秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

メダルをとるには

2010-07-19 | 少林寺拳法
昨日は少林寺拳法・大阪府民大会、団体演武に6名で参加してきました。
出番は午後2時半頃でも、会場統制手伝いのため集合は大阪市立体育館に朝7時。
5時起きでスタートしたハードな一日でした。

午前中に予選があり、午後1時開会です。
12時半には全拳士がアリーナで整列しないといけません。
こっそりカメラを道着にしのばせてたので、
  

  

30代半ばの3人と、すでに疲労がではじめているシニアの私。
右ひざが腫れているのでサポーター装着、正座が苦しかった。
6名の平均年齢を45歳以上にぐんと引き上げた後2名は、前の方に居たので撮影できませんでした。
きっと宗由貴総裁のお顔を間近で拝顔したかったのでしょう。

鎮魂行、模範演武、来賓挨拶など一通り終了して、「熊野鬼城太鼓」の披露がありました。
とても勇壮で迫力があり、まるで陣ぶれ太鼓のように鼓舞されました。

  

  

三重県熊野市で昭和63年に始められたようですが、
古代、坂上田村麻呂が成敗した多我丸という海賊に由来する歴史があります。
大和が日本を制圧していく時に、伊勢・鈴鹿・紀南の抵抗勢力に手こずったようで、撃ちもれた多くが熊野の山奥や岩場に隠れたのでした。

鬼ケ城に追い詰められて、しかし勝利をあきらめない鬼達の心の昂ぶりを表わした太鼓。
この戦いの模様を表現されているため、太鼓の音を聞いているとアリーナの拳士たちの士気もおのずと高まります。

ところが残念なことに、この後予選を通過したものの氏名を延々と発表されて、実際に本選が開始されたのは2時半ごろになっていました。
なんと2時間もアリーナの床に座らされていたのでした。
せっかく皆テンションあがったのに、最後はウンザリでした。

本選1の18コートでは中学生と一般の団体演武が行われました。
  

中学生のノミネートは8団体で、一番最初のグループを撮影。
一般はわずか3団体のノミネートなのに、当日は1つが棄権され2つに。

学生と違って一般となると、皆仕事もあり同じ時間に集い稽古を重ねるのが難しいのです。
団体演武は一挙一足、発生気合もすべての動きを団体で合わせます。
それでなくとも私達守口三郷は平均年齢が45歳をこえていて体力が落ちスピードが衰える。
仕事を終えてからの練習だし参加できない日もある。
そのためシンプルな技で連攻も短いものにしました。

それでも1分半から2分の間におさめないと減点されます。
時間を稼ぐために残心を長くしても、次の攻撃が同時でないといけないので待つ時間のカウントを合わせるのに苦労しました。

  
応援してくれてた同じ道場のK氏が画像送ってくれました。
ありがとうございます。
  

ほんの数点上位に届きませんでしたが、大差をつけられることなく2位になりました。
表彰式で無事メダルと賞状を授与されたそうです。
私は母が急変してヤバイと連絡が朝一で入ったため、演武してすぐに会場を後にしました。

わずか2団体の2位でもメダルはメダル、入賞の記録は残ります。

かつて親子演武というのができた1991年、小学校1年で始めた長男が4年生になっていて親子でノミネートしました。
このときもわずか4組で、無事3位に入賞し全国大会に行けました。

そしてマスターズの部(男性は演武者二人の年齢足して80歳以上、女性は70歳以上)ができた2001年もここでノミネート。
このときも無事1位通過で全国大会行けました。

弱いもの上手でない下位者であったとしても、
それなりにうまくノミネートすれば、入賞も可能だし、全国大会も夢ではないという、姑息な?アドバイスでした。

そのうち3世代という孫と一緒の演武ができるにちがいないと、
その時にはエソラと一緒に全国大会狙いたいです。