画像だけで音がないのが残念 、その2.
前記事に続いて動画でないので、一番伝えたい音はでません。
実は、この項を入力するの3回目です。
何度やっても消えてしまう、今度こそアップできますように。
大神神社の末社に久延彦(くえびこ)神社があり、くすり道を通って狭井神社へ向かうまでに、
「知恵の神様 久延彦神社 →」
標識案内板があるのは、以前から十分認識してました。
大神神社には2001年三巳の日参拝以来20回以上行ってます。
でも久延彦社は参拝したことなかった。
なんか行こうと思ったことなかった。
小学校唱歌でよく知られる「案山子」
♪山田の中の一本足の案山子
天気のよいのに 蓑笠着けて
朝から晩まで ただ立ちどおし
歩けないのか 山田の案山子
山田の中の 一本足の案山子
弓矢で威して 力んで居れど
山では烏が かあかと笑う
耳が無いのか 山田の案山子
天気のよいのに 蓑笠着けて
朝から晩まで ただ立ちどおし
歩けないのか 山田の案山子
山田の中の 一本足の案山子
弓矢で威して 力んで居れど
山では烏が かあかと笑う
耳が無いのか 山田の案山子
知恵の神様が案山子といわれてもね。
でも、三諸の神奈備というしおりには、
久延彦神社のご祭神久延毘古命は
「山田の曽富騰(そほど)」と申し、所謂山田の案山子であられます。知恵は世に類なく優れておられ、「足は行かねど天下の事を、尽に知れる神」さまです。
古くは鳴宮とも称され、・・・
3/31の日曜日は、大美和の杜の桜みる目的もありましたが、やっと巡ってきました。
枝垂れ桜以外は八分咲きの桜が見事でした。
展望台から桜越しに大和盆地も眺望よく堪能できました。
その展望台降りてさらに進むと鳥居あって階段参道が始まります。
御諸山を守る北西の丘で見張り櫓にも最高の立地。
竹林トンネルのような階段参道でした。
カーンと乾いた大きな音が一度ならず何度も。
最初は何の音かわからなかったけど、強い風で竹がしなり隣の竹にぶつかって出る音でした。
この日は風が強かったから。
なんかもうコレで頭いっぱい。
かなり心動かされ他に久延彦社での画像一枚も撮ってないのです。
古事記にのみ記されているという久延毘古神は、
誰も知らなかった少名毘古那神の名を知って た唯一の存在。
一本足でず~っと立ってるから、定点観測する視点を持ってるとか、
鳥を追い払うふりして、実は鳥と仲良しで鳥から情報得てたとか、
風の中で風の便りも聞いてるとか、・・・
三諸山の北西の丘の高みに居て、四方を見渡して情報蓄積してたのかな。
初参拝で、記憶に刻まれたのが、竹のぶつかる音だけって、どうなん?
久延毘古神は何をお示しになられたんだろう。
今にして鳴宮というのも気になる。
参拝後、正面階段降りて、こんなとこに出るんだと初めて知る。
おおたたねこ神社に参拝して
にゅうめんと つくしご飯。
二の鳥居の左わき道入ってすぐの所。
ホントは大神神社着いて駐車後に覗いてみたら、たまたま一卓空いてた。
12時過ぎてたのでお参り前にいただいてました(^^;
でも月ヶ瀬の烏梅が気になってて頭の片隅に残ってました。
ちょうどその頃だったかTVでもその作成現場視聴しましたしね。
たまたま今日、烏梅のWikipedia見る機会がありました。
「一般的に烏梅といえば、漢方薬として主に中華人民共和国で作られて世界中に流通しているが、日本産の烏梅は、化学染料・薬剤を使わない伝統的ベニバナ染めに使われる媒染剤・発色剤」
「月ヶ瀬の烏梅製造は700年以上の歴史があり」現存する日本唯一の烏梅製造地なんですね。
月ヶ瀬って言ってたかな?今でも作り方が伝わっている所もあるようです。この記事にどう関わるのかな?
ただ二つ頭のあるみーさんに会ってきたんですよね。
そう奈良は黒白でしたよね、まだ私会えてないですけど。けど梅の方は黒になっているのかな?本当は両方白?みたやつは白でした。
さくらさんの改名と一緒ですね。この前もぐの事で思い出した神社は羽黒系でした。多分水神さん。羽白になるのかな?修験道絡みなのも確かだし、神よりは少し仏教よりだけど仏教でもない。観音に近い白雪がいいなあ。
白山よりは白木の方が好きですし、山の神は大好きですけど、白山姫はかなり苦手なので白山権現のが好きです、希望ですけど。源氏も今東京でもかなり進んできましたが色は白ですね、護っているのが摩利支天で赤なのも不思議ですけどどうもそうなっている不思議。源氏守っているのは赤なんですよね、不思議にも。
十六で猪で4×4シシなんて万葉の頃って本当自由だったんですね〜!その頃に戻らないですかね!
ルール作るとギスギスするというのも少し理解出来るようになりました。ただ明らかに人間的におかしいような事件は周りの白い目で恥ずかしいというかやらないような世界だと、文化って更に高度な歌の歌い合いになるのかしら?
ワーグナーの演目にマイスタージンガーってあるけど吟遊詩人って何?って思ってましたけど万葉の頃はみんながそんな感じでミュージカル仕立ての毎日だったんでしょうね〜。なんか今から思うと羨ましいですね。
ちょっと言ったらコテンパでまさに針のむしろになる時代で気にするから相手も気にする。相手の反応みてビクビクじゃあ出来ない世の中かも?なんか大阪っぽくも感じますよね。万葉集の和歌は自然描写だけじゃなく、人間描写もうまく表現されているんでしょうね。
蜂ですよね、どうも容姿端麗って事みたいです。
という事はスガルは、どこかから女性連れて来たんですね。スガル自体も蜂の一族ですかね?軽の関係者でもありそうですし。面白くなりそう。
今吉野やってますけど、天武って犬に追われたとかで犬は不吉だと吉野のあるあるらしいです。
あともう一個なんだったかな?万葉集の和歌に吉野を歌った物がありたぎつ河内ですって!
この頃から河内ってあるし、立地で川の内側でよく言う鼻っぽい場所でしたね、VTRでは。
万葉の頃の解明で歴史出てくるといいですね。
今クイズで毛+○でモミですって?さあ何でしょうね?
○はさんずいに彌ですよ。水と湿った土が大好きなもの?カエルのようです。ヤマアカガエルだそうです、国栖奏でも供物にされているご馳走だったそうです。
毛とカエルの接点はかなり嬉しいです、探求としては納得ですので。茨城とかもカエルがお祭りに出るし、吉野もカエルの儀式に出ますし、二見のカエルも毛の関係だと面白くなりますよ。
万葉や和歌で楽しむ機転のきく民族が注目されてきてそうですよね。そういう方々がいると揉めないんですよね。戦争なんてなくなるといいのに。
取り急ぎご質問頂いた雷丘の画像と地図をアップしました。
雷丘と北九州の雷山、なんか不思議です。
よろしくお願いします。
googleストリートマップで探し出した歌碑の写真を
筆者ブログの本文中に貼り付けていますが
この写真のところをバスで通過されたのでしょうか?
お教え願えますと助かります。
『それは雷山、柿本人麿の歌碑があり、
昨日一番最初に写真撮って記録残したのでした家に帰ったら
調べてみようと思ってました。雷、関係あるかな…』
この件は明日香から談山神社へ向かう道沿いに
歌碑があるという事でしょうかね?
Google ストリートビューでいろいろと探しましたが
いまだに見つけることが出来ないでいました。
本日コメントを読ませていただきやっと
奈良明日香雷にある小さな低い丘あたりかもしれない
ということが予想できました。
歌については以下のことで間違いないでしょうかね。
万葉集巻三235;雑歌,作者:柿本人麻呂,
[題詞]天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人麻呂作歌一首
(持統天皇が雷岳(いかづちのおか)に
御遊ししとき柿本人麻呂の作る歌)
右或本云獻忍壁皇子也 其歌曰 王 神座者 雲隠伊加土山尓 宮敷座
皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 廬為<流鴨>
(大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬りせるかも)
伊加土山尓;雷之上尓 とありますが
地名を表わすのは伊加土山ですね。
これがどこなのかは私には分かりませんが
明日香の雷山は古墳のようですが
ここが少子部連雷の墳墓であればつじつまが合いますね。
それと桑も原もおばあちゃんのキーワードです。
群馬でお蚕さんやっていたそうですけど日本由来の絹あったりしないか?ですね。絹の分析も進んでいるので当麻のも確か?中将姫に繋がると人間ウォッチの分析ではいい感じで関連してきます。まあ個人的なんですけどね。
あと昨日こっちでお世話になっているお山の名前と同じ名前のお山があったんですけど、そのお山が大阪長野と和泉あたりの境だったんですよね。さかいべのませりファンで境部とあと軽と巨勢調べていました。で雀部もどうも繋がってくるようで紀氏になりそうでそれだとうちの家族は相反すると思いきや同じルーツにもなるので超嬉しい展開なんです。うららさまもに絡んでくる思うので少し入れておきますね。ササ系です。
兵庫はその後の移動だとは思うんで、お知らせいただいた場所地図で見てみます。その境にお山があったらビンゴだと思います。ありがとうございます。
菅公(道真)の領地桑原には一度も落雷がなかったことによるらしいです。
それがどこだったか調べたら、
京都地方裁判所と京都御所の間にある道なのに、桑原町。
他に三か所伝説残されてて、
1.兵庫県三田市欣勝寺
2.大阪府和泉市西福寺
3.長野県千曲市桑原の民話
うららさま、どうも仏旗というようですよ。
で竹にも付けていたのが印象的な映像をみたので七夕とかも思っちゃいました。
竹のしなる音がまた船漕いでるようでなんかお祭りの幡って癒されると思った事あります。で不思議なのが山の上で船ですからびっくりですけど、時代や地殻変動の関係だとありですよね。磐座の形成から考えると風とお水の要因も考えられますので。
ぶつかるのはかなり怖いですしょうけどね。
で雷っての雷電絡みで納得しちゃうんですよね。井戸に隠されているという場所もどこかにあったんで。
あとタイムリーなのですけど、神様仏さまの足元ちょっと大事そうですよね。昔はどうも岩の上だったようですよ。蓮の花よりも前の信仰のようですよ。
台湾の方が蓮と仏教が日本では一体になっているのにびっくりしていたのも時期的なものから今に至る時間の中でそうなってるようにもおもうんですよね。
すると磐っていうのにも注目していかないといけないとも思います。
久延毘古神社の地形がまた凄い急激な場所。
で太陽でいうと朝日も夕日もどちらもですよね。
山の真逆もちょっと気になってきましたよ。
私もあの辺りにいって行きたかった場所に時間的に行けずで止まっている所がありますので知識と考えを少し持ってから行ってみたいですね。
雷は味方に付けて行けたらとも思います。
今日浅草に行ってきたと関係者がさっき言ってましたけど、雷神門の風神雷神とその後ろの天龍金龍と松下さんも気になってきましたよ。
そのうち本文に追記させてもらいたいと思ってますが、3/25の編集ページリニューアルで戸惑うことも多く思うようにいきません。
さて、久延彦神社にそんな位置付けあったとは。
絵馬がいっぱい掛けられた場所の奥に遥拝所あったこと、帰ってから知ったぐらいなので遥拝してません。
久延彦神社と三輪山頂を結んだ線上に磐座神社ありそうで、少名彦神いらっしゃるのわかります。
心に留めおき次回の参拝から必ず久延彦神社もご挨拶行ってお取り次ぎ願うようにします。
伊豆神社の祭りで、風でのぼりの旗が打ち鳴らす音も相まってさぞかし壮麗なことでしょう。
音って匂いと同様記憶に刻まれますよね。
でも目で見る画像と違って記録残しにくく、感じる人、わかる人にはわかるといったところでしょうか。
ところで久延彦神社側には残念なことに
今まで行かれていなかったそうですね。
狭井神社から大美和の杜にて大和三山を遥拝して
久延彦神社と若宮社に行くコースを私は推薦いたします。
あの久延彦神社の裏には三輪山遥拝所がつくられていますが
わざわざあの場所に遥拝所が造られていることには
特別な意味を感じています。
三輪山信仰に対しての取次ぎをしていただく
御神霊が鎮まっておられます。
私にとってはその御神霊は少彦名神となります。
以下のようにお答えいただきましたので、この場で共有させていただきます。
この記事への転載許可を得てませんので、ひょっとしたらこのコメントとしての投稿を削除するかもすれません。
引用ココからーーー
初めてこのことは知りましたが可能性として私見では二つ考えられます。
一つは三諸岳の神を少子部蜾蠃が捕らえてきますがそれは雷蛇神で鳴雷しました。
その後に少子部蜾蠃は少子部雷という名を賜っていますが、古い時代に少子部雷を祭祀していた可能性があります。
三輪山の東10km程度のところに雷神小部神社があります。
もう一つは智慧の神様として雷公=菅原道真を祭った時代があった可能性です。
鳴宮神社といえば菅原道真公を祭った神社が存在します。
ーーーココまで
昨日はまた奈良へバスツアーで行きましたが、明日香から談山神社へ向かうバス途中で目にとまったもの。
それは雷山、柿本人麿の歌碑があり、昨日一番最初に写真撮って記録残したのでした家に帰ったら調べてみようと思ってました。
雷、関係あるかな…
案山子のマークです。
あと久延毘古さんってなんか魔法で王子か何かにならないかな?カエルかな?とか座敷童子とか色々と思っていますけど、東京にもまずいないんですよ、多分。調べてみます。出会ったのは奈良だけで出雲にもいるんでびっくりしました。なので別名ですでにいるという可能性もないかな?と。追っている双子あたりだと面白いです。でオオタタネコさんもネコですね。そこもヤマトネコが太田氏になると東京に関わる道灌さんも気になりますよ。神田の太田姫さんも奈良と個人的なタイミングで関連しちゃうんです。全く個人的なんですけどね。
別当寺ありがとうございます。大御輪寺なら、オオミワと読みますね。大+美和で文字が変化しても意味はあまり変化なさそうなので想像出来ます。けど大昔からあったお寺みたいですね。明治だけじゃない危機なりがありそうなので研究者さんに調べて頂きたいですね。仏像の移動も含めて。相当大きなお寺が大昔からあったようですよね。それがどうして分散されたのか?かなり興味ありますね。大神氏の関係で大神でオオミワと読むのか?次回行ったら神社の方に聞いてみます。
大和って大美和を縮めた形のようにも感じますね。
大の意味はなんか理解出来てきそうですね。でそれと区別するようにヤマトとオオヤマトもなんか違うのか?この辺りは湖西の方でも気になった事あるんですとね。ヤマトタケルの関係で。
そうそうさっき別件で神奈川調べてたんですけどそう言えばあっちにも大和あるんですよ、奈良町もあるし。
じっくり研究者さんの発表待ちましょう。
あとなんでしたっけ?そうだ、崇神さんのお社があるんですね。ならばそれでしょうね。けど垂仁さんってなんか開拓者というか色々と熟考だけじゃなく改革とかも含めて色々と先例を変えたりしている特殊な方ですよね。本来変えられないもんですよ、先例は。なので先例が今に合わずで下々のために変革しているのならありがたいですよね。地位とか立場とかに固執しない頭柔らかい方だと感じます。それがその後どうなったのかも検証してみると何か分かるようにも思いますね。崇神さんとはかなり違うように思います。どちらか極端ならそうなるでしょうね、親子でも忖度じゃないけど。
キャラが違う者が絡んでいるのも今後に役立ちそうに思いますね。
あと音の件ですけど、昔伊豆神社いってお祭りの時ののぼり旗が風でしなるといい音でるんですよね。で船系のイメージを感じた事あります。
昔の港の地形じゃないのかな?あの辺り。
竹にくす玉は外せない妄想ですけど、五色と風。昔も同じ事で迷っていたのが再燃です。そうそうお酒で新種なら杉玉ですよね。まさにあれです。
お酒の発祥の地ですから杉玉ってどうなのかな?
オーストリアにもそんなのあった気がしますよ、ワインですけどね。
そちらには山田うどんという名の飲食店あるのですか。
日本橋でタニグクとセットでいそうに思えたり、クビヒコさんは関東の方が影響力あるのかも。
久延彦神社は、見晴らしよくてのどかで、いいとこでした。
でも風が強い日だったからか竹のぶつかる音で心いっぱいになり、絵馬とかもふくろうだったことしか記憶残ってないのです。
最後の?から知ってる範囲内でお答えしますね。
>大神神社の別当寺ってあったのか?
本文下から二番目の画像、おおたたねこ神社。
漢字変換が微妙だったのでひらかなで記載しましたが、大直禰子神社、若宮社とも。
明治の神仏分離までは大神神社の神宮寺(=別当寺)で、大御輪寺と称してたので、建物がお寺っぽいのですって。
>知恵なんで文殊とお水と木なんで薬師も関係してこないかな?
本地垂迹説はようわかりませんが、薬師如来はスサノヲでしたたっけ。
くすり道の途中にある磐座神社はスクナヒコナを祀ってます。
>垂仁さんをリスペクトする案内板ってありました?
垂仁天皇ではなくて、崇神天皇を祀る祠がありますが、私はいまだかつて参拝したことないのです。
神の三杉の右手に天皇社、御祭神は御真木入日子印恵命(=崇神天皇)
いつも薬井でお水賜る狭井神社の創建は垂仁天皇らしいです。
なぜか今回賜ったお水を入れたペットボトルが2本とも空になって何度洗っても内側が変で、何かがへばりついてる感じ。
ありがとうございます。嬉しいです。
狭井神社には、父の関係といっぱい石を持って行ったのでくすり道も通っているはずですけどそんな名前全く知りませんでしたよ。水と井戸とくすりって、深読みしますね。
久延毘古さんって案山子になってるので山田うどん行くと思い出します。で昔考えたんですけど相当長く同じ場所にいるとしたら大樹だったりして?確か境内に大きな木があって蛇だったかな?
それと凄い高台にあるんですよね、ベビーカーどうしたんだっけなあ?風を感じる事が出来る場所です。ランドセルのお守り頂いてきたような?お守り売り場もそこにあった気がします。
で音なんですけど、もしかして薬玉吊るしてたとかないかな?風と竹って七夕のようなイメージでくすりとお水とで。勝手な想像ですけど。
あと木のイメージも一本足なのでありますし、タネコなんて音聞くと更にそう思ってしまいます。種は風でも運ばれますが、鳥でも運ばれるんで鳥さんも関係してくるでしょう。
かなりの急階段で手すりもとても簡素でしたので強風は相当怖かったでしょうし、音にもびっくりだったでしょう。
ただきっと口が聞けなかっただけでアピールしてたんではないかな?と。久延毘古と言えばタニグクとセットで美保にもいるんでしたよね。今日は日本橋行ってきたんですけどあそこにもいそうに思うんですよね。
そうそう垂仁さんをリスペクトする案内板ってありました?場所は大きな木の右方向に小さな境内社がある辺りだったんですけど。
知恵なんで文殊とお水と木なんで薬師も関係してこないかな?そうだ明治前ってどうなっていたんでしたっけ?十一面と地蔵かなぁ?聖林寺だったかな?
大神神社の別当寺ってあったのか?それも気になってきますね。