秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

不思議いっぱいの吉備大臣入唐絵巻

2013-06-02 | 古代史のミステリー
吉備大臣入唐絵巻のストーリーが予想外に面白かったと書きました。
そのまま心に留め置くつもりでしたが、
阿倍仲麻呂、野馬台詩、長谷観音が気になって調べているうちに、やはり紹介しておこうと思います。


奈良時代 遣唐使になった吉備真備(きびのまきび)(695~775)が主人公です。
同じく遣唐使で唐に渡り、現地で客死した阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)の霊(幽鬼)の助けを借りて、
唐人から出された難題に立ち向かい見事に勝利するというフィクションの数々が描かれています。

詳しくはこちらで→ボストン美術館 日本美術の至宝特別展



吉備大臣が唐にわたるも、皇帝に才能を警戒されスパイかもと案内されたところは高い楼閣。
鬼が出没して生きて出るものは居ないという場所。
やはり、真夜中、雨風が強くなった頃に一人の鬼が現れる。

正体は同じく唐に渡るも帰国せずにとどまった阿倍仲麻呂の霊であった。
(吉備は遣唐使として2回唐に渡っているので、その2回目という設定?)

翌日、使者たちが楼閣を見に行くが吉備大臣が健在なことに驚く。

唐人は真備を試すため、難しい『文選[もんぜん]』の解読や、囲碁の勝負を持ちかけるが、
この幽鬼の助けによりこれらをことごとく退けていきます。


仲麻呂の幽鬼と真備が飛行自在の術で宮廷へ向かう場面
正座で空飛ぶのもおもしろいけど、案内する仲麻呂は赤鬼さんなので顔が赤く塗られてる。


真備が聞く耳をたて仲麻呂はその後ろで柱に身をかくし見張っている場面
表情は笑えて、日本のアニメの原点のように思えます。

碁の名人と試合をさせられるも、
碁を知らない吉備大臣は幽鬼から手ほどきを受け、天井を碁盤に見立てて策を練る。
名人と初心者である吉備大臣との対局がはじまる。



吉備大臣が碁石を口に一つ含んでいるシーン


吉備が辛勝して納得のいかない名人側が碁石を数えると一つ足りないことに気づく。
そこで占い師に調べさせると「吉備大臣が一つ飲み込んだ」という。

唐人たちは吉備大臣に下剤を飲ませ、排泄物の中まで碁石を探すが、
吉備大臣は超能力で内臓内に石をとどめて難を逃れた。

このシーンの絵も面白いです。
あまりの臭さに鼻に指を突っ込んでいます。



そして最後の難問は「野馬台詩」解読。
流石の真備も文字列がばらばらなこの詩を解読できず途方にくれます。
長谷観音・住吉神に祈りを捧げたところ、
天から蜘蛛が降りてきて詩の上で糸を吐いて歩き回わる。
その糸を辿って読むと無事解読できて、めでたしめでたし!
観音様から使わされた蜘蛛の糸が真備を救ったというお話でした。

こうして難題を無事解決した吉備大臣は、
日本に「文選」や「囲碁」「野馬台詩」を持ち帰ることができたという。



京都の黒谷金戒光明寺では吉備観音像(重文)も拝観できます。
真備が唐より持ち帰った栴檀香木で、行基に頼み観音さまを刻んでもらったそうで、
この縁起によりこの観音さまを吉備真備に因み『吉備観音』と呼ばれます。
囲碁の白黒にちなんだおもしろい御守りも賜ることができます。




野馬台詩って何?
なぜ、長谷観音・住吉神に祈ったの?
長谷観音とはいったい…?


野馬台詩(やばたいし、やまたいし)とは、わずか十数行120文字の予言詩
9世紀初頭に中国より伝来,近世・近代に及ぶまで、さまざまな解釈を加えられ未来記として読まれ続けられた。
詳しくは、野馬台詩と蜘蛛の糸などでご検索下さい。
いろいろヒットして、へぇ~です。

長谷観音については項をあらためます。


実家には、古い掛け軸がありました。
子供心に気になって、おばあちゃんになんて書いてあるのか尋ねたら

天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも

わずか小学生の頃になぜか阿倍仲麻呂さんが身近な存在だったのです。
去年、実家を片付けたときに見つけたので処分前に撮影しておきました。




阿倍仲麻呂が遣唐留学生として真備らとともに入唐したのは
平城遷都から間もない養老元年(717年)のこと。
仲麻呂はまだ19歳でした。

その後真備と玄ぼうは帰国しますが、仲麻呂は唐にとどまりました。
楊貴妃でおなじみの玄宗皇帝が仲麻呂の才能を愛して手放さなかったからだといわれます。

仲麻呂は官僚試験に合格して玄宗に仕え、李白や王維などの文人とも交流がありました。
仲麻呂が30年以上滞在した唐から日本に戻ることになったとき、
帰国を惜しんだ王維たちが送別の宴をひらきました。

その際に詠まれたと伝えられるのが百人一首のこの歌。


天の原 ふりさけみれば 春日なる
三笠の山に いでし月かも



空を仰ぎ見ると月が出ているが
あれはかつて春日の三笠山に出ていた月なのだなあ


34 コメント

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吉備大臣入唐絵巻 (悠々美術館)
2013-06-02 18:24:12
絵巻物冒頭の阿倍仲麻呂が赤鬼となって
登場することが衝撃的でした


「度肝を抜かれた」といっていいほどです

うららさんの解説
面白かったです
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悠々美術館さんへ (ulala)
2013-06-03 06:02:13
ありがとうございます。
面白いストーリーでしょう。
実話に基ずくのか、全くフィクションなのか、、、
続いて、長谷観音を書く予定、また見て下さいね。
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Unknown (TM)
2013-06-04 23:38:01
吉備大臣入唐絵巻は面白かったですね。皆じっくり見るので列がなかなか進まなかったけれど、そのぶん細かい部分が分かって良かったです。展覧会があった東京国立博物館の国宝室の展示も絵巻で、こちらも素晴らしいものだったんですが、何ていう絵巻だったか忘れてしまいました。
阿倍仲麻呂といえば、西安の公園(←名前を忘れました。何でもすぐ忘れますわ)にあった記念の歌碑を思い出しました。
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TMさんへ (ulala)
2013-06-05 07:38:53
今まで美術館展示などで絵巻を見ても部分的に絵を見ててただけでした。
今回はボストン美術館展のサイトで詳しく説明されていたので、ストーリーを追いました。
日本アニメの原点ココに見たりって感じしますね。
話も絵も面白かったです。
そしてその内容の意味深なこと。
なにか裏にも伝えたいことあるのかしら?
出雲旅行記一段楽したら、長谷観音について書きますのでまた見てください。
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鬼について (坪島 弘幸)
2014-12-29 14:34:51
北海道登別市に住んでいます。鬼について調べることがありまして、たまたま、この吉備大臣入唐絵詞を知りました。これ以前に、国内外を問わず鬼が登場する文献、或いは絵物語のようなものがあるのかどうか、もし、ご存知でしたら、お教え頂ければありがたいのですが?!
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坪島 弘幸さんへ (ulala)
2014-12-29 14:50:09
はじめまして、ようこそです。
鬼、についてまったく詳しくないのですが、
古代史のミステリーをおっかけてると時々出てきますね。
葛城の一言主さんは役行者とのエピソードの中で鬼出てきましたよ。
桃太郎の鬼は吉備の温羅(ウラ)ではなかったですか?

以下のようなデータベース見つけました。
ご参考になれば幸いです。
「国際日本文化研究センター 怪異妖怪データベース」
日本民俗学の文献から集められた怪異・妖怪伝承についての35,826件の書誌情報

http://www.nichibun.ac.jp/cgi-bin/YoukaiDB2/areaList_n.cgi?Name=%E3%82%AA%E3%83%8B&Pref=&Area=%E5%85%A8%E5%9B%BD
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ランキングで (りひと)
2017-09-23 08:23:00
安倍仲麻呂さんの記事ですね。この方凄い方で執着されるくらいの方だったんでしょうね。後に彼のおかげで日本に戻った方に何かを伝えたんでしょうね。

で赤鬼ってぴったりですね。縁の下の力持ち的ですね。真備さんとは青と赤っぽい。真備さんも最後は大変な時代もあり、以前行った講演会の講師の方は、太宰府に逃げて大陸に渡ろうとしていたって?日本は相当怖い時代だったんでしょうね。

で安倍氏って以前からどこから出てきたのか?調べてますし、晴明さんもいまいちで私の中では疑問??怨霊押さえるよりも怨霊の原因をうまく解消する方が好みなので。天国にいったらそんな執着ないはずなので、落ち度も理解してるはずだし。まあ素人なので甘いんでしょうけどね。

阿倍野比羅夫さんとだと安曇比羅夫さんのが好きですね。ただ仲麻呂は人をフォロー出来る人格と知識を持つ裏の実力者。お母さんが誰か知りたいですね。そう安倍氏の関係でもお母様が不明ってのがあるのでそうすると女系のネットワークのが尼寺関係でも凄いんじゃないかと。金山彦にも似てきますね。文殊菩薩が好きだけど二つの古墳みたいけど文殊院にはそこがはっきりしないといけないんですよね、相性で。

平安は怨霊との戦いなんて時代であったみたいですけど怨霊になる原因をとらないとずっと今でも続いてくるようにも思います。そこを各自やってくれている使命を持った方もやっています。

安倍内麻呂さんの娘もただならぬ気配ですけど奥様が不明、なんとなく女系一族のような気がします。であるならばその女系の位置をきちんと評価していかないといけませんね。

安倍氏へも悪く思わないようにしているんですが、晴明のお母さんの狐だかの件でもハルカス登って疑問が出てきてます。で頭の良さと知識を外交使として活躍できる素質はあるのですが、やはり男の場合は赤に染まり易い。なので独断で暴走しないために青が必要。

おそらく女系の青があるんだろうとは思ってます。あとお水や船との接点も必要だとも。というのも海を船で渡り移動するのに適した民族なのは確かなので。

で外交も相手を怒らせる外交は素人でも出来るはず、そんな天賦の素質があるなら相手を暴走させたり煽らない外交をしていたら東北とも仲良く出来たはず。(歴史ではどうかな?)日本も戦いばかりしてきた国にはならなかったはず。

蘆屋ドウマン派なのでそう思うのかもしれませんけど。持って生まれた感覚上の好みなのでどうしろとも言えずです。

外交官で言うと葛城襲津彦さんが人間として実在したと言われる人物の始めとこの前聞きましたけど彼の家系もおそらくそうで、武力どうこうでなく知恵と知識と言葉(当時どうやって意思疎通していたんでしょうね?)でうまくやっていたはずです。

もっと古くいえば、奴国は邪馬台国よりも前にまた武王は南朝にヘルプしたりしていた背後に外交が上手な民族がいたはずです。
戦わずしてうまくお互いのウィンウィンをしていたはず。

いつから戦い始める事になるのか?
麻呂って付ける事での説ではあまり良い名前を付けるより最初からあまり良くない名前を付けて災いを避ける精神や文化が継承されているようにも。日本の因果法則も、祓いの重要性も理解している一族が女系で絡んでいるのはある意味感覚としては理解出来そうに思います。

この時代の名字は怪しいですよね。クガカタも名字を偽称する人が横行下から釜の湯に手を入れてなんて事もしていた時代もありますね。そして一番ネックは、本人が知らない事。ワーグナーでもそうですけど恐れを知らないから強いんですよね。知らないで過ごして後悔するならば、知ってうまくかわす現世の方がみんなが幸せになれるように思います。

真備さんの仲麻呂が付いていた事や数々の試練をくぐり抜けられているという説は、作品がなければ伝わってもこなかったはず。文化継承は、作品に込められているんですね。
本物にダイレクトに会って作者の意図がどうなのか?いつか確認したくなりましたね。3440、6752
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りひとさんへ (ulala)
2017-09-23 17:09:54
>やはり男の場合は赤に染まり易い。なので独断で暴走しないために青が必要。

昨夜NHKのヒストリアで葛飾北斎は青で、娘の応じ為は赤だと聞きました。
「おんなは赤で輝く!北斎の娘…」というタイトルだったので、りひとさんご覧になってるかなと思って視聴してました。

以前オランダ行ってから、レンブラントの赤、フェルメールの青、ゴッホの黄色と3つの記事を書きました。
このレンブラントの赤と同様、北斎の娘お栄(後に雅号応為)は赤の使い方と光の表現が上手かったそうです。
ジャパンブルーに長けてた北斎の作品の中で、赤が象徴的なものは娘さんが描いてたり手を加えてるのがわかってきたと言ってました。
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観てました。 (りひと)
2017-09-24 20:58:21
つけてたんですけどこの番組好きなのに時間も分からずでたまたまやってました。
面白かったのが北斎さんが超嫌な感じの方だったみたいですね!でも職人さんってそんなもんかと。青っぽい。で後ろ姿とかで盗まないと教えてなんて事もない。人間との付き合いは苦手で若干怖い存在かとも。でそれをフォローなりするのが娘さんかな?
作品もありそうなので調べたくなりましたね。

北斎さんとは縁ありそうですのであまりにテレビでの印象があまりに凄かったので先入観も打破して新しい認識で理解したいと思います。

妙見さんとは縁ある方ですね。引っ越し魔だったのも面白かったですね。名前を変えているのも興味深いです。

ブルージュの青い絵の具の方も大好きなので川や運河も青には関係ありそうに思いますね。
青い絵の具は鉱物由来でしょうし。

北斎の娘さんがあれみて超気になりました。
今後掘ってみたいですね。1763、1811
ただ青は妥協を許さないので人間には怖い部分ありますね。北斎さんのように。
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りひとさんへ (ulala)
2017-09-26 13:10:14
>ただ青は妥協を許さないので人間には怖い部分ありますね。

青は色調が変化しても本来の個性を保ち続ける唯一の色彩だ、とデュフィは思ってた…
3年前にあべのハルカス美術館でデュフィ展みたときに書きました。
http://blog.goo.ne.jp/goo3820/e/1474e48e612adad1baf4bda8c6ad587a
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