらなかったでしょうね。
いちいち止まってたらもっと大変な事態を招く。
途切れるのを待った車、国道を横切りたい車、市内への同じ車線に入る車、横断したい人に車、どうしたんでしょう。
それもこれも相手は押し並べて黒きベンツ。車種どころか後部座席まで似たり寄ったりの影。
未知との遭遇には目が点? 飛び出た? 覚めた? 据わった? 

一緒に走れば良かった。後悔するなぁ。ビデオ・・・・・・・・・・、もっと後悔している。
ふたつ共に可能だった。
アーーーーー、取り返しの付かない人生最大の失態です。
あんな車列は日本の歴史に残る。おそらく最初でしょう、で最後でしょう。
永遠に語り継がれるんでしょうね。目撃者として光栄ある孤立だ。

一点を全長4,5メートルの車が速度60キロで車間距離は25メートルとして30分間途切れさせない為には何台必要かの映画する冒頭の問題ですが、わたし、ホントーに、わかりません。
誰か教えてください。(約1017台)

 


83 「座って半畳、寝て一畳」 の 「国外逃亡」 の起動

 

 ひとつひとつ片付けていくのが投稿では読みやすいだろうと考え、【御山】の章を飛び越えていましたので、遡ります。

何回分かはダラダラした、でもこれこそ記憶喪失した私が師範やらクララとなる彼女と一緒に生きた偽らざる日記です。
記憶がどうの亡霊がどうのでなくっても、下界で普通に生活しておられる家庭も幸せは平凡な日常の繰り返しであって似ていると思うのですが・・・。




  空蝉の代ぞ鏡見す扇子腹

 


いったい何十人が殺されるのか。これで法治国家なのか。このまま有耶無耶、闇に葬って良いのか。
境界杭から差し押さえられた案件で資金調達の一手段でもあった一部の土地の分譲販売が不可能となり、阿蘇の青写真は大きく変わった。

ここはレーシングカートのコースとなる。
照明付きのテニスコートにオートテニス、キャンプ場に整備した。
青春キャンパスと名付ける。

彼女が楽しめるCAMPUSは、女でも生きていくオトコの生活空間らしかった。
白いCANVASに沢山の色で色んな感動をそれこそ贅沢に塗り込めていけるのは感泣の逢瀬を重ねる、洗い髪との遊び方も客色です。
剣山など、花を散らせる道具も買った。
年収へのジレンマも抱えて 〈国破山河在 城春草木深〉 格好つけ、家庭におけるオトコを可能に出来なかった詫びは贅沢貧乏を自惚れだした。
晴嵐の丘に八畳と六畳二階屋のプレハブも二つで置いた。
すすり泣きの木々を久留米の植木市と自宅の庭から調達して、配した。
水盃に、花々も植えた。
目指したのは似たもの同士からの同体化、ふたなりだったらしい。

二階屋を倉庫にして、住むのに使う八畳の前には焚き火にと、太い丸太を井形で積み上げ、似合うからと誰に憚る柵も無く、荼毘と粋がっていく。

怪訝な顔の観光客には、
「過去を荼毘に付してあげる」
真顔で歯を出し、笑いを誘うのだから呆れてしまう。

注がれた性を連想させる態度から息は、霊魂が私の身体を弄んでいる彼女の時に現われる。
裏千家師範からクララが隠れていても心で慕っていられる本色の私の正気では、何も言えないものである。
ときどき、村の消防団がサイレンを鳴らすのでは、と気も小さくなる大きさの小火にも、火柱が天に昇る。
ポンプの容量一杯に汲み上げる井戸は忘れ水へと流しっぱなしだ。まれに虹となる。

周りを手作りの椅子やらテーブルで囲んだ地は、細長い丸太三本を立錐に組んで自在鉤をぶら下げる鍋や、下には金網を置く食事処であり、蠟燭にランプに草、花また華の居場所だ。
離れて、これらをグルリと馬留めみたいな丸太の柵やクロスボーの射的場、銅鑼に下界からの木々で配置した空間の思い入れを、居間と読んでいた。

 


84 「ここは何処 わたしは誰」

 

 

 

記憶喪失といったら良いのか逆向性健忘症といったら良いのか分かりませんが、
「ここは何処、わたしは誰」
と、なっていた阿蘇での生活だったのは確かです。

生きているのか、死んでいるのか。
食事したのは何時だったのか、今日は食べたのか。
陰膳をしているが、誰の膳なのか。
こんなところで何をしているのかも分からない。そんな毎日でした。

こんな私を助けてくれたのが師範の愛弟子との偶然の出会いであり、殺し合いの渦中に叩き込まれての緊張感です。
このどちらが欠けていても自分を取り戻せた今の私は無く、落ちるところまで堕ちていた私だったと思われます。

 

 

 


85 1/8 七夕

 

坂本繁二郎画伯の絶筆となる【幽光】を天空に観た先月七日が切っ掛けとなり、星の落とし子な入院前の色音ばかりを紐解く日々が立ち続いてくれる、その日も話しかけて日常が始まった八月の鼓動から生まれた会話でした。
いきなり 「昨日に出席できない白々しい法要」 を御山から俯瞰するのです。

ここからです、吹き抜き屋台となった 「家」 から甘さ控えた未完の大器だけを、互いに院長夫妻を除いた師範だけの思い出話で終始できた三十六時間でした。
もし、この娘との出会いがなければ私は間違いなく堕落していた。

桜月から秋風の月、幽閉される御山も朧に晴れてきて、やっと彼女を探し出せる阿蘇でした。狂いの五年は長かったぁ。

「逢わせてくれるんだ」
マリッジリングなる必殺の天使の虹彩に素通しになる行き交った師範との百夜が悪戯っぽく笑む。
噴煙が大気に語りかける其色月は晩夏を見つける天蓋の下『青春キャンパス』と名付けた野外劇場で第六幕が神妙に開いた。

四十路も迎えようとする荒れ肌を忘れさせる週末の騒ぎが治まり、のんびり起きだした月曜の閑散とする風の朝。秋の気配を聞きだす二十五日、わナンバーの車が駐車場に停まる。
閑居を回転軸として忘れていたり思い出したり、磁極は揺れる。
視野に入る扇面の天地が常の舞台。

パイプカットの下半身麻酔から痛む背を主軸としてざわついていたのは師範だったと、この一ヶ月余りで思い出せていた。昨日が、五才になる天使の誕生日でした。

テニスコート横を下り、ふたりの娘がこちらに歩いてくる。花道みたいな明るさで。
「テニスをさせてください」
呼びかけられた私はラケットや靴を貸し出しながら何時ものように話しかける。

「何処から来たの?」

「両親の名代で茶の先生の法事に来たんです」

私の動きが止まる。靴を落とし、押し黙ってしまう。後に聞いたのだが瞬時に顔色まで変わったらしい。

「どうされたんですか?」

つい私は娘たちの一人に尋ねてしまう、
「〇〇さん?」

「どうして知ってあるんですか?」

中の一人が驚き、かなり動揺している。
もう一人からの 「なぜ?」 な顔つきに、
「有名だから」
友達に答えてあげた娘は、その娘と小声で話し合う仲となった。

 


86 2/8 さすが裏千家も師範の愛弟子だった

 

孤立した男の私は、
ヒヨロ、立ち上がり、フラフラ、壁も天井もない土間の応接間、大きなバーベキューのテーブルの側、手作りの長椅子に戻って、
ヘタ、座り込んでしまう。

少しして、気にかけてくれたのだろう、朝風みたいに歩み寄ってくれた娘たちと話し始めるは爽やかさが、止まり木に渡った。
クララの弟子という純粋な立場の人とならば、それも遠方、膨らむ桔梗色の満足感だけ取り出せるかも、と一気に期待した。わだかまりなんて知らない筈だから、とも後ずさりしそうになる気持ちを拭い去れた。
この数週で思い出せたばかりの過去を閃光が照らし出し、破天荒な初舞台の緞帳を上げる今日は六回忌法要の翌日だった。

「テニスなんてどうでも良い」
優に優しい弟子の娘と薄暗くなるまで話し込んだ。
横合いから、キッチリと口を挟む、なかなかしっかりした娘の方は、弟子の両親から御目付け役を仰せつかる友達だった。
近くのペンションを予約していたので御目付け役だけチェックインで先に入ってもらい、弟子と二人だけで花を咲かせる。わナンバーで一足先に離れる御目付け役が、私と山の中で二人っきりになる弟子を心配していた。
二人の掛け合いを思い出すと笑える。
夕食時の呼び出しに応じて送る道は上り坂でした。

興奮しだす西日の、飛び離れて優れだす草葉の影が邪険な透明人間の罪を分身で引き回し、吸い寄せる陰が暗幕で隠さない、隠し切れない、隠しおおせる時でした。

なぜトタン屋根の組み立て住宅もキャンプ場そのものにした小屋に住んでいるのか完璧に理解していたばかりか、その言い回し持つ決まりごとも自然の妙には驚かされた。まだ二十歳ちょっとなのに流石の弟子である。

・・・彼女を観た。

翌朝、少し前から土砂降りも黒髪の山を下り、昨日より一時間ほど早めの十時頃、約束通りにやってきた。
あまりにも気持ち良くって早くから目が覚めている。澄み渡った空に朝霧のしめやかさと共に待ち構えていたら、二十五年ぶりという大型台風十三号が先に来た。
お尻をツルツルのタイヤでモンローウォークさせながら、山道は黒川温泉の露天風呂まで縫い、遅い夜まで三人で過ごす。

 


87 3/8 さっちゃん、みっちゃん。愛弟子と御目付け役

 

「(あの家では)彼女だけがキリスト教だった」
「だから仏壇が変わっていたのね」
私は見たことが無い。たまらなく切なかった。

この前夜は弟子との別れの後ろ姿から、深まる夜は夜で夜泣きの赤ん坊みたいに、夜明けは寝起きの空間で天使を追いかけ回していた。
弟子は限界を読む時空に身を置いて、聞き役に徹する。

わたし一人で喋り捲り掘り下げる万分の一から、
「あの人は養子だったんだよ」

「不遜な言葉や行いは忌み慎まなければいけません」
な感じで娘たちは顔を見合わせ、頷き合いながら怒りの眼差しで私を見据えた。

それは本末転倒も甚だしく、ましてや戸籍に関わる秘密で風潮の一を成してはならないたる世間の常識を破り、個人的な嫌悪感の有無に無理矢理くっつけて、話題を身勝手な位置へと膨らませようとした過失で咎める四つもの強く焼けた眦でした。

この子たちは確かに正しい。
ならば、

「家に置いてやっている・・・・・

「あっ!! 
と二重奏した。

深き三重奏の溜め息が、鈍い黙読に続く・・・

 


88 4/8 「産まれてこなければ良かった」なんて言わせない

 

この娘たちは確かに正しい。が、

「それじゃ、家に住まわせて・・・


あっ!! 息もピッタリ、デュエットする楽器の二人です。
弦楽器で低く沈む楽譜を黙読する。
・・・・・・・・・・・、
沈黙を破る溜め息は三人での呼吸が一つになって見事な三重奏した。

「わたしも不思議に思っていました・・・

静かな、愛弟子の、自身から納得させる独り言でした。

重々しい、人間界の骨子を震わす響き、一刀両断です。

長めに、浮き世の風さえ凍りついた雄弁に勝る沈黙を友たる隙間で抉じ開け、にじり寄った目付けに深まっていた無言の問い掛け、
「そうなの?」 に、

「わたしも!」 と、
頷き返す大人の女性たちでした。



あの家を知る人で、戸籍上から不文律と化す入籍原因ある院長だと知らずに面識も無いという人に会えるのは初めてでした。
それだけに姉妹まで新鮮な、汚れなきトライアングルからの新しき音色。

不文慣習に従って居られた「師範と私」の周囲の方々は、
存在した慣習の中身を知らない外の世界からは、
「姉妹が一緒に住んでいる」
これだけで疑問を抱かれる、と気付いておられたのでしょうか。

恐ろしき慣れか、脇の甘さか。
この、抱かれる疑念の存在、
裏千家も師範は、クララな生き方は知っていた。
姉は、気づいてなかった。
院長は、義兄は、夫は分かりすぎていた。そして、だから利用できた。

「家に住まわせてやっている。ーーー。
「ーーーーー。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

・・・余命2週の告知どころか、乳がんの細胞さえ、病室における毎週末の性暴力だって、ここから始まっていくんだ・・・

私と、死を待つだけの床。
「産まれて来なければ良かった」
「そんなに嫌われてしまったの」
なんて彼女が言い残した言の葉を御山で探求します。
記憶喪失に陥っても当然の私だったんでしょう。

茶は家族にて。
奥深き意味、もう一度、考えたい。 

 

 


89 5/8 「そんなに嫌われてしまったの」なんて言わせない

 

戸籍上から不文律と化す入籍原因ある院長だと知らなかった私にしてみれば、いや、全ての知らない人から観た場合、
「(彼女を)家に住まわせてやっている」
この院長の言葉こそが正しい認識と世間であり、姉妹が反社会的な人間たちになる。
ここから院長に同情もしてしまった私が、咲いて落ちる二つの命を持つ本来の花椿に生きようとした彼女を惨たらしく殺してしまったんだ。
私さえ・・・・・、

私が見舞いに来るのを毎日毎日待っていてくれた。

滞空時間に重力に押しつぶされたくないと、
「ボクは好きだったんだよ。でも妻子持ちなんだ。お姉さんや姪っ子さんはボクを恨んでおられる。
『見舞いにし行くな。行っても無駄だ。家族の問題だ。嫌われるから行くな、と言われていた。みなさん、思い違いしておられる。
彼女が会いたがっている。会える、なんて知らなかった」
休まず一息に胸の煙を吐き出せました。

「どうしてお姉さんに話さなかったの? わたしが言ってあげましょうか」

「彼女は喜ばない。あんなに仲が好かった姉妹だから、もう彼女はお姉さんの幸福を願うしかない。今のボクには彼女を悲しませる真似は出来ない」

この私へと愛弟子が、
「コクリ」 答えてから眼差しを伏せるのは、わたしがはっきり答え終わるのと、ほぼ同時でした。
「離婚も出来ないだろう」
付け加える私の言葉に、

「じゃ誰が悪いの?」

「ボク!」
すぐさま問い掛けに答えた私の、
ふたりとも朗らかに笑ってくれて訪れた高気圧の爽やかさに小躍りできる胸を割った女と男の受け持ちから持ち場に位置は、クシャクシャに崩せる目鼻立ちどころか入院後の長い長い苦しみも何もかも一発で解放してくれた。
「(院長には)人には守らねばならないものもあって、重圧もあったんだろう。立場だったんだろう」
なんて言えた私は、ずいぶん御山で年を取った。

言った途端に家族が娘の幼顔が浮かぶ。自分でも驚愕に耐えない自身を持て余した時間で覚えています。
・・・言葉に溺れていたのかも。
「姉は大切にしてくれるだろう」 とは言ったものの、頷いた愛弟子とは裏腹に全く自信は無かった。
が、しかし、口が滑る軽さなく、気重に・・・道を塞いだ。

この年月において、姉と院長の夜の営みどころか彼女に対した性描写は完全に私の記憶から抜け落ちたままだったんです。
楽しかった思い出だけを、七夕で思い出せただけでした。

 


90 6/8 茶は家族にて

 

娘たちは私に経過した歳月を数えたみたいですが、飲み下す。
この年頃の女の子にしては珍しく好い出来具合に育っていたし、裏千家からフランシスコ修道会を彷彿とさせて生き返らせてくれる活力だけに素敵であり、これはこのまま優しくて素直な師範の大きさになっていた。
横着な書き方が続きますが〝子を見て、親を知る〟みたいな大らかな大気に包まれていました。

歯止めが利かなくなっている。交わしてはならない場面までも、ラジオのDJばりに成り下がっていた。

「いい加減にしてよっ。ふたりともおかしいわよっ」

御目付けから強く意見されたが、思い悩ませてしまった愛弟子なのに、なおも庇ってくれました。
恥ずかしい。
お弟子さんは情の細やかな、思いやりに溢れる人でした。
私が何年もの間、一人で我慢して誰にも言えずに苦しんでいるのを見て知り、じっと聞いていてくれたのです。
短く、そんな言い回しが燃えた弟子です。おもむろに、

「亡くなった後、こんなに何年も思っていてくれる人が居て、先生は幸せ。わたしにもこんなに思ってくれる人がいるかしら。やっぱり先生が好きになられた人」

自分の言葉も心の色で・・・歌ってくれました。
最高の表現力です。ありがとう。

今の私が在るのは、ふたりからの、これほどの栄養素を取り入れられたから。
ですが当時は性犯罪から記憶喪失の存在に気が付いていなかった訳ですから、実際は 「私が先生を思う」 意味が数本の線路になって交差したり離れたり複雑なのが事実です。

「わたしは親が決めた人と結婚しないといけない」
淋しそうな弟子でした。この暗さに御目付けの笑みが何んとも似合う世界に住んでいた愛弟子です。
師範も似ている世界の軌道を歩かなければならなかった上での運命になったんですよ。

(今日このブログを読んでくれている人の中には、お金持ちを羨み、お金持ちの家に生まれたかったと考えたことがある人も居るでしょう。こんな世界は本当に今でも存在するんですよ。どちらが幸せなんでしょうか。悩み抜き、考え抜く価値はかなり大きい今日のブログの内容にできたつもりです。少なくても忘れないで居て欲しい言葉です。知らなくて良い意図、知る必要が有る意味、この二つが一回で書けた貴重な体験談です。理屈でも御託でもありません)

この重すぎる苦しさを吹き飛ばそうと、
「さっさと抱いてれば死なせずに済んだ」

「違いますよっ」
はっきり、ふたりしての独唱です。

「いや、早く抱いてあげていたら好かったんだ」
再び強く言い切る私に、

「違う・・・・・と、思いますけれど・・・・・」
ふたりの明言は弱弱しくなるが、戸惑いながらも互いに励まし合い、共鳴を誘い合う微笑みで身を奮い立たせ、言い表せている。

これ以上、私は話題にしなかった。
わたしは当時も今も、ここは同じで、抱いていれば死ななかった、死なせなかったと確信している。
揺るぎない自信に漲る力強さがある。当時も在りました。
愛弟子たちらしさに敬意を示し、突っ込みたくなかったし突っ込む必要も無かったってこと。

この場面では 「先生は純潔だった」 真実の持つ意味を愛弟子に教える方が大切だったんです。
自分を殺さなければいけない生活もある。

 


91 7/8 さっちゃん、みっちゃん、ありがとう

 

「彼女の本を自分史の中で認めたいと思ってる」

わたしは心の中を隠さずに表現した。

「書いてください。わたしにも下さい。じゃ名前と住所を教えておかないと」
この愛弟子には、
「お姉さんから渡されるだろうから」
こう突き放した私の目に、
ダメ、と制止していて、ほっとした大げさな仕草の目付けと、「分かっているから」 と目で合図しながらも 「がっかり」 してる、二人の一発芸が面白かった。名コンビだ。

愛弟子の家と師範の家を出版という形で私が結びつけて良いわけない。両家の困惑となる。先々への繋がりも作りたくなかった。その今日だけで充分だ。わたしなりの幼稚でも一期一会です。
さっちゃん、みっちゃん、愛称は知った。これだけの他人。
のちに愛弟子の住所氏名は他から耳に入ってしまうのですが、この今日の予感があったんでしょう、メモは捨てたし、名さえ覚えてはいません。

言えなかったが、出版できる可能性なんて万に一つしか無いと思いつつも、信念と約束だけで 「このブログの原本となる九十九日記」を 「日に一行だけでも」 日課と決めていた時期であり、彼女だけで書けるなんてのは夢のまた夢。読まれる姉に思いを馳せれば日記の誤字だらけも天気の具合ばかりとなり、悪循環に陥っての堂々巡り。気楽な宇宙に動物に季節にと逃げている。
この娘たちには師範の思い出だけで大切に仕舞って欲しい。クララを先生として同様に慕ってくれる方々とも地元での付き合いが続くわけだから、昔話には自分だけが知っている先生としてくれれば嬉しい。

「法事の後の〝この阿蘇での私との出会いから話し〟が両親に分かったら、もう旅行させてもらえないかも知れない」
言っていた愛弟子だから胸に仕舞っておいてくれるでしょう。

「(私が)姉妹の悪口を少しでも言われたら直ぐに帰るつもりでした」
打ち明けて、
「すみません」
謝っていたが、それで良いんです。詫びなくって良い。自分からは姉妹を話題にすることなんて無かった弟子でした。
この子たちに出会えなかったら私は立ち直れなかった。逢えたのは天使の御陰だと信じている。偽りなく気が楽になれた。こんななか、
「おいしい茶が飲みたい」
呟いてしまった私に、
「いれてあげましょうか」
葉がなかった。

あの日々、
茶室と教会がどうつながっていくのか分かりませんでした。
いま、「アガペー」 「神の愛」 とやらの犠牲愛の気がしてならない。
「最期の一葉が散るのをみたいかのごとくに窓を開ける冷房の効いた病室だった」
と二十四日、二十五日は思い出せても、八月なのか十二月なのか季節から全く分からなくなっていた年月に降りてきた、キューピッドです。
晴れ晴れした心にて、日記の文字が急激に増えていく。見つけた正に病床日記は支離滅裂で、蓋が開いた日本語らしき羅列はアホ色の金閣炎上に水没している。
夏下冬上も正に逆さ富士の噴火でした。
(下記は俳句とかではありません。水面に絵文字がわりも接着剤のつもりです)



   なでしこや波を舫いて今朝の月

 


92 8/8 記憶喪失な私だと気付いた愛弟子たち

 

 七回忌となる翌年も七月、心配して様子を見に来てくれた愛弟子ですが御目付けが一人増えていた。それも背広姿の。

友達でもあった目付け役の娘さんが弟子の子の両親に「私」を報告したらしい。
「自由がない」 愚痴をこぼして射すくめる弟子に、
ペコリ・・・
珍道中だ。
その私がトタン小屋に住んでいたのに仰天している背広を覗き見てしまった私たち三人で、
これまた同じ穴の狢。

別れて、テニス客をペンションに迎えに出る私の車の尻に叫びが追突する、
「あの人は亡霊に取り付かれているのよ。いい加減にしないと御両親に報告しないといけないわよ」
叫ばれた弟子が一人っきりの車の世界も鏡から、

・・・消える。
亡霊たる響きを、やけに嬉しく覚えています。
ふたりとは、これっきり。



迎えに行く車に乗り込む私に目付けの子が言ってた、
「来月の法事の後は一人で来るそうです」
からかわれた弟子が身振り手振りで懸命に否定する中、
「ここにはもう居ないから」
愛弟子を私は突き放していた。

二十日前に土地の売却が決まっていた。残った土地に小屋を移して住み続けるのか、新たに家を建て直すのか迷いながらも、

「下界に下りないと」
「子供に会いたい」
と苛立っていた。


御山を離れるのは天使に別れを告げることになる。会えなくなる、とは心得ていた。八月初めから別荘分譲としての造成工事に入る予定だったんで、業者には七回忌とは言わずに二十五日まで工事に入らないように頼んでいた。ここに住み続けるのは小学校低学年の娘の将来を考えると苦痛で、近くに居てあげたかった。

「道路沿いの森に小屋を移して住むのか、下界に戻るのかまだ決めて無いけど、多分街に帰ると思う」
勇気を振り絞る私に、消え入りそうに悲しく味つけされた弟子の声が沁みてくる。
「仕方ないのかも知れない」

辞世に目眩する錯覚に佇み、拘りは天使を孕んだ。


愛弟子たちは土地の売却の何故も過程も何も知らない。
私を発掘したいと試みる愛弟子の風情が直視できず思わず背を向けた視界に、「姉と同じ目線にて祈りあふれる墓碑銘の草千里」が、「連れて来てあげたかった」 この姉の心に沿ってクララと過ごした比翼塚が神妙かつ大胆に飛び込んできた。
あとになって気づくのですが、目に入った瞬間に、「院長に対して彼女が生きた証を終わりになんかするもんか」 と誓った自分を掘り起こし、初心に返っての再びにて、「花守り」を決心していたみたいです。
それでこそ比翼塚とも言える。
しかし、



テニス客を連れて戻ったときには、もう愛弟子たちを忘れさせた天使と生きている。
何年も何年も愛弟子たちを思い出すことはなかった。

前の年の六回忌に愛弟子たちと初めて出会ってからの、三ヶ月後に戦争を経験していた。
終わったのは、この春でした。
この娘たちと重ならなかった時期には感謝している。本当に良かった。

私が下界に降りるのは抗争に発展して手打ちがあった三年後の春をも経験した後の、十回忌を過ごしたあとの九月十五日になっています。

後の月見で名残りの花恥じ入る、人間界は御伽草子。浦島の子な私でした。

 


93 復習かつ大学病院での性犯罪かつ予習 上

  

≪ 満ち欠けと散り損ねしは病葉か震う口脇苛む身に似 ≫

 

私は彼女を、こう思っていた。
生を別宅に享ける、出生の秘密。
『奥様の異母妹で、ふたりの父親も亡くなられ、母親の二人も逝去されていた境遇ゆえに別宅生まれの妹を哀れんだ姉が嫁ぐ時に、乳幼児だった彼女を連れ児としたと』
婿養子の院長から言葉巧みに思い込まされていた。

養子だったとは公然の秘密。衆知の話だったらしいが肝心の私だけが知らなかった。

のちに「(私が) 知らなかったはずがない」とまで攻撃の材料にされていく。
知っていれば 『彼女は生きていてくれた』 ってんだ。

私に、姉は姉で 『妹との結婚の申し込み。慰謝料の支払い。新婚での分譲マンション。養子縁組の申し入れ』 などなど次々に手を打って来られる。
嫁ぎ先の財産を勝手気ままに散財される姉の金銭感覚は嫌いであり、院長に同情してしまいました。

亡き母への想いから、妻子持ちへの、別宅へと我が身を重ね置く禁じられた誓約の師範。

申し込まれてからの月日は一年を過ぎます。
姉は激しくなられる。彼女は可愛くなっていく。
仕方なく、妻と彼女を重婚まがいに、二つの都市に置く決断を下します。
この資金は姉の出資を断り、自分自身で用意しました。
この矢先の入院となる。


継続できる力こそ財産。

 

復習かつ大学病院での性犯罪かつ予習 中


大学病院の彼女の病室は内鍵が取り付けられ、重い紫檀の衝立まで立つ。
ドアが開いても、まだ室内さえ見えない。
乳がんで余命2週の告知も二十七歳は延命薬で百八夜を戦ったが、キリスト教に未経験も未婚は、義兄の院長が休診となる毎週末もで極悪非道の性暴力の餌食になり続けた。
臭いを逃すべく開け放たれる窓は空梅雨の空でした。
「助け」を求める「叫び」を、大学病院の研修医から小児病棟の看護婦さん達から掃除のおばさんに至るまで、聞かない人、知らなかった職員は居ない。
が「末期がん、終末期ゆえの叫び」と受け止めて「思い込み」から、誰も駆けつけなかった。
助けに行かなかった。無視した。性犯罪を後押しした。
私が「この事実」を聞き取った時期は【御山】である。
天使となった彼女と二人で生きようと【青春キャンパス】なる遊戯施設を建設しましたが、ここに近所のペンションから送迎されてくる観光客の中に5~6人の看護師さんたちが居た。彼女達が、何が切っ掛けだったのか忘れましたが一部始終を話してくれたのです。
末期がんだから仕方ない「声」とした過ち、類似の件はおろか、虐待などとも合わせ、威厳と≪尊厳ある死≫の崇高な命題から、≪安楽死≫の定義、そして延命薬は本人の心を第一に尊重して欲しく、情熱から、提起させていただきます。



死因の乳がんすら院長が成した細胞。
純白に未経験の証は長男に長女も見知る。

義兄の本心から私への嘘に気付きながらも姉の幸福を願い、本性をあらわした性暴力と合わせて最期まで姉に言わなかった、犠牲の愛。
純愛と教義。

遺品には癌に関する新刊がありました。買っていた。そこまでとは思わずとも少しは自分の異変に気づいてた。
それでも、姉にさえ打ち明けなかった。
何故なんでしょう。
私です。私が悪かった。

彼女の結婚資金から将来に及ぶ財産を奪い取る策が成就して、よほどうれしかったんでしょう。
喪が明けた院長は調子付き、饒舌になって私に真相を喋りすぎた。
滑らかに全てを言い終えてから、後悔し始めていた。これは院長の癖らしい。
「何時もだ」 とかブツブツと独り言していた。
よって今度は私を 「どうにかしなければ」 身の破滅だったのです。

真相は、彼女の姉、つまり院長たる義兄の奥様との性生活も映像化する。
その床の姉の声に姿態、終わった後の姉の行動、翌朝のシーツまで再生する。
姉妹で私の夢に忍び込む。夜這いされる。
凄まじい恐ろしさと、最初っから院長の側に寝返っていた私の代理人により、私は仕事から姉妹に触れる記憶を失った。

本宅の異母姉に養子を迎えての悲しい生い立ちでした。
院長こそが【婿養子】だと、私は知らなかった。
これが正に【事実は映画よりも奇なり】のすべて。分かってみれば小さなこと。
こんな小さな事実が大きくなった挙句、世の中に犯罪という形を作っていくんでしょうか。
私に限らず、どなたの人生にも大なり小なり、どこかに有ると思われる何か。
普通の生き方こそが、本当にむずかしい人生。
スーパーの安売りにも行く平凡が良い、毎日の暮らし。

同床異夢、

 

 

 

 


みんなと過ごす1月13日(日)

2013年01月14日 10時20分04秒 | みんなと過ごす作品展 
 

第六十ニ回全国かるた大会がはじまるよ。近江神宮。 pic.twitter.com/Li4SqMw6

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木古内町寒中みそぎ祭り2012: youtu.be/KQTf1G2czw0 @youtubeさんから  修行に最適…なわけあるかいw  ちなみに親の出身がこの街です

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弓道女子を撮らせてもらいました…三十三間堂にて… pic.twitter.com/zlZJNHrh

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三十三間堂。通し矢は裏側でやっております。こういう所に来ると「零」をやりたくなってくるね……。 pic.twitter.com/rtQfoYgC

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近くの公園のロウバイを見に来ました いい香り でも写真撮るのは難しい~今日はポカポカ陽気? instagr.am/p/UaC6dSKzBL/

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ハイビスカスワールドにて、絶滅危惧されている原種のヒビスクス・インスラリスが見頃ですヽ(・∀・*)ノ時間がたつとお花の色が白からピンクに変わります☆ bit.ly/13rzW1p bit.ly/13rzYqf 

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可愛い♪ "@miyabi_vln: だんだん…咲きはじめた(o^^o) p.twipple.jp/u2HFR p.twipple.jp/kyjMx"

 
 
 
 
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冬の芸術輝く 丸瀬布「山彦の滝」(北海道新聞) hokkaido-np.co.jp/news/topic/433… 

【遠軽】巨大な氷瀑(ひょうばく)が闇夜に浮かび上がる―。厳冬期に結氷するオホーツク管内遠軽町丸瀬布の「山彦の滝」をライトアップして行う今年初の観察会が12日、開かれた。気温が氷点下9・1度 

闇夜に浮かぶ光の柱

Twitter 112 これは…丈志の背中?!凄い!無駄のない筋肉!こりゃ楽しみ♪ " 
Twitter 113 新成人おめでとうございます mytubaki.blogspot.jp 

 

#yukiekawamura 水着オフショット @swimmerhagitomo @NanaseNews

 

#蔵王 @zaouss ライトアップ @nanase_aikawa @nomura60kg ありがとうございます

 

#那覇 @_2ch_news_ 沖縄の成人式がヤバすぎる @YukieKawamura 振り袖姿のおなごが可愛い @4travel 明治村

#交通安全 @Na_sleep 身延山の久遠寺のすごい階段 @Furutomo1024 どんど祭りでしめ縄焼い

 
 
@teruhikosaigo 声が忘れられません  江戸を斬るのおばば様が亡くなってしまった @matsu_dice めんたい煮込みつけ麺

#東京ドーム @bombon_sawa 「しあわせカモン」の完成披露試写会 @nomura60kg 金メダル3個がアスリート祭で @feelgreen55

みんなと過ごす1月12日(土) blog.goo.ne.jp/goo60xyz/e/60e… 

 

#流氷 @ko_shibasaki @ryuhyonavi 記録的な寒さに @MIASKIRESORT 御嶽山。朝焼け

 

#八重の桜 @21sakon 綾瀬はるかさん、今日は会津にきて 。食虫植物。八甲田。まほろ駅前番外地。漁火光柱。御神渡り。キノコ氷。一面の銀世界に天空の城と雲海

#成人式 @Furuya445 どんど焼き @maxmax248 松江城 @maav3u 七里ヶ浜の温泉 宮之浦岳 @0_GEORGE_0 息子から感謝の花束を 

Twitter の今日、みんなと過ごす作品展。内容案内 blog.goo.ne.jp/goo60xyz/e/bef… 

 

113新成人おめでとう 112無駄のない筋肉 ~  1211せっかちな雪だるま様へ  #勘三郎恋し 1208災害発生時の重要リンク集 1206税務署とケンカしない 

#絆 111折れない心 109日常に降る銀の秋雨 ~ 103ピンクに染まる樹氷 ~ 1231苦情が多いため除夜の鐘をとりやめ 他300件以上

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原点回帰 「 第四部 言霊 60 - 80 」

2013年01月13日 22時44分58秒 | 原点回帰 

福岡は西鉄の城下町です。西鉄は店子。姉妹に院長は親ともなる。しかし彼女をも、「茶ばかりで男を見る目が無かった」 と馬鹿にした。私には、「(院長に対して)それだけの事をしたんだろう」 と下した。私には、何をしたのかも、何があったのかも分からなくなっていた。この県で姉に院長の家に逆らえば、「干される」「弁護士会からの紹介でなければ断っている」依頼した弁護士の根底に存在していた当初からの本音、名言である。(62 弁護士会会長に始まった時効停止の現在 より)

 

 


60 岩田屋久留米店と西鉄久留米駅との相互依存

 

西鉄久留米駅の開業は1924年でした。
ここから99年間の賃貸契約が師範の家と締結される。
姉妹の父親が周辺の土地を売却の上で資金を調達、駅建物から名店街からホームに至る全てを建設され家主となられたのである。
岩田屋さんは、「土地は買い上げる」 と頑として譲歩されなかったらしい。売却されている。

 

 



 

原点回帰 「 第一部 純愛  1 - 23 」

原点回帰 「 第二部 殺人 24 - 43 」

原点回帰 「 第三部 告発 44 - 59 」 

 

上記を読まれてない方は目を通してからにしてください。この物語は三流以下でも推理小説な内容となります。

あらすじ 【  朝顔  】 

これは記憶喪失からの回復過程で投稿したページを羅列しただけでしたが、現在の投稿段階で軽薄も猪突猛進に反発される方は日本史を学ばれたら如何でしょうか。

このページのタイトルに挿入するリンク先は原文。

この四部、どこまで固有名詞を含めた書き加えが可能なのか悩みます。

 

原点回帰 「 第五部 薫陶 81 - 93 」

原点回帰 「 第六部 記憶 94 - 106 」

原点回帰 「 第七部 法治 107 - 116 」

原点回帰 「 第八部 鶴翼 117 - 完結 」

 

 



61 百億持ち米国逃亡の国際問題と原点 上

 

福岡県警採用の現職警察官から猛勉強して司法試験に合格したという弁護士から電話が入った。院長の依頼を受けたという。
わたしから出向いてあげた。事務所は赤坂の職安の裏道に面した汚いビルで奥まった細い通路も突き当たりに暗くて狭い物置小屋みたいな部屋。
ドアを開けて二歩のソファに招いておきながら、わたしが座る前から、

「奥様に連絡を取るとーーーーー」
脅しつけてきた。この手の、似つかわしい浅読みで、

「(私の印象から) こんな男をなぜ怖がるのか」
とも、院長からの依頼の内容と私の印象とのギャップに戸惑っている。
この弁護士の主張は 「ただこれだけ」
他には何も中身など無かった。

 

なにか引っ掛かった。姉だけを強調した呼び出しには何か隠れていると感じた。
当の弁護士でさえ首を捻っている。じゃ動くなってんだ。

ここに家具屋の義兄弟が関与しているのかも知れない、していなくても何か知っているだろう、と直感する。
新天町北通りの家具屋には車で十分の近さでした。予感は的中していた。
三階のギャラリーにまで上がってみたら、不在の兄弟に代わって女店員が答えてくれる。

院長に預けていただけの絵画が半額で処分されようとしていた。
彼女が購入していた絵画を墓標の資金に充当するべく預かったら壁の日焼けが見苦しかったんで、隠すために掛けてあげただけでした。
私は一度も家具屋に行った事がなかったので、まさか来るとは思わなかったらしい。
完全な詐欺。

その足で弁護士会館に出向いて代理人を紹介してもらった。舞鶴に回る。

 

  


62 弁護士会会長に始まった時効停止の現在

 

弁護士会から紹介を受けた著名な弁護士会会長は 「明らかな犯罪で刑事事件にするか」 聞かれたが姉妹を考え、そこまではしたくなかった。
正常な状態に戻せればそれで良い。 

 

姉妹の医院ある所轄署の刑事からは、「院長から刑事事件として相談を受けた」 として電話が入ったが、院長と家具屋との詐欺行為を話したら、それっきりとなる。

 

そもそも弁護士会で紹介してもらう手段を選択したのは、親交ある方々では誰にも相談できなかったからだ。弁護士を必要とする理由が言えない。
姉妹を性で卑しめてしまう・・・姉を守れなくなる・・・医師免許剥奪になれば姉妹の医院が閉院か代診となる・・・医師会の重鎮が立場を失う・・・大学病院の責任問題に発展する・・・
そもそも後継者が診療しての、姉妹の医院だ。

彼女の入院中から私の頭ん中では何かが音を立てて、ブチブチと切れていく反響音を感じていた。
聞こえるんだ。
頭蓋骨の中の物音が・・・

そんな中から依頼人となった弁護士に相談したのですが、彼女の全てが、姉が妹の幸せだけを望まれた結果が、「事件そのもの」が恐ろしすぎて、言えなかった。
言わなければ相談にもなりはしない。言おう、言おうとしていった。

 

頑張る中で姉から、
「なぜ裁判になるのでしょうか」 と私の弁護士に電話が入っていた。

弁護士は私に、
「なぜ見舞いに行かなかったのか」 と尋ねる。

「止められていました」 すかさず答えられた私だったのに、

「(嘘を言うな)」 呆気に取られた口調で言下に判決を下された。

 

その姉の夜をも性描写する事態なんて私には、呼べない。

事件そのものの流れを恐ろしさを、妻子ある家庭を守るためにも言わなければならないと頑張っていた脳みそは干からびる。
性暴力を私に描写した理由からカネの流れた経緯から、真相の記憶が頭蓋骨の中の何処かの引き出しの中に隠れてしまった。
かくれんぼする子供みたいに。大人を怖がって親の後ろに隠れる子供みたいに。
にべもなく、全て終わった。だから終わったことにも、気付けない。

説明へと姉妹から真相抜きではどうしょうもなく、何も無いのに有る振りする私だとも断定されて、
「本にも書けない(書ける内容ない)だろう」と、馬鹿にされた。 

 

こんな中で、完全に記憶を失う銀座の朝が来るのです。

 

忘れない。
ここに、私の亡父の小冊子 「相浦三郎君を想う」 と同じように彼女の本を自分史の中に書いてやる、たる揺るぎなき現在の決心が生まれていたのだと思います。
彼女が入院した五月から私は仕事が出来なかった。仕事の手帳がプライベートな日記として生まれ変わる。

私に犯罪歴が無いと知るや、
「今にやる」 とまで院長寄りで吐かれた私の依頼人弁護士だった。

私の家系を調べて、
「これを利用できないとは・・・」 と若い弁護士が驚く傍らにて、
「使い方を知らない人も出てくる」 と著名な方の弁護士は教えていた。
二人で驚き、頷き合い、笑っている。

私は、しがらみの人脈に雁字搦めでした。

しかし、利用から使い方とは、これが弁護士の頭の中なのか。
この弁護士事務所の仕事は企業専門でした。姉の素性が圧力となったのでしょう。福岡は西鉄の城下町です。西鉄は店子。姉妹に院長は親ともなる。

しかし彼女をも、
「茶ばかりで男を見る目が無かった」 と馬鹿にした。
私には、
「(院長に対して)それだけの事をしたんだろう」 と下した。

 

私には、何をしたのかも、何があったのかも分からなくなっていた。

 

この県で姉に院長の家に逆らえば、
「干される」
「弁護士会からの紹介でなければ断っている」
依頼した弁護士の根底に存在していた当初からの本音、名言である。

  

 


63 裏千家師範と私と銀座の画廊の、家系 下

 

【御山】での生活に入っていた。
もう客ではないし、売り掛けなんてのもないホステスから阿蘇に電話が入る。

「(銀座七丁目の画廊に) 言わせておいて良いの。(風評は) 男の人でもあるのね。このままだと大変なーーーーー」

わざわざ教えてくれる電話。
私の取引先にも営業しだしていた。
悪口雑言に呆れ果て、私の取引先から周辺どころか、繁華街のクラブにも手当たり次第に広めていく余りの態度を、

「あんなに仲が良かったのにね」
嘆いていた。

情けなく、恥ずかしかった。
カネに生きる結果が、これ。
ここまでくる拝金主義には哀れみが生じ、憎しみは薄れる。
今は銀座の顔どころか日本の顔であり、世界の顔らしい。

しかし、彼女が逝った途端 「(院長は)婿養子」 と、どれだけ飛び出してきたことか。

呆れます。
どこを指して不文律というのか。

 

  


64 家族を 上



25日早朝だ。逝ったのは。しかし命日は24日とされた。
ご先祖さまと重なったからなのだが、数時間しか違わないから、とも言われていた。

クリスマスって、騒ぐのは同じ時間帯です。
「クリスマスは静かに過ごし、騒ぎません」 と師範は口にしていた。
クリスマスやら正月は、重婚めかした東京と地元との過ごし方に悩む満たされた月日がありました。真剣に空の最終便なんかの遣り繰りを愛娘やケーキやプレゼントに重ねて思いを巡らせていた。

 

間夫おかしのたり果てらむ冬の海

 

何年か後、クリスマスって八月なのか十二月なのか分からなくなっていました。というのも御山の土地に購入代金を支払って登記するのは月曜なんですが、日付けは前日にしてもらったんです。24日は日曜日になった一周忌でしたから。
だけど一周忌だってことも、そうする理由も何もかもキレイに忘れていたのです。
ただ、そうしたい24日という登記簿の日付けでした。
それと南半球となるオーストラリアでは12月は夏です。
ホワイトクリスマスではなくって、グリーンクリスマスというらしいのです。
そんなこんなで頭ん中ゴチャゴチャになっていた緑したたる御山の私です。

 

叫ぶしか著れぬ色取り鵙の乱

 

 


65 着せ替え人形と言葉遣い 上

性犯罪 下

 

延命薬の副作用で身体の自由は利かなくても意識は正常なんです。
聞こえます。見えます。声は出せます。
だから 「叫んだ」
窓は臭いを逃がすべく開け放たれた空梅雨の空へと、声は近くに居る人を探した。
「助け」 を大学病院に居る人たちに求めた。

だが、これさえ末期がんゆえの 「叫び」 「助けて」 と受け止めてしまう看護師さんたちに掃除のおばさん、入院患者の人たち。研修医に教授さえ黙殺してしまう。
無視した。耳を押さえた。
この声の存在を知らない職員はいないそうだ。
終末期として 「うわさ」 にはする。

「おかしい」感じた方がおられたにしても病室には内鍵がかかっているし、開いても次には衝立がある。
地域社会どころか医師会がらみもの力関係が暗に二の足を踏ませたのでしょうか。



のちに、「叫び」 の存在は小児病棟の二人の看護師さんから、阿蘇で聞きかじりました。

彼女の入院中に延命薬について相談に出向いた先生の御子息は同じ時期、この大学病院において研修医をしておられた。
彼からも阿蘇に来られた時に聞く。

 

わいせつ行為と看病への恐ろしき勘違い、思い込み。
・・・着せ替え人形、、、
するがまま。楽しんだ院長である。

意識ははっきりしているのに抵抗できない。されるがまま、、、
あの裏千家も師範の精神性・・・
私は無論、誰一人として想像しえない高みにあるんです。その彼女を。

 

別宅生まれも乳飲み子だった妹を姉は引き取られた。
二人の母親は、共に亡くなられている。
父親も亡くなり、医院を継がなければいけなくなった姉は婿養子を取られる。まだ二十歳そこそこの姉だったと思われます。

 

 


66 百八夜

 

意識はあるのに植物状態となって自分の身体なのに自分では動かすこともできない、着せ替え人形の、私でさえ未だ抱いてはいなかったのに、入院中に28の誕生日を迎えたばかりなのに、もう椿灰へと旅立つ彼女。

その病床にある純白の身体を弄んだ義兄。

狂い死にしそうでした。

平穏に生活を営んできた我が家が巻き込まれた日々の暮らしに猟奇の絵図面が暴れまわる。
一人娘は幼稚園です。この子まで巻き込む。もちろん、母も。四人家族はバラバラにされていく。
妻には私こそが変態、精神異常者に思える。

のちに、姉に世間までが、この家族を決定的に離散させていく。

真相を知られて保身を図る院長の陰謀だった。

彼女に関する記憶の全てを自分の中から消してしまう。防衛本能だったのでしょうか。
言い方を変えれば、背後霊、守護神、取り付かれた私で生きていくようになった。
自分では気づけない。

家族も、残される家族三人はそれぞれで、生きるために自分を創っていく。

 

 


67 家族を 中

 

「なぜ私たちが犠牲にならなければいけないの」
「会った事も無い人達の安らぎを願い、如何して本当の事を黙り通さなければならないの。なんで言えないのよ」

攻め倦む妻の頼もしくって当たり前の正しさも詰問で責め立てられているのに、厳しさではなくオブラートな鼓膜が巻き包んでいく。
糟糠の妻として熟れた肌の腹立だしさには理解力で一休みできる尤もな夫婦でした。

 

言われている内容には理解できていた、と思うのですが。それだけで、「だから」 と続いていけない。
記憶を完全に失う一歩手前の私には 「考えるチカラ」 など最早一歩先へと旅立たせている。
私は 「私へと一年半で一生を使い果たした潜り好い玄妙さ潜り戸の師範」 に全身で思い沈ませてしまうのです。
どうすることも出来ない裏千家でした。

 

銀座の朝で、それまでは霧の中でも見え隠れしていた背負う姉妹を存在から丸ごとで、記憶から消し去っていく。

今この情況を思い起こせば、頭の中で肝心な箇所を守るために、無くても生きられる箇所を、あったままの会話から状況をパソコンの履歴みたいにして金庫に保管する自己防衛みたいな本能が働いたんじゃないだろうか、と考えます。

 

霊魂に気がふさぐ毎日は私と顔を合わせるのも辛い女たちの家となり、住みにくくする。
阿蘇のペンション住まいとなって週末しか帰らない私でした。
私にしても逃げ隠れていた。

妻も母も、私の経営の破綻で終止符を打とうとしていく。自然の成り行きです。
成仏し得ない霊魂相手に、恐ろしすぎて、夫や息子みたいに悶絶できない。
円満にの同じ屋根の下の女たちにしてみれば健全な免疫力が作り上げる健康的な指向です。
わたしたち指きりげんまんの家族の肖像画は鬼のようなさまでした。
仕切り有る安っぽい家庭ではなかったのに。

 

たわわの芽誓いし短冊春尽くる

 

 


68 パイプカット

 

離婚した私は直ぐにパイプカットするが、それは異母妹弟を創りたくなかったからだし、娘の視点で考えると、自分の母親以外に父が愛した女性を忘れ得ぬ妹やら弟なんて現実を押し付けられなかったから。

そもそも妻が嫌いになったり他に女性が出来て別れたのではない。
離婚の原因なんて今の私でも何でか分からないんだから。

 

分身で漫才された剃毛から白い巨頭から点滴

 

 


69 1/3 阿蘇

 

「土地は見た目通り全てに亘って登山道路に接する」

という、後々に師範が生きた思い出から形見を残す建物を院長と計画した阿蘇では、土地調査から一切を依頼した財閥系の元請となる建設会社が有料となった 「土地調査報告書」 を私に提出していた。
そのむかし農耕馬が通った里道の表記なのに手描きの字図から登山道と間違え、解釈したのである。

見た目には100メートル余りで登山道に接していても、実は隣地の出入り口が細長く私有地としても入り込んでいた土地だったのです。
報告書を受けた一周忌当日での土地の取得後、半年位あとに登山道とは一メートルも接していない飛び地だと判明するが、すでに造成工事に入っていた。この過程で発覚した。

素晴らしい景観の地に今まで何故誰も手を付けなかったのかが、ストンと腑に落ちる。
三井も騙されたのであるが、土地所有者も仲介人も村役場の人間だった。
この時の自分を振り返れば、「景観に奪われて」 周辺も良い人と観ていく自分が居た。

この件も院長の問題で依頼していた私の代理人弁護士に任せたのですが、この弁護士は対立相手となった元請側建設会社の弁護士やこの系列下の数社と工夫し合い、隣地との境界杭を打ち直して、13,3メートルの出入り口を作った。隣地の出入り口を完全に奪った。
隣地にとって、この出入り口は裏口の存在であり、肝心の登山道路に面していた2箇所の引き込み道路の一つでした。
表となる現在の大きな方の出入り口は500メートルほど上った位置にあった。

双方の弁護士の汚さを物語る書類が今も手元に存在する。
『13,3メートルを奪った後で』
私の弁護士は『土地調査報告書によると100メートル有る出入り口なのに13,3しか無かった土地を購入させられた』 とする通知書を相手側の弁護士に送達した。
受け取った元請となる相手側の弁護士は、「話し合いに応じる」 という回答書を私の弁護士に返送する。
この遣り取りで、『購入時には13,3メートルは在った出入り口の私の土地』 となる。

私の代理人弁護士は、
「出入口を作ってやった」
と開き直った。

この元請は財閥系となるが、この財閥が生まれた地は、姉妹の地と重なる筑後。
境界杭を打ち直すに当たっては、接している土地所有者全員の立会いが必要です。
関係者は私を除いて四者だった。
九州産業交通。里道を管轄する長陽村(現・南阿蘇村)役場。国立公園の阿蘇だから管理する熊本県庁の出先機関。

問題は残りの一人。

この御一人は、日本という国で観ても大物すぎる。
この方を完全に無視して、事を運んでしまったんです。
境界杭を打ち直すという、とんでもない犯罪を一方的にやらかしてしまった。

 

 


70 2/3 法律 上

 

現在は熊本どころか全国にも名を知られる有名な観光名所が向かいに建っていますが、この阿蘇の場所において境界杭の打ち直しで一つの出入り口を完全に奪われる隣地は分譲会社の倒産によって放置されていたのです。

丘の連なる広大な地なのに別荘はといえば管理棟の家を含めても10軒も建ってなかったし、その何処にも誰も住んでいない、利用している気配もありませんでした。

総勢四人もの弁護士、大手私鉄、県庁、村役場はこの現状に乗じた。
この分譲地の放置されている全ての地番には三名の債権者が登記されていた。
三者とも関西である。二社は大手です。オリエントリース、竹中土木、あとの御一人が個人でした。
二社の有名な名前からも、この個人の方が只者ではないと犯罪を計画した時点で調査するなり取り止めるなりすべきだったんだ。

それに、境界杭の打ち直しを知った私は、この個人の身元を 「調べたほうが良い」 と何度も忠告した。というのは、この方の名前が 「一般人が名付ける名前ではなかった」 からだが、すべて無視して強引に実行してしまった。

お一人の大物の人物を無視した三者だけで境界杭を打ち直してしまう。
この方は最初っから何ひとつ御存知ありません。
全国にも名を轟かしておられる此の方を有名にした名言は広辞苑にも掲載されている。

村役場の場合は、ぐるみと言っても過言ではない。何人もの職員に部署が関係してしまった。
この放置された分譲地を管理していたのも役場職員であり、私が購入した土地の仲介人であり、周辺の 「水道使用量」の検針員でもあった。一帯に住む人は水を自分自身で確保しなければならなかったのです。

私も例外ではなかった。だからボーリングにて自前の水源を得てから購入する手続きに入っていたのです。
登山道路自体も、このあたり一帯は大手私鉄の所有地でした。県が借り上げている。
もっと標高のある観光ホテルまでを終戦後に米軍がブルドーザーで 「ただ通りやすい」というだけで闇雲に整地していったので、地番なんて字図は無茶苦茶に入り乱れていた。接収した観光ホテルのプールもアメリカっぽい作り方でした。
ちなみに 「やまなみハイウェイ」 も米軍のブルが均した道です。
「登山道」も「やまなみ」も今は呼称が違います。

この境界杭の犯罪、当時の私は普通の事と思っていた。犯罪になるという認識がなかった。
弁護士のやることだし、村に県に大手までもが大っぴらにやるのである。
そのまんま、流れに流される記憶喪失は八月のクリスマスに比翼塚の私でした。

このまま 「青春キャンパス」と名付ける遊戯施設の本体工事に入った。レーシング・カート、テニスコートなどです。

この景色に、
「妹に見せたかった。連れてきてあげたかった」
「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」
姉の言の葉がある。だから購入した。

「連れてきたよ」
話し掛ける。
「遊ぼう」

 

この景色の土地を探すことになった切っ掛けは、そもそも院長が言い出した、「妹を思える土地建物の建設」話に始まっている。

ここに投資した資金は裏千家師範としての彼女自身が私への嫁入り支度金から1000弱を出した。
私は億を超える。
院長のカネなど一銭もない。
これは最終決算である。
おどろおどろしい院長の謀略なども関係ない。
言霊との契約である。

なのに工事中、この墓地を突然に院長が差し押さえてきた。
前触れも無く何故あんなことが出来たのか、今でも全く分からない。阿蘇の七不思議があったら入れて欲しい。

 

それなら私こそ、あの99年間の賃貸契約とやらの駅建物が差し押さえ出来るではないか。

 

 


71 憎しみを植え付けてはいけない 中

 

私たち家族から奪い取った絆に財産を返さねばならないのは、義兄の方だろう。逆切れも盗人猛々しい。

以降、阿蘇の聖地、お墓を攻められるも 「姉が人質」 として誰にも相談できず、墓守りとして、姉に医師会から政財界、行政から大企業、亡父の出身たる大学病院から何から何まで全て、ひとりぽっちにされながらも私は守り抜いた。

なのに、この南阿蘇の墓地、青春キャンパスさえも義兄は篭絡させた弁護士を使って差し押さえ、カネに変えていくのである。

大黒柱として画商として、仕事も家族も失った。
師範との新婚な生活へと南阿蘇での楽しい思い出作りに取り付かれた記憶喪失者の独り善がりは、愛娘までをも結果として捨てている。

 

  


72 良き夜に佳き一日に好き朝に

 

師範の医院の看護師さんたちが道路沿いに画廊の看板を見つけて入場してきた。

「わたしを覚えてませんか」
問われたのですが、
「いや!」
突っぱねる。

その場を足早に、でも静かに離れられた。

「こんな所に住んでおられたんですか?」

馬鹿にされると共に、昔から彼女が元気だった頃から住んでいるみたいにも言われたが、反発すれば後に続いてしまう。

彼女が生きた証だけなら叫び猛りたい激しさ、山彦のキャッチボールで相手が欲しかったんでしょうが、院長に近い人たちとは顔さえ合わせたくなかった。
それでこその御山。

真相も言えず、思い出しても苦しむばかりなんてのは真っ平ゴメンだったんでしょう。深層心理が決断していた。

プレハブに戻ってビューローを開き、日記を書き出した私は横目に無言で、「帰ってください」 と視線を投げている。
連れと話し合いながら帰っていかれた看護婦さんたちです。

私は完全に忘れていた。

あの時は 「すみませんでした」

 

しかし、私が貴女たちを思い出しての会話になっていけば、恐ろしき師範の死から現実で困り果ててしまったでしょう。仕事できなくなる。
それに真相が真相を呼び合って最も怖いのは、姉なる奥様です。
その姉へと 「夫への疑問符を持たせる切っ掛けさえ作ってはいけません」 と姉さん女房気取りな背後霊が命じていた。

苦しくなった夜がだるい朝を招き寄せ、巡る。
数分の出来事でも何ヶ月もの酒びたりとなる。解かっていた。
いたが、解決策を探せなかった。

 

「いってらっしゃい 良い夜を 好い朝を、善い旅を」

 

入り口に書いていた。
観光客との一見さんで終われる日々に逃げる。
こんな日は守護天使も楽しそうでした。

 

  


73 黄白の価値観と質量

 

ある日、キャンパスの駐車場に黒いポルシェが停まった。
わたしは一車種しか知らない珍しいFR。928だったかな?

筑豊の精神病院の院長だった。
別荘用地を探しているとか、こじ付けからヘタな嘘でロールシャッハ・テストをして帰られる。
誰から依頼されたのか。
それにつけても、こんな遠方まで、わざわざ院長みずからとは。
私を抹殺できる手段の一つとして精神病棟を考えるモノだったのでしょう。
御山の大将は見知る人脈と地域たる商圏から食み出ないほうがいいと思います。

首を捻りながら消え去る黒い車体が悲しげでした。 

 

またの日、メガネの検診車でしょうか大型バスが停まる。
異常なし。サングラスを二個購入するも請求書は来なかった。 

 

 


74 第一章 深雪 上

 

青春キャンパスなんてボク自身は気恥ずかしいネーミングだと承知之助だった。
名付け親は天使だ。
この点は押し付けて、そっぽ向く。
逃げます。 

 

ある日、近くの家に大きな日の丸が掲げられた。
横長の看板には 「◯◯◯◯党」 と書いてある。
どういうところなのか、一目瞭然。

 

 

2/3 法律 下

 

隣地に 「その大物の方の組織」 から幹部の方がボディガードを伴い引っ越してこられた。
隣地の倒産した分譲会社の債権者から所有者になられる。
境界杭の件が発覚した。

 

 


75 ろくろ首と言霊

 

何処で寝ているのか、誰かと一緒なのか、生きている世界なのか、目が覚めてから少しの間、ときどき分からなくなる。

飛んでいる。
川を渡っている夢を幾度となく拾う。
言霊か、何時も誰かが追い返した。

 

境界杭の案件で建設会社への、
「取立てを(自分たちに)依頼しろ」
と要求してきた、ソノ筋ですが下っ端二人との出来事です。

首を締め上げていた右腕が、いきなり甘くなる。
空気の隙間ができた。
ろくろっ首みたいに急に伸びたんだ。
それも数センチなんて程度では無かった。

が、動かない岩の如くな硬い抵抗だけで両膝を着けていたので、甘くなった分を締め直す意識は働かなかった。
この時、クイッ、チリソースの瓶の蓋を開けるみたいに半月に捻れば 「首を折れる」意識が確かにあった。
「折ってみたい」 誘惑に駆られる。
本当に映画みたいに 「折れるのかなぁ」なんて実験的な衝動に見舞われてもいた。

連れの、もう一人居た男が、
「死ぬぞ」
叫んだ。

ナイフを握り締めたままの相手の左手首を摑んだ私はそのままの状態を保って、叫んだ男が動けないように威嚇していたのです。

 

懸命に蘇生させている二人の姿を眺めていた。

いきなり工事現場と思しき不協和音を撒き散らしながら凄い勢いで空気を貪りだした。

チアノーゼも消えれば何事も無かったかのように仲間と顔合わせできる。
あんな建設会社がやらかした失敗に始まり、上塗りした官民あげての犯罪行為を一番被害を被った私が何故命がけで守りぬいてやらなければならないんだ、って何時も悩み苦しんだ。

行き着いた結論は、死ぬ瞬間。

人は死ぬために生きている。

それは何時なのか分からないが、

死ぬ瞬間は“生きた満足感”が欲しい、自分の為。

言霊が教えてくれました。

 

 


76 3/3 裏と表の社会が反転した犯罪

 

 隣地の人たちに、表の社会を代表する行政や企業から境界杭を動かされて出入り口に取り付け道路となる要の土地を奪われたという一件が露見する。

 

真夜中であり私は寝ていた。
拉致された。
そのボディガード (元・武闘派、柳川組組員)に。
十人以上は居た。
何も喋らなかった。
途中で逃げ出せた。
所轄署に駆け込む。

このボディガード、、、

 

裏社会の人たちとの緊張感は、私が地獄に堕ちる人間に成り果てるのを助けてくれた。
一キロ四方で住んでいるのは私たちだけになる隣人同士となった逃げられない立場においては、絶対に守らなければならない 「付き合い方」があった。
幸いにも身に付けていたから、私は生かされている。

嫌らしいのは、逆転した社会から秘密を握る私を抹殺する手段として次から次に仕掛けられる 「えげつなさ」である。
院長と地域の取り巻き、財閥系から権力の構造、地方行政に身の安全と既得権益を手放すまいとした村八分。ここに影響力で行使された法曹界から警察が加わる。
まるで世界中を相手に、たった一人で戦っているような感じ。

なぜ向かってくるのか根幹の記憶がないんです。
そこに明らかな境界杭が加わっても根幹が揺れているから、揺れが大きくなるだけ。
抹殺する手段が酷くなればなるほど根幹の失われた記憶が激しさに呑み込んでしまう。

 

「みんな守ってあげてください」
天使から命じられていた。
忠実な下僕になれる自分で満足というか、幸福な新婚生活でした。
だから守護天使で居てくれたんだ。

十一月から翌春、戦争勃発。死者五十人弱かな、知らないがそんなもんでしょう。日本最後の内戦、と形容されている。
守られている幸せにも気付けない幸せな村であり、日本と言っても良い大きさもちっぽけな社会でした。
ここに上意下達の悲しみが加わる。高みの見物しているだけだった。
ここでの数ヶ月もの間、二十四時間で、目の前で見続け、見えぬ夜の彷徨を私は生きた。

「熊本では何も事件を起こしてはいない。福岡の事件だ。本部長にやる気がない」
だった。
現在、凶悪犯罪発生率は最悪、検挙率は最低。

戦争は巻き込まれただけです。
だが、この三年後に発生した抗争となると全く違う。
ここまでの表の社会が私を抹殺すべく繰り出し続ける手段が飛び火したのです。死者三名。都政最大の組織的と化した八王子抗争である。

この真相こそ 「闇から闇」 葬られている。
裏社会は最初っから最後まで完璧に表に利用された被害者ともいえる。
裏社会の方たちが気付かなかったのは戦争との関係を警察に知られたくなかったからの思惑が跳ね返っていたからだ。

 

 


77 第一章 深雪 下

 

戦争になります。
福岡から掛かって来る知り合いからの電話は、この話題”で持ち切りだった。
中洲どころか繁華街からも人通りが無くなった、とか。
ですが私は、福岡に行くソノ筋の人たちは 「ココに集まっている」なんて言わなかった。

 

 


78 自殺願望

 

怖い時間軸を、木刀を持ったホンモノの人たちが巡回している森の日々に作っていた。
さまざまな組織の人たちが居た。
ここには刑法も道交法も存在せず、法治国家ではない、シマだった。
たとえ形でも、成績や繕う都合でしか寄り付かない。知らん振り。
先進国と威張っているが、カネに年金なんかを第一として考えるのは、私に言わせれば発展途上国だ。

 

師範の病室、彼女はキリスト教で自殺を禁じられているのに、
「殺して」
姉に頼んでいく。
わたしも実践した哲学、だけのこと。

「戦えるのはボクだけ」
潜在意識で生きる。

幾度と無く比翼塚の御山を下りようとも考えてはいた。
娘に会いたかった。そばに居てあげたかった。

が、
「逃げ帰るな」
墓標や墓碑銘さえ忘れている歳月こそ頭の中に大切に仕舞いこんで動かされているのに気付けず、出て行けなかった。
彼女を師範を捨てられなかった。

 

互いに抗生物質を作りながら溢れ、トラブルとして繰り返されてった。
戦争は終わった。
しかし新たなる・・・・・、

ただ死にたかった。ただ殺して欲しかった。

早く彼女に会いに逝きたい・・・
と、そうこうしているうちに生きる目的が勝手に生まれ、やりたいことに知らず知らずに気付き、流れのままに記憶を取り戻し、恥ずかしながら還暦も過ぎてしまいました。
歳を取るのの早いこと早いこと。爪の伸びるのも早くなる。
歳を取れば取るほど、一年一年が早く終わりだします。 

 

  


79 混浴露天風呂に良い人、悪い人・真の姿

 

胸から肩へ腕へ、肋骨を背中へ、肩から背中は尻から太股までをも占める刺青。唐獅子やら観音様、上り竜だの鯉に牡丹か桜か。

正にCanvas。素晴らしい作品で魅せてくれる露天の午後は何時も突然。
露と弾いて煌めき、動きに色彩が筋肉となって生き生きしだすのは芸術でした。

 

おやすみのまだ言わないで今朝の夏

 

なのに、混浴露天風呂なる公の場で、男と女、三対三、六人のグループが先に入浴していた明るい時間帯に起きたトラブルが、後に抗争を勃発させる一因ともなった。
この男たち三人は警察関係者らしい。
それが東京の組織を後押ししてしまう結果でも裁かれるとは、この時に誰が予想できたでしょうか。今でも信じられない。
抗争にまで発展した原因の全てが、裏千家も師範を二度までも殺した上に私から財産も仕事も家族さえもすべてを奪い去った院長の保身を図る謀略に始まって走り出し、この男たち三人から恨みを受け継いだ所轄署の一人の刑事に誘発されたと言って過言ではない。

私が青春キャンパスでアルバイトしていた近くの東海大の学生たち四人を連れて後から邪魔をしてしまったとはいえ、この六人は湯船の真ん中で横一列になって座り込み、通せん坊。
子供みたいですが、しかたなく何も言わずに私たちは湯が最も汚れてくる手前でひとかたまりになる上に背中を男女六人に向け、静かに温まっていた。
なのに、一方的にケンカ吹っかけてくる。
六人だけで露天風呂に入りたかった気持ちは痛いほど良く分かるが、やりすぎだ。
私は名乗ったのに自分達が名乗ることはない。
それどころか私の住所から、所轄署が何処になるとか専門的な言葉まで仲間内で大っぴらに話し合い、
捨て台詞を残して、やっと立ち去る。

 

おやすみのもう言ってくれ初景色

 

混浴を邪魔された恨みを嵩にかかった態度は、所轄署に事を根回しした現実は私を周囲から切り崩す三年に及ぶ歳月に事実で膨らんでいく。

まるで純愛モノと任侠モノが自然に合体したドキュメンタリー映画みたいに、都政最大となる八王子抗争への奇なる軌道を院長に引きづられて走りだす。

 

打たせ湯のもや穿つ靄今日の月

 

こんな権力の構造とさえ戦えないのが私の覇気だったのならば、とっくの昔に師範との生活に入っています。
阿蘇ファームランドの真ん前に山小屋が在る。
あばら屋となるもグリーンヒル南阿蘇の守り神とした誇りで、今も建つ。
解体したくても私一人ではそれこそどうしょうもない存在理由を抱えて。

 

忘れ去る優しさありともて鎮み息引くそのへ早や投げ入れよ

 

 

混浴露天風呂に似合う娘たち 3/5

 

混浴露天風呂に似合う娘たち 1/5

 

混浴露天風呂に似合う娘たち 4/5

 

 


80 病院へ行こう: 19年も淡交会の師範に関係する記憶を喪失していた 

 

女々しいと笑わば笑え後の月うらやましかろ一つに二人

 

供養しな塚の絵的は 「あら」 の歌。
岩群青の夕霧が円卓会議で沈み繰りする。
色めかす夕日影から匂やかな女の雨には寝たふりした仮初めの戯れは、
まさに七夕の月も七日だったのです。

なんだかんだと考えださず、硯の海に溺れ、仄仄しくも一寸法師にされて霞み渡るを観るは、
悩殺される朧月夜のマリッジリングへと魂の夜空でした。
それも、それはそれとしてのそれっきりの一夜限りで終わらず、
懸け橋へと七夜もに繋ぎ合わせてくれたのです。

十五年ぶりらしい火星の大接近が明けて晴天の夜から月との三つ編みになり、
心得た顔でもてなしてくれる星屑に酔いしれ、
天気だけでも良いから 「毎日で欠かさずに日記は一行でも」 をと、
生かされている当直日誌が何故なのかも分からずに書いていました。

 

誰のかも分からずに毎食で意味させてしまう陰膳が、やっと飲み込めました。
呼び起こされて 「居た天使だ!」 と。
愛で逢いの月に 「彼女する!」 へとにこやかに思い集められます。

 

完全に思い出せるまでには更に八年の歳月が流れます。また忘れるのですが。
が、翌月の六回忌には東京から出席した弟子の娘とも偶然に知り合えて師範の思い出話に花を咲かせられました。
この愛弟子との出会いが無ければ、私は間違いなく立ち直れなかったでしょう。
愛弟子と別れてからは、また師範を忘れ、次に思い出せた時は、2000年にもなっておりました。

 

暮れなずむ烏瓜持つ冬の野は人魂なりし白骨の命

 

野の花に見えざる素顔冬の蝶妻恋い鳥(雉)は駆けずるばかり

 

森の弁しっとり刻むおかんむり匂い溢るる今日は二度なし

 

身で詫びる無言詣やまだ七年 


 

 

 

 


みんなと過ごす1月12日(土)

2013年01月13日 09時13分38秒 | みんなと過ごす作品展 
 

#キュン旅網走 今日の網走は、晴れ、最低気温は-13度、最高は-5度の予報。今年の北海道は昨年12月以降の厳しい寒波で、各地で記録的な寒さに見舞われている!!流氷も例年より早く既に能取岬沖約20㌔に近づいてきた^^ pic.twitter.com/Lq1SqBdF

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twitpic.com/budndr 今朝の御嶽山。朝焼けが始まりました! #kisodani

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これはネオアームストロング砲であわりません。どんど焼きです!どんど焼きとは正月の伝統的な火祭りです!正月の飾りなんかを一緒に燃やすんです!!"@Furuya445: 今これ作ってきたおーヽ(^o^)丿めちゃ寒かった pic.twitter.com/QTFeMzwm

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日本四大烏城、松江城! pic.twitter.com/SaJJzkO8

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ゆーあと七里ヶ浜の温泉いってきた???? ?????むちゃ宮之浦岳いきたい!山登りした~い?? pic.twitter.com/EEoID1dW

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息子、おめ!RT @adankao: 明日、成人式を迎える息子から感謝の花束を頂きました。^^ 号泣! lockerz.com/s/276321153

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Twitter の今日、みんなと過ごす作品展。内容案内 blog.goo.ne.jp/goo60xyz/e/bef… 

#勘三郎恋し 112これは…丈志の背中?!凄い!無駄のない筋肉!こりゃ楽しみ♪ " 111俺の“折れない心”に 110信号待ち ~ 1205<訃報>中村勘三郎さん 他300件以上


素敵♪ ( ´ ▽ ` )ノRT @GalaxyMoon7 おお!ヽ(*・ω・)ノ RT @_murayama メジロと緋寒桜。沖縄本島の八重岳にて。 twitpic.com/buhihu

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大俵引きには間に合いませんでした(>_<)が、俵の大きさだけでも伝えますね!高田の大俵引きの模様です(^-^)/ pic.twitter.com/bCMVjy2i

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みんなと過ごす1月11日(金) blog.goo.ne.jp/goo60xyz/e/700… 

 

#幕張メッセ @AUTOSPORT_web 東京オートサロン @sakuyastaff 食虫植物とは思えない綺麗な花 @glaciarium_ 八甲田 凍り付いて

#テレビ東京 @nomura60kg 折れない心 @YukieKawamura まほろ駅前番外地 @ryuukyu_Lan 月が最も美しいのは一三夜 @tabineko1

#宮古 @owl2525 @MIASKIRESORT 毎日が撮影日和 @etplace 漁火光柱(いさりびこうちゅう)

 

#沖縄 @goyahso 寒避桜、一分咲き @koi_cha 御神渡りに期待  @Astro_Soichi 洞窟からの年賀状

 

綾瀬はるかさん、今日は会津にきてくれたんだね。今日からオープンした八重の桜、大河ドラマ館に日付入りでサインがしてあった。また何度も会津を訪れてほしいな。 #aizu #八重の桜 pic.twitter.com/ECEfZLTs

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Twitter 111 俺の“折れない心”に付き合ってくれてる身体と、やりたい事を
Twitter 112 これは…丈志の背中?!凄い!無駄のない筋肉!こりゃ楽しみ♪  mytubaki.blogspot.jp 

 

#北海道 @nanase_aikawa @goohoo キノコ氷 @marukocat 懐かしき銀幕のスターたち

@hitomituru 安納芋どぶろく @08sas @yoichiomar 旧宗主国フランスが

#竹田城 @ochanoko_07 熱田神宮 @4travel 一面の銀世界に天空の城と雲海

 

#松田丈志 @swimmerhagitomo ボクらの時代 ■ 上原浩治 × 大畑大介 × 建山義紀" @houougoya 年末年始風景 @eco_sahou 熱海梅園の梅まつり

#ISS @nezumi32 土俵祭 @Astro_Soichi グーグル+イベント @OrangeKuzilla 報道写真展 @NanaseNews 抽選


原点回帰 「 第八部 鶴翼 117 - 完結 」

2013年01月12日 20時23分07秒 | 原点回帰 

どんなに物凄い権力の寄せ集めでも根底にどす黒く横たわるのは、カネ。カネである以上、叩き潰せる。 、、、現実、、、 余りの不可解さに記憶を取り戻せた私。一番大切だったのは 【自分を信じきれる心】 これがなければ潰れていました。(117 百億持ち米国逃亡の国際問題と原点 下 より)
#母子家庭

 

 

                                            2012年(平成24年)10月22日  一回目の投稿日

 


「原点回帰」 一気に仕上げる国語力どころか体力までなくなりました。
かといって立ち止まっていたら何時までも前に進めない。
出来るだけ毎日で書き込みつつの完成に近づけたいと考えております。

2012年10月7日 
待ちに待ったブログへの訪問者が来てくれた。私の知人ではない。師範の、です。こういう方の来訪を待ち望んでいたのです。やっぱり、ツイッターでも繰り返しツイートしなければならない、と痛感しました。

 

あらすじ 【  朝顔  】 これは記憶喪失からの回復過程で投稿したページを羅列しただけでしたが、現在の投稿段階で軽薄も猪突猛進に反発される方には、まず日本史を学び直して頂ければ有難いのですが。

 

原点回帰 「 第一部 純愛  1 - 23 」

原点回帰 「 第二部 殺人 24 - 43 」

原点回帰 「 第三部 告発 44 - 59 」 

原点回帰 「 第四部 言霊 60 - 80 」

原点回帰 「 第五部 薫陶 81 - 93 」

原点回帰 「 第六部 記憶 94 - 106 」

原点回帰 「 第七部 法治 107 - 117 」

上記を読まれてない方は目を通してからにしてください。この物語は三流以下でも推理小説な内容なんです。

 

そして、挿入する私のは句に詩に非ず折れそうな心の接着剤です。
タイトルに挿入するリンク先は原文。

 

介護 【 病室の母 】 と 私

十一夜  家族

 

 


117 百億持ち米国逃亡の国際問題と原点 下

 

憎い彼女でした。そして愛おしかった。なぜだろう、逆らえない。


忘れていた素直だったであろう幼子ではの自分になる。
男と女の心の奥に日々で運動する凹凸の波が何かの弾みで、ピッタリ収まってしまった。湿り気で膨張した桐の箪笥の引き出しみたいに離れなくなってしまう。それだけのこと。

ただ、だから、彼女は逝った。応えなければ、男ではいられない。

こののち何人もが殺された今も、院長を告発した途端に医院を息子に代替わりして、本人は米国移住なんてので今に至るも、カネも何もかも犠牲にして社会を守り続けた私の過去に後悔はない。が家族は違う。
が法治国家としては、これで済ませてもらっては困る。なぜ、移住できたのか。この問題が公になって喜ぶのは裏社会の人たちです。だから捜査も打ち切りでは納得できない。



「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」 この言の葉、
「姉は守ってください」 との彼女の遺言にしてしまっただけの私。
単純なこと。『姉だけは・・・』 こう言い遺されては、どうしようもない。だから悔いもない。

が、母に元妻に娘は、家族は、別だ。

 

  

復習かつ大学病院での性犯罪かつ予習 下

 

人脈。連携を保ち、

背景。犯罪を重ね、

経緯。手足になって働き、

世間。風評もカネまみれで流布させた結果、

歴史。戦争の続きとした抗争勃発、

抹殺。全てを揉み消そうと、

原動力。犯罪者に仕立て上げようとするも失敗、



何も、何ひとつご存じないままに姉も彼女の下に逝かれた。
雲の上から観られている私です。恥ずかしい死に様はできない。



どんなに物凄い権力の寄せ集めでも根底にどす黒く横たわるのは、カネ。

何十億だか、百か二百か三百かは知らないがカネである以上、叩き潰せる。

現実。余りの不可解さに記憶を取り戻せた私。

一番大切だったのは 【自分を信じきる心】
これがなければ潰れていました。

 

 

向こう正面

外堀

 

 


118、憎しみで植え付けてはいけない 下

 

愛娘にはまだ会えない。セーラー服さえ私は見てない。怒っている、でしょう。何一つ聞かされてないんですから当然です。

会うには、まず過去から説明しなければなりません。
それも思考回路の過程で裏千家から師範から姉から院長への怒り憎悪が生まれるとしても、映画を観た終わりには 「消えていく」 感想で娘には、したいと考えてます。

会話から入るのは無理だ。
ブログが最も適している、と思いつきました。
静けさを覚える自分の時間から、じっくりと噛み締めてほしい。

ですから、ブログの初めての投稿から、内容は私自身を抉る書き方に傾けていくのに苦悩しました。

二つのブログからツイッターの存在理由の第一は、ここにあります。
娘への謝罪から説明に尽きる。

 

 


119、

 

 



120、下の妹へ (2010年07月25日 投稿より)

 

医師会、財界、法曹界、居心地良き上流社会でしょうが、母が心配している。
師範殺しから抗争に関係した社会が何故、私から貴女へと取り巻いていったのか。

貴女は私の情報を得たい勢力に最初っから利用されていた。
今は私を周辺から圧力を掛けて黙らせる為に、母から苦しめようとのホンモノのワルに成り果てた上流とやらに操られている。
それと知っていても何故わたしは何も言わなかったのか。それは嫁入りした貴女だから。
私を恨んでも構わない。だが母は切り離して考えなさい。そうやってワルは何でもかんでも一緒くたに受け止めさせ、枝葉なのに、さも当初からの根幹めかして太らせる。
東京もんから馬鹿にされ続ける田舎の構図だ。あなただって東京から福岡に帰ってきた当初は嫌っていた社会の在り方でしょう。思い出してください。

医師会長周辺との付き合いがそこまで深まったのは何時ごろからなんですか。
そこの会長の娘さんが貴女に対して偉そうに語る様子が目に浮かびます。あの家で私は商取引した実績はありません。それどころか姉妹から絵画を担保に借金してあったので清算してあげました。はっきりいって五百近くを捨てたのですが、後見人の座を捨てての過去は消えない。それも、担保としての価値は借金の3分の1程度しかなかったし、手持ちの売れる絵を一点出されれば円満解決していたでしょうに。
そして、とある年に高額所得者番付も一位へとポーンと躍り出たのは、何故? (笑)

さる先生の夫人を、姉妹は言葉にはされないが、嫌って居られた。そこの先生は私にとって得意先も最も大切な方のお一人でした。診療科目は違えどもスープの冷めない距離での開業でもあり、◯◯だから仲を取り持ってあげたくて1000近くを捨てました。が、双方ともに、私の行為をご存知ない。

カネで人を助ける時には、それと知れては、表に出してはいけないのですよ。

九大在学中に司法試験に合格した弁護士の夫人と知り合った切っ掛けは? そしてそれは何時? 何故私の依頼人だったその弁護士が会長になったのか。「112  4/6 時効は停止した」 に、2006年5月23日からで記載。

キリスト教関係は? 誰からの影響なんですか。外科の開業医でしょ。
私が丁稚奉公している時代における、何か勘違いしての悪評を娘さんはバラまいているみたいですが、途中で入室してきての思い違いも甚だしい。 

なぜ、傘は売れたのでしょうか。(笑)



全てが関係先あるいは周辺のご婦人たちではありませんか。
「110 2/6 国外逃亡」 の1995年に記載。2000年3月22日からの分については卑しい電話番号の記録も着信専用電話にて保存しています。 

 

このブログの内容に貴女の周辺で起きた関連する出来事と 原点回帰 「 第七部 法治 107 - 117 」 の年表とを日付けから照らし合わせてごらんなさい。

何が観えてくるかな?
わたしは、なにひとつ、助けてあげられません。 

が、、、画商として知り得た情報に対する守秘義務は、私には、、、ない。
たとえ50億相当の当時は裏金だった美術品に大なり小なりの詳細でもね。(笑) 

 

その老椿は

 

 

_______________

2012年7月7日
この七夕さまの日に母は退院しましたが、ここへの三年、いや十年、院長に通じて逃げまわる術を求め続ける人たちに聞かせたくない真実には須らく偽りを母に話さなくてはならなかった。
情け無い。

この件に関して貴女と話す席はありませんでした。これからも、ないでしょう。
嫁入りした家として自分たち家族で苦しみ、解決させなければならないのです。
それが、妻であり母の務めです。 

 

2012年10月29日
「私を止めないと(お兄さんを止めてくれないと)、 刑務所送りになるから、「子供たちの(特に姪っ子は医療関係だから伯父が前科者になれば)将来に影響を及ぼす」と脅されてから何年になるんですか?」

私が知り得てからでも、三年は過ぎます。
いえ、貴女の周辺では1994年も終わり頃、少なくとも1995年には始まっていたのでしょうね。

 

 

(ここまでは 「 122 の 愛娘 」 と同時進行になります。ここが肝心要だと思うのですが、妹も甥も姪も、私のTwitterからブログの存在を、知らない!)



121、

 

 

 

 



122、愛娘からの便り (20100921投稿 非公開)

 

一人娘が検索から私を見つけて名乗り出てくれたんですが、なんといったら良いのか突然で、まだ言葉が出ない。
なんてったって、二十数年ぶり。
まず、メールから、少しずつ焦らずに。
娘にとっては、「両親の離婚から家族の過去を、何があったのかをブログで知る」大変な苦労が降り掛かる今日からなんです。
心配です。



ブログを開けてくれれば、あらまし程度には解ってくれると思いますが、
信じられない思いが強く働きすぎてるんじゃないのかな。
だけど全てが現実なんだ。

黒猫の女性とは山小屋の建設中に一~二ヶ月一緒に居た。
あなたが電話してくれた時に受話器を取ったのが、その女性でした。
受話器を取ったのを後悔していたよ。

2月22日と〇月〇〇日は毎年、、、

ブログは焦らずに、一から、ゆっくり読み進んでください。
それと、みんな元気だよ。

「私に捨てられた」って教えられているのは、あなたとお母さん、女二人で強く生きていくための方便だと思います。

・・・・・

 

________________________

追憶の日々 (20100928投稿 非公開)

 

消息不明だった一人娘がブログを見つけてくれました。
悩み苦しんだ末の十九日夜にメールを寄せてくれたのです。
そこから両親の離婚から何から何までの真相を一気にブログから読み解く辛く悲しい時間が回り始め、メールだけですが何通も交わしました。でも五日目となる二十四日夜に途絶えたきりなんです。
思い出したくないのでしょうか心配でたまりません。

・・・・・

 

_____________________

旅立ち (20100929投稿 非公開)

 

離婚した妻は旧姓を名乗っている。だから娘もです。
当時は寂しかったが、こうなってみると本当に良かったと思います。
明後日から仕事ですね。毎日祈っていきます。
歩み、頑張りすぎないようにね。

・・・・・

 

______________________

初出勤 (20101002投稿 非公開)

 

 01:07 from web 

今日からだね、無理しすぎないようにね。何時でも、メールしてねっ。。。手紙でも何でも貴女の思うがまま、気の向くままで良いんだよ。。。
08:43 from web 
☆ おはようございますっ ♪  いってらっしゃい ♪♪ 横断歩道は右左よく見て渡るんだよ ♪♪♪
13:11 from web 
娘のメールアドレスは知っています。でも嫌がるかものドアに偉ぶるノックは、したくない。Twitterを活用させていただきますので宜しくお願いします。

・・・・・

 

______________________

介護 【 病室の母 】 と 私  三月の母 12-31日 から

 

2011年03月26日


娘へ、、、ありがとう。。。

「おいしかったぁ」って目を輝かせてたよ。。。瞳の奥には孫を写す解りやすい表情で、、、

って、今日から甘い物は一日一個に制限されたってさ、、、あはは。。。

だいたい、この十年以上もは甘いもの好きも度を超えていたから当たり前どころか糖尿病にならなかったのが不思議なんだから。。。

これで“やぶれまんじゅう”を買いに走らされそうな心配しないで済みます。。。

、、、苺は別らしい。。。良かった。バナナも一日一本ね。。。


___________________

2011年03月27日

20日、わざわざ遠い地から娘がブログを参考に「やぶれまんじゅう」とか色々持って病院に母を見舞いに来てくれました。なのに10年ぶりの母どころか20年ぶりの私も会えなかった。

孫が見舞いに来てくれたと知らされた母は車椅子をリハビリの男性職員に押してもらって必死で追いかけたのです。何も知らない職員は驚かれたでしょう。この職員の方を呼び捨てに「グズグズしているから」って悪態ついておりました。。。「申し訳ございません」

母は孫の後ろ姿を見つけて名前を叫んだそうですが、あの声です。とても遠くまでは届く声ではない。振り絞ったのでしょうが、、、

あとも大変です。孫を見た職員の方々に様子を聞き回り、「確かに孫だと、私の娘だと確信したそうです」 私に後ろ姿の見たままを事細かく教えてくれました。

娘へ。。。ありがとう。。。すごく喜んでいたよ。。。

 

__________________ 

母からの伝言。 「娘へ」

あの時やきそばを作ってあげなくて、、、と言って泣いてました。私には何の話だか分かりませんが、「やきそばを作って」 せがまれたのに作ってあげなかったらしいのです。それを思い出して凄く後悔していた。作ってあげればよかった、、、と。

「いつか会えるよね? 会えるよね?」 わたしに同意を求めてくるのです。もちろんです。それを楽しみに手術から術後からリハビリを頑張るハリが出てきたみたい。

結婚は、してほしい。

もう10年も見てないから写真がほしい。

いつでも帰ってきなさい。待ってます。

欲しいものがあったら送ります。

 

_____________

上の妹の長女、つまり姪っ子とメール交換しているらしい娘でしたが、去年末(2011年)か今年の春頃、それも途絶えたらしい。

 

2012年10月29日
「120、妹へ」にて書いた「私の情報を知るために母に近づく貴女への対策」として、私は母にも偽りごとを、聞かれたら話さざるを得なくなりました。
それは上の妹へも、その姪っ子たちにも伝わり、メール交換する私の娘にも伝わる。
結果が、娘と姪(この姪も医療関係)においても途絶えたメール、でしょう。
さみしい。 

 

(ここまでは 「 120 の 妹へ 」 と同時進行になる投稿です。ここの妹も二人の姪も私のTwitterからブログを知らない)

 

 



123、

どこまで、、、
医師会の重鎮だった亡父側の親戚にも長年にわたって圧力というか迷惑な話を持ちかけていたみたいだ。
「伯母と連絡が取れなくなった」と母が嘆き、心配している。ご高齢だから「入院でも」と。 
途絶えた理由がまたしても 「あの医者にあるのだろう」 とはとても言えない。 

 

 

 


病院へ行こう: 賑やかな小鳥たち

病院へ行こう: それぞれのテーブルマナー 「月命日」

病院へ行こう: それぞれのテーブルマナー 「撮影禁止に紅組のTL」

病院へ行こう: 祥月命日

 

 

 

 

 


みんなと過ごす1月11日(金)

2013年01月12日 08時54分58秒 | みんなと過ごす作品展 

おはようございます。今日から東京オートサロン開幕です。最新記事は随時お届けしますが、Twitterでも少しずつお届けします。DIXCELブースにはGAINERの新車がありますが、このシルエットは…… pic.twitter.com/mKfD77BE

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ウトリクラリアのネルンビフォリアとレニフォルミスの交配種です。食虫植物とは思えない綺麗な花を咲かせています ヾ(?´∀`)ノ bit.ly/VNy2DX 

相浦照吉さんがリツイート | 1 RT

八甲田ロープウェー。これ乗れるんだろうかというくらい凍り付いてます。山頂駅の看板も着氷しまくりです flickr.com/photos/glaciar… flickr.com/photos/glaciar… 

相浦照吉さんがリツイート | 2 RT

俺の“折れない心”に付き合ってくれてる身体と、やりたい事をやり続けられる環境に感謝し、今日も頑張ります。皆さんからいっぱい応援メッセージを頂きました。本当にありがとうございます。 twitpic.com/bu59nx

俺の“折れない心”に付き合ってくれてる身体と、やりたい事をやり続けられる環境に感謝し、今日も頑張ります。皆さんからいっぱい応援メッセージを頂きました。本当にありがとうございます。
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お久しぶりです♪撮影ではお世話になりました!いよいよですね☆ RT @hitoshione: 今日深夜0:12~テレビ東京系にて「まほろ駅前番外地」がひっそり始まります。面白いので是非ご覧ください。感想などありましたら聞かせてください。

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ツキヌ カイシャトゥカミッカ、ミヤラビ カイシャ トオナナツ 『月が最も美しいのは一三夜(満月になる手前)乙女が最も美しいのは17歳(大人になる手前)』※八重山民謡 月ぬ美しゃの一節 #ryukyu_Lan

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@tabineko1 こちらのカンムリワシは、西表島で一番観光客に親しまれ撮影されているウラウチ君です。雨の日も風の日も浦内の観光客を見守ってくれています、ありがとう。#沖縄離島 #先島諸島 #八重山 #八重山離島 #竹富町 #西表島 pic.twitter.com/kaYJNRpr

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ワンダフル!┗(^o^ )┓ RT @tuituitwittar: ここは良さそうだ。わりと有名撮影地だけどね。 pic.twitter.com/ckGyx1I6

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今日も快晴!このところ毎日が撮影日和。 fb.me/2uJEIGkW0 

相浦照吉さんがリツイート | 1 RT

漁火光柱(いさりびこうちゅう)。浄土ヶ浜(岩手県宮古市)にて、8日03:15撮影。光の加減で、柱が最もカラフルに見えたころ。 #i385 #iwate #mysky pic.twitter.com/XU9vYZqu

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沖縄の寒避桜、一分咲きってとこ(笑) pic.twitter.com/QEUMau4H

相浦照吉さんがリツイート | 4 RT

みたい!RT @mikarinrinrin: 寒そう! ( ・??・?) RT @Catalyst_LTE: 諏訪湖!全面結氷!!今年も御神渡りに期待。それにしてもこの広さ全てが氷、見事です! pic.twitter.com/p3B0rUn2

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Postcard from ESA #CAVES 2012 Credits ESA / Soichi Noguchi flic.kr/p/dgpaYi 洞窟からの年賀状?幻想的な雰囲気がよく出てます。サルディニア島の洞窟より。

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Twitter 111 俺の“折れない心”に付き合ってくれてる身体と、やりたい事をやり続けられる環境に感謝し、今日も頑張ります  mytubaki.blogspot.jp

 

#負けず嫌い @twinavi ヤマト @YukieKawamura まほろ駅前番外地 @dingo0014

#東京オートサロン @aoyaasuka @Kaz_Yamauchi グランツーリスモ15周年

#相撲 @nomura60kg 本当にありがとうございます @sumokyokai 新宿ちゃんこ場所 @swimmerhagitomo 鼻血ブーだよぅ @YukieKawamura 舞台情報

#Facebook @ko_shibasaki @kyonow 京都ゑびす神社 @kantei 開設 @ANNEinfinity 反対方向に乗って

#アップルパイ @mamasaya @masachuu 根室港


世界的希少車も…物納クラシックカー9台売却へ(読売新聞) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/yomiur… 

関東信越国税局(さいたま市)は、相続税の支払いのために物納されたクラシックカー9台を売却すると発表した。「ACソサイアブル」(英国・1913年式)や、

みんなと過ごす1月10日(木) blog.goo.ne.jp/goo60xyz/e/ef4… 

 

 #星空 @kapioyaji 肉眼でも「地球照」 @zaouss 冬晴れ @godivako 【謹賀新年】って写真 @mamasworks ネコのレオくん

 #軽井沢 @takamiishigoya 白駒池 。YUI復帰 @sakuyastaff 夜咲きのスイレン‘レッドフレア’ @picchio_picchio 氷瀑

 #柔道 @ko_shibasaki @oyy_5621351 寒牡丹 。野村、2年ぶり復帰へ=38歳「負けたら終わり」

 

#梅 @kakegawakachoen @vanilla_t 天満宮さま @Ibaraki_Kouhou インフルエンザ

 

Twitter の今日、みんなと過ごす作品展。内容案内 blog.goo.ne.jp/goo60xyz/e/bef… … 

 

#記録 111俺の“折れない心”に 110信号待ちいきなり 109さりながら 108向井理 107「夏の七草」 106片瀬海岸 105今日は小寒 104遭難者以外 他300件以上


 
 
 

原点回帰 「 第二部 殺人 24 - 43 」

2013年01月11日 21時31分27秒 | 原点回帰 

姉は病室に畳を運び入れ、娘さんとの二人で24時間の体制を独自に作られた。重い紫檀家具の衝立も病室内に運び込まれる。医師や看護師に内鍵を外してのドアが開けられても密室は天井しか見えない。回り込んで、やっとの彼女のベッドが覗いた。(27 費用 より)

 

 

原点回帰 「 第一部 純愛 1 - 23 」 

 

原点回帰 「 第三部 告発 44 - 59 」 

原点回帰 「 第四部 言霊 60 - 80 」

原点回帰 「 第五部 薫陶 81 - 93 」

原点回帰 「 第六部 記憶 94 - 106 」

原点回帰 「 第七部 法治 107 - 116 」

原点回帰 「 第八部 鶴翼 117 - 完結 」

 

 

良い子ぶる面の造りに古のひ弱な裸ひまわりを看る 

 

 


裏千家について

 

私にとって、茶は飢餓感を埋めてくれる席でした。

仕事が順調であればあるほど、何処かに飢える。
埋め合わせてくれる何かを探す。
解放感だと誤魔化して遊びに走るのです。
走れば走るほど渇くのに、それでも走り続けなければならない。
中洲に女に車、モノにカネを求めるに比例して激しく飢えるのです。

喘いでいた。
こんな時、飢餓感の一切合財を 「無」 にしてくれたのが、

【この娘】 の茶でした。 

「お茶」と言った私に、
「むやみに 『お』 をつけてはいけません」 と師範の姉は教えてくれました。

頷く彼女。
これ以来、私は 『お』 をつけない。

茶について私が書けるのは、この二点しかありません。
考えない。
裏千家というより、師範を冒涜するに他ならない、と感じるから。 

 

 


24  愛と清貧の戒律 下

ワンピースの後ろ姿が目に焼きついています。
振り返らず、歩きには迷いなく、ドアが閉まる。
・・・・・時の彼女、自分の胸の異変、乳がんかもとは、感じていた。

 

大学病院 下

服に戒律を内に秘める所以の見返り美人といえる。
「椿灰」 ここに遺志となって生まれるのです。
あの流れの後ろ姿、ほんとうにきれいでした。
・・・さすが、、、

 

28のままに<椿灰>裏千家師範のクララは逝った : 余命2週の宣告は乳がんだった

聖女クララに透明な師範に生まれ変わったあと、
遺品の整理をしておられた姉は見つける。

癌に関する新刊を・・・

 

 

内鍵付き病室 上

 

密室と化す病室全体を対象に高みから見下ろす絵図面なんて誤って聞き違えたい・・・ 

そうはさせないと、解説者が現われ出でる。

「一ヶ月でも早ければ。痛みはあったはずだ」

「妹には教えない。最期まで隠し通す。病室には鍵が掛かっている。面会謝絶の札も掛かっていて行っても会えない。俺が伝えておいてやる。出しゃばるな。家族の問題だ。口を出すな。もう関係ない」

「家族の問題」 という言葉が一番重たかった。

わたしはまだ家族の一員ではない。
家族だけの大切な取り返しの付かない2週間、だと考えてしまう。

 

病院へ行こう: 茶を楽しむ 

 

裏千家、表千家、武者小路千家。私は何一つ知らない。
この身に刻みつけてくれたのは、
「おいしかった」
これだけでは駄目だったのでしょうか。

 

別に空ありてしとしと綺う雨

 

感情と意志にぽろぽろ脆く、単調でも果敢に尋ねる冒険心ある色んな雲雨の色々を、風の子の根問いで嗜もうとはしなかった。

 

宵いずこ紅白芽吹く梅襲

 

やすらぎの席にくちづけ横たわり忘れな草のいつまで草の

 

闇裂くは死出の田長(ホトトギス)と伝え聞き嘆きの霧も正しく堕ちる

 

 

 


25 告知 上

 

院長からは 「見舞いを止められた」 事実に加えて、もうひとつ依頼されていました。

「妹の事態は誰にも言わないでくれ。姉を看病に没頭させてほしい。見舞い客の対応で煩わせないでくれ」

および我が家と彼女の家との関係、つまり彼女や姉から持ち出された今までの結婚話です。
両家の交際範囲で重なる 「家」 は多かったから。
私は約束した。口外しないと。妻にも母にも口止めした。我が家から伝染することはない。

このように、彼女が余命2週と告知されて、わたしが聞かされた夜に院長からは見舞いを止められ、口外しないようにも念を押された。

 

 


26 陰謀

 

未曾有の瞬間が連続して押し寄せてくる戦いにみんなが悩み苦しんでいる時に、

「病室内での妹の様子を教えてやるから家に来れば良い」

ひとり自宅に残る院長に誘われても、乳がんで余命2週と告知された未だ二十七歳も未婚の彼女に強いられる延命薬の病室へと見舞いにも行けず、彼女の居なくなる家に行くのは嫌だったので、

「しばらく伺いません」

きっぱり断れたのは突然に残された命を宣告されてから、まだ一日しか経っていない日の私でした。

なのに、それから再びの一日後くらいです。

「(これまでに私から購入した商品を)すべて引き取ってくれ。カネを返してくれ」

と我が家に電話が掛かってきた。

今にも、の一週目を「今、病室は」とばかり考えてしまう毎日です。
窒息しそうな時に 「何を言いつけるのか」 意図は不鮮明どころか、歪な感じの内容としか分からない。ただそれだけのものだが、

「(仕事上の関係とは分かったので、仕事するには) 早すぎます」

こんな大変な時にと腹が立ったが丁重に裁断できると、

「聞かなかった事にしてくれ」

反発されるでなく静かに、平静な態度で切ってくれました。

五月雨の雲も中旬にて真向かいから〝迎えの雲〟となる、二週間後です。
不気味な感じで伸びたり縮んだりしている時間の感覚が、わたしの身体の中で張り合う絶望と恐怖が、五月七日からの十四日目に向かって止まることなく進んでゆく。
世界が張り裂ける。
魂を救済すべき「見舞い」や「付き添い」という運動に使いたい身体が、それが出来ない理由で七転八倒する。
逝くなんて、嘘だ。誤診だ。夢だ。考える長針は怖じけ立ち、短剣の余命が狂おす。尊き一滴一滴は同じであり、雲に覆われてゆく。

まだ中旬にもならない十日でした、

「一人で家にジッとしていても気が重いから自宅に来て、話し相手になってくれ」

この電話には、もう断れなかった。

 

 


27 費用

 

完全看護に異議を唱えられた姉は病室に畳を運び入れ、娘さんとの二人で24時間の体制を独自に作られていた。

重い紫檀家具の衝立も病室内には置かれている。
医師や看護師に内鍵を外してのドアが開けられても密室は天井しか未だ見えない。
回り込んで、やっとの彼女のベッドが覗く。

自宅には院長が一人で残されている。
毎日の診察という仕事があるので週末の土・日しか病院には行かれない。一人の夜の辛さは互いに同じ。その院長からの、

「一人では気が重いから話し相手になってくれ」

という電話に断りを入れるなんて出来なかった。

彼女が居なくなる家を訪問するようになりました。

女神にて召し上げられる遠い道を歩き始める。

月に異に奈落の底への絵描き歌が、明けても暮れてもに泣けどもに大車輪な歌詞で聞き取ってしまう。
ここからはメビウスの帯、永遠の終わりの始まり。

「(姉と娘にまで) ありとあらゆる事をさせている」

余命いくばくもない妹に対する悪態を吐くばかりだ。
訪問していくのを約束した身を後悔しても後の祭り。
自宅は魔窟と化していく。
実況される鉛の宇宙観に自分を行方不明にしてしまう。

訪れるのは止むを得なくなってしまいましたが病室絵図に聞き悩む一刻攻めの広間から、
「(私が仕事とする商品の中から、ある特定の物を指定されて) 買いたい」
切りかかられた。

おかしな話ですが、私に思考する能力なんてなかった。
この作品ひとつで、この家に今まで買い上げてもらった全ての商品の合計金額をも上回ってしまう。億ちかい。
それでも「買いたい」と言われる。

それも、おめでたい「正月掛け」 横山大観です。正気の沙汰じゃなかった。

「こんな事態を迎えている時になんて事を」 とまでしか頭が回らなかった。
「しかし」も、反論できない朦朧体で生かされていた。

余命2週が延命薬で長くなる。
保険が適用されない個室の料金。
膨らむ治療費。
日毎夜毎に増加するドイツの高価な延命薬の個数。
モルヒネに多量化。
総費用。

聞くに堪えない。

「若いから進行は早いが、心臓や他は丈夫。最期までカネを使う。これで最期だから出してやる」

別世界の耳に竹の子の生えるも塗炭の聞き苦しき拘束時間です。
無言で聞き流す骨折りの心組みでしか、場を練れませんでした。
袖の柵も夢を見ている魂が押さえて堪える。

 

内鍵付き病室 下

 

我が家の糟糠の妻はといえば、
「お見舞いに行ったら、どうして行かないの?」
新たな夜のたびに、明ける朝の眩しさに手引きしてくれる。

「してはいけない。引き止められている」と、少しだけ内輪話で語り合わす。

「何のために家族がそんな事を言うの」

普通に見られる世間一般の常識には当てはまらない義兄の奇妙奇天烈な要求は信じ難く、受け入れる私に不信の念を抱いてしまう妻となっていくのです。
顔も知らない義兄をどうのこうのと悩んで判断していくより、身近な私で少しでも常識的に考えてしまうのが自然。
もう一人の妻になる予定だった女性の身の上に起きた信じられない事実、が身をもって考えられるし、悲しみ自体は純粋な分かりやすい感情です。
それを複雑に怪奇なものにすれば自分を苦しめる。だから夫婦の間だけで済ませるようになる。家庭を母として子供も守らねばなりません。

我が家には殺伐とした空気が蔓延するようになります。
入院の月日に合わせるかのように崩壊していくのです。

「鍵も掛かっているし、追い払われるだけだ。家族だけの大切な時間なんだ。何も知らないで勝手なことを言うな」

・・・怒鳴ってしまいます。

こんな中からでも妻は一人、頑張ってくれる。
温かくって優しき、私には勿体無い連れ合いでした。

 

 


28 告知 下

 

いきなり末期がんで終末期も延命薬の対象となる患者になった未婚も二十七歳の女性の病室は姉に姪との女所帯でした。

「この余命2週」を誰が予想できたでしょうか。ただ一人を除き、青天の霹靂だったのです。
あっという間に2週間なんて訳分からないうちに過ぎ去る。

この、太陽をも闇が支配する、一日が永遠にも匹敵する時空を超越した世界へと追い詰められる心は「異次元で見舞いを止められていた」私です。闇は闇を招いて吸収を繰り返し巨大化するばかり。

顔を見たくても会うことすら適わないと言われているのに、会えるかも知れないと身震い鎮めて白々しく会いに行くのは男同士の信義にもとる行為であり、鍵を開けられる姉と病室の外で儀礼でシルエットさせて追い返されるだけ。それどころか御家族だけの荘厳な空間も限られた貴重な時間で汚してしまう。
看たくても会う事すら適わない。

引きずり込まされた私の家庭、共に苦労してきた連れ合いは、

「わたしに遠慮しているのだったら構わないから、お見舞いに行ったら」

口を酸っぱくして説き勧めてくれました。

広くもない家の中で互いに言い争いになってしまう場すら避けるようになっていくのです。

「冷たい人」

軽蔑されました。

「かわいそうな人」

読み込んでくれます。

「もう(ボクを)忘れている」

私は返してしまうのです。

 

 


29 入院から四十九日までの概要 1/3 上

 

院長が垂れ流す姉妹への不平不満から嫌な金銭感覚を打ち破るべく、二つの都市に妻と彼女を置く実質的な重婚を院長のカネを断っての自分持ちの資金で考え付いていた秋。

しかし院長から、
「無理をしなくても良い。(姉妹には) 俺から言っておいてやる」

二月に開催した加山又造展にて離婚と結婚による、嫁いだ奥様が連れ子とされた師範を博多妻に妻を東京妻で解決させる準備は出来ました。

時は流れ、五月の余命二ヶ月。

ここまで半年も、あるのです。会えなくされた尊き重さ。

「病室には面会謝絶の札が掛かっていて、行っても会えない。(姉妹には) 俺から伝えておいてやる。家族の問題だ。口を出すな。もう関係ない」

入院から僅か、たった二日ほど過ぎただけの日で電話が入った。 

「(今までに購入した) 作品を横山大観と交換してくれ。足りない分は現金で支払う」

依頼され、断れ切れずに引き受けざるを得なかった。

病院への出費に対して姉は私の目の前で、院長が座るソファの上で横向きに正座されるも両手をついて深々と礼を述べられている、二回は見た。
ソファの上でというのは 「ご近所の夜を切り裂く声、2回」 に投稿した最初の畳での土下座で 「私に上から誇りを傷つけられた」 とでも思っておられたからだと私は感じている。

このブログに投稿する内容、特に「性描写」について反発を抱かれる方は多いでしょう。
その方に考えていただきたい事があります。
それは奥様としても入院前の半年間、姉としても彼女の入院中には私に何も言われなかった期間が発生した理由です。
「見舞いに何故来ないのか」 も含めて何も私に言ってくれなかった。
半年前まであれだけ私に向かってこられた姉がだ。
ここの奥様に存在するのが「朝、明るくなってから」 「大人のオモチャ」などなど、性に関して院長が御自分にとって都合が良い対話にて私に、脚色して姉の耳に入れていたに他ならない。

交換する作品が不動産に変わる。
「(妹が想える建物を) 管理してくれるのなら安心で、税金対策にもなるし、若い看護婦だけで使える保養所があっても良い」

 

我が家では見舞いに行かない私を見る妻との間が、家庭がおかしくなり始めます。
見舞いに行かない理由を言いましたが、彼女からの結婚話から慰謝料まで隠さずに話しを聞いていた妻は 「どうして家族がそんな事を言うの」 と信じがたい思いが強く、とうとう 「冷たい人」 「そんな人だと思わなかった」 とまで言い出す有様でした。

第三者でいられる妻の正しい目を既に私は失っていた。

 

病室における語り口は激しくなる。

「若いから進行は早いが心臓や他は丈夫。最期までカネを使う。これで最期だから出してやる。入院してダイエットもしないから重くて大変だ」

病室では彼女の身体を拭いての着替えにて退室するように姉から言われた院長は、

「治療費を払ってやるから当たり前だ」 怒鳴りつけ、出て行かなかった。

 

 


30 性犯罪 上

 

もうすぐ妹が生命を失うってのに何を言いまくってんのか、おかしすぎる。
人格やら人間性がどうのこうのなんて問題じゃなかった。矛盾だらけだし、なんか怪しい。何か有る。

はっきりさせなければならない。
聞いてしまった災いとする理解しがたい家族ぐるみの不可解さを健康診断して欲しい。
それで、秘密は守ってくださるのは勿論ですが念を入れて熊本の得意先にまで出向いた。
その外科の開業医の先生は私が尋ねる件については全てで教えて下さいました。

「(大学病院とは知己の医者ゆえに延命薬を) 使わざるを得ないのだろう。俺だったら使わない」

「ーーーーー、植物状態。未婚で裏千家も師範なら尚更ーーーーー。意識はあるだけに無残」
「なんだか(私の顔つき)、おかしいぞ。-----」

商品名からの副作用は充分に聞けたんですが、「見做し重婚」に関しても彼女を傷つけそうで何も言えなかった。
彼女が発端なのに、彼女との経緯では何も言葉にできない。
だから質問の仕方から内容から誤魔化すような聞き方になる。
当然、返ってくる答えも、傷に塩を塗る結果。
何から何まで裏目。
最初の「見合い」から表ざたに出来ないんだから。
ボタンの掛け違いなのを知りつつ動いたって、傷口は広がるばかり。

 

 


31 入院から四十九日までの概要 1/3 下

 

退室に、

「治療費を払ってやるから当たり前だ」 だから出ていかなかった。

怒鳴りつけられた姉。

それっきり姉は夫婦の「毎夜」の中に師範を取り込んだ。
入院で初めて途切れた「夜の25年間」が、無意識の意識が妹の身体に御自分の性を投影して重ねられたのか。
だからここには人格も人権も尊厳さえも妹として存在せずに夫との夜毎で委ねられる御自分の経験が着せ替え人形で横たわるだけだった。
身体は動かないが普通に意識はある彼女なんです。その妹も身代わりでしかなかったのか。

彼女の入院前に院長は奥様の夜の様子を事細かに私に聞かせたが、それと同じ。
違ったのは、声。叫びの種類、内容。姉自身が生き地獄と表現され、体現された看病に加えて見舞いにも来ない私への憎しみや不可解さが、あれをああさせたのかも。

性で無茶苦茶に描写しだす頃、もう私には何処の病院に何時なぜ入院された誰の話なのか、昔の知り合いか聞いた事件を思い出されているのだろう位にしか分からなくなっている。

聞いた私には「当たり前」の意味も「退室しない理由」もだが、そんな密室の世界がどうなっているのかに加えて彼女や姉に院長の、その家そのものが全く理解出来ない宇宙にあった。二年前の最っ初から深まる闇路の果てでした。

混沌と秩序が秒針めいて嵐の光景を駆け回る脳味噌だ。

 

 



原点回帰 「 第一部 純愛  1 - 23 」 を読まれてない方は目を通してからにしてください。この物語は三流以下でも推理小説な内容となります。

あらすじ 【  朝顔  】 これは記憶喪失からの回復過程で投稿したページを羅列しただけですが全編です、現在の投稿段階で軽薄も猪突猛進に反発される方は日本史を学ばれたら如何でしょうか。

原点に立ち返り書き直す日々であり、「 第三部 」では、たった二文字で驚天動地の世界に御案内します。
このページのタイトルに挿入するリンク先は原文。 



32 性犯罪 下


つばを吐く仕草だった、
「入院してダイエットもしないから重くてーーーーー。-----、

そして、月例まで凝縮させた。もう、訳わかんない。日本語もどき外国語?
意味どころか何から何まで、ちんぷんかんぷん・・・

これでも前口上にすぎなかった・・・・・。

「誰のことなのか」としか私には考えつかない。
それに無声映画だから連想に想像でも膨らませてしまう。
夢遊病者みたいな私だったんじゃないだろうか。

生真面目になる心の奥は抗う力なく飲み込む。
     ・
     ・
     ・
「犯した」

「死ぬんだったら終わり、今までの恨みを晴らす。楽しませてもらう」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 

彼女が植物人間ならば、私は痴呆。
二つで一人・・・ふたなり・・・

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



空梅雨でした。

開け放たれた窓から・・・
「叫び」・・・
飛び出す。

それも、毎週末で・・・・・

 

おむつにはヤギの〇〇みたいなのだ。
凄い臭いを逃がすために開け放たれた窓からは悲鳴も助けを求めて飛び出す。泣き付いたのに、姉どころか何十人も居ながら医師も研修医も病院職員も誰一人として読めなかった。
洗濯機には臭い取りともなる茶の葉も一緒に入れられるが洗っても洗っても落ちない。廃棄されるようになった。
万物が彼女を見捨てた。
女性には生理があるが、これをもなぜ解説できるのか、できるほどに何を院長にさせたのか姉は。
あれをも何故に従ったのか。
生き地獄だった密室とはいえ次元が違いすぎる。

 

 


33 入院から四十九日までの概要 2/3 上

 

御自分のところが休診となる週末だけ大学病院に出向く院長だが、六日後には必ずやってくる土曜日だ。

ここでもいったい彼女がどんな気持ちで迎えなければ成らなかったと思うんだ。

日々に増えていくモルヒネの量。

「気持ち良い」 漏らした妹の表情を、

「まるで 『あの時』 」 と楽しんでいた院長。

すぐに 「あっち」 の話になった。

「ほら気持ちよくなったでしょ」 と姉は彼女に言われるが、そこには 【茶断ち】 されていた本来の姉の姿は、もはやお先に死んでいた。

ブラシで髪を梳かれるが、抜け出したときの狼狽の色も手捌きも片付けきれず、質問してきた妹を、鏡をせがんだ彼女を姉はどうしょうもなかった。

お盆になる。

「どうせ助からないのだから勉強を」と遠方の医大に行っておられた長男が盆で帰郷された。
キリスト教の関係者の方々や長男が病室に入る前、
「(妹の余りの変わり様に) 驚いて顔に出さないように」 姉から釘を刺されている。
その驚きようも満遍なく私は聞かされた。
恐ろしさ、私の真っ白な頭ん中には何でもかんでも入ってった。

「もう駄目だ」

通夜から葬式の段取り、ここに至って長引く最期などなど、重要視される世間への処し方から根回しの必要性が事務的に出始めだして初めて、彼女の言葉が堰を切ったように溢れてくる。
真っ白けの脳みそを掻きまわしながら雪崩れ込み、一方的な語りを記憶させる。
丸で私が極悪非道な悪者であるかのように。

聞くも、覚えるも、流されつつも何の話なんだか、とんちんかんに昨日だったと約束の日時な病室の彼女に「した」様子を言い出す院長でした。
理解できるのは明日で良い約束。

彼女の最期に言葉は無かったという。
天の一点を観ていた、という。
それが何なのかは、はっきりしている。

 

 


34 二十七歳

 

恐ろしい。
とても事実とは思えない。
「映画よりも奇なり」なんて文芸表現の世界じゃない。

悪夢・・・・・いや、わたしの頭では言葉が浮かばない。

まるで旅行みたいに子供みたいに入院した当初は 「はしゃいでいた」 らしい。

「(私が) 会いにきてくれる」
「見舞いにきてくれる。ゆっくり会える」 と。

生まれて初めての入院です。病気なんて患ったことないから新鮮だったんでしょう。

雪の結晶となる命を知る由も無い個室、ひたすらに私との新生活を夢見る素振りが似合う若妻な彼女の 「乳がんで余命2週を告知された事実も何ひとつ姉から聞かされていない」 のに七夕な短冊がけから青息吐息に、屋敷を守る院長から聞かされる。

容態は悪化していくばかり。

滑らかに這いずり回る舌は闇夜の狐火か。

今日は息も絶え絶えなのかも。
怖気づき惑う底知れなさに軋み鳴る限界の状況は、 「あした」 今日を命日だったと聞き遂げなければならないんだ、なる戦慄で今を飲み込む。
震え恐れつつ夜明かしする毎週が土曜日・日曜日を生み連れて反芻する。
又の週をひりつかせ、朝に日に日がな一日で刺激する。
               
だんだん怪しくなる自身の精神に気づいても、一足お先に思考力を旅立たせている。
幼い姿を連想に想像から妄想へと見せられるだけでは堪らないと、夜叉を切り捨てる偽り飾らぬ、人間らしい口舌の争いが一局一局で繰り出せない。

 

 


35 椿灰

 

≪ 桔梗色そびれる支度まどわかし ツバキ常夏きわなし雫 ≫



ともあれ究極の心遣いを姉は考案されるが、これも余りにも私を侮るというか、私を知らないというより、お金の使い方をご存じない育ちの成すところ。

それは、内々での結婚の儀式。
意図は私の見舞いの実現と妹へのはなむけ。

が、これも義兄の反対で断念されている。
これはこれで良いが。

院長、夫の言いなりにならずに電話一本、

「なぜ見舞いに来てくれないんですか」 ぶちまけて下されば、
「見舞いに行っても良いんだ」 私は判断して、すっ飛んでった。

が、院長の言いなりに落ちぶれた私が、悪い。

悲しすぎる。

かわいそう、では片付けられない。



我が家では家庭争議にもならなかった。
忌み嫌われ、私は骸、生きる屍。
条件反射なのか、普通の会話も消え失せる。

 

 


36 花嫁 上

 

≪ 形見なの穢れぬうちに升に落ち 永久に息づけ実践理性の ≫



盆まえから危篤状態が続いている。

避けられない歴史に生きた。
暁にならない時刻、
精気窄める灰器に・・・

八月二十五日、夜明け前、永眠。
享年 二十八歳と一ヶ月。
謙遜と服従の教義を貫いた。

 

 


37 入院から四十九日までの概要 2/3 下

 

院長夫婦、長男、長女、四人で死に装束を着せられた。かつら。初めての口紅・・・・・
姉と長女、いきなり抱き合って又しても号泣されるは・・・・・
・・・・・破瓜

 

 

入院から四十九日までの概要 3/3 上

 

化粧をしたことが、ない。

リップくらいはあったかも知れないが、口紅はない。
その、初めてが通夜での死に化粧。
これ自体は悲しい28歳とは思わない。
何故なら化粧っけのないところも好きだったから。
悲しいのは、その死に装束の場における「証」
姉と長女はいきなり抱き合って号泣されている。

驚愕されての止め処ない姉の涙に身を乗り出す院長を、やっと姉は戒め止める言葉を取り戻しておられた。
それこそ終わった密室でした。

一週間後の葬式の翌日が荼毘です。
真夏です。
・・・ドライアイス・・・花束・・・

通夜の席に、看護師さんたち女性たちの真の涙、真実の叫び、彼女を包み込んでくれたらしい。

・・・ありがとう。

 

「お母さんに甘えなさい」
合掌される姉。

悲しみを引きずり、若い女性たちばかりだった客は帰路に着く。



一変する家。
百八夜前から途切れていた、復活した営みの凄さ。
階下にて安らかに静かに眠る彼女どころか、同じ階の息子から娘をも揺り動かした。
私が言いたいのは、関係者の誰が何処なら知っているのかという事実の照らし合わせ。
一人ひとりが持つジグソーパズルを嵌め込めば成立する物語だ。

 

 

地獄の門が開く 

 

≪ 寝違えたかの向きと言い草、握り締めるカネの質と量を読めば、棚引く雲間から太陽が顔を見せる ≫

 

25年以上でも毎晩で可能という根腐れた立脚点を延長線上でも乱用する猟奇的レベルが明らかになってくる。

この通夜でも呼ばれたのは、院長が強い立場を貫ける人たちだけ。
つまり看護婦さんや職員だけ。若い女性ばかりだ。
「親戚も姉妹の後見人も呼ばれていない」 と私は聞いている。
おかしかった。
が、それ以上考えられる精神の正常さは無かった。

私に対しても、
「通夜は自分たちだけで行う。葬式が(彼女だけがキリスト教)良く分からないし(家に来ているから)来なくて良い。香典もお返しが大変で一つでも減らしたいから包まないでくれ」

夜伽。号泣。終夜。洗顔。羽衣。二枚舌。闇値。叫び泣き。猟具。風刺。羽二重。羽衣。羊頭狗肉。傀儡師。
胡散臭くっても、それ以上の判断力は無い。

  

 


38 花椿

 

≪ 火を点ける囲炉裏の灰は絹みたい かじかむ手をも早や温めて ≫



無意識の意識で己の首を斬る。
噂の源ともなれない妻に母で誰にも相談できなくしてしまう。
家庭を守る打開策も打ち出せない私たち家族四人は、てんでんばらばらに行動しだす。
夫の転勤で近所に引越してきていた実妹にも感染して、実家に寄り付かなくなった。
女三人寄れば・・・と言われるが、悲惨な病室とその異常な家庭と院長の変態ぶりを、自分たちの間でも秘密として一つの物事の例外なく語り合わなかった。
余りの異常さは思考の範囲を超えている。
人間とは思えない世界と獣の嫌らしい部分は頭から追い出すのが一番の薬だ。

わたしは私で「彼女の秘密」を他言しないように念を押していた。
時の私は恐ろしかったと思います。
内幕を暴露できないまま、三人三様だった生活リズムを基礎から破壊した。
言うに言えない封印はトラウマを形成して、日々の生活へと屈曲した歪み具合で生かす。

 

 


この、彼女が搬送された深夜、姉は私に通報しようとされたらしい。
院長が止めた。尤もらしい意見、妻子居る家庭への私を引き合いに出して〟
ですから、能天気に私の夢は静かな朝で顔を洗っている。
この夜、約束どおりに訪問して聞くのですが、姉とも会えないままに過ぎていくのです。

それっきり、彼女に、自分の家に立ち返れる機運は舞い込まなかった。
近寄る死期に、せめて「家を改造して連れ帰りたい」と希われるが、担当医の許可は下りなかった。

見舞いを止められていた夫の陰謀を全く知らない姉。
この世に女した欠かせない意識の妹へと全身全霊で向かわれる。
延命薬にしろ、一日でも長く一緒したかった思い。
絶代の姉妹愛を完遂させる行動には、悪辣が冷や汗かく画技が幾つも存在した。
が、その全てが夫に筒抜けでは、その全てで夫は邪魔できる。

見舞いにも来ない私。
練り上げる夜明けへと咲き勝る夢の心の素養がある生身の妹に、姉の激情は、
「(私から)」
と言われて 「バラの花束」 を妹に贈られた。
が、嘘だと、すぐに見破られる。

「(私に) 見舞いに来てくれるように頼もう」 とも考えられた。

しかし強制しても妹には分かってしまう。そんな見舞いなんて妹がかわいそう〟
ここでは普通に落ち着いて思い切られた。

 

 

花嫁 下

 

ふたつとない春花秋月、
そうこう「 (こうして居る) 」 たる映像化からの肝要な音域は天界に生まれ立ちそうになってか手遅れにて聞き始める。

「(私に) 会いたがっていた」 なる言葉も聞いた。

何を言ってんのか、さっぱり分からなかった。

「 (哀れな妹) 」 呟いた。

 

 


39 入院から四十九日までの概要 3/3 下



お葬式は八月三十一日です。

この日は私の最後となる集金日で、とある産婦人科医を訪問しました。この先生は、
「今日は〇〇〇の先生のお葬式だった。(御自身の夫人は) 帰ってから泣いてばかりだ」
聞いた途端に泣いてしまった私に、
「(師範) と何かあったのか」
聞かれましたが、
「いえ、何もありません。伺う折に(彼女と)お会いしていただけです」
と答えるのです。
「それでは何も泣くことはないだろう」
と言いしな、
「あそこも(絵画)に興味が・・・?」
不思議そうに呟かれる。

 

この点は私も不思議に感じていた。簡単すぎたんです。
あっさりと定期的に購入されていたんです。
それも「いただきます」 たる一言でした。いつも。

集金に出向いたところの先生に対してがそうであったように、師範との成り行きを吐露できない感情は、何時何処で誰とのどのような会話から彼女が飛び出すのか、どう聞かれていくのかも分からなくなった仕事が、地元が恐ろしくなり、何処も彼処も、お客様へはおろか業者にさえ訪問どころか電話さえ掛けられなくなりました。

とある先生にも、これっきりです。

 

 


40 入院から四十九日までの概要 1/3 下

 

交換する作品が不動産に変わってた。
「(妹を想える建物で) 管理してくれるのなら安心で、税金対策にもなるし、若い看護婦だけで使える保養所があっても良い」

自分の店も併設することになって行動に移し始める。
病室に行けない苦しみ、悔しさ。悲しすぎる体力をぶつけて土地を探し回った。
見つけたのが 【 御山 】 阿蘇です。

院長から預かった作品の代金に加えて、私が彼女を貰うべく用意した支度金を注ぎ込んでも将来的には十分ではないとは、院長も私も分かっていた。
だから一部を別荘地として売却する案でまとまりました。
候補の土地を探し当てた後は、その【 御山 】の調査から購入に造成、建設から販売まで一括して任せられる業者として「三井」を選んだ。

 

 


41 天国の門が閉じ

 

≪ 今宵もか朧影との返り咲き 煉獄騒いで明けさる日脚 ≫

 

情感くすぐる 【御山】 は、天と地の神々に円錐で交じり合わされて永遠に変わらない緑色を帯びた灰色に包み込まれる粗製の土器にありました。
貸し別荘やら分譲地など南の島に夢を見る怠け者みたいな人生へと方向転換して「獏」なんて想像上の動物と化した私は、必要な条件を満たしてくれる土地を探し回って見つけてた。

忌中です。
姉を誘われた院長との三人で彼女のメモリアルに探し当てた 【墓地な丘】 を実地検分に向かい、小春日和に照り映える 【比翼塚】 に止まる二台でした。

 

立地条件に付いてきた空の浮き島を歩き、山陰を透かし模様されている一人旅な姉が思い起こしてくださいと啓白の鐘を撞くは、

「妹に見せたかった。連れて来てあげたかった」
言の葉をいただきました。

たよたよと抜ける膝で蹲って堪りかねた涙霞に、ハンカチを姉は差し出され、

「(縁談で) ◯◯家が断られるとは思いませんでした」

 

「違いますっ」

思わず打っ手切り、場当たりで洗いざらい囀りとよもうとしたが、透かさず消える。
これは息継ぎもせず 「何故カネで押さえつけようとされたのですか」 に初めての解きほぐそうとしたんですが。

 

言下に、
「終わったことだ」
の院長。 

 

これに答えて、

スルリ、人妻の心身に滑り込んだ物の怪に見入ってしまいました。
百八夜の間は止まっていた 「夜」 が通夜の夜から再開されている。

 

恥ずかしくなって俯いてしまったのは、私の方です。

 

姉は何も気が付いておられない。

 

「涙腺が緩い」
の院長。 

 

押し付けに焙られながらも、妹が探勝した連れ合いを威儀正しく見尽くされ、量られる。

おしどり的に温泉に浸かりに行かれるのを惚け色で見送りました。

 

この丘から望む景色と姉の銘文が墓碑銘となり、天国の門が閉じる。
画廊も保養所に併設しての、終の棲家と決めた。
くらら咲く涅槃の比翼塚でした。

 

 


42 姉妹愛の病室

 

夢のように当てにならない おとこ

それでも もたれ掛かる二十五時間の毎日
言い尽くしていく

「会いたい会いたい会いたい ・・・・ ・・・・ ・・・・

死命を 何時を何時 どんな場面で悟ったのでしょう
空しく紅の涙に沈む
絞りきれない
こんなにおびただしい涙の川も滝
身体の何処に溜められていたのか
驚き 恐れる姉
拭っても拭っても拭いきれない滝の枕

抱きしめ 守る姉は捻り出される
鐘声の花嫁を
だけど それなりに言い張られても
うっちゃらかされたなり

諦めようとはしたらしい
切れなかったみたい
待ち時間が押し付ける
伏させるは一日中に蔓延る
すっかり弱くなる
衰える身体と命に
希望を失う見方が走り 重なる

姉は妹の手を握り
茶を口移しに
身体を拭き
綿棒を耳に
爪を切り
歯を磨かれた

点滴 注射の痕をさすり続ける
その手は腫れ上がった
針を打つところ 足の裏

キリスト教なのに
自殺を考えていると見抜かれた
はさみ 果物ナイフは遠ざける
手鏡なんて とっくに無い

鼻からも その口で吸い取られた

「死にたい
「死にたくない
「殺して
「楽にして

言い続けた

わけもわからずに信じ込んだ

生まれたのか妄執の雲

想い固めたのか 純愛

はかなく脆いものと
白羽の矢が立つは秋涼

ちょうど百八日
空の白む刻限
朝影に逝く




車で一時間と少しの距離
わたしは居た
ありったけの熱した鉄みたいに熱い涙に寝ている
それだけ

 

 

 


43 記憶喪失への扉

 

ドアを誰かがノックする。

 

「彼 ?

「今度は ?

「今度こそ ?

 

待ち侘びて待ち侘びて何故の待ちぼうけに草臥れていく・・・

 

「(私の) 声がしたような・・・」 とも言っていたという。

 

ごめんね。

気休めでも、成せば成る男になれたでしょうか。

自惚れない。

 

姉と見詰め合い、私が訪ねてくるのを待ち焦がれていた。

 

「出張してある」

「忙しいみたい」

「男には仕事が第一だから分かってあげないといけません」

 

焦れ泣きをなだめ、取り繕って言われる。

頷く、あどけなさ。

 

「会いたい

「会いたい

「どうして会いに来てくれないの

「そんなに嫌われてしまったの

「産まれて来なければ良かった

 

病室の一場面一場面に二人が投影する姿を、解説者の語調で心の中に露光させられた。
私以上に思考力を失っておられた姉だと感じます。
25年間で欠かさない夜が続いていた中からの、突然に途切れる百八夜。
ゆえに前よりも重く激しくなった・・・リバウンドした通夜の営み。



空梅雨に明け暮らし、夏の雲むくめく。

 

 

  

 


原点回帰 「 第六部 記憶 94 - 106 」

2013年01月11日 19時35分06秒 | 原点回帰 

何処かに、何か、大変な何かが隠れているに違いないんだ。じゃないとここまで執拗に攻めかかるわけがないっ。それも随分と子供じみている。警察がだ。後ろめたさ指し示す相手の焦りの色は、私自身に「自分を信じ通せ」とする確信を形で見せ付けてくれた。必死になって歳月を巻き戻そうとした。考えるだけだと知らず知らずに安易な方向へと逃げ、楽したい思いへと逸れていく。だから書いてった。(94 偽善より変態で縒る対症療法 より)

 

 

                                           2012年(平成24年)10月12日  第一回目の投稿日

 

「原点回帰」 一気に仕上げる才も力もありません。
出来るだけ毎日で書き込みつつの完成に近づけたいと考えております。 

 


あらすじ 【  朝顔  】 これは記憶喪失からの回復過程で投稿したページを羅列しただけでしたが、現在の投稿段階で軽薄も猪突猛進に反発される方には、まず日本史を学び直して頂ければ有難いのですが。

 

原点回帰 「 第一部 純愛  1 - 23 」

原点回帰 「 第二部 殺人 24 - 43 」

原点回帰 「 第三部 告発 44 - 59 」 

原点回帰 「 第四部 言霊 60 - 80 」

原点回帰 「 第五部 薫陶 81 - 93 」

 

そして、挿入する私のは句に詩に非ず折れそうな心の接着剤です。

 

原点回帰 「 第七部 法治 107 - 116 」

原点回帰 「 第八部 鶴翼 117 - 完結 」

 



94 偽善より変態で縒る対症療法

 

何処かに、何か、大変な何かが隠れているに違いないんだ。じゃないとここまで執拗に攻めかかるわけがないっ。それも随分と子供じみている。
警察がだ。後ろめたさ指し示す相手の焦りの色は、私自身に「自分を信じ通せ」とする確信を形で見せ付けてくれた。
必死になって歳月を巻き戻そうとした。
考えるだけだと知らず知らずに安易な方向へと逃げ、楽したい思いへと逸れていく。
だから書いてった。



声掛ける「シゴトスンダノ」沓手鳥仕舞う切っ掛け湯呑み酒瓶
(くつてどり・ホトトギスの異称)



世界遺産に散った女性が私に残してくれた、
「書いていいかも」

卑しくされた黄白の流れとなるんですが、これについては書きません。穢したい人に材料を与えたくないから。

安全圏に逃げていた。そこから逃げたいとした記憶の喪失の中にこそ、真相も尊厳も未来も何もかもが・・・

“あなたは何処に~”

誠しやかに生きてしまった、この面の皮を剥ぎます・・・

 

 

打たせ湯の喪屋穿つ靄今日の月

 

 


95 1/6 恩人となる女の子は世界遺産での事故で逝っちまった 

 

記憶喪失に陥ったトラウマなる衝撃の「過去」をショック療法で以前の私に甦らせてくれた命の恩人とも言うべき女の子が、私には居る。

博多に下りて初めての正月を迎え、真冬と言われても私には麗らかな日、御山で最後に付き合った「この一人の女」を考えていた。
会社勤めで苦労しているのか、珍しく弁解する顔の場面だった。そんなでも一生懸命に働いて明るく直向きに生きている子なので一緒に居ると清々しかった。自己主張が行動の後から付いてくる子。逆らわずに飲み込んでくれた。切なさも併せ持っている良い女でした。

怖い人たちからも遊びに来ていた若い連中からも、よく、
「むかし何か有ったんだろう」
みたいな台詞で私は表現されていたが、この二十三歳の女の子からも言われ、
「話をしたら、楽になるわよ」
と読んでくれた朝を思い出し、考えられていた博多の正月でした。

憎めない会話にも何かが隠れていた。
何か有るとまでは砕けていたが、それだけ。

撫子も桔梗も、重なり合いながら緑芽生える博多の街の椿咲ける月において、何かが囲炉裏の熾き火みたいに浮かび上がってこようと足掻く夜だったんです。

 

 


96 2/6 世界遺産での逝った姿をニュース映像で観るなんて

 

こんな思い出した直向きさの子に近づいた夜、観てくれのテレビを眺めていたら又しても気になりだして、その夜は居た堪らないほどに酷かった。

仰々しい威嚇の色のテレビは中学の算数の問題を解いていた。
「こんなもん」と馬鹿にしたら、解けなかった。

「ややっこしくても解らなくてどうする」って考えていったんだが、面倒臭くなって止めてしまった。

が、こんなだからダメなんだって思い直せて考えていけた時、
解ける一瞬の前、
いきなり平手で引っぱたかれた。
 
 
 
妻子住む街で稼がずのうのうと虫と語るは虫にも劣り
 


将来の現実を捨てて永久に暗黒と化す闇にしてしまった。
愛娘ある身の親なのに、酒と女と霞の御山を事実として思い出す。
この世の現実は夢のように儚いとして、妻に娘の成長期を無視して生きてしまった。 
操っていた天使と共に。

むかし助手席に乗っていた車が海岸通りで事故った時の瞬間の緩慢さに似ていた。

 ! 襲い掛かってくる擁壁・・・張り付いた草・・・顕微鏡で覗くみたいな岩肌・・・ひしゃげるフロントノーズに砕け散っての磨りガラス化・・・天井に叩きつけられる背中に頭・・・引っくり返って火花を飛ばしながら屋根で滑っていく車・・・

やっと止まった時のザラザラしたアスファルトの驚くほどの清潔さ・・・ヌルリとする頭の生温かいモノ・・・その臭い・・・べとついて離れない指と指に指・・・切り傷とは違う色の赤い血。
ハンカチを探して頭に当てていたのは、十九の夏だった。

こう、活を入れてくれた顔と声の天使に俗っぽい膨らみや反りの小ささはなく、ありったけの視野に微笑みを拡げ、光をまぶしてキラキラ、一面のボクの世界に煌めいていた。

直向きな「この子」との良い付き合いから思い出せたからだろうか、新たな予感があり、苦しくなんかは無かった。
師範の姿や思い出の花と実だけで、こんなにも明るくて、ほろ苦い甘さなのなら、零れ落ちそうな時間を溜めたままで明日に消していた虚実の生活は、もう持ちたくないと瞼の娘に決心できた。


 
限りなき慶びの空巣立ち鳥



人にそれぞれの潜在意識には、それらを思い出させるキーワードが一つ一つ強弱になって存在しているみたい。
私の場合はそれらで浮かび上がっても一つ一つが結びつくことなくバラバラのままで明日には消えていた。

仕草から会話が裏千家だとクララだと弁えられても義兄たる院長の師範殺しの謀略と結びついての文脈にはならなかったし、この時点でも私から絵画を購入した姉妹の思惑から購入資金の出所の記憶はなかった。

が、そこへの闇を力強く探求できる、もう挫けない逞しき明るさがあった・・・・・

 

 


97 3/6 乱れ髪

 

私みたいな情況「過去の一時期を覚えていない。その時期に何があったんだろう」と足掻いてる人が周りに居たら〝この世界遺産に逝ってしまった娘〟みたいに『良い雰囲気の中から、あっさりと問い掛けて』欲しい。

簡単で良いんです。何度も聞き返したりすると逆効果になりかねない。
その人(私の場合)には力強い言葉として残っているはずです。
その場ではそれ以上何も起こらなくても、近い日にきっと実を結んでくれると思いますよ。

自分で、中学程度でも数式を使わなくても稚拙な手段でも解こうと思えば解ける、興味を持たせられたり趣味にも通じる設問を探して、仕事や雑用にも追い詰めない生活の中から自分自身の意思で解こうとさせると良く、自覚させるのではなく頭や心の受容器、眼・耳・鼻・口・肌など感覚を活発に動かすようになる過程への切っ掛けこそが重要です。

口数が少なくなるほど何かに貪欲になれる時間を与えてあげられれば良いみたい。

気忙しくなり一心不乱に書き出した。
一日は短く、時間を二日に一度の食い溜めと支度から皿洗いに費やすのさえ勿体ないと感じる日も多く、冷蔵庫にある材料で作れる女性的主婦的腹ごしらえに満足していった。
光合成も止まった青白い顔になって痩せ細り、又しても新たにも取り付かれたみたいに酒も止めて机に向かった。
散れ散れのメモに日記をジグソーパズルで組み合わせていくには健全に魂を集中させないと出来ず、まるで、波だけ雨だけのパズルの箱の中身でした。

 

 

玉手箱開けてしまった世捨て人されてしまった浦島の街




素朴な誇りを持ってこの世の有りと有る権力の集合体と対等に渡り合えた南阿蘇の尊厳ある生と死に向かい合って生きた御山の悦びは無一物の肌身を潤い有る生活に押し上げる・・・・・

 

 


98 4/6 眼に沁むトラウマ

 
 
歳月を必死になって巻き戻した。考えるだけだと知らず知らずに安易な方向へと逸れていく。だから書いてった。

何処かに何か大変な何かが隠されているに違いないんだ。
そうじゃないとここまで権力が攻めかかって来る訳が無い。それも随分と子供じみている。国家権力がだ。
世界遺産で散った娘が教えてくれる後ろめたいからこその相手の焦りの色は、私に自信を形で見せてくれた。

めきめき思い出せたが腱鞘炎にもなった。
頭蓋骨の後ろでは右から飛ぶ弾が何かにぶつかり、左の脳を震動させる。
こんな毎日なのに、たまに思い出した小さな他愛無い歓びが勇気づけてくれる。
それをバネに体験した事実を積み重ねていく。日本語から学ぶ、小学生からの再出発となった。
再認識どころか、自身を自分の自由な意思で積極的に追い詰める。

男の姿を借りた看護尼僧が比翼塚として生きた聖地。体験記の筆跡から解読は、しんどかった。ここに強い意志の力が求められたのです。
聖域で一番大切だったのは、自分を信じ通せる強き心。
自身の過去を意識して隠そうとしない顔が刻む、他人からの第一印象。人から何を何んと言われようとも、恐ろしい組織に相手に合わせつつも「言えません。忘れました」と無心の心で接することができる自然の日常。
これが、御山とした南阿蘇の真相となって、今にブログを産んでくれた。

18ヶ月後、尻の肉も落ち、ジーパンも引っ掛からなくなっていた。
慌ただしく書きなぐっただけの、でも毛筆にした五百六十枚が書ける。
1994年も6月の終わりでした。

とても公表できるとは思えない幼稚な文章、かちかちの死んだ老人語。
ここからが、始まりだった。もう、やり直し、後戻りできない過去の引き出し方をしてしまった。それは顔の造作にも、身体つきにもなっていたでしょう。

ここまでにしたって、それまで数段階を経て思い出せた内容にも、犯された裏千家師範の病室やら奪われた私の資産は含まれてなかった。
それだけ凄惨な、という精神的外傷です。あれだけ遊びまわった私がだ。

姉の死にて生まれた〝書いて良いのかも〟たる思いが、それらの犯罪した流れを突き止めていく。自然に「書ける」と。



やすらぎの席にくちづけ横たわり忘れな草のいつまで草の


 
実しやかに生きた面の皮が剥げる。
妻子を捨て、安全圏に逃げていた。
そこから逃げたいトラウマ、逃げられると思った御山に今という時に逃げ込んでいた。
ここにこそ真相が未来が尊厳が隠れていたのに、素面で酔っ払ってるかに大事に抱え込んでいる。
 
自分に何が欠けているのか、何かが隠れているのは分かってたのに抉り出そうともしないで楽な生き方をしてしまった。
自然な時の移ろいに甘えていた。探してくれない隠れん坊でも甘んじていた。
第三者には簡単な、突然も三面記事の殺され方なのに。。。

その、二十世紀も今年限りとなった二月七日の朝、無性に繊毛が見たくなる。何故かまでは分からないし、そこまでは考えない。自分に正直に生きていた。

パッケージが見え難い老人になっていた私は、テレビではカットされてしまうシーンをビデオから〝ここ〟と見て取りたいオヤジとなり、なんとなく、そんな感じの一本を選り抜いた。
普通の棚に並べてあったんです。アダルトコーナーの存在は耳学問していたが、そこまでのモノは見たいと思わなかった。ただ、ぼかされていない、カットされていない繊毛が見たい。そこだけの欲望でした。
パッケージの写真はズレとボケから何気なく手に取った。
表題の「張り込み」というタイトルから連想する刑事物も影響していた。


家に帰り、しばらくしてから、差し込む。と・・・・・

・・・・・なんか、おかしい・・・・・

すぐ止めた。やたら腹立ってくる。押さえられない・・・・・

 

 


99 5/6 案内人は自分を知識を汗する身体で磨いてから仕事にしろ

 

沢遊び若紫に手を添えて苔から雫跳ぶは裸足さ

 

(アダルトなビデオが普通の棚に陳列してあったから借りてしまったんです)

「こんなんを何んで当たり前のように並べてんだ。それも(地元では有名な)親子連れでも賑わう本屋だろ。間違いか? 子供が借りたらどうすんだ」
真剣に腹立たしくなり、考えた。
「文句つけてやる」
「電話にしょうか。直接に出向くか」
って中から苦情の文言、話し方と内容を練る。
・・・・・「どこが?」
・・・・・どこ?・・・・・!・・・・・
自問自答する。
 
こここそ 「赤ちゃん」だった。

貸し出し期間中、何度も何度も、繰り返し繰り返し観てしまった。
地上の天使が入院していた百八夜もで、
ーーブチブチーーーーブチブチーーーー
音を立てて切れてった頭ん中、
・・・・・何かが繋がっていく・・・・・何かが・・・何かが・・・・・どんどん、どんどん繋がってった・・・・・。。。

・・・・・日の目を見た。
おぞましい原稿で1994年6月28日から告発に説明にと使用するが、これではとても公表には使えない代物だとして更に四年もの歳月を費やした98年春の原稿も、やっと日本語を学びだせた程度の下らなさ。
これを打破する光明を見せてくれたのが、
今、Googleの「28のままに・〈椿灰〉・・・裏千家師範のクララは逝った」と「夏下冬上」のブログなんです。

アダルトなビデオが脳天に、曜日に来月に、
「もう」・・・
・・・「まだ」
なんて忙しなくナンパしまくる。
私事に腹時計は1981年夏の喪屋で止まったままでした。
御伽草子の世界です。

ショック療法になった。
真実は一瞬。
解りやすかった。
フランス映画には観られる脇毛みたいな、偽らない繊毛でした。
トラウマは、もう、雲、霧、もや、かすみ、にさえならない。

きれいさっぱり、晴れた。

ありがとう。ほんとうに、ありがとう。
世界遺産に散った娘、あなたの御蔭です。
この御礼、早く話して置くべきでした。
悔いばかり残る人生です。

 

 


100 6/6 報道ヘリが世界遺産から飛ばした映像

 

私は記憶を取り戻せていける。
この子の汚れなき心からの優しき言葉が切っ掛けで、自分と向き合え、戦えた。

お礼を言わなくっちゃ・・・
その前に、逝っちまった。まだ三十路に入ったばかりだったのに。。。
この子には離婚歴があった。結婚前に少しだけ働いた職業が原因で、離婚を迫られたのです。
過去の無い女が魅力を纏えるのか。涙が養ってくれた女性だから、好きになって、結婚したんじゃないのか。
それどころか、この男は慰謝料まで彼女に請求した。
突然に別れを切り出された女性が、住まいを見つけ、家財道具から電気製品まで最低限の品を揃え、職を探し、生きていくのがどれほど大変な現実になると思うのかっ。
サイテー野郎、クズだ。

失っていた記憶の根幹を成すのは、大学病院の病室における、日本最年少で裏千家も師範にまで到達した、まだ二十八歳の彼女のーーーーだった。
ここから完全復活していく記憶ですが、ショック療法は普通への道のり苦しく、

・・・長かったぁぁぁ。。。

 

 


101 家族を 下

 

金庫が開いた時の一週間余りの私は、「鍵となった物」 に夢中になっていく。
番号は現在も残っていますが、この番号も過去として無視できる生き方にはパソコンから Twitter は最適なんじゃないかと追究する現在です。
憑依されていたにしても、姉妹が絡む数年間を完全に忘れる肉体も知足で生活していたのは事実です。
これって逆向性健忘症というのか記憶障害っていったら良いのか、私には全く分かりません。
周囲に居た医者の方たちも法曹界も警察も、家族から友人でさえ、「私の記憶がどうのこうのには」 気付かないんだから。
これで専門の医者にかかった訳でもないし、こうじゃなかったんだろうかと自分で診断しているだけですが。

 

 


102 着せ替え人形と言葉遣い 下

 

・・・着せ替え人形、、、
するがまま。楽しんだ院長である。。。


意識ははっきりしているのに抵抗できない。されるがまま、、、
あの裏千家も師範の精神性・・・
私は無論、誰一人として想像しえない高みにあるんです。その彼女を。。。


これらを核として奈落の底にあった19年もの記憶の喪失から救ってくれたのが、偶然に手にした一本のアダルト・ビデオです。
場面は、抜け落ちる髪。上ではなく、下の。俗に言う〝麻雀の白、別名です〟貸し出し期間中の一週間は狂ったかのように何回も何回も見てしまいました。
少しずつ、思い出せていくのです。完全に自分を取り戻していけた。
この告白のブログ記事、書くのも最初は恥ずかしかった。家族に娘に友に読まれたらとか色々と考えてしまいます。ですが何もかも乗り越えなければ、何も始まりません。
例外こそ作ってはいけないんです。一つ隠せば、一つの嘘のように大きくしてしまうのです。 

私が遭遇した医者の恐ろしき性犯罪に詐欺から抗争を経ての米国逃亡は追加投稿しなくっちゃいけないとは解ってんですが、パソコンに対峙して、いざとなると頭ん中でグルグルと又しても何もかも巻き込んで回り始めるだけで、一つ一つが文章として下りてきません。
書き進めなくっちゃ、としても、その繰り返し。一度気が緩んだからか、楽を覚えたからか、指は立ち止まったなりだ。
今日はなんとか最初の数行を乗り越えられました。ほとんどは一行で没です。が、
こうやって書いていても何か変だ。読み返すのは更に苦しい。稚拙な文章は勘弁してください。

ブログを考えてのTwitterなんて最初っから私の言葉遣い、おかしいんだから。深く考えない。
意味が通じれば、目的は達成との考えで歩む彼女と私、娘への内容です。

 

 


103 対症療法となる【 思い草言の葉追いし蛍狩り 】  (20100526 非公開)

 


104 記憶喪失を治癒したショック療法 (20100311 非公開)

 

私には裏千家も師範だった素晴らしき彼女だけに言及できる記憶の喪失を自分で治したなりのショック療法からの後遺症があります。
はっきり解る機能障害とは、彼女の死に隠された癌細胞から性暴力の真相を、奪われた私の財産に対する院長の詐欺行為を説明するのに必要な言葉、読み書きを忘れた十九年もの現実がありました。
画商なのに〝紅白梅〟すら読めなくなっていた南阿蘇のペンションにおける私を私は忘れない。

義兄たる院長の詐欺とは、結婚は家と家との問題だとした私の実母から一億数千に上る財を奪った行為から、私の顧客から2400の絵画一点を騙し取った行為を指す。妻への離婚の慰謝料も未払いだ。

もし私がカネを第一と考えていたならば、記憶喪失なんてならずに〝カネを返せ〟と裁判できていた。
南阿蘇に住む理由どころか一家離散さえもない。妻と一緒に娘の成長を見守る平凡な家庭があった。
暴力団相手に九年間も命を賭けてはいない。
なにより年収六千以上稼いだ画商を続けている。

これには証人がおられる。姉妹の後見人であり、今もご健在だ。福岡でこの方の名を知らぬ医者は絶対にいない。
〝さすが師範があれほど好きになった男〟と言われた私です。この誇りと、師範の名を汚す男で死ぬ明日にはしません。
仮定には真剣になれないんだ。どんな過去だって過去あっての今だ。


頭って言えば、偶然だったレンタルビデオによるショック療法は自然治癒能力であり、これで医者に掛かったわけでもありません。
後遺症には〝投薬〟が必要なんです。十二月の終わりくらいから随分良くなったんですが、それでも数日おきくらいには、また今日あたりには少し〝点眼〟しようと思ってます。
〝それ〟は病室において義兄たる院長が、死を待つ、私を待つ彼女を辱しめた〝その箇所〟の映像です。
現実に反映させたいなんて欲望は全くないんですが、覚えこまされた映像に重ね塗りすることで消去、昔の自然な本来の私に変換できるみたいです。
自分に素直に生きてます。公にして恥ずかしいって感情より、自分との戦いがブログでもあるんですから訪問者は医者な〝全てを明らかにしないといけない〟問診、質疑応答だと考えています。

 

 


105 恥じらう雲の裏を追い求めた (20100521 非公開)

 

偽善者より嬉しき変態の烙印で微笑むひげ坊主が姿見の鏡台に棲みついてくれる。
奥深き無意識の領域に隠された精神的外傷に自然に投げ続けていた苦悩の今日は、何時の間にやら答えの中に生きていく明日だったと昨日に気付く日が、自分を信じ通せた心に来てくれました。

無口な風に本音を晒さないと潰される。
人に友にも曝せない姉妹の死生が、人とは異なる人で、人、人、人の会社に世間に狭間に埋もれておりました。
素朴な誇りを以て、この世の在りとある権力の集合体と対等に渡り合えた、尊厳ある生と死に生き抜く悦びは無一物の肌身を潤い溢れる生活に押し上げ、、、

 

 


106 病院へ行こう: 19年も淡交会の師範に関係する記憶を喪失していた

 

 

病院へ行こう: 裏千家について

病院へ行こう: 茶を楽しむ

病院へ行こう: 岩田屋久留米店と西鉄久留米駅との相互依存

病院へ行こう: 余命2週の宣告は乳がんだった

 

病院へ行こう: 地衣に咲き風擦り抜けて去年を斬れ

病院へ行こう: 御山に比翼塚の師範と、わたし

病院へ行こう: 雪の結晶の傍らで奇跡の夏下冬上に抱かれる

病院へ行こう: ダイヤモンド・ダストは音色に抱かれてこその素晴らしさ

 

  

 


みんなと過ごす1月10日(木)

2013年01月11日 09時42分21秒 | みんなと過ごす作品展 
 

【今朝未明の空④】その月のアップ。肉眼でも「地球照」が見られました。地球照とは月の影の部分がうっすら明るく見える現象。地球の明るさを反射して月が照らされている状態です。このとき月から地球を見ると満月ならぬ満地球に近い状態です。 pic.twitter.com/0SpSYurz

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( ´ ▽ ` )ノRT @primary9 まあ今更ですが…【謹賀新年】って写真を昨年出張中に撮りましたのでお裾分けw twitpic.com/bsqmum

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赤ちゃんよりも大きくて重たいネコのレオくん、添い寝でお世話が上手です( ̄ω ̄)bというか、半分体乗っかってますけどねw家族だって分かっているのかな(*^^*) amba.to/VIPRnE  twitpic.com/btw9fn

赤ちゃんよりも大きくて重たいネコのレオくん、添い寝でお世話が上手です( ̄ω ̄)bというか、半分体乗っかってますけどねw家族だって分かっているのかな(*^^*) http://amba.to/VIPRnE 
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YUIもう復帰!髪バッサリ別名でライブ(日刊スポーツ) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/nikkan… 

 

昨年限りで活動を休止した歌手YUI(25)が早くも、ライブを再開していたことが9日、分かった。YUIの名前は使わず、「flower flower」という


夜咲きのスイレン‘レッドフレア’が本日二輪咲いております♪♪濃い赤色が美しいですね ヾ(?´∀`)ノ bit.ly/UNyshG 

相浦照吉さんがリツイート | 1 RT

軽井沢野鳥の森ブログ更新しました。「今日の氷瀑」 nwpicchio.blog38.fc2.com/blog-entry-678… 

相浦照吉さんがリツイート | 2 RT

クロワシミミズク雛の公開が昨日から始まりました。 公開時間は10:50~11:30。公開期間未定。 写真は事務所で撮影したものです。 眼がくりくりしていて印象的^^ twitpic.com/btwv9k

相浦照吉さんがリツイート | 17 RT

天満宮さまは梅の枝が賑わってきてました。ほんのり色づいてきてるかな。 lockerz.com/s/275785815

相浦照吉さんがリツイート | 1 RT

県内でインフルエンザが流行しています。学校と保育園では1/9に1500人以上の子どもがインフルエンザで出席停止となっています。帰宅時は手洗い・うがい、咳や鼻水が出る時にはマスクをするなど咳エチケットをして予防しましょうpref.ibaraki.jp/topics/sonota/… #ibaraki

相浦照吉さんがリツイート | 52 RT

みんなと過ごす1月9日(水) blog.goo.ne.jp/goo60xyz/e/628… 

 

#写真展 @ko_shibasaki 魔物の正体 @YukieKawamura DVDオプショット。グアムの海 @ds610jp 厳冬の南八ヶ岳、大同心と横岳

#吉祥寺 @zenshinzagekijo 前進座劇場千穐楽 。「八重の桜」鶴ヶ城。お弓祭り。家庭の医学。雪の戦場ヶ原。お七夜。今宮戎神社。樹々に霧氷の花


寒牡丹です!第三弾! pic.twitter.com/X75C8Hg6

相浦照吉さんがリツイート | 2 RT

Twitter の今日、みんなと過ごす作品展。内容案内 blog.goo.ne.jp/goo60xyz/e/bef… 

 

#昨日 110信号待ちいきなり 109さりながらさりながらとて 108向井理が出演 107「夏の七草」が 106サーフィン 105今日は小寒 104遭難者以外の登山者 他400件以上

Twitter 109 さりながらさりながらとてくりかへす 日常に降る銀の秋雨 
 Twitter 110 信号待ちいきなりウィンドウをコンコン。「のせてってよ~」って、助手席側に回ってドアあけて入ってきた mytubaki.blogspot.jp 

 

#西宮神社 @Portugaaaaa 福男選び  @yumi_puffy 朝まで起きずに @Ichiro_SUMO 胸を出してくれた白鵬関 @67dendela 二条城

#春 @sugizo28 菜の花満開 @TeamUehara フジテレビ「ボクらの時代」に3人で出演致します 

#感謝 @UNICEFinJapan 永続的なご支援に @noranecotv 脱インフル記念ブログ @yoichiomar 選択肢 @YukieKawamura おでんの廃棄

#JAXA @Astro_Satoshi 近未来の種子島コスモポートをデザインする。オーロラ展 @Fukuokacity_pr セアカゴケグモ・ハイイロゴケグモにご注意

@aizu_tsurukan 鶴ヶ城 @shonan_iruka

 

野村、2年ぶり復帰へ=38歳「負けたら終わり」―柔道男子(時事通信) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/jiji/s… 

 

柔道男子60キロ級で五輪3連覇の実績を持つ野村忠宏(38)=ミキハウス=は10日、「もう一度、大きな勝負がしたい。負けたら終わりという覚悟で取り



原点回帰 「 第七部 法治 107 - 116 」

2013年01月10日 21時56分55秒 | 原点回帰 

“威厳と尊厳ある死”の崇高な命題から、延命薬には本人の意思を第一に尊重して頂きたく、情熱から問題として提起させてくださいませ。
意味ある死にしなければならない責務から私には余生で課せられております。見苦しき箇所も入れなければ読み取れない文才に内容となることを、御了承ください。
(107 病院へ行こう: 概念【事実は映画よりも奇なり】 より) 

 

2012年(平成24年)10月13日  第一回目の投稿日

 


あらすじ 【  朝顔  】 これは記憶喪失からの回復過程で投稿したページを羅列しただけでしたが、現在の投稿段階で軽薄も猪突猛進に反発される方には、まず日本史を学び直して頂ければ有難いのですが。

 

原点回帰 「 第一部 純愛  1 - 23 」

原点回帰 「 第二部 殺人 24 - 43 」

原点回帰 「 第三部 告発 44 - 59 」 

原点回帰 「 第四部 言霊 60 - 80 」

原点回帰 「 第五部 薫陶 81 - 93 」

原点回帰 「 第六部 記憶 94 - 106 」

 

そして、挿入する私のは句に詩に非ず折れそうな心の接着剤です。

 

原点回帰 「 第八部 鶴翼 117 - 完結 」

 



107 病院へ行こう: 概念【事実は映画よりも奇なり】

 

原点回帰 「 第一部 純愛  1 - 23 」 から 1、余命二週も、まだ27歳でした。九州での販売を一任された私はオープンしたばかりのニューオータニでの展覧会が終わったばかりの半年後、今度はグランドホテルでも同じく最も大きな会場となる『翠玉の間』で開催した日本画・洋画展に来会されたのが、昼休みを活用された院長であった。この日まで名すら聞いた記憶もない医院です。私邸を訪問した夜が彼女との初対面でした。妻子持ちは足繁く通いだした。出入り業者として。

 

 

“威厳と尊厳ある死”の崇高な命題から、延命薬には本人の意思を第一に尊重して頂きたく、情熱から問題として提起させてくださいませ。
意味ある死にしなければならない責務から私には余生で課せられております。見苦しき箇所も入れなければ読み取れない文才に文脈となることを、御了承ください。
ここからの投稿は2009年の7月にパソコンを始めるまでの、過去千通以上にもなるであろう捜査機関から医師に関係先に対して郵送した内容から、ブログでの投稿には使えない箇所は削除したり描き直した文章になります。

1994年6月28日(記憶を取り戻しだす前から郵送を開始していた日です)

 

 

原点回帰 「 第二部 殺人 24 - 43 」 から 27、内鍵付き病室。妻はといえば、「お見舞いに行ったら、どうして行かないの?」新たな夜のたびに、明ける朝の眩しさに手引きしてくれる。「してはいけない。引き止められている」と、少しだけ内輪話で語り合わす。「何のために家族がそんな事を言うの」妻は一人、頑張ってくれる。温かくって優しき、私には勿体無い連れ合いでした。「わたしに遠慮しているのだったら構わないから、お見舞いに行ったら」口を酸っぱくして説き勧めてくれました。

 

 

2000年2月07日(記憶を取り戻し始めてから徐々に書き直しつつの郵送開始です)


各位殿


咲いて落ちる二つの命な花椿で殺された病室を含む事件が、なぜ表に出ず、なぜ全国を揺さぶる数件もの殺人事件にまで拡大したのでしょうか。
これらが何故、今なお藪の中なんでしょうか。
医の人脈を世間を警察を、私が依頼した弁護士会会長を寝返らせ、裏の組織まで使用して私を謀殺しようとの全てに要石なる医者の家庭内の動機から、関係者の欲得の成長過程を全国へと飛び火させ、なおも火種さえ未だに消そうとしない現状を、問題外とか対岸の火事めかされて安易に切り捨てないで頂きたいのです。
文中の一行が行間が、それぞれに介護・医療・終末期・病室の体制に個々に生かされ、誰にも訪れる死に活きれば、こんなに有難い亡父「相浦三郎先生を想う」色に加えた“貨幣経済の憂い”はございません。

継続できる力こそ財産。
茶は家族にて。

亡父の「相浦三郎先生を想う」は医界で出版してくださいました追悼本の表題であり、私の持つTwitterからブログの存在は、この追悼本について師範どころか今は亡き姉とも生前に交わしていた会話から誕生の、約束した意志です。

(以下、10数枚に至った文章は省略します)

 

 

原点回帰 「 第三部 告発 44 - 59 」 から 50、カネで買えないもの。「赤ん坊の頃から面倒を見てやっている、凄いカネが掛かった、住まわせてやっているとか散々言いたい放題でしたが、あそこは彼女の家じゃありませんか」 すると院長は 「(奥様は)蔵の中を見せてもくれん。仕事なんかせんでもカネはあるが養子に入る条件として代々の医者は続ける約束事があるからだ。医者は趣味だ」

 

 


108 

 

原点回帰 「 第四部 言霊 60 - 80 」 未完 から 
70、2/3 法律。 境界杭の打ち直しで一つの出入り口を完全に奪われる隣地は分譲会社の倒産によって放置されていたのです。総勢四人もの弁護士、大手私鉄、県庁、村役場はこの現状に乗じた。隣地に 「その大物の方の組織」 から幹部の方がボディガードを伴い引っ越してこられた。隣地の倒産した分譲会社の債権者から所有者になられる。境界杭の件が発覚した。
76、3/3 裏と表の社会が反転した犯罪。  隣地の人たちに、表の社会を代表する行政や企業から境界杭を動かされて出入り口に取り付け道路となる要の土地を奪われたという一件が露見する。右翼に暴力団に、表の社会を代表する行政や企業から境界杭を動かされて出入り口に取り付け道路となる要の土地を奪われたという一件が露見する。。。拉致された、、、

 

 

1985年(昭和60年)
、、、3月13日、福岡地方裁判所久留米支部から、(これはコピーなり写真による投稿が必要) 

 

 

 


109 1/6 埋み火 (八王子抗争への道程)

 

1986年(昭和61年)
、、、9月8日、福岡簡易裁判所にて

、、、10月8日、福岡簡易裁判所から、

、、、11月、 

 

 

原点回帰 「 第五部 薫陶 81 - 93 」

 

 

1987年(昭和62年)
、、、2月、九州戦争終結。

、、、6月、

、、、7月、十三回忌まで御山に棲む決心を固める。

、、、8月、高森署のカラシマ刑事が市内の内科院長に護衛を依頼されたらしく、所有される隣の別荘地の様子見に連れ立って阿蘇に来る。この時に初めてカラシマ刑事と顔を合わせた。

、、、9月19日から23日、

、、、秋、師範殺しの院長の謀略に係り、混浴露天風呂に良い人、悪い人・真の姿 の恨み」を受け継いだカラシマ刑事どころか、二率会から阿蘇の連中から自治会内での内通者となる宮尾氏から誰から誰まで欲望という人間の言動が連携を保って私に向かってくるようになる。

、、、11月16日、母に6,716,510円、別離に至った妻に2,054,160円、それぞれ支払えた。他に、亡き師範のメモリアルホールの建設に不足だった資金へと5,000,000を補充する。

 

 

1988年(昭和63年)
、、、2月、最初の別荘となる中川歯科医の別荘の棟上げ。

、、、八王子抗争となる双方の組織(   党と二率会)の初顔合わせ。

、、、ペンション経営者、死す。

、、、3月26日、村民であり小学校校長でもある江藤氏夫妻にとって終身年金ともなる管理費という私利私欲の思惑で自治会の結成に動き出すと共に、私を村八分にするべく教え子から村内総出となる。

、、、4月24日、江藤氏の旗揚げでグリーンヒル南阿蘇自治会結成。

、、、5月12日、自治会総会。

、、、6月末、H氏の別荘が二件目として完成。

、、、秋、私は山小屋の工事を再開する。

 

 

1989年(平成元年)
、、、春にかけ、、、秋となり、今こうして生きている自分自身が不思議。巻き込まれた九州戦争どころの危うさではなかった。。。この時期を振り返れば、、、

、、、5月上旬、内通者に成り果てていた宮尾氏の丸太小屋の工事が始まる。抗争への道をまっしぐらに走り出す。決定的となった。

、、、5月15日から23日にかけて、東京の組織の九州における関係者と言うべきか取り巻き連が隣の土地を別荘地とした売り出しに動き始める。

、、、夏、「連絡してくれ」との電報を◯◯◯◯党◯◯総裁より受け取る。「なぜ二率会が手を出してくるのか?」という疑問を質したかったのでしょうが、この方の名前すら記憶を失っていた私です。この◯◯総裁、東京の二率会幹部のT氏に関係者、太鼓持ちの連中、所轄署のカラシマ刑事、自治会の内通者となる宮尾氏に自治会員のアホなオバサンたち。それぞれは自分の不利益となる教え込まれた私の捏造された悪評の断片しか知らない。ひとつにまとめられるのは私に振りかかった一件一件の物欲で映画した事実であり、とどのつまり脚本家な院長に行き着く経緯の一切合財となる。
◯◯総裁には九州戦争で恩義ある山口組とは知らずに隣地と対峙してしまった二率会、双方の組織とも訳分からないまま、経緯の道程は雌雄を決すべき抗争に突入していく、、、

 

村内まで加わった抗争であり、九州は守り抜けた満足感はあるが複雑です。一人にされても命を賭けて戦わざるを得ない世界に年月での限界を、内通者どころか警察まで自治会の名を借りた組織の支配下に成り果てた現実で痛感しました。

 

 

1990年(平成2年)
、、、1月、北海道函館

、、、2月15日、“組員2人を刺殺。出頭の暴力団員を逮捕” (新聞報道)にて八王子抗争勃発。

、、、3月15日、山陽道

、、、4月、終わったとたん、自治会長の江藤氏が自宅の建設工事に取り掛かる。信じらんない卑らしさ。

、、、5月12日、二率会のT氏が手打ちで阿蘇に来られる。このT氏を陥れる結果を招いた竹原さんを探しておられた。私の忠告をT氏が聞き入れてくれなかった最大の要因が、院長の影響下にあった、この竹原さんの存在でした。二人だけでなく慶九の内山氏も加えた東京の三人は幼馴染だった。

、、、6月14日、T氏を焚き付けていて行方不明だった竹原氏が宝珠山に現われる。生きていた。

、、、9月15日、私は下界に下る。 

 

 

埋み火の思いみるみる雪椿

 

 


110 2/6 国外逃亡 

 

医院の代替わりからアメリカへの移住まで、たった数ヶ月でやらかしてしまった。

なぜ移住できたんだ。グリーンカード(アメリカ永住権)は?

死ぬ瞬間に勝ち組やら勝者で逝けるのは私か、それとも・・・・・

 

 

1993年(平成5年)
、、、2月11日、姉妹の後見人に「事実関係を書き記しております」とだけ、お知らせする葉書を投函している。
ここに至った真相を思い出せ、とダンボール一杯の手帳から阿蘇での九十九日記からメモ類と格闘していた。

、、、3月2日、遅かった。福岡に帰って知るは、親族から画商の私に対する罵詈雑言の嵐。嘘八百も酷かった。後見人にも知己の間柄となる医者の伯父の病状悪化に追い立てられての葉書でもありましたが、訃報。

、、、3月9日、熊本の免許センターに出向くのに合わせて近くの署で二人の刑事からの事情聴取を受ける。
「(姉妹の家と)接触されましたか」と小柄な刑事に私は尋ねるが、途端に顔が曇り、相槌を打っただけで彼は横を向き黙り抜く。院長の圧力が掛かったのを確認した。担当する若い小柄な刑事に苦悩の色が滲み出ている。二人一組で捜査するので、もう一人の大柄な刑事が何か言い含め慰めている。上意下達の哀しい歌だ。
大柄な刑事は「聖人君子だと思っているのか」と自分を納得させる口調で、私を探る。
福岡へと私は日帰りしたが、この日には既に「私を送検すべき、黙らせるべき、たとえ捏造であろうとも」の大前提で熊本県警は動き出していたのです。

、、、6月10日、両刑事が福岡まで来る。一緒に阿蘇へと行くことにした。

、、、6月11日、朝、山小屋に泊まっていた布団を干す私の眼下に車三台から散る十人程の私服が目に入った。私もだが当の見知らぬ刑事たちが驚いている。指揮する偉いさんも首を傾げていた。まるでピクニックだ。
小柄な刑事が私という人間を「(院長から聞いた話とは人間像が)違うでしょ、と囁くと偉いも頷いている。こんな中でも偉いは手錠まで私に掛けようとする。笑った私に偉いは諦めた。
二率会の自治会による刑事告訴を受理され、私は書類送検(平成5年第27号 水道設備損壊罪)された。それも、罪状は私が地域社会を守り抜くべく “一般の自治会員との約束事を履行した件” で。
偉いさんの命には「何故ここまで」と訝りながら、苦しみつつも二人の刑事は調書を書き上げた。上から「前日の10日に身柄を確保しなかった」と二人の刑事は、かなり喝を入れられたみたいだ。かわいそうだった。
偉いも帰っての所轄署では、まるで客人として扱われた。「敵は取ってやる」と二人の刑事に心の中で約束した。ゾロゾロと刑事部屋に戻ってきた他の刑事たちも二人の苦悩を知っており、その夜は飲み会になった所轄署の面々である。

、、、7月2日、この自治会から今度は民事訴訟を起こされる。
訴状には “二率会を八王子抗争に追い落とした張本人の名まで自治会員として記されていた”。
自治会まるごと二率会に組み込まれてしまったのは既得権益の渦と欲望に付け込まれた院長に因る罠、小市民の性。

、、、7月12日、私の依頼人弁護士(大先生)より返信(葉書)あり。

、、、8月20日、私利私欲に走りすぎた自治会長の江藤氏個人の事を焦った失敗で、またしても一方的に民事告訴を取り下げてきた。一人相撲を取っている。

、、、11月15日、書類送検されての呼び出し状が届いた熊本地検宮路支部に「警察の脅しでしょ」と電話を入れた。

、、、11月24日、立野駐在所に譲っていた書類の閲覧にて、一周忌に阿蘇の地を購入した理由の日付けの記憶だけを断片的に取り戻す。

、、、11月25日、地検宮路支部で検察官から取調べを受ける。が、隣室で盗み聞く奴が居る。こいつは盗み聞きに気付いた私の前に仕方なく現れた。そして、とんでもない失敗をやらかす。
“院長の関与”を、私が昨日で取り戻せた記憶の師範を持ちだせた質問の内容から言葉尻で本人自ら認めてしまったんだ。この手合いは下手に出ると何処までも木に登ってくれます。で、落ちる羽目になる。
加えて、八王子抗争勃発さえも知らなかった。組織の手先に成り果てた警察の末路です。

、、、12月27日、地検支部は大掃除の最中でした。この中における質疑応答にて、不起訴という完全なる不問に終わってから私は “師範殺し及び勃発した抗争の真の牽引車たる院長”を、まず “二率会に組み込まれた自治会”から逆に告訴しようとしたのですが、“私は告訴されたのではない” と検察官は嘘を言われ、私の告訴を受理してくれなかった。
そもそも告訴したのは私が 「詫び」 を二率会の自治会やら師範殺しの院長に入れて 「告訴の取り下げ」 を哀願してくる、と踏んでの恐喝行為だったんです。
そこで「何かしらの条件」を出す腹積もりだったんだ。が、私が平気だった時点で 「告訴した意味も何もかも」水泡に帰していた敗北者だったのです。

 

 

原点回帰 「 第六部 記憶 94 - 106 」 から 4/6 眼に沁むトラウマ 歳月を必死になって巻き戻した。考えるだけだと知らず知らずに安易な方向へと逸れていく。だから書いてった。何処かに何か大変な何かが隠されているに違いないんだ。そうじゃないとここまで権力が攻めかかって来る訳が無い。それも随分と子供じみている。国家権力がだ。後ろめたいからこその相手の焦りの色は、私に自信を形で見せてくれた。

 

 

1994年(平成6年)
、、、6月28日、姉妹の後見人と私の代理人弁護士に説明として93年2月から急いで書き上げただけの560枚もの事実関係を書き記す原稿用紙のコピーを郵送する。
後見人の奥様は一ヶ月くらい後に倒れられ、一年ほどの闘病生活にて亡くなられた。
弁護士も翌年1月20日の訃報を新聞で知りました。

、、、8月25日、師範の命日です。
騒々しい。どんな依頼を誰から受けたのか、若い女性たちばかりで我が家を訪ねてくるようになった。雨の日も三ヶ月は日々に絶えること無く続く。が、私は一度も会ってはいない。顔も知らない。 
やがて女の子たちの訪問は週明け、月曜の7時だけとなり、何時かしら止んでいる。
同時に盗聴もされていた。こんな中から、どんな話が在ると言うのか。
おしなべて原稿を仕上げるのに邪魔で呼び鈴も鳴らないようにしていた我が家。
女性たちの件は近所のおばさんたちから聞いたのです。 

(これらの訪問していた理由は、翌年の4月14日に知る。やっぱり身勝手さ故の所業だった)

 

 

1995年(平成7年)
、、、1月末、所轄の高森署から突然の電話。電話してきた刑事の慇懃無礼な口の利き方は脅しに他ならぬ。
今更逃げを打ったって、手遅れだ。腹立つ熊本県警もこれが最後っ屁となった。

、、、3月15日、姉妹の医院に手紙を出す。

、、、4月14日、警察官ばりのサバエなる男からの電話。
「(手紙の内容に)どういうことだ。◯◯氏は医院を代替わりして娘さんの後を追い、アメリカに移住された。奥様は1991年の1月?ごろに亡くなられてある。(姉妹の)あの家はもう無い。だから、もう関係ない。子供は三人だ。◯◯氏が養子だとは知らなかったんだろう」
との調子づいての卑しき笑いだ。この手の情け無い、取り巻き連中に共通する心と笑い方です。
「(師範は)殺しだ」とだけ、一言だけ教えてやった。
驚いていたが、これっきり音沙汰なし。

、、、4月16日、二率会に属する連中を除いたグリーンヒル南阿蘇自治会員全員に手紙で八王子抗争を勃発させた自分たちの罪状を説明する。

、、、5月11日、後見人の医師会長からの返信(葉書)あり。

、、、7月12日、熊本県警本部、高森署、地検宮地にも渡るようにして暴力団を除いて刑事事件の捏造どころか民事事件まで作り上げて私を葬り去ろうとした29名に檄文の六枚を郵送する。

、、、8月、熊本県警本部と地検宮地に6枚で説明文を送る。

、、、8月21日、宮地区検で私を担当された検察官から、電話が入る。

(この年の二月から、去年の1994年の夏以降に訪問してきた女の子たちとは異なるのであろう陰気な卑しい女たちによる嫌がらせ電話が始まったのでした。1996年の1月に、5月25日へと。1997年へと。1998年1月19日へと続いていくのです。このように住む世界が違いすぎる人たち相手で言葉が苦手になった私は活字でしか伝えられない)

 

 

1998年(平成10年)
、、、3月、三年半を費やし改稿の444枚から部分的に抜き出しての郵送で 「攻め」に転じる。

、、、8月24日、新たに依頼したいと考える弁護士に接触する私でしたが、すでに手が回っている。

、、、9月、銀座七丁目の画廊に 「帳簿」の間違いから精算を指摘する手紙を郵送する。

 

 

1999年(平成11年)
、、、5月、佐賀県警の狂犬病に警告する。

、、、6月28日、新たに依頼したい弁護士へと相談に出向くも、、、

 

 

 


111 3/6 官に民に個々に 

 

訴状として告発状として試行錯誤する魂の雄叫びで院長の犯罪事実を申告し、九州戦争後の八王子抗争の真因を暴露し、処罰を文書で面会で求め続けてきました。

以下はその記録です。
告発した郵便物に関しては 「書式に則っていなかった」 たる指摘を一部で受けましたので、一切 “郵送” とだけ記します。

  

 

病院へ行こう: 19年も淡交会の師範に関係する記憶を喪失していた

 

 

2000年(平成12年)
、、、2月7日、師範に “余命2週の告知” から “乳がんの細胞を作った義兄の犯罪行為” 亡父の母校の大学病院においての義兄たる院長の手になる “毎週末の性暴力と描写” 姉との毎夜の性の描写、動機は “師範と私から財産を奪い取る” 根幹に舞い戻った姉妹との記憶、そこに在る八王子抗争および国外逃亡を取り戻し始める。

、、、2月9日、関連の各医師会に郵送。

、、、2月16日、県弁護士会に郵送。

、、、7月24日、福岡地検に郵送。

、、、9月4日、境界杭を間違えての発端を成す建設会社に郵送。

、、、11月30日、院長の所轄署に郵送したら、ブーメランみたいに静かななりで送り返してきた。

 

 

2001年(平成13年)
、、、1月9日、熊本県警本部監察官に郵送。

、、、1月24日、長陽村役場に郵送。

、、、1月31日、境界杭の犯罪に加担した九州産業交通に郵送。

、、、5月29日、福岡県公安委員会に郵送。

、、、12月10日、同委員会から〝通知書(福岡県公安委員会発第2036号)〟が送付されてきた。

 

 

2002年(平成14年)
、、、1月8日、熊本県警本部長に郵送。

、、、1月9日、私の代理人だった弁護士に郵送。

、、、3月18日、福岡県公安委員会に再度、郵送。

、、、4月8日、同委員会に、郵送。

、、、4月13日、熊本県警本部長から〝回答書(熊監第83号、11日付け)〟が届く。

、、、4月17日、熊本地検宮地支部に郵送。

、、、5月24日、同支部より〝回答書(日 記第80号)〟が届く。

、、、6月5日、福岡高検に郵送。

、、、11月29日、警察庁に郵送。嫌がらせの電話が酷くなる。

 

 

2003年(平成15年)
、、、7月12日、

、、、8月18日、福岡県警監察官に郵送する。

、、、9月22日、福岡地検次席検事に郵送する。

、、、9月29日、警視庁に郵送する。

、、、10月27日、熊本県公安委員会に郵送する。

、、、11月4日、熊本地検次席検事に郵送する。

、、、11月27日、九州管区警察局事務局から丁重なる電話を頂ける。

 

 

2004年(平成16年)
、、、1月8日、熊本県公安委員会から〝通知(熊公委第 2 号)〟が届く。

、、、1月26日、警視総監に郵送する。

、、、3月15日、宮地区検に郵送する。

、、、3月22日、県弁護士会に郵送する。

、、、3月29日、福岡高検に郵送する。

、、、4月5日、「売れ残っている三軒のマンションを渡すから手を引け」 なんて物凄い口調での脅迫を受ける。何も喋らないままで叩っ切った。

、、、10月22日、「グリーンヒル南阿蘇自治会 一同」 と称しての返信あり。

  

 

カネを前提にしか考えられない頭の人たちって、哀れだ。それに物質も残り物に変えて。こっちまで、寂しくなる。
このあたりから私の相手は、好むと好まざるとに関わらず〝官から民が主体になっていく〟
例外もあります。福岡県宅地建物取引業協会から福岡銀行に西日本鉄道株式会社、区役所もあった。

嫌がらせ電話は酷い酷い。毎日です。ほとんどは女。淡交会の裏千家師範に対する病室での性暴力を何だと考えてんだろうか。
男からのは分かるが、女からのはホントーーーーー、に情け無い・・・・・。

 

2000年3月22日、鳴り分けコールの機能付き受話器に買い換えていた。番号非通知では呼び出し音すら鳴らないように設定しているのに、後でチェックしてみると、まあ毎日毎日、お疲れ様です。

 

 


112 4/6 時効は停止した 

 

2000年2月7日から「ここは何処。わたしは誰」だった記憶を取り戻し始めるのです。
まず病室における性暴力を思い出し、師範の死の真相、財産の行方など詳細で健全な主体性を取り戻し始めていた。



熊本県警本部は2002年4月11日付け(熊監第83号)で私に郵送した公式文書にて、
「暴力団の支配下にあった自治会の告訴を受け、私が抗争を止めるべく物的手段とした設備で書類送検した」と、図らずも認めてしまった。
続いて熊本県公安委員会までもが、2004年1月8日付け(熊公委第2号)で、同じく認めた。はっきりと。



2005年(平成17年)
、、、4月27日、、、25日付けにて送付した告訴状について九州管区警察局総務監察部監察課から

、、、7月5日、福岡地検に出した手紙で呼び出されたあと、書類送検された時の検察官を懲戒請求したら、一人一官庁は辞職された。
流石、警察なんかとは質が違う。


九州戦争の終結宣言が行われる日時の揉み消しから、熊本県警の刑事たちも、自治会の小中学校長夫妻に歯科医も、国外逃亡への手段として代替わりした医院も、それぞれの組織に懲戒請求しました。が、それっきり。

依頼人は私なのに寝返っていた弁護士と、結果として招いた事件の諸々から、院長に追随した挙句で勃発させる都政最大となった八王子抗争、等々の責任問題については、2000年2月16月から福岡県弁護士会に相談していたが、梨のつぶて。

 

、、、9月21日、福岡県弁護士会(会長 川副正敏)より、9月16日付けにて提出していた「(私が依頼した弁護士に対する)懲戒請求の受付通知(平成17年 綱 第23号事件)」が届く。

、、、11月29日、その依頼していた弁護士本人から(時効成立になって)、院長との間で1985年3月13日作成の和解調書(昭和60年3月8日成立)とやらが送りつけられたが、寝耳に水だ。「そんなもの無い」 と言われていた。が、論点が違いすぎる。何の役にも立たない。それに事件前の成立じゃないか。
この和解調書とやらは、抗争へと走らせ、捜査を担当した所轄の高森署でさえ私には何の罪科もない、と判断しているのに書類送検へと捏造させた熊本県警本部の犯行を後押しさせた根拠にはなるであろう。罪の上塗りだ。 

事情を知らない、案件さえ忘れてあるだろう裁判官でも不審を抱かれるに違いない、
「法廷で公開」なる、身に覚えの無い偽りの文言が調書には記入されていた。
だから、そこだけを質問状にして地裁久留米に送ったが、すでに退職されてあった。

 

、、、11月30日、福岡県医師会より丁重なる助言を頂く。 

、、、12月1日、熊本県歯科医師会から“回答書(熊県歯発第368号)”が郵送されてくる。

、、、12月15日、福岡地検特別刑事部直告係より、検察官に対して懲戒請求を申し出た書面が返戻されてくる。

(すでに辞職されていたのでしょうか、それで懲戒請求では問題外だったのでしょう。それに性暴力から境界杭から暴力団に至る犯罪を申し出たのではなかったから。が、国家権力を後ろ盾どころか後押しされた結果が都政最大の抗争です。発端の院長から全てを闇から闇なんて容認しない) 

 

 


2006年(平成18年) 
、、、1月10日、県弁護士会へ、そして日本弁護士連合会へと懲戒請求、異議申し立て、綱紀審査申し出、と動線のごとくに行動した。

、、、1月17日、福岡県弁護士会(会長 川副正敏)より“懲戒請求の受付通知”が郵送されてきた。

、、、2月27日、熊本県教育庁より“通知(教人第1669号)”が郵送されてくる。 

、、、4月25日、

、、、5月23日、福岡県弁護士会へと阿蘇において境界杭を打ち直して隣地を奪った建設会社側の二人の弁護士へと新たな懲戒申立書を提出する。

、、、5月30日、福岡県弁護士会より、「三年の除斥期間が経過している」との通知書が届く。 

、、、6月16日、私の代理人弁護士に対する日本弁護士連合会からの審査開始通知書が届く。
内容は「貴殿申出の異議(弁護士会の対象弁護士等を懲戒しない旨の決定に対する異議)について、綱紀委員会に審査を求めたので通知します。本件は、綱紀委員会第1部会で審査されます」
本件事案番号 平成18年綱第240号 
審査開始日 平成18年6月15日」

、、、9月6日、

、、、10月18日、再度、日本弁護士連合会(会長 平山正剛)へと綱紀審査を申し出ていたが、綱紀審査開始通知書が届いた。
内容は、「貴殿から弁護士法第64条の3第1項の規定による綱紀審査の申出があり、綱紀審査会に事案の審査を求めたので、弁護士法第64条の7第2項及び綱紀審査会及び綱紀審査手続に関する規定第22条の規定により、通知します」
事件番号 平成18年(コシ)第164号
対象弁護士等 _________ 
綱紀審査会に綱紀審査を求めた日 平成18年10月16日 

 

 

2007年(平成19年)
、、、3月22日、日本弁護士連合会から、「綱紀審査の申出に対する決定について」 配達証明が郵送されてくる。
日本弁護士連合会 事務総長 明賀秀樹 名にて決定書の謄本として送付されたのは、議決書と決定書です。
議決書の主文は、本件は福岡県弁護士会の懲戒委員会に事案の審査を求めることを相当と認める旨の議決が得られなかった。(理由は省略)
決定書の主文は、本件綱紀審査の申出を棄却する。(理由は省略)
事件番号 平成18年(コシ)第164号

 

結果「3年で除斥」との、これ以上は無い「決定」が第三者委員会で下る。
が、おかしい。弁護士って三年逃げ回れば、なんでもありなのか。弁護士会との書類の遣り取りだけで三年以上は流れたではないか。 

そして、この弁護士は県弁護士会会長に就任する。
時は、、、

時効は、逃亡という名のアメリカ移住? で停止したままだ。
日本に残された関係者は逃げ回るしかないのか。

 

、、、4月21日、熊本県警察本部監察課へと対象警察官は 「110 2/6 国外逃亡。から 1993年(平成5年)への高森書のカラシマ刑事と地検宮地における盗み聞きの男」 との二名に対する 「懲戒請求申し出書」 を郵送する。

内容は 「九州戦争の延長線上として八王子抗争へとグリーンヒル南阿蘇自治会を隠れ蓑とする東京の暴力団の二率会を誘導した。それも露天風呂における女性たちとの混浴を邪魔されたとの恨みからであり、暴力団の前に立ちはだかった私を、、、(記憶で投稿するわけにはいかない。院長と絡む提出した二枚目の文面は探しています。そのうちに出てくるでしょう)、、、書類送検までした」

、、、5月7日、熊本県警察本部警務部監察課長より、この 「懲戒請求申し出書」 が返戻されてくる。
内容は 「該当する事実が認められませんでした」 

 

 


113 5/6 肉を斬らせて骨を斬る

 

2009年7月中旬、それまでの郵送に頼る追及の手をブログに切り替えるべくパソコンを購入しました。このgooブログの開設は8月18日です。
今日の投稿では、2007年6月11日から09年7月5日に郵送を終えるまでに投函した分について触れたいと思います。


師範殺しの義兄が院長を勤める〇〇〇市の開業医は勿論のこと、周辺市町村の病医院長にも、私の顧客名簿の先生方だけに限らず殆ど送達させて頂きました。医師会は県内全て、御中でも会長名でも。医療機関の従事者、関係先にも。
当事者たる大学病院に限らず、県内の大学病院には全て。学長どころか病院長から、長の肩書きにも片っ端から。
あの義兄から詐欺の被害に遭われた先生宅は勿論です。この先生の御長男も、師範が入院していた大学病院に〝まさにその時〟において、研修医でした。だから前回投稿した〝叫び〟についても知ってあった。口にしたくは無い様子だったので、私も〝それ以上〟は聞けなかった。

医界は狭い。陰気で閉鎖された特権階級的な意識も強い。

境界杭を打ち直すという犯罪に加担した弁護士に加え、周辺の弁護士にも、当然、弁護士会にも。これについては投稿済みです。

行政機関は福岡県庁の関係部署から県知事。同様に県内ほとんど全て。暴力団事件が勃発した周辺市町村の自治体の首長、対策の行政組織から関係部署にも。

警察は本部どころか私と師範殺しの所轄署にも。その医者の所轄署に至ってはブーメランみたいに前もっての連絡もなく無言で送り返されました。公安委員会には他の話の中から“無言”注意した。
もちろん、警察庁から警視庁も。関係した地検から福岡高検も。

裏千家の関係先。当然、京都の総本部にも。

報道機関は全国紙だけでなくテレビのネット局にも。地元紙は、あの医院の店子にされている西◯◯鉄◯の子会社であり、福岡は城下町。ここの系列に逆らって存在できる会社は皆無だろう。

暴力団員と親交者を除くグリーン〇〇南阿蘇自治会員は全員と、村役場から職員などの関係先。

画商としての取引先から、例の銀座の画廊どころか業界内、関係先、倶楽部にも。


以上、千通以上なのは確かですが二千なのか何千通になるのか、さっぱり分かりません。

結果、生まれたのは私を黙らせる勢力が強大になっただけ。
原因を闇に葬る福岡では、発生する発砲事件、凶悪事件と比例するかのように。
これが福岡の土壌、風土、土地柄だろうか。

 

 

2009年7月中旬、それまでの郵送に頼る追及の手をブログに切り替えるべくパソコンを購入しました。このgooブログの開設は8月18日です。逃しはしない

 

 


114 6/6 秋霜烈日

 

三年で除斥とは、おかしな三年です。私の告発は何時でしたっけ。後始末まで押し付けられた私が今、こうしてここに活動する。

日弁連の綱紀審査会委員長の姓が重大な過失ある福岡県警現職警察官から司法試験に合格して弁護士になった人と同じなのは偶然の一致ですか。不思議だ。珍しい姓なのにね。
この弁護士はまだ若くして他界されていた。これも最後まで、日弁連に行くまで福岡県弁護士会は隠し通した。

除斥との決定が下されて直ぐ後、私が審査を申し出たこの弁護士は県弁護士会会長に就任する。
裁判員裁判が始まろうとする、法曹界内部での下準備で誰も成り手がいない大変な時だったらしい。
弁護士会との取引か、押し付けられたのか。次の会長も関係者たる弁護士だった。
この流れ・・・何なんでしょう。

八王子抗争の舞台となった道警、警視庁、山陽道の各県警、並びに検察は何処を如何捜査されたのか。
暴力団を使用した師範殺しの院長から南阿蘇の闇を暴かないどころか、一般社会に姉妹の医院まで命を賭して守りぬけた私を、暴力団の意に沿って犯罪者に仕立てあげようとまで行動した。

国外逃亡という名の米国移住させて一切合財が闇に葬られた。
が病室の百八夜に比べると、戦争から抗争を生き抜いた九年間の史実なんて片隅に小さく内容も無い三面記事だ。
私にとっては彼女の殺され方が全て。
きっちり、はっきり、すっきり、したい。
わたしの頭には警察と法曹界と戦う場面しか設定されていない。
そして勝とう、勝ちたいとも考えていない。
正々堂々と戦いたい・・・それだけ。

次回は最も忌み嫌うカネを書かねばなりません。
貴方は幾らだったら御自分の奥様の妹に癌細胞を植え付けて殺し、死を待つ床も聖処女を犯せますか。
それも彼女がまだ乳幼児だったころから一つ屋根の下で一緒に暮らし続けた嫁入り直前の尼僧の娘を。
それも余命二週の宣告に付け込んで。どうせ死ぬんだったら楽しませてもらう、と。
それも、医者で。

 

辞職された、、、

 

 


115 医院を代替わりできても米国移住できても

 

考えた通り余命いくばくも無い“二週間”で大学病院に搬送された二十七歳も未婚の乳房を肉体を、
「どうせ死ぬんだったら終わり、楽しませてもらう」
と、自分の医院が休診となる毎週末もで犯し続けた義兄も院長は、私から暴力団抗争までの一部始終を告発されるや否や、たった数ヶ月で、あの医院を長男に代替わりすると共に、米国に何故か移住できた。
私から母から取引先から騙し取ったカネを日本に代替わりという名の医院に残して。米国に抱えて。
八月二十五日早朝まで百八夜の性描写で記憶を失った私でしたが、阿蘇における何人もの女性達の温かさに触れて自分を取り戻せました。
追求の手を緩められるはずもなく。

 


・・・そんなこんな活動の2009年春。そこなる市長に郵送した数日後の出来事、、、

我が家の周りに数台の警察車両が集まるが暫らく待機していた後に離脱してしまう。

凄かったのは次の夜。かなりの仰仰しさで道路を占有するパトカーに警察官の頭数の多さを通りがかりに目撃した親戚から一報が入りました。報道まで居たんじゃないでしょうか。
「(わたしを)捕まえに来たとよ」
親戚は笑いながら心配していた。

しかし、この時には既に私も知っていました。二時間近くは騒々しかったからね。
警察の現場責任者に一言、申し上げます。
「携帯で指示を仰ぐ際、被疑者扱いの私に電話での話し声を聞かれてどうするんですか。うちの窓際にまで歩いて来て電話するから筒抜け。落語みたいでした。ビルの間は響くんですよ。特に夜間は。以後は気を付けるように」
このまま、静かななりで、解散と相成ってしまいました。ガソリンまで消費しておいて。

骨を斬る、だなんて私も調子に乗って本音を書き過ぎました。
警察に呼び出されての「性犯罪」から「詐欺」に「国外逃亡」と本筋を辿るつもりだったのに、もう期待できそうにありません。

「応える立場」じゃないと、核心となる部分を性描写が占める犯罪において全貌を明らかにするのは精神的に苦しくて難しいんだよ。
一度Twitterで楽しちゃったから尚更だ。緩んだ気持ちを引き締めて元に戻れるや、否や。
自信、ない。
包容力が欲しい。
一人じゃ多分、挫ける。

 

 衆人環視の中での警察の最後の足掻き。。。こんな活動の2009年春。そこなる市長に告発文書郵送した数日後の出来事。我が家の周りに二夜連続して警察車両が物々しく集結するが数時間も待機した挙げ句に退散

 

 

原点回帰 「 第八部 鶴翼 118 - 完結 」

 

 



116 ここまでの登場人物・団体、一覧。原稿の山から書類から確認しつつの投稿になりますので文章から固有名詞まで日々に書き加えることになります。小さきは記しません。

 

【あ】

相浦照吉
阿蘇国立公園管理事務所
荒木新一 (1995年、平成7年1月20日 没) 
奥田邦夫
大島竜眠
岩田屋本店
岩田屋久留米店 
オリエント・リース 
大牟田医師会

 

【か】

小林画廊
グリーンヒル南阿蘇 
グランディア 
九州三井不動産販売
九州管区警察局 
九州産業交通 
九州厚生局 
久留米大学
久留米大学病院
久留米市医師会
久留米市長
警察庁
警視庁
熊本県庁
熊本県警察本部
熊本県公安委員会
熊本県警高森署 
熊本地方検察庁
熊本地方検察庁宮地支部
国家公安委員会 


【さ】

実吉安弘
実吉安英 

 

【た】

長陽村役場 (現・南阿蘇村役場)
田邉宜克
田島昭彦 (昭和63年5月16日 没)
竹中土木
東京美術倶楽部 

 

【な】

西鉄久留米駅
西日本鉄道株式会社
二率会 
永田恒久 
日本弁護士連合会 
日本皇民党 

 

【は】

博多大丸
福岡県警察本部
福岡県公安委員会
福岡県警久留米署
福岡県警西署
福岡地検
福岡高検
福岡県弁護士会
福岡地方裁判所久留米支部
福岡簡易裁判所
福岡県医師会
福岡市医師会
福岡県知事
福岡市長
福岡銀行 

 

【ま】

三井ホーム
三浦啓作

 

【や】

山口組
柳川組 

 

【ら】

 

 

【わ】

 

 

 

 

原点回帰 「 第八部 鶴翼 117 - 完結 」