事実は映画よりも奇なり

乳がんで余命2週の告知もキリスト教の27歳の裏千家師範は延命薬で百八夜を内鍵付きの病室にて戦うも・・・

7/8 さっちゃん、みっちゃん、ありがとう ☆

2009年11月29日 09時00分21秒 | 朝顔 「椿灰」 

 8/8

彼女の本を書きたいと思っている」
わたしは心の中を隠さずに表現した。

「書いてください。わたしにも下さい。じゃ名前と住所を教えておかないと」
この愛弟子には、
「お姉さんから渡されるだろうから」
こう突き放した私の目に、
〝ダメ〟と制止していて〝ほっ〟とした大げさな仕草の目付けと、〝分かっているから〟と目で合図しながらも〝がっかり〟してる、二人の一発芸が面白かった。名コンビだ。

愛弟子の家と師範の家を出版という形で私が結びつけて良いわけない。両家の困惑となる。先々への繋がりも作りたくなかった。その今日だけで充分だ。わたしなりの幼稚でも一期一会です。
さっちゃん、みっちゃん、愛称は知った。これだけの他人。
のちに愛弟子の住所氏名は他から耳に入ってしまうのですが、この今日の予感があったんでしょう、メモは捨てたし、名さえ覚えてはいません。

言えなかったが、出版できる可能性なんて万に一つしか無いと思いつつも、信念と約束だけで〝このブログの原本となる九十九日記〟を〝日に一行だけでも〟日課と決めていた時期であり、彼女だけで書けるなんてのは夢のまた夢。読まれる姉に思いを馳せれば日記の誤字だらけも天気の具合ばかりとなり、悪循環に陥っての堂々巡り。気楽な宇宙に動物に季節にと逃げている。
この娘たちには師範の思い出だけで大切に仕舞って欲しい。クララを先生として同様に慕ってくれる方々とも地元での付き合いが続くわけだから、昔話には自分だけが知っている先生としてくれれば嬉しい。

「法事の後の〝この阿蘇での私との出会いから話し〟が両親に分かったら、もう旅行させてもらえないかも知れない」
言っていた愛弟子だから胸に仕舞っておいてくれるでしょう。

「(私が)姉妹の悪口を少しでも言われたら直ぐに帰るつもりでした」
打ち明けて、
「すみません」
謝っていたが、それで良いんです。詫びなくって良い。自分からは姉妹を話題にすることなんて無かった弟子でした。
この子たちに出会えなかったら私は立ち直れなかった。逢えたのは天使の御陰だと信じている。偽りなく気が楽になれた。こんななか、
「おいしい茶が飲みたい」
呟いてしまった私に、
「いれてあげましょうか」
葉がなかった。

あの日々、
茶室と教会がどうつながっていくのか分かりませんでした。
いま、〝アガペー〟〝神の愛〟とやらの犠牲愛の気がしてならない。
〝最期の一葉が散るのをみたいかのごとくに窓を開ける冷房の効いた病室だった〟と二十四日、二十五日は思い出せても、八月なのか十二月なのか季節から全く分からなくなっていた年月に降りてきた、キューピッドです。
晴れ晴れした心にて、日記の文字が急に増えていく。見つけた正に病床日誌は支離滅裂で、蓋が開いた日本語らしき羅列はアホ色の金閣炎上に水没していた。
夏下冬上も正に逆さ富士の噴火でした。
(下記は俳句とかではありません。〝水面に〟絵文字がわりも接着剤のつもりです)



   なでしこや波を舫いて今朝の月



  それから昨日の投稿で最後に〝自分を殺さなければいけない生活もある〟と書いてるのは、あれ〝男の場合〟ですからね。
二十年足らずの短い期間で妊娠、出産、子育ての束縛から約束事を生まれながらに契約している女性は逆ですよ。男に〝その生活〟を強いる、強いれる女、強いても男が甘んじてくれる、そんな女性になってほしいという舞台裏の投稿が前後に在るんですからね。男は一生でも、女性には遊んでられる時間って短いから。
ーおわりー