【十一夜 ☆家族】 から
「暗黙の了解」なんて慣習で綺麗な言葉に隠された院長の立場を私だけが知らなかった。
彼女の「出生の秘密」については姉自身が思わず漏らされたので私の知るところになっている。
相乗作用、恐ろしすぎる。
25年以上も絶えぬ夜も何もかもが信じられなくとも信じそうになりかけてしまうところが、また恐ろしい。
あの家から早く彼女を連れ出してあげたい。解決策は重婚まがいの漫画みたいな方法しか思いつかなかった。
姉が差し出された慰謝料やマンションなんか院長の資産からの出費は断ると決め、
必要な資金は自分で用意し始めた。といっても、あの立場に史上最年少で到達した彼女を貰い、かつ妻を東京に置くわけだから金額にしても小さくは無い。
院長の家とは出入り業者だった私の仕事に区切りを付け、彼女を相手とする男になる決心も固めた。仕事とは切り離さないと院長とは対等の口が利けない。
こうすることがもう一年以上も離婚とか結婚とか訳分からずに求められ続けている私にとっては自然のことと思えていた。
初春になっている。ツリー 飾り付ける頃から姉妹とは会えない日々が続いていた。
姉妹にも、わたしの収入は半分づつに分けると言わなければならない。半分といっても大台には乗っている。
この決断、妻には話した。
姉妹にはある程度の準備が終わってから報告するつもりだった。
そうこうしている内に2月になる。仕事の目処がついた。
今夜こそと満を持して訪問した日、 催事とかで姉妹ともに泊りがけの不在だった。
この夜に限らず、ことごとく会えなかった。何故だか知らない。分からない。
いや、こんな中から彼女はーーーーー。
4月、見做し重婚への資金の手当てもつきました。
GWになる。
明ける。
5月8日・・・乳がん、27歳なのに余命2週の告知となってしまいました。
愚図ついた私が悪い。支度金も都合がついたんだから強引に動いてれば二~三ヶ月も前には診察を受けさせられた。
それに、あの夜がある。この後ろ姿に声をかけていればーーーーー。