質オザサ店主ブログ

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コスプレも素敵だったメドベデワ@フィギュアエキシビジョン

2017-04-24 | 世情雑感


セーラームーンのコスプレがめっちゃ似合ってて、お仕置きよのポーズもバッチリ👍







ロシアのモスクワでは昨日「ヒノデパワー・ジャパン2017」が開催されてて、コスプレ愛好者もたくさん集まってたそうです。

アニメのコスプレって想像以上に世界で受け入れられ楽しまれてるのですね。



昨夜のエキシビジョンではもちろん羽生結弦くんもすばらしかった。





白鳥みたいに優雅に舞ってました。
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春の珍味★鯛の白子★祝い鯛追記

2017-04-22 | 日々是好日


お造り盛り合わせの右下、真っ白じゃなかったけど鯛の白子と聞きました。
昨夜はシーズンズさんで夏の旅の打ち合わせでした。


この鯛めしには鯛の白子が上にのってて混ぜ合わせました。
2週間前に、千林の松くらさんで、組合の役員会で食しました。

今春は鯛の白子がよく出ます。
自分では真子も白子も料理したことない。
昔は鯛の真子の炊いたんを母がよく作ってくれました。
なんか懐かしく思い出しました。

★4/24追記
コメント頂戴したなっとうさんちでは、お誕生日にはご主人が釣ってきた鯛がど〜んと祝って下さるんだそうです。


わたしも子どもの頃は祝い鯛が睨んでた食卓だった、あれから半世紀!
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濠の周りには約1000本の桜@丹波篠山城跡

2017-04-20 | おでかけ・近畿


ずっと以前から篠山いこうと言うてた連れの要望をやっとかなえて、篠山へ。
昔ながらの町並みが残る河原町妻入商家群も歩かんと車でぐるぐるめぐる。


城跡の正門前の広場では桜祭りのようで大賑わいだった。
裏側に回って、無料で駐車できるスペース見つける。



馬場から中に入ってみると、ここでも駐車できたね。

立派な石垣をあがってみると






あたり一面さくら、桜満開で、桜吹雪も美しかった。
いいときに来れたね。
なんで篠山やねんと毒づいてたけど、先の記事の磯宮八幡神社といい、城跡といい、素敵でした。

篠山城は、1609年(慶長14)徳川家康が西国諸大名のおさえとするのを目的に築いた城で、大書院や城郭、石垣などが往時を偲ばせる。





青山神社は、藩主・青山家の祖霊を祀っています。
たまたま現在の青山家の当主を存じ上げてるのでちょっと調べてみたところ、自慢されるだけのことはあると納得しました。


青山氏(あおやまうじ)は日本の武家の一つ。藤原北家花山院流。江戸時代の譜代大名でたびたび幕府の要職にも就いた。

祖先は上野国吾妻郡青山郷(現・群馬県吾妻郡中之条町青山)の出身で、その後、三河国額田郡百々(どうどう)村に土着し、松平氏に仕えたとされる。記録上の初見は松平広忠とその子元康(家康)に仕えた忠門であり、その子忠成は秀忠の側近として近侍。関ヶ原の戦後、加増され大名に列した。宗家は江戸期を通じ、大坂城代、老中などの幕府要職に就き、常陸国江戸崎、武蔵国岩槻、信濃国小諸、遠江国浜松、丹波国亀山など転封を繰り返したが、1748(寛延元)年、丹波国多紀郡篠山(現・兵庫県篠山市)に移封され、6万石で維新を迎えた(→篠山藩)。忠成の三男幸成の系統は美濃国郡上郡八幡(現・岐阜県郡上市)に4万8,000石を領した(→郡上藩)。どちらも廃藩後は子爵となった。家紋は無字銭、葉菊。

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世界でたった一つのハダカカヤ@磯宮八幡神社(日置)

2017-04-19 | おでかけ・近畿






かたい殻で覆われてない実が落ちてないか探したけど見つからなかった。
鳥居右手に三本並んだカヤの大木あり、真ん中の木だけがハダカカヤらしい。
ハダカカヤの木の実を植えても育つのは普通のカヤで、世界に一本しかないんだって。
ゆえに国の天然記念物です。









八幡神社というだけあって、社紋は向かい合った鳩。




社殿後ろにも鳥居あった。




ひょうご歴史ステーションより
磯宮八幡神社は応神天皇を祭神とする神社である。社伝によると、933(承平3)年に京都の石清水八幡神社から勧進、五十神(いそのかみ)を末社としたため五十宮と称したという。護摩堂には平安時代の木造持国天立像と多聞天立像(ともに国指定文化財・重文)がある。境内には3本のカヤの木があり、うち1本は裸カヤと呼ばれる国の天然記念物である。1335(建武2)年、足利尊氏が参拝した際、カヤの実の皮をむいて植えたものが芽吹いたといい、今もこのカヤの実は堅い殻でなく渋皮だけの実をつける。



磯宮八幡神社をもっと詳しく
日置小学校の隣に鎮座し、応神天皇、上筒男命、天児屋根命の三神が祭られている。その創建は、承平三年(933)、京の石清水八幡宮より末社五十社とともに分霊されたことに始まると伝えられている。五十社にちなんで「五十之宮いそのみや」と呼ばれるようになったとも、曽地川の水辺すなわち磯の守護神ということから「磯之宮」と呼ばれるようになったともいわわれる。
建武二年(1335)、京の戦いに敗れた足利尊氏は都から脱出、丹波から兵庫に抜けて九州へ落ちていった。「太平記」には、その途中で曽地の土豪内藤入道道勝の館に寄った尊氏は、源氏の氏神でもある八幡神社へ戦勝祈願に参拝したと記されている。そのとき、社僧の勝心はお茶菓子として榧の実を差し出した。尊氏は榧の実の皮を剥いて神前に捧げ「天下平定、武運長久、願望成就と願いをかなえて下さるならば、この榧の実が大きく育って、皮の無い実をできさせ給え」と願いを込め、一粒を境内に蒔いた。その一粒は芽を出し、世界でただ一本の「裸榧」の大木に生長した。一方、九州で再起を果たした尊氏は京を制圧して足利幕府を開くと、磯宮に田畑七十町歩を寄進して感謝の意をあらわしたと伝えられている。その後、領主や武将の信仰を集め、戦国時代には八上城主波多野秀治が崇敬を寄せ保護を加えた。しかし、天正七年(1579)、明智光秀の丹波攻めの兵火によって焼失した。江戸時代になると、代々の篠山藩主の加護を受け、寛文十二年(1672)には社殿が建立された。
磯宮八幡境内に大きく育った「裸榧」は、大正時代に国の天然記念物に指定された。他方、かつての神宮寺(福乗坊)に祭られていた四天王像のうち、持国天立像と多聞天立像が国の重要文化財に指定されている。また、護摩堂には京都の仁和時開創の宇多法皇をはじめ、歴代の法名が書かれた立派な位牌が祭られている。さらに、大日如来や阿弥陀如来、不動明王等の仏像が大切に祭られるなど、神仏混交時代の名残が色濃く残っているのもこの神社ならではの特徴だ。
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ドンピシャで年に一度の入山無料日だったけど(◞‸◟)播州清水寺

2017-04-18 | 西国33箇所


西国33箇所も残すところ数ヶ寺、今年中満願いけるかも。
25番播州清水寺めざしました。

山の下のゲートで拝観料払おうとしたら、
4/16はたまたま入山料無料日でした(^^)v
仁王門まで3kmほどのヘアピンカーブ連続の山道は桜と新緑が美しい。




桜まつりだそうで数々のイベント催され、即売コーナーもあり賑わってました。








同級生の藪内君の作品が薬師堂に






朝9時前に家を出て、近畿道、中国道と快適に走行してました。
もう直ぐ舞鶴道への分岐点吉川ジャンクションやから左車線へ変更しようとバックミラー見たら、パトカー!
急いで追い越し車線から真ん中車線へ。
右に並んだパトカーは左に寄って止まりなさいって言う。


追い越し車線は追い越したらすぐに車線変えないと違反だとキップ切られました。

これからお寺詣り行くんです、
もちろんお願いしましたが無理でした(;´д`)

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