野田総理・岡田副総理のウソつきは泥棒の始まり

2012-03-09 09:12:41 | Weblog

 「ウソつきは泥棒の始まり」という諺は多くの邪事(よこしまごと――道理に外れたこと)がウソつきの性格を端緒としていることから夢々ウソをつくなという戒めを含んでいるはずだ。

 野田首相や岡田副総理の発言にあまりにウソが多く、二人に「ウソつきは泥棒の始まり」という言葉を冠したいばっかりにこれまでも野田社会保障制度が不完全であることを何度も書いてきたが、改めてその不完全さやその他が二人に強いることとなっているウソ発言を取り上げてみることにした。

 3月6日(2012年)衆議院予算委員会。社会保障と税について集中審議が行われた、その午前の質疑。

 岡田康裕民主党・無所属クラブ「閣議決定した大綱の中に(消費税の)逆進性を踏まえて2015年度の番号制度の本格稼働定着実施を念頭に関連する社会保障制度の見直しや所得控除の抜本的な整備と併せて、総合合算制や給付付き税額控除など再配分に関する総合的な施策を導入するとしています。

 この施策の実現までの間、暫定的な臨時的措置として簡素な給付措置を実施すると明記されていますけど、この文章をストレートに読むと、これはかつての平成元年の消費税導入時と平成9年の(3%から)5%への引き上げ時にワンショットで1年だけ臨時福祉特別給付金を1万円ずつおカネを配ることをなさっております。

 配られた対象は生活保護受給者の方だったり、福祉年金受給者であったり、児童扶養手当受給者であったり、70歳以上高齢低所得者の方と。これは住民税非課税措置をされている方々です。

 平成9年の消費税引き上げ時は65歳以上の高齢低所得者の方であったりと。そういうふうに1万円配っていたりする。

 この制度のことを思い返すような大綱の書きぶりなんですけども、この時は1年ポッキリのワンショットです。その理由を聞いていけば、年金給付とか生活補給部が物価スライドしてくるところが1年ぐらいタイムラグあるので1回だけやったんだという理屈なんだろうと思うが、この大綱の書きぶりからすると、給付付き税額控除というのができるまでの間、何年かこういうことをするというイメージですけれども、そのあたりはそういう理解でよろしんでしょうか」

 岡田副総理兼社会保障と税の一体改革担当相「これは委員、あのー、いま読み上げられたとことにも書いてあることでございますが、あのー、詳細な制度設計はこれからでございます。

 で、給付開始時期とか対象範囲、基準サービスの考え方、財源の問題、そういったことについて今後検討していくということであります。

 ただ、あー、我々がこういった簡素な給付措置を考えました。あー、その理由は今委員、ご指摘されたとおりですが、総合合算制は、あるいは給付付き税額控除、こういった、ま、いわゆる恒久的な制度を入れるに当って、これはやはり番号制度、マイナンバー制度などが、念頭にありますので、少し時間がかかると考えておりますので、まあ、そういった、あー、なんて言いますか、そういったことを含めて、えー、詳細な制度を考えていかなければならない。

 従来型の1年だけの、オー、まあ、何て言いますか、バラマキ型と言ってしまっていいかどうですか、ま、そういったものとは違ったものになるのでないかと思っています」
 
 岡田康裕議員の質問時間はこれで終わり。

 岡田副総理の答弁を要約すると、野田内閣の社会保障制度の「詳細な制度設計はこれからで」、恒久的制度とするには、「詳細な制度を考えていかなければならない」から、「少し時間がかかる」ということになる。

 いわば完成前で不完全だと言っている。

 不完全なのは大綱自体が「検討します」、「見直します」といった将来的決定事項の言葉を氾濫させていることからも分かっていたことだが、不完全であるにも関わらず、「社会保障と税の一体改革」と称する以上、両者は内容決定に関して相互対応した一体性を備えていなければならないはずだが、社会保障制度の中身が決定しないうちに片方の消費税の増税率とその税収の配分対象と配分比率、さらに増税時期のみを早々と決定させてしまったことは「一体改革」というスローガンをウソにするだけではなく、野田首相や岡田副総理が「一体改革だ、一体改革だ」と言ってきた言葉までがウソだったことを証明するはずだ。

 つまり二人はずうっとウソをついてきた。勿論二人だけではないが。

 ウソをつく政治家は信用できるだろうか。

 社会保障制度の「詳細な制度設計はこれからで」あるなら、まずは完成した設計図を国民に示すべきを、完成もしていないのに国民の理解を得ると称して新聞広告に3億円ずつ2度、計6億円も使った。

 内容が不完全な社会保障制度を6億というカネをかけてまでして国民から理解を得るという逆説を伴った行為は詐欺そのもので、ウソつきは泥棒の始まりと言うようにウソから始まって詐欺にまで到達した一例と言える。

 このことは同じ趣旨で関係閣僚が全国展開している対話集会についても言える。「詳細な制度設計はこれから」だという不完全な社会保障制度を担保にした消費税増税を、不完全な社会保障制度と共に理解してください、賛成してください、支持してくださいと訴えているのだから、ウソを言っていると同時に詐欺としか言いようがない。

 いや、欠陥商品を高額で売りつけて消費者から大金をふんだくるのと同じで、不完全な社会保障制度で国民から消費税を出させるのだから、もはや泥棒と言える。

 ウソつきは泥棒の始まりどころか、泥棒となるは目前である。

 同じ日の午後の質疑。

 坂口力公明党議員「政府・民主党は年金一元化(所得比例年金と最低保障年金の一元化)の試算を発表しないことにした。論議を重ねてマニフェストにも書いたし、詳細な試算を出した。

 拝見したが、かなり詳しい試算だと思っているし、十分な分析だと思う。マニフェストに書いてあるのだから、その前の党内でも議論を尽くして合意を得て、マニフェストに出した。

 しかし試算を発表しないことにしたのはどういう意味なのか。ちょっと使いものにならないと思ったのか、そうではなくて、5%の消費税の話を言っているときに別途7.1%の、消費税に換算してのお話だが、7.1%が必要になるというような議論をするのは議論を混乱させるから先送りしようということになったのか、その辺の事情を総理からお聞かせいただきたい」

 岡田副総理兼社会保障と税の一体改革担当相「今、ご指摘の、おー、議員の発表しないことにしたというのは、最近の話をお指しになったというふうに理解いたします。

 えー、まあ、党の中の一部で、えー、試算をしたものがあったと。

 おー、ただ、それは党として、えー、何か決定したものではなかったと、いうことが先ずございました。私は当時幹事長でしたが、試算したことは自身も知りませんでした。しかしその数字が、あー、メディアなどを通じて明らかになったと。

 えー、但し、どうしてもメディアの扱いも含めてですね、消費税7%とか、まあ、あの、4つのケースがあるにも関わらず、その4つの、ま、一番手厚いものが、しかもすぐに上がるような印象を持って伝えられましたので、少しこれは一区切り置いた方が混乱を招かないだろう、ということで、えー、とりあえず試算は、あー、先送りすると発表は、いうことにしました。

 結果的には約1週間経って、そういう報道も少し収まったところで、えー、そういうものが、えー、あるということについては党の方から発表させていただいたと。

 勿論それは党が決定したものではないという、そういう説明も含めて発表させていただいたと、いうことでございます」

 平気でウソをつくとはこのことをいうはずだ。

 メディアが誤解を与える扱い方で伝えたことが国民に間違った印象を与えたから、発表を差し控えたと言っている。

 試算したなら、直ちに公表して抜本改革を目指すとしたらこうなると詳しく説明して国民に覚悟を求めるべきを、それが不退転の決意というものだが、そういった手順を踏まずに公表しないまま隠した。

 その結果、あれこれと不必要な憶測まで呼んだのであって、それをメディアに責任転嫁するのはウソを言っている類に入る。

 このことは「不退転」だと言っている姿勢をも結果的にウソにしていることになるはずだ。

 また、「約1週間経って」「報道も少し収まった」から公表したというのもウソもウソ、ウソっぱちである。野党が公表しないのは「隠蔽だ」と反発、公表の激しい要求に抗し切れずに止むを得ず従ったというのが実態である。

 自分たちの立場を都合よく見せるためによくもまあ次々とウソがつけるものだと感心させられる。天下の副総理がである。

 野田首相は3月4日の日本テレビに出演、発言している、その要旨を、《首相発言要旨》時事ドットコム/2012/03/04-20:36) が伝えている。社会保障と税の一体改革に触れた発言のみの抜粋。

 小沢一郎元代表が消費税増税に反対していることについて。

 野田首相「一体改革の議論は昨年1年間ずっとやってきた。丁寧に時間をかけた。特に素案了承の時は深夜まで100人残り、拍手で終わっている。100対0で決まっている。その党内手続きを経て、法案を提出しようとする。基本的に皆さんの理解をいただけると思う。説明が必要な方がいるならば、当然お会いしたい」

 発言が前後で矛盾している。

 素案了承は「100対0」で決めた、それを以て党内手続きを踏んだとするなら、その時点で「皆さんの理解をいただけ」たということになって、今の時点になって「基本的に皆さんの理解をいただけると思う。説明が必要な方がいるならば、当然お会いしたい」と言うのは「100対0」と言っていることをウソにすることになる。

 2月29日(2012年)の谷垣自民党総裁との党首討論でも同じ趣旨のことを発言していたが、現実には否定し難い事実として党内に消費税増税反対派を相当人数抱えているのである。その事実はウソとすることはできない。

 にも関わらず、党首討論で党内手続きを踏んだ、民主的プロセスを経た、党議として決定した等々と言ったのは反対の事実をウソとするウソをついていることに他ならない。

 社会保障と税の一体改革の発言ではないが、野田首相がメディアとのインタビューでも国会答弁でも、「尖閣諸島は我が国固有の領土で、領土問題は存在しない」と言っていながら、日本の排他的経済水域(EEZ)を確固とした形で根拠づけるためにEEZの起点としている離島の国有化に動いたが、尖閣諸島周辺4島の国有化を対象外としたのは「領土問題は存在しない」の発言をウソにする国有化であろう。

 「領土問題は存在しない」から国有化の対象から外したのだと言ったとしたら、ウソを通り越して国民に対する詐欺となる。

 なぜなら尖閣諸島周辺の排他的経済水域(EEZ)をこそ、国有化というこれ以上ない確固とした形で誇示しなければならない必要に迫られているはずだからだ。

 「ウソつきは泥棒の始まり」である。

 国民は首相や副総理にウソつきを望んだわけではないはずだ。

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元年越し派遣村村長湯浅誠氏内閣府参与・内閣官房社会的包摂推進室長退任、その職務成果を見てみる

2012-03-08 12:22:50 | Weblog

 2008年末から2009年の年明けに東京・日比谷公園の「年越し派遣村」村長を務めた湯浅誠氏が内閣府参与と内閣官房社会的包摂推進室長を2月7日(2012年)付で退任したと《湯浅誠氏:内閣府参与を退任 年越し派遣村の村長》毎日jp/2012年3月7日 20時30分)

 退任申し出の理由――

 湯浅氏「これまでの事業の実施にめどが立ち、一区切りついた」
 
 要するに事業を立ち上げるところまで漕ぎつけた。あとは実施のみで、自身は実施スタッフとして必要としないから、退任するということなのだろう。

 記事は退任についての藤村官房長官の記者会見での発言を伝えている。

 藤村官房長官「首相官邸で縛られるより、もう少し自由に動きたい気持ちもあるのかと思う。今後とも大所高所からご指導をいただきたい」

 湯浅氏にとっては窮屈な活動を強いられていたといったニュアンスを窺うことができる。にも関わらず、「めどが立ち、一区切りついた」と職務を満足な状態に持っていくことができたと言っている。

 私は内閣府参与という言葉から、菅首相が原発事故を前にして原子力安全・保安院が信用できないからと自身の大学時代等の縁故で内閣参与を次々と採用していったものの、何ら役に立たなかった悪いイメージを頭に思い浮かべた。

 役に立っていたが、管がそれを活用できなかったのかもしれない。いずれにしても菅自身の首相として発揮すべき、さらには原子力災害対策本部長として発揮すべき危機管理能力が満足に機能していなかったことが、少なくとも内閣府参与を役立つ存在とすることができなかったことを証明している。

 いわばムダな存在としてしまったか、元々ムダな存在であったかのどちらかである。

 このことから、湯浅氏の場合は本人が言っているニュアンス通りに内閣府参与としても内閣官房社会的包摂推進室長としても、与えられた職務に十分な力量を発揮した上での退任だったのだろうか、それとも藤村官房長官の発言が暗示するように窮屈な活動を強いられて、本人が言っていることと反対に満足な成果を上げることができなかったのだろうかと考えた。

 また、「内閣官房社会的包摂推進室長」という言葉から、その役目としている「社会的包摂」とは社会的弱者という特殊な存在(かなり一般化しているが、あくまでも社会一般から見た場合の社会的な一般的存在と比較した特殊な存在という意味)を社会が一般的存在として受入れ、社会人として一般化することを意味しているのだろうと解釈し(特殊の存在のまま受け入れたのでは意味を成さない)、その仕組みの構築・推進を役目としているということだと考えたが、現実の社会を振り返ると、自殺者に関しは2009年より1177人減少したものの、2010年の自殺者は3万513人、14年連続で3万人を超えていることからも分かるように日本の社会は“社会的包摂”を機能させることができないままに推移してきた。

 さらに孤独死に関しては年間どの位いるのだろうかと調べたところ、NHKが2010年に「無縁社会 孤独死3万2千人の衝撃」というスペシャル番組を放送したことがインターネット上に出回っている。この3万2千人は年間の数だそうだ。

 非正規労働者の増加は職業面での“社会的包摂”から阻害されている状況を映し出しているだろうし、年間200万人を超えて増加の一途を辿っている生活保護受給者の存在は職業面や経済面での“社会的包摂”が停滞していることの証明でもあろう。

 母子家庭等の経済的に貧しい家の子供が貧しさを受け継いでいく傾向にある貧困の連鎖に絡め取られた、このような存在に対して“社会的包摂”が全く麻痺状態にあることを物語っている。

 「内閣官房社会的包摂推進室」が具体的にどのような対策に取り組んでいるのかインターネットで調べていると、うまい具合に湯浅氏自身が辞任について話しているHPに出会うことができた。

 《【お知らせ】内閣府参与辞任について(19:30改訂、確定版)》(2012年3月7日水曜日)

 詳しいことはこのHPにアクセス願うとして、先ず2010年3月5日に一度辞任、再任用された経緯と取り組んだ職務について書いていることを取り上げてみる。

〈2010年5月に再任用されたのは、同年3月の辞任時に提案していた複合的な困難を抱えた方の生活・就労一体型支援を、当時の鳩山総理が取り組むと決断されたからでした。それは現在、「パーソナル・サポート・サービス(以下PS)」のモデルプロジェクトとして現在25の地域で実施されています。

また、内閣府にPS検討委員会が設置され、制度化を検討しています。〉云々。

 複合的な困難を抱えた方の生活・就労一体型支援のモデルプロジェクトを「パーソナル・サポート・サービス(以下PS)」名の下、現在25の地域で実施している。

 同時に内閣府にPS検討委員会を設置し、制度化の検討に入っている。

 湯浅氏が言っている「一区切りついた」とはここまでのことを言っているのだろう。

 「制度化の検討」とは成果を上げる見通しがついたことからの次の段階として位置づけているはずだ。成果を上げる見通しがつかないまま制度化の検討をしても始まらない。

 またこのことは“社会的包摂”の理念の発祥であるイギリスの成果に裏付けられているようだ。

〈イギリスではブレア政権時にこの理念が強調され、推進部局として「社会的排除局」が設置されました。そこでは各省の個別政策で社会的包摂理念に沿うものをかき集めて「社会的包摂政策」としてまとめあげ、それを発表することで、さらなる推進を促していったそうです。

同時に、ホームレス問題や子どもの貧困問題といった社会的排除の象徴的なテーマを順番に取り上げて、数年単位でそれらの課題に予算を重点配分していきました。その成果が、コネクションズ(イギリスで2001年に開始された13 - 19歳の若者を対象とする包括的支援制度だすだ。)やチルドレンズ・トラスト(危険な状態にある子どもの確認、予防的ケア、教育、保護を行う「地方子ども安全委員会」のこと)などの子ども若者支援体制の充実と2010年に制定された「子どもの貧困対策法」でした。

首相のリーダーシップで社会的包摂理念を政府全体として盛り上げつつ、特定の課題に対する集中的取組を進めました。〉・・・・・

 だが、ブレア首相2007年6月27日辞任後の2008年9月15日リーマン・ブラザーズ破綻に端を発した金融危機が世界各国を深刻な不況に陥れ、なおかつギリシャの財政危機が引き金となった特にEU圏の不況が影響して、イギリス国民統計局は、2010年11月〜2011年1月に於ける16〜24歳若年層失業者数が前期比3万1000人増の97万4000人の過去最高を記録したと発表。

 但し「16歳以上すべて」の失業率が8.0%であったのに対して、「16〜24歳」の失業率は20.6%にも上っており、これも統計開始以来、最高の数字となったとの記述がインターネット上にある。

 2011年8月、イギリスの首都ロンドンで若者を中心とした暴動が起きている。この暴動はイギリス第2の都市バーミンガムを始めリバプール、 マンチェスターにまで拡大した。

 この若者の敵意剥き出しの“非社会的包摂”性を持った高失業率はブレア首相が築いた“社会的包摂”を相殺して有り余る力を持っていたに違いない。

 このことは同時に日本の“社会的包摂”の行く末を予見させる。

 湯浅氏は書いている。〈私が関わった社会的包摂政策は、社会的排除を受けた人々に生活支援や就労支援(生活・就労一体型支援)を行い、生活再建・就労実現を目的とするものでした。それは「排除を生み出してしまうような社会」の本格的な組み換えを伴うものではなく、組み換えは生活・就労一体型支援を行う中で見えてくる諸課題を社会的・政治的に提言することで、徐々に雰囲気を醸成していくべきもの、と位置づけられています。この「控えめ」なスタンスが、「社会的包摂なんていう言葉は、ほとんど誰も知らない」という日本の現状を反映していることは言うまでもありません。〉――

 目指すところは「『排除を生み出してしまうような社会』の本格的な組み換え」ではなく、「生活・就労一体型支援を行う中で見えてくる諸課題を社会的・政治的に提言することで、徐々に(“社会的包摂”の)雰囲気を醸成していく」ことだと言っている。

 要するに“社会的排除”の意識を“社会的包摂”の意識へと変革していくということなのだろう。

 「本格的な組み換え伴うものではな」いと言っていることは、総体としては“社会的包摂”か“社会的排除”かの状況の出来は主として経済を要件として変化するから当然のことと言える。

 そうである以上、“社会的包摂”の雰囲気醸成にしても、経済に影響を受けることになるから、決して確実要素とはなり得ないあるいは砂上の楼閣となりかねない雰囲気の醸成と言える。

 このことを逆説すると、全てではないにしても、多くは経済が約束する“社会的包摂”だということになる。

 さらに言うと、主として不況が約束する“社会的排除”とも言える。

 あからさまに言うと、多くがカネが絡むということになる。

 湯浅氏が自由に活動できたかどうかは次の記述から見て取ることができる。

政府への要望

 今回の辞任にあたり、最初の辞任時に書いた「内閣府参与辞職にともなう経緯説明と意見表明、今後」(2010年3月5日)を読み直しましたが、特に修正する部分はありません。参与という立場の性格が政府との一種の契約関係であり、政府との関係は水平的・部分的なものであること、政府の中にも外にもそれぞれの可能性と限界があること、官民関係はもっと頻繁に「出たり入ったり」できることが望ましいことなどについては、今でも同じように考えています。

 できたことがわずかであること、できなかったことが多いことも、「隅(コーナー)のないオセロのようなもの」という感慨も、前回同様です。「私は政権にとって外部の人間であり、大きな方針やそれに基づく具体的な課題設定は、政府が決めるべきものです。それが選挙を通じて国民から国政を付託されている政府の責任でもあり、主体性でしょう。そして、その課題について個別具体的に協力するかしないかを判断するのが、私の主体性です」とも書いていました。したがって今回も、課題設定の主体性と責任を持つ政府に、これからのさらなる課題を要望しておきたいと思います。〉――

 「特に修正する部分はありません」と書いているから、前回2010年3月5日付の「政府への要望」を読まなくとも、今回のものを読めば、用を足すことになる。

 だが、前回と今回とで内容がほぼ同じだということは、政府は2010年3月5日以来、2012年3月7日の今日に至るまで要望を生かしていないことになる。

 だから内容が同じ繰返しとなる要望となった。

 湯浅氏は「政府との関係は水平的・部分的なものであること、政府の中にも外にもそれぞれの可能性と限界があること、官民関係はもっと頻繁に『出たり入ったり』できることが望ましいことなどについては、今でも同じように考えています」と書いている。

 「政府との関係は水平的・部分的なもの」とは「非重層的・単発的」ということであろう。このことと併せて、「官民関係はもっと頻繁に『出たり入ったり』できることが望ましい」、そういった自由な重層的な関係、自由な持続的関係を築くことができなかった。

 政府及び省庁の中の異なる各分野との望む通りの自由な連携ができなかったことを意味しているはずだ。

 いわば政府にしても省庁にしても閉鎖的な部分があった。

 このことは藤村官房長官の「首相官邸で縛られるより、もう少し自由に動きたい気持ちもあるのかと思う」の発言に符合する。

 だから、「できたことがわずかであること、できなかったことが多い」という結果が生じた。

 「一区切りついた」という発言に反することになる。

 “社会的包摂”の意識変革だけでも成し遂げようと一人悪戦苦闘する姿が浮かんでくるが、経済が“社会的包摂”に関わる人間の意識に深く関係する基本的要件となっていることに向ける視線を少々欠いているようだ。

 増税した消費税を財源として社会保障制度で以って貧困層の救済に努めたとしても経済が現在のような状況で推移したなら、“社会的包摂”は思い描いた程には底上げはうまくいかないことも考えることができる。逆の“社会的排除”の力が温存されて、“社会的包摂”を殺しかねない。く

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国民主権という日本国民の存在性に何も触れていない日の丸・君が代は真の国旗・国歌と言えるのか

2012-03-07 10:42:03 | Weblog

 君が代の起立斉唱を義務づける「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例案」が昨年2011年6月に成立、共同歩調を合わせる形で「大阪市の施設における国旗の掲揚 及び 教職員による国家の斉唱に関する条例案」が2月28日(2012年)成立。

 府と市の内容が同じである上、府条例が府内の全公立学校の教職員を対象としていることから、〈市教委は独自の条例制定は不要としていたが、橋下市長が「市の意思を明確にする意義がある」として提案した。〉(毎日jp)のだという。

 念には念を入れて強制しようということなのだろう。

 但し大阪市議会は維新の会が過半数以下で、自民、公明党以下の野党が反対。公明党が次期衆院選で維新との選挙協力を模索している関係から一部修正の条件付きで賛成に回り、両者が〈自民党の要望を受けて、「市長と市教委の責務」として国旗掲揚と国歌斉唱が適切に行われるために必要な措置を講じる規定を加えることで合意した。〉(MSN産経)という経緯を踏んで成立したそうだ。

 大阪府の条例は次のようになっている。

 大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例あかもじ

(目的)
第一条この条例は、国旗及び国歌に関する法律(平成十一年法律第百二十七号)、、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)及び、学習指導要領の趣旨を踏まえ、府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱について定めることにより、府民、とりわけ次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと並びに府立学校及び府内の市町村立学校における服務規律の厳格化を図ることを目的とする。

(定義)
第二条この条例において「府の施設」とは、府の教育委員会の所管に属する学校の施設その他の府の事務又は事業の用に供している施設(府以外の者の所有する建物に所在する施設及び府の職員の在勤する公署でない施設を除く)をいう。

2 この条例において「教職員」とは、府立学校及び府内の市町村立学校のうち、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第一条に規定する小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校に勤務する校長、教員その他の者をいう。

(国旗の掲揚)
第三条府の施設においては、その執務時間(地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二百四十四条第一項に規定する公の施設にあっては、府民の利用に供する時間)において、その利用者の見やすい場所に国旗を掲げるものとする。

(国歌の斉唱)
第四条府立学校及び府内の市町村立学校の行事において行われる国歌の斉唱にあっては、教職員は起立により斉唱を行うものとする。ただし、身体上の障がい、負傷又は疾病により起立、若しくは斉唱するのに支障があると校長が認める者については、この限りでない。

2 前項の規定は、市町村の教育委員会による服務の監督の権限を侵すものではない。

附則
この条例は、公布の日から施行する。


 要するに国旗掲揚の場合は起立一礼せよ、国歌斉唱のときは起立斉唱せよという教師たちに対する命令である。

 だが、日本の保守的物神崇拝者は勘違いしている。「府民、とりわけ次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し」と高らかに謳っているが、「尊重」する対象としての「伝統と文化」を固定した絶対価値として等し並に押しつける権利は誰にもない。何を「伝統」とし、何を「文化」とするかは人それぞれの自由な価値観に基づく。

 当然、「尊重」する、「伝統と文化」にしても、人それぞれによって異なる姿を取る。

 にも関わらず、自分たちの言うところの「伝統と文化」を強制するのは思想・信教の自由、表現の自由を侵す独裁主義の何ものでもない。

 「我が国と郷土を愛する」にしても、「我が国」の何をどのように愛するか、「郷土」の何をどのように愛するか、それぞれの自由な価値観に添う。

 国旗・国歌はそれが象徴する価値観と国民の存在性と一致していなければならない。

 アメリカの国歌「星条旗」を例に取って、その歌詞をインターネット上から拝借して説明してみる。国旗も「星条旗」の呼称がついている。当然のことであるが、同じ価値観を象徴していると看做すことができる。

 国歌「星条旗」は1812年~1815年の米英戦争のさなかに生まれたそうだ。英国からの独立を獲ち取った戦争である。当然、独立を一つの価値観として象徴している。

 戦争の歌でもあるから、歌詞は全編戦いを勇ましく鼓舞する言葉で貫かれている。だが、その中で次のような歌詞が挿入されている。

 ああ、星条旗はまだたなびいているか
 自由の地 勇者の故郷の上に

 星条旗よ、長きに渡り翻らん
 自由の地 勇者の故郷の上に

 勝利の歓喜の中、星条旗は翻る
 自由の地 勇者の故郷の上に(引用以上)

 アメリカを自由の地に擬(なぞら)え、価値づけている。
 
 断るまでもなく、自由は独立と民主主義によって獲得される。独裁主義は自由を束縛する。あるいは自由を抑圧する。自由と独立の象徴は同時に民主主義を象徴する。

 いわばアメリカ国歌「星条旗」にしてもアメリカ国旗「星条旗」にしても自由と独立と民主主義を象徴している。

 アメリカ国旗・国歌「星条旗」が自由と独立と民主主義を象徴していたとしても、アメリカ国民が北朝鮮国民のように自由を抑圧され、権力層の飽食豊満に反して食料も満足に手に入らずに物心共に虐げられた存在性を担わされていたなら、国旗・国歌が如何に自由と独立と民主主義を象徴していようと意味をなさない。

 アメリカ国歌・国旗「星条旗」が自由と独立と民主主義を象徴しているのと同じく、アメリカ国民の存在性も自由と独立と民主主義を保障されていなければならないし、保障されて初めてアメリカ国民の国歌・国旗としての意味・価値を持つ。

 いわば国旗・国歌の象徴と国民の存在性は一致していなければならない。誰も異論がないはずである。

 翻って日本の国歌である「君が代」を見てみよう。「日の丸」の象徴性は「君が代」の象徴性から見れば分かる。異なる価値観に彩られているはずはないからである。

 自民党政府提出の「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)は1999年8月9日成立。成立に先立って1999年6月11日、政府は法案提出と同時に政府統一見解を発表し、18日後の1996年6月29日に当時の小渕首相が解釈の変更を行っている

 最初の政府統一見解

 〈「君」とは、「大日本帝国憲法下では主権者である天皇を指していたと言われているが、日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当である。」

 (「君が代」の歌詞は、)「日本国憲法下では、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解することが適当である。」〉――

 小渕首相(当時)による解釈の変更

 〈1.日本国憲法においては、国歌君が代の『君』は、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指す。

 2.君が代とは、日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のこと。

 3.君が代の歌詞は、そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当である。」〉――

 「君が代」の「君」とは「その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇」のことであり、「代」とは、「日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国」のことだと言っている。

 日本国憲法は天皇を「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定している。

 要するに天皇の地位は国民が決めたことだとしている。日本国民を主体者として位置づけていることを意味している。国民主権との整合性を考えるなら、当然の憲法の扱いであろう。

 「主体者」とは集団・組織等の中心となる存在を言う。日本国家の中心は日本国民であるということである。

 繰返し言うと、主権はあくまでも国民にあり、天皇は「主権の存する日本国民の総意に基」いて、日本国と日本国民統合の「象徴」として位置づけているに過ぎないことになる。戦前のように国民は天皇を頭に戴いているわけではないし、天皇が国民の頭上に位置して国民を支配しているわけではない。

 主権が国民に所属していながら、日本国と日本国民統合の象徴に過ぎない天皇を日本国歌たる「君が代」の「君」に位置づけ、「代」は「天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国」のことを指すとして、天皇を中心に置いている。

 いわば国旗・国歌はそれが象徴する価値観と国民の存在性が一致していなければならないはずであるにも関わらず、日本国歌「君が代」は天皇を中心に置いて、天皇の存在性(日本国及び日本国民統合の象徴だとする存在性)を謳った国歌ということになる。国民を国家の中心に位置づけて、自由と民主主義を体現した日本国民の存在性を謳い上げた国歌とはなっていない。

 君が代・日の丸は戦前の独裁性から戦後の象徴性に姿を変えてはいるものの、その起立斉唱は天皇の存在性の強制以外の何ものでもない。

 日本国民の存在性を欠いた国歌を起立して歌う義務が国民にあるだろうか。

 当然、君が代に対しても同じである。

 所詮、国民主権の今の時代に、あるいは自由と民主主義を日本国民の存在性としている今の時代に大日本帝国憲法で「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とした天皇独裁を背景とし、創り上げた天皇の絶対性とその存在の悠久性を歌い上げた「君が代」を戦後民主主義の時代に引きずって日本国歌としていること自体が時代錯誤の過ちと言わざるを得ない。

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班目原子力安全委員会委員長のその資格もないウソと無責任で塗り固めた2012年3月1日国会参考人答弁

2012-03-06 12:22:08 | Weblog

 3月3日(2012年)の当ブログで3月1日衆院予算委員会、梶山弘志自民党議員と枝野民主党詭弁家との福島原発事故危機管理を巡る菅無能の情報処理の問題や福島原発視察の適切性を問う遣り取りを取り上げたが、梶山議員は引き続いて班目原子力安全委員長に対して菅仮免に対する原子力問題に関する助言者としての適格性を問い質した。班目の答弁はウソと無責任で塗り固めた内容であった。

 梶山議員の質問は前回同様、主旨にとどめ、班目発言は可能な限り一字一句正確に文字に起こすことにする。

 梶山議員「総理に進言する立場として原子力安全委員会がある。ベント、海水注入の判断で班目委員長にも相談があったと思う。ベント、海水注入は遅れたと思うか」

 班目委員長「先ずベントの遅れでございます。あのー、えーと、私が最初にベントを進言したのは、あのー、11日夜の9時ぐらいだっと思います。

 その時点ではですね、私は炉心溶融に至っていない。それで、ただ、あのー、最終的な熱の捨て場がなくなっておりますので、えー、えー、とにかく圧力を下げて、圧力容器の中に水を入れ、そうすると、その水の行き場がないから蒸気としてベントをしなきゃいけない。

 それが、えー、あとから分かったことでございますけども、直流電源を全部失っている状態では殆ど不可能だなということでございます。さらに事態は進行してしまって、あのー、夜中を過ぎるとですね、今度は格納容器の圧力自体が上がってきている。

 そうなるってくるとですね、えーと、私としても恐らく格納容器の中にはかなり放射性物質が出ているということで、これはまたさらに住民の避難という問題も絡んできた。

 まあ、様々なことがあってですね、遅れたのであって、この辺りを時系列も含めてしっかりご理解を頂きたいと思います。

 (答弁を終わりかけてから、)あー、それから海水注入につきましてはですね、この件につきましては、えー、12日午後の早い時点からですね、えー、もう真水がなくなるということで、海水注入止む無しという議論は行われてございました。

 で、あのー、えー、それで、えー、その場合どういう、うー、問題があるかということはですね、例えば塩がせき出してしまったら困るとか、あるいは腐食が進むと困るとか、いうことについても、色々と、議論も済んでいたところでございます。

 それで、えーと、その問題がですね。夕方になって、さらに、えー、問題になったというふうに、えー、いろんな議論があったのでございますけれども、その辺りについてはですね、私がですね、正直なところはっきりとした記憶はございません。

 はっきりと申し上げられるのは海水を、えー、えー、注入する、ことによって、えー、えー、えー、再臨界が起こるかと聞かれるとですね、それは温度が冷えれば、えー、再臨界の可能性は常にあるわけですから、ゼロではあり得ないと答えると思います。

 ただですね、えー、臨界の危険が、臨界しても構わないんです。それよりも、冷えないことの方がもっと大問題なので、必ず海水でも何でもいいから、えー、冷やすために水を入れてくださいということは私自身は申し上げていたつもりでして、それが遅れた事情については私の方では承知しておりません」

 東京大学の原子力関係の学部を卒業、東京大学大学院の教授を務め、政府の原子力安全委員会委員長である男が専門の原子力の議論でありながら、「えー、えー」と言葉を探さなければならない、自身の履歴に反した明快さの欠如はその知識・教養だけではなく、人間性さえも疑わしくする。

 「えー、えー」をやめて貰えないかと一言言ったら、そのことに囚われて発言が混乱するに違いない。

 12日午後のうちに海水注入は何ら問題ないと既に結論を得ていた。だが、「その問題が夕方になってさらに問題になった」の「その」とは海水注入を指すはずである。しかも海水注入の結論についてははっきりと記憶していながら、夕方になって再び持ち上がった議論については、「正直なところはっきりとした記憶はございません」では都合がよすぎる。

 当時、海水注入の問題と同時に再臨界の可能性について問題となったはずである。だが、はっきりと記憶していないと言った手前、海水注入によって「再臨界が起こるかと聞かれるとですね、それは温度が冷えれば、えー、再臨界の可能性は常にあるわけですから、ゼロではあり得ないと答えると思います」と仮定の会話に置き換えている。ここにゴマカシがある。

 これがゴマカシなのは昨年5月23日(2011年)衆院震災復興特別委員会での谷垣禎一自民党総裁の班目参考人に対する追及が証明してくれる。

 班目委員長「その場に於いては海水を注入することによる問題点をすべて洗い出してくれという総理からの指示がございました。私の方からは海水を入れたら、例えば塩が摘出してしまって流路が塞がる可能性、腐食の問題等、色々と申し上げた。

 その中で、多分総理からだと思うが、どなたからか、再臨界について気にしなくてもいいのかという発言があったので、それに対して私は再臨界の可能性はゼロではないと申し上げた。これは確かなことであります」

 これ以上ないというくらいしっかりと記憶している。

 菅無能は班目のこの「再臨界の可能性はゼロではない」を受けて、政府は否定しているが、議論する時間を要したために海水注入中断を指示したことになっている。

 班目委員長は谷垣総裁に対する答弁の前日の5月22日(2012年)内閣府で記者会見を行なっている。《班目氏が政府発表に「名誉毀損だ」と反発 政府は「再臨界の危険」発言を訂正》「MSN産経」/2011.5.22 20:42)

 記者「政府は海水注入の一時中断は班目委員長が『再臨界のおそれがある』と指摘したからだとするが」

 班目委員長「私が言ったのならば、少なくとも私の原子力専門家としての生命は終わりだ。一般論として温度が下がれば臨界の可能性は高まる。『臨界の可能性はまったくないのか』と聞かれれば、『ゼロではない』と答えるが、私にとって可能性がゼロではないというのは『考えなくてもいい』という意味だ

 記者「そういう発言をしたのか」

 班目委員長「覚えていないが、私が『注水をやめろ』と言ったことは絶対にない」

 記者「政府側は班目氏が指摘したと繰り返し主張している」

 班目委員長「私への名誉毀損(きそん)だ。冗談じゃない。私は原子力の専門家だ。一般的に海水に替えたら、不純物が混ざるから臨界の可能性は下がる。淡水を海水に替えて臨界の危険性が高まったと私が言うとは思えない」

 記者「当日のことを明確に覚えてはいないか」

 班目委員長「私は海水注入が始まったと聞いて、ほっとして、原子力安全委員会に戻った。一つだけいえることは首相が『注水をやめろ』と言ったとは聞いていない。私が知る限り、当時首相と一緒にいた人が注水を途中でやめるように指示を出した可能性はゼロだ」(以下略)

 政府は班目発言を「再臨界の可能性がある」としていたが、「再臨界の危険性がある」に、たいして変わりはないと思うが、和らげる方向に訂正している。

 班目委員長は実際の会話は「覚えていない」こととして、「『臨界の可能性はまったくないのか』と聞かれれば」とここでも仮定の会話としているが、自己正当性を訴える発言に関しては狡猾にもしっかりと記憶している。

 このご都合主義は重責を担う人間として問題だが、このことは次の矛盾した発言にも現れている。「一般論として温度が下がれば臨界の可能性は高まる」と言っている以上、その可能性を避けるために海水注入を断念するか、何らかの回避策を講じなければならないことになるが、「私にとって(再臨界の)可能性がゼロではないというのは『考えなくてもいい』という意味だ」と平気で矛盾したことを言っている。

 いわば「可能性がゼロではない」はゼロの意味だとしていて、そうでありながら、「一般論として温度が下がれば臨界の可能性は高まる」とした前段の発言とも明らかに矛盾している。

 尤も「高まる」という言葉がゼロを意味するなら、何ら矛盾はないことになる。

 また、「一般論として温度が下がれば臨界の可能性は高まる」と言っていることと、「一般的に海水に替えたら、不純物が混ざるから臨界の可能性は下がる」と言っていることはどう整合性がつくのか分からないが、前者の危険性と後者の危険性回避との差引き計算、いわばどちらを選択したらいいのかの判断基準となる答を科学者でありながら示さずに矛盾したことだけを言っている。

 さらに言うと、5月22日内閣府記者会見で「私にとって(再臨界の)可能性がゼロではないというのは『考えなくてもいい』という意味だ」としていたことは梶山議員の質問に答えて仮定の会話として持ち出した、海水注入によって「温度が冷えれば、再臨界の可能性は常にあるわけですから、ゼロではあり得ないと答えると思います」と言っている発言とも矛盾することになるばかりか、発言が一貫していないこと、コロコロ変わることを示している。

 その時々によって発言が変わるということは自身の言葉に対する責任感が希薄だからだろう。言葉に責任感のない人間が政府の原子力安全委員会の委員長を務めている。この逆説は見事である。

 班目は海水注入すべきとした自身の助言は正しい選択とするために実際は持ち出した再臨界の可能性を無理やり、「『考えなくてもいい』という意味だ」とこじつけ、さらに記憶していないからと仮定の会話にすり替えたに違いない。

 梶山議員「班目委員長が再臨界に関して菅総理にアドバイスした。ゼロではないという言い方だったのか、違う言い方だったのか」

 班目委員長「正直申し上げて、あの、ゼロではないというのはですね、可能性はなくはないという言い方であってですね、私としてははっきりと申し上げられるのは、私が、えー、ゼロではないと申し上げることによって、海水注入をためらうような雰囲気がそこに生じたということはなかったと、記憶している。そういうような事実は全く記憶がございません」

 ここでも記憶の有無を使った自己正当化のご都合主義が如実に現れている。

 冒頭の発言では3月12日午後のうちに海水注入は何ら問題ないと一旦は結論を得ていながら、夕方になってからの、政府側は再臨界の可能性についてだとしている議論については「正直なところはっきりとした記憶はございません」と明快に記憶喪失を断言しているにも関わらず、ここでは再臨界の可能性が「ゼロではないと申し上げることによって、海水注入をためらうような雰囲気がそこに生じたということはなかったと、記憶している」と海水注入をためらった障害物は班目が言い出した再臨界の可能性ではないと明快な記憶を披露している。

 要するに自己正当化にあくせくしている。事実を述べて責任の裁きを受ける気持が少しでもあったなら、記憶の有無を使い分けることも発言に一貫性を失うこともないはずだが、自己正当化のみに最重点を置いているから、発言にウソと無責任の齟齬が生じることになる。

 梶山議員「一方の当事者から話を聞いただけでははっきりしない。管前総理を参考人招致したい」

  委員会で協議することになった。決まれば面白いことになる。民主党抵抗で決まらないかもしれない。

 梶山議員「水素爆発の可能性について班目委員長がないと言い切ったどうか分らないが、菅総理の方はそういったニュアンスで把えているが、記憶しているか」

 班目委員長「非常にはっきりと記憶しているのはヘリコプターで現地に向かうときにですね、あのー、えー、これからどういうことが行われるかということについてご説明申し上げたんですが、ベントと言うことについてご説明申し上げたんです。

 で、ベントという操作は、あのー、えー、えー、原子力圧力容器の中の、えー、えー、蒸気を格納容器の中に出して、そうすると、格納容器の、えー、圧力が上がってしまうので、えー、大気にベントすると。

 こういう手順になります。で、このとき菅総理の方からですね、あのー、それでは炉心が損傷して水素を抜いたらどうなるか、というお尋ねがありましたので、その場合には、えー、水蒸気と反応して、えー、水素が生じていますと。で、えー、菅総理の方から、水素が、えー、爆発するのではないかというお尋ねがあったので、格納容器の中は窒素に置換されていますから、そこには酸素が無いので爆発はしません。最後にスタック、煙突の辺りから、出た所で初めて酸素と触れ合って、えー、燃えます。

 そういう形になるので、えー、このベントというのを急げば水素爆発の可能性というのはございませんと申し上げていると思います」

 明確に記憶していながら、最後に「申し上げていると思います」と断定とは反対の推測で終えている。事実を話す責任意識を持っていたなら、「申し上げました」と断定するはずで、逆の責任回避意識を働かせているから、推測語に置き換えることになる。

 梶山議員「格納容器の中では爆発はないということだが、その場ではそれ以上の指摘はできなかったのか」

 班目委員長「えーとですね、爆発といった場合ですね、核爆発という問題と、それからチェルノブイリのような、あれは核爆発ではなくて、水蒸気爆発なんです。それとあと、水素爆発の問題がございます。

 それで、私はですね、えーと、恐らく、あー、色んな形で核爆発っていうのはそれはあり得ませんよ。但しチェルノブイリのようなことになっては困るので、えー、水蒸気爆発というのは大変気になりますと。

 ただ、あのー、えー、可能性としてはかなり低いと申し上げていると思います。

 最後に水素爆発なんですけれども、これについて建屋の機密性があそこまで高くて、えー、水素爆発が起こるということまでは、あのー、私もちょっと、あのー、えー、失念していたというのが実態でございまして、水素爆発の建屋の、えー、で生じる可能性については何も進言していない。これは事実だと思います」

 ここにもゴマカシがある。「何も進言していない」は、水素が「スタック、煙突の辺りから、出た所で初めて酸素と触れ合って、えー、燃えます」ということを想定できるだけの知識としていただけではなく、別の配管から漏れて建屋天井に充満、そこで酸素と触れ合って爆発することも理解内のこととして想定できるだけの知識としていたことになり、単に進言を忘れただけだということを意味することになる。

 だとしたら、ヘリコプターの中で「最後にスタック、煙突の辺りから出た所で初めて酸素と触れ合って燃えます」と言ったときに可能性としてより重大な問題として付け加えなければならない進言だったはずだが、していないところを見ると、後付の想定の疑いが出ていくる。

 梶山議員「水素爆発と絡んで、炉心溶融の可能性を認識していたか」

 班目委員長「あのヘリコプターの中で、現地に行くときにはですね、実はヘリコプターで現地に着くまでにベントは終わっていて、もう水の注入が始まっているんではないかというふうに、え、私は勝手に思い込んでおりました。

 で、その時点では、従って、まだ炉心は溶けていないと、思っていたわけでございます。

 ただですね、あとからよく考えてみると、しかし既に格納容器の圧力が上がってるということは、それはもう、炉心が溶けていて、水素が発生していたと考えなければいけないなーと。

 あとからは非常に反省した事項でございます」

 その場で想定できなかったことをあとから想定した。専門家でもままある失念であろう。だが、失念した想定は重大な事柄である。それを「水素が発生していたと考えなければいけないなーと」と反省意識を欠いた軽い言葉で片付けている。

 梶山議員「班目委員長だけが技術的な話をするわけではない。委員長の周辺、あるいは菅総理の周辺に炉心溶融の可能性について言及する者はいなかったのか。班目委員長にアドバイスする人間はいなかったのか」

 班目委員長「えー、11日から12日の未明にかけてはですね、あのー、私がいたのは危機管理センターの中2階と呼ばれている、非常に10人も入れば、あー、一杯になってしまう小さな部屋でございます。そこには多分、私以外には東京電力の武黒フェローとですね、川俣部長と、あと、誰か東電の人間がいたと思います。

 それからあとは保安院の平岡次長辺りがいたと思います。あのー、基本的には技術的な話は私と、武黒フェローとの間で交わされていて、で、えー、武黒フェローから直接頼まれても、政府としては例えば自衛隊を動かすとかできないので、えー、私の口からどういうことが起こってるか説明せよと言われたということです。

 で、その時の雰囲気としては相談できる相手は私は私以外に武黒フェロー以外にいないという状態で、アドバイスを続けなければいけなかった。で、保安院の方からいろいろな情報というのが全く来なかった状態だったというふうに、記憶してございます」

 東電の武黒フェローが政府の人間ではなくても、自衛隊出動の助言はできるはずである。助言を受入れて自衛隊を動かすかどうかの最終判断は政府の責任で行うからである。東大出にふさわしいトンチンカンなことを言っている。

 梶山議員「武黒フェローと技術的な遣り取りはするが、官邸にアドバイスするのは班目委員長以外にはいない。こういう緊急時にそういった体制が望ましいことなのか」

 班目委員長「実のことを(軽く笑いながら)申し上げますとですね、あのー、えー、そのような形で私は、あの、助言をする形になるとは思ってもみなかったということでざいます。

 よく考えてみるとですね、先ずそういう形では無理だから、あの、少し技術的な人間を集めて、あのー、きちんとした議論をしながら、えー、えー、えー、どうあるべきかというのを議論すべきだというのを本来だったら、進言すべきだったかなあー、と今反省してございます。

 ただ当時は、物凄く緊迫した状態で、即刻何か、えー、これはどうしたらいいいか(という)ことの助言を求められている状態では、正直申し上げて頭が回らなかったのものも事実でございます」

 何と無責任な。助言体制を整えるよう、「進言すべきだったかなあー、と今反省してございます」、「頭が回らなかった」と言っている。

 重大事故であればある程、しっかりとした助言体制を整える緊急性が生じる。少しの間違いでも許されない緊迫した状況に置かれることになるケースが多々出てくるはずである。

 原子力安全委員会は何も無責任な班目一人で背負って立っているわけではあるまい。手違いが生じないように助言メンバーを充実させる責任も負っていたはずである。

 それを助言で手一杯でスタッフの充実まで「頭が回らなかった」と言っている。

 梶山議員「国の行く末を決める、国の危機対応にそれでいいのか。

 アメリカのNRCは早い段階でのメルトダウンの可能性に言及している。4月6日の経済産業委員会で細野大臣にメルトダウンの事実があるかと問い合わせたところ、「そういう事実はない」と答えた。班目委員長はメルトダウンについてどういう認識を持っているのか」

 班目委員長「明らかに、12日の早い段階からメルトダウンは進んでいるという認識は、あー、はっきりと持ってございました」

 言っていることが事実かどうか分らないが、はっきりと記憶していることとしている。

 梶山議員「それは情報隠蔽になるのではないのか。原子力というのは公開が原則である。公文書管理法あるなしに関わらず、公開し、公表していく。そのうえに信頼が成り立っていく。

 そういったことが政府部内で議論されて、安全院長が認識していることなのか。そういった情報が出てこないのはどうしてなのか」

 班目委員長「このような非常事態に於いてはですね、原子力安全委員会というところは助言、機関でございます。そしてあの、実際に、国民に対して、えー、発信するところは原子力安全・保安院でございます。

 で、原子力安全・保安院に対して、原子力安全委員会は色々と助言をする。あくまでも国民に対しては、えー、原子力安全・保安院の方から説明する。そうあるべきなんです。

 もし原子力安全委員会が原子力安全・保安院と全く違うことを言い出したなら、国民は大混乱に陥る、ということから、あの、えー、ある程度表現を差し控えなければならない状況であったということをご理解いただきたいと思います」

 無責任極まりない詭弁となっている。助言も一つの情報である。その助言が原発事故に関係している情報である以上、国民の生命・財産に深く影響を与えることから、国民の知る権利の対象となる。

 当然、原子力委員会側には国民に対する説明責任が生じる。「もし原子力安全委員会が原子力安全・保安院と全く違うことを言い出したなら、国民は大混乱に陥る」と尤もらしく自己正当化を謀っているが、だからこそ、「ある程度表現を差し控えなければならない」と放置したのでは国民に対する説明責任の自己規制に当たり、国民に目隠しすることになる。

 また、助言機関とは情報の一元化を図ることをも役目の一つとしているはずである。

 但し助言機関の情報が常に正しいとは限らない。

 原子力安全委員会や保安院、電力業者の原子炉に関わる情報たるや原子炉の中を覗くことができるわけではないから、絶対的に正しい事実とは言えないかもしれないが、様々な計器の数値と外に現れる現象等から専門家として確たる可能性を根拠としての、原子炉が現在どういった状態にあるかの判断をそれぞれが行う過程で認識の違いが生じる可能性は否定できない。

 認識の違いを一つの認識で統一することも情報の一元化に当たるし、違いのままに並立させることも並立という形の情報の一元化に当たり、どのように統一された認識であっても、国民の知る権利に応える情報としてありのままに公開する責務を負うはずだ。

 また、原子力安全委員会が助言機関にとどまらないのは、班目委員長が再臨界の可能性に関して発した自身の発言の説明を前出5月22日(2012年)内閣府の記者会見で国民向けに説明していることが証明していることでもある。まさかマスコミ向けにのみ説明しているとでも思っているのだろうか。 

 民間の助言機関・助言組織であろうと、助言にとどまらず、社会に対する情報発信、説明責任を負っている。

 どうも班目委員長はウソと無責任で塗り固めることが得意な人間らしく、情報公開のイロハ、国民の知る権利に対する説明責任の基本を知らないようだ。 

 だからこそ、「全く違うことを言い出したなら、国民は大混乱に陥る」からと、「ある程度表現を差し控えなければならない」と助言どころか、隠す方向への動きをも自らの役目とすることになる。

 自分がどれ程無責任なことを言っているのか気づかずに無責任なことを言っている。

 梶山議員「それでは発表すべき保安院に対して班目委員長はどういう遣り取りをしたのか。保安院と意見が違うから、我々は意見を差し控えると言うことでは国民に対する役目を果たせていないと思う。

 現実に5月12日にメルトダウンを認めたということはその時点まで国民はその事実を知らなかったことになる。それらを踏まえて、委員長はどうお考えか」

 班目委員長「えーと、メルトダウンという言葉であったかどうか知りませんけれども、なおー、少なくとも、原子力安全委員会は3月の、えーと、時点の、えーと、に於いて、確か、あの、2号機のタービン建屋で高濃度の発見された時点において、えー、これは溶けた炉心と、えー、冷却水が接触して出来たものですと。

 で、その接触した場合も、えー、圧力容器の中かもしれないし、イー、格納容器の、あー、あー、出た所で起こったかもしれないと、いうことを、あー、しっかりと文書として発出しております」

 前の所で「12日の早い段階からメルトダウンは進んでいるという認識は、あー、はっきりと持ってございました」と、メルトダウンそのものの現象と把えて、それが発生していたとの認識であったことを証言している。

 にも関わらず、しかも自分たちが文書で発出しておきながら、「メルトダウンという言葉であったかどうか知りませんけれども」では、この一点を取り上げただけでも無責任の謗りを免れることはできない。

 いずれにしても班目委員長は3月「12日の早い段階」にメルトダウンを予想していた。そして文書で発出した以上、メルトダウンの認識は当然首相官邸も保安院も東電も共通の認識としているか、他の機関が異なる認識であった場合は原子力安全委員会の独自の認識として共通の理解としていなければならないはずだ。

 当然、他の機関がメルトダウンに関して何らかの情報をマスコミを介して国民向けに公開するとき、原子力安全委員会の認識をも併せて伝える責任を負う。

 だが、そうしていなかった。

 梶山議員「文書として発出しても、国民に対するメッセージとはならない。メルトダウンが分かっていれば、自主避難を含めて、より安全な方向へ動いたに違いない。あまりに無責任な表現だと思うが、何か反論があるか」

 班目委員長「原子力安全委員会として、保安院に対して再三再四、炉心の状態がどうなっているのかをきっちりとした形で、えー、えー、えー、国民に説明をしなさいと、原子力安全委員会の場で再三申し上げております。

 それにも関わらず持ってくる絵というものがですね、物理的にはあり得ない絵というものを持って来られている。そういうのが続いているということを是非ご理解いただきたいと思います」

 「原子力安全委員会というところは助言機関でございます」と開き直って宣言していたが、助言機関としての役割も能力も果たしていなかった。と同時に保安院も保安院としての役割も能力も機能させていなかったことがこの発言から浮かび上がってくる。

 菅首相官邸が震災に対しても原子力事故に関しても危機管理の機能を果たしていなかったように原子力安全委員会も保安院も似た状況にあった。

 班目委員長は無責任を自らの体質としているから、助言機関としての役割も責任も果たしていないことに気づかない。菅仮免がそうであったように単に他に責任を転嫁して済まそうとしている。

 梶山議員「理解できない。保安院が持ってくる絵が違っても、政府部内の遣り取りであって、後になってから実はメルトダウンを認識していたと言われても納得できない。これ以上言っても同じ話しか返ってこないから、SPEEDI(スピーディ)について聞く。私も5月23日の復興特別委で当時の枝野官房長官にその存在を知っていたか質問をしたところ、『知らなかった』という答弁で、後に存在が分かってから、その対応を図ったということだが、班目委員長は当然SPEEDIの存在を知っていたということでいいか」
  
 班目委員長「これは防災訓練でですね、ERSS(事故の進展を予測する緊急時対策支援システム )とSPEEDIを使って避難区域の決定を行うということをやってございましたので、当然、よく、承知しておりました」

 菅仮免も2010年度原子力総合防災訓練に政府対策本部長として参加し、訓練項目であるSPEEDIの運用目的、その効果等の説明を受けていなければならなかったはずだが、その存在を知らなかったと言っている。

 梶山議員「政府部内では文科省からも説明はなかったという。3月16日から運用が文科省から安全委員会に代わったということだが、間違いない事実か」

 班目委員長「3月16日に官房長官からの指示があったのはモニタリングの実施は、えー、文科省で行いなさい。その評価は安全委員会で行いなさいとうことであって、SPEEDIの如何については一切官邸の方から指示はございません。

 それにも関わらず文部科学省の方から、あー、ある意味では、文科省の中で決定して、SPEEDIは、えー、安全委員会の方で、えー、これからは運用することに、してもらいたいと、そういうふうな話があったと承知しております」

 文科省がSPEEDIの運用を安全委員会に押し付けたのか、それとも責任を押し付けたのか。仕事が多い程歓迎の官僚組織にしては珍しい譲り合いである。

 梶山議員「その時々の気象状況を示すだけでも避難に役立つと思う。残念なことだが先日の国会事故調の中で避難には役立たないと答弁しているということだが、事実なのか」

 班目委員長「実際問題として、風というものはくるくる変わるものです。えーと、あの、放出源情報がないとですね、どの方に風が吹いたときに放射線物質が行くかということは、これは非常に、えー、予測するのは難しい話になります。

 さらにSPEEDIの計算自体1時間かかります。

 従ってですね、今回のような非常に早い現象のときはですね、このような予測手段を使って避難を決める。そんなことをやっている国は世界中どこにもございません。

 えー、そういう意味ではですね、予め違う方法、即ち、えー、発電所の、おー、方の緊急時の、状態がどれだけ差し迫ったものかという指標によって、もう、あの、半径何キロかという形で避難をする。

 これが世界の標準の考え方です」

 胸を張るかの如くにきっぱりと宣言した。拍手を送りたいくらいだ。

 ウソと無責任で塗り固めたインチキな主張に過ぎない。

 風は一般的には一定時間ほぼ一定方向に吹く。1日とか半日とかの単位の時もある。

 SPEEDIは役に立たないとする原子力安全委員会委員長の認識を首相官邸、保安院、文科省に伝えて、実際に班目が言うように役に立たないのか検証しているのだろうか。

 単に役に立たないと言うだけではなく、SPEEDIの存在自体をどう処理するか意見を統一する責任を安全委員会なりに負っているはずだ。

 班目は発電所が公表する「緊急時の状態がどれだけ差し迫ったものかという指標によって半径何キロかという形で避難をする」方法を勧めている。

 政府はSPEEDIの初期の運用に関して「実際の放射性物質の予測放出量等の情報を得ることができず、これに基づく放射能影響予測を行うことができなかった」という立場を取っているが、班目主張の方法だと、避難半径は放出放射性物質量の予測に対応することになるから、この予測量に基づいてSPEEDIを作動可能とすることができる。

 もし放出放射性物質予測量が分からないまま何が何でも最初から避難範囲を決めていて闇雲に避難させる危機管理だということであったとしても、SPEEDIが仮定の予測値を用いてシュミレーションを行うこととさして変わらないことになる。
 
 このことは班目が「SPEEDIの計算自体1時間」かかるから役に立たないと言っていることと関係する。

 3月11日14:46 地震発生
      15:42 福島第1原発1~3号機に関し原子力災害対策特別措置法第10条に基づく
           特定事象発生の通報
      19:03 菅首相原子力緊急事態宣言
      21:23 第1原発半径3km圏内の避難指示
           第1原発半径10km圏内の屋内退避指示

 3月12日5:44 第1原発半径10km圏内の避難指示 
     15:36 第1原発1号機水素爆発
     18:25 第1原発半径20km圏内の避難指示

 今回の避難を考えてみる。

 東電が15:42に特定事象発生の通報を行なってから、政府が避難指示を出すまでに約3時間20分もかかっている。「SPEEDIの計算自体1時間」かかったとしても、東電の特定事象発生通報と同時にSPEEDIを作動させていたなら、放出放射性物質量のより確定的な予測量を少しぐらい後回しにして仮定値を用いたとしても、放出放射性物質の拡散方向への避難は避けることができたはずである。

 では、最初から避難範囲を決めていて闇雲に避難させる危機管理から、果たしてSPEEDIが役に立たないのか考えてみる。

 3月11日21:23の半径3km圏内の避難指示を受けて住民は一斉に避難を開始した。その結果幹線道路は大渋滞を起こし、なかなか前に進めなかったそうだ。普段10分、20分で通り抜けることができる場所でも1時間くらいはかかった可能性は否定できない。テレビでは大渋滞の中で停止した車を映し出していた。

 もしその間にスピーデイが放出放射性物質の拡散方向を弾き出していたなら、その方向に避難した住民をいち早くより被曝が少ないより安全地帯への避難変更を誘導することができる可能性は捨てきれない。

 また、第1原発半径10km圏内避難から半径20km圏内避難へと拡大するとき、政府は最初チェルノブイリを参考に半径30キロを考えたそうだが、避難住民が8万人から21万人に増えて大混乱が発生すると予想、20キロ圏内だと7万8千人に抑えることができるからと、20キロ圏内と決めたそうだが、住民の避難時間も避難状況も危機管理の重要な要件としなければならない。

 今回の避難を参考に以後は今回把握していなかった半径キロ圏内ごとの住民数と年齢構成を前以て把握することにしているそうだが、実際の避難となると整然とした行動は期待できない。SPEEDIが計算でき次第放射性物質拡散方向への避難を途中から遮断することになったなら、元々渋滞と混乱を極めている状況を尚更渋滞させ、混乱させることになるが、それでも生命の安全を図るために拡散方向への避難を避けなければならないはずだ。
 
 「SPEEDIの計算自体1時間」かかるからと否定的存在扱いするのは単細胞・短絡的に過ぎる。住民の避難時間や緊張状況、あるいは発生するかもしれないパニック等、住民サイドのことを考えることができない無責任に全身覆われていることからの計算時間のみに囚われたSPEEDIに対する価値判断に思えて仕方がない。

 梶山議員「班目委員長は現在も安全委員長だと思うが、今日でも明日でもこういう事故が起きたとき、避難についてのアドバイスをする際、何を利用して避難せよとするのか」

 班目委員長「現在、原子力安全院会では防災指針の見直しを進めていございます。その中で基本的な考え方等はもう既に示してございます。

 実際のですね、避難ということになりますと、あのー、地区の区割の問題がありますので、あの、行政庁の方に手伝ってもらわなければいけないのですが、あの、大雑把な地図をもとにですね、やはり半径のところは今避難してくださいとか、次は半径何キロについては、そういう避難の指示になるんではないかと思います」

 今回の避難と違うのは避難範囲毎の住民の状況を把握しているということのみで、半径毎の避難である点は何ら変わらない。車を持たない住民のためにバスを前以て委託し、どこのバス会社のバスはどこそこの地区と指定していたとしても、原発事故が起きるまで空車のまま待機してくれるわけではない。予定していたバスが来ないことの混乱、車所有の住民は行動を共にする家族がいるなら、一緒に我先にと走り出す混乱等々、予測していない事態は避けがたい。

 SPEEDIの予測があとから追いかけても避難に役立たないとは決して断言できないはずだ。

 梶山議員「私の地元である茨城県、東海村があります。東海村は平和利用の魁(さきがけ)だったが、茨木県は原子力の理解を求める冊子を発行している。小・中・高生、一般向けとあるが、その中でSPEEDIがあるから安全だと書いてある。これは高校生向けだが、『事故のとき大気中の放射性物質がどう動くかを地形や気象条件を考えにいれながら、予測するSPEEDIが整備されている』

 こういったものを信じて立地をしていて、事故になったとき大丈夫だと思っている人たちがたくさんいる。

 非常に無責任ではないか。現在安全委員長ですよ。辞職してはどうか。辞表を出したらどうか」

 班目委員長「まずは、SPEEDIに関しては、おっしゃるとおり、あの、えー、文科省の管轄で行われてきたものなんで、あのー、えー、安全委員会としては、えー、もうちょっと色々意見を言うべきだと思っています。

 それから、あのー、私自身の職でございますけれども、いずれにしろ4月になりますと、新規制組織になると言うことで、あのー、えー、原子力安全委員会自体がなくなりますので、当然、あの、えー、えー、辞めることになると思っています」

 自ら責任を自覚して辞職するのと、組織の消滅と同時に自動的に失職するのとでは全く別物である。あくまでも責任意識を欠いている。無責任人間としたら当然の開き直りとも言える。梶山議員が憤るのも理解できる。

 梶山議員「余りにも無責任じゃないか。今日明日にも地震が発生して、何が起こるかも分からない。現実に今朝も震度5弱の地震が起き、東海村はみんな心配している。4月新しい組織になったら辞めるという考え方だとしたら、即刻辞表を出して辞めるべきだ。ご意見があれば」

 班目委員長「原子力安全委員会としては、えー、例えば安全設計指針とか、えー、色々なものが、明らかに間違っていた。

 従って、え、先ず、これを直す、ということに全力を上げるということで、3月一杯を以って全力を挙げているところでございます」

 無責任男らしくカエルのツラにショウベン。いや、班目のツラにショウベン。責任意識などなーんにも感じない。

 梶山議員「設計指針はいいが、地震が起こったときにどうするのか。野田総理大臣に対して技術的な助言をする。どうしたらいいかって言うことをこの無責任な班目委員長がする。

 総理、良ければ一言を」

 野田首相「あの、東大震災を受けて色んな教訓があったと思います。今度新しい組織ができるまでの間の委員(梶山議員)がご指摘のとおり何が起こるか分かりません。

 その教訓を最大限生かして、安全のための役割を果たして欲しいと、緊張感を持って対応して欲しいと思いましたし、国民の説明も緊張感を持って説明をして欲しいを思いました」

 見事な通り一遍の当たり障りのない無難な答弁となっている。班目を役立たずの無能だと批判すれば、使い続けている自身の任命責任に影響してくる。結果無難な答弁となるのだろうが、逆に無能を無能とせずに使い続けることは国民をバカにしていることになる。

 首相もそこまでは気づかないのだろう。

 梶山議員「総理の言う緊張感、その緊張感が欠けているのが、私は班目委員長だと今痛切に感じているところであります」

 議事録未作成の問題追及に移る。

 以上ウソと無責任で塗り固めた班目参考人答弁を見てきた。

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菅仮免と東電とのテレビ会議システムの活用の如何ともし難い差から福島原発菅視察の必要性を考える

2012-03-04 12:11:56 | Weblog



 菅参加の2010年10月21日、浜岡原発3号機放射性物質外部放出事故を想定した「平成22年度原子力総合防災訓練」では首相官邸(政府対策本部)は静岡県浜岡原子力防災センター(オフサイトセンター)、静岡県庁、他関係自治体とテレビ会議システムを通じて情報共有を行った。

 オフサイトセンターは現地浜岡原発とテレビ会議システムを介して情報を共有する。

 いわば浜岡オフサイトセンターは原子力発電所と首相官邸、静岡県庁等の中継地点としての役割を担って、原発に関わる情報共有の仲介を果たしている。 

 福島原発事故ではテレビ会議システムがどのように活用されたのか、あるいは活用されなかったのか、みなさん既にご存知かもしれないが、調べてみた。

 先ず内閣府に設置の政府事故調「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の「中間報告概要」から「テレビ会議システム」の単語を検索してみた。

 〈(2)原子力災害対策本部の問題点 【Ⅲ章2、Ⅶ章3(2)】

 b 情報収集の問題点

 〈ERC(経済産業省緊急時対応センター)に参集していた保安院等のメンバーは、情報の入手・伝達に迅速さが欠けていると認識しながらも、東京電力が活用していたテレビ会議システムを設置することに思い至らず、職員を東京電力に派遣することもなく、積極的な情報収集活動を行わなかった。正確で最新の情報の入手は、迅速かつ的確な意思決定の前提であり、国民への情報提供という点も含め大きな課題を残した。〉

 ERC(経済産業省緊急時対応センター)の情報収集怠慢を批判している。

 要するに役人として入省・入庁して上、あるいは周囲から受け継いだ、基本の所ではマニアル化した仕事はそれなりに優秀な役人として優秀にこなすが、未経験の突発時に関しては臨機応変の応用力、臨機応変の頭の回転を示すことができなかった。

 「中間報告概要」にはこれ以上の記載箇所がなかったために「中間報告」 「Ⅲ 災害発生後の組織的対応状況」見て見ることにした。

 〈「防災基本計画」は、情報収集ルートの錯綜を避けるため、原則として、合同対策協議会が、原子力緊急事態発生後の現地の情報収集を一元的に行うこととし、国及び地方公共団体に対し、平時より、専用回線網、非常用電話、FAX、テレビ会議システム等の非常用通信機器を整備・維持することとしている。〉

 〈福島第一原発及び福島第二原発に共通するオフサイトセンターが、福島県双葉郡大熊町に設置されている(福島第一原発から約5km、福島第二原発から約12km の距離にある。)。また、オフサイトセンターが使用できない場合の代替施設の選定を定めた原災法施行規則第16 条第12 号に基づき、福島県南相馬市に所在する福島県南相馬合同庁舎が代替施設として指定されている。

 また、オフサイトセンターの情報集約拠点としての役割を踏まえ、福島県のオフサイトセンターには、一般の電話回線のほか、政府の各機関をテレビ会議等でつなぐ専用回線、更に衛星回線が設置されている〉

 〈例えば、ERC(経済産業省緊急時対応センター)にいたメンバーは、3月12日、複数回にわたり、福島第一原発1号機のベント準備の進捗状況について、前記のERC詰めの東京電力職員に対し、本店に電話で状況を確認させたが、当時は、福島第一原発免震重要棟内にいる吉田所長ですら作業現場の情報を得るのに時間を要する状況にあったため、前記の職員らは、ERCのメンバーに対し、即座に明確な回答を行うことができなかった。

 他方、東京電力本店においては、事故発生直後から、社内のテレビ会議システムを用いて福島第一原発の最新情報を得ており、このシステムは、12日未明までには、保安院職員が派遣されていた現地対策本部(オフサイトセンター)でも使用できるようになり、プラント情報等が共有されていた。

 しかしながら、ERCにいたメンバーには、東京電力本店やオフサイトセンターが、社内のテレビ会議システムを通じて福島第一原発の情報をリアルタイムで得ていることを把握していた者はほとんどおらず、情報収集のために、同社のテレビ会議システムをERCに持ち込むといった発想を持つ者もいなかった。また、迅速な情報収集のために、保安院職員を東京電力本店へ派遣することもしなかった。

 ERCでの情報収集は、例えば、原災本部事務局プラント班の保安院職員が、ERC詰めの東京電力職員に対し、携帯電話で同社本店からプラントパラメーターの情報を収集させ、電話をつないだまま電話口で、口頭で報告させるといった方法で行っていた。〉

 オフサイトセンターは地震の影響による停電等で機能不全に陥ったが、「12日未明までには」機能回復し、使用可能となった。

 このオフサイトセンターの状況については東京電力のHP福島第一原子力発電所事故の初動対応について」東京電力株式会社/2011年〈平成23年〉12月22日)に記載がある。
 
 〈(5)オフサイトセンターでの活動状況

 当社から行われた3月11日16時45分の原災法第15条報告により、約2時間後の同日19時03分に、内閣総理大臣から原子力緊急事態宣言が発令されるとともに、官邸に原子力災害対策本部が、現地の緊急対策拠点であるオフサイトセンターに原子力災害現地対策本部(原子力災害合同対策協議会)が設置された。

オフサイトセンターは、原子力災害発生時には情報を一元的に集め、緊急時の対応対策を決定する重要な機関となっている。このため、その開設時には、福島第一、第二原子力発電所からの要員派遣の他、本店からは原子力・立地本部長等が派遣され、即座に判断できる体制としていた。

 本店から派遣された原子力・立地本部長等は、前述したように18時頃には福島第二原子力発電所に到着しており、内閣総理大臣から原子力緊急事態宣言が出された19時03分にはオフサイトセンターへの要員派遣の準備は整っていた。しかしながら、オフサイトセンターの原子力災害現地対策本部は、地震による外部電源の停電や非常用ディーゼル発電設備の故障の影響もあって当初活動ができない状態となっており、一部要員を除き、オフサイトセンターが開設された翌12日まで待機した。(武藤原子力・立地本部長は待機の間に大熊町、双葉町を訪問し、状況説明等を行っていた。)

オフサイトセンターは、周辺住民に対する広報活動や住民避難、屋内待避区域の設定、避難誘導等を行う拠点となるものであったが、3月11日20時50分には福島県による一部周辺住民への避難指示、同日21時23分には政府による福島第一原子力発電所半径3km圏内の住民に対する避難指示等オフサイトセンターが開設する前に避難措置等が動き出した。

オフサイトセンターは当初開設されなかったため、全面的な人員派遣は見合わせていたが、12日3時20分に活動が開始されたとの情報を受け、当日中には合計28名(14日は最大で38名)が同所での活動を実施した。本店緊急時対策本部から発電所支援のために来ていた原子力・立地本部長以下5名の本店の要員についても、活動開始以降12日中にオフサイトセンターへ入っており、上記人数に含まれている。

 オフサイトセンターの当社派遣要員は、当社の使用ブースに設置され、地震等による被害を受けず機能が維持されていた当社所有の保安回線を介するテレビ会議システムや保安電話等を活用して、発電所及び本店の対策本部との間でリアルタイムの情報共有を図ることが出来た。

 その後、原子力災害の進展に伴い、オフサイトセンター周辺の放射線量の上昇や食料不足などに伴い、継続的な活動が困難との判断がなされ、15日に現地対策本部は福島県庁に移動した。〉

 オフサイトセンターの機能回復は12日3時20分だったことが分かる。だが、放出放射線量の上昇等の原子力災害の進展に伴い、3月15日に福島県庁に移動した。

 政府事故調の「中間報告」は、ERCにいたメンバーは、東京電力のテレビ会議システムをERCに持ち込むといった発想を持つ者もいなかったし、保安院職員を東京電力本店へ派遣して迅速な情報収集を図ることもしなかったと批判しているが、このようなERCの発想を待つまでもなく、元々首相官邸とオフサイトセンターテレビ会議システムでつながっているはずだ。

 しかもテレビ会議システム「12日未明までには」使用可能となっていたと「中間報告」を記載している。

 菅仮免が官邸からヘリで視察に出発したのは3月12日午前6時14分。

 到着は1時間後の3月12日午前7時11分。

 オフサイトセンターの機能回復は菅仮免出発より約3時間前の12日3時20分である。オフサイトセンターを中継して現地との間で情報共有は不可能だったのだろうか。

 政府事故調「中間報告」からテレビ会議システムをさらに見てみる。 

 〈東京電力本店及び福島第一原発に非常災害対策本部が設置された当初から、社内の「テレビ会議システムを通じて情報伝達・共有することが可能な体制が確立された。同月12日未明までには、オフサイトセンターとの間でも、このテレビ会議システムを通じて情報交換が可能となったが、このシステムは、ERCには接続されていなかった〉

 〈本店対策本部は、社内のテレビ会議システムを通じて、福島第一原発のプラントやその周辺にいた現場作業員らから免震重要棟に報告が上がるのとほぼ同時に、同じ情報を把握することができており、現場での対処方法等に関しても、このシステムを使って吉田所長らと協議を行っていたが、現場対処に関する最終的な判断は、基本的に、福島第一原発における最高責任者である吉田所長に委ねていた。〉

 東電は情報過疎・過小・錯綜に慌てふためいている首相官邸を内心嘲笑っていたのではないだろうか。

 《時論公論 「原発事故 危機管理の課題」NHK解説委員室ブログ/2012年2月28日)には次のような記載がある。

 〈今回現地以外で最も情報が集まっていたのは東電の本店。本店のオペレーションセンターは常に現地とテレビ会議システムで結ばれていた。今後緊急時にはすべての電力会社の本店と官邸との間で「テレビ会議システムがつながる体制を前もって作っておくべき。〉

 だとすると、オフサイトセンターに代わる組織としてなのだろう、菅仮免は情報の共有・一元化を図るとして、3月15日に東電本店に乗り込んで政府・東電統合対策本部を設置したが、また東電の「テレビ会議システムをERCに持ち込むといった発想を持つ者もいなかった」と経産省を批判するだけではなく、先ず菅仮免が為すべきだったことは政府・東電統合対策本部設置云々よりも首相官邸と東電本店との間にテレビ会議システムを設置することだったはずだ。

 理想を言えば、福島第1原発との間にも導入したなら、現場の情報はよりリアムタイムなものとなり、より直接的となったろう。

 それとも設置に何か障害があったのだろうか。但し障害に触れている記事を見かけることはできない。

 いずれにしても東電は福島第一原発との間の情報共有・情報疎通にテレビ会議システムを十分に活用していた。

 一方、首相官邸は活用できずに情報が上がってこない、遅過ぎると騒いでいた。

 情報伝達手段に対するこの認識の差こそ問題しなければならない点であると同時に、テレビ会議システム利用如何によって管の福島原発視察の必要性がどう転ずるかの検証もしなければならなくなる。

 混乱した状況の中でその混乱を収めることもできずに菅一人が頭を働かすことなく周囲の人間に当たり散らし、自分が何でも指示・判断しなければ物事は解決も進捗もしないとカッカしていた。

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枝野12年3月1日国会答弁菅福島原発視察「総理を守る役割と国民益・国益を守る役割」使い分けの詭弁

2012-03-03 14:50:24 | Weblog

 3月1日(2012年)午後の衆院予算委員会。梶山弘志自民党議員が昨年東日本大震災3月11日発災の翌日3月12日の福島第1原発菅無能視察、その他を取り上げて、指揮官の立場として不適切・不必要・軽率ではなかったのではないかと当時の官房長官枝野チョー詭弁家を追及。対して枝野チョー詭弁家は国民益・国益なる尤もらしい言葉を持ち出して視察を正当化していたが、その詭弁を暴きたいと思って、質疑を文字に起こしてみた。

 但し梶山議員の質問は横着して要旨のみ。枝野の答弁のみを全文書き写すことにする。

 梶山議員「NRC(米原子力規制委員会)の福島原発事故に関与した議事録、民間事故調の報告書、政府事故調の中間報告、国会事故調の議事録がそれぞれ公表され、その結果を随時原子力の安全に反映させていく責務が政府にはある。

 一方で震災に関わる政府各会議の議事録が未作成だったことは日米の認識の差を浮き彫りにした。

 NRCの議事録には日本からの情報不足のため独自の判断が迫られ、3月21日の日米合同会議開催まで独自に情報を収集していたことが書いてある。

 なぜ3月21日までアメリカに対して的確な情報提供ができなかったのか。枝野経産相は当時官房長官として首相官邸に情報が集中していたと民間事故調インタビューに答えているが、詳細についての答弁を」

 枝野チョー詭弁家「えー、お答えをさせて頂きます。あのー、確かにですね、日米間の情報共有と言いますか、意思疎通が十分ではなかった、というキライがあります。

 それを踏まえてですね、21日以降、えー、合同、調査会議を設置しました。その結果として相当意思の疎通よくなったという経緯がございます。

 で、当初の段階に於いてはですね、情報共有がと言うよりも、あのー、十分に、まあ、私、官房長官という立場からもそうですし、それから官邸全体、あるいは保安院全体としてでもありますが、十分な情報の掌握や、その整理ができていなかった。

 えー、一方で、アメリカ側からはですね、もっと、その時点で発表したり公表したりしている事実関係以外にも何か、あー、政府中枢などは知っているのではないかと認識がおありになったのではないかと。

 そうしたところで、えー、認識のズレといいますか、そうしたことがあったこと。

 そして今、逆に経済産業省という立場で特に保安院が所管でございますので、保安院と、例えばNECですか、NRCとの関係についてですね、具体的にどういうベースでどういう遣り取りをしていたのかということはきちっと精査をしないといけないなというふうに思っています」

 言葉数は機関銃の銃弾のように次々と口から吐き出しているが、詭弁、巧妙な言い回しに終始している。梶山議員の質問の“なぜ”に直接的に正面から答えていない。梶山議員は日米合同調査会議設置までアメリカに対して3月21日までの的確な情報提供ができなかった理由を聞いた。

 対して枝野チョー詭弁家は、「官邸全体、あるいは保安院全体としてでもありますが、十分な情報の掌握や、その整理ができていなかった」とその理由の一端を説明しているが、なぜ「十分な情報の掌握や、その整理ができていなかった」の根本的な“なぜ”には一切答えていない。

 3月11日福島原発事故発生から3月21日までの10日間も官邸も保安院も情報の掌握・把握ができていなかった。保安院はさておき、官邸自体がそのような状態にあったということは大問題である。政府機関としての体裁をなしていなかった欠陥組織という謗りは免れることはできまい。

 情報を的確に運用し、活かすことができなかった根本的な理由はどこにあったのか。大震災からもうすぐ1年経つのである。枝野は危機管理当事者として、この根本的な“なぜ”に答を出していてよさそうなものだが、保安院とNRCとの関係について「具体的にどういうベースでどういう遣り取りをしていたのかということはきちっと精査をしないといけない」とこれからの検証に置いている。

 大体が第一に政府の問題であり、官邸の問題である。経産省及びその所管の保安院をどう情報統轄し、統轄した情報をどう処理し、活用するかは偏に政府トップの菅無能が他の閣僚の助力を得て果たすべき責任なのだから、“なぜ”という解明(=検証)の重点は政府・官邸に置くべきを保安院に丸投げする詭弁を用いている。

 答弁に立って質問に対する最初の言葉が「日米間の情報共有と言いますか、意思疎通が十分ではなかった、というキライがあります」と「キライ」だと、ちょっとした傾向で片付けていること自体がゴマカシで始まっている。

 2月29日(2012年)の「NHKクローズアップ現代 “原発情報”クライシス~日本は何を問われたか~」で、日本からの情報不足をNRCマグウッド委員は「事故発生直後はあらゆる手段を使って日本から情報を入手しようとしたが、正直ニュースで報道された以上のものはなかった」とインタビューに答えている。

 梶山議員は「官邸が情報の掌握・把握ができていなかったのはどこに問題があったからですか」と聞くべきだった。

 梶山議員「事故は初動が大切。初動如何で事故は大きくもなるし、収束にも向かう。国民に不安を与えるも与えないも初動にかかっている。原子力に関してもアメリカの技術を導入しているし、日米原子力協定も結んでいる。なぜアメリカら情報がないと言われる事態になったのか。情報開示を拒んだからなのか」

 枝野チョー詭弁家「あの当時の官房長官としての私の認識としても、それから今経済産業大臣として、まあ、一連の調査報告や今回質問を受けるということで保安院等に確認をいたしましたが、あー、持っている情報はアメリカと共有をした上でですね、できるだけの協力をいただくように官房長官としても指示をしておりましたし、少なくともそういう認識で仕事をしてというのが現時点での保安院から上がってきている報告であります」

 詭弁と矛盾に満ちた答弁となっている。「持っている情報はアメリカと共有をした上でですね、できるだけの協力をいただくように官房長官としても指示をしておりました」と言っていることは前の答弁と矛盾そのものの食い違いを見せている。

 官邸も保安院も情報の掌握・把握ができていなかったと言ったはずだ。いくら官房長官として指示を出していたとしても、掌握・把握ができていない情報をどう「アメリカと共有」し、「できるだけの協力をいただく」ことができるというのだろうか。

 先の「NHKクローズアップ現代 “原発情報”クライシス~日本は何を問われたか~」では、アメリカ・NRCからの支援の申し出に対し原子力安全を所管する独立行政法人の幹部が返信したメールの内容を伝えている。

 返信メール本文「私たちは事故の状況をよく理解しています。支援はありがたいですが、既に十分な業者を国内で確保しています」

 NHKの調査に応じた外務省幹部の当時の日本側内情について――

 外務省幹部「日本の原子力関係者は支援の受け入れに二の足を踏んでいました。受け入れるための準備に手間がかかることが予想され、面倒なことは勘弁してほしいとのことでした」

 「二の足を踏んで」いられる状況だったのだろうか。

 例え支援受入れに時間差が生じたとしても、収束までの時間の長さを考えた場合、申し出を受入れるべきだったろう。

 問題点はこれだけではない。独立行政法人幹部は官邸と相談せずに独断で断ったとしたら大問題である。常識としてアメリカからの申し入れを官邸や東電に通して、アメリカの支援は必要か否か確認してから返事を出さなければならないからだ。

 但しアメリカが最初は官邸に申し入れて断られたかしたために埒が明かないと見て直接独立行政法人に申し入れたという手順を踏んでいた場合、独立行政法人側が官邸や東電に通したとしても既に返事が決まっていたために断ったという経緯も疑えないことはない。

 NRCの報告書は政府間の情報ルートが確立できないために情報収集は個人の関係に依存せざるを得ない状況だったと指摘しているという。

 これは事実であろう。3月15日政府・東電事故対策統合本部設置まで政府東電間の情報共有一元化を組織化することができなかった。但し組織的には情報共有の一元化を図ることができたとしても、実際的に活用できたかどうかは別問題である。

 少なくともアメリカ側とは3月15日から6日後の3月21日日米合同調査会議設置まで情報共有の一元化を図ることができないでいた。

 マグウッドNRC委員「緊急時の協力体制が整備されていなかったので、情報の入手や支援を展開する方法がありませんでした。もし私たちの経験や専門機器を提供できていたら、事故後数日間に何らかの違いがあったのではないかと悔やまれます」

 国会質疑に戻る。

 梶山議員「日米合同調査会議開催以前にアメリカから直接支援の申し出があり、それを日本が断ったことがNRCの議事録に記載されている。それは事実か」

 枝野チョー詭弁家「あのー、少なくともですね、具体的な話として、どこかに来た話について、えー、それを断ったという話は承知しておりません。

 ただ、民間事故調の報告書によればですね、政府ではなく、独立行政法人原子力安全基盤機構、おー、に対し、支援の申し出があったことに対して、日本時間3月12日の夜8時過ぎに必要があれば支援をお願いしたいということで、具体的な、あの、支援の申し出に対しては、あの、今のところ必要はないと読み取れるような趣旨のメールで、回答したと、いうような、あー、記載がございます。

 で、えー、機構に対しては申し出として、機構として回答したということでありまして、今政府としてその遣り取りに、政府として関与していないかというが、確認をしておりますが、それについては関与していないということが、今までのところの報告でございます」

 先に「NHKクローズアップ現代」を用いて触れた箇所についての言及となっている。NRC議事録にはメールのコピーが記載されているのだろう。だが、メール自体も保存されているはずである。MRCの議事録に「私たちは事故の状況をよく理解しています、支援はありがたいですが、既に十分な業者を国内で確保しています」と記録されているメール文が枝野の詭弁の手にかかると、「支援の申し出に対しては、あの、今のところ必要はないと読み取れるような趣旨」となる。

 「今のところ」ではない、はっきりと支援は必要ありませんと断ったのである。

 メール本文と枝野の解釈は異質も異質、まるきり異質なものとなっているが、「読み取れるような趣旨」とすることで、文章を一言一句正確に取り上げなかったことをゴマカシ可能とすることができる。

 最後の「政府として関与していないかというが、確認をしておりますが、それについては関与していないということが、今までのところの報告でございます」にしてもなかなか巧妙な詭弁となっている。

 関与していないことの確認は「今までのところの報告」であって、あとになって関与していることが露見したとしても、のちの調査で明らかにされたと誤魔化すことができる。

 いずれにしても独立法人は「今までのところの報告で」はアメリカの申し出を政府に問い合わせも確認もせずに独断で判断して、独断で回答したことになる。

 何とも不自然な常識だが、いくら原子力に関係のある独立行政法人だとしても、直接官邸の相談に乗っていたのは原子力安全委員会の班目委員長であり、官邸と原子力安全委員会を差し置いて、その相談を受けもせずに一独立行政法人が昨日原発事故が発生したばかりの3月12日夜8時過ぎの時点で、「既に十分な業者を国内で確保しています」などと言えるだろうか。

 梶山議員「今あれこれ言って水掛け論になっても仕方がない。是非真相究明に努めて貰いたい。菅総理の第1原発視察について民間事故調の報告書には当時の枝野官房長官は絶対にあとから政治的な批判を受けるからと反対をしたが、菅総理はそれを振りきって視察したという表現が記載されているが、その発言は事実なのか」

 枝野チョー詭弁家「えーと、この12月未明の段階でですね、東電、あるいは原子力発電所の方から、十分な情報、例えばベントができないということです。

 なぜできないのかといった情報が入ってこないということの中で、事態の重要性を鑑みれば、誰かがしっかりと現実に行ってコミュニケーションのラインをつくってこなければならないと、まあ、いう認識を私は持っておりました。その場合行くとすれば、総理か当時の官房長官として私か、海江田経済産業大臣かで、あろうと、私は思っておりました。

 従って誰かが行くということについては、私も総理であるかなと。

 そしてその場合、政治的なリスクを考えなければ、あー、原子力について若干でも基礎的な素養を持っている菅総理が一番望ましいだろうと私も思っておりましたが、ただ、あのー、政治的なリスクとしてはですね、あのー、総理が官邸を離れるということについては、それがもし客観的に正しい判断だったとしても、批判をされるであろうと。

 おー、従って、そのことは官房長官として申し上げました。ただ総理は当時の菅総理は、あの、そうした政治的なリスクよりも、如何にこの原発の事態を収束させることの方が重要なんだと。だから、そういった要素のことは考えなくてもいいということで、えー、おいでになった。

 こういう経緯でございます」

 現場に直接行かなければならないという認識を枝野が持っていた。行くとすれば菅無能か枝野チョー詭弁家か海江田経産相のいずれかだと枝野は思っていた。

 ということは視察を発案したのは菅無能ではなく、枝野だということになる。その結果、「従って誰かが行くということについては、私も総理であるかなと」という発言が出てくる。三人の中から最もふさわしい人物として菅無能を人選したということである。

 但し菅無能を人選しておきながら、菅無能が行く場合は「政治的リスク」が生じるとするのは矛盾がある。政治的リスクがあるなら、最初から枝野自身か海江田経産相の2人に人選を絞ったはずだが、「政治的なリスクを考えなければ」という条件付きで管を入れ、「原子力について若干でも基礎的な素養を持っている」からと、一番望ましい人選としている。

 実際は菅無能の独断行為だったが、視察を枝野の発案だとすることで、管の責任を薄めようとする意識を働かせた虚構の疑いが濃い。

 菅無能を第一番の人選に入れておきながら、政治的リスクがあるとするこの矛盾は「総理が官邸を離れるということについては、それがもし客観的に正しい判断だったとしても、批判をされるであろう」という言葉によっても証明できる。

 「客観的に正しい判断」だと自ら認め、信念できたなら、「政治的リスク」は恐れないはずである。

 だから、「政治的リスク」を除外して総理の視察を敢行した。それが菅無能の「そうした政治的なリスクよりも、如何にこの原発の事態を収束させることの方が重要なんだと」ということなのだろうが、但し「客観的に正しい判断」だと押し通すだけではなく、「客観的に正しい判断」だとする根拠・理由を具体的・詳細に述べなければならない。

 野田首相は「客観的に正しい判断」だとして、不人気という「政治的リスク」を承知しながら、消費税増税に邁進しているはずである。

 だが、消費税増税の必要性の根拠・理由の納得できる具体的・詳細な説明を果たしていない。

 菅無能の視察が「客観的に正しい判断」だとする根拠・理由を以後の枝野発言に待つことにする。

 梶山議員「誰かが行く必要があったとしても総理が行く必要はないと思う。体を張ってでも止めるべきではなかったか」

 枝野チョー詭弁家「まあ、官房長官の役割というのは、内閣総理大臣を政治的に守るという役割と、勿論、国務大臣として、えー、国民益・国益のために仕事をすると、いう両面がある思っています。

 えー、時としてそれが矛盾をする場合もありうるというふうに思います。内閣総理大臣を守るという観点からは、あー、体を張ってでも止めるべきだったと思っておりますが、国民益・国益を守るという観点からは判断間違っていなかったと思っています」

 詭弁家だけあって、巧妙な言い回しを駆使している。既に触れたように批判されるという政治的リスクを敢えて冒すことを「客観的に正しい判断」だとして総理視察を敢行したはずである。

 その時点で「内閣総理大臣を守るという観点」も除外したはずである。「政治的リスク」の除外とはそういうことでもあるはずである。

 当然、「体を張ってでも止めるべき」という要素をも除外していなければならない。だが、ここでは質問者の「体を張ってでも止めるべきではなかったか」の言葉に乗っかって、「内閣総理大臣を守るという観点からは、あー、体を張ってでも止めるべきだったと思っております」と前言に反して調子を合わせている。

 「内閣総理大臣を守る」という思いも、「体を張ってでも」といった思いも思いつきの感想に過ぎないからだろう。

 国民益・国益を守ることと内閣総理大臣を守ることは基本的にはイコールでなければならはずで、常に一体としなければならない。国民益・国益を守ることが内閣総理大臣を守ることにつながり、内閣総理大臣を守ることが国民益・国益を守ることに反映していく関係が理想のはずだ。
 
 国民益・国益を守ることにならない内閣総理大臣を守る行為は矛盾そのものとなる。

 だが、時として国民益・国益に反して内閣総理大臣のみを守る状況が生じる。国民無視の政治と言われる現象がこれに当たる。

 枝野は「国民益・国益を守るという観点からは判断間違っていなかったと思っています」と言っているが、だとしたら、視察は菅無能を守ることに繋がるはずだが、批判が絶えない。

 視察が国民益・国益としてはっきりと見えてこないからだ。枝野は単に詭弁を駆使して、「国民益・国益を守るという観点からは判断間違っていなかったと思っています」と言うだけで、現在のところどのような国民益・国益だったのかの説明がない。

 枝野は以後の発言で説明しなければならないだろう。

 梶山議員「国民益・国益を考えても総理が行くべきではなかった。総理の権限を委任された官房長官が行くべきだった。菅総理視察の判断は今でも間違いはいないと思っているのか」

 枝野チョー詭弁家「総理大臣を守るという観点からは、あー、体を張ってでも止めるべきであったのではないかと思っておりますが、あー、原子力発電所の事故を如何に小さく、早く収束させるかという観点からは、菅総理が当時行かれたことは間違っていなかったと私は思っております」

 「菅総理が当時行かれたことは間違っていなかった」と信じるなら、「体を張ってでも止める」ことは無用で、「総理大臣を守る」ことに繋がっていかなければならない。

 当時の官房長官の立場からしたら、「総理大臣を守る」ことに繋げていかなければならない責任を有していたはずである。

 だが、下がり続けていた支持率は一向に上がらず、下がるばかりで、辞任に追い込まれていった。

 梶山議員「総理が最適任者ということだが、総理大臣が行かなければならないという意味なのか」

 枝野チョー詭弁家「あのー、11日の深夜から12日の未明にかけて海江田経産相を先頭にしてですね、えー、東電の・・・(聞き取れない。多分、常務のはず)の方、あるいは保安院の幹部、班目委員長にも途中からお入りいただいて、あの、相当な、おー、激しくですね、何とか情報をちゃんと上げてくるようにと、遣り取りをしていたにも関わらず、そして、えー、ベントをしないと、早くしないと、おー、大変になるかもしれないと、いう問題を共有して、それは当然の方(かた)も含めて共有していたにも関わらずですね、えー、なぜベントが行われないのかという情報すら上がってこないと、いう状況。
 
 まさに我が国にとって、えー、その時点で、早くベントを実施する、あるいは少なくともベントができないなら、なぜできないのかという情報を、ですね、保安院の方にあったり、あるいは政権の中枢がしっかりと掌握できると、いうことなしにですね、えー、まさに他のあらゆる手段(笑いを小さくふっと漏らす)がですね、本当に原発が爆発するようなことになったらですね、あの、対応ができなくなるというか、大変大きな被害をもたらすという状況の中にありました。

 従ってですね、現地で責任を持って、えー、判断をできる人間が行ってですね、ちゃんと情報が上がってくるようなラインを造り、現場の情報を把握するということが必要であったと。

 その際に於いてはその責任を持って判断をするということを含めて考えれば、勿論専門家であれば班目委員長にもご同行をいただいておりますが、政治的に責任を持てる立場として総理か官房長官か経産大臣かと、おー、誰かが行く必要があるだろうと。

 で、まあ、リーダーシップの在り方として、一番のトップはドンと構えて、上がってくる情報、しっかりと踏まえた上で、判断するのが、まあ、日本型の一般的なリーダーシップの在り方だということとして評価されるであろうということは、その当時から私も認識しておりましたが、ああした、まさに危機的な状況になりかねない状況の中にあって、むしろ最終的な責任と判断の権限を持つ者がですね、最前線で情報を把握をせざるを得ないと、いう状況の中にありましたので、私は色んなご批判はあろうかという思いますし、それから現地対応ぶりなどについてですね、あの、他にもちょっとやりようがあったのではないのか等というご批判は色々あろうかというふうに思いますが、総理があそこで原発に行って現地の所長等とコミュニケーションを取るという判断、そして実際、そのことによってですね、その後、吉田所長が、これもあの色々と客観的なご批判もあるかもしれませんけれども、少なくとも責任感を持ってですね、仕事に取り組まれて、えー、そして、えー、少なくとも一定程度適切なご判断をされたことが非常に信頼に足る人物であるとしっかりと判断・認識できたということを含めて、その後の対応に当たってですね、大変意義のあったことだと思っています」

 一気にペラペラと喋った。「ちゃんと情報が上がってくるようなラインを造り、現場の情報を把握するということが必要であった」という、それだけのことに「現地で責任を持って、判断をできる人間」が行く必要があった。

 これだけでは菅無能が直々に行く理由とはならない。枝野が単に菅でなければならなかったと言葉でつくっているだけである。

 そして菅視察の成果として、吉田所長が責任感を持って仕事に取り組んでいたために「非常に信頼に足る人物であるとしっかりと判断・認識できた」こと、「その後の対応に当たって」「大変意義」が生じたとことを挙げている。

 この成果を以てしても、菅無能直々の視察の納得いく理由とはならない。

 他の誰が行っても確認できる所長の人物像であるはずである。大体が内部に危険を抱えた原子力発電所の所長が責任感のない、信頼に足らない人物であるという逆説は許されないはずである。

 総理が直々に行って確かめなければならない事柄ではあるまい。「その後の対応に当たってですね、大変意義のあったことだ」と言っているが、この時点以降も情報は錯綜し、時に遮断し、実際にあったことなのかどうなのか未だ不明だが、東電の全面撤退の問題が浮上した際の混乱と、少し前に触れたが、視察から3日後に菅無能が東電本店に乗り込んで政府・東電事故対策統合本部設置して情報の的確な把握・共有等の一元化を図らなければならなかったことは枝野の「ちゃんと情報が上がってくるようなラインを造り、現場の情報を把握するということが必要であった」ことを満足に果たしていなかったことになり、その後の対応に意義があったとする言葉を無意味とする。

 当然、菅無能の視察は何だったのかということになる。
 
 「ちゃんと情報が上がってくるようなラインを造り、現場の情報を把握する」仕組みは政府・東電事故対策統合本部設置によって初めて緒に就いたのである。

 梶山議員「吉田所長が信頼に足る人物だと分かったということは認めるが、果たして総理が行く必要があったのか。視察によってベントが遅れたのではないかと疑問に感じている。今後こういう事故が起こったときのシュミレーションのためにも正確な検証が必要になる。総理が行ったんだから、次も総理が行くことになるのか」

 枝野チョー詭弁家「先ずベントに対する影響については、これは、民間事故調の報告書、あるいは政府事故調の中間報告書等で、あのー、特に政府事故調の中間報告書等で、私も初めて知ったことでございますが、そのー、原発の線量の問題であるとか、それから(東電と)県との遣り取りの中で、あの、避難を優先させた等という現地の、適切な判断ではないかと思いますが、そういったことが事情であったと、これは明らかになっている、あのー、総理が行かれたことが遅れの原因ではないということが私は明らかになっているというように思っています。

 その上で、私は、あのー、一般論として、あの局面であれば、あの、総理大臣の職にある者が行くことが適切であると申し上げているつもりはありません。

 あのー、同じようなことがまた起こってはいけないわけですが、もし、今の、オー、立場で、今の顔触れ、えー、あの時と同じような局面があったなら、私が経済産業大臣として私が行きます、ということを、そういうふうに強く申し上げたいと思います。

 これはまさに危機時に於いてですね、あのー、まさに、そのー、局面局面に於ける基本的なマニュアルや基本的な考え方は当然事前に準備しておくべきですが、その局面局面に於ける判断だと思います」

 語るに落ちるとはこのことだろう。詭弁に落ちると言うべきかもしれない。ベントの遅れは原子炉周辺の放出放射線量が高かったこと、住民避難を優先させたことが原因だったと最近公表された民間事故調や政府事故調等の中間報告書で知った。

 管原発視察時に知った情報ではなかった。ベントを直接指揮して行った吉田所長に直に尋ねなかったことになる。

 ベントの遅れと遅れの理由の情報が上がってこなかったことが発端となった総理直々の現場視察である。聞かないはずはないベント遅れの理由である。あくまでも状況証拠でしかないが、視察で何らかの遅れが生じたが、東電側にしてもその後のことを考えてそのことの情報を隠蔽した。だが、一度隠蔽すると、露見した場合、隠蔽の責任を問われることになるために、口裏を合わせて隠蔽し続けている可能性もある。

 そうとでも考えないと、枝野の説明は詭弁・矛盾だらけで理路整然とした論理づけができない。

 また、同じような原発事故が発生し、情報が上がってこないといった同じような局面が生じた場合は経済産業相としての自分が視察に行くと言っているが、今まで言っていた「政治リスク」の除外、菅視察は「国民益・国益を守るという観点からは判断間違っていなかった」と言っていたことをすべて無視した矛盾した詭弁発言となっている。

 最初の方で、「原子力について若干でも基礎的な素養を持っている菅総理が一番望ましい」と言っておきながら、「一般論として、あの局面であれば、あの、総理大臣の職にある者が行くことが適切であると申し上げているつもりはありません」とまで言っている。

 あくまでも、「国民益・国益を守るという観点からは判断は間違っていなかったとすることができるなら、総理の視察もあり得ます」と言うべきで、そう言うことによって発言全体に整合性を与え得る。

 多分、自身の発言の非整合性に気づいたのだろう。だから、「局面局面に於ける基本的なマニュアルや基本的な考え方は当然事前に準備しておくべきですが、その局面局面に於ける判断だと思います」と、その時の判断によって違いも生じるという趣旨で発言を軌道修正している。

 なかなか油断のならない男だ。尤も詭弁家であることが既に油断のできない人間に出来上がっていることを示す。

 梶山議員「総理と保安院との間の信頼関係が崩れたことから6名の内閣参与を任命したが、このことがまた情報錯綜・混乱の原因となった。新聞記事には原子力に専門家ではない内閣参与を任命するのはやめたほうがいいと枝野が進言していたと新聞記事にあるが、事実なのか」

 枝野チョー詭弁家「あのー、これもですね、先程官房長官として内閣総理大臣を守る、という観点からは、その、おー、色々な視点からですね、総理大臣のリーダーシップの在り方であるとか、危機管理の在り方について、政治的に、あるいは社会的に批判を受けることになるであろうと。

 従って、避けた方がよろしいですね、ということは何度か総理に申し上げました。ただ、あの、正にああした危機管理の状況の中に於いて、国民益・国益を守る観点から、どうであるのか、ということについては、あの、私は菅総理に意見を申し上げておりません」

 情報錯綜・混乱の原因ともなっているからと、「内閣総理大臣を守るという観点から」、「避けた方がよろしいですね」と申し上げた。だが、「国民益・国益を守る観点」からは「菅総理に意見を申し上げておりません」では「国民益・国益のために仕事をする」役割の放棄となって、最初の方で言っていたことと矛盾する。

 閣僚として総理大臣を守ることと国民益・国益を守ることは基本的にイコールでなければならないと書いた。そして菅総理直々の視察に関して枝野は「国民益・国益を守るという観点からは判断間違っていなかった」と断言している。

 当然、結果的にそうなっても、「内閣総理大臣を守るという観点」を優先させるのではなく、「国民益・国益を守るという観点」をより優先させて「避けた方がいいですね」と諌めるべきだが、そのような観点に立たなかった。

 詭弁家の詭弁家である所以がここに象徴的に現れている。

 梶山議員は海水注入問題等に関して班目原子力安全委員会委員長への追及へと移る。

 以上、枝野の狡猾なまでの詭弁家ぶりを書いた。菅の無能振りを同時に炙り出すことができたと思う。

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首相になったこと自体が間違いだと教える菅無能の責任転嫁な大震災1年目を迎えるインタビュー内容

2012-03-02 11:04:29 | Weblog

 はっきりとした日時は分からないが、関連記事が3月11日で東日本大震災発生から1年となるのを前に応じたとしている時事通信のインタビュー要旨を伝えている記事がある。

 一国の首相の身であったにも関わらず責任感のない、他に責任を転嫁する意識だけを働かせた、一国の首相としての当たり前の判断能力・認識能力も備えていない発言内容となっている。

 一国のリーダーの立場から見た場合、この卑劣な責任転嫁意識、程度の低い認識能力・判断能力は大震災と福島原発事故で見せた危機管理無能力と相互反映している資質なのだろう。

 起こるべくして起きた危機管理無能力だったというわけである。

 民間事故調が菅政権の福島原発事故対応を「場当たり的・泥縄的」と総括した報告書公表はインタビュー記事発信日と同じ2月28日。だが、インタビュー記事では民間事故調の報告について何も触れていないから、報告書公表時間よりも前のインタビューのはずだ。 

 《菅前首相インタビュー要旨》時事ドットコム/2012/02/28-16:04)

 菅直人前首相のインタビュー要旨は次の通り。

 -東日本大震災から間もなく1年を迎える。

 菅無能「地震と津波による大きな被害があり、東京電力福島第1原発事故が起き、国民の皆さんが大変厳しい状況に遭遇した。当時の政治の責任者として大変申し訳なく思う。国民が我慢強く対応し、復興に向けて頑張っていることに感謝したい。

 原発事故は事前の備えがあまりにも不十分だった。それがあれば、もっと事故も放射線被害も大きくならずに済んだと思うだけに責任を感じる。準備が十分できていなかったという意味では人災と言わざるを得ない。大きな反省が本当に必要だ。備えがなかったという意味で(政府の対応は)大失敗だった

 -首相官邸の初動には厳しい評価があるが。

 菅無能「地震発生直後、北沢俊美防衛相(当時)に『とにかく救命活動に即座に入ってほしい』と自衛隊の派遣を指示し、10万人態勢を取ってもらった。自衛隊の初動は非常に迅速だった。消防、警察も頑張ってくれた。

 原発事故は、地震、津波とはかなり性格を異にしている。原子炉の中で何が起きているのか分かり、予測ができて初めて次の対策が可能だ。しかし、事態の把握に努めようと、東電、経済産業省原子力安全・保安院、原子力安全委員会の責任者にそれぞれ(官邸に)来てもらったが、残念ながら、どういう状況にあるのか、少なくとも私に報告が上がってこない。

 (震災翌日の)12日朝、現地に(視察に)行った。私としては黙って見ているときではなく、現場で実際に対応している(福島第1原発)所長に、きちんと話を聞かないといけないと思った」

 -政府は阪神大震災などを教訓に官邸の危機管理態勢を強化した。機能しなかったのか。

 菅無能(評価は)政府の事故調査・検証委員会などの検証を基本的には待つべきだ。しかし、どの仕組みがどうだったというよりも、ほとんど機能しなかった。

 地震、津波に関しては、ある程度やれたと思う。原発に関しては、極めて不十分だった。つまり、東電から上がってくる情報そのものが極めて不十分だった。(原因は)どうしても全部『3・11』前になる。つまりは(原発の)全電源喪失を一切想定しなかったからだ。危機管理が残念ながら結果としてうまくいかなかった。最大の問題は備えがないことだった

 -首相が前面に出ることに批判もあった。

 菅無能「首相が陣頭指揮を執るのは例外だ。今回は一般的には多分、例外になるから、やらざるを得なかった。つまりは、野党も国会で『将たる者はあそこ(官邸執務室)に座るべきだ』と言っていたが、黙って座っていても何にも情報が来ない。陣頭指揮が一般的にいいのか悪いのかではなく、私は必要だと思ってやった。

 -政府の震災関連会議の議事録が未作成だったことをどう思うか。

 菅無能「もちろん知らなかった。議事録がないこと自体は恥ずかしい限りだ。しかし、議事録の有無の問題と、情報開示の問題は若干違う。会議はほとんどの場合、冒頭にテレビカメラが入り、決定したことは直後に官房長官が発表した。

 -原発事故が深刻になった場合を想定した「最悪シナリオ」が昨年3月25日作成されたが、公表されなかった。

 菅無能「セカンドオピニオンというのか、現場に直接携わっていなくても原子力に詳しい人たちの意見も聞いておくことが必要だと判断した。最悪の状態が重なったときにどういう状況が起き得るのか、私自身の参考にしたいと思った。

 〔略歴〕

 菅 直人氏(かん・なおと)東工大理卒。厚生相、副総理兼国家戦略担当相、財務相などを経て10年6月から11年9月まで首相。衆院東京18区、当選10回。65歳(民主)



 「黙って座っていても何にも情報が来ない」は2月29日(2012年)当ブログ記事――《菅直人の福島原発事故対応、人柄にふさわしいご都合主義・責任逃れの自己プラス評価 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に〈陣頭指揮の指揮官でありながら、情報を上げる能力・人を使う能力を欠いていたことの反映としてある状況のはずだ。〉と書いた。

 「地震発生直後、北沢俊美防衛相(当時)に『とにかく救命活動に即座に入ってほしい』と自衛隊の派遣を指示し、10万人態勢を取ってもらった。自衛隊の初動は非常に迅速だった。消防、警察も頑張ってくれた」と相変わらず自衛隊派遣を自らの勲章としている。最初から最後まで勲章とするに違いない。

 自衛隊の初動が遅れに遅れた1995年阪神淡路大震災の教訓として以後の一国のリーダーの誰もが大災害時の危機管理のごくごく当たり前の常識としていなければならなかった初期対応に於ける自衛隊派遣である。

 逆に迅速でなかったなら、首相ばかりか内閣全員が学習効果がないと批判を受け、それだけで総辞職ものだろう。

 自衛隊10万人は派遣したとしても、被災者に対する物資支援や避難所の環境改善では迅速とは言えず、遅滞や不手際が生じた。今後起きた場合の大災害に備えて自衛隊作業の効率性や的確性も検証しなければならないはずだ。

 いわばただ派遣すればいいというものではない。

 こういったことまで考えずに、唯一の勲章とする。単細胞でなければできない絶対的自己評価であろう。

 福島原発事故は「人災と言わざるを得ない」と言っている。

 では、誰がどう関わった「人災」かと言うと、「(原因は)どうしても全部『3・11』前になる」と言っている。

 どういうことかと言うと、「全電源喪失を一切想定」していなかったことに置いている。

 政府の原子力安全委員会が1990年作成の『発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針』で、全電源喪失想定不必要としていたことを言っている。

 当然、「備えがなかったという意味で(政府の対応は)大失敗だった」とは「安全設計審査指針」で、「全電源喪失」を想定して、そのような指針にして置くべきだったが、して置かなかったことを指している。

 事故が発生してからの福島原発に対する政府の対応・危機管理に関しては言及が一切ない。

 事故発生前の危機管理に問題点を収斂させているから、「原発事故は事前の備えがあまりにも不十分だった。それがあれば、もっと事故も放射線被害も大きくならずに済んだ」と言うことができる。

 だが、当たり前のことを言うしかないが、危機管理には2種類ある。起こり得る可能性のある危機に前以て備えておく危機管理と起きてしまってからの事故・災害を迅速・適切に且つ可能な限り最小限にコントロールし、収束させる危機管理である。

 当然、危機管理態勢の不備・機能不全がもたらす「人災」にしても、事故・災害発生前と発生後の2種類あることになる。

 菅無能は原発事故発生後の官邸の危機管理に関して、「(評価は)政府の事故調査・検証委員会などの検証を基本的には待つべきだ」と言いながら、それを待たずに事故発生前の危機管理に重点を置いて問題点があったとし、そのことのみを以て「人災」だとし、結果的に事故発生後に関してもそれ以外に人災的な側面ないとしていることになる。

 いわば原発事故後の危機管理如何も、そこでの人災的な側面の有無も一切考慮外に置いている。

 もし第三者の検証を待つべきだとするなら、事故発生前の危機管理に関しても口をつぐんでいるのが公平な態度であろう。

 だが、そうしなかったのは事故発生後の危機管理を省略して取り上げる事故発生前の危機管理は自身の責任問題から切り離すことができるゆえに責任転嫁以外の何ものでもないことになる。

 民間事故調の報告書は菅無能のトップリーダーとしての指導性に色々な問題点があったことを明らかにした。それが危機管理上の様々な混乱や失態を生じせしめたと。

 菅無能に自己省察能力が少しでもあったなら、自己検証の意識が働き、より謙虚な気持ちとなって、事故発生前の危機管理のみが「人災」に当たると断ずることもなかったろう。

 自衛隊派遣を勲章としていることからも、自身の責任問題から切り離すことができる事柄のみを取り上げていることからも、自分に都合のいいことだけを言っている印象しか浮かばない。

 首相就任時は「サラリーマンの息子が総理大臣になった」ようなことを言っていたが、リーダーの資質は誰の息子であるかが決めるわけではない。

 そのような認識を働かすことさえできなかった。福島原発事故後の菅無能の危機管理無能力は首相になったこと自体が間違いだったことを教えてくれる。


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2012年2月29日党首討論/野田発言、ここが問題だ !!

2012-03-01 12:11:12 | Weblog

 テレビのワイドショー番組ばりにちょっとセンセーショナルに題名をつけてみた。谷垣総裁の中途y半端な追及の方こそ「問題だ!!」としなければならないのかもしれない。

 2月29日(2012年)午後3時から野田首相VS谷垣自民党総裁、次いで野田首相VS山口公明党代表の党首討論が行われた。谷垣総裁は攻めどきで野田首相の発言の矛盾に気づかず、少なくとも慌てさせることができる折角のチャンスを見逃してしまった。次の記事を参考に谷垣発言の2箇所を取り上げてみる。

 《(4完)山口氏、国会議員歳費「2割削減を」》MSN産経/2012.2.29 19:55) 

 党首討論の全発言をその日のうちに文字に起こすこういった記事があるのは大変助かる。野田内閣が消えてなくなっても何も困らないが、こうった記事がなくなったなら、大変困ることになる。

 記事題名は山口公明党代表の名前が出ているが、谷垣自民党総裁の最後の発言部分を含んでいる。ここが攻めどきの最も肝心な箇所と見たから、最初に取り上げて、次に前に戻る。

 読みやすいよう段落を少し変える。

 谷垣自民党総裁「野田さんね、総理、これは一生懸命消費税をやろうとされているのはよく分かります。それで今までですね、私どもも増税にはいろいろ取り組んでまいりました。そのときにですね、何が問題かというと、結局最後は、結局最後は負けるときは、うまくいかないときは自分の足元が崩れるんです。それで、今、私が申し上げたいことは、私が申し上げたいことはですよ、総理が本当におやりになれるかどうか、われわれは注目していますよ。だけど一番の問題は総理、足元が乱れてきているじゃないですか。

 小沢(一郎)前(元の間違い)代表、小沢前代表はこれ、相当なことを言っておられますよ。あのー、要するに法案の閣議決定や、採決時の反対を明言しておられるじゃないですか。それから国民の生活が第一とする政権を作り直すことも考えなければいけない。これは倒閣を示唆しているわけですね。今、それは小沢さんは党員資格停止かもしれません。しかし、あなたの中の、あなたの党の中の有力なメンバーであることは間違いありません。

 それからそこに自見(庄三郎金融担当)大臣がおられますが、自見大臣の国民新党の亀井(静香)代表はですよ、連立の相手がやめなさいという状況でやれない。説得できるんですか。足元をしっかり固めていただかなきゃなりませんよ。私が今までいろんなことを申し上げてきたのは手順、段取りを踏まないと、この足元が崩れてしまうぞということを申し上げているわけですよ。そこのところをお答えください。

 野田首相「あの、いろいろご心配いただいて恐縮でございますけれども、手順を踏んでという話がございました。手順は踏んできているんです。去年の6月に成案をまとめました。成案をまとめましたときには、これは政府と党が一体でまとめたんです。それを踏まえて8月の代表選で明確にそれを具体化していくと申し上げました。そして、素案として1月6日にまとめました。これも多くの時間をかけながら、多くの人が参加をして、熟議を重ねながら、最後はこれは拍手で、そして握手で終わっています。深夜までかかりました。

 党内のプロセスは民主的なプロセスを踏んでしっかりやってまいりました。その素案を閣議決定したら、もしかすると与野党協議に応じていただけるかもしれないという話があったんで、閣議決定しました。大綱にしました。そのときもいろいろ議論がありましたけれども、きちっと手順を踏んで、党議として今の方向を決めております。

 そして今度は年度内に法案を提出する。これも与党のご了解を得ていきたいと思います。51対49の党内世論でも、手続きを踏んで決めたらみんなで頑張っていくということをぜひ、皆さんの前にお示しをしていきたいと思いますし、あの、今、国民新党の話もありましたけれども、これまでのまさに手順の中では党内でさまざまな意見がありましたけれども、ご理解、ご了承をいただきながらやってきておりますので、同じような方向をたどっていきたいと思います」

 そこで、御党も2010年の参議院のマニフェストが一つの党議だったはずです。そして、先ほどのいわゆる(基礎年金の国庫負担)3分の1から2分の1の償還の財源は明確に消費税とお話しされました。というお話の中であっても、ということは党議は消費税を上げるということだと思うんです。そうあってもさまざまな委員会で質問があると、今すぐ上げるのはおかしいと。その議論をするのはおかしいという人もいるし、そうではなく、政局ではなくて、一緒に胸襟を開いて話しましょうという方もいらっしゃる。

 それを私はあえて御党の誰がこういった、ああいったとは言いません。お互いに党内にはいろいろあると思いますが、51対49でも党で決めたらしっかりと野党の皆さんと協議をする。みなさんもぜひそうしていただきたいというふうに思います」

 谷垣自民党総裁「まあ、野田さんがそこまでおっしゃるならば、やっぱり党内をきちっと掌握されて、方向性をきちっと定められるのを私どもも固唾をのんで見守ってまいりたいと思います。

 ただ、ただですね、私申し上げたいのは、もう一つやっぱりこの際に申し上げたいことがあるんです。今のいろんな混迷がございます。政治がなかなか問題を解決できないというご指摘もある。実は今日、いろんな多岐にわたってしまって、必ずしも十分に申し上げられなかったんですが、まず、そのマニフェストをお作りになって、そのマニフェストがなかなか困難にぶち当たっている。しかし、それを撤回して消費税なんかいろいろとおっしゃっているけど、誰が考えたってこれはマニフェスト違反ですよ。だけど必要だから進むと、野田さんはおっしゃっているわけですね。

 で、ところが、野田さんの党内を拝見しますとね、いろんな考え方があって、どっちに進んでいくか分からない。先ほどですよ、大綱等々のいろんな問題を申し上げましたけど、結局のところは大綱にいろいろ書き込んであるけれども、議論をしていくと、消費税の問題だけじゃなくて、マニフェストに書き込んだ、できもしないことがいろいろ書き込んであるから、結局のところ、デッドロックに乗り上げるんじゃないかという心配をわれわれはしてるんです。要するに、最大の政党である民主党がですね、マニフェストというものを抱え込んで、マニフェストの正当性を立証できないから、方向性がはっきりしないところに、今の政治の最大の問題点があるんじゃないですか。私はそのことは指摘させていただかなければいかんと思います。いかがお考えでしょうか」

 野田首相「あの、マニフェストについては昨年の8月、当時の幹事長の、今の岡田(克也)副総理のもとで検証しました。マニフェストの中で実施していないのは6%です。その中でやってきたことは、特に政権交代したことによって変わったことは、社会保障をしっかり維持していこうというところです。そこは初年度の予算編成でも、従来では自公政権の時代には2200億円削ってきたものを9.8%増やしました。社会保障をしっかりしてほしいと思っている国民は多いんです。それを支えるためにどうしても安定財源が必要である、それが消費税であるということをご説明することによって、国民の皆さまにご理解をいただきたいというふうに考えておる次第であります」

  谷垣自民党総裁「最後に申し上げます。野田総理ね、私、2つ問題があると思うんですよ。野田総理が本当に消費税を成し遂げたいとするならば、まず党内をしっかりまとめていただきたい。これが1つ。もう1つは、国民との信頼関係をきっちり作り直していくこと。つまりそれは(衆院)解散ですよ。それをきちっとおやりになれば、私どもと方向性があって、その先に協力する道はいくらでも開ける。このことを申し上げて終わります」


 谷垣総裁の消費税増税民主党内反対派の無視できない存在とその存在への説得なしに増税は実現不可能ではないのかといった指摘に対して野田首相は消費税増税決定は「党内手続きを踏んだ」「民主的プロセスを踏んだ」「党議として今の方向を決めた」と党決定に問題はないと盛んに強調している。

 但し「民主的プロセスを踏んだ」と言うことは、例え最少僅差であっても、賛成多数を得たということでなければならないから、賛成多数を得た消費税増税の間違いのない決定だということになる。

 自分の人柄をドジョウに譬えて朴訥だとしている野田首相の言うことにウソはないはずだ。

 そして消費税増税を51対49の党内世論でも、手続きを踏んで決めたらみんなで頑張っていくということをぜひ、皆さんの前にお示しをしていきたいと思います」と言い、51対49でも党で決めたらしっかりと野党の皆さんと協議をする」と、党内世論が「51対49」の僅差の反対多数であっても、与野党協議を進めていくと決意を述べている。

 「民主的プロセスを踏んだ」賛成多数がとしながら、党内世論を「51対49」の反対多数に譬えることは「民主的プロセスを踏んだ」と言っている言葉をウソにする矛盾そのものであろう。

 「民主的プロセスを踏んだ」賛成多数が正真正銘の決定なら、「51対49」といった反対派多数の譬えは出てこない。

 「民主的プロセス」と言いながら、それが真に「民主的プロセス」ではないことの潜在意識が言わせた「51対49の譬えではないかの疑いは民主党を離党した中後淳(ちゅうご あつし)新党きづな議員の2月23日(2012年)衆院予算委国会質問が証明してくれる。
  
 中後淳議員「国民の代弁者である党所属の国会議員、国会議員の意見を反映するということが政治主導を実現するということの大前提条件だったと思います。

 しかしですね、多数の意見を抑えて、政府提案がドンドン優先されて行くことを私は中で見てきました。これは官僚主導に乗っ取られたという思いであって、非常に残念な、非民主的手法であったというふうに考えております」

 野田首相「社会保障と税の一体改革の議論も成案をつくるまで半年間かかり、そのあと素案をつくるまでも、相当な時間を要しました。強硬に決めたつもりはありません。

 党内民主主義に基づいて熟議をやってまいりました。それは私はご批判に当たらないというふうに私は思っております」

 中後淳議員「私は中で議論していた人間の一人として、本当にこれ、民主党という名前の党なのかなあというふうに思っていました。例えば復興増税のときの、党の意見の集約の仕方、『ご一任いただけますか』という発言があると、拍手が起こって、『ありがとうございました』と言って、怒号の中でそれが決められていくというような、そんなやり方をしていて本当に民主主義かなーというふうに私は中で感じていました」

 中後議員はこの発言に対する答弁を求めずに野田首相が言っている「この日本に生まれてよかった」というビジョンへの質問に移っていく。

 野田首相は党内民主主義に基づいていると言っているが、基づいてはいないとは言えないからだろうが、「51対49」の反対派多数の譬えと併せ考えると、賛否の議論の収拾がつかなくなると、執行部の「ご一任いただけますか」の一言を合図に、反執行部反対派の怒号が巻き起こるが、それを無視、強引に一任取り付けの形を取って執行部の意向を押し通し、決定だとするのが野田首相の言う“党内民主主義に基づいた熟議”であり、「民主的プロセス」の実態ということのようだ。

 但し執行部と反執行部が立場を逆転しても同じ決定を慣習としているのではないだろうか。またこのことは民主党内だけのことではなく、自民党も似たような状況にあるから、下手なことは反論できなかったということもあるかもしれない。

 だとしても、「党内手続きを踏んだ」、あるいは「民主的プロセスを踏んだ」決定のあとに倒閣意志を表明したりの反対の声が上がっている「党議」を無意味化している様相は野田首相が党代表としても、内閣の最高責任者としても党及び内閣を統率も統一も満足にできていない別の矛盾した状況を示すもので、その指導力の欠如、説得力の欠如をあからさまに証明していることになる。

 谷垣総裁は、「民主的プロセスを踏み、党内手続きを踏んだ消費税増税の決定っだったということは百歩譲って認めましょう。にも関わらず無視できない数の反対派が反対の声を上げ、党内は分裂状況の様相を呈している。足許が乱れている。それを未だ抑え切れていないというのは野田さん、あたなが指導力を欠いているからではありませんか」といったことを言えばよかった。

 だが、谷垣総裁は「まあ、野田さんがそこまでおっしゃるならば、やっぱり党内をきちっと掌握されて、方向性をきちっと定められるのを私どもも固唾をのんで見守ってまいりたいと思います」と野田首相が言っていることの矛盾に気づかずにあっさりと引いてしま、慌てさせることもできなかった。

 野田首相にしたら、例え閣議決定した社会保障制度改革像を(と言っても、その像は確たる具体像を取っているわけではない。このことは後で証明する)野党に妥協してその姿を変質させることがあっても、与野党賛成の形に持っていくことで民主党内消費税増税反対派の数を上回って国会を通すことを狙っているのかもしれない。

 このことが民主党案に大きく違ったとしても、与野党で決めたという大義名分を獲得できる。

 いわば党内を纏めるよりも、纏めるだけの指導力がないからでもあるだろうが、自公、最低でも公明を取り入れる方向によりエネルギーを注いでいるといったところなのだろう。

 前原民主党政調会長が公明党案を丸呑みした郵政改革法案概要を新たに提示したのは消費税問題でも取り込むことを視野に入れた動きでもあるに違いない。

 昨日の党首討論で山口公明党代表が国会議員歳費2割削減を提案すると、その提案に早速賛成の意を示し、党首討論後の政府・民主三役会議でさっそく歳費削減の検討を指示したとマスコミが伝えていることも、消費税増税協力取り付けを視野に入れた公明党へのすり寄りに違いない。

 もう1箇所の大きな矛盾点を取り上げてみる。
 

 《【党首討論詳報】(2)首相「報道が間違いだ」》MSN産経/2012.2.29 17:40)と 《【党首討論詳報】(3)首相「一緒に消費税引き上げるために努力しよう」》MSN産経/2012.2.29 19:32)に跨っている。

 谷垣自民党総裁「(社会保障制度改革は)具体的には何も決まっていないのが現状ですね。社会保障制度の改革について、新年金制度ということも言っておられる。これは、来年度法案を出すということのようですが、あとの、被用者年金の一元化、それから、社会保険をパートの方たちへ拡大適用していくと。あるいは、後期高齢者制度の廃止。みんな掲げられているんですが、まったく内容がつまっていない。

 要するに、税制改正ということだけが先行して報道によりますと、それだけが先行して、国会提出されるという報道もあるんですね。これでは、一体改革という名前には私は値しないと思います。協議をしろということも、総理からも再三お呼びかけがございますが、中身があまりにもそれでは乏しいのではないか。要するに、相撲やって、ばんと立ち上がって、がっぷり四つに組もうと思ったら、野田総理から、かたすかしを食ってしまったような形になりはしないか。だから、私は今、この場で、そういう税財政の具体策、あるいは今申し上げたような社会保障関係の法案をお出しになるのかならないのか。いつお出しになるのか。このことをうかがいたい」

 野田首相「あの、まず私は、はたきこみとか、かたすかしは大嫌いです。がっぷり四つでいきたいと思うんです。そこで、一体改革ではないんではないかと。社会保障はどうなってるんだという今、ご指摘ですよね。

 税の方が先に出ている。そういう報道があるというお話でありました。報道が間違いです。社会保障と税の一体改革、これ大綱、閣議決定いたしました。

 よく読んでいただければと思うんですが、第2章、第3章で全体の方針、方向性出しています。その他、社会保障の改革については順次、実施すると書いてあるんですね(会場から笑い)。いやいや、笑う話ではないんです。順次実施する中で、まさに今国会中、法案を提出して実現をするもの、平成24年度以降に法案を出して実現をするもの。中長期的な検討。これは具体的に明記しています」(以下野田発言は略)

 谷垣自民党総裁「きちっとまとめて出していただけるわけですね。今総理、お答えにならなかった後期高齢者(医療)制度、廃止するというのはどうなりますか」


 谷垣総裁は消費税増税が先行していると追及したが、否定されると、「きちっとまとめて出していただけるわけですね」で片付けてしまっている。「まず私は、はたきこみとか、かたすかしは大嫌いです。がっぷり四つでいきたいと思うんです」といった言葉、「報道が間違いです」という強気の言葉に気圧されてしまったのかもしれない。

 だが、野田首相はここで消費税先行を証明する言葉を自ら発している。

 「第2章、第3章で全体の方針、方向性出しています。その他、社会保障の改革については順次、実施すると書いてあるんですね」

 笑いが起きるのは当然である。だが、谷垣総裁は気づかなかった。「全体の方針、方向性」を出した段階とは具体像が固まる前段階を言うはずである。具体像が固まっていなければ、「社会保障の改革については順次、実施する」こともできない。

 谷垣総裁は2月17日(2012年)に閣議決定した「社会保障・税一体改革大綱」を詳細に読んだのだろうか。谷垣総裁が指摘した「後期高齢者(医療)制度」を1箇所のみ「大綱」で触れている文言を取り上げてみる。

 社会保障・税一体改革大綱について(閣議決定/2012年〈平成24年〉2月17日)

(4)高齢者医療制度の見直し

○ 高齢者医療制度改革会議のとりまとめ等を踏まえ、高齢者医療制度の見直しを行う。
○ 高齢者医療の支援金を各被用者保険者の総報酬に応じた負担とする措置について検討す
  る。


(注)現在は、平成24 年度までの特例として、支援金の3分の1を総報酬に応じた負担とする措置が講じられるとともに、併せて、協会けんぽに対する国庫補助率を13%から16.4%とする措置が講じられている。

☆ 具体的内容について、関係者の理解を得た上で、平成24 年通常国会に後期高齢者医療制
  度廃止に向けた見直しのための法案を提出する。

○ 70 歳以上75 歳未満の方の患者負担について、世代間の公平を図る観点から、見直しを
  検討する。


(注)患者負担は、69 歳までは3 割、70 歳以上75 歳未満は2 割、75 歳以上は1 割と、年齢に応じた負担割合を設定しているが、70 歳以上75 歳未満については、毎年度、約2千億円の予算措置により1割負担に凍結されている。

☆ 平成24 年度は予算措置を継続するが、平成25 年度以降の取扱いは平成25年度の予算編
  成過程で検討する。


 文字に色を着けた箇所はすべて決定事項ではない。今後の決定に待つ未確定事項に過ぎない。「検討」、「見直し」の言葉はここだけではない。「素案」を一字一句違えずに「大綱」としたから、「素案」で数えても「大綱」の数となる。以前グログ記事にするために「素案」でさっくりとだが数えたところ、60箇所近くあった。

 今後の検討や見直しに待つという内容となっていながら、いわば改革の具体像が未だ固まっていないうちに、2014年4月に現行消費税5%に+3%の8%、2015年10月に8%+2%の計10%の消費税増税を決めている。

 これを消費税増税先行と言わずして、何と言ったらいいのだろうか。「報道が間違いです」は自己正当化のウソに等しい強弁に過ぎない。

 岡田副総理も2月1日(2012年)衆院予算委で小池百合子自民議員が私のざっくりとした計算と違って、「検討」箇所が81箇所もあるからと社会保障制度改革素案の未確定性を取り上げて追及したのに対して確定した具体像となっていないことを認めている。

 岡田副総理「確かに検討を残しているものはございます。我々が全部固めてしまってから協議するよりは、そういったところを残して一緒にご議論頂きたい」(要旨)

 要するに与野党協議の余地を残すために確定的な具体像とはしなかったと言っている。

 社会保障制度改革の具体像を確定してから、それを実現させるためには財源がどれだけ必要だという計算が初めて成り立ち可能となるはず。そのような段階を踏まずに逆の段階を取って、先に消費税増税率を決め、増税時期まで決めてしまった。

 野田首相の昨年8月29日(2011年)の民主党両院議員総会民主党代表選の演説。

 野田首相「ドジョウはドジョウの持ち味があります。金魚の真似をしてもいけません。赤いベベをした金魚にはなれません。(一段と声を挙げて)ドジョウですが、泥臭く国民のために汗をかいて働いて、政治を前進させる」

 朴訥に辛抱強く国民のために汗をかくと言っている。この自らあるべきだとした自身の姿に反する矛盾とウソに満ちた党首討論の発言となっているにも関わらず、谷垣総裁は追及し切れなかった。

コメント (2)
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