「絵になんか興味ない。あんなものーーーーー、」と、院長は吐き捨てた。啖呵を切るも、あれよあれよと、「あれは(姉に妹の嫁入り道具として)頼まれて(姉妹の代役で)買っていたんだ。カネは(妹への財産分与の分から前倒しで)出しますからと頼まれて仕方なくお前と会ってやっていただけだ。貴様なんかーーーーーだ」 姉は、私から絵画を買っておかないと「家に来なくなる」と考えられて(こう姉に助言したのは後見人。この日々から私と妹との結婚話をまとめる腹積もりの姉だった。(46 99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 3/6 より)
長き眠りに、
・・・・・「楽にして・・・・・
茶の手鑑を言わせる。
みしみしと黙りこくる時間、日々に三人姉妹な密室。
息を引き取るまで、絶え焦れるまで真っ直ぐと天に 【何か】 を見据えていたという。瞑想を突き抜ける眼光で。
今日来る人の正夢にならなかった。取り付かれても本望だ。
だからの 【ひとつで二人を生きる】 と言える。
探し当てた南阿蘇の 【御山】 に院長と姉との二台で走ったのは九月も中旬となる日曜日。
メモリアルとなる丘ではボーリングの工事中です。
院長夫婦が丘を気に入ってくれた上にボーリングで飲み水が確保できれば土地を購入する契約を村役場の土地所有者と結んでいた。
姉からは、
「妹に見せたかった。連れて来てあげたかった」
なんて素晴らしい言の葉をいただきました。
温泉に入りに行かれる院長の車、助手席の姉と交し合う熱い目線も名残で忘れられない。
一人になった私は院長の、
「終わったことだ」
たる言葉に 「終わりになんかするもんか。なにが終わったんだ」 と真剣に、かなりムカついた。激しく突き上げてくる怒りだが、
≪ 妹に見せたかった。連れてきてあげたかった ≫たる文言を墓碑銘の 「上の句」 として、自分の心の中で、
≪ 連れてきたよ。遊ぼう ≫ 彼女に語りかけるようになっていく。
姉の言の葉は翌月に知る羽目となる、
≪ あなたは妹があんなに好きになった人なのよ ≫
これ 「下の句」 として姉妹の心とも、言の葉は彼女の魂とも睦み合って今なお墓碑銘として 【御山】 の比翼塚にある。
むかついた私も惚けまくる院長も、それはそれ。
「言の葉」 の姉。「連れてきたよ」 と姉妹と言い交わす私は、院長にとっては保養所、その実は墓標とした話で院長との間では資金の調達から建物の青写真が元請けの建設業者から某デパートまで交えて進んでいく。
最終的に私が 【御山】 に投入した資金は億を超えます。重婚まがいに彼女をもらう支度金で用意した分だけでは足りなくなりました。
院長の本音には、姉妹から病院から性描写してやれば 「人に言えなくなるだろう」 という計算もあったんです。今、ここで負けるわけにはいきません。
四十九日が過ぎます。
『妹の為に喪中は私を許してあげるように』 なんて願われたらしい姉。
十月中旬の職場の応接室に、看護婦さん達も事務も全員を早々と帰らせた後の刻限で呼び出された私が座るや否や院長は、
「全額現金で持って来い」
私が、その顔つきも言葉も読み解けない状況下に姉が入室されるが挨拶もされないなりに、
「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」
いきなり姉に怒鳴られて棒になった私の視野に、したり顔で院長が躍り出る。
姉はソファの肘掛けに、クイッと腰を動かして座られた。あの動きだ。もう駄目。まともに奥様の顔が見れない。
「(姉に私は) 『現金でお返しします』 と言われたでしょ」
「あれは 『彼女の墓標へと御山の資金に振り向けるのは俺が分かっているから(奥様には)こう言ってくれ』 と先生に頼まれたんです」
院長は踏ん反り返りながら、私に挑み顔する。
恨みがましい姉と怯える院長の何ともいえない空気。
私は(彼女がそうなら)なぜ見舞いも止められたんですか?
病室に行っても良かったんですか?
まさか映画みたいにナレーションされた性描写は彼女のことじゃないでしょうね、と思い巡らせ始めている。そこまではっきりした初めての雰囲気でした。
「男の人たちは・・・」
姉が 「顔負け」 と呆れて退室されるのを見計らい、隣室で盗み聞きしていた一人の男が入れ替わりにタイミング良く入ってくる。
この時、姉は丁重に挨拶を交わされた。私の時には顔色ひとつ、会釈さえ無視されたのに。
これが、姉との最期。姉妹ともで後ろ姿が見納めとなっている。
寂しすぎる二人との別れ。
男は繁華街にて義兄弟で店を営む、と初対面の私に対して強圧的に名乗る。この男は兄の方でした。
姉と入れ替わりに入ってきた強圧的な「その店」の兄は、
「喪が明けるのを待っていた。そのカネは俺が受け取る家具代金だ。支払日は過ぎているので早く払ってくれ」
さも私が支払いを滞らせているかのように捲し立てる。
「絵になんか興味ない。あんなものーーーーー、」
と、院長は吐き捨てた。
啖呵を切るも、あれよあれよと、
「あれは(姉に妹の嫁入り道具として)頼まれて(姉妹の代役で)買っていたんだ。カネは(妹への財産分与の分から前倒しで)出しますからと頼まれて仕方なくお前と会ってやっていただけだ。貴様なんかーーーーーだ」
姉は、私から絵画を買っておかないと「家に来なくなる」と考えられて(こう姉に助言したのは後見人。この世界に入った最初から後見人の医師会長は顧客でもあった)私を自宅に招き入れるためだけに「必要だから」と姉妹が買っていたんです。
この日々から私と妹との結婚話をまとめる腹積もりの姉だったらしい。
この信じられない思惑と姉妹だからこそ尚更院長の反感を買い、私ともども虚仮にしてやりたくなっていったんでしょうか。
姉とは違って、妹の方には社会的な柵もない。ある意味、冠婚葬祭も含めて世間に束縛されている院長には自由が羨ましい立場の、家を出られる妹。それも相当の財産を持って。
院長が、憂さを晴らせたのかおとなしくなる。
が、なんといっても遅すぎる。
今度は 「喋りすぎた」 とか独り言で反省しつつ、ブツブツと 「何時もだ」 とか何やら口籠もったあと、びくつきながら、私を覗き込む院長だった。
立ち会っていた店の兄の方はといえば、そこまで聞かされていなかったらしく、びっくり仰天した面持ちで院長を質問攻めにしている。
「二人で話しがあるから外で待っていろ」
私がシャツターを潜って外に出ると、兄の店で一緒に働いているという弟が立っている。
立ち聞き、会話を承知していた。
少し離れた喫茶店まで二台で走らせる。
そこでは驚天動地の宇宙が私を待ち受けていた、
喫茶店まで二台で走らせた私たちです。
弟の話が私に比翼塚への道を歩ませる。
「最初から嵌められたんだよ。
(私が絵画の)預り証を書くからいけないんだ。現金化への計略を急がされて院長に教えた。
あの人は狡猾で俺達でも振り回される。あなたの手に負える相手ではない。
ずいぶん妹さんを嫌っていた。
絵に興味は無いはずだ。だから俺たちも持っていかなかったし、買われるのには首を捻っていた。
兄は裁判所に勤めていたから法律には詳しい。言うことを聞いたほうが良い。
妹さんの結婚生活にと奥様が用意されたマンションは俺たちが売った紫檀家具がびっしりと押し込められていて、もう動かせない。住めない。倉庫だ。奥様もご存じないだろう。見たら、びっくりする」
後は院長が彼等兄弟に話していた彼女への、悪口雑言。
みんな教えてくれた。
弟が初対面の私なのに包み隠さず教えてくれた背景には 「噂になっていた私の仕事の好調ぶり」 から私との取引を願ったからに他ならない。
綺麗な彼女だった、との彼の話しぶりに私は初めて態度を示し、頷いた。
弟は笑っている。
この笑いに気分を害した私と見るや、弟は話を変える。
いつも売れ筋の絵画ばかりを取り扱って儲かっているらしい私に接近しておきたい機会を逃がすまいとみたのでしょう、
「どうして見舞いに行かなかったのか」
「止められていた。行けたんですか?」
「もちろん行った」
ピクッ、身をよじらせる私が膝を乗り出して問い合わせたいのは唯一つ、
「会えたんですかっ!」
「何を言ってるんですか。会えるはずはないでしょう。行くのは当たり前だっ」
弟は不思議そうに私を量りかねている。
やたらに悲しくなった私は、当事者には当たらずに第三者といえる弟には 「聞ける」 と食らいつき、
お手伝いさんみたいに使われている。
「カネを出してやっている。家に住まわせてやっている」 と言われていた。
この瞬間、弟は飛び上がった!
「家に住まわせてやって、、、」
とまで私が話した瞬間だった、
弟が椅子から飛び上がった。
「奥様が知られたら許されないっ!
「奥様は優しい方だが厳しい方だ。亡くなった妹さんでそんな事が分かったら大変だっ!!
私が院長から聞かされ続けたままで学び取ろうとした途端、まるで雷に打たれたかのように前のめりに椅子から飛び上がった弟は吐き散らしながら独走する、
「あの人は養子だ。旧姓は 『おおしま』 だ。
そこは私も幾度と無く訪問して知っていたし、赤のフェアレディを覚えてもいた。
「今年はプールが作れない」 との話も。
私に見舞いを許せば、病室における姉や姪との一日二十四時間での看病となり、普通ではいられない中で、突然に、くるりん、白日の下にさらされたでしょう、不文律の事実、婿養子。
彼女が何度も飲み込んでいた 「家の秘密」 は、これだったんだ。
義理でも兄から私に、自分が 「どう言われているのか」 を知り、私に打ち明けようとしても打ち明けられなかった、公然の秘密。
目から鱗とは良く言ったもんだ。電光一線され、今の今までもやもやしまくってた一切合財、
「くたばりぞこないの我が身を知らしめる」
彼女は、その性暴力の病室でも、姉に 「その夫」 を言わなかった。
・・・凄い。凄すぎる。
性描写から見舞いを止め続けた件から、絵画の代金は彼女の墓標とする土地建物の代金に充当する件など。私を信用させるべく姉も一緒に 【御山】 に連れて行き、院長としては私の名義ともなる土地の場所も覚えておく算段だったと姉に知られたら、間違いなく、あの家を身一つで追い出されたであろう。
身を守る必要に迫られた。そして、それは新婚から欠かさない 「夜」 の方法とは同じ軌道を姉相手に更に激しく走っていく。
兄の方が喫茶店にやって来る。
入れ替わりに、私は院長の待つ応接室に戻る、
原点回帰 「 第一部 純愛 1 - 23 」 「 第二部 殺人 24 - 43 」 を読まれてない方は目を通してからにしてください。この物語は三流以下でも推理小説な内容となります。
あらすじ 【 朝顔 】 これは記憶喪失からの回復過程で投稿したページを羅列しただけでしたが、現在の投稿段階で軽薄も猪突猛進に反発される方は日本史を学ばれたら如何でしょうか。
このページのタイトルに挿入するリンク先は原文。
院長の待つ応接室に戻った私です。
「早く払え。いつ払う。払わなければ画商をやっていけなくしてやる。世間はおまえより俺の言う事を信用する。(セックスで洗脳している) 姉もだ。言っても無駄だ」
またしても姉との夜を持ち出す院長であり、
「一度握った力はどんなことをしても絶対に手放さん!!」
以前に自慢していた警察の私物化をも院長は語る。
が、関係ないとの私の表情が、思いが妹に在ると見るや、
「(その社会的立場としての妹を)辱しめてやりたかった。
(〇〇も抜け落ち)つるつるで赤ちゃんみたいだったぞ。
(見えるようになった〇〇は)ピンク色で(・・・・・)きれいだったぞ。
助けを求めていたが知ったことかっ」
見せびらかしたつもりなのか、卑しく笑う院長の対象は姉であり、延命薬の妹にも果たせた積年とか言う身勝手極まりない恨み、おぞましかった。
加えて、生まれつき陰毛の無い子と付き合った経験があった私は様子から感覚を思い出してしまう。
不思議と静かでした。突き抜けていたのかも。
「(彼女の体を)もったいなかったな。哀れな〇〇〇(彼女の社会的立場)」
へらへら笑っている。
「死んだら(死ぬんだったら)終わり。今まで苦しまされた分、楽しませてもらった」
などど言いながら、カネとセックスの絵図面を思い出して頭の中に描いている。
・・・・・仕上げたらしい。
不文律を持ち出すしかなかった、
50 カネで買えないもの
不文律を持ち出すしかなかった私です。
「さっき弟から聞きましたが養子なんでしょ」
「『養子』と名札をぶら下げんといかんのかっ」
私が言葉にしなければならなかった背後関係を棚に上げるどころか葬り去った表看板で怒鳴り挙げた院長に、
「赤ん坊の頃から面倒を見てやっている、凄いカネが掛かった、住まわせてやっているとか散々言いたい放題でしたが、あそこは彼女の家じゃありませんか」
「ああ、そうだ。とんでもない事を言う奴だ。土下座して謝れ!」
激しく睨みつける私の腸は煮えくり返っている。
家具屋の兄が喫茶店における弟との私の話を聞き、心配して戻ってきた。
院長は養子の件を私に漏らした弟への文句を兄に言い、兄も 「後で注意しておきます」 と謝罪している。
この中においても 「言葉巧みに私に言わせた会話を録音して奥様用に編集したテープ」 を使おうかと院長は兄の方に相談から同意を持ちかけているが、
「使わない方が・・・
「どうしてだ」
そんなことも判断できない院長だったのか、と私は呆れ、この時ばかりは締め付けられる情けない胸の内を家具屋と共有しな、院長と睨み合っていく、
「(奥様は)蔵の中を見せてもくれん。仕事なんかせんでもカネはあるが養子に入る条件として代々の医者は続ける約束事があるからだ。医者は趣味だ」
院長は怒鳴り、家具屋は笑っていた。
図に乗る男たちは黄金の旗色で大笑いする。
こんな算術なんかよりも未完の大器を最大漏らさず希求したかった私は、その、彼女の話題に移る。すると、
「見舞いに行った」
「(病室に)入れたんですかっ!」
「入れるはずが無いだろう。だが病気見舞いに行くのは当然だ」
家具屋が弟から聞いたらしい 「この、見舞いに行った行かない、の話しの訝しさ」 に首を傾げる時、
「こいつは行ってない」
にたにたした顔で院長は 「してやった」 の含み笑いで得意げに受け流す。
「妹さんとそうだったら、どうして行かなかったのか」
私が答えようとした言葉に被せてくるのは、
「知らん。行きたくなかったんだろう」
院長は吐き捨てた。有頂天になって高笑いする。
「(私が)何か言いたそうですよ」
院長が、家具屋が、ソファの角へ、隅へとめいめいの席で後退り、恐ろしき形相だったのであろう私へと震え上がりながら、
「顔色が変わる」
「妹の話になると前からこうだ」
家具屋が院長に目線だけで問い返していく、
院長は自らを奮い起こすかのように、
「何か言いたいことがあるのか。(伯父や一族にも)責任を取らせてやる」
「関係ないでしょ」 と家具屋。
「知ったことかっ」
ふらふら、起立した私。
めらめら、一人の男としての私事だけで天国の彼女を抱き上げる。
「このまま帰していいんですか」 の家具屋。
「こんな奴に何ができる」
かわいそうでかわいそうでたまらなかった。
その 「あんなに・・・」 を何故、
あの命の綱の夜の目に・・・・・仕込んでくれなかったのでしょうか。
この文様の姉を起爆剤にして、
「えっ、そんなに? でも・・・ 」
と殺陣は狂恋夢じゃなかったのか、の音量で・・・きょろつけたんです。
「会える。逢ってください。ちょっと来てください」
何だって良いから、一言、何故わずかな時間に態度で示してくださらなかったのか・・・
・・・恨みます・・・すみません。もう言わない。
魂の雄たけび、自分を責めているのです。
誰に対してたる情けなさではありません。
思い出す。
「僕たちは二階で別々の部屋に寝てるんです。用が有るときだけ行ったり来たりして・・・」
アッ、と思ったが後の祭り。別にソンナ意味で言ったんじゃなかったんですが、アッと顔に出したがために、ソンナ意味になっちゃいました。
「夫婦だから」 姉は笑っておられた。そして、
「仲がよろしいのを妹の前では言わないで下さい」 釘を刺されちゃった。
こんな笑みも苦言もみんな水車っぽい自然体に温かい湿り気あふれた真心で掬い上げてくださる。
ふとした塩っぱさに首を突っ込まされる妹を枯淡のパラソルな目配りで庇護される聡明な方でした、奥様たる姉は。
節々にて願いの糸を紡がれた紀行文に一瞥を投げて姉妹を捨て去ることなんて出来なかった。ここに理屈なんてのは無い。
「二つもの命で妹は殺された」 に等しいと姉に知れれば、
「奥様は許されない」 と私に素直な抑えられなかった激情を叩きつけてくれた家具屋の弟からを思い病んだ。
真実を公にしなければ。妻子との家庭は守らねばならない。これだけを考えようとはしていったんです。
なのに後から必ず続いてくるんだ。金魚のフンみたいに。
公にすれば、姉は生きていけなくなる。
代診にされるのか。医院は。
医師会も大学病院も後見人までも大変な事態に陥る、と。
立ち塞がる場所は底なし沼でした。
我が家だけを考え、幸福行き普通列車に愛娘を抱きしめて固執すれば良かったのでしょうか。何人もの方が社会的に葬られても。
死に物狂いで死中に活を求めた。四面楚歌の住環境となり朦朧としていく。
結局、拝金思想のカネが、憎しみの対象となった。
調子づいて私に全ての裏工作から経緯まで事細かに喋りすぎてしまった院長は動き出した。
使う価値のある人たちは即ち地域に影響力もつ権力の持ち主となる。たとえ、嵩にかかってくる種類であろうとも。
私を黙らせなければ、手にした権力どころか資産も何もかもを失うのである。
どれぼど必死になって考えたことやら想像すると、今は笑える。滑稽だ。
「なんで俺が命を賭けて戦わなければならないんだ」 って何時も不思議だった。
すると決まって誰か知らない女性が、
「守ってあげてください」って背中から話しかけてくるんだ。
52 カネより大切なもの
別宅という悲しい生い立ちの星を持つ彼女こそ正統な血筋でした。
姉の呟きを思い出します、
「油断していました。引き取らなければ良かった。茶を習わせても何にも成らなかった。あんなに不幸な子はいない。わたしが代わってあげたかった。わたしも長生きできません」
火葬でも骨壷に 「抓めるだけ」 さえも延命治療のために骨は脆くなってしまうらしくて消えうせ、ここでも涙です。
私が仕事を家庭を第一として姉に事実を話せても、その日も 「夜」 は来る。
床で仕込まれた、夫による夫の為の作り話で妹は二度も殺されたとなれば院長どころか巻き込まれて苦しむ方々が多すぎる。大物すぎる。四面楚歌の苦しみ、七転八倒の毎日だった。
それでも後見人に電話を入れられた。
電話口に出られた病院長は私に何ひとつも言わせず一気呵成に、
「養子とは知らなかったんだろう。カネでも何かあったらしいが(それは自分には)関係ない。これ以上、姉を苦しめないでくれ。俺が許さない」
黙ったなり、私は切りました。
捲し立てられた後見人とも、これっきりです。
電話を取られた交換の女性に名乗っただけで、あとは一言も発することさえできなかった。
先代が亡くなられ 「若すぎるけれど医院を継がないといけない」 の姉でした。
まだ二十歳か、その前の姉です。
候補者選びが始まった。
お見合いの相手は当初、他におられた。が、「好きな相手が居ます」 と釣書で断られている。
お鉢が回ってくる。
「運が良い。運は大切だ。
「この男は後悔している。
「(セックスの技)婿入り前に勉強した。
「カネより大切な物は無い。
「カネで買えない物は無い。
四十九日を過ぎてから、養子、養子とポンポン飛び出してくるようになった。
それまでは一体なんだったんだ。
これを 「世間」 で片付けてしまうのは情け無い。
はっきりしていること。それは、
人を、院長を如何のこうのといったって今日から始まらない。
自分自身はどうあるべきだったのか。その部分で 【ひとつで二人を生きる】
この中、カネより大切なもの、カネで買えないものを教えてやるという熱いものを感じている。
立ち位置に紅葉散る綾絵踏みかな
・・・・・・・・・・・・・・・・・・だまし絵であれ立ちすくんじゃう
「湯は家族にて」 たる教えは幼い頃より聞いていた私だったのに。だから我が家では嗜まなかった。暗さで奥深い落とし穴でした。
値千金の言葉を思い出す。
「クララってご存知ですか?」
彼女に問い掛けられたんですが、とっさの事で思いつかず、
「ご存じないわよ」
それだけで、その場は終わっていました。
すぐに思い出したんですが、
「くらら」 という花の名前です。
が、あの場の雰囲気は 「花」 ではなかった。
「クララ」
こっちの方だったんだろうと後に確信している。清貧に生きた 「聖女クララ」 といわれるフランシスコ修道会の女性です。
この 「くらら」の場合は阿蘇の山に咲くのです。
黒き斑点あるオオルリシジミという珍しい夢見鳥(蝶)が、この苦参だけを求めて即かず離れずに舞い出で、短い命を終えます。
淡い黄色の火山性植物で草槐とも書くみたいです。
幼虫にぱくつかせて育もり、小満を見る目の前にて成体になる。
グチャグチャになっていた私の頭は、この 「クララ」 を夏風に咲く 「くらら」 に重ねて人格化させていたらしいんです。
それで彼女のメモリアルとする御山は阿蘇へと無意識に向かわせたみたい。
問い掛けられたフランシスコ修道会のクララと共に懐かしい値千金の記憶です。洗礼も受けていた彼女でした。
くらら萌えオオルリシジミ涼し阿蘇泣く目ひらひら乳の目さらさら
クララかな遥かに燃える気兼ね瑠璃
(1978年版と2008年版広辞苑より抜粋)フランチェスコの創めた托鉢修道会。第二会の修道女は聖女クララが協力して開創。謙遜と服従、愛と清貧の戒律。キリストの愛の実践を旨とし、貧者や病者に奉仕する。灰色の会服をつける。
四季を問わずに巧みだった彼女のワンピースは恬淡とした会服だったのです。おまけに従順と貞潔まで付いてきているみたい。
わたしは幼い頃から赤ちゃんの泣き声に包まれて育ちました。
お母さんのおっぱいが欲しいのか、お母さんの鼓動や温もりが欲しいのか、どこか痛いのか、おむつなのか。泣いている感じでわかる時もあります。
それで私は人一倍、病室や泣き声に病院の臭いにはするどいんです。
そこに持ってきて、
「助けを求めていたが知ったことかっ」
の、性犯罪です。それも余命2週で死を待つだけの妹に対して。
加えて、彼女が毎日毎日で待ち焦がれた私の見舞いをも巧妙に押し留め続けた。
犯行現場となったのは亡父の出身となる大学の医学部の付属病院です。
内鍵まで取り付けられていた。
こんな信じられない事実の連鎖ってありますか。
阿蘇を御山として彼女のメモリアルたる建物の建設は、たとえ現金化するための口実だったとはいえ、私は見舞いにも行けない身をぶつけて探し、求めた。
ここには院長など存在せず、逝ってしまった彼女との約束事にしていくのです。
院長の陰謀だったと分かった後も、御山には約束通りに事を運んだ。
彼女が結婚資金から支出していた絵画の売却代金に加えて、私は私で用意した資金を注ぎ込んでいくのです。
私の投入資金は当初の思惑を超えてどんどん膨らんでいった。
何から何まで自分の持分で対処しなければならなくなったのも大きかった。
私は仕事が出来なくなっていた。
「これからどうするの?」 投げかけてくれた妻の優しさが耳に焼き付いている。
姉にさえ真実を告げられたら、それだけで我が家は安泰でした。
四十四で他界した父は姪の浜という地で開業医をしていた。
この父の為に有志の方々が集まられて ≪相浦三郎君を想う≫ なる小冊子が出版された。寄稿して下さったのは地元の経済界に医師会を代表される重鎮の方々ばかりでご健在の方も多い。
内容は遊びに乗っかる話ばかりです。
クラブ、ボート、酒、カメラなどで医療に関しての寄稿は一件もありません。
付き合いで寄稿に応じてくださった環境だけで生まれた本ではない証なんでしょうか、文章の背後には酒飲みの父を嫌っておられたことが伺える投稿もありました。これこそ本物だと私は受け止めております。
歓楽街での女遊びから源氏名まで出された地元では有名なデパートの亡き会長の内容には笑っちゃいました。反面、泣きました。
まさに追悼です。
八月二十五日夜明け前、聖女クララに透明になった彼女の思い出は尽きません。
この娘を妹とする姉との三人の席でのこと、何かの話から亡き父が話題にのぼった熱く長い夜がありましたが、この照れ臭さの中、つい、この小冊子まで一言二言、私は取り上げてしまったのです。
別に色づけしたわけではありません。時代は徳川家康の本のブームでした。読んでいなかった私です。時の姉妹の優しく穏やかで柔らかな映像が明日の音声を想像させるかのように脳裏にこびり付いているんです。
二十五日は他のご先祖の月命日に重なってしまったので、彼女は二十四日とされました。喪中に在る時から既に亡父の追悼本に重ねてしまい、彼女の本を書き上げるのを自分史と考えてきた私です。
御山から書き直し書き直ししてきた原稿を積み上げると一メートルを超えていましたが、ほとんど使えません。なぜなら記憶を失っていたときの内容は私自身が意味不明の部分が多いんです。
彼女を知る以前から青色申告へとダンボール箱にレシートからチケットからメモ類は勿論、帰宅した時点で投げ込んでた山に手帳が、ここで役に立ってくれたのです。
56 憎しみを植え付けてはいけない 上
福岡に残す妻にまだ幼稚園だった愛娘、一人にさせる老いゆく母、嫌がらせ電話に耐え忍ぶ女たちとも振り返れなかった。
南阿蘇に墓標を建設する霊魂との約束事は破棄できなかった。死者には敵わない。
ごめんね。
「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」
姉に打ち明けられた私は、
「姉だけでも守ってください」
たる逝った裏千家師範のクララからの遺言にしていた。
「妹を連れてきてあげたかった。見せたかった」
と草千里を仰ぎ見る姉の「願い」を受けた。
私財を投じ、比翼塚とした終の棲家にしてしまう。
「おかしい」 と腑に落ちないだけであり、
「何をしているのか判断できない」 腑の抜けた情け無い大黒柱だったのです。
「産まれてこなければ良かった」 なんて、
「そんなに嫌われてしまったの」 なんて、
百八夜で性暴力の餌食にされ続けた挙句に逝った師範に言わせた私なんです。
眼鏡が狂った男にはなりたくなかった。適った男になりたかった。
なのに、この心をも師範の抜け落ちた姉妹の家は逆手に取り、姉妹との出会いから逃げ込み婚な師範が私に魅せた二年間に舞台裏で画策し続けた挙句の 「夭折の真相」 を抱え込んだ我が家を一族を社会的にも抹殺するべく動いてた。
姉に師範殺しが露見すれば、裸一貫にされて必ず 「アノ家」 を追い出される結末が読めたからである。
「一度握った力はどんなことをしても絶対に手離さん」
この言葉通り、私だけでなく一族から強迫しだす義兄たる院長が活用するのが、法を秩序でなく混沌とさせた警察と現役警察官出身の弁護士による陵辱であり、へつらい、媚び、おもねる人脈やら社交辞令に儀礼から一歩踏み込んだ傲慢な群れである。
医院のこじんまりした患者さんの待合室には少しの長椅子が整然と並んでいる。
ここには座りきれないほどの看護師さんたちが、若いばかりか、かわいくって化粧も上手な、一昔前の言葉を借りればモデルさんと見間違える姿で動いている。
病室は一つも無い。なにより、三十路近くも普通の顔立ちの女性も、一人たりとも、居ないのである。
医者は趣味だと大言壮語してはばからない御山の大将に相応しい、ハーレムでした。
警察官は女性から煙たがられやすい職業で結婚相手にも困るから集団見合いとは表向きの理由。
要は力を私物化したいが為の供応でした。
看護師さんたちの使用者たる立場を利用した義兄の思惑は当時でも十年以上に亘る。
飲酒運転で停車を命じられても免許証で身元が判明すれば敬礼までして見送ってくれたそうだ。
悦に入っていた。この力、
「使っても良いぞ」言われたが、頭を下げてお断りした。
これに限らず、こんな奢り傲慢さには間髪を容れず、にべもなく逆らい続ける私にも腹を立てていたのでしょう。
そしてこの医院は悪くなって当たり前の老人医療が多い。
厄介な患者は大学病院に送れば良い。死人も出ない。
休日出勤も残業も無い五時の道路には看護師さんたちを迎えに来た車たちが列を成していた。
こんなに姉から周囲から甘やかされて育てられた義兄、
「医師会の伯父にも責任を取らせてやる」
暴言が気になっても動けなかった。
院長は自分から調子に乗って真相を何から何までベラベラ喋っておきながら、逆切れしただけの情け無い末路だ。
57 裏千家師範と私と銀座の画廊の、家系 上
彼女が逝ってしまった後、私の精神状態に付け込んで搾取される金銭の額もだが、私たちは若さに欲望を漲らせていただけの遊び仲間、飲み友達というだけの下らなさだったのか。
それに加え糟糠の妻を東京に住まわせ、彼女を地元に置くと苦肉の策を決断した年の秋、つまり彼女が倒れる半年も前に私から借り入れた1450を450しか返さないと、師走には開き直っていた。
五ヶ月後の入院です。
祥月命日が生まれる。数ヶ月が経ちました。
【御山】たる墓標の資金に充当してくれと依頼される彼女が買ってくれていた絵画の売却にあたっても約定通りに支払ってくれなかった。
翌年になり、この銀座の画廊と取引のある北九州の画廊主と共に私たちは朝一便で上京した。
銀座に出向く決心から商取引の帳簿合わせを迫る私に銀座の画廊は、
「(彼女への性暴力に抵触する情況) 見舞いに行ってない」
と、持ちだした。
混乱する精神に鞭打って前に進もうとしていた私であり、もう目一杯だったのです。
壊れた。混乱させられた刹那、完全に真っ白。
なぜ銀座に来ているのか、さえ忘れてしまった私が居た。
彼女の存在から姉から何から何まで、これら記憶の一切合財が遥か雲の彼方に煙のごとく逃げ去ってしまいました。
そのまま搭乗した機中でも 「何しに来たんだろう」としか分かりませんでした。
銀座の画廊も、帳簿もカネも 「おかしい」とは分かるのですが、「なぜ」とか「どこが」となると、さっぱり。
きれいに消し去ってしまいました。
空っぽの脳みそは滞りなく以後の入力を、そのままに曲げたり癖を付けたりしないで吸収するのです。
抵触されてからの帳簿合わせは、逆に支払いで請求され、何も分からないままに決まっておりました。
主張される勘定に反論を出せる約束事への記憶どころか、彼女どころか姉妹に付随する情報さえ忘却の彼方。
この真っ白にさせられる銀座の日には、早々と私が取引する他の銀座の画廊に対しても 「背信行為の私」とした吹聴が始まっていた。
院長の追い風にもなり、人脈の一員とも化していく。
日帰りとなった翌日でした。
銀座に出向く前の日に電話でお願いしていた医師会の重鎮となる親しくお付き合いをさせて頂いた方の御自宅を訪問するも、何の相談だったのかも思い出せない。
恥ずかしい話を持ち出しただけであり、医師会とも、この方とも、これっきりにしてしまいました。亡くなられたのです。
銀座の画廊も彼女の場合と同じ 「約束事」の信用取引や人としての生き方の次元に置いて、約束の日の数日前に私は支払ってしまうのです。
この額が、でかすぎました。
完全な記憶喪失にさせられる銀座の朝でした。
バブルと名付けられた実体なき社会が終焉を迎える頃、ゴッホとルノワールの計2点の絵画が米国のオークションにて二百数十億という史上最高額で落札されたニュースが映像と共に飛び込んできた。
依頼された会長と代理人たる銀座の画廊主は親子である。姓が異なるのは師範と同じだったからだ。
しかし私も町医者の家に生まれておきながら何なんですが、町医者という職業がこんなにも人間的に小さなものだったなんて、体験から【御山】で考えさせられました。
良く言えば地域社会での客足と柵で雁字搦めなのに医師会や医療の圏内から食み出して社会的影響力を行使できるところが認識の誤りを生んでいる。
師範の墓標とした【御山】の阿蘇は魂との契約である。周囲が如何有ろうが関係なかった。
院長の恐ろしき算術の陰謀から絵画の購入は花嫁道具だった上に性暴力を知っても、これは破れない。
無意識の意識が、両天秤に掛けたかのように家族を蔑ろにした阿蘇に向かわせた。
逝った年も冬には阿蘇のペンション住まいとなり、比翼塚の草刈りから枝打ち、沢に下る小道を整地したりと汗を流していく。
こんな中、女たちだけが取り残された福岡の我が家には中傷に嫌がらせの電話が引っ切り無しに入っていた。
家庭があり、家も在る間、着信音に妻は両耳を塞いでしゃがみ込み、母は頑張れるも 「それなりの対応」にて音を収める。
妻も母も、家族で耐え忍びながらも、恐ろしくなった私から命じられた通り、我が家の女たちは師範殺しの知りえた限りの真相を院長の犯罪の内容を姉妹の家の秘密を守り通した。
全てを誰にも口外しなかった。
妻は叫んだ、
「どうして私たちが犠牲にならなければならないの」
「みんな生きている」
わたしは突っぱねる。話にも何にも成りはしない。
こんな苦しみの我が家へと姉からも電話が入っている、
「今後ウワサにして妹の名誉を傷つけないようにしてください」
黙ったなり、聞いてあげた我が家の女たちでした。
取引先だったデパートからも、
「(姉妹の家)と何か有ったらしいが、(その地域)の出張所所長は取締役だから何も聞きたくない。もう出入りしないでくれ。おまえも終いだな」
繁華街にもご一緒していた美術部からの突然の電話でした。
母は着信音に、
「(あの恐ろしい家からかも)」
感じるらしくて、ピクッと体を深層心理で震わせる。電話を取れなかった。
鳴り分けてくれる機能に買い換えて(2000年03月22日)から、ずいぶん楽にはなりましたが。
医者の人脈を利用してのものが殆どと思われる。一方的で意味不明で嘘っぱちだらけの電話による後遺症です。
わたしだけでなく家族の全員が数年前まで抱えていたんです。
「かわいそうな方」
真実で師範を思いやれた、ただ一軒の家なのに。
大切にしている亡父の遺品の一つに、墨色五彩 『鬼手仏心』 の掛け額がある。
心は受け継いだつもりです。
純粋な、真っ白な女性でした。それでいて、大きかった。
迎え火な太陽は 「八月のクリスマス」 として記憶喪失者に刻まれる。記憶する最期の姿は、退室する見返り美人だった。
たかがカネ、されどカネなのか、ために私は 「見舞いを止められていた」
なぜ、そこまで、義兄なのに、医者なのに・・・
さくらんぼ稚児握り締む桃石榴雲は俯くみな熱き縁
ドアがノックされるたびに、
毎日毎日、待ち焦がれていた。
「産まれてこなければ良かった」
「そんなに嫌われてしまったの」
こんな、してやったりの師範に性暴力の週末は、私を尻目に否応なしに訪れていた。
病室の天のみの空を見つめ「椿灰に愛と清貧の戒律」で逝く。
マリア観音はかなものなり閻魔堂なる飛天ひん抱き幸と見見えん
「知らなかった」
「ごめんね」
済まされる歳月の彼方、ではない。
・・・また陽は昇る。。。