1000mぐらいの玉置山駐車場から見晴るかした紀伊山地の山並みです。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」大峯奥駈道には、
大峯75靡(なびき)と呼ばれる神仏が宿るとされた拝所・行場が遺跡として残っています。
熊野本宮大社の本宮証誠殿が1番で、
霊峰玉置山に鎮座する玉置神社は10番靡、大峯奥駈道の極めて重要な聖地です。
七夕の日、天河弁才天に続き、初めて参拝できました。
霊峰玉置山(1,076m)への道は、道幅狭く対向車が来たらどこまで下がるのだろうと不安になります。
自分の運転で行くのはかなり躊躇する所です。
ちょっとハンパない場所にあり観光気分で行ける場所ではありません。
駐車場から玉置神社まで片道15分程度と聞いていました。
約1時間半の自由参拝です。
山道にロープが張られ結界を示すかのように白い紙の垂(しで)がたなびいています。
まるで森林浴ハイキングのような参道でした。
やっと到達した最後の鳥居。
本社御祭神
国常立尊(くにとこたちのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
ちょうど茅の輪くぐりも設置されてて、半年の穢れを払うこともできました。
やまとなる 玉置の山の 弓神楽 弦(つる)音すれば 悪魔退く
茅の輪をあとで撮影しようと思ってたのに、
すっかり忘れてしまって、向かった先は 続く
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」大峯奥駈道には、
大峯75靡(なびき)と呼ばれる神仏が宿るとされた拝所・行場が遺跡として残っています。
熊野本宮大社の本宮証誠殿が1番で、
霊峰玉置山に鎮座する玉置神社は10番靡、大峯奥駈道の極めて重要な聖地です。
七夕の日、天河弁才天に続き、初めて参拝できました。
霊峰玉置山(1,076m)への道は、道幅狭く対向車が来たらどこまで下がるのだろうと不安になります。
自分の運転で行くのはかなり躊躇する所です。
ちょっとハンパない場所にあり観光気分で行ける場所ではありません。
駐車場から玉置神社まで片道15分程度と聞いていました。
約1時間半の自由参拝です。
山道にロープが張られ結界を示すかのように白い紙の垂(しで)がたなびいています。
まるで森林浴ハイキングのような参道でした。
やっと到達した最後の鳥居。
本社御祭神
国常立尊(くにとこたちのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
ちょうど茅の輪くぐりも設置されてて、半年の穢れを払うこともできました。
やまとなる 玉置の山の 弓神楽 弦(つる)音すれば 悪魔退く
茅の輪をあとで撮影しようと思ってたのに、
すっかり忘れてしまって、向かった先は 続く
何人かおられます。
確かに氣がピンと張るような神社で
特に冬場に行くと雪景色も相まって感動も
ひとしおでしょう。
でも水の女神の系統の方にとっては
若干居心地が悪いところがあるのも事実でしょう。
私も以前登った際に山頂まで行くつもりが
玉石社参拝後に不安になり引き返した事を
思い出しました。
そういえば白石社のすぐ上の霊石三ツ石は祭神が
磐裂神、石折根神、軻遇突智神となっていますが
この白石社は祭神がなんと大巳貴命。
ありえへーん。
もともとは国常立尊か伊弉諾尊・伊弉冊尊の子神であったはずで
熊野からのつながりでいえば事解男命か速玉男命。
神武天皇がらみであれば十種神宝の霊験を司る
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊であるべき。
私見では事解男命。
この違和感が引き返す原因となったのでした。
山自体も神社も神さびて、とても趣きありました。
パワースポットとして有名ですものね。
そそくさと駐車場に戻ったら40分も前でわれながら驚きました。
ふだんならツアーの自由時間メいっぱい時間有効に使うのに。
なぜこんなにおちつかへんのかなと不思議でした。
金剛山頂の一言主神社ではぐっと迫るものがありましたのにね。
神様の系列、航空会社のアライアンスみたいですね。
ところで、天御柱神と国御柱神はどのように理解すればよいのでしょうか?
邪道かもしれませんが、武道や格闘技からみた歴史、狼からみた歴史
とても興味深いものがあると私は思いましたが。
軽くスルーしましたので特に理解しているものが
ある訳では無いのですが
7~8世紀に秦氏の影響を受けた神社では無いと思いますので
私見ではありますが
この三柱神社は伊勢外宮系神社で上の磐座は熊野系神社としての
役割を持っていたと仮定しています。
オザサさまがこの三柱神社を
古くは三狐神(みけつかみ)と呼ばれていたと
記載していますが
ミケツ神とは外宮の御食都(みけつ)神のことだと思います。
外宮には重要な摂社として風宮がありますが
三柱の天御柱神と国御柱神も風の神のようです。
天御柱命は志那都比古神で国御柱命は志那都比売神として
いいのいではないでしょうか?
前回のコメントで白石社と三ツ石の祭神について述べていますが
私見ですが、この二つの摂社に祀られている神霊は全て
イザナギ・イザナミの和合により産まれた神だと感じています。
玉置神社は封印された根源神である国之常立神が祀られていることが
重要だとすると末節の話となります。
九州高千穂にも国之常立神を祀る秋元神社がありますが
国常立尊の封印の経緯ついては非常に感慨深いものがあります。
ちゃんと理解もできないくせにお尋ねして申し訳ありません。
なぜ風の神を天御柱神と国御柱神というんだろうと腑に落ちないのでした。
シナツヒコという名前も気になるところです。
さて、玉置神社のウェブサイトによりますと
「創立は紀元前37年第10代崇神天皇の御宇に王城火防鎮護と悪魔退散のため
早玉神を奉祀したことに始まると伝」
この早玉神は現在、末社で速玉神として祀られています。
Wikiでは、近世に大峯奥駈の形骸化が進むにつれ信仰のあり方は変わったと。
大日如来や阿弥陀如来は顧みられず、かわって国之常立・伊弉諾尊・伊弉冊尊の玉置三所権現が中心となり、社地も今日の境内に相当する範囲に退転した、と書かれてありました。
国常立尊の封印というのも気になったので、検索してたら
国常立尊と稲荷神
http://inariyama.com/byaltuko/page028.html
三柱神社のお稲荷さんは国常立尊とも関係深かったのですね。