ルーマニアのお札には200レイという紙幣があります。
その裏面中央に、オークの木と古い水車小屋、
背後には「虹」と紀元前5世紀頃の新石器時代後期に考案された「車輪」
左側にロダンの考える人みたいなブロンズ像。
これが気になって調べてみたら、
「 thinker_hamangia / ハマンジアの考える人 」
というルーマニアの新石器時代中期の作品でした。
1956年にチェルナボダ(コンスタンツァ県)から出土した男女の像でした。
なんと紀元前5000年ぐらい新石器時代のブロンズ像ですって!
日本にも縄文時代の土偶有名なのいっぱいありますが
↑これは日本の青森県八戸で出土した合掌土偶
縄文時代後期後半(約3,500年前頃)のものらしいです。
これよりもさらに1500年も前に、考える人のブロンズ像って
造形的にもなんかオーパーツみたいにも思えてきます。
画像は不鮮明ですが、哀愁漂う哲学的思索的表情をしているように見えます。
★ハマンジア文化とは
ドナウ・デルタを含むドナウ川下流域から黒海にかけての一帯
ドブロジャ(ルーマニア語)もしくはドブルジャ(ブルガリア語)地域に、
後期新石器時代のBC5250~4500頃に栄えていたハマンジア文化。
後にルーマニア南中央部に興ったボイアン文化に吸収された。
銅、農耕、家畜飼育がおこなわれ始め、北のトランシルベニア地方、北西のモルダビアに拡がった。
古代ローマ時代、ドナウ川を越えてまで北側への拡張を狙った理由は、
ルーマニアで産出される金であったそうです。
ローマ皇帝トラヤヌス(在位98―117)は106年、ダキア王国をダキア属州として併合。
ローマ化が進み、ローマのような、という意味を込めた国名となった。
普通は征服前の先住民族に帰属心を求めるのに対し、
現代のルーマニアも、トラヤヌスに率いられた兵士や植民者の末裔に帰属心を持つのが主流となっているのは珍しい。
その後、中央アジアの様々な民族から、モンゴル、トルコ、ロシアと続き制圧されます。
コマネチと故チャウシェスク大統領、
そしてドラキュラしか知らなかったルーマニアは
東欧の片田舎の貧国のイメージしかなかったのでした。
そのドラキュラ伝説も、古代ルーマニアから続いているものだそうです。
古来からの宗教や文化が、キリスト教やスラヴ民族と混ざりあう過程で
異なる宗教と文化における矛盾をかかえていたのでしょう。
そして外からの人々の流入により、新たな疫病が持ち込まれ不可思議な死が増加したことに対する答えとして吸血鬼伝承が生まれたと考えられています。
さらにユダヤ人迫害の思想とかぶる部分があるそうです。
詳しくは吸血鬼考で→こちら
その後、ルーマニアはナチ以外で絶滅収容所を作った唯一の国です。
恐ろしい次のような事件も起こっています。
1941年1月22日ルーマニアの「大天使ミハイル軍団」は
ブカレスト南部にある市営の屠殺場で200人のユダヤ人を自動化された流れ作業の機械にかけて頭、腕、脚を切断した。
20世紀初頭は「バルカンの小パリ」と言われる程、美しい町並みを誇っていたそうです。
現在では旧市街のごく一部と、凱旋門に続く通りに沿って面影を残しています。
古い教会や歴史的な建造物は、独裁を続けた共産党の手によって破壊されてしまいました。
故チャウシェスク大統領の野望を形にしたような、旧共産党本部、国民の館など巨大な建造物が建てられました。
馬鹿でかい国民の館は初日に観光、館内観光にはカメラ代10ユーロが必要でした。
せっかくなので次回にレポートし記録に残しておきます。
1989年12月、一般市民の虐殺と大統領の処刑という流血革命から20年以上が過ぎました。
2007年から欧州連合に加入しています。
その裏面中央に、オークの木と古い水車小屋、
背後には「虹」と紀元前5世紀頃の新石器時代後期に考案された「車輪」
左側にロダンの考える人みたいなブロンズ像。
これが気になって調べてみたら、
「 thinker_hamangia / ハマンジアの考える人 」
というルーマニアの新石器時代中期の作品でした。
1956年にチェルナボダ(コンスタンツァ県)から出土した男女の像でした。
なんと紀元前5000年ぐらい新石器時代のブロンズ像ですって!
日本にも縄文時代の土偶有名なのいっぱいありますが
↑これは日本の青森県八戸で出土した合掌土偶
縄文時代後期後半(約3,500年前頃)のものらしいです。
これよりもさらに1500年も前に、考える人のブロンズ像って
造形的にもなんかオーパーツみたいにも思えてきます。
画像は不鮮明ですが、哀愁漂う哲学的思索的表情をしているように見えます。
★ハマンジア文化とは
ドナウ・デルタを含むドナウ川下流域から黒海にかけての一帯
ドブロジャ(ルーマニア語)もしくはドブルジャ(ブルガリア語)地域に、
後期新石器時代のBC5250~4500頃に栄えていたハマンジア文化。
後にルーマニア南中央部に興ったボイアン文化に吸収された。
銅、農耕、家畜飼育がおこなわれ始め、北のトランシルベニア地方、北西のモルダビアに拡がった。
古代ローマ時代、ドナウ川を越えてまで北側への拡張を狙った理由は、
ルーマニアで産出される金であったそうです。
ローマ皇帝トラヤヌス(在位98―117)は106年、ダキア王国をダキア属州として併合。
ローマ化が進み、ローマのような、という意味を込めた国名となった。
普通は征服前の先住民族に帰属心を求めるのに対し、
現代のルーマニアも、トラヤヌスに率いられた兵士や植民者の末裔に帰属心を持つのが主流となっているのは珍しい。
その後、中央アジアの様々な民族から、モンゴル、トルコ、ロシアと続き制圧されます。
コマネチと故チャウシェスク大統領、
そしてドラキュラしか知らなかったルーマニアは
東欧の片田舎の貧国のイメージしかなかったのでした。
そのドラキュラ伝説も、古代ルーマニアから続いているものだそうです。
古来からの宗教や文化が、キリスト教やスラヴ民族と混ざりあう過程で
異なる宗教と文化における矛盾をかかえていたのでしょう。
そして外からの人々の流入により、新たな疫病が持ち込まれ不可思議な死が増加したことに対する答えとして吸血鬼伝承が生まれたと考えられています。
さらにユダヤ人迫害の思想とかぶる部分があるそうです。
詳しくは吸血鬼考で→こちら
その後、ルーマニアはナチ以外で絶滅収容所を作った唯一の国です。
恐ろしい次のような事件も起こっています。
1941年1月22日ルーマニアの「大天使ミハイル軍団」は
ブカレスト南部にある市営の屠殺場で200人のユダヤ人を自動化された流れ作業の機械にかけて頭、腕、脚を切断した。
20世紀初頭は「バルカンの小パリ」と言われる程、美しい町並みを誇っていたそうです。
現在では旧市街のごく一部と、凱旋門に続く通りに沿って面影を残しています。
古い教会や歴史的な建造物は、独裁を続けた共産党の手によって破壊されてしまいました。
故チャウシェスク大統領の野望を形にしたような、旧共産党本部、国民の館など巨大な建造物が建てられました。
馬鹿でかい国民の館は初日に観光、館内観光にはカメラ代10ユーロが必要でした。
せっかくなので次回にレポートし記録に残しておきます。
1989年12月、一般市民の虐殺と大統領の処刑という流血革命から20年以上が過ぎました。
2007年から欧州連合に加入しています。
ルーマニアの考えるブロンズ像を見ていると、あの時代の人類と現代の人類に大きな差はないような気がします。
海外旅行をすると、今まで全く知らなかった歴史や文化に触れることができますね。
その思いを汲み取っていただけてうれしいです。
第二次世界大戦中のユダヤ迫害施設や事件のこと全く知りませんでした。
戦後共産体制からチャウシェスクの独裁はなんと北朝鮮が目標だったんだそうです。
何と不思議な国なんでしょう。
次回チャウシェスク元大統領を記事にしますのでまた見てください。
日本のもすごいですが、海外にも負けず劣らずのがいっぱいあるものなんですね。
ルーマニアの旅の予習で金の腕輪を紹介しましたが、あれも驚きました。
しかし今回のブロンズ像もびっくりですわ。
ルーマニアに行くことなければ、調べることもなかったのでいいきっかけになりました。
ところで錦糸町にはロシアパブやルーマニアパブあるそうですね。
でも知らない人は、錦糸町と聞くと危ない雰囲気を感じるようです。いちおう副都心なんですけどね。
だから知らない所の方が多いですが、錦糸町もその一つ。
いろんな国の人が昔から暮らしているということは、それだけの理由あるのでしょうね。
海外からの移住者が住居を決めやすい何かがあるのかな。
交通至便などの他に、際立った特徴あるのでしょうか。
チャウシェスク大統領の場面が
公開されたために
腰が引けていました。
ルーマニアの凱旋門も
なかなか立派なものですね。
先週の大雨で和歌山市も被害でてますが、大丈夫でしたか。
チャウシェスク元大統領って、北朝鮮が目標だったと聞くと、さらに腰が引けますよね。
そして先週は前大統領が自殺を図ったそうで…
近いうちにチャウセスクが残したものを記事にする予定です。
また見てください。