ドタ日記

ドタの毎日の様子をエッセイで書き綴ります

20年後の老人ホームはどうなるか?

2005-05-18 23:19:38 | Weblog
毎月1回は老人ホームや地区センターに歌いに行っています。
お年寄りの方の好きな歌を選んで歌ってあげたり、一緒に歌ったりしております。
認知症で言葉を失った方も昔の馴染み深い歌が演奏されると、一緒に歌えたりします。
音楽って本当に不思議な力があるんですよね。

それでは50代の私達が老後を迎える時、どんな老人ホームになっているのでしょうか?
先日、ビレッジの林ゆたかさんが将来の夢は、音楽ライブの出来る老人ホームを作ることとおしゃっていましたが、これは確かに現実味のあるお話だと思いました。
団塊の世代以後、楽器の弾ける人、又、コーラスをやっている人、が多くなってきています。
将来の老人ホームは演奏に来てもらって楽しむのでなく、自分たちで演奏したりして楽しむ老人ホームが
出来たらいいと思います。
ビレッジの林ゆたかさんの経営する音楽ライブ付老人ホームであこがれだった清水道夫さんと念願のデュエットが出来るまで、ドタは元気で長生きするぞー

岐阜は何地方?

2005-05-17 21:09:20 | Weblog
先日、デパートで岐阜の夫の実家にお菓子を送った時のことです。
岐阜の住所を書いて、店員に渡しました。
お店の若い子は岐阜を地図で探しているのですが、とんでもないところを探しているのです。
岐阜を九州と思いこんで、九州地方で一生懸命、岐阜を探しているのです。
思わず「御馬鹿、タワケ、アホ」と各地の方言で怒鳴りたくなりました。

最近は地理の勉強をしていないのでしょうか?
ドタママの学生時代は地理のワークシートがあり、色鉛筆で国や県を塗りつぶしながら覚えたものです。
世界中の国の位置を覚えよとは言いませんが、せめて日本の47都道府県の位置ぐらいは把握してもらいたいですね。社会人として。


ああ、、、っつ高価な健康ドリンクが、、、、

2005-05-16 23:40:32 | Weblog
我が家は核酸ドリンクを飲んでいます。
と言っても、素直でない次男はその効用を頭から否定していますので、私と従順な長男が毎朝、毎晩
おちょこ一杯分ずつ、ちびり、ちびり、と飲んでいます。
飲む前に必ず「なんで飲むの?」と聞くので「頭がよくなるの。」と言って聞かせてきました。
昨日、ビレッジのライブから帰宅して、核酸を飲もうとしたら、ああ、、、、開けたばかりの核酸が
全部飲まれている。
思わず「ヒロ、なんで全部飲むの?小カップ半分って言ったでしょ?」と声を荒げてしまいました。
ヒロは悪びれもせず「早く頭よくなりたいから、たくさん飲みました」とニコニコして言うのです。
その後、怒る気になれませんでした。
たくさん飲んだら、すぐ頭がよくなると彼なりに思ったのでしょう?
いろいろ説明しても自閉の息子には頭に入らないので、まさる君ママのように冷蔵庫に核酸コップ× 小カップ○とイラストで貼っておきました。
おかげで、私は当分 飲めません。
でも気のせいか、なんだかヒロ君すごく調子よさそうです。

ビレッジシンガーズのライブコンサート

2005-05-16 00:51:37 | Weblog
亜麻色の髪の乙女というと誰を連想されますか?
島谷ひとみと答える人はヤングエイジ。
そのヤングエイジのママたちの世代だと、ビレッジシンガーズなのです。
私は中学生の思春期の多感な頃、ビレッジシンガーズの清水道夫さんの大ファンだったのです。
近年はそう、偽者清水道夫が信州で出現して話題になりましたが、偽者清水道夫事件で何10年ぶりかに
ビレッジもブレイクしたのですから、世の中わからないものです。
当時の私はそう、今の子供達がジャニーズに夢中になるように、すっかり、GSにはまっていました。
当時はタイガース(野球のタイガースではありません)のジュリーこと沢田研二や今、よくお騒がせしているショーケンがいたテンプターズなど長髪族に夢中になる子が多かった中で、私はさわやかな貴公子
清水道夫に魂を奪われてしまったのです。
友人のチカゲさんとおそろいの水森亜土のかわいいイラスト付日記帳に月間明星の清水道夫の写真を
切りぬいてはぺたぺたと貼っていました。
勉強しているふりをして実は、日記に清水道夫へのつのる思いや写真を貼っていた時間の方が長かったのです。
明治製菓のお菓子の切りぬきを集めて懸賞に応募して、岐阜市民センターに聞きに行ったこともあります。
ビレッジシンガーズのレコードは当然ドーナツ版もLPも全て持っていました。
その後GSの人気がすたれると同時にビレッジもいつしか解散して、私の熱病も終わりました。

35年を経て昨年、インターネットでビレッジが再結成してライブコンサートをやっている情報を得ました。
8月私は ライブコンサートに足を運びました。
六本木のライブハウスから聞こえてくる声はまぎれもなく私のあこがれの清水道夫の声、
♪亜麻色の長い髪を、、、、♪中年ドタママはいつしか15歳の少女になっていました。
私はついにあこがれの清水道夫の会えたのだ。
高鳴る胸を押さえつつ、顔を上げてステージを見つめると、、、、、、、
ステージには浦島太郎のように年老いた5人のメンバーが私の目に入っていました。
目をこすっても私の王子様清水道夫はいません。
現実を直視するのに少し時間がかかりましたが、音楽はそんなショックも和らげてくれます。
当時の曲を演奏されるたびに私も体をゆすりながら口ずさんでいました。
昔の曲は自分でもびっくりするぐらい覚えていますね。
今、覚えた曲はすぐ忘れてしまいますもの、、、、。

今日再び、ビレッジのライブに行ってきました。(実はもう4回目です)
あれだけ好きだった清水道夫さんへの熱い思いはなくなりましたが、今は他のメンバーの方の一人一人の
演奏をじっくり聞けるようになりました。
みなさん還暦近いのに、音楽に対してすごい情熱をもってらっしゃる。
リーダーの小松さんのギター演奏はすばらしいテクニックだし、林ゆたかさんのドラムは年齢を
感じさせないドラムソロでした。
そう、今日はビレッジのメンバーから、たくさん、音楽への情熱と力を頂きました。
あんなに好きだった清水道夫さんとツーショットの写真も撮れたしドタママは幸せだー

            



押し入れ掃除

2005-05-14 15:01:45 | Weblog
午後から何年も整理してなかった押入れの掃除をしております。
先日、新婚当時買った、2重ダンスを処分し、押入れがだいぶ広くなりました。
ドタママは整理整頓が大の苦手、
家族で一人ぐらい整理整頓の得意な者がいてもいいのに、私も夫も大雑把な人間ですので、
子供二人も全くだめなのです。
血液型はあまり関係ないというけれど、一人でもA型人間がいてくれたらと思います。
写真はアルバムに貼らずに写真袋に入れたまま。
次男が「僕の小さい時の写真を友達に見せようと思っても、ない。」
と嘆いていました。
楽譜は増える一方です。
コピーした楽譜がヤマハの袋に無造作に入れてあるので、いざ、ほしい楽譜を取り出す時は
袋を全部あけて、探している始末です。

それにしても今日中に片付くかな?
昔の写真をみては「若かったな」「子供もこんなかわいい時もあったんだ」などと回想に
浸りながら掃除しているので、おまけに途中で飽きてブログ日記を書いているので、はかどりません。
さあ、又、押入れ掃除、開始。
頑張るぞ

動物の死について(アケリンの家のフェレットの死を聞いて)

2005-05-13 12:05:43 | Weblog
サークルIでピアノを担当してくれているアケリンさんhttp://homepage2.nifty.com/fere-maple/の家で飼われていたフェレットのシロップが昨日、天国に召されました。
HPでシロップとご家族の温かなふれあいを見てきたので、残念に思います。
でも2人の息子さんはシロップからかけがえのない思い出をたくさんもらったでしょう。


動物を飼うということは、必ず死、別れと直面しなければなりません。
その悲しみを経験するのが嫌で動物を飼うのはいや。という方もいらっしゃいます。
私も3年前、愛猫ショパンを事故で失い、1週間何も食べられない時期がありました。
レッスンの子供にかわいがられていたショパン猫でしたので、生徒が集まって、音楽葬でショパン猫のお葬式をしました。
ペット葬儀やさんもウルウルで「こんな幸せな猫ちゃんは今まで見たことがない」と言っていました。
どん底までおちた私の精神状態も子供達のショパンを思うやさしい気持ちで立ち直ることが出来ました。
ショパンの死でみんなの気持ちが一丸となって、2ヶ月後 音楽劇「愛猫ショパン物語り」を上演しました。

生きるものをいたわり、愛し、やさしい気持ちを持った人は、傷つきやすいけれど、傷ついて悲しみを経験した後は目に見えないすごい力、パワーが備わると私は思います。

シロップはアケリンママの腕の中で、2人の子供さんに見守られて天国に召されたそうです。
カズクンもタン君もシロップのたくさんの思い出を通して、きっと思いやりのあるやさしいそして心の豊かな少年 青年になっていくでしょう。
死とは肉体はなくなるけれど、人の心の中で生きていくことだと思うのです。

岐阜弁講座

2005-05-11 23:08:47 | Weblog
夕方のニュースで、今、女子高校生の間で方言で話すことが流行っていることを特集していました。
岐阜弁で言わせていただくと、「とろくさいことやっとらんと、漢字の一つや英語の単語一つでも
覚えや-」と言う事になります。
発音は、とろくさいの、サ、は、サとセのあいまい母音、そう、フランス語の発音に似ているのです。
このあいまいなイントネーションは生まれ育った者しか出来ませんね。

私は大学時代、とても岐阜弁にコンプレックスを持っていました。
京都の友達の流暢な京都弁がうらやましく、真似して「そうエー」と私が言うと、男友達はみんな、気持ち悪がって逃げ出してしまいました。

エーの伸ばし方がやはり、京都の子ではないと出来ない女らしい素敵なニュアンスだったのです。

岐阜に帰省しては岐阜の友人と「われわれが色っぽくないのは、この岐阜弁のせいやわ」
と嘆いたものです。

でも最近になって正当な岐阜弁を世に残していこうという気持ちになりました。
方言も世代によって変わっていきます。
当然、岐阜弁もお年寄りの岐阜弁は又、ちがった独特の味わいがあります。
70歳以上の方がよく使う言葉は「ござった」です。
「お客さんがござった」と使います。来た。の尊敬語なのです。

そのうち、岐阜弁講座でもやりたいと思います。
岐阜の友達、協力してね。

衣替え

2005-05-09 23:00:16 | Weblog
衣替えの季節。
思い出を捨てることが出来ない私は毎年、服が溜まる一方です。
体型が変わらない私は(下半身肥大症のまま、今日にいたってます)大学時代に着ていた服も
捨てられず持っているのです。
一着一着、思い出をかみしめながら洋服を整理するので時間がかかってしょうがありません。
4畳半の母の遺影の前が現在、洋服が散乱している状態です。(ごめんね。おかあちゃん)
思い出のつまった洋服は岐阜の夫の実家に送ることにしました。

いい年齢になったことだし、もう衝動買いはしません。と心に誓うのですが街へ出ると買いたくなるんだな。ドタママは、、、、、
今年の流行はメルヘンっぽい、かわいい洋服が流行りだとか、、、、、
ぶりっ子おばさんドタママはルミネ、CIALでショッピングするのが好き。
20年後にはぶりっ子ドタおばあさんになっているのかな?

母の日に寄せて

2005-05-08 22:01:57 | Weblog
20年前の今頃、ゴールデンウイークに母の退院祝いをしたばかりなのに、何故か寂しそうな母の表情が
とても気になっていました。
母の日に何を送ろうか?と聞いても「私のことはいいよ。すみちゃんの気持ちだけで嬉しいから。
それより、お義母さんに送ってあげて」と言うばかりでした。
私は最後の母の日のプレゼントになるような不吉な予感を打ち消すかのように、明るいかわいらしい
フランス製のバスタオルを送りました。
母はお礼の言葉の後、「体がだるいの、微熱がずっと続いている。」とポツリと言いました。
普段、弱音をはかない母でしたので、とても心配になりました。
当時、長男が障害児と烙印をおされた時期でしたので、私もつらい気持ちを母に話したかった。
しかし、癌の病に苦しんでいる母には話せなかったのです。
あの頃は、母の癌の病、長男の障害判定、と人生で一番つらい時期でもありました。
母は長男の誕生日8月2日に亡くなりました。
あれから20年。長男はやさしい真面目な青年に育っています。
母がどんな時も天国から見守ってくれているような気がいたします。

母の日に感謝を込めて母の遺影に母の大好きな紫色のカーネーションを飾りました。
ありがとう、おかあちゃん。

のんびり行こうよ

2005-05-07 12:25:12 | Weblog
5日の夜遅く 横浜に戻ってきました。
夕方の名古屋駅 新幹線上りホームは案の定、すごい人で、のぞみ号自由席は通勤電車並みの混雑さでした。
やむなくこだま号に乗りました。
こだま号も普段よりは混んでいますが、楽々座ることが出来ました。
窓際の席を確保でき、座るやいなや、靴を脱ぎ、リクライニングに座席を倒し、疲れた体を休めることが出来ました。
のぞみ号との時間差は1時間。
1時間の差で立って疲れる思いをするより、列車の中でのんびりしようと選択したのです。
浜松あたりまでは熟睡し、目覚めて、楽譜をごそごそとだして、夏のコンサートで歌う曲の
暗譜をはじめました。
私は新幹線の中では、歌詞がとても頭に入るのです。
家の中では何かと雑用が多く、落ち着いて覚える作業が出来ませんが、新幹線の限られた空間の中で、
限られた時間の中で、集中して楽譜と向かい合うことが出来ます。
新幹線の揺れない振動も集中できることに関係しているのかな?

この日も新幹線は5分遅れでした。
最近、電車も25日のあの大惨事の反省でしょうか、
乗客の安全に大変神経を使っています。
名古屋駅は乗車口は普段より多くの駅員さんが乗客の乗り降りを注意していますし、
以前は新幹線が遅れてきた場合は、早くドアが閉まっていましたが、出発確認をしっかりされています。
あの事件以来、列車の時刻の遅れに私達はあまりナーバスにならなくなったのではないでしょうか?
尼崎脱線事故は鉄道の本来のあり方、私達の早く早くと急ぐ意識を変えました。
107人の方々の尊い命が代償となったことは、あまりにむごい、悲しい出来事ですが、、、、、、