事実は映画よりも奇なり

乳がんで余命2週の告知もキリスト教の27歳の裏千家師範は延命薬で百八夜を内鍵付きの病室にて戦うも・・・

原点回帰 「 第五部 薫陶 81 - 93 」

2013年01月14日 19時53分54秒 | 原点回帰 

終結宣言の行われる日時に場所の情報は、六日前の夜の八時か九時の二十分から四十分の間に、警察も二箇所に電話で通報してあげた。現在の私がここまでおおっぴらに警察から法曹界まで含めて対峙できるのは、これら真実と誇りを身に纏っているからです。この九州戦争が切っ掛けとなって暴力団対策法が制定された。(82 時速60で車間距離25が30分映画するには何台必要か より)

 

 


原点回帰 「 第一部 純愛  1 - 23 」

原点回帰 「 第二部 殺人 24 - 43 」

原点回帰 「 第三部 告発 44 - 59 」 

原点回帰 「 第四部 言霊 60 - 80 」 

上記を読まれてない方は目を通してからにしてください。この物語は三流以下でも推理小説な内容となります。

 

あらすじ 【  朝顔  】 

これは記憶喪失からの回復過程で投稿したページを羅列しただけでしたが、現在の投稿段階で軽薄も猪突猛進に反発される方は日本史を学ばれたら如何でしょうか。

 

原点回帰 「 第六部 記憶 94 - 106 」

原点回帰 「 第七部 法治 107 - 116 」

原点回帰 「 第八部 鶴翼 117 - 完結 」

 

このページのタイトルに挿入するリンク先は原文。

 



81 殺したのは私です

 

阿蘇ファームランドが建設される以前、ここには国立牧場の牧草地が広がっていました。
連なる丘、丘、丘の栄養がたっぷりと与えられて維持管理される草本が風と共に生きて四季に伏せる素晴らしきロケーションを鮮明に覚えています。
ランドに遊びに行かれた思い出ある方は、周りの景色を心に蘇らせてください。
丘に車を乗り入れて写真を撮る家族連れ、女性に子供たちの屈託ない楽しそうな声が樹木に谷に外輪山に木霊します。
車の中で朝を迎える男と女の性も多いとまでは言えないが、居ることは居る。
ひとつひとつの丘に、一台、あそこにも一台と数えられても一所に二台はない。
暗黙の了解か。目立つのは夜空に花な車体のシルエットだけ。

数十年ぶりとかの厳しかった冬も三寒四温に始まる春を迎えようと抗う、その日は暖かくなった日曜の朝でした。
寝ぼけ眼で外に出る隠者は20メートルばかり先、木々の横に2頭のドーベルマンを見つける。
ゾッーーー。。。
思いは長いが、血の気は一気に引いている。

唸り出た。
数回だけ、早いが落ち着いて四肢を運動させただけで、もう半分近くも距離を縮めた位置にまで迫っている。

この間、まず私は自分の太股を激しく打っ叩いている。
逃げず、手足を動かさず、ジッとして高い位置から静かに気合いを込めて目だけ、だけを睨みつけてやると直前でも空中でも、犬は必ず止まる、と弁えていた私です。
瞬間で、この行動が実践できました。
時は日常から2秒で死ぬ覚悟が出来てしまう時代だからこその、精神でした。

(これ、狂犬病の犬は勿論のこと、闘犬には使えませんからね。目は二つある。近づきすぎたら左右どちらかに決めて焦点を当てるんです)

硬直しながらも一旦は拳も握り締める。
生卵は二つとも完全に身体の中に逃げ込んでしまったのを覚えても、おしっこしたいのさえ忘れても、心は折れなかった。

早朝の清々しい大気に抱かれるはずだったのに、重く低い唸り声は近頃やたらと森を震わせていた不気味なモノの正体を納得の確認させる。



殺しました。



「放たれたのを恨んでくれ」
左手で拝んだのは、その類にあっても突出した無条件に素晴らしき体型の2頭です。流石は日本最大の組織でした。
そん所そこらの組とは何から何まで違い過ぎ。
たびたび映画で観たシーンのドーベルマンたちが、バック・トゥ・ザ・フューチャーばりに時空間から飛び出してきていた。

のちに聞かされる話ではドイツからの直輸入。価格から訓練費用は正にポルシェもカレラでした。
可哀相な愛玩犬でした・・・・・ごめんね。止むを得なかったんだ。

この朝露は当初、久留米の 「殴り込み」 だと受け止められて大騒ぎになり、熊本県警にも非常召集が掛かった。
関係者も双方の世界で緊張が走った。

ここで冷静に考えて頂きたいのです。

及び腰、逃げ腰だった熊本県警の言い分が、
「九州戦争(確か双方で50人近くが殺害されていたと記憶します) は福岡の事件であって、熊本では何も事件を起こしてはいない。本部長にヤル気がない」
でした。
これが根底から覆るのです。
冒頭に落とした観光客が殺られたら・・・・・。
怖がっていた熊本県警も動かざるを得なくなる。

が、私を野放しには出来ない。面子を重んじる裏社会なんです。
で、終結宣言の情報を態と私に流す事によって、何処かの組織に 「私を殺す大義名分を与える」
殺人っていうのは裁判費用から残された家族の面倒まで見ないといけないからカネが掛かるらしい。

一週間を切ったら宣言の中止を求められても間に合わない。
で、六日前の漏洩となっていた。
が、これも熊本県警の逃げで失敗となったんです。


だから私は空に地に生かされている。


人間の命なんて何処で拾うのか、わかんないものですね。
あの2頭、天国で師範と姉が可愛がってくれているでしょう。

そのうちボクも逝くから。

 


82 時速60で車間距離25が30分映画するには何台必要か

 

青春キャンパス前は山道にあってもここだけが100と10メートル続く直線になっている。

たった100でも絶対に60以上は出している九州戦争の終結宣言に集まったベンツの全長が少なくとも3台は入り続ける。
何回置きかは4台が走り抜けた。稀に5台だ。
さて問題です。午前0時15分から38分までの間に何台のベンツが通ったでしょうか。はっきり途切れ出したのは45分過ぎです。
わたし頭わるいから計算できません。

零時の五分前あたりから、交通整理する声が聞こえ始めていた。
私を意識して、感づかれる場所は最後に残しておいたみたいです。
広大な土地があるから離れたところから先に駐車していったんでしょう。
集まってくるベンツは、前もって知らなければ気付けないほどの静けさでした。

一転しての誘導です。
すぐに拡声器での演説が始まった。数人が代わる。
零時9分には静かになります。

そして夜を切り裂くアクション映画。
“単純な反復的な車列だろう”と考える人は、私の書き方が悪いからだ。
ビデオに撮らなかったのを悔やんでいます。
街路灯なんてない。ウチの電気もテニスコートの照明も落としている。
外輪山を走るヘッドライトさえ見えない。つまり真っ暗闇。
この闇を切り裂き、すっ飛んでくる車の数、途切れない。

絶やさない段取りも素晴らしいが、車間距離の無さは、ド迫力。
闇の森の夜から出現し続ける黒一色のベンツの車列。
下る山道の研ぎ澄まされた暗闇に時空を超越して吸い寄せられ、フッ、溶け込んで消え続ける瞬間が永遠の闇を現実に無口な風で刻みつける。
これだけで短編映画になった。

延岡から宮崎方面に帰る車はウチの前を通らなくても“登り”の別ルートで行けますが、それこそ曲がりくねった道を走らなければならない。
観光ホテルのお泊り組がいたら、それも登りになる。
“その家”に少し滞在した車もあるでしょうが、これらは少ないと思われる。
だから終結宣言に集まった殆んどの人たちは、ウチの前をすっ飛んだはずです。

ここでおかしな話がある。
私は1時25分まで起きて、映画の続きを見ていた。不思議なことに“登り”の車は1台も通らなかった。軽も二輪もトラックも。もちろん警察車両らしき普通車も。

市内からは一時間の距離なのに。それも真夜中。もっと早く来れるのに。
私のレコードは昼間ですが、繁華街にあるデパート裏の駐車場からで40分と数十秒。
もっともっとおかしな話がある。
この騒動の通報によって日本の全警察官の半数以上に戦後最大、つまり警察発足以来最大の非常招集が掛かったんですが、なぜ?
高速のインターで検問に入ったらしいが、どれだけ離れたインターで成功しだしたのでしょうか。
笑える。
ま、北海道は間に合ったでしょうね。
半数といっても沖縄に離島に事務職は省かれるだろうから、全員といっても良いんでしょうね。
真夜中に叩き起されたのは何万人になるんでしょうか。
熊本の失態のために。大変な月日を捜査してきた福岡の現場が可哀そうだ。

何故なら、この終結宣言の行われる日時に場所の情報は、六日前の夜の八時か九時の二十分から四十分の間に、私は警察も二箇所に電話で通報してあげたから。


殺されるかも知れないが知り得た情報を通報するのは国民の義務だろうと死を賭して決断したのに。
現在の私がここまでおおっぴらに警察から法曹界まで含めて対峙できるのは、これら真実と誇りを身に纏っているからです。
この九州戦争が切っ掛けとなって暴力団対策法が制定された。

2キロ下った国道57号線で湯布院から大分方面は右折ですが、これ以外の国内は全て左折します。高速に乗らない熊本市内でも郊外でも殆んどがインターまでは同じ30キロ余りの国道を走る道程になる。
遭遇した人たちは驚いたでしょうね。
だいたい信号では止まったんでしょうか。
止まらなかったでしょうね。
いちいち止まってたらもっと大変な事態を招く。
途切れるのを待った車、国道を横切りたい車、市内への同じ車線に入る車、横断したい人に車、どうしたんでしょう。
それもこれも相手は押し並べて黒きベンツ。車種どころか後部座席まで似たり寄ったりの影。
未知との遭遇には目が点? 飛び出た? 覚めた? 据わった? 

一緒に走れば良かった。後悔するなぁ。ビデオ・・・・・・・・・・、もっと後悔している。
ふたつ共に可能だった。
アーーーーー、取り返しの付かない人生最大の失態です。
あんな車列は日本の歴史に残る。おそらく最初でしょう、で最後でしょう。
永遠に語り継がれるんでしょうね。目撃者として光栄ある孤立だ。

一点を全長4,5メートルの車が速度60キロで車間距離は25メートルとして30分間途切れさせない為には何台必要かの映画する冒頭の問題ですが、わたし、ホントーに、わかりません。
誰か教えてください。(約1017台)

 


83 「座って半畳、寝て一畳」 の 「国外逃亡」 の起動

 

 ひとつひとつ片付けていくのが投稿では読みやすいだろうと考え、【御山】の章を飛び越えていましたので、遡ります。

何回分かはダラダラした、でもこれこそ記憶喪失した私が師範やらクララとなる彼女と一緒に生きた偽らざる日記です。
記憶がどうの亡霊がどうのでなくっても、下界で普通に生活しておられる家庭も幸せは平凡な日常の繰り返しであって似ていると思うのですが・・・。




  空蝉の代ぞ鏡見す扇子腹

 


いったい何十人が殺されるのか。これで法治国家なのか。このまま有耶無耶、闇に葬って良いのか。
境界杭から差し押さえられた案件で資金調達の一手段でもあった一部の土地の分譲販売が不可能となり、阿蘇の青写真は大きく変わった。

ここはレーシングカートのコースとなる。
照明付きのテニスコートにオートテニス、キャンプ場に整備した。
青春キャンパスと名付ける。

彼女が楽しめるCAMPUSは、女でも生きていくオトコの生活空間らしかった。
白いCANVASに沢山の色で色んな感動をそれこそ贅沢に塗り込めていけるのは感泣の逢瀬を重ねる、洗い髪との遊び方も客色です。
剣山など、花を散らせる道具も買った。
年収へのジレンマも抱えて 〈国破山河在 城春草木深〉 格好つけ、家庭におけるオトコを可能に出来なかった詫びは贅沢貧乏を自惚れだした。
晴嵐の丘に八畳と六畳二階屋のプレハブも二つで置いた。
すすり泣きの木々を久留米の植木市と自宅の庭から調達して、配した。
水盃に、花々も植えた。
目指したのは似たもの同士からの同体化、ふたなりだったらしい。

二階屋を倉庫にして、住むのに使う八畳の前には焚き火にと、太い丸太を井形で積み上げ、似合うからと誰に憚る柵も無く、荼毘と粋がっていく。

怪訝な顔の観光客には、
「過去を荼毘に付してあげる」
真顔で歯を出し、笑いを誘うのだから呆れてしまう。

注がれた性を連想させる態度から息は、霊魂が私の身体を弄んでいる彼女の時に現われる。
裏千家師範からクララが隠れていても心で慕っていられる本色の私の正気では、何も言えないものである。
ときどき、村の消防団がサイレンを鳴らすのでは、と気も小さくなる大きさの小火にも、火柱が天に昇る。
ポンプの容量一杯に汲み上げる井戸は忘れ水へと流しっぱなしだ。まれに虹となる。

周りを手作りの椅子やらテーブルで囲んだ地は、細長い丸太三本を立錐に組んで自在鉤をぶら下げる鍋や、下には金網を置く食事処であり、蠟燭にランプに草、花また華の居場所だ。
離れて、これらをグルリと馬留めみたいな丸太の柵やクロスボーの射的場、銅鑼に下界からの木々で配置した空間の思い入れを、居間と読んでいた。

 


84 「ここは何処 わたしは誰」

 

 

 

記憶喪失といったら良いのか逆向性健忘症といったら良いのか分かりませんが、
「ここは何処、わたしは誰」
と、なっていた阿蘇での生活だったのは確かです。

生きているのか、死んでいるのか。
食事したのは何時だったのか、今日は食べたのか。
陰膳をしているが、誰の膳なのか。
こんなところで何をしているのかも分からない。そんな毎日でした。

こんな私を助けてくれたのが師範の愛弟子との偶然の出会いであり、殺し合いの渦中に叩き込まれての緊張感です。
このどちらが欠けていても自分を取り戻せた今の私は無く、落ちるところまで堕ちていた私だったと思われます。

 

 

 


85 1/8 七夕

 

坂本繁二郎画伯の絶筆となる【幽光】を天空に観た先月七日が切っ掛けとなり、星の落とし子な入院前の色音ばかりを紐解く日々が立ち続いてくれる、その日も話しかけて日常が始まった八月の鼓動から生まれた会話でした。
いきなり 「昨日に出席できない白々しい法要」 を御山から俯瞰するのです。

ここからです、吹き抜き屋台となった 「家」 から甘さ控えた未完の大器だけを、互いに院長夫妻を除いた師範だけの思い出話で終始できた三十六時間でした。
もし、この娘との出会いがなければ私は間違いなく堕落していた。

桜月から秋風の月、幽閉される御山も朧に晴れてきて、やっと彼女を探し出せる阿蘇でした。狂いの五年は長かったぁ。

「逢わせてくれるんだ」
マリッジリングなる必殺の天使の虹彩に素通しになる行き交った師範との百夜が悪戯っぽく笑む。
噴煙が大気に語りかける其色月は晩夏を見つける天蓋の下『青春キャンパス』と名付けた野外劇場で第六幕が神妙に開いた。

四十路も迎えようとする荒れ肌を忘れさせる週末の騒ぎが治まり、のんびり起きだした月曜の閑散とする風の朝。秋の気配を聞きだす二十五日、わナンバーの車が駐車場に停まる。
閑居を回転軸として忘れていたり思い出したり、磁極は揺れる。
視野に入る扇面の天地が常の舞台。

パイプカットの下半身麻酔から痛む背を主軸としてざわついていたのは師範だったと、この一ヶ月余りで思い出せていた。昨日が、五才になる天使の誕生日でした。

テニスコート横を下り、ふたりの娘がこちらに歩いてくる。花道みたいな明るさで。
「テニスをさせてください」
呼びかけられた私はラケットや靴を貸し出しながら何時ものように話しかける。

「何処から来たの?」

「両親の名代で茶の先生の法事に来たんです」

私の動きが止まる。靴を落とし、押し黙ってしまう。後に聞いたのだが瞬時に顔色まで変わったらしい。

「どうされたんですか?」

つい私は娘たちの一人に尋ねてしまう、
「〇〇さん?」

「どうして知ってあるんですか?」

中の一人が驚き、かなり動揺している。
もう一人からの 「なぜ?」 な顔つきに、
「有名だから」
友達に答えてあげた娘は、その娘と小声で話し合う仲となった。

 


86 2/8 さすが裏千家も師範の愛弟子だった

 

孤立した男の私は、
ヒヨロ、立ち上がり、フラフラ、壁も天井もない土間の応接間、大きなバーベキューのテーブルの側、手作りの長椅子に戻って、
ヘタ、座り込んでしまう。

少しして、気にかけてくれたのだろう、朝風みたいに歩み寄ってくれた娘たちと話し始めるは爽やかさが、止まり木に渡った。
クララの弟子という純粋な立場の人とならば、それも遠方、膨らむ桔梗色の満足感だけ取り出せるかも、と一気に期待した。わだかまりなんて知らない筈だから、とも後ずさりしそうになる気持ちを拭い去れた。
この数週で思い出せたばかりの過去を閃光が照らし出し、破天荒な初舞台の緞帳を上げる今日は六回忌法要の翌日だった。

「テニスなんてどうでも良い」
優に優しい弟子の娘と薄暗くなるまで話し込んだ。
横合いから、キッチリと口を挟む、なかなかしっかりした娘の方は、弟子の両親から御目付け役を仰せつかる友達だった。
近くのペンションを予約していたので御目付け役だけチェックインで先に入ってもらい、弟子と二人だけで花を咲かせる。わナンバーで一足先に離れる御目付け役が、私と山の中で二人っきりになる弟子を心配していた。
二人の掛け合いを思い出すと笑える。
夕食時の呼び出しに応じて送る道は上り坂でした。

興奮しだす西日の、飛び離れて優れだす草葉の影が邪険な透明人間の罪を分身で引き回し、吸い寄せる陰が暗幕で隠さない、隠し切れない、隠しおおせる時でした。

なぜトタン屋根の組み立て住宅もキャンプ場そのものにした小屋に住んでいるのか完璧に理解していたばかりか、その言い回し持つ決まりごとも自然の妙には驚かされた。まだ二十歳ちょっとなのに流石の弟子である。

・・・彼女を観た。

翌朝、少し前から土砂降りも黒髪の山を下り、昨日より一時間ほど早めの十時頃、約束通りにやってきた。
あまりにも気持ち良くって早くから目が覚めている。澄み渡った空に朝霧のしめやかさと共に待ち構えていたら、二十五年ぶりという大型台風十三号が先に来た。
お尻をツルツルのタイヤでモンローウォークさせながら、山道は黒川温泉の露天風呂まで縫い、遅い夜まで三人で過ごす。

 


87 3/8 さっちゃん、みっちゃん。愛弟子と御目付け役

 

「(あの家では)彼女だけがキリスト教だった」
「だから仏壇が変わっていたのね」
私は見たことが無い。たまらなく切なかった。

この前夜は弟子との別れの後ろ姿から、深まる夜は夜で夜泣きの赤ん坊みたいに、夜明けは寝起きの空間で天使を追いかけ回していた。
弟子は限界を読む時空に身を置いて、聞き役に徹する。

わたし一人で喋り捲り掘り下げる万分の一から、
「あの人は養子だったんだよ」

「不遜な言葉や行いは忌み慎まなければいけません」
な感じで娘たちは顔を見合わせ、頷き合いながら怒りの眼差しで私を見据えた。

それは本末転倒も甚だしく、ましてや戸籍に関わる秘密で風潮の一を成してはならないたる世間の常識を破り、個人的な嫌悪感の有無に無理矢理くっつけて、話題を身勝手な位置へと膨らませようとした過失で咎める四つもの強く焼けた眦でした。

この子たちは確かに正しい。
ならば、

「家に置いてやっている・・・・・

「あっ!! 
と二重奏した。

深き三重奏の溜め息が、鈍い黙読に続く・・・

 


88 4/8 「産まれてこなければ良かった」なんて言わせない

 

この娘たちは確かに正しい。が、

「それじゃ、家に住まわせて・・・


あっ!! 息もピッタリ、デュエットする楽器の二人です。
弦楽器で低く沈む楽譜を黙読する。
・・・・・・・・・・・、
沈黙を破る溜め息は三人での呼吸が一つになって見事な三重奏した。

「わたしも不思議に思っていました・・・

静かな、愛弟子の、自身から納得させる独り言でした。

重々しい、人間界の骨子を震わす響き、一刀両断です。

長めに、浮き世の風さえ凍りついた雄弁に勝る沈黙を友たる隙間で抉じ開け、にじり寄った目付けに深まっていた無言の問い掛け、
「そうなの?」 に、

「わたしも!」 と、
頷き返す大人の女性たちでした。



あの家を知る人で、戸籍上から不文律と化す入籍原因ある院長だと知らずに面識も無いという人に会えるのは初めてでした。
それだけに姉妹まで新鮮な、汚れなきトライアングルからの新しき音色。

不文慣習に従って居られた「師範と私」の周囲の方々は、
存在した慣習の中身を知らない外の世界からは、
「姉妹が一緒に住んでいる」
これだけで疑問を抱かれる、と気付いておられたのでしょうか。

恐ろしき慣れか、脇の甘さか。
この、抱かれる疑念の存在、
裏千家も師範は、クララな生き方は知っていた。
姉は、気づいてなかった。
院長は、義兄は、夫は分かりすぎていた。そして、だから利用できた。

「家に住まわせてやっている。ーーー。
「ーーーーー。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

・・・余命2週の告知どころか、乳がんの細胞さえ、病室における毎週末の性暴力だって、ここから始まっていくんだ・・・

私と、死を待つだけの床。
「産まれて来なければ良かった」
「そんなに嫌われてしまったの」
なんて彼女が言い残した言の葉を御山で探求します。
記憶喪失に陥っても当然の私だったんでしょう。

茶は家族にて。
奥深き意味、もう一度、考えたい。 

 

 


89 5/8 「そんなに嫌われてしまったの」なんて言わせない

 

戸籍上から不文律と化す入籍原因ある院長だと知らなかった私にしてみれば、いや、全ての知らない人から観た場合、
「(彼女を)家に住まわせてやっている」
この院長の言葉こそが正しい認識と世間であり、姉妹が反社会的な人間たちになる。
ここから院長に同情もしてしまった私が、咲いて落ちる二つの命を持つ本来の花椿に生きようとした彼女を惨たらしく殺してしまったんだ。
私さえ・・・・・、

私が見舞いに来るのを毎日毎日待っていてくれた。

滞空時間に重力に押しつぶされたくないと、
「ボクは好きだったんだよ。でも妻子持ちなんだ。お姉さんや姪っ子さんはボクを恨んでおられる。
『見舞いにし行くな。行っても無駄だ。家族の問題だ。嫌われるから行くな、と言われていた。みなさん、思い違いしておられる。
彼女が会いたがっている。会える、なんて知らなかった」
休まず一息に胸の煙を吐き出せました。

「どうしてお姉さんに話さなかったの? わたしが言ってあげましょうか」

「彼女は喜ばない。あんなに仲が好かった姉妹だから、もう彼女はお姉さんの幸福を願うしかない。今のボクには彼女を悲しませる真似は出来ない」

この私へと愛弟子が、
「コクリ」 答えてから眼差しを伏せるのは、わたしがはっきり答え終わるのと、ほぼ同時でした。
「離婚も出来ないだろう」
付け加える私の言葉に、

「じゃ誰が悪いの?」

「ボク!」
すぐさま問い掛けに答えた私の、
ふたりとも朗らかに笑ってくれて訪れた高気圧の爽やかさに小躍りできる胸を割った女と男の受け持ちから持ち場に位置は、クシャクシャに崩せる目鼻立ちどころか入院後の長い長い苦しみも何もかも一発で解放してくれた。
「(院長には)人には守らねばならないものもあって、重圧もあったんだろう。立場だったんだろう」
なんて言えた私は、ずいぶん御山で年を取った。

言った途端に家族が娘の幼顔が浮かぶ。自分でも驚愕に耐えない自身を持て余した時間で覚えています。
・・・言葉に溺れていたのかも。
「姉は大切にしてくれるだろう」 とは言ったものの、頷いた愛弟子とは裏腹に全く自信は無かった。
が、しかし、口が滑る軽さなく、気重に・・・道を塞いだ。

この年月において、姉と院長の夜の営みどころか彼女に対した性描写は完全に私の記憶から抜け落ちたままだったんです。
楽しかった思い出だけを、七夕で思い出せただけでした。

 


90 6/8 茶は家族にて

 

娘たちは私に経過した歳月を数えたみたいですが、飲み下す。
この年頃の女の子にしては珍しく好い出来具合に育っていたし、裏千家からフランシスコ修道会を彷彿とさせて生き返らせてくれる活力だけに素敵であり、これはこのまま優しくて素直な師範の大きさになっていた。
横着な書き方が続きますが〝子を見て、親を知る〟みたいな大らかな大気に包まれていました。

歯止めが利かなくなっている。交わしてはならない場面までも、ラジオのDJばりに成り下がっていた。

「いい加減にしてよっ。ふたりともおかしいわよっ」

御目付けから強く意見されたが、思い悩ませてしまった愛弟子なのに、なおも庇ってくれました。
恥ずかしい。
お弟子さんは情の細やかな、思いやりに溢れる人でした。
私が何年もの間、一人で我慢して誰にも言えずに苦しんでいるのを見て知り、じっと聞いていてくれたのです。
短く、そんな言い回しが燃えた弟子です。おもむろに、

「亡くなった後、こんなに何年も思っていてくれる人が居て、先生は幸せ。わたしにもこんなに思ってくれる人がいるかしら。やっぱり先生が好きになられた人」

自分の言葉も心の色で・・・歌ってくれました。
最高の表現力です。ありがとう。

今の私が在るのは、ふたりからの、これほどの栄養素を取り入れられたから。
ですが当時は性犯罪から記憶喪失の存在に気が付いていなかった訳ですから、実際は 「私が先生を思う」 意味が数本の線路になって交差したり離れたり複雑なのが事実です。

「わたしは親が決めた人と結婚しないといけない」
淋しそうな弟子でした。この暗さに御目付けの笑みが何んとも似合う世界に住んでいた愛弟子です。
師範も似ている世界の軌道を歩かなければならなかった上での運命になったんですよ。

(今日このブログを読んでくれている人の中には、お金持ちを羨み、お金持ちの家に生まれたかったと考えたことがある人も居るでしょう。こんな世界は本当に今でも存在するんですよ。どちらが幸せなんでしょうか。悩み抜き、考え抜く価値はかなり大きい今日のブログの内容にできたつもりです。少なくても忘れないで居て欲しい言葉です。知らなくて良い意図、知る必要が有る意味、この二つが一回で書けた貴重な体験談です。理屈でも御託でもありません)

この重すぎる苦しさを吹き飛ばそうと、
「さっさと抱いてれば死なせずに済んだ」

「違いますよっ」
はっきり、ふたりしての独唱です。

「いや、早く抱いてあげていたら好かったんだ」
再び強く言い切る私に、

「違う・・・・・と、思いますけれど・・・・・」
ふたりの明言は弱弱しくなるが、戸惑いながらも互いに励まし合い、共鳴を誘い合う微笑みで身を奮い立たせ、言い表せている。

これ以上、私は話題にしなかった。
わたしは当時も今も、ここは同じで、抱いていれば死ななかった、死なせなかったと確信している。
揺るぎない自信に漲る力強さがある。当時も在りました。
愛弟子たちらしさに敬意を示し、突っ込みたくなかったし突っ込む必要も無かったってこと。

この場面では 「先生は純潔だった」 真実の持つ意味を愛弟子に教える方が大切だったんです。
自分を殺さなければいけない生活もある。

 


91 7/8 さっちゃん、みっちゃん、ありがとう

 

「彼女の本を自分史の中で認めたいと思ってる」

わたしは心の中を隠さずに表現した。

「書いてください。わたしにも下さい。じゃ名前と住所を教えておかないと」
この愛弟子には、
「お姉さんから渡されるだろうから」
こう突き放した私の目に、
ダメ、と制止していて、ほっとした大げさな仕草の目付けと、「分かっているから」 と目で合図しながらも 「がっかり」 してる、二人の一発芸が面白かった。名コンビだ。

愛弟子の家と師範の家を出版という形で私が結びつけて良いわけない。両家の困惑となる。先々への繋がりも作りたくなかった。その今日だけで充分だ。わたしなりの幼稚でも一期一会です。
さっちゃん、みっちゃん、愛称は知った。これだけの他人。
のちに愛弟子の住所氏名は他から耳に入ってしまうのですが、この今日の予感があったんでしょう、メモは捨てたし、名さえ覚えてはいません。

言えなかったが、出版できる可能性なんて万に一つしか無いと思いつつも、信念と約束だけで 「このブログの原本となる九十九日記」を 「日に一行だけでも」 日課と決めていた時期であり、彼女だけで書けるなんてのは夢のまた夢。読まれる姉に思いを馳せれば日記の誤字だらけも天気の具合ばかりとなり、悪循環に陥っての堂々巡り。気楽な宇宙に動物に季節にと逃げている。
この娘たちには師範の思い出だけで大切に仕舞って欲しい。クララを先生として同様に慕ってくれる方々とも地元での付き合いが続くわけだから、昔話には自分だけが知っている先生としてくれれば嬉しい。

「法事の後の〝この阿蘇での私との出会いから話し〟が両親に分かったら、もう旅行させてもらえないかも知れない」
言っていた愛弟子だから胸に仕舞っておいてくれるでしょう。

「(私が)姉妹の悪口を少しでも言われたら直ぐに帰るつもりでした」
打ち明けて、
「すみません」
謝っていたが、それで良いんです。詫びなくって良い。自分からは姉妹を話題にすることなんて無かった弟子でした。
この子たちに出会えなかったら私は立ち直れなかった。逢えたのは天使の御陰だと信じている。偽りなく気が楽になれた。こんななか、
「おいしい茶が飲みたい」
呟いてしまった私に、
「いれてあげましょうか」
葉がなかった。

あの日々、
茶室と教会がどうつながっていくのか分かりませんでした。
いま、「アガペー」 「神の愛」 とやらの犠牲愛の気がしてならない。
「最期の一葉が散るのをみたいかのごとくに窓を開ける冷房の効いた病室だった」
と二十四日、二十五日は思い出せても、八月なのか十二月なのか季節から全く分からなくなっていた年月に降りてきた、キューピッドです。
晴れ晴れした心にて、日記の文字が急激に増えていく。見つけた正に病床日記は支離滅裂で、蓋が開いた日本語らしき羅列はアホ色の金閣炎上に水没している。
夏下冬上も正に逆さ富士の噴火でした。
(下記は俳句とかではありません。水面に絵文字がわりも接着剤のつもりです)



   なでしこや波を舫いて今朝の月

 


92 8/8 記憶喪失な私だと気付いた愛弟子たち

 

 七回忌となる翌年も七月、心配して様子を見に来てくれた愛弟子ですが御目付けが一人増えていた。それも背広姿の。

友達でもあった目付け役の娘さんが弟子の子の両親に「私」を報告したらしい。
「自由がない」 愚痴をこぼして射すくめる弟子に、
ペコリ・・・
珍道中だ。
その私がトタン小屋に住んでいたのに仰天している背広を覗き見てしまった私たち三人で、
これまた同じ穴の狢。

別れて、テニス客をペンションに迎えに出る私の車の尻に叫びが追突する、
「あの人は亡霊に取り付かれているのよ。いい加減にしないと御両親に報告しないといけないわよ」
叫ばれた弟子が一人っきりの車の世界も鏡から、

・・・消える。
亡霊たる響きを、やけに嬉しく覚えています。
ふたりとは、これっきり。



迎えに行く車に乗り込む私に目付けの子が言ってた、
「来月の法事の後は一人で来るそうです」
からかわれた弟子が身振り手振りで懸命に否定する中、
「ここにはもう居ないから」
愛弟子を私は突き放していた。

二十日前に土地の売却が決まっていた。残った土地に小屋を移して住み続けるのか、新たに家を建て直すのか迷いながらも、

「下界に下りないと」
「子供に会いたい」
と苛立っていた。


御山を離れるのは天使に別れを告げることになる。会えなくなる、とは心得ていた。八月初めから別荘分譲としての造成工事に入る予定だったんで、業者には七回忌とは言わずに二十五日まで工事に入らないように頼んでいた。ここに住み続けるのは小学校低学年の娘の将来を考えると苦痛で、近くに居てあげたかった。

「道路沿いの森に小屋を移して住むのか、下界に戻るのかまだ決めて無いけど、多分街に帰ると思う」
勇気を振り絞る私に、消え入りそうに悲しく味つけされた弟子の声が沁みてくる。
「仕方ないのかも知れない」

辞世に目眩する錯覚に佇み、拘りは天使を孕んだ。


愛弟子たちは土地の売却の何故も過程も何も知らない。
私を発掘したいと試みる愛弟子の風情が直視できず思わず背を向けた視界に、「姉と同じ目線にて祈りあふれる墓碑銘の草千里」が、「連れて来てあげたかった」 この姉の心に沿ってクララと過ごした比翼塚が神妙かつ大胆に飛び込んできた。
あとになって気づくのですが、目に入った瞬間に、「院長に対して彼女が生きた証を終わりになんかするもんか」 と誓った自分を掘り起こし、初心に返っての再びにて、「花守り」を決心していたみたいです。
それでこそ比翼塚とも言える。
しかし、



テニス客を連れて戻ったときには、もう愛弟子たちを忘れさせた天使と生きている。
何年も何年も愛弟子たちを思い出すことはなかった。

前の年の六回忌に愛弟子たちと初めて出会ってからの、三ヶ月後に戦争を経験していた。
終わったのは、この春でした。
この娘たちと重ならなかった時期には感謝している。本当に良かった。

私が下界に降りるのは抗争に発展して手打ちがあった三年後の春をも経験した後の、十回忌を過ごしたあとの九月十五日になっています。

後の月見で名残りの花恥じ入る、人間界は御伽草子。浦島の子な私でした。

 


93 復習かつ大学病院での性犯罪かつ予習 上

  

≪ 満ち欠けと散り損ねしは病葉か震う口脇苛む身に似 ≫

 

私は彼女を、こう思っていた。
生を別宅に享ける、出生の秘密。
『奥様の異母妹で、ふたりの父親も亡くなられ、母親の二人も逝去されていた境遇ゆえに別宅生まれの妹を哀れんだ姉が嫁ぐ時に、乳幼児だった彼女を連れ児としたと』
婿養子の院長から言葉巧みに思い込まされていた。

養子だったとは公然の秘密。衆知の話だったらしいが肝心の私だけが知らなかった。

のちに「(私が) 知らなかったはずがない」とまで攻撃の材料にされていく。
知っていれば 『彼女は生きていてくれた』 ってんだ。

私に、姉は姉で 『妹との結婚の申し込み。慰謝料の支払い。新婚での分譲マンション。養子縁組の申し入れ』 などなど次々に手を打って来られる。
嫁ぎ先の財産を勝手気ままに散財される姉の金銭感覚は嫌いであり、院長に同情してしまいました。

亡き母への想いから、妻子持ちへの、別宅へと我が身を重ね置く禁じられた誓約の師範。

申し込まれてからの月日は一年を過ぎます。
姉は激しくなられる。彼女は可愛くなっていく。
仕方なく、妻と彼女を重婚まがいに、二つの都市に置く決断を下します。
この資金は姉の出資を断り、自分自身で用意しました。
この矢先の入院となる。


継続できる力こそ財産。

 

復習かつ大学病院での性犯罪かつ予習 中


大学病院の彼女の病室は内鍵が取り付けられ、重い紫檀の衝立まで立つ。
ドアが開いても、まだ室内さえ見えない。
乳がんで余命2週の告知も二十七歳は延命薬で百八夜を戦ったが、キリスト教に未経験も未婚は、義兄の院長が休診となる毎週末もで極悪非道の性暴力の餌食になり続けた。
臭いを逃すべく開け放たれる窓は空梅雨の空でした。
「助け」を求める「叫び」を、大学病院の研修医から小児病棟の看護婦さん達から掃除のおばさんに至るまで、聞かない人、知らなかった職員は居ない。
が「末期がん、終末期ゆえの叫び」と受け止めて「思い込み」から、誰も駆けつけなかった。
助けに行かなかった。無視した。性犯罪を後押しした。
私が「この事実」を聞き取った時期は【御山】である。
天使となった彼女と二人で生きようと【青春キャンパス】なる遊戯施設を建設しましたが、ここに近所のペンションから送迎されてくる観光客の中に5~6人の看護師さんたちが居た。彼女達が、何が切っ掛けだったのか忘れましたが一部始終を話してくれたのです。
末期がんだから仕方ない「声」とした過ち、類似の件はおろか、虐待などとも合わせ、威厳と≪尊厳ある死≫の崇高な命題から、≪安楽死≫の定義、そして延命薬は本人の心を第一に尊重して欲しく、情熱から、提起させていただきます。



死因の乳がんすら院長が成した細胞。
純白に未経験の証は長男に長女も見知る。

義兄の本心から私への嘘に気付きながらも姉の幸福を願い、本性をあらわした性暴力と合わせて最期まで姉に言わなかった、犠牲の愛。
純愛と教義。

遺品には癌に関する新刊がありました。買っていた。そこまでとは思わずとも少しは自分の異変に気づいてた。
それでも、姉にさえ打ち明けなかった。
何故なんでしょう。
私です。私が悪かった。

彼女の結婚資金から将来に及ぶ財産を奪い取る策が成就して、よほどうれしかったんでしょう。
喪が明けた院長は調子付き、饒舌になって私に真相を喋りすぎた。
滑らかに全てを言い終えてから、後悔し始めていた。これは院長の癖らしい。
「何時もだ」 とかブツブツと独り言していた。
よって今度は私を 「どうにかしなければ」 身の破滅だったのです。

真相は、彼女の姉、つまり院長たる義兄の奥様との性生活も映像化する。
その床の姉の声に姿態、終わった後の姉の行動、翌朝のシーツまで再生する。
姉妹で私の夢に忍び込む。夜這いされる。
凄まじい恐ろしさと、最初っから院長の側に寝返っていた私の代理人により、私は仕事から姉妹に触れる記憶を失った。

本宅の異母姉に養子を迎えての悲しい生い立ちでした。
院長こそが【婿養子】だと、私は知らなかった。
これが正に【事実は映画よりも奇なり】のすべて。分かってみれば小さなこと。
こんな小さな事実が大きくなった挙句、世の中に犯罪という形を作っていくんでしょうか。
私に限らず、どなたの人生にも大なり小なり、どこかに有ると思われる何か。
普通の生き方こそが、本当にむずかしい人生。
スーパーの安売りにも行く平凡が良い、毎日の暮らし。

同床異夢、