事実は映画よりも奇なり

乳がんで余命2週の告知もキリスト教の27歳の裏千家師範は延命薬で百八夜を内鍵付きの病室にて戦うも・・・

偽善より変態で縒る対症療法

2010年05月22日 11時16分39秒 | 朝顔 「椿灰」 

 【十夜 夢想】 から

何処かに、何か、大変な何かが隠れているに違いないんだ。じゃないとここまで執拗に攻めかかるわけがないっ。それも随分と子供じみている。
警察がだ。後ろめたさ指し示す相手の焦りの色は、私自身に「自分を信じ通せ」とする確信を形で見せ付けてくれた。
必死になって歳月を巻き戻そうとした。
考えるだけだと知らず知らずに安易な方向へと逃げ、楽したい思いへと逸れていく。
だから書いてった。



 声掛ける「シゴトスンダノ」沓手鳥仕舞う切っ掛け湯呑み酒瓶



世界遺産に散った女性が私に残してくれた、
「書いていいかも」

この“描写”
投稿しなければなりません。何回かには分けますが・・・

そして最後の最後に、卑しくされた黄白の流れとなるんですが、これについては書きません。穢したい人に材料を与えたくないから。
(くつてどり・ホトトギスの異称)


安全圏に逃げていた。そこから逃げたいとした記憶の喪失の中にこそ、真相も尊厳も未来も何もかもが・・・


“あなたは何処に~”


誠しやかに生きてしまった、この面の皮を剥ぎます・・・



 打たせ湯の喪屋穿つ靄今日の月





外堀

2010年05月17日 15時02分08秒 | 朝顔 「椿灰」 

 【十夜 夢想】 から

グーグルとの二つのブログで落としている裏千家師範との過去世は、1981年です。
ホトトギスを詠んだ家康、秀吉、信長の俳句は度々見かけますが、家康の本が茶道界でも話題になっている時代。そう、もう30年にもなるんですね。大阪城は何故簡単に落ちたんでしょうか。
今、絶対に忘れてはならない事実が幾つもある中から日々に気を付けている思いを今日は投稿します。

ここまでに投稿できたのは、2000年2月7日から記憶を取り戻し始めての物語であって、ここに至る19年は死んでいたのも同然の私です。私にとっての彼女との思い出は完全に思い出せてから未だ数年の、新鮮な風であり肌なんです。
当時を振り返る時、許せないことだらけのなかで異彩を放つのが、私の周囲を取り巻く人達に降り掛かった世間と圧力です。

中洲への罵詈雑言も酷かったが、これは放置できる。
無二の友は学生時代にグループ交際していた中から誕生した微笑ましき家庭です。奥様は私より数歳年下でしたが、数年前に他界されてしまう。葬儀は別の友からの電話で知りましたが、欠席しました。みんなから事情を聞かれても答えられない。
私には二人の妹が居る。何年も前に自宅を新築しているが、二軒共に私は訪問したことは一度もない。下の妹の家に至っては医界に居る現状も考えて場所も知らない。
阿蘇で知り合った一回り年下の女性とは再婚を真剣に考えて数年交際しましたが、一方的に別れてしまいました。

書き出したら暗闇どころか取り留めもない。
いま私はGメールも打てない。覚える気がない。削除しても記録に残るから。
私が相手取る世界とは、こんな闇鍋です。