秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

偉大な同級生の「原発 私はこう思う」

2011-09-07 | 世情雑感
昨夜たまたまTVみてたら同級生がでてました。

9/6「報道ステーション」のなかの「原発 私はこう思う」
日本で唯一の原発差し止め判決を出した、井戸謙一元裁判長。
高校3年生のとき同じクラスの同窓生でした。

高校のときからガリ勉でなくて文武両道で優秀でした。
性格も温厚で誠実で謙虚でした。
体育会系クラブ活動(バレー部だったかな?)も頑張ってたのに、確かストレートに東大進学。
そして3年ぐらいの現役で司法試験に合格したと聞いたように思います。

10年以上前の同窓会で見かけました。
今年9月24日にも同窓会ありますが、きっと今は超売れっ子で来れないかもしれません。




2006年3月、金沢地裁で北陸電力・志賀原発2号機の運転差し止めを命じる判決を出しました。

去年、志賀原発の差し止め訴訟は控訴審で逆転判決が出され最高裁で確定。
井戸君はこの春退官し、現在、彦根で弁護士として原発再稼働の差し止め訴訟などを担当しているようです。



判決文には、福島第一原発の事故を予言するかのようなくだりがあるそうです。
「可能性として、外部電源の喪失、常用電源の喪失、さまざまな故障が同時に・・・多重防護が有効に機能するとは考えられない」

311東日本大震災あとの福島原発事故で、日本中が原発について考えるようになり、
2006年、すでに5年も前のこの判決があちこちで取り上げられるようになりました。


「電力会社は危険をできるだけ小さく見積もって、それに見合う安いコストで何とか収めたい、
そういう姿勢が(志賀原発)事件の審理の中でも感じたし、その点は非常に危惧していました。
活断層の評価とかどれだけの地震が起こるかという評価についても、できるだけそれを小さく見積もろうと、そういう姿勢というのは一事が万事だと思うんですけど。
耐震設計審査指針が改定されたりとか、前進した面もありましたけれども、
基本的な電力会社の姿勢自身はその後も変わっていないと思うので、いずれこういう深刻な事故が起こるのではないかとずっと危惧していました」

「日本の経済が何とか成り立っていけるだけの電力供給ができるのかどうかという問題がありますので、全面的に(原発を)止めるというのは少し難しいかもしれませんが。
今回の福島原発事故で何が起こったのか、何が原因だったのか、
その単なる津波だけの問題ではないと思いますので、
それをすべてきっちりと明らかにした上で、改めて安全審査指針を作り直して、
必要な補強工事をして、その上で動かすということでないと。
地震というのは本当にいつどこで起こるか分からないわけですから。
“第二の福島”が起こってしまったら、日本の国は崩壊しかねないことになると思うので。
ドイツもイタリアもはっきりと脱原発というふうに方向転換しましたけれども、結局、何がそうさせたかといったら、国民の世論だと思うんです。
今の政治には相当今回落胆しましたが、
やはりそれを変えていくのは、国民一人一人がしっかりと考えて、世論を形成していくという、そこに鍵があるんじゃないかと思います」


9 コメント

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Unknown (TM)
2011-09-08 21:16:11
脱原発への方向転換が遅れれば遅れるほど、放射性廃棄物が増え続け身動きとれなくなってしまいます。
日本人は様々な分野で産業をリードしてきたんですから、原発に代わるエネルギー産業でも世界をリードして欲しいです。
脱原発のためなら、節電も仕方ないと思いますわ。
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志賀原発の差し止め訴訟 (吉田一氣)
2011-09-09 00:24:56
すごい人が同級生だったのですね。
優秀な高校だったのでしょう。

原子力発電の是非のように高度に政治的かつ
技術的でしかも社会科学的な問題は
ある時代の内閣の判断や司法による判断に
全くそぐわない問題だと感じています。
でもそれぞれの個人の強い思いに従って突き進むのは
間違っていないでしょうね。
井戸謙一氏は偉いと思います。
今回のような志賀原発の差し止め訴訟などは
最高裁判所大法廷で諮問機関あるいは参与機関のような
有識人も含めて議論する体制を作らないと
相応な答えが出ないと思います。
それに上告で覆された時に下級審はやり場が無いです。
科学は無数の条件を整えることから始まるので
条件さえ整えていけば本当は安全な道が開けると思います。
今回のような裁判では事情判決も選択の余地があるでしょうが
それだけの肝がある最高裁判所の裁判官はいません。
あるいは総理大臣には強力な異議権(裁判を無視出来る)があるのですが
これもマスコミが騒いで煩いことになるので出来ないでしょう。
やはり明治のときのように切腹覚悟で
命を掛けて行動する政治家や裁判官が現われないとだめですね。
でも命がけで私欲を貫く人も見てきましたし
20年後に正しかったといえる結論に結びつけるのは
今の体制では本当に至難の業ですね。
私はこの世の中の危険な技術ランクで
原子力発電は5番目程度だと考えています。
原子力やめる意思力があるなら
遺伝子工学やウイルス工学や
バイオテクノロジーもやめないと
人類を危険にさらす度合いは高いですね。
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TMさんへ (おざさ)
2011-09-09 08:45:12
放射能の除去ってこんなにも大変だっとは想像もつきませんでした。
そしてそのためのロボット技術などもぜんぜんダメだったのが不思議なくらいです。
そしてこんな記事書いてる私も含めて多くの日本人が無関心ではないけれど、ちゃんと考えてこなかったこと。
これもしっかり反省して、井戸君がいうように
「国民一人一人がしっかりと考えて、世論を形成していくという、そこに鍵があるんじゃないかと」私も思います。
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吉田一氣さんへ (おざさ)
2011-09-09 08:58:38
確かに、遺伝子工学やウイルス工学やバイオテクノロジーも、今はなんとなく看過してますが、原発同様怖いですね。
問題が表面化する前に指摘できる見通す力はすごいエネルギーがいることでしょう。

福島原発での事故を見てからなら、素人でもいろいろ思います。
しかし2006年、5年も前にこうした判決を出していたことが偉いなとつくづく思います。
去年最高裁で逆転した頃は、国が率先して外国にこの原子力発電のプラントを売ろうとしてたのですよね。
こうしたつらい時期を経て退官され、それと同時に福島が起こった。
なんというタイミングでしょう。

去年秋に九州新幹線のCMで使われた西郷どんの着物が左前になっていることが判明しました。
そして今春いよいよ開通の3月12日前日に大震災。
事前の新幹線開通を祝うCMもすぐに放映が中止となりました。
このJR九州のトップ唐池君も同級生なんですよね。
平城京遷都1300年でのマスコットせんとくん、仏の頭に角を生やしてケシカランと最初は非難ごうごうでしたが、作者の薮内君も同級生です。
皆苦難を乗り越えて立派なのは、それでも貫ける強い信念があるんでしょう。

同じ高校で同じ時間を過ごしたというだけで。。。
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たわごとでしょうか? (吉田一氣)
2011-09-10 03:56:02
自分のブログでは書きにくいのですが
おざささまの賢明な智慧を拝借したいと思っています。
雛形的働きをする熊本霊ライン上の
今年荒らされた聖地の呪詛的な荒ぶる氣を
新幹線が飛ばしてくれたように私には感じられます。
今回の台風12号の指し示す所は
おざささまが示されたとおり熊野から天川を通って三輪に繫がると感じています。
熊本霊ラインとの接点は比叡山です。
今年の熊本の雛形の崩壊が悪い方へ悪い方へと転写されていっています。
それで今までの被害はほとんどが水の被害ばかりです。
このままだと次は火の被害になることは明らかで心が痛みます。
西南戦争で熊本はシンボルの熊本城が最初に火災で焼け落ち
市街は火の洗礼と水の洗礼を受けて壊滅しました。
その熊本の西南戦争の災難の怨念は
熊本霊ライン上の万日山と花岡山に封印されました。
その後熊本市の市街のど真ん中の広大な被災地に
強制的措置で陸軍の山崎練兵場、歩兵第23連隊が置かれました。
第3代熊本市長の辛島格は市街の発展を阻害するこの軍施設の移動が
重要と考えて代替地を熊本市で用意すると共に
移転に伴う莫大な費用も巨額の市債でまかないました。
これは熊本市民にとって非常に大きい試練でした。
それでもなんとか熊本市は生き延び発展しましたが
こういう自助努力の精神は今の日本にあるでしょうか?
今考えると理不尽ですがこの理不尽さが呪となったのでしょう。
この時代の熊本の被害が雛形となり
映し鏡として今の日本に反映した気がするのです。
沖縄の第二次世界大戦での壊滅は西南戦争での熊本の壊滅を思い起こさせ
今回の沖縄の自衛隊移転問題のお膳立ては国がしようとしましたが
当時の熊本市が置かれた状態と似ています。
そして今年は日本中に水の被害が起こりました。
次は順を追うなら市街をおおった火の被害です。
このスタートは熊本城というシンボルの火災でしたから
一連の終結はシンボルの崩壊ということになります。

ところでこの火の被害はもしかすると放射能の被害で
代替されているのかもしれません。

まさかこんな雛形論理はありえないはずですが、
否定しきれないものがあります。
これが私の夢想であって欲しいと願うばかりですが
いかが判断されますでしょうか?
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吉田一氣さんへ (おざさ)
2011-09-10 09:08:11
おはようございます。
賢いのは同級生であって、私はミーハーなノーテンキで、ちゃんとしたお答えできるとは思えませんが、ない頭でそれなりに思いつくことをお伝えしたいと思います。
しかしこれから仕事行って、夜は叙勲された方のパーティ、明日は朝からだんじり祭りで、お返事は遅れそうです。

それで第一弾として、まず思い出したことは、熊本城の伝説です。
http://blog.goo.ne.jp/goo3820/d/20080528
加藤清正公が築城の際にお手植えになった銀杏の木、清正が亡くなるときに、
「この銀杏の木が天守閣と同じ高さとなったときに、何か異変が起こるであろう」と予言された。
それが奇しくも明治10年(1877年)の西南戦争の際、天守閣や本丸御殿とともに焼失。
現在の木は西南戦争で燃えたあとに、芽吹いた脇芽が成長したもの。

すでに130年で経ち、私の目には天守閣と同じ高さに見えたのでした。
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吉田一氣さんへ (おざさ)
2011-09-11 20:31:31
とりあえず、今思っていることで時間の経過でまた変化するかもしれません。

紀伊半島の熊野については以前から不思議に思っていることがあります。
養老2年元正天皇の時代に、熊野本宮神として東北・エミシの地へと勧請された伝承があるそうですね。
この熊野の神様は東北では瀬織津姫のようですが、熊野ではその素性は不詳とされてますよね。

世界遺産にも認定された祈りの道「熊野古道」のうち、このたびの台風12号で大峯奥駈道にとても大きな被害がでました。
この修験道の聖地の土砂崩れは深層崩壊だとTVで聞きました。
道路やインフラが寸断されるだけでなく、神社にも大きな被害がでています。
なんとなくこの深層崩壊という言葉がキーワードのような気がしています。
奥深く閉じ込められたものが出て来る的な感じがしませんか。
いのちの源である水を汚してしまった現代への警告のような…

熊本の歴史や怨念については深く理解できていませんので、今の日本に再事象化しているという吉田さんの思いは、私の理解を超えています。
しかし神霊界のことも実際の歴史も詳しい吉田さんが、沸々と感じられる恐怖はあながち間違いではないのかもしれません。

現代は大陸プレートが動く時代に入っているらしいし、
太陽フレアが異常に頻発しているとか、
わけのわからんエレニン彗星が近づいていて3月11日に太陽と地球とその彗星が直列したそうで、次は9月26日でしたか。
私は月も含めて引力はすごい影響を及ぼすとかねがね思っています。
こうした地球とか宇宙とかに影響受けることも多いだろうし、
たまたまこの時代に生まれ合わせて、激動の歴史を見れるのは実に興味深いことだとノーテンキにとらえています。
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杞憂であることを願っていますが (吉田一気)
2011-09-13 16:45:57
昨日は蒸し暑い日でしたが
夕方からは少し温度が下がり
窓を開けると風が入り
満月がよく見えました。
昨日は中秋の名月だったのですね。
いよいよ秋になって少しは過ごしやすくなりそうです。
コメントありがとうございます。
今週はさらにいろいろと見えてきた一週間でした。
整理がついたら報告させていただきます。
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吉田一氣さんへ (おざさ)
2011-09-13 21:44:57
吉田様の深い杞憂は、浅学なコメント返しで混乱どころか、不愉快な思いに至ったのではないかと案じておりました。
近いうちのご報告お待ちしております。
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