岡山のお土産といえば、このきび団子。
先週岡山・後楽園中の茶店で、元祖きび団子を買ってきました。
きびだんごといえば桃太郎。
市内あちこちで、桃太郎のオブジェや看板を見かけました。
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邪馬台国畿内説は、奈良の纒向(まきむく)遺跡の箸墓古墳を卑弥呼の墓とします。
ここから、吉備地方に淵源をもつ特殊器台・特殊壷が出土し、
箸墓古墳の被葬者は、吉備地方と関係が強い人ではないかといわれています。
普段暮らしている場所から少し離れた地方の歴史って
ほとんど知らずに過ごしています。
きび、吉備に興味がわいたので調べてみました。
まず、前方後円墳とは、
前方後円という墳形、墳丘に葺石をもつこと、
竪穴式石槨、特殊器台・特殊壷などが要素となっているようです。
吉備国発祥らしく、それまでの大和の弥生社会の伝統にはないものだそうです。
詳しくは →
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大阪平野の堺市には仁徳天皇陵があります。
世界最大規模の前方後円墳です。
早く発掘して、謎の4世紀をすっきりさせてほしいものです。
河内王朝と対抗する勢力を持っていた吉備国。
吉備の弥生墳丘墓から、突如大和の前方後円墳へと移っていき、
その後河内に仁徳天皇稜などが築かれていますが、
その境目に、吉備の造山古墳があるとか。
4~5世紀の空白の大和朝廷黎明期は、
どのような経緯があったのでしょう?
それまで丘に過ぎなかった墳墓から前方後円墳への変化、
祭祀用具の代表であった「銅鐸」が突然、製造中止、
青銅が中心だった金属器から鉄器への移行、
この時代から馬具や埋葬された馬の骨が大量に出土されはじめることなどから、
「騎馬民族征服王朝説」はあまりにも有名ですね。
ゲルマン民族大移動だって、4世紀でした。
地球規模で気候の大変動などがあり、民族は大移動したのかもしれません。
弥生時代後期の祭器を共有する6集団
倉敷市の北に広がる吉備路はかつて「吉備王国」があったとされる遺跡地帯です。
ここに吉備津神社があります。
行ったことないけど、
桃太郎のモデルといわれる勝者の吉備津彦命が祀られていて、
敗者となった鬼の存在である温羅とその弟も祀られているそうです。
比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)という珍しい社殿は、
歴史の闇に葬り去ることができなかった温羅の威光を垣間見ることができると説明されていました。
民話「桃太郎」のルーツともいえる温羅(うら)伝説
詳細は →
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中国山脈では砂鉄が産出し、武器、農具が多くつくられました。
出雲と並んで大和に対抗していて、
3世紀後半から4世紀にかけての崇神天皇時代に吉備津彦命が派遣され平定されたそうです。
この崇神天皇の御代をもってその記述がより具体性を持ち、
実在と推測できる根拠が多いとされています。
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