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秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

住吉大社の綿の花

2014-06-01 | 古代史のミステリー
もうすぐ壱岐へ一泊二日の旅します。
初日に神功皇后ゆかりの宮地嶽神社に参拝するコースです。
大阪にも神功皇后ゆかりの地は数々ありますが、住吉大社が有名です。


神功皇后にご挨拶して旅の安全を祈りご加護お願いしようとすみよっさんお参りしてきました。
6/1に住吉大社行くの初めてです。

かつての拙ブログ記事より住吉大社のウンチクは




今日は第一宮で結婚式あったようです。


お守り求めて社務所覗いたら、綿の花という雷除け 初めて見ました。

何かなぁと検索してみたら、詳しく紹介されてました → こちら


6/14 に行われる 御田植神事 で花笠に付けられる飾りでした。

この画像も違うサイトより無断でもらってきました。


★6/2追記
Nさんから綿の花の画像いただきました。


それにしても、なぜ住吉大社の御田植神事の飾りが「綿の花」で雷除けなんでしょうね。

いまのところ検索重ねてもその謎は発見できません。

わかっていることは
植女は早苗を運ぶ役で、 田植えをするのは替植女より格が上。


御田植神事
「伝承によれば、住吉大社ご鎮座の際、神功皇后が住吉大神の御供田として神田を定められ、長門国(現在の山口県)から植女を召したことに始まるという。
後に植女の末裔が乳守の遊女になったという伝承があり、堺の遊女が植女を奉仕するという習わしがあった。
すでに鎌倉時代の記録には、猿楽・田楽など数々の芸能が見えており、規模も相当なものであったようである。
この伝統は永く受け継がれてきたが、明治維新に際して神事廃絶の危機にあったなか、
大阪新町の尽力によって植女の儀が復興され、明治・大正・昭和と神事継承が行われてきた。
ついには、昭和54年2月24日、神事は国の重要無形民俗文化財に指定となった。
現在は、御田植神事保存会のもと、御田講、上方文化芸能運営委員会の植女・稚児・御稔女、
住吉踊保存講演会、武者行事保存会、田植踊保存会、大阪供奴保存会などによって、神事の維持継承が行われている。」





10 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
壱岐 (mari)
2014-06-02 08:35:30
私も一回は行きたい島です。
「うに」が美味しいらしい…ゴクリ
「いか」もおいしいらしい…ゴクリ

夫の会社で働いていた職人さんの娘婿さんが壱岐の出身者でした。
美味しい話はよく聞かされました。

たくさん美味しいものを召し上がってきて報告してください…ゴックン
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何故? (N)
2014-06-02 08:57:59
何故、「綿の花」という名前なんでしょうね。
そして、何故雷避けなんでしょうか?

ちなみに、我が家の畑で撮ったほんまもんの「綿の花」の写真を送っておきます。
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mariさんへ (ulala)
2014-06-02 11:46:07
そうなんです、ウニとイカですわ。
呼子でイカの夕食、壱岐にわたりウニの昼食。
楽しみです。
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Nさんへ (ulala)
2014-06-02 11:48:53
いつもありがとうございます。
麦畑も綿の花も、街中ではめったに見れないものですから。
ネット検索で拾ってきたものより、生画像はインパクトあります。
これからもヨロシクです。

それにしても住吉大社の綿の花、不思議ですね。
きっと何らかのいわれがあってこの名前が付いたのでしょうけど。
Nさんもネットサーフィンで見つけたら教えてくださいね。
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浪花 (めねふね)
2014-06-05 00:59:14
想像だけど、綿の花=海(わた)の花=波の花=浪花?

雷よけは加茂別雷神。
母は綿津見神族の玉依姫です。

住吉大社も壱岐とつながってます。
ちとお気をつけつつ(笑)、
楽しんできてくださいね。
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めねふねさんへ (ulala)
2014-06-05 08:38:41
あいかわらず素晴らしいダジャレセンス (^_^)☆
神様もシャレがお好きですもんね。
昔から思ってるんですけど、わたつみって、
海神、綿津見、綿摘みと変換されますでしょう。
ユーラシア大陸の平原に広がる綿の海を思い浮かべます。

玉依姫は、この前大和川河口に近い土手際の田守神社に境内社ありました。
淀川は三島に五十鈴姫、この両姫の繋がりは?
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じつは (めねふね)
2014-06-09 13:12:01
玉依姫の父の加茂武角身って、豊玉姫と兄弟なんです。だから出雲ではなく、筑紫の八咫烏なんですよね。
玉依姫は豊玉姫の妹ではなく姪です。
そう。神武天皇の母の玉依姫のことです。

さらにいえば、ほんとは賀茂別雷は玉依姫の子ではなく、旦那なんです。旦那というか処女懐胎というか。
丹塗矢伝説で玉依姫は懐妊しますが、その子ではなく相手が別雷神です。子は三毛入命。

そののちにウガヤフキアエズと結ばれて神武天皇がうまれた。
神武天皇の妻の五十鈴姫とは、嫁と姑ですね。

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めねふねさんへ (ulala)
2014-06-10 20:16:47
加茂武角身って、豊玉姫と兄弟
玉依姫は豊玉姫のめい、
なるほどねぇ~ これで繋がり納得いくもんいっぱいありますわ。
それでもまだまだ不可解というか、よくわかなないことだらではありますが。

石生の水分かれにあるいそべ神社祭神の奇日方命はよっぽど伝えたいことおありのようで。
クスヒ、奇日、櫛日、櫛窓、…
三島の溝咋は想像以上に大きな存在だったような気がします。
五十鈴姫も鉄関連で日本各地で祀られていてヘェ~なんでここにと思ってました。
ややこしい系図でなかなか頭に定着しなくて。
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ランキングで (りひと)
2017-12-04 09:25:23
花笠関係するんですね!山形と繋がらないかな?
住吉さんは嬉しいですね。
また雷よけで綿、気になりますね!絹じゃないし麻でもない間って感じ。そこも必要ですね〜!
9468
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りひとさんへ (ulala)
2020-05-29 13:07:47
先のコメント返しできてませんでしたね。
ごめんなさい(^人^)
たまたまこの記事がリアルタイム検索で上位にあがってました。

日曜日に行ったのが宿院でその近くに遊郭があったという情報はもってました。
何処かは知りませんでした。

改めて、この記事読み返したら御田神事のコピペ部分に
>後に植女の末裔が乳守の遊女になったという伝承があり、堺の遊女が植女を奉仕するという習わしがあった。

この乳守の遊女で検索すると、
堺南津守(現在の堺市堺区南旅籠町。今の南宗寺のあたり。かつて乳守(ちもり)とも呼ばれた)

http://sakai-igaishi.net/女たちが体を張って生きた場所―江戸~明治期の/
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