事実は映画よりも奇なり

乳がんで余命2週の告知もキリスト教の27歳の裏千家師範は延命薬で百八夜を内鍵付きの病室にて戦うも・・・

八夜  抹殺

2012年06月15日 20時15分57秒 | 十二夜 「それから」 

表題(概要)は 「比翼連理(17) 3/8 さっちゃん、みっちゃん、愛弟子と御目付け役」から

★ 南阿蘇の夏山に比翼連理(15~23)で購入した記憶喪失(6、7)の御山(9、13、24)において聞き上手に憧れた影(1、25)と陰(4、5、25)の読み方は、家庭(2、8)も仕事(3)も順風満帆に後押しする太陽が眠りにつき、深み行く春は覚めた月にて練る必要がって風韻ばむ朧夜に侘助と寂びたのち、新たなるも凶悪犯罪(10~12、14)に巻き込まれていく

 

 


昨夜は 【七夜】


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(1) 「クララって御存知ですか?!」・・・花の名前です。が、あの場の雰囲気は〝花〟ではなかった。〝クララ〟の方だったんだろうと後に確信している。清貧に生きた聖女クララ、といわれる方です。。。“くらら”は阿蘇の山に咲くのです。黒き斑点あるオオルリシジミという珍しい夢見鳥(蝶)が〝この苦参〟だけを求めて即かず離れずに舞い出で、短い命を終えます。淡い黄色の火山性植物で〝草槐〟とも書くみたいです。。。グチャグチャになっていた私の頭は、この〝クララ〟を夏風に咲く〝くらら〟に重ねて人格化させていたらしいんです。それで彼女のメモリアルとする御山は阿蘇へと無意識に向かわせたみたい。

 

(2) 「産婦人科を開業の亡父でしたから」・・・そこに持ってきて、「助けを求めていたが知ったことかっ」の、性犯罪です。それも余命2週で死を待つだけの妹に対して。加えて、彼女が毎日毎日で待ち焦がれた私の見舞いをも巧妙に押しとどめ続けた。犯行現場となったのは亡父の出身となる大学の医学部の付属病院です。内鍵まで取り付けられていた。こんな信じられない事実の連鎖ってありますか。阿蘇を御山として彼女のメモリアルたる建物の建設は、たとえ現金化するための口実だったとはいえ、私は見舞いにも行けない身をぶつけて探し、求めた。ここには院長など存在せず、逝ってしまった彼女との約束事にしていくのです。院長の陰謀だと分かった後も、御山には約束通りに事を運んだ。彼女が結婚資金から支出していた絵画の売却代金に加えて、私は私で用意した資金を注ぎ込んでいくのです。

 

(3) 「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」・・・その「あんなに・・・」を何故、あの命の綱の夜の目に・・・仕込んでくれなかったのでしょうか。この文様の姉を起爆剤にして、「えっ、そんなに。でも・・・」と殺陣は狂恋夢じゃなかったのか、の音量で・・・きょろつけたんです。〝二つもの命で妹は殺された〟に等しいと姉に知れれば、「奥様は許されない」と私に素直な押さえられなかった激情を叩きつけてくれた家具屋の弟からを思い病んだ。真実を公にしなければ。妻子との家庭は守らねばならない。これだけを考えようとはしていったんです。なのに後から必ず続いてくるんだ。金魚のフンみたいに。公にすれば、姉は生きていけなくなる。医師会も大学病院も大変な事態に陥る、と。立ち塞がる場所は底なし沼でした。我が家だけを考え、幸福行き普通列車に愛娘を抱きしめて固執すれば良かったのでしょうか。何人もの方が社会的に葬られても。死に物狂いで死中に活を求めた。四面楚歌の住環境となり朦朧としていく。。。遺言があった 「姉は守ってください」との。

 

(4) 「百億持ち米国逃亡の国際問題と原点」・・・だから、彼女は逝った。応えなければ、男ではいられない。こののち何人もが殺された今も、院長を告発した途端に医院を息子に代替わりして、本人は米国移住して今に至るも、カネも何もかも犠牲にして社会を守り続けた私の過去に後悔はない。が家族は違う。が法治国家としては、これで済ませてもらっては困る。なぜ、移住できたのか。この問題が公になって喜ぶのは裏社会の人たちです。だから捜査も打ち切りでは納得できない。


(5) 「三百代言(弁護士)に始まった時効停止の現在 ★」・・・その姉の性描写なんて私には、できない。〝事件そのもの〟を、恐ろしさを妻子ある家庭を守るためにも弁護士に言わなければならないと頑張っていた脳みそは干からびる。これで、性暴力を私に描写した理由からカネの流れた経緯から、真相の記憶が頭蓋骨の中の何処かの引き出しの中に隠れてしまった。かくれんぼする子供みたいに。大人を怖がって親の後ろに隠れる子供みたいに。。。。「(院長に対して)それだけの事をしたんだろう」と下した。私には、何をしたのかも、何があったのかも分からなくなっていた。この県で、姉に院長の家に逆らったら、(弁護士の仕事を)「干される」

 

(6) 「裏千家師範と私と銀座の画廊の、家系」・・・銀座に出向く決心か商取引の帳簿合わせを迫る私に銀座の画廊は、「(彼女への性暴力に抵触する情況)見舞いに行ってない」と、持ち出した。ら混乱する精神に鞭打って前に進もうとしていた私であり、もう目一杯でした。壊れた。混乱させられた刹那、完全に真っ白。なぜ銀座に来ているのか、さえ忘れてしまった私が居た。彼女の存在から姉から何から何まで、これら記憶の一切合財が遥か雲の彼方に煙のごとく逃げ去ってしまいました。

 

(7) 「医は算術ではなく鬼手仏心です」・・・しかし、この一件と家族の汚名は返上しなければならない。。。師範の墓標とした【御山】の阿蘇は魂との契約である。周囲が如何有ろうが関係なかった。院長の恐ろしき算術の陰謀から絵画の購入は花嫁道具だった上に性暴力を知っても、これは破れない。無意識の意識が、両天秤に掛けたかのように家族を蔑ろにした阿蘇に向かわせた。。。妻は叫んだ、「どうして私たちが犠牲にならなければならないの」「みんな生きている」わたしは突っぱねる。話にも何にも成りはしない。こんな苦しみの我が家へと姉からも電話が入っている、「今後ウワサにして妹の名誉を傷つけないようにしてください」黙ったなり、聞いてあげた我が家の女たちでした。。。わたしだけでなく家族の全員が未だに抱えているんです。「かわいそうな方」 真実で師範を思いやれた、ただ一軒の家なのに。

 

(8) 「家族を」・・・それまでは霧の中でも見え隠れしていた背負う姉妹を存在から丸ごとで、記憶から消し去ってしまったんです。(今この情況を思い起こせば、頭の中で肝心な箇所を守るために、無くても生きられる箇所を〝あったままの会話から状況をパソコンの履歴みたいにして金庫に保管する〟自己防衛みたいな本能が働いたんじゃないだろうか、と考えます。。。妻も母も、私の経営の破綻で終止符を打とうとしていく。自然の成り行きです。成仏し得ない霊魂相手に、恐ろしすぎて、夫や息子みたいに悶絶できない。円満にの同じ屋根の下の女たちにしてみれば健全な免疫力が作り上げる健康的な指向です。わたしたち指きりげんまんの家族の肖像画は鬼のようなさまでした。仕切り有る安っぽい家庭ではなかったのに。


(9) Google 「それぞれのテーブルマナー」

 

(10) 「1/3 阿蘇」・・・この件も院長の問題で依頼していた私の代理人弁護士に任せたのですが、この弁護士は対立相手となった元請側建設会社の弁護士やこの系列下の数社と工夫し合い、隣地との境界杭を打ち直して、13,3メートルの出入り口を私の土地に作った。隣地の出入り口を完全に奪った。。。双方の弁護士の汚さを物語る書類が今も手元に存在する。『13,3メートルを奪った後で』私の弁護士は『土地調査報告書によると100メートル有る出入り口なのに13,3しか無かった土地を購入させられた、とする通知書を相手側の弁護士に送達した』『受け取った元請となる相手側の弁護士は、話し合いに応じる、という回答書を私の弁護士に返送する』この遣り取りで、『購入時には13,3メートルは在った出入り口の私の土地』となる。私の代理人弁護士は、「出入り口を作ってやった」と私に開き直った

 

(11) 「2/3 法律」・・・この景色に、「妹に見せたかった。連れてきてあげたかった」 「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」 姉の言の葉がある。だから購入した。 「連れて来たよ」 話しかける 「遊ぼう」 この景色の土地を阿蘇に探すことになった切っ掛けは、そもそも院長が言い出した、「妹を思える土地建物の建設」話に始まっている。ここに投資した資金は裏千家師範としての彼女自身が私への嫁入り支度金で1000弱を出したのである。私の出資は億を超えた。院長のカネなど一銭もない。。。彼女の墓地を突然に院長が差し押さえてきた

 

(12) 「3/3 裏と表の社会が反転した犯罪 ★」・・・隣地の人たちに、表の社会を代表する行政や企業から境界杭を動かされて出入り口に取り付け道路となる要の土地を奪われたという一件が露見する。。。真夜中であり私は寝ていた。。。拉致された。。。そのボディガード(元・柳◯組)に。。。十人以上は居た。。。何も喋らなかった。。。途中で逃げ出せた。。。所轄署に駆け込んだ。。。嫌らしいのは、逆転した社会から秘密を握る私を抹殺する手段として次から次に仕掛けられる〝えげつなさ〟である。院長と地域の取り巻き、財閥系から権力の構造、地方行政に身の安全と既得権益を手放すまいとした村八分。ここに影響力で行使された法曹界から警察が加わる。まるで世界中を相手に、たった一人で戦っているような感じ。なぜ向かってくるのか根幹の記憶がないんです。。。十一月から翌春、戦争勃発。死者四十数人かな、知らないがそんなもんでしょう。日本最後の内戦、と形容されている。。。戦争は巻き込まれただけです。だが、この三年後に発生した抗争となると全く違う。ここまでの表の社会が〝私を抹殺すべく繰り出し続ける手段〟が阿蘇発北海道経由東京行きで飛び火したのです。死者三名。都政最大の組織的と化した事件である。この真相こそ〝闇から闇〟葬られている。裏社会は最初ッから最後まで完璧に表に利用された被害者ともいえる。裏社会の方たちが気付かなかったのは戦争との関係を警察に知られたくなかったからだ。。。わたしさえ抹殺すれば、ままで完結だ。頑張って。私も頑張る。残された母に元妻に娘のために。

 

(13) 「ここは何処。わたしは誰」・・・記憶喪失といったら良いのか逆向性健忘症といったら良いのか分かりませんが、「ここは何処、わたしは誰」と、なっていた阿蘇での生活だったのは本当です。生きているのか、死んでいるのか。食事したのは何時だったのか、今日は食べたのか。陰膳をしているが、誰の膳なのか。こんなところで何をしているのかも分からない。そんな毎日でした

 

(14) 「『座って半畳、寝て一畳』 の 『国外逃亡』 の起動」・・・いったい何十人が殺されるのか。これで法治国家なのか。このまま有耶無耶、闇に葬って良いのか。境界杭から差し押さえられた案件で資金調達の一手段でもあった一部の土地の分譲販売が不可能となり、阿蘇の青写真は大きく変わった。

 

 

    空蝉の代ぞ鏡見す扇子腹

 

 

(15) 「1/8 七夕」・・・坂本繁二朗画伯の絶筆となる<幽光>を天空に観た先月七日が切っ掛けとなり、星の落とし子な入院前の色音ばかりを紐解く日々が立ち続いてくれる、その日も話しかけて日常が始まった八月の鼓動から生まれた会話でした。いきなり〝昨日に出席できない白々しい法要〟を御山から俯瞰するのです。。。ここからです、吹き抜き屋台となった〝家〟から甘さ控えた未完の大器だけを、互いに院長夫妻を除いた師範だけの思い出話で終始できた三十六時間でした。もし、この娘との出会いがなければ私は間違いなく堕落していた。。。桜月から秋風の月、幽閉される御山も朧に晴れてきて、やっと彼女を探し出せる阿蘇でした。狂いの五年は長かったぁ。。。「逢わせてくれるんだ」 マリッジリングなる必殺の天使の虹彩に素通しになる行き交った師範との百夜が悪戯っぽく笑む。。。噴煙が大気に語りかける其色月は晩夏を見つける天蓋の下『青春キャンパス』と名付けた野外劇場で第六幕が神妙に開いた。


(16) 「2/8 さすが裏千家も師範の愛弟子だった」・・・師範を観せてくれる優に優しい弟子の娘と話し込んだ

 

(17) 「3/8 さっちゃん、みっちゃん。愛弟子と御目付け役 ☆」・・・わたし一人で喋り捲り掘り下げる万分の一から

 

(18) 「4/8 『生まれてこなければ良かった』なんて言わせない☆」・・・姉妹の同居だけで不可解な事実だと気づいておられたのか

 

(19) 「5/8 『そんなに嫌われてしまったの』なんて言わせない☆」・・・どうしてお姉さんに話さなかったの?私が言ってあげましょうか

 

(20) 「6/8 茶は家族にて                     ☆」・・・「さっさと抱いてれば死なせずに済んだ」

 

(21) 「7/8 さっちゃん、みっちゃん。ありがとう         ☆」・・・「彼女の本を書きたいと思っている」

 

(22) 「8/8 記憶喪失な私だと気づいた愛弟子たち」・・・御目付け役が愛弟子に叫んだ亡霊たる響きをやけに嬉しく覚えています 

 

(23) 「良き夜に佳き一日に好き朝に」・・・風冴える冬に沢の山野草を採取したければ、かなづちにタガネまで必要です。スコップでは溶岩を相手にしているようなもの。。。彼女の医院の看護婦さんたちが、道路沿いの建てていた看板に「青春キャンパス」と一緒に書いていた「画廊」の文字を見て、入場してきた。「わたしを覚えてませんか」問われたのですが、「いや!」突っぱねる。その場を足早に、でも静かに離れられた。。。彼女が生きた証だけなら叫び猛りたい激しさ、山彦のキャッチボールで相手が欲しかったんでしょうが、院長に近い人たちとは顔さえ合わせたくなかった。だからこその山だった。。。苦しくなった夜がだるい朝を招き寄せ、巡る。数分の出来事でも何ヶ月もの酒びたりとなる。解かっていた。いたが、解決策を探せなかった。

 

 

   笹筒の朽ちて支えし鉄線花

 

 

(24) 「日本語訳は『戦う〇』という名の国家」・・・比翼塚に訪れる幾つもの巡り巡る季節へは楽しみたい感覚を大切に、この身を犠牲にして置きに行く。斬新なユーモアいっぱいの四季は抉り出した互いの素顔でこそ重ねないと、過去の軽さ、浅はかな人間にされてしまいそう。定住しないと推し量れなかった、み冬たる世界の素晴らしさです。好い気候に良い消費財に善い環境では、人生に真理に苦悶は探究できなかった。誰も気付いていないと思える自分だけが経験できる楽しみのために何処まで、この身を過酷に砕けるか、空間に捨てられるかでした。

 

 

   女々しいと笑わば笑え後の月うらやましかろ一つに二人

 

 

(25) Google 「19年も師範に関係する記憶を喪失した」・・・わらびにぜんまいが春の気で許しの色する。

寝坊した日は蜩が、郭公が夢心地に目覚ましかける。

 

供養しな塚の絵的は「あら」の歌、

岩群青の夕霧が円卓会議で沈み繰りする。

色めかす夕日影から、匂やかな女の雨には寝たふりした仮初めの戯れは、

・・・・・まさに七夕の月も、七日だったのです。

 

この日の工房は何時になく静寂の深度にありました。

雨風に頭を衝かれる荒れた草の厳つい深緑も好い味だした趣から、

むずむずと寄りかかる斑に立つ霧そのものの夜の肌が、

開け放つ侘び住まいの窓より静々と礼節な湿度でにじり寄るも、嗜みでした。

 

「・・・いないいないばあ・・・」したいのか、

吸い寄せられるように座り心地を捨て

 

 

 


  合歓の花いかに舞うやら拝むやら木鐸ごっこ寝つかれぬ枝

 



  ききょう色そびれる支度まどわかし
              ツバキ常夏(とこなつ・撫子の色目)きわなし雫

 

 



明夜は 【九夜  史実】

「混浴露天風呂に良い人、悪い人。真の姿」 から ・・・自分の命で有って無い世界なのでしょうか。。。なのに、混浴露天風呂なる公の場で、男と女、三対三、六人のグループが先に入浴していた明るい時間帯に起きたトラブルが、後に〝東京都政最大となる抗争〟を勃発させる一因となった。

 

 



  消息欲しき山さぶ星の国いつまで取ればつく不如帰


九夜  史実

2012年06月13日 09時48分32秒 | 十二夜 「それから」 

★ 聖地を汚そうとする者は誰であれ許さない。 
都政最大となった八王子抗争(4、7~10) N会とY組だと報じるが、違う。Y組はN党の代理でN会に仕掛けた。日本最後の内戦と称す九州戦争(1~6)での恩を返しただけでなく、N党の関与さえ隠すべく九州と四国では事件を起こさなかった思惑が、N会をN党へと駆り立てた〝師範殺しの院長(9)〟へとY組どころか警察さえ辿り付けなかったのです。

 


昨夜は 【八夜】


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(1) 「第一章 深雪」 ・・・ある日、近くの家に大きな“日の丸”が掲げられた。横長の看板には“◯◯◯◯党”と書いてある。どういうところなのか、一目瞭然。この二つとも少しすると取り外されましたが、私は見てしまった。“彼女”は正体に気づいてはいなかったみたいです。私も、言わなかった。・・・戦争になります。福岡から掛かって来る知り合いからの電話は“この話題”で持ち切りだった。中洲どころか至る所から人通りが無くなった、とか。ですが、私は“福岡に行くソノ筋の人たちはココに集まっている”なんて言わなかった。

 

(2) 「自殺願望」・・・さまざまな組織の人たちが居た。。。ここには刑法も道交法も存在せず、法治国家ではない〝シマ〟だった。たとえ形でも、成績や繕う都合でしか寄り付かない。知らん振り。先進国と威張っているが、カネに年金なんかを第一として考えるのは、私に言わせれば発展途上国だ。摘発と庇護なんて、地球儀を見ての比較の空論。。。師範の病室、彼女はキリスト教で自殺を禁じられているのに、 「殺して」 姉に頼んでいく。わたしも実践した哲学、だけのこと。。。幾度と無く比翼塚の御山を下りようとも考えてはいた。娘に会いたかった。そばに居てあげたかった。が、 「逃げ帰るな」 墓標や墓碑銘さえ忘れている歳月こそ頭の中に大切に仕舞いこんで動かされているのに気付けず、出て行けなかった。。。世は正に1988年、記憶喪失はブルース・ウィルスのダイ・ハードな自殺願望に映画させる時代の私でした。ただ死にたかった。ただ殺して欲しかった。自分の命なんだ、死に急いだって自分で満足できればそれで良いじゃないか・・・早く彼女に会いに逝きたい・・・

 

(3) 「ろくろ首と言霊」・・・何処で寝ているのか、誰かと一緒なのか、生きている世界なのか、目が覚めてから少しの間、ときどき分からなくなる。飛んでいる。川を渡っている夢を幾度となく拾う。言霊か、何時も誰かが追い返した。。。首を締め上げていた右腕が、いきなり甘くなる。空気の隙間ができた。ろくろっ首みたいに急に伸びたんだ。それも数センチなんて程度では無かった。が、動かない岩の如くな硬い抵抗だけで両膝を着けていたので、甘くなった分を締め直す意識は働かなかった。この時、クイッ、チリソースの瓶の蓋を開けるみたいに半月に捻れば“首を折れる”意識が確かにあった。“折ってみたいような誘惑”にも駆られた。本当に映画みたいに〝折れるのかなぁ〟なんて実験的な衝動に見舞われてもいた。連れの、もう一人居た男が、「死ぬぞ」叫んだ。。。上塗りした官民あげての犯罪行為を一番被害を被った私が何故命がけで守りぬいてやらなければならないんだ、って何時も悩み苦しんだ。行き着いた結論は、死ぬ瞬間。人は死ぬために生きている。それは何時なのか分からないが、死ぬ瞬間は“生きた満足感”が欲しい“自分の為”と、言霊が教えてくれました。

 

(4) 「混浴露天風呂に良い人、悪い人。真の姿」・・・胸から肩へ腕へ、肋骨を背中へ、肩から背中は尻から太股までをも占める刺青。唐獅子やら観音様、上り竜だの鯉に牡丹か桜か。露と弾いて煌めき、動きに色彩が筋肉となって生き生きしだすのは芸術でした。ソノ筋のホンモノの人たちは迷惑を考えてくれるし、公衆では気配りも持つ。法を無駄に受け止めては、いない。。。なのに、混浴露天風呂なる公の場で、男と女、三対三、六人のグループが先に入浴していた明るい時間帯に起きたトラブルが、後に〝東京都政最大となる組織的な抗争〟を勃発させる一因となった。この男たち三人は◯◯関係者。。。  打たせ湯のもや穿つ靄今日の月。。。こんな権力の構造とさえ戦えないのが私の覇気なら、わたしなど、とっくの昔に師範との生活に入っています。。。

 

(5) 「殺したのは私です」・・・寝ぼけ眼で外に出る隠者は20メートルばかり先、木々の横に2頭のドーベルマンを見つける。思いは長いが、血の気は一気に引いている。唸り出た。数回だけ、早いが落ち着いて四肢を運動させただけで、もう半分近くも距離を縮めた位置にまで迫っている。。。「放たれたのを恨んでくれ」左手で拝んだのは、その類にあっても突出した無条件に素晴らしき体型の2頭です。流石は日本最大の組織でした。。。及び腰、逃げ腰だった熊本県警の言い分が、「九州戦争は福岡の事件であって、熊本では何も事件を起こしてはいない。本部長にヤル気がない」でした。これが根底から覆るのです。冒頭に落とした観光客が殺られたら・・・・・。怖がっていた熊本県警も動かざるを得なくなる。

 

(6) 「時速60で車間距離25が30分映画するには何台必要★」・・・青春キャンパス前は山道にあってもここだけが100と10メートル続く直線になっている。たった100でも絶対に60以上は出している九州戦争の終結宣言に集まったベンツの全長が少なくとも3台は入り続ける。何回置きかは4台が走り抜けた。稀に5台だ。さて問題です。午前0時15分から38分までの間に何台のベンツが通ったでしょうか(1017台以上)。はっきり途切れ出したのは45分過ぎです。。。この通報によって日本の全警察官の半数以上に戦後最大、つまり警察発足以来最大の非常招集が掛かったんですが、なぜ?  日時に場所の情報は、六日前の夜の八時か九時の二十分から四十分の間に、私は警察も二箇所に電話で通報してあげたのに(私が知り得たのはドーベルマンを殺した私を別組織に殺させる理由が必要だったから)。。。これが切っ掛けとなって“暴力団対策法”が制定された。

 

(7) 「1/6 埋み火 (年表)  ★」・・・時なるかなと最期に笑って姉妹に会いに逝けるのは私か、それとも。。。1987年・春・・・・・・戦争終結。。。 7月・・・・・十三回忌まで御山に棲む決心を固めた。。。 秋・・・・・・師範殺しの院長の謀略に係り、「最新記事の中から【混浴露天風呂に良い人、悪い人・真の姿5/5】の恨み」を受け継いだK刑事どころか、東京の組織から阿蘇の連中から自治会内での内通者となるM氏から誰から誰までの地球上に棲息する欲望という人間の言動が連携を保って私に向かってくるようになる。。。日本の雄と東京の雄、双方の組織とも訳分からないまま、経緯の道程は雌雄を決すべき抗争に突入していく・・・・・、1990年1月に2月15日から・・八王子抗争勃発 

 

(8) 「向こう正面」・・・暴力団に負ける自分をも意味する幕引きには出来ない

 

 



 おかととき(ききょう)震える気装(化粧)あなた居て椿なでしこ抱える露よ

 


 忘れ去る優しさ(易しさ)在りともて鎮み息引く園に早や投げ入れよ

 

 



明夜は 【十夜  夢想】


「憎しみを植えつけてはいけない」 から・・・福岡に残す妻にまだ幼稚園児だった愛娘、一人にさせる老いゆく母、嫌がらせ電話に耐え忍ぶ女たちとも振り返れなかった。南阿蘇に墓標を建設する霊魂との約束事は破棄できなかった。死者には敵わない。ごめんね。。。「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」 姉に打ち明けられた私は、「姉だけでも守ってください」たる逝った裏千家師範のクララからの遺言にしていた。「妹を連れてきてあげたかった。見せたかった」 と草千里を仰ぎ見る姉の〝願い〟を受けた。家族を捨て、私財を投じ、阿蘇ファームランド前を比翼塚とした終の棲家にしてしまう。。。〝おかしい〟と腑に落ちないだけであり、〝何をしているのか〟腑の抜けた情け無い大黒柱だったのです。「産まれてこなければ良かった」なんて、「そんなに嫌われてしまったの」なんて、百八夜で性暴力の餌食にされ続けた挙句に逝った師範に言わせた私なんです。眼鏡が狂った男にはなりたくなかった。眼鏡に適った男になりたかった。

 



 梟の問い迷う森眠り落ち布殻鳥(ふふどり・カッコウ)やさし花摘む夜明け


十夜  夢想

2012年06月10日 20時35分03秒 | 十二夜 「それから」 

純粋な、真っ白な女性でした。それでいて、大きかった。迎え火な太陽は記憶喪失者に刻まれる。「 ・・・・・ 」なんて知らなかった。で済まされる歳月の彼方では、ない。また、陽は昇る。

 



昨夜は 【九夜  史実】


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迎え火な太陽 

1  この日『花も蕾で』日の出を友に」・・・ドアがノックされるたびに・・・毎日毎日、待ち焦がれていた。。。「産まれてこなければ良かった」 「そんなに嫌われてしまったの」 こんな、してやったりの師範に性暴力の週末は、私を尻目に否応なしに訪れていた。。。病室の天のみの空を見つめ「椿灰に愛と清貧の戒律」で逝く。。。「知らなかった」 「ごめんね」 済まされる歳月の彼方、ではない。

 


2  「憎しみを植えつけてはいけない」・・・「死者には敵わない

 



記憶喪失 

3  「1/6 恩人となる女の子は世界遺産での事故で逝っちまった」・・・真冬と言われても私には麗らかな日、御山で最後に付き合った「この一人の女」を考えていた。。。会社勤めで苦労しているのか、珍しく弁解する顔の場面だった。そんなでも一生懸命に働いて明るく直向きに生きている子なので一緒に居ると清々しかった。自己主張が行動の後から付いてくる子。逆らわずに飲み込んでくれた。切なさも併せ持っている良い女でした。。。怖い人たちからも遊びに来ていた若い連中からも、よく、「むかし何か有ったんだろう」みたいな台詞で私は表現されていたが、この二十三歳の女の子からも言われ、「話をしたら、楽になるわよ」と読んでくれた朝を思い出し、

 

4  「2/6 世界遺産での逝った姿をニュース映像で観るなんて」・・・直向きな「この子」との良い付き合いから思い出せたからだろうか、新たな予感があり、苦しくなんかは無かった。師範の姿や思い出の花と実だけで、こんなにも明るくて、ほろ苦い甘さなのなら、零れ落ちそうな時間を溜めたままで明日に消していた虚実の生活は、もう持ちたくないと瞼の娘に決心できた。。。人にそれぞれの潜在意識には、それらを思い出させるキーワードが一つ一つ強弱になって存在しているみたい。私の場合はそれらで浮かび上がっても一つ一つが結びつくことなくバラバラのままで明日には消え、、、

 

5  「3/6 乱れ髪」・・・私みたいな情況「過去の一時期を覚えていない。その時期に何があったんだろう」と足掻いてる人が周りに居たら〝この世界遺産に逝ってしまった娘〟みたいに『良い雰囲気の中から、あっさりと問い掛けて』欲しい。簡単で良いんです。何度も聞き返したりすると逆効果になりかねない。その人(私の場合)には力強い言葉として残っているはずです。その場ではそれ以上何も起こらなくても、近い日にきっと実を結んでくれると思いますよ。自分で、中学程度でも数式を使わなくても稚拙な手段でも解こうと思えば解ける、興味を持たせられたり趣味にも通じる設問を探して、仕事や雑用にも追い詰めない生活の中から自分自身の意思で解こうとさせると良く、自覚させるのではなく頭や心の受容器、眼・耳・鼻・口・肌など感覚を活発に動かすようになる過程への切っ掛けこそが、、、

 

6  「4/6 眼に沁むトラウマ  ☆」・・・歳月を必死になって巻き戻した。考えるだけだと知らず知らずに安易な方向へと逸れていく。だから書いてった。何処かに何か大変な何かが隠されているに違いないんだ。そうじゃないとここまで権力が攻めかかって来る訳が無い。それも随分と子供じみている。国家権力がだ。世界遺産で散った娘が教えてくれる後ろめたいからこその相手の焦りの色は、私に自信を形で見せてくれた。めきめき思い出せた。。。男の姿を借りた看護尼僧が比翼塚として生きた聖地。綴っていた日記な体験記の筆跡から解読は、しんどかった。ここに強い意志の力が求められたのです。聖域で一番大切だったのは、自分を信じ通せる強き心。自身の過去を意識して隠そうとしない顔が刻む、、、

 

  「5/6 案内人は自分を知識を汗する身体で磨いて仕事しろ」・・・・・・・・「どこが?」  どこ? ・・・・・! ・・・・・自問自答する。 こここそ〝赤ちゃん〟だった。(ここについては過去記事を読んで下さい) 貸し出し期間中、何度も何度も、繰り返し繰り返し観てしまった。地上の天使が入院していた百八夜もで、 ーーブチブチーーーー ブチブチーーーー  音を立てて切れてった頭ん中、・・・・・何かが繋がっていく ・・・・・何かが ・・・何かが ・・・・・どんどん、どんどん繋がってった ・・・・・。。。 ・・・・・日の目を見た。

 

8  「6/6 報道ヘリが世界遺産から飛ばした映像」・・・私は記憶を取り戻せていける。
この子の汚れなき心からの優しき言葉が切っ掛けで、自分と向き合え、戦えた。。。ここから完全復活していく記憶ですが、ショック療法は普通への道のり苦しく、 ・・・長かったぁぁぁ。。。

 


歳月(年表)

9  「1/6  埋み火       ★」・・・1987年・春・・・戦争終結。秋・・・師範殺しの院長の謀略に係り、「最新記事の中から【混浴露天風呂に良い人、悪い人・真の姿5/5】の恨み」を受け継いだK刑事どころか、東京の組織から阿蘇の連中から自治会内での内通者となるM氏から誰から誰までの地球上に棲息する欲望という人間の言動が連携を保って私に向かってくるようになる。。。1989年・夏・・・・・「連絡してくれ」との電報を◯◯総裁より受け取る。「なぜ東京の組織が手を出してくるのか?」という疑問を質したかったのでしょうが、この方の名前すら記憶を失っていた私です。この◯◯総裁、東京の組織の幹部のT氏に関係者、太鼓持ちの連中、所轄署のK刑事、自治会の内通者となるM氏に会員のアホなオバサンたち。それぞれは自分の不利益となる断片しか知らない。ひとつにまとめられるのは私に振りかかった一件一件の物欲で映画した事実であり、とどのつまり脚本家な院長に行き着く経緯の一切合財となる。日本の雄と東京の雄、双方の組織とも訳分からないまま、経緯の道程は雌雄を決すべき抗争に突入していく・・・・・、1990年1月に2月15日から・・八王子抗争勃発。。。 

 

10  「2/6  国外逃亡     ★」・・・医院の代替わりからアメリカへの移住まで、たった数ヶ月でやらかしてしまった。。。1993年2月11日・・・・・姉妹の後見人に「師範の本を書いております」とだけ、お知らせする葉書を投函している。。。所轄署に院長の圧力が掛かったのを確認した。。。刑事告訴を受理され、書類送検された。。。今度は民事訴訟を起こされる。訴状には〝東京の組織を抗争に追い落とした張本人の名まで記されていた〟警察ごと東京の組織に組み込まれてしまったのは既得権益の渦と欲望に付け込まれた院長に因る罠、小市民の性。。。検察官から取調べを受ける。が、隣室で盗み聞く奴が居る。こいつは盗み聞きに気付いた私の前に現れた。そして、とんでもない失敗をやらかす。〝院長の関与〟を〝師範を持ち出した質問の内容〟から認めてしまった。1995年1月末・・・・・・・・まず所轄署が〝逃げ〟に走った。電話してきた刑事の慇懃無礼な口の利き方は脅しに他ならぬ。

 

11  「3/6  官に民に個々に ★」・・・2000年2月7日・・・師範に“余命2週の告知”から“乳がんの細胞を作った義兄の犯罪行為”、亡父の母校の大学病院においての義兄たる院長の手になる“毎週末の性暴力と描写”、姉との毎夜の性の描写、動機は“師範と私から財産を奪い取る”根幹に舞い戻った姉妹との記憶、そこに在る抗争および国外逃亡の発生原因を取り戻し始める。。。訴状として告発状として試行錯誤する魂の雄叫びで院長の犯罪事実を申告し、抗争の真因を暴露し、処罰を文書で面会で求め続けてきました。以下はその記録です。。。2004年4月5日・・・・「売れ残っている三軒のマンションを渡すから手を引け」という物凄い口調での電話が入る。何も言わないまま、叩っ切った。

 

12  「4/6  時効は停止した ★」・・・熊本県警本部は2002年4月11日付け(熊監第83号)で私に郵送した公式文書にて、「暴力団の支配下にあった自治会の告訴を受け、私が抗争を止めるべく物的手段とした設備で私を書類送検した」と、図らずも認めてしまった。続いて熊本県公安委員会までもが、2004年1月8日付け(熊公委第2号)で、同じく認めた。はっきりと。。。2005年7月5日、福岡地検に出した手紙で呼び出されたあと、書類送検された時の検察官を懲戒請求したら、一人一官庁は辞職された。流石、警察なんかとは質が違う。。。時効は、百億は握り締めた院長の国外逃亡という名のアメリカ移住で停止したままだ。日本に残された関係者は逃げ回るしかないのか。

 

13  「5/6  肉を斬らせて骨を斬る ★」・・・2009年7月中旬、それまでの郵送に頼る追及の手をブログに切り替えるべくパソコンを購入しました。このgooブログの開設は8月18日です。。。師範殺しの義兄が院長を勤める〇〇〇市の開業医は勿論のこと、周辺市町村の病医院長にも、私の顧客名簿の先生方だけに限らず殆ど送達させて頂きました。医師会は県内全て、御中でも会長名でも。医療機関の従事者、関係先にも。当事者たる大学病院に限らず、県内の大学病院には全て。学長どころか病院長から、長の肩書きにも片っ端から。

 

14  「6/6  秋霜烈日     ★」・・・抗争の舞台となった道警、警視庁、山陽道の各県警、並びに検察は何処を如何捜査されたのか。暴力団を使用した師範殺しの院長から南阿蘇の闇を暴かないどころか、一般社会に姉妹の医院まで命を賭して守りぬけた私を、暴力団の意に沿って犯罪者に仕立て上げようとまでした。。。国外逃亡という名の米国移住させて一切合財が闇に葬られた。。。が病室の百八夜に比べると、戦争から抗争を生き抜いた九年間の史実なんて片隅に小さく内容も無い三面記事だ。。。わたしにとっては彼女の死がすべて。

 



陽は昇る

15  「記憶喪失を治癒したショック療法」・・・私には裏千家も師範だった素晴らしき彼女だけに言及できる記憶の喪失を自分で治したなりのショック療法からの後遺症があります。彼女の死に隠された癌細胞から性暴力の真相を、奪われた私の財産に対する院長の詐欺行為を説明するのに必要な言葉、読み書きを忘れた十九年もの現実がありました。画商なのに〝紅白梅〟すら読めなくなっていた私を私は忘れない。

 

16  「外堀」・・・当時を振り返る時、許せないことだらけのなかで異彩を放つのが、私の周囲を取り巻く人達に降り掛かった世間と圧力です。

 

17  「対症療法となる『思い草言の葉追いし蛍狩り』」・・・知れた事だったのに、酔い痴れていた。自分に何が欠けているのか位は分かっていたはず。そこを抉ろうともしないで楽に過ごしていた。自然に甘えていた。二十世紀も今年限りとなる、二月七日の朝でした。パッケージも見え難い老人になった私は、テレビの洋画劇場では完全に削除される場面をレンタルビデオから見て取りたいオヤジとなり、それでもアダルトコーナーではなく普通の棚から一本を選びました。ズレとボケの写真から何気だった。

 

18  「向こう正面」・・・私の山小屋というか、荒屋が建ちます。真ん前すぎてストリートビューではランドの正面玄関へとカメラが入ってしまい、屋根しか見えません。バス路線を映し出しているらしいビューです。が、この屋根さえ上空写真では道路の地図記号で隠されている。。。ランドで野外コンサートが何度か開催された時、ステージの右奥に道路を一つ隔てただけの位置にてズーッとテレビに映し出されておりました。恥ずかしかったし、申し訳なかった。。。地域社会は守りぬけて自負する折れない心が私を支えているが、山小屋の扱いでは後には引けない。。。暴力団に負ける自分をも意味する幕引きにはできない。。。関係した人たちも分かっているから、私に面と向かっては何も言えないで居る。。。今の私の住所なんて、この時から教えているのに。。。さて・・・

 

19  「医院を代替わりできても米国移住できても」・・・考えた通り余命いくばくも無い“二週間”で大学病院に搬送された二十七歳も未婚の乳房を肉体を、「どうせ死ぬんだったら終わり、楽しませてもらう」と、自分の医院が休診となる毎週末もで犯し続けた義兄も院長は、私から暴力団抗争までの一部始終を告発されるや否や、たった数ヶ月で、あの医院を長男に代替わりすると共に、米国に何故か移住できた。。。私から母から取引先から騙し取ったカネを日本に代替わりという名の医院に残して。米国に抱えて。

 

20  「着せ替え人形と言葉遣い ★」・・・延命薬の副作用で身体の自由は利かなくても意識は正常なんです。聞こえます。見えます。声は出せます。だから「叫んだ」 窓は臭いを逃がすべく開け放たれていた空梅雨の空へと、声は近くに居る人を探した。。。 「助け」を大学病院に居る人たちに求めた。だが、これさえ末期がんゆえの“叫び”と受け止めてしまう看護師さんたちに掃除のおばさん、入院患者の人たち。研修医に教授さえ黙殺してしまう。。。この声の存在を知らない職員はいないそうだ。。。わいせつ行為と看病の恐ろしき勘違い、思い込み。。。・・・着せ替え人形、、、するがまま。楽しんだ院長である。。。意識ははっきりしているのに抵抗できない。されるがまま、、、あの裏千家も師範の精神性・・・、、、私は無論、誰一人として想像しえない高みにあるんです。その彼女を。。。

 

21  「延命薬            ★」・・・家庭内はといえば、異母姉妹という特殊な立場から突然に倒れた2~3日後には〝余命二週〟を宣告された結婚間近の妹と〝一日でも長く一緒に居たい〟という姉の切ない心情があります。どこに行くにも一緒の仲の良い姉妹。それこそ妹を目に入れても痛くない姉でした。加えて、この姉妹の後見人は何期にも亘って勤め上げられる医師会長です。。。彼女への告知は、ありませんでした。何時、どんな場面で知り得たのか、わかりませんが、本人の意思の確認には・・・手遅れ?・・・わからない。。。みんな冷静に考えられる状態ではありませんでした。だからこそ、姉の夫たる院長の、妹と私からカネの強奪する計略も難なく成功していったのです。。。当時は延命治療という言い方さえ、しておりました。なにが治療なのか知りませんが、ドイツからの薬代にしても高価。現在は知り得る私ではありません。。。入院中の院長の言動に不信感を抱いた私は、、、この真相をただ一人知る私(同床異夢にて記述)を抹殺するべく次々に手を打ち続けた結果が、1990年に東京を激震させた暴力団抗争です。

 

22  「hospital_list お詫び」・・・ hospital_listに入って頂いている全ての方に、私のブログと関係づける言動およびツイートが原因で、全く関係ないのに同じ医療関係者というだけで不愉快な印象を抱かざるを得ない在り様を謝罪いたします。他意はございませんので事情をご賢察のうえ、今後とも宜しくお願い申し上げます。

 

23  「溜め息」






  久しぶりだと酒を食べトイレ立つお正月の匂い故郷

  

  

 明夜は 「十一夜  家族」


十一夜  家族

2012年06月07日 08時19分06秒 | 十二夜 「それから」 

☆  概要(表題)は 「家族を」

 「妹」 より ~ 院長による師範殺しから抗争に加担していった社会が何故、私から貴女を取り巻いていったのか。貴女は私の情報を得たい勢力に最初っから利用されていた。今は私を家族から周辺から圧力を掛けて黙らせるべく、母をも苦しめるホンモノのワルに成り果てた上流とやらに操られている。

 

 




昨夜は 【十夜 夢想】 から


リンク先ブログ記事(古い順です)

1 「復習かつ大学病院での性犯罪かつ予習」・継続できる力こそ財産。今回の投稿は〝今までの【復習】です〟これからの【予習】も少し入れます。


2 「我が家は糟糠の妻」・・・妻はエンゲル係数が高すぎるにも関わらず、私と結婚してくれた。結婚後、半年位あとに先が読めない状況下での独立を余儀なくされるんですが、お客様の方々に恵まれて可愛がってくださいました。お陰で順調な日々を送れていたんです。糟糠の妻だし、私のベタ惚れである。子供は幼稚園に入園したばかりの女の子が一人いてくれました。


3 「『ボクに縁談が持ち上がった』と妻に言った」・・・「ボクに結婚話がある」と発表した。なんたって一大事な営業になっていた。「分譲マンションが買ってあるらしい。-----。奥様が会いたいんだってさ。離婚の慰謝料を払われるんだろう」 怒り出した母にも私は言った。「なぜ(異母)姉が院長の財産からこんなカネを支払うのか、おかしいだろっ」和やかに庭の老椿に青葉を眺めて一家団欒する幸せな普通の家庭でした。妻が見損なったと言う明るいホームドラマの粗筋を説明してあげるような、隠し事しない夫婦の会話に過ぎなかった。


4 「主語なき人生相談」・・・新鮮味が歳月に取り込まれて豊潤となった割烹着の妻であり、〝別れてくれ〟と遠回しに摩り替えたかった本音でもない。夫婦として健全な行進曲の日々の一齣です。ましてや財産目当てで三行り半を出すなど有り得ない。長女も可愛くって将来が楽しみでした。こんな私だとは読みを誤る恋女房ではない。私自身〝手さえ触れてもいない女性相手に何でこうなるんだろう〟な素朴な疑問で終わっていく。


5 「内鍵付き病室」・・・「妹には教えない。最期まで隠し通す。病室には鍵が掛かっている。面会謝絶の札も掛かっていて行っても会えない。俺が伝えておいてやる。ーーーーー、出しゃばるな。-----、家族の問題だ。-----、口を出すな。ーーーーー。もう関係ない、-----」。。。我が家の糟糠の妻はといえば、「お見舞いに行ったら、どうして行かないの?」 新たな夜のたびに、明ける朝の眩しさに手引きしてくれる。〝してはいけない事だと、引き止められていると〟少しだけ内輪話で語り合わす。 「何のために家族がそんな事を言うの」


6 「告知」・・・ 顔を見たくても会うことさえ適わないと言われているのに、会えるかも知れないと身震い鎮めて白々しく会いに行くのは男同士の信義にもとる行為であり、鍵を開けられる姉と病室の外で儀礼でシルエットさせて追い返されるだけ。それどころか御家族だけの荘厳な空間も限られた貴重な時間で汚してしまう。看たくても会う事すら適わない。引きずり込まされた私の家庭、共に苦労してきた連れ合いは、「わたしに遠慮しているのだったら構わないから、お見舞いに行ったら」 口を酸っぱくして説き勧めてくれました。


7 「百八夜」・・・意識はあるのに植物状態となって自分の身体なのに自身では動かすこともできない。入院中に28の誕生日を迎えたばかりの病床にある純白の身体を弄んだ義兄。「助け」を求めた叫びを、末期がんゆえの「叫び」として黙殺した大学病院。こんな恐ろしさ、事実とは考えられない。訳分からなくなっていった私。誰かに話せば楽になれるとでも踏んだんでしょうか、勝手な都合で妻に掻い摘んで言い渡る、「聞きたくない。そんなことまで言われるの」 両耳を塞いでしゃがみ込める、うらやましさ。


8 「椿灰」・・・私との会話は、内鍵の取り付けられた大学病院の病室における恐ろしい性犯罪という毒牙に結わえ付けてしまう。条件反射なのか我が家では普通の会話さえ、彼方に消え失せた


9 「姉妹愛の病室」・・・夢のように当てにならない をとこ 。。。それでも もたれ掛かる二十五時間の毎日。。。言い尽くしていく 「会いたい、会いたい ・・・・ 」 死命を 何時を何時 どんな場面で悟ったのでしょう。。。車で一時間と少しの所に私は居た。それだけ



10 「入院から四十九日までの概要 1/3」・・・院長が垂れ流す姉妹への不平不満から嫌な金銭感覚を打ち破るべく、二つの都市に妻と彼女を置く実質的な重婚を自分持ちの資金で考え付いていた。。。「(妹を想える建物で)管理してくれるのなら安心で、税金対策にもなるし、若い看護婦だけで使える保養所があっても良い」 自分の店も併設することになって行動に移し始める。。。第三者でいられる妻の正しい目を私は失っていた



11 「九十九年間働かずとも有り余るカネの悲劇 6/6 ★」・・・「世間はおまえより俺の言う事を信用する。(セックスで洗脳している姉も)だ。(真相を)言っても無駄だ」 「一度握った力はどんなことをしても絶対に手放さん! 以前に自慢していた警察の私物化をも院長は語る。が、関係ないとの私の表情が、思いが妹に在ると見るや、、、、、 「(彼女の体を)もったいなかったな。哀れな、、、、、」 へらへら笑っている。 「死んだら(死ぬんだったら)終わり。楽しませてもらった、、、」

 
12 「カネで買えないもの ★」・・・「赤ん坊の頃から面倒を見てやっている、凄いカネが掛かった、住まわせてやっているとか言いたい放題でしたが、あそこは彼女の家じゃありませんか」


13 「カネより大切なもの ★」・・・この姉妹が絵画を購入していたのは私を自宅に招く口実であり、この年月において私に妹との結婚を承諾させる心積もりの姉だったのです。院長の〝妹を忘れないための阿蘇における保養所の建設〟話は嫁入り道具めいた絵画から私と母の資産を現金化して搾取する謀略だった。。。私が家族第一と考えられて姉に真相を話した日も、夜は在る。四面楚歌。。。それでも医師会の長たる後見人に電話を入れられたが、、、



14 「産婦人科を開業の亡父でしたから」・・・女性の包容力ほど素晴らしい栄養素はない。。。「助けを求めていたが知ったことかっ」の、性犯罪です。それも余命2週で死を待つだけの妹に対して。加えて、彼女が毎日毎日で待ち焦がれた私の見舞いをも巧妙に押しとどめ続けた。犯行現場となったのは亡父の出身となる大学の医学部の付属病院です。内鍵まで取り付けられていた。こんな信じられない事実の連鎖ってありますか。阿蘇を御山として彼女のメモリアルたる建物の建設は、たとえ現金化するための口実だった義兄とはいえ、私は見舞いにも行けない身をぶつけて探し、求めた。ここには院長など存在せず、逝ってしまった彼女との約束事にしていくのです。


15 「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」・・・その「あんなに・・・」を何故、あの命の綱の夜の目に・・・仕込んでくれなかったのでしょうか。この文様の姉を起爆剤にして、「えっ、そんなに。でも・・・」と殺陣は狂恋夢じゃなかったのか、の音量で・・・きょろつけたんです。。。我が家だけを考えて幸福行き普通列車に固執すれば、性生活も姿態を暴露された姉は生きていけなくなる。医師会も大学病院も大変な事態に陥る、と。立ち塞がる場所は底なし沼でした。


16 「百億持ち米国逃亡の国際問題と原点」・・・だから、彼女は逝った。応えなければ、男ではいられない。こののち何人もが殺された今も、院長を告発した途端に医院を息子に代替わりして、本人は米国移住して今に至るも、カネも何もかも犠牲にして社会を守り続けた私の過去に後悔はない。が家族は違う。が法治国家としては、これで済ませてもらっては困る。なぜ、移住できたのか。この問題が公になって喜ぶのは裏社会の人たちです。だから捜査も打ち切りでは納得できない。


17 「弁護士に始まった時効停止の現在」・・・姉からは「なぜ裁判になるのでしょうか」と私の弁護士に電話が入っており、「(嘘を言うな)」呆気に取られた口調で言下に判決を下された。。。。事件そのものを初めから家族のために吐露しなければと頑張っていた脳みそは干からびる。彼女をも、「(彼女が手中にしていた社会的立場の習い事)ばかりで男を見る目が無かった」と馬鹿にした。私には、「(院長に対して)それだけの事をしたんだろう。この県で、姉に院長の家に逆らったら、「干される」」と下した。私には、何をしたのかも、何があったのかも分からなくなっている。


18 「裏千家師範と私と銀座の画廊の、家系」・・・銀座に出向く決心か商取引の帳簿合わせを迫る私に銀座の画廊は、「(彼女への性暴力に抵触する情況)見舞いに行ってない」と、持ち出した。ら混乱する精神に鞭打って前に進もうとしていた私であり、もう目一杯でした。壊れた。混乱させられた刹那、完全に真っ白。なぜ銀座に来ているのか、さえ忘れてしまった私が居た。彼女の存在から姉から何から何まで、これら記憶の一切合財が遥か雲の彼方に煙のごとく逃げ去ってしまいました。


19 「医は算術ではなく鬼手仏心です ★」・・・こんな中、女たちだけが取り残された福岡の我が家には中傷に嫌がらせの電話が引っ切り無しに入っていた。家庭があり、家も在る間、着信音に妻は両耳を塞いでしゃがみ込み、母は頑張れるも〝それなりの対応〟にて音を収める。妻も母も、家族で耐え忍びながらも、恐ろしくなった私から命じられた通り、我が家の女たちは師範殺しの知りえた限りの真相を院長の犯罪の内容を姉妹の家の秘密を守り通した。全てを誰にも口外できなかった。妻は叫んだ、「どうして私たちが犠牲にならなければならないの」。。。こんな苦しみの我が家へと姉からも電話が入っている、「今後ウワサにして妹の名誉を傷つけないようにしてください」黙ったなり、聞いてあげた我が家の女たちでした。


20  「家族を」・・・「会った事も無い人達の安らぎを願い、如何して本当の事を黙り通さなければならないの。なんで言えないのよ」攻め倦む妻の頼もしくって当たり前の正しさも詰問で責め立てられていたのに、厳しさではなくオブラートな鼓膜が巻き包んでいる。糟糠の妻として熟れた肌の腹ただしさには理解力で一休みできる尤もな夫婦でした。私は〝私へと一年半で一生を使い果たした潜り好い玄妙さ潜り戸の師範〟に、私を思い沈ませてしまうのです。。。妻も母も、私の経営の破綻で終止符を打とうとしていく。自然の成り行きです。成仏し得ない霊魂相手に、恐ろしすぎて、夫や息子みたいに悶絶できない。円満にの同じ屋根の下の女たちにしてみれば健全な免疫力が作り上げる健康的な指向です。わたしたち指きりげんまんの家族の肖像画は鬼のようなさまでした。仕切り有る安っぽい家庭ではなかったのに。


21 「3/3 裏と表の社会が反転した犯罪 ★」・・・裏社会に、表を代表する行政や企業から境界杭を動かされて出入り口に取り付け道路となる要の土地を奪われたという一件が露見する。拉致された。嫌らしいのは、逆転した社会から秘密を握る私を抹殺する手段として次から次に仕掛けられる〝えげつなさ〟である。院長と地域の取り巻き、財閥系から権力の構造、地方行政に身の安全と既得権益を手放すまいとした村八分。ここに影響力で行使された法曹界から警察が加わる。まるで世界中を相手に、たった一人で戦っているような感じ。十一月から翌春、戦争勃発。死者四十数人かな、知らないがそんなもんでしょう。日本最後の内戦、と形容されている。戦争は巻き込まれただけです。だが、この三年後に発生した抗争となると全く違う。。。私と母さえ抹殺できれば、ままで完結だ。


22 「『生まれてこなければ良かった』 なんて言わせない ★」・・・院長こそが婿養子だと知っておられた社会は [姉妹が一緒に住んでいる] これだけで疑問を抱かれる。と、気づいておられたのでしょうか。 恐ろしき慣れか、脇の甘さか。 この、抱かれる疑念の存在、裏千家も師範は、クララな生き方は知っていた。 姉は、気付いてなかった。 院長は、義兄は、夫は分かりすぎていた。そして、だから利用できた。。。余命2週の告知どころか、乳がんの細胞さえ、病室における毎週末の性暴力だって、ここから始まっていくんだ・・・


23 「記憶喪失な私だと気づいた愛弟子たち」・・・二十日前に土地の売却が決まっていた。残った土地に小屋を移して住み続けるのか、新たに家を建てるのか迷いながらも、 “下界に下りないと” “子供に会いたい” と苛立っていた。御山を離れるのは天使に別れを告げることになる。会えなくなる、とは心得ていた。八月初めから別荘分譲としての造成工事に入る予定だったんで、業者には七回忌とは言わずに二十五日まで工事に入らないように頼んでいた。ここに住み続けるのは小学校低学年の娘の将来を考えると苦痛で、近くに居てあげたかった。


24 「黄白の価値観と質量」・・・果てしなき院長と周辺からの私を対象にした抹殺指令。別居すれば切り離せるかも。。。師範の義兄に奪われた資産。離れ離れにして金銭の苦労をかけさせている家族。別れた妻に娘。おかしい七丁目の銀座の画廊との帳尻と貸付の筈の金額。母に妹たちに甥っ子、姪っ子の将来から守れなかった方々から健康を考えなければ、の話しなんですが。だから何もかも考えなければ、の無茶苦茶な話しなんですが。
記憶喪失なんて時期が可能にさせてしまった阿蘇における私です。


25  「憎しみを植え付けてはいけない」・・・福岡に残す妻にまだ幼稚園児だった愛娘一人にさせる老いゆく母、嫌がらせ電話に耐え忍ぶ女たちとも振り返れなかった。南阿蘇に墓標を建設する霊魂との約束事は破棄できなかった。死者には敵わない。。。「姉だけでも守ってください」たる逝った裏千家師範のクララからの遺言にしていた。。。〝おかしい〟と腑に落ちないだけであり、〝何をしているのか〟腑の抜けた情け無い大黒柱だったのです。。。以降、阿蘇の聖地、お墓を攻められるも〝姉が人質〟として誰にも相談できず、墓守りとして、姉に医師会から政財界、行政から大企業、亡父の出身たる大学病院から何から何まで全て、ひとりぽっちにされながらも世界を敵にしても私は守り抜いた。なのに、この南阿蘇の墓地〝青春キャンパス〟さえも義兄は篭絡させた弁護士を使って〝差し押さえ〟カネに変えて自分のモノとしたのである。。。母と私の資産である。


26 「パイプカット」・・・妻との一人っ子に対して異母弟妹は作れなかった


27 「分身で漫才された剃毛から白い巨頭から点滴」・・・愛娘にしてあげられる、たった一つの償いでした


28 「記憶喪失を治癒したショック療法」・・・私には裏千家も師範だった素晴らしき彼女だけに言及できる記憶の喪失を自分で治したなりのショック療法からの後遺症があります。はっきり解る機能障害とは、彼女の死に隠された癌細胞から性暴力の真相を、奪われた私の財産に対する院長の詐欺行為を説明するのに必要な言葉、読み書きを忘れた十九年もの現実がありました。画商なのに〝紅白梅〟すら読めなくなっていた南阿蘇のペンションにおける私を私は忘れない。。。もし私がカネを第一と考えていたならば、記憶喪失なんてならずに〝カネを返せ〟と裁判できていた。南阿蘇に住む理由どころか一家離散さえもない。妻と一緒に娘の成長を見守っていく平凡な家庭があった。暴力団相手に九年間も命を賭けてはいない。なにより年収六千以上稼いだ画商を続けている。これには証人が


29 「外堀」・・・当時を振り返る時、許せないことだらけのなかで異彩を放つのが、私の周囲を取り巻く人達に降り掛かった世間と圧力です。中洲への罵詈雑言も酷かったが、これは放置できる。。。私には二人の妹が居る。何年も前に自宅を新築しているが、二軒共に私は訪問したことは一度もない。下の妹の家に至っては医界に居る現状も考えて場所も知らない。


30 「気」・・・自分が必要とされている現実を形で見せつけてやる場面を、作ってやるんです。「片付けないと」「私が居ないと」と。自分にしか出来ない仕事を作ってやるんです。母の場合は一発退院でした。退院させてくれない、と文句ばかり。挙句に、あたしみたいな元気な入院患者が手が掛からなくて儲かるから、とまで言い放つ始末です。病院スタッフの方たちも大変なご苦労だったに違いありません。ありがとうございました。母には、このままで良い時間、緩やかに流れて欲しい


31 「医院を代替わりできても米国移住できても」・・・考えた通り余命いくばくも無い“二週間”で大学病院に搬送された二十七歳も未婚の乳房を肉体を、 「どうせ死ぬんだったら終わり、楽しませてもらう」 と、自分の医院が休診となる毎週末もで犯し続けた義兄も院長は、私から暴力団抗争までの一部始終を告発されるや否や、たった数ヶ月で、あの医院を長男に代替わりすると共に、米国に何故か移住できた。私から母から取引先から騙し取ったカネを日本に代替わりという名の医院に残して。米国に抱えて。。。八月二十五日早朝まで百八夜の性描写で記憶を失った私でしたが、阿蘇における何人もの女性達の温かさに触れて自分を取り戻せました。追求の手を緩められるはずもなく、、、


32 「4/6 時効は停止した ★」・・・2000年2月7日から「ここは何処。わたしは誰」だった記憶を取り戻し始めるのです。まず病室における性暴力を思い出し、死の真相、財産の行方など詳細で健全な主体性を取り戻し始めていた。。。熊本県警本部は2002年4月11日付け(熊監第83号)で私に郵送した公式文書にて、「暴力団の支配下にあった自治会の告訴を受け、私が抗争を止めるべく物的手段とした設備で私を書類送検した」と、図らずも認めてしまった。続いて熊本県公安委員会までもが、2004年1月8日付け(熊公委第2号)で、同じく認めた。はっきりと。。。2005年7月5日、福岡地検に出した手紙で呼び出されたあと、書類送検された時の検察官を懲戒請求したら、一人一官庁は辞職された。流石、警察なんかとは質が違う。


33 「5/6 肉を斬らせて骨を斬る」・・・それまでの郵送に頼る追及の手をパソコンに切り替えました。。。師範殺しの義兄が院長を勤める〇〇〇市の開業医は勿論のこと、周辺市町村の病医院長にも、私の顧客名簿の先生方だけに限らず殆ど送達させて頂きました。医師会は県内全て、御中でも会長名でも。医療機関の従事者、関係先にも。。。境界杭を打ち直すという犯罪に加担した弁護士に加え、周辺の弁護士にも、当然、弁護士会にも。。。行政機関は福岡県庁の関係部署から県知事。同様に県内ほとんど全て。暴力団事件が勃発した周辺市町村の自治体の首長、対策の行政組織から関係部署にも。。。警察は本部どころか私と師範殺しの所轄署にも。。。もちろん、警察庁から警視庁も。関係した地検から福岡高検も。


34  「妹」・・・師範殺しから抗争に関係した社会が何故、私から貴女を取り巻いていったのか。貴女は私の情報を得たい勢力に最初っから利用されていた。今は私を周辺から圧力を掛けて黙らせる為に、母から苦しめようとのホンモノのワルに成り果てた上流とやらに操られている。それと知っていても何故わたしは何も言わなかったのか。それは嫁入りした貴女だから。

 




明夜は 【十二夜 一人娘も一人っ子】・・・愛娘が検索から私を見つけてくれて二十年ぶりに接触してきてくれました。





十二夜  一人娘も一人っ子

2012年06月04日 08時20分52秒 | 十二夜 「それから」 

☆ 愛娘が検索から私を見つけて二十年ぶりに名乗り出てくれた。 
2010年09月19日 22時03分16秒 です。

新しい記事は書き足しながら会える日々を楽しみに投稿していきます。

 

 

 

Twitter における私は 娘との 日常会話

まだ もう 30年近く 会えない日々

 

 

 

昨夜は 【十一夜 ☆家族】 から



リンク先ブログ記事。

1 ☆ 「愛娘からの便り 20日のつぶやき」・・・一人娘が検索から私を見つけて名乗り出てくれたんですが・・・・・なんといったら良いのか突然で、まだ言葉が出ない。なんてったって、二十年ぶり。。。まず、メールから、少しずつ焦らずに。娘にとっては、「両親の離婚から家族の過去を、何があったのかをブログで知る」大変な苦労が降り掛かる今日からなんです。心配です。



2 ☆ 「9月22日(水)のつぶやき」・・・ブログ読むのは今日はもう止めて、あなたも休んだら? 明日がある。僕達には、明日が約束されたんだから。(この22日からブログをTwitterに連携させました)おふくろに、さっき貴女と連絡が着いたことを話したら、、、泣き出した。。。会いたい、ってさ。お互いに慌てないで、、ゆっくり、進もうね。注意して欲しいのは、絶対に院長から周辺に憎悪を抱かない事。これだけは、、、絶対に、駄目ですからね。

 


3   「  23日(木)」

 

4 ☆ 「   24日(金)のつぶやき」・・・
02:36 from web 
強くなければ、生きられなかった。。。身にしみる。謝って済む問題では、ない。

02:38 from web 
今の貴女の周囲、というのは、私も一番の気掛かりです。

02:41 from web 

02:52 from web 
私の「娘」 と 書いてくれて、ありがとう。

5 ☆ 「   25日(土)のつぶやき」・・・
11:36 from web 
「もう、Twitterもブログも見ないし、メールアドレスも削除します」と言われてしまった。二十年ぶりの便りから、まだ数日なのに。。。

11:49 from goo 

12:02 from web 
自分のプロフィールを全て削除したいんですが、その方法が分からない。誰か御存知でしたら教えてください。



6   「  26日(日)」

 

7 ☆ 「追憶の日々 27日のつぶやき」・・・二十年間も消息不明だった一人娘がブログを見つけてくれました。悩み苦しんだ末の十九日夜にメールを寄せてくれました。そこから両親の離婚から何から何までの真相を一気にブログから読み解く辛く悲しい時間が回り始めたのです。メールだけですが何通も交わしました。五日目となる二十四日夜に途絶えました。思い出したくないのでしょうか心配でたまりません。



8 ☆ 「旅立ち 28日のつぶやき」・・・離婚した妻は旧姓を名乗っている。だから娘もです。当時は寂しかったが、こうなってみると本当に良かったと思います。明後日からですね。毎日祈っていきます。鉄だって伸び縮みする、しなるから、強いんだよ。歩み、頑張りすぎないようにね。





            憂き我に合いにおいでよ閑古鳥




9  「初出勤 つぶやき」・・・
01:07 from web 
今日からだね、無理しすぎないようにね。何時でも、メールしてねっ。。。手紙でも何でも貴女の思うがまま、気の向くままで良いんだよ。。。


10 「10月2日」・・・

07:30 from web 
おはようございますっ  おかしな上司が居ないか少し心配した昨日の初日でした いってらっしゃい 好い一日でありますように

09:04 from goo 
慶び。昨日は二十年以上も顔を見ていない一人娘も一人っ子の初出勤でした


11 「10月3日」・・・

17:31 from web 
あまりにも衝撃的な両親の離婚の真相から、知らされなかった家族崩壊の構図でしょうが、本文中のリンクを使わないままに昨日からの父のツイートする順番を追ってくれれば、うれしい。

 

12 「10月4日」・・・

10:53 from web 
自分のツイートで RT とか @ と一緒に連れ立って流したいんだけど、如何したら良いんだろ。阿蘇で、ムギュ、した子に教えて欲しいなぁぁぁぁぁ

 


13 「10月5日」・・・

10:08 from web 
ブログに飛ばした人様のツイートは文言も写真も簡単に書き換えられます。しかし、それこそ犯罪。フラグもレッドカード。つまんない疑問ですね。

11:16 from web 
貴女の元気もらった。ありがとう。



14 「10月6日」・・・

18:43 from goo 
家族から、「周囲への圧力。画商も遊戯施設も、ことごとく仕事を潰された」

 

 

 

   梅も枯る熾き火使いし明くる年花も盛りは落果で育ち

 

 

 

「みんなと過ごした11月27日展」 から ・・・・・ 
11月26日、22:51:03 娘が便りをくれました。うれしい。

 

 

 

「三月の母 12-31」 へ ・・・・・ 
2011年03月20日、わざわざ遠い地から娘がブログを参考に「やぶれまんじゅう」とか色々持って病院に母を見舞いに来てくれました。なのに10年ぶりの母どころか20年ぶりの私も会えなかった。

孫が見舞いに来てくれたと知らされた母は車椅子をリハビリの男性職員に押してもらって必死で追いかけたのです。何も知らない職員は驚かれたでしょう。この職員の方を呼び捨てに「グズグズしているから」って悪態ついておりました。。。「申し訳ございません」

母は孫の後ろ姿を見つけて名前を叫んだそうですが、あの声です。とても遠くまでは届く声ではない。振り絞ったのでしょうが、、、

あとも大変です。孫を見た職員の方々に様子を聞き回り、「確かに孫だと、私の娘だと確信したそうです」 私に後ろ姿の見たままを事細かく教えてくれました。

娘へ。。。ありがとう。。。すごく喜んでいたよ。。。

 

 

 

 

 

2011年08月12日

そして ふたたび 声すら姿すら 見えない日々が続きます