秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

お猿加持とこんにゃく

2012-04-29 | 古代史のミステリー
今日は暦で「庚申(かのえさる)の日」を確認してでかけたのでした。
四天王寺庚申堂、さぞかし賑わっていることであろうと…








GWは 皆さんそれぞれ出かけるところがあったのか
それとも最近は庚申信仰は衰退したのか
実際、周りでもお参り行ってますねんという人はいない。


四天王寺南大門から南へ「庚申街道」数百メートルで東門

つきあたりに南大門が写ってます。

大阪四天王寺庚申堂は、日本で最初に庚申が現れた地だそうで
京都の八坂庚申堂・東京入谷庚申堂(現存せず)と並び日本三庚申の1つです。




境内には三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)祀るお堂があり、
石造はあちこちに見られました。
庚申の申に通じるとして、庚申尊の神の使いとされたことに由来します。

庚申の縁日には三猿堂前で「お猿御加持所」がもうけられています。
病が去る、病に勝る=サル の言い伝えから、
木彫りの猿像を肩などの体の悪い部分に当ててもらう加持を受けれます。

最近PCのせいで右腕から肩こりがひどく、肩甲骨あたりもこわばってます。
お猿加持は受けれましたが、なんとなく写真撮るのが憚られ遠めで写しました。
ネット検索でもらってきました→



境内には「北向きこんにゃく(北を向いて黙って食べる厄落とし)」の店もでてました。
ものは試し、いただくことにしました。
よく煮込んだこんにゃく、なんと3切れが300円は想定外だった。
北方位をスマホで確認して一切れをいただいて、残り2切れはお持ち帰り。
細かく切って、チヂミの粉で人参とネギ細切りと混ぜて焼いて食べました。



本尊は青面金剛(しょうめんこんごう)童子
秘仏で拝観することはできません。

縁起によると、大宝元年(701)正月七日庚申の日、
豪範僧都が疫病に苦しむ多くの人々を救わんと一心に天に祈った所、
帝釈天のお使いとして童子が出現し除災無病の霊験を示され
以来1300年庚申の日及び前日(宵庚申)に本尊に祈れば必ず一願が叶うと尊崇されています。

青面金剛は、大日如来の命を奉じ、忿怒の相を現し、諸悪魔を降伏する明王の仲間。
身は青く、目は血のように赤いとされる。
手は、2手、4手、6手、8手があるが、次第に6手が標準になっていった。
6手も二通りあり、中央の手が剣と人身(ショケラ)を持つものと合掌しているものとがある。

詳しくは→こちらでどうぞ





庚申信仰とは
中国の民間信仰である道教に発するといわれている。
道教では、人間本来の寿命(一説では125歳)を全うできないのは、
人間の体内に住んでいる“三尸”(さんし)という虫のためであるとする。
庚申の夜、三尸は人が寝ている間に体内を抜け出し、
天に昇り天帝にその人の罪過を報告する。
天帝はその罪過を判断し、その人の寿命を短くする。

少しでも長生きするためには、この三尸を天に昇らせなければよい。
そこで、庚申の夜は眠らずに過ごそうというのが、「守庚申」「庚申待」という行事である。

この行事は、平安時代に宮中で行われだして室町時代には民間でも行われるようになった。
室町時代には、将軍家を中心に和歌などを作りながら庚申待をしていた様子が資料等から読み取れる。

これは戦国時代になっても続いていたようだ。
信長が庚申待をしたことを示す記録(義残後覚巻一)
光秀は、酒の席で信長から諸将の前で激しい侮辱を受けたために、光秀の心に謀反の渦が巻き始めたと言われている。
酒の席というのはこの庚申待の席だったようだ。

寝ずに起きていなくてはならない庚申待ちはしたくないが、その効果だけはほしい。
こう考える人々が、元禄時代(1690年頃)には結構な数にのぼったようだ。
需要があれば、当然それを供給する人が現れる。
庚申待の代行業、当時は“庚申の代待(たいまち)”と言われていた。
庚申の日になると、大声で「庚申の代待」と叫んで町を歩いた。
声がかかると、家人から米や銭をもらって代待をした。


室町時代から次第に仏教的色彩が強いものになった。
江戸時代には、主尊として青面金剛が誕生し石塔も多く造られた。
この信仰に神道も加わり、猿田彦が主尊として現れた。
明治時代もこの信仰は大きく衰えることはなかった。

昭和とくに戦後は、衰退したが、現在も庚申信仰は細々だが続いている。


6 コメント

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Unknown (TM)
2012-04-30 21:42:52
キャセイというのは、そこから来ているんですね。それから庚申についてのお話も、本当に勉強になります。庚申塚ってよく見聞きするけど、どういう謂れがあるのか知りませんでした。
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TMさんへ (おざさ)
2012-05-01 00:20:19
Cathayキャセイの由来は契丹からとは私も驚きでした。
ロシア語ではいまも中国をКитай(キタイ)」というそうです。
中国はヨーロッパから見て陸路:キタイと海路:チャイナと二つの国名があったというのも知りませんでした。

私も、庚申ってよく耳にはしてたんですが、今回やっと実際足を運び調べるに至りました。
不思議な習いですが、いつの間にかすたれて、
その意味すらも知らない人がほとんどになってしまいつつありますね。
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三大庚申堂 (りひと)
2017-01-08 09:43:23
知りませんでした。入谷にかつてあったこともまた四天王寺の庚申堂が最初なのも。でもありですね。道教ってかなり古く日本に定着しているとは思ってましたが平安に流行るほどならばかなり古いですね。そうそして最近まではやっていた名残もあるんですけど綺麗に消えてますよね。びっくりな話。

青面金剛も庚申堂もかなり好きでこだわりを持っています。

明智光秀の件もえびすさんが耳遠いの記事でこちらにきましたけどうららさんが気になるんですね。そこも深読みしてしまいます。番号では8二つに5と6なので明智が5で信長が6?毎度のしがらみみたいにも思います。8586

四天王寺の意味からするとやっぱり物部さんは何かの信仰を持っていたとした方がいいように思います。一般常識の物部さんは仏が嫌いでしたけど、初期の物部さんは観音信仰とは融合していたとは思いますし、庚申の信仰とも融合出来ていたんでは?と思います。仏教伝来からは二つに分かれて戻れなくなっていないかな?
そうだまもなく2/3で申から酉の年になりますけど三匹の申は三匹の虫。言わない見ない聞かない猿は、告げ口するし見てるし聞いてる虫とは対角ですね。恵比寿さんみたいに、言わない見ない聞こえないんではなく、ちゃんと言葉意外でコミュニケーション取れるし見てるしドラや鈴や小槌で合図してくれたら分かっているんでしょうね。
庚申信仰は日本の東の方ではかなり大事だったはずです。8586 いいヒントになりました。
こんにゃくの閻魔もこの延長上にいそうで最後に語らず審判をするんでしょうね。怖い存在は、堕落する人間には必要ですね。一言主神にも通じそうです。多くを語らないから怖い。一言で言い当てるから見ているってね。1325
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りひとさんへ (ulala)
2017-01-10 10:45:18
コメントありがとうございます。
感謝してますが、内容意味深ですぐにお返事できず申し訳ないです。
昨日は宵えびすで毎年恒例の今宮戎に行ってきました。
何年か前に宝恵籠行列に出くわしてものすごい人にびっくりしましたが、昨日はそれ以上に満員電車のようで、あまりの人に多さに疲れました。
そして夜コメント返ししようとしたら、なぜかサイトが繋がらず今朝も調子悪いです。
えべっさんでなにか差し障りあるのかしら?
ここしばらく、このブログの人気記事で、「えべっさんは耳がとおい」がよく読んでいただいているようなんですけど。
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今宮えびす (りひと)
2017-01-11 09:56:43
凄すぎ、近くにいていけなかった場所ですけどうららさんが縁持っていらっしゃるのだけで嬉しい。テレビでもみましたけど過酷意外の言葉がないほどだったとも、そう神社だけじゃないですから。こちらは恵比寿さんに行こうか迷ったのですが初金比羅に行って来ました。セットで愛宕さんも。10の日の意味って昔知らなくて京都にいて10日恵比寿ってスルーしてばかり、大阪でも一番行くべきと思いながらもスルー。まだまだ修行が足りずなのでしょう。災難火除けなどをまず今しているような感じなのでいつか行きたいです。6104

そうそう赤の漆の櫛と恵比寿さん繋がるんでは?と妄想しています。6104
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ランキングで (りひと)
2017-08-14 11:48:44
今回大阪行って最後は今宮にしました。少し雰囲気良くなさそうと思ってましたけど綱敷のあたり行けたんで自信ついたというかあそこほどではないと。時間も明るいうちに着けるようにと。たこ焼きやすくって庶民的で通天閣手前で美味しいたこ焼き食べさせて頂いたのは今宮です。お守りは迷いましたけど小ちゃな神像付いている物にしました。たこ焼き二回も買ってしまったので天王寺までは行けず通天閣も夜の前回とは違い活気のある賑やかな姿みておトイレ貸して貰った大阪のお兄ちゃんと出会いいい思い出になりました。

帰宅して思ったのは天王寺公園の茶臼山行きたかったんけど行く方向は北でしたね、難波方面だったなあと。東方向は相当歩かされクタクタ、久保神社まで行きたかったし、最後おはぐろ地蔵であべのハルカスの予定でしたがたこ焼き美味しくてお腹いっぱいで歩けずでした。

当日は京都の八坂の祇園祭りの日でしたね。
本来の目的の茶臼山堀越神社(成田屋さんの件もあったので)久保神社おはぐろ地蔵でしたけど今思うと天王寺の庚申堂だったのかなあとも。あっつい日に今宮から歩ける距離ではなかったので電車で行くべきだったんだろうとも。次回は大阪地蔵巡りします。

で今回思うのは、大阪城から南の上町台地にのる所かは分かりませんが南方向へどんどん行くと地蔵とか庚申とか観音とか昔からの名残が見えてきそうな気がしてます。難波の宮と難波京、この辺りも寺田町あたりの歴史が見えてくると繋がってきそうに思いました。

お米じゃなく芋文化を持った人々も昔から関係していそうです。大阪は本当凄い所ですね。3409
そうそうお家でたこ焼きばかり食べてますけどタコってのも大事ですね、だしが出るんで旨味が凄い。タコも茹でたら赤いですけどタコもヒントになりそうですね。一般には8本足(7本+違うの1本という説も)。お水との関係もありそうですね。2477地蔵の番号24出た!7ふたつ、星も双子みたい。牛と馬かな?
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