福岡は西鉄の城下町です。西鉄は店子。姉妹に院長は親ともなる。しかし彼女をも、「茶ばかりで男を見る目が無かった」 と馬鹿にした。私には、「(院長に対して)それだけの事をしたんだろう」 と下した。私には、何をしたのかも、何があったのかも分からなくなっていた。この県で姉に院長の家に逆らえば、「干される」「弁護士会からの紹介でなければ断っている」依頼した弁護士の根底に存在していた当初からの本音、名言である。(62 弁護士会会長に始まった時効停止の現在 より)
西鉄久留米駅の開業は1924年でした。
ここから99年間の賃貸契約が師範の家と締結される。
姉妹の父親が周辺の土地を売却の上で資金を調達、駅建物から名店街からホームに至る全てを建設され家主となられたのである。
岩田屋さんは、「土地は買い上げる」 と頑として譲歩されなかったらしい。売却されている。
上記を読まれてない方は目を通してからにしてください。この物語は三流以下でも推理小説な内容となります。
これは記憶喪失からの回復過程で投稿したページを羅列しただけでしたが、現在の投稿段階で軽薄も猪突猛進に反発される方は日本史を学ばれたら如何でしょうか。
このページのタイトルに挿入するリンク先は原文。
この四部、どこまで固有名詞を含めた書き加えが可能なのか悩みます。
61 百億持ち米国逃亡の国際問題と原点 上
福岡県警採用の現職警察官から猛勉強して司法試験に合格したという弁護士から電話が入った。院長の依頼を受けたという。
わたしから出向いてあげた。事務所は赤坂の職安の裏道に面した汚いビルで奥まった細い通路も突き当たりに暗くて狭い物置小屋みたいな部屋。
ドアを開けて二歩のソファに招いておきながら、わたしが座る前から、
「奥様に連絡を取るとーーーーー」
脅しつけてきた。この手の、似つかわしい浅読みで、
「(私の印象から) こんな男をなぜ怖がるのか」
とも、院長からの依頼の内容と私の印象とのギャップに戸惑っている。
この弁護士の主張は 「ただこれだけ」
他には何も中身など無かった。
なにか引っ掛かった。姉だけを強調した呼び出しには何か隠れていると感じた。
当の弁護士でさえ首を捻っている。じゃ動くなってんだ。
ここに家具屋の義兄弟が関与しているのかも知れない、していなくても何か知っているだろう、と直感する。
新天町北通りの家具屋には車で十分の近さでした。予感は的中していた。
三階のギャラリーにまで上がってみたら、不在の兄弟に代わって女店員が答えてくれる。
院長に預けていただけの絵画が半額で処分されようとしていた。
彼女が購入していた絵画を墓標の資金に充当するべく預かったら壁の日焼けが見苦しかったんで、隠すために掛けてあげただけでした。
私は一度も家具屋に行った事がなかったので、まさか来るとは思わなかったらしい。
完全な詐欺。
その足で弁護士会館に出向いて代理人を紹介してもらった。舞鶴に回る。
弁護士会から紹介を受けた著名な弁護士会会長は 「明らかな犯罪で刑事事件にするか」 聞かれたが姉妹を考え、そこまではしたくなかった。
正常な状態に戻せればそれで良い。
姉妹の医院ある所轄署の刑事からは、「院長から刑事事件として相談を受けた」 として電話が入ったが、院長と家具屋との詐欺行為を話したら、それっきりとなる。
そもそも弁護士会で紹介してもらう手段を選択したのは、親交ある方々では誰にも相談できなかったからだ。弁護士を必要とする理由が言えない。
姉妹を性で卑しめてしまう・・・姉を守れなくなる・・・医師免許剥奪になれば姉妹の医院が閉院か代診となる・・・医師会の重鎮が立場を失う・・・大学病院の責任問題に発展する・・・
そもそも後継者が診療しての、姉妹の医院だ。
彼女の入院中から私の頭ん中では何かが音を立てて、ブチブチと切れていく反響音を感じていた。
聞こえるんだ。
頭蓋骨の中の物音が・・・
そんな中から依頼人となった弁護士に相談したのですが、彼女の全てが、姉が妹の幸せだけを望まれた結果が、「事件そのもの」が恐ろしすぎて、言えなかった。
言わなければ相談にもなりはしない。言おう、言おうとしていった。
頑張る中で姉から、
「なぜ裁判になるのでしょうか」 と私の弁護士に電話が入っていた。
弁護士は私に、
「なぜ見舞いに行かなかったのか」 と尋ねる。
「止められていました」 すかさず答えられた私だったのに、
「(嘘を言うな)」 呆気に取られた口調で言下に判決を下された。
その姉の夜をも性描写する事態なんて私には、呼べない。
事件そのものの流れを恐ろしさを、妻子ある家庭を守るためにも言わなければならないと頑張っていた脳みそは干からびる。
性暴力を私に描写した理由からカネの流れた経緯から、真相の記憶が頭蓋骨の中の何処かの引き出しの中に隠れてしまった。
かくれんぼする子供みたいに。大人を怖がって親の後ろに隠れる子供みたいに。
にべもなく、全て終わった。だから終わったことにも、気付けない。
説明へと姉妹から真相抜きではどうしょうもなく、何も無いのに有る振りする私だとも断定されて、
「本にも書けない(書ける内容ない)だろう」と、馬鹿にされた。
こんな中で、完全に記憶を失う銀座の朝が来るのです。
忘れない。
ここに、私の亡父の小冊子 「相浦三郎君を想う」 と同じように彼女の本を自分史の中に書いてやる、たる揺るぎなき現在の決心が生まれていたのだと思います。
彼女が入院した五月から私は仕事が出来なかった。仕事の手帳がプライベートな日記として生まれ変わる。
私に犯罪歴が無いと知るや、
「今にやる」 とまで院長寄りで吐かれた私の依頼人弁護士だった。
私の家系を調べて、
「これを利用できないとは・・・」 と若い弁護士が驚く傍らにて、
「使い方を知らない人も出てくる」 と著名な方の弁護士は教えていた。
二人で驚き、頷き合い、笑っている。
私は、しがらみの人脈に雁字搦めでした。
しかし、利用から使い方とは、これが弁護士の頭の中なのか。
この弁護士事務所の仕事は企業専門でした。姉の素性が圧力となったのでしょう。福岡は西鉄の城下町です。西鉄は店子。姉妹に院長は親ともなる。
しかし彼女をも、
「茶ばかりで男を見る目が無かった」 と馬鹿にした。
私には、
「(院長に対して)それだけの事をしたんだろう」 と下した。
私には、何をしたのかも、何があったのかも分からなくなっていた。
この県で姉に院長の家に逆らえば、
「干される」
「弁護士会からの紹介でなければ断っている」
依頼した弁護士の根底に存在していた当初からの本音、名言である。
63 裏千家師範と私と銀座の画廊の、家系 下
【御山】での生活に入っていた。
もう客ではないし、売り掛けなんてのもないホステスから阿蘇に電話が入る。
「(銀座七丁目の画廊に) 言わせておいて良いの。(風評は) 男の人でもあるのね。このままだと大変なーーーーー」
わざわざ教えてくれる電話。
私の取引先にも営業しだしていた。
悪口雑言に呆れ果て、私の取引先から周辺どころか、繁華街のクラブにも手当たり次第に広めていく余りの態度を、
「あんなに仲が良かったのにね」
嘆いていた。
情けなく、恥ずかしかった。
カネに生きる結果が、これ。
ここまでくる拝金主義には哀れみが生じ、憎しみは薄れる。
今は銀座の顔どころか日本の顔であり、世界の顔らしい。
しかし、彼女が逝った途端 「(院長は)婿養子」 と、どれだけ飛び出してきたことか。
呆れます。
どこを指して不文律というのか。
64 家族を 上
25日早朝だ。逝ったのは。しかし命日は24日とされた。
ご先祖さまと重なったからなのだが、数時間しか違わないから、とも言われていた。
クリスマスって、騒ぐのは同じ時間帯です。
「クリスマスは静かに過ごし、騒ぎません」 と師範は口にしていた。
クリスマスやら正月は、重婚めかした東京と地元との過ごし方に悩む満たされた月日がありました。真剣に空の最終便なんかの遣り繰りを愛娘やケーキやプレゼントに重ねて思いを巡らせていた。
間夫おかしのたり果てらむ冬の海
何年か後、クリスマスって八月なのか十二月なのか分からなくなっていました。というのも御山の土地に購入代金を支払って登記するのは月曜なんですが、日付けは前日にしてもらったんです。24日は日曜日になった一周忌でしたから。
だけど一周忌だってことも、そうする理由も何もかもキレイに忘れていたのです。
ただ、そうしたい24日という登記簿の日付けでした。
それと南半球となるオーストラリアでは12月は夏です。
ホワイトクリスマスではなくって、グリーンクリスマスというらしいのです。
そんなこんなで頭ん中ゴチャゴチャになっていた緑したたる御山の私です。
叫ぶしか著れぬ色取り鵙の乱
65 着せ替え人形と言葉遣い 上
性犯罪 下
延命薬の副作用で身体の自由は利かなくても意識は正常なんです。
聞こえます。見えます。声は出せます。
だから 「叫んだ」
窓は臭いを逃がすべく開け放たれた空梅雨の空へと、声は近くに居る人を探した。
「助け」 を大学病院に居る人たちに求めた。
だが、これさえ末期がんゆえの 「叫び」 「助けて」 と受け止めてしまう看護師さんたちに掃除のおばさん、入院患者の人たち。研修医に教授さえ黙殺してしまう。
無視した。耳を押さえた。
この声の存在を知らない職員はいないそうだ。
終末期として 「うわさ」 にはする。
「おかしい」感じた方がおられたにしても病室には内鍵がかかっているし、開いても次には衝立がある。
地域社会どころか医師会がらみもの力関係が暗に二の足を踏ませたのでしょうか。
のちに、「叫び」 の存在は小児病棟の二人の看護師さんから、阿蘇で聞きかじりました。
彼女の入院中に延命薬について相談に出向いた先生の御子息は同じ時期、この大学病院において研修医をしておられた。
彼からも阿蘇に来られた時に聞く。
わいせつ行為と看病への恐ろしき勘違い、思い込み。
・・・着せ替え人形、、、
するがまま。楽しんだ院長である。
意識ははっきりしているのに抵抗できない。されるがまま、、、
あの裏千家も師範の精神性・・・
私は無論、誰一人として想像しえない高みにあるんです。その彼女を。
別宅生まれも乳飲み子だった妹を姉は引き取られた。
二人の母親は、共に亡くなられている。
父親も亡くなり、医院を継がなければいけなくなった姉は婿養子を取られる。まだ二十歳そこそこの姉だったと思われます。
66 百八夜
意識はあるのに植物状態となって自分の身体なのに自分では動かすこともできない、着せ替え人形の、私でさえ未だ抱いてはいなかったのに、入院中に28の誕生日を迎えたばかりなのに、もう椿灰へと旅立つ彼女。
その病床にある純白の身体を弄んだ義兄。
狂い死にしそうでした。
平穏に生活を営んできた我が家が巻き込まれた日々の暮らしに猟奇の絵図面が暴れまわる。
一人娘は幼稚園です。この子まで巻き込む。もちろん、母も。四人家族はバラバラにされていく。
妻には私こそが変態、精神異常者に思える。
のちに、姉に世間までが、この家族を決定的に離散させていく。
真相を知られて保身を図る院長の陰謀だった。
彼女に関する記憶の全てを自分の中から消してしまう。防衛本能だったのでしょうか。
言い方を変えれば、背後霊、守護神、取り付かれた私で生きていくようになった。
自分では気づけない。
家族も、残される家族三人はそれぞれで、生きるために自分を創っていく。
67 家族を 中
「なぜ私たちが犠牲にならなければいけないの」
「会った事も無い人達の安らぎを願い、如何して本当の事を黙り通さなければならないの。なんで言えないのよ」
攻め倦む妻の頼もしくって当たり前の正しさも詰問で責め立てられているのに、厳しさではなくオブラートな鼓膜が巻き包んでいく。
糟糠の妻として熟れた肌の腹立だしさには理解力で一休みできる尤もな夫婦でした。
言われている内容には理解できていた、と思うのですが。それだけで、「だから」 と続いていけない。
記憶を完全に失う一歩手前の私には 「考えるチカラ」 など最早一歩先へと旅立たせている。
私は 「私へと一年半で一生を使い果たした潜り好い玄妙さ潜り戸の師範」 に全身で思い沈ませてしまうのです。
どうすることも出来ない裏千家でした。
銀座の朝で、それまでは霧の中でも見え隠れしていた背負う姉妹を存在から丸ごとで、記憶から消し去っていく。
今この情況を思い起こせば、頭の中で肝心な箇所を守るために、無くても生きられる箇所を、あったままの会話から状況をパソコンの履歴みたいにして金庫に保管する自己防衛みたいな本能が働いたんじゃないだろうか、と考えます。
霊魂に気がふさぐ毎日は私と顔を合わせるのも辛い女たちの家となり、住みにくくする。
阿蘇のペンション住まいとなって週末しか帰らない私でした。
私にしても逃げ隠れていた。
妻も母も、私の経営の破綻で終止符を打とうとしていく。自然の成り行きです。
成仏し得ない霊魂相手に、恐ろしすぎて、夫や息子みたいに悶絶できない。
円満にの同じ屋根の下の女たちにしてみれば健全な免疫力が作り上げる健康的な指向です。
わたしたち指きりげんまんの家族の肖像画は鬼のようなさまでした。
仕切り有る安っぽい家庭ではなかったのに。
たわわの芽誓いし短冊春尽くる
68 パイプカット
離婚した私は直ぐにパイプカットするが、それは異母妹弟を創りたくなかったからだし、娘の視点で考えると、自分の母親以外に父が愛した女性を忘れ得ぬ妹やら弟なんて現実を押し付けられなかったから。
そもそも妻が嫌いになったり他に女性が出来て別れたのではない。
離婚の原因なんて今の私でも何でか分からないんだから。
69 1/3 阿蘇
「土地は見た目通り全てに亘って登山道路に接する」
という、後々に師範が生きた思い出から形見を残す建物を院長と計画した阿蘇では、土地調査から一切を依頼した財閥系の元請となる建設会社が有料となった 「土地調査報告書」 を私に提出していた。
そのむかし農耕馬が通った里道の表記なのに手描きの字図から登山道と間違え、解釈したのである。
見た目には100メートル余りで登山道に接していても、実は隣地の出入り口が細長く私有地としても入り込んでいた土地だったのです。
報告書を受けた一周忌当日での土地の取得後、半年位あとに登山道とは一メートルも接していない飛び地だと判明するが、すでに造成工事に入っていた。この過程で発覚した。
素晴らしい景観の地に今まで何故誰も手を付けなかったのかが、ストンと腑に落ちる。
三井も騙されたのであるが、土地所有者も仲介人も村役場の人間だった。
この時の自分を振り返れば、「景観に奪われて」 周辺も良い人と観ていく自分が居た。
この件も院長の問題で依頼していた私の代理人弁護士に任せたのですが、この弁護士は対立相手となった元請側建設会社の弁護士やこの系列下の数社と工夫し合い、隣地との境界杭を打ち直して、13,3メートルの出入り口を作った。隣地の出入り口を完全に奪った。
隣地にとって、この出入り口は裏口の存在であり、肝心の登山道路に面していた2箇所の引き込み道路の一つでした。
表となる現在の大きな方の出入り口は500メートルほど上った位置にあった。
双方の弁護士の汚さを物語る書類が今も手元に存在する。
『13,3メートルを奪った後で』
私の弁護士は『土地調査報告書によると100メートル有る出入り口なのに13,3しか無かった土地を購入させられた』 とする通知書を相手側の弁護士に送達した。
受け取った元請となる相手側の弁護士は、「話し合いに応じる」 という回答書を私の弁護士に返送する。
この遣り取りで、『購入時には13,3メートルは在った出入り口の私の土地』 となる。
私の代理人弁護士は、
「出入口を作ってやった」
と開き直った。
この元請は財閥系となるが、この財閥が生まれた地は、姉妹の地と重なる筑後。
境界杭を打ち直すに当たっては、接している土地所有者全員の立会いが必要です。
関係者は私を除いて四者だった。
九州産業交通。里道を管轄する長陽村(現・南阿蘇村)役場。国立公園の阿蘇だから管理する熊本県庁の出先機関。
問題は残りの一人。
この御一人は、日本という国で観ても大物すぎる。
この方を完全に無視して、事を運んでしまったんです。
境界杭を打ち直すという、とんでもない犯罪を一方的にやらかしてしまった。
70 2/3 法律 上
現在は熊本どころか全国にも名を知られる有名な観光名所が向かいに建っていますが、この阿蘇の場所において境界杭の打ち直しで一つの出入り口を完全に奪われる隣地は分譲会社の倒産によって放置されていたのです。
丘の連なる広大な地なのに別荘はといえば管理棟の家を含めても10軒も建ってなかったし、その何処にも誰も住んでいない、利用している気配もありませんでした。
総勢四人もの弁護士、大手私鉄、県庁、村役場はこの現状に乗じた。
この分譲地の放置されている全ての地番には三名の債権者が登記されていた。
三者とも関西である。二社は大手です。オリエントリース、竹中土木、あとの御一人が個人でした。
二社の有名な名前からも、この個人の方が只者ではないと犯罪を計画した時点で調査するなり取り止めるなりすべきだったんだ。
それに、境界杭の打ち直しを知った私は、この個人の身元を 「調べたほうが良い」 と何度も忠告した。というのは、この方の名前が 「一般人が名付ける名前ではなかった」 からだが、すべて無視して強引に実行してしまった。
お一人の大物の人物を無視した三者だけで境界杭を打ち直してしまう。
この方は最初っから何ひとつ御存知ありません。
全国にも名を轟かしておられる此の方を有名にした名言は広辞苑にも掲載されている。
村役場の場合は、ぐるみと言っても過言ではない。何人もの職員に部署が関係してしまった。
この放置された分譲地を管理していたのも役場職員であり、私が購入した土地の仲介人であり、周辺の 「水道使用量」の検針員でもあった。一帯に住む人は水を自分自身で確保しなければならなかったのです。
私も例外ではなかった。だからボーリングにて自前の水源を得てから購入する手続きに入っていたのです。
登山道路自体も、このあたり一帯は大手私鉄の所有地でした。県が借り上げている。
もっと標高のある観光ホテルまでを終戦後に米軍がブルドーザーで 「ただ通りやすい」というだけで闇雲に整地していったので、地番なんて字図は無茶苦茶に入り乱れていた。接収した観光ホテルのプールもアメリカっぽい作り方でした。
ちなみに 「やまなみハイウェイ」 も米軍のブルが均した道です。
「登山道」も「やまなみ」も今は呼称が違います。
この境界杭の犯罪、当時の私は普通の事と思っていた。犯罪になるという認識がなかった。
弁護士のやることだし、村に県に大手までもが大っぴらにやるのである。
そのまんま、流れに流される記憶喪失は八月のクリスマスに比翼塚の私でした。
このまま 「青春キャンパス」と名付ける遊戯施設の本体工事に入った。レーシング・カート、テニスコートなどです。
この景色に、
「妹に見せたかった。連れてきてあげたかった」
「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」
姉の言の葉がある。だから購入した。
「連れてきたよ」
話し掛ける。
「遊ぼう」
この景色の土地を探すことになった切っ掛けは、そもそも院長が言い出した、「妹を思える土地建物の建設」話に始まっている。
ここに投資した資金は裏千家師範としての彼女自身が私への嫁入り支度金から1000弱を出した。
私は億を超える。
院長のカネなど一銭もない。
これは最終決算である。
おどろおどろしい院長の謀略なども関係ない。
言霊との契約である。
なのに工事中、この墓地を突然に院長が差し押さえてきた。
前触れも無く何故あんなことが出来たのか、今でも全く分からない。阿蘇の七不思議があったら入れて欲しい。
それなら私こそ、あの99年間の賃貸契約とやらの駅建物が差し押さえ出来るではないか。
71 憎しみを植え付けてはいけない 中
私たち家族から奪い取った絆に財産を返さねばならないのは、義兄の方だろう。逆切れも盗人猛々しい。
以降、阿蘇の聖地、お墓を攻められるも 「姉が人質」 として誰にも相談できず、墓守りとして、姉に医師会から政財界、行政から大企業、亡父の出身たる大学病院から何から何まで全て、ひとりぽっちにされながらも私は守り抜いた。
なのに、この南阿蘇の墓地、青春キャンパスさえも義兄は篭絡させた弁護士を使って差し押さえ、カネに変えていくのである。
大黒柱として画商として、仕事も家族も失った。
師範との新婚な生活へと南阿蘇での楽しい思い出作りに取り付かれた記憶喪失者の独り善がりは、愛娘までをも結果として捨てている。
師範の医院の看護師さんたちが道路沿いに画廊の看板を見つけて入場してきた。
「わたしを覚えてませんか」
問われたのですが、
「いや!」
突っぱねる。
その場を足早に、でも静かに離れられた。
「こんな所に住んでおられたんですか?」
馬鹿にされると共に、昔から彼女が元気だった頃から住んでいるみたいにも言われたが、反発すれば後に続いてしまう。
彼女が生きた証だけなら叫び猛りたい激しさ、山彦のキャッチボールで相手が欲しかったんでしょうが、院長に近い人たちとは顔さえ合わせたくなかった。
それでこその御山。
真相も言えず、思い出しても苦しむばかりなんてのは真っ平ゴメンだったんでしょう。深層心理が決断していた。
プレハブに戻ってビューローを開き、日記を書き出した私は横目に無言で、「帰ってください」 と視線を投げている。
連れと話し合いながら帰っていかれた看護婦さんたちです。
私は完全に忘れていた。
あの時は 「すみませんでした」
しかし、私が貴女たちを思い出しての会話になっていけば、恐ろしき師範の死から現実で困り果ててしまったでしょう。仕事できなくなる。
それに真相が真相を呼び合って最も怖いのは、姉なる奥様です。
その姉へと 「夫への疑問符を持たせる切っ掛けさえ作ってはいけません」 と姉さん女房気取りな背後霊が命じていた。
苦しくなった夜がだるい朝を招き寄せ、巡る。
数分の出来事でも何ヶ月もの酒びたりとなる。解かっていた。
いたが、解決策を探せなかった。
「いってらっしゃい 良い夜を 好い朝を、善い旅を」
入り口に書いていた。
観光客との一見さんで終われる日々に逃げる。
こんな日は守護天使も楽しそうでした。
73 黄白の価値観と質量
ある日、キャンパスの駐車場に黒いポルシェが停まった。
わたしは一車種しか知らない珍しいFR。928だったかな?
筑豊の精神病院の院長だった。
別荘用地を探しているとか、こじ付けからヘタな嘘でロールシャッハ・テストをして帰られる。
誰から依頼されたのか。
それにつけても、こんな遠方まで、わざわざ院長みずからとは。
私を抹殺できる手段の一つとして精神病棟を考えるモノだったのでしょう。
御山の大将は見知る人脈と地域たる商圏から食み出ないほうがいいと思います。
首を捻りながら消え去る黒い車体が悲しげでした。
またの日、メガネの検診車でしょうか大型バスが停まる。
異常なし。サングラスを二個購入するも請求書は来なかった。
74 第一章 深雪 上
青春キャンパスなんてボク自身は気恥ずかしいネーミングだと承知之助だった。
名付け親は天使だ。
この点は押し付けて、そっぽ向く。
逃げます。
ある日、近くの家に大きな日の丸が掲げられた。
横長の看板には 「◯◯◯◯党」 と書いてある。
どういうところなのか、一目瞭然。
2/3 法律 下
隣地に 「その大物の方の組織」 から幹部の方がボディガードを伴い引っ越してこられた。
隣地の倒産した分譲会社の債権者から所有者になられる。
境界杭の件が発覚した。
75 ろくろ首と言霊
何処で寝ているのか、誰かと一緒なのか、生きている世界なのか、目が覚めてから少しの間、ときどき分からなくなる。
飛んでいる。
川を渡っている夢を幾度となく拾う。
言霊か、何時も誰かが追い返した。
境界杭の案件で建設会社への、
「取立てを(自分たちに)依頼しろ」
と要求してきた、ソノ筋ですが下っ端二人との出来事です。
首を締め上げていた右腕が、いきなり甘くなる。
空気の隙間ができた。
ろくろっ首みたいに急に伸びたんだ。
それも数センチなんて程度では無かった。
が、動かない岩の如くな硬い抵抗だけで両膝を着けていたので、甘くなった分を締め直す意識は働かなかった。
この時、クイッ、チリソースの瓶の蓋を開けるみたいに半月に捻れば 「首を折れる」意識が確かにあった。
「折ってみたい」 誘惑に駆られる。
本当に映画みたいに 「折れるのかなぁ」なんて実験的な衝動に見舞われてもいた。
連れの、もう一人居た男が、
「死ぬぞ」
叫んだ。
ナイフを握り締めたままの相手の左手首を摑んだ私はそのままの状態を保って、叫んだ男が動けないように威嚇していたのです。
懸命に蘇生させている二人の姿を眺めていた。
いきなり工事現場と思しき不協和音を撒き散らしながら凄い勢いで空気を貪りだした。
チアノーゼも消えれば何事も無かったかのように仲間と顔合わせできる。
あんな建設会社がやらかした失敗に始まり、上塗りした官民あげての犯罪行為を一番被害を被った私が何故命がけで守りぬいてやらなければならないんだ、って何時も悩み苦しんだ。
行き着いた結論は、死ぬ瞬間。
人は死ぬために生きている。
それは何時なのか分からないが、
死ぬ瞬間は“生きた満足感”が欲しい、自分の為。
言霊が教えてくれました。
隣地の人たちに、表の社会を代表する行政や企業から境界杭を動かされて出入り口に取り付け道路となる要の土地を奪われたという一件が露見する。
真夜中であり私は寝ていた。
拉致された。
そのボディガード (元・武闘派、柳川組組員)に。
十人以上は居た。
何も喋らなかった。
途中で逃げ出せた。
所轄署に駆け込む。
このボディガード、、、
裏社会の人たちとの緊張感は、私が地獄に堕ちる人間に成り果てるのを助けてくれた。
一キロ四方で住んでいるのは私たちだけになる隣人同士となった逃げられない立場においては、絶対に守らなければならない 「付き合い方」があった。
幸いにも身に付けていたから、私は生かされている。
嫌らしいのは、逆転した社会から秘密を握る私を抹殺する手段として次から次に仕掛けられる 「えげつなさ」である。
院長と地域の取り巻き、財閥系から権力の構造、地方行政に身の安全と既得権益を手放すまいとした村八分。ここに影響力で行使された法曹界から警察が加わる。
まるで世界中を相手に、たった一人で戦っているような感じ。
なぜ向かってくるのか根幹の記憶がないんです。
そこに明らかな境界杭が加わっても根幹が揺れているから、揺れが大きくなるだけ。
抹殺する手段が酷くなればなるほど根幹の失われた記憶が激しさに呑み込んでしまう。
「みんな守ってあげてください」
天使から命じられていた。
忠実な下僕になれる自分で満足というか、幸福な新婚生活でした。
だから守護天使で居てくれたんだ。
十一月から翌春、戦争勃発。死者五十人弱かな、知らないがそんなもんでしょう。日本最後の内戦、と形容されている。
守られている幸せにも気付けない幸せな村であり、日本と言っても良い大きさもちっぽけな社会でした。
ここに上意下達の悲しみが加わる。高みの見物しているだけだった。
ここでの数ヶ月もの間、二十四時間で、目の前で見続け、見えぬ夜の彷徨を私は生きた。
「熊本では何も事件を起こしてはいない。福岡の事件だ。本部長にやる気がない」
だった。
現在、凶悪犯罪発生率は最悪、検挙率は最低。
戦争は巻き込まれただけです。
だが、この三年後に発生した抗争となると全く違う。
ここまでの表の社会が私を抹殺すべく繰り出し続ける手段が飛び火したのです。死者三名。都政最大の組織的と化した八王子抗争である。
この真相こそ 「闇から闇」 葬られている。
裏社会は最初っから最後まで完璧に表に利用された被害者ともいえる。
裏社会の方たちが気付かなかったのは戦争との関係を警察に知られたくなかったからの思惑が跳ね返っていたからだ。
77 第一章 深雪 下
戦争になります。
福岡から掛かって来る知り合いからの電話は、この話題”で持ち切りだった。
中洲どころか繁華街からも人通りが無くなった、とか。
ですが私は、福岡に行くソノ筋の人たちは 「ココに集まっている」なんて言わなかった。
78 自殺願望
怖い時間軸を、木刀を持ったホンモノの人たちが巡回している森の日々に作っていた。
さまざまな組織の人たちが居た。
ここには刑法も道交法も存在せず、法治国家ではない、シマだった。
たとえ形でも、成績や繕う都合でしか寄り付かない。知らん振り。
先進国と威張っているが、カネに年金なんかを第一として考えるのは、私に言わせれば発展途上国だ。
師範の病室、彼女はキリスト教で自殺を禁じられているのに、
「殺して」
姉に頼んでいく。
わたしも実践した哲学、だけのこと。
「戦えるのはボクだけ」
潜在意識で生きる。
幾度と無く比翼塚の御山を下りようとも考えてはいた。
娘に会いたかった。そばに居てあげたかった。
が、
「逃げ帰るな」
墓標や墓碑銘さえ忘れている歳月こそ頭の中に大切に仕舞いこんで動かされているのに気付けず、出て行けなかった。
彼女を師範を捨てられなかった。
互いに抗生物質を作りながら溢れ、トラブルとして繰り返されてった。
戦争は終わった。
しかし新たなる・・・・・、
ただ死にたかった。ただ殺して欲しかった。
早く彼女に会いに逝きたい・・・
と、そうこうしているうちに生きる目的が勝手に生まれ、やりたいことに知らず知らずに気付き、流れのままに記憶を取り戻し、恥ずかしながら還暦も過ぎてしまいました。
歳を取るのの早いこと早いこと。爪の伸びるのも早くなる。
歳を取れば取るほど、一年一年が早く終わりだします。
胸から肩へ腕へ、肋骨を背中へ、肩から背中は尻から太股までをも占める刺青。唐獅子やら観音様、上り竜だの鯉に牡丹か桜か。
正にCanvas。素晴らしい作品で魅せてくれる露天の午後は何時も突然。
露と弾いて煌めき、動きに色彩が筋肉となって生き生きしだすのは芸術でした。
おやすみのまだ言わないで今朝の夏
なのに、混浴露天風呂なる公の場で、男と女、三対三、六人のグループが先に入浴していた明るい時間帯に起きたトラブルが、後に抗争を勃発させる一因ともなった。
この男たち三人は警察関係者らしい。
それが東京の組織を後押ししてしまう結果でも裁かれるとは、この時に誰が予想できたでしょうか。今でも信じられない。
抗争にまで発展した原因の全てが、裏千家も師範を二度までも殺した上に私から財産も仕事も家族さえもすべてを奪い去った院長の保身を図る謀略に始まって走り出し、この男たち三人から恨みを受け継いだ所轄署の一人の刑事に誘発されたと言って過言ではない。
私が青春キャンパスでアルバイトしていた近くの東海大の学生たち四人を連れて後から邪魔をしてしまったとはいえ、この六人は湯船の真ん中で横一列になって座り込み、通せん坊。
子供みたいですが、しかたなく何も言わずに私たちは湯が最も汚れてくる手前でひとかたまりになる上に背中を男女六人に向け、静かに温まっていた。
なのに、一方的にケンカ吹っかけてくる。
六人だけで露天風呂に入りたかった気持ちは痛いほど良く分かるが、やりすぎだ。
私は名乗ったのに自分達が名乗ることはない。
それどころか私の住所から、所轄署が何処になるとか専門的な言葉まで仲間内で大っぴらに話し合い、
捨て台詞を残して、やっと立ち去る。
おやすみのもう言ってくれ初景色
混浴を邪魔された恨みを嵩にかかった態度は、所轄署に事を根回しした現実は私を周囲から切り崩す三年に及ぶ歳月に事実で膨らんでいく。
まるで純愛モノと任侠モノが自然に合体したドキュメンタリー映画みたいに、都政最大となる八王子抗争への奇なる軌道を院長に引きづられて走りだす。
打たせ湯のもや穿つ靄今日の月
こんな権力の構造とさえ戦えないのが私の覇気だったのならば、とっくの昔に師範との生活に入っています。
阿蘇ファームランドの真ん前に山小屋が在る。
あばら屋となるもグリーンヒル南阿蘇の守り神とした誇りで、今も建つ。
解体したくても私一人ではそれこそどうしょうもない存在理由を抱えて。
忘れ去る優しさありともて鎮み息引くそのへ早や投げ入れよ
80 病院へ行こう: 19年も淡交会の師範に関係する記憶を喪失していた
女々しいと笑わば笑え後の月うらやましかろ一つに二人
供養しな塚の絵的は 「あら」 の歌。
岩群青の夕霧が円卓会議で沈み繰りする。
色めかす夕日影から匂やかな女の雨には寝たふりした仮初めの戯れは、
まさに七夕の月も七日だったのです。
なんだかんだと考えださず、硯の海に溺れ、仄仄しくも一寸法師にされて霞み渡るを観るは、
悩殺される朧月夜のマリッジリングへと魂の夜空でした。
それも、それはそれとしてのそれっきりの一夜限りで終わらず、
懸け橋へと七夜もに繋ぎ合わせてくれたのです。
十五年ぶりらしい火星の大接近が明けて晴天の夜から月との三つ編みになり、
心得た顔でもてなしてくれる星屑に酔いしれ、
天気だけでも良いから 「毎日で欠かさずに日記は一行でも」 をと、
生かされている当直日誌が何故なのかも分からずに書いていました。
誰のかも分からずに毎食で意味させてしまう陰膳が、やっと飲み込めました。
呼び起こされて 「居た天使だ!」 と。
愛で逢いの月に 「彼女する!」 へとにこやかに思い集められます。
完全に思い出せるまでには更に八年の歳月が流れます。また忘れるのですが。
が、翌月の六回忌には東京から出席した弟子の娘とも偶然に知り合えて師範の思い出話に花を咲かせられました。
この愛弟子との出会いが無ければ、私は間違いなく立ち直れなかったでしょう。
愛弟子と別れてからは、また師範を忘れ、次に思い出せた時は、2000年にもなっておりました。
暮れなずむ烏瓜持つ冬の野は人魂なりし白骨の命
野の花に見えざる素顔冬の蝶妻恋い鳥(雉)は駆けずるばかり
森の弁しっとり刻むおかんむり匂い溢るる今日は二度なし
身で詫びる無言詣やまだ七年