手のひらにすっぽりおさまる、ベトナムで買った小銭入れ。
普段の買物で小銭もらったらためてて、神社仏閣参る時のお賽銭にしてます。
生駒さんは、ものすごくたくさんの神さま仏さまいたはるので空っぽになりました。
初詣までに、この月火で数枚溜まった。
たぶん平成2年の初詣以来だと思います。
上ってきた階段参道を、中門から振り返ると
画像には写ってませんが、
惣門と中門の間の階段途中に鐘撞堂があります。
中門右下の青い〇で囲ったところが鐘撞堂、
境内の紫〇が鳥居。
30年ほど前、5年ぐらい続けて、除夜の鐘初詣をしてた時代がありました。
幼稚園から小学校低学年だった子供と一緒に除夜の鐘を突かさせてもらう順番待ちで並びました。
大晦日の夜10時までに家を出て、小一時間この階段参道で年越しを待つ。
しんしんと冷えました。
次の日曜12/16に、新年に向けて注連縄が付け替えられます。
どこについてるかというと
(参拝終えて帰るとき一番最後に写しました)
過去の参拝はいつも夜の暗い時間帯に来てたので、
後ろの崖に般若洞があり弥勒菩薩がおられたなんて全く存じませんでした。
鳥居の手前が本堂でお不動明王が本尊、
天神さん祠後ろには水掛け不動もいたはります。
鳥居くぐったら、鎮守社の歓喜天を祀る聖天さん。
信者さんで大般若会に入会してると、お誕生月の第2日曜にはお誕生会に参列させてもらえます。
事前申し込みで、本人だけでなく家族や友人も御宝前にあげていただけるのです。
聖天さんって太っ腹。
無事息災・家運長久を祈願し、法話も聞かせていただけます。
お昼のお弁当も美味しかったです。
箸袋に「御歯木」とありました。
続く
反正さんとか歯の神さんと関係も妄想しちゃいますね。6452
調べてみると木の種類のこだわりあったのでした。
「お釈迦様も、昔の歯ブラシである歯木を木の種類まで指定してハミガキを奨励しています。身を清めることを通じて、心を仏に近づけていったのでしょうね。」だそうです。
「今でも、私たち僧侶には大切な修行や法要がありますと、『丁子(ちょうじ)』という木の、花のあたりを小さく切ったものを口に含みまして、それをギュッとかみます。味は渋いというか、苦いというか、しびれる感じがしまして精神的に冴えてきます。で、口臭も消えますね。消えるというか、ある種の良い香りがします。落ち着いた、お香のような感じですね。きっと、仏教徒は仏さまにお祈りしたり瞑想をしていくときに、お香をたいたり、身体に香を塗ったりするばかりでなく、呼気も良いものにしようとしていたのでしょう」
またその字をスルーしないで気付かれたうららさまに感謝です。歯の神さんと木の神さんも縁がありそうですね。自然の恵を知恵があれば享受出来るってある意味そういう感性がないと出来ないでしょうね。自然の中に神的な要素があり、そうした自然と仲良くしている人たちが神との仲介をしてくれているのも嬉しいですね。
文化や風習として残してくれているのを箸袋で気付きを与えてくれるありがたいですね。
昔の漫画で木の枝咥えていた登場人物もいましたね。爪楊枝も気になりますね。天狗あたりも。
あと、鳥が枝咥えていると咥えているというキーワードも色々と妄想してきましたよ。
歯という文字も毎回ピンときちゃいますね。
木の種類も好きな物は勝手に出会ったりして頭の中に入ってきてましたけど全般的に冬休みにでもゆっくり研究してみます。1051
詳しくは
http://www.hasedera.net/blog/2009/08/post_171.html
将軍綱吉は熱心に歯を磨いたが、ブラッシングに用いる「塩」にこだわりを示した。将軍家御用達の歯磨き粉としての塩は、その当時までは、三河の国の吉良藩が納めていた。あの赤穂浪士に討ち入りされて首を打たれてしまった吉良コウヅケノスケの吉良藩。
この将軍家御用達の吉良のお塩に新しい強敵が現れ、吉良のお塩の将軍ご愛用という地位を脅かし始めたのが赤穂のお塩だった。
歯磨き用の塩として人気が出て、将軍に自慢のお塩を献上。ハミガキにこだわりを持つ将軍綱吉公は、この塩がたいそうお気に召して「お上御用達」というお墨付きまで出してしまう。
それがあの有名な「松の廊下の刃傷沙汰」に発展して、…
もとは歯磨き粉、歯というのは、こんな大事件をはき起こす火種にさえなる
あと真言宗のお寺で長谷というのも毎回のキーワードです。大とか青とか旧石器のイメージの父の方の関係なんだろうなあと。
ただその中に間違いなく、小とか赤とかも同じくらいの古い木の信仰もあるんですよね。両方揃っていそうです。
お寺の近くの古墳をちょっと覗いてみたらやりがんな系ですね。あと管玉のあり、詳しい物はあまり公表されていなさそうですけど6世紀後半で円墳で横穴式石室、石積で礫石もってかなり面白いですね。一番気になる時代に奈良と同じような民族がいそうですね。また薬師山という表現もあるので薬師的な要素もありそうですね。観音さまとお水もやはり必須でしょう。あと巨石なのかそういう遺跡への信仰もあったみたいですね。
それがまた塩という地名と絡んでくるんですから超楽しみです。
有孔円板が出たという説もあるので織物繊維も可能性あるように思いますね、素人的には。
奈良の條ウル山あたりか巨勢谷の古墳とも比べたいですね。
さくらさまがこの辺りに行っていたらまたびっくりですけど、いよいよ信州も絡んできて欲しいんですよね。そうじゃないと群馬へ繋がらないので。赤の方は長野が鍵。青の方は静岡が鍵。
巨石で行くと旧石器から縄文。全国の信仰が繋がると面白いですね。篠ノ井の篠もどうもキーワードになりそうですよね。丹波篠山の名前の変更の件もありましたので。そうだ、井が付くなら井戸もありそう。そうなると綱吉のお母様もやはり気になるでしょうね。
奈良の塩はどこからというのも奈良の古代の交流に関係してきます。候補としてあ信州怪しいですね。歯の関係なら江戸よりももっと大昔から塩の関係もあったのか?元は植物だったけど塩に成り代わっているのか?なんとなく元は同じなんですけどスポンサーが違うだけで争わされているようにしか感じないんですよね。
大石さんのブレーンがまた気になりますけど、吉良さんと浅野さんも今は仲良くしてるといいですね。お互いの地域は手を取り合ってお祭りしていますもん。
浅野さんが出てきたらやっぱり、箸頂きに行かないとなあと実感。行けたらですけどね。
生駒聖天とはどう絡むのかしら?16日が縁日らしいのでその時分かるといいなあ。8485、3512
吉良上野介の嫁が上杉から来てたっというのも、へぇ~でした。
三河湾(碧南市や吉良町や一色町など)で採れた三州塩、海側の塩が「千国街道」を使って運ばれて、塩の道。
一方、常陸から赤穂へ移封された浅野家は、赤穂に産業が無いのを憂い、塩の製法を吉良家に問い、吉良家は惜しみなく製法を教えたそうです。
当時の吉良家は、米沢上杉家に養子を送り、経済援助もしていたので財政的にもかなり苦しくなり・・・
以下詳しくは、
https://blog.goo.ne.jp/shochanshochan_7/e/d306f8efdbc54811d83d5663cb6ab36f
上のブログでは、最後にこう書かれています。
「今川・北条の『塩止め』の事実は確認されず、謙信が塩を送った事実も無い様だ。つまり、故事にならう、作り話。」