菅仮免と東電とのテレビ会議システムの活用の如何ともし難い差から福島原発菅視察の必要性を考える

2012-03-04 12:11:56 | Weblog



 菅参加の2010年10月21日、浜岡原発3号機放射性物質外部放出事故を想定した「平成22年度原子力総合防災訓練」では首相官邸(政府対策本部)は静岡県浜岡原子力防災センター(オフサイトセンター)、静岡県庁、他関係自治体とテレビ会議システムを通じて情報共有を行った。

 オフサイトセンターは現地浜岡原発とテレビ会議システムを介して情報を共有する。

 いわば浜岡オフサイトセンターは原子力発電所と首相官邸、静岡県庁等の中継地点としての役割を担って、原発に関わる情報共有の仲介を果たしている。 

 福島原発事故ではテレビ会議システムがどのように活用されたのか、あるいは活用されなかったのか、みなさん既にご存知かもしれないが、調べてみた。

 先ず内閣府に設置の政府事故調「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の「中間報告概要」から「テレビ会議システム」の単語を検索してみた。

 〈(2)原子力災害対策本部の問題点 【Ⅲ章2、Ⅶ章3(2)】

 b 情報収集の問題点

 〈ERC(経済産業省緊急時対応センター)に参集していた保安院等のメンバーは、情報の入手・伝達に迅速さが欠けていると認識しながらも、東京電力が活用していたテレビ会議システムを設置することに思い至らず、職員を東京電力に派遣することもなく、積極的な情報収集活動を行わなかった。正確で最新の情報の入手は、迅速かつ的確な意思決定の前提であり、国民への情報提供という点も含め大きな課題を残した。〉

 ERC(経済産業省緊急時対応センター)の情報収集怠慢を批判している。

 要するに役人として入省・入庁して上、あるいは周囲から受け継いだ、基本の所ではマニアル化した仕事はそれなりに優秀な役人として優秀にこなすが、未経験の突発時に関しては臨機応変の応用力、臨機応変の頭の回転を示すことができなかった。

 「中間報告概要」にはこれ以上の記載箇所がなかったために「中間報告」 「Ⅲ 災害発生後の組織的対応状況」見て見ることにした。

 〈「防災基本計画」は、情報収集ルートの錯綜を避けるため、原則として、合同対策協議会が、原子力緊急事態発生後の現地の情報収集を一元的に行うこととし、国及び地方公共団体に対し、平時より、専用回線網、非常用電話、FAX、テレビ会議システム等の非常用通信機器を整備・維持することとしている。〉

 〈福島第一原発及び福島第二原発に共通するオフサイトセンターが、福島県双葉郡大熊町に設置されている(福島第一原発から約5km、福島第二原発から約12km の距離にある。)。また、オフサイトセンターが使用できない場合の代替施設の選定を定めた原災法施行規則第16 条第12 号に基づき、福島県南相馬市に所在する福島県南相馬合同庁舎が代替施設として指定されている。

 また、オフサイトセンターの情報集約拠点としての役割を踏まえ、福島県のオフサイトセンターには、一般の電話回線のほか、政府の各機関をテレビ会議等でつなぐ専用回線、更に衛星回線が設置されている〉

 〈例えば、ERC(経済産業省緊急時対応センター)にいたメンバーは、3月12日、複数回にわたり、福島第一原発1号機のベント準備の進捗状況について、前記のERC詰めの東京電力職員に対し、本店に電話で状況を確認させたが、当時は、福島第一原発免震重要棟内にいる吉田所長ですら作業現場の情報を得るのに時間を要する状況にあったため、前記の職員らは、ERCのメンバーに対し、即座に明確な回答を行うことができなかった。

 他方、東京電力本店においては、事故発生直後から、社内のテレビ会議システムを用いて福島第一原発の最新情報を得ており、このシステムは、12日未明までには、保安院職員が派遣されていた現地対策本部(オフサイトセンター)でも使用できるようになり、プラント情報等が共有されていた。

 しかしながら、ERCにいたメンバーには、東京電力本店やオフサイトセンターが、社内のテレビ会議システムを通じて福島第一原発の情報をリアルタイムで得ていることを把握していた者はほとんどおらず、情報収集のために、同社のテレビ会議システムをERCに持ち込むといった発想を持つ者もいなかった。また、迅速な情報収集のために、保安院職員を東京電力本店へ派遣することもしなかった。

 ERCでの情報収集は、例えば、原災本部事務局プラント班の保安院職員が、ERC詰めの東京電力職員に対し、携帯電話で同社本店からプラントパラメーターの情報を収集させ、電話をつないだまま電話口で、口頭で報告させるといった方法で行っていた。〉

 オフサイトセンターは地震の影響による停電等で機能不全に陥ったが、「12日未明までには」機能回復し、使用可能となった。

 このオフサイトセンターの状況については東京電力のHP福島第一原子力発電所事故の初動対応について」東京電力株式会社/2011年〈平成23年〉12月22日)に記載がある。
 
 〈(5)オフサイトセンターでの活動状況

 当社から行われた3月11日16時45分の原災法第15条報告により、約2時間後の同日19時03分に、内閣総理大臣から原子力緊急事態宣言が発令されるとともに、官邸に原子力災害対策本部が、現地の緊急対策拠点であるオフサイトセンターに原子力災害現地対策本部(原子力災害合同対策協議会)が設置された。

オフサイトセンターは、原子力災害発生時には情報を一元的に集め、緊急時の対応対策を決定する重要な機関となっている。このため、その開設時には、福島第一、第二原子力発電所からの要員派遣の他、本店からは原子力・立地本部長等が派遣され、即座に判断できる体制としていた。

 本店から派遣された原子力・立地本部長等は、前述したように18時頃には福島第二原子力発電所に到着しており、内閣総理大臣から原子力緊急事態宣言が出された19時03分にはオフサイトセンターへの要員派遣の準備は整っていた。しかしながら、オフサイトセンターの原子力災害現地対策本部は、地震による外部電源の停電や非常用ディーゼル発電設備の故障の影響もあって当初活動ができない状態となっており、一部要員を除き、オフサイトセンターが開設された翌12日まで待機した。(武藤原子力・立地本部長は待機の間に大熊町、双葉町を訪問し、状況説明等を行っていた。)

オフサイトセンターは、周辺住民に対する広報活動や住民避難、屋内待避区域の設定、避難誘導等を行う拠点となるものであったが、3月11日20時50分には福島県による一部周辺住民への避難指示、同日21時23分には政府による福島第一原子力発電所半径3km圏内の住民に対する避難指示等オフサイトセンターが開設する前に避難措置等が動き出した。

オフサイトセンターは当初開設されなかったため、全面的な人員派遣は見合わせていたが、12日3時20分に活動が開始されたとの情報を受け、当日中には合計28名(14日は最大で38名)が同所での活動を実施した。本店緊急時対策本部から発電所支援のために来ていた原子力・立地本部長以下5名の本店の要員についても、活動開始以降12日中にオフサイトセンターへ入っており、上記人数に含まれている。

 オフサイトセンターの当社派遣要員は、当社の使用ブースに設置され、地震等による被害を受けず機能が維持されていた当社所有の保安回線を介するテレビ会議システムや保安電話等を活用して、発電所及び本店の対策本部との間でリアルタイムの情報共有を図ることが出来た。

 その後、原子力災害の進展に伴い、オフサイトセンター周辺の放射線量の上昇や食料不足などに伴い、継続的な活動が困難との判断がなされ、15日に現地対策本部は福島県庁に移動した。〉

 オフサイトセンターの機能回復は12日3時20分だったことが分かる。だが、放出放射線量の上昇等の原子力災害の進展に伴い、3月15日に福島県庁に移動した。

 政府事故調の「中間報告」は、ERCにいたメンバーは、東京電力のテレビ会議システムをERCに持ち込むといった発想を持つ者もいなかったし、保安院職員を東京電力本店へ派遣して迅速な情報収集を図ることもしなかったと批判しているが、このようなERCの発想を待つまでもなく、元々首相官邸とオフサイトセンターテレビ会議システムでつながっているはずだ。

 しかもテレビ会議システム「12日未明までには」使用可能となっていたと「中間報告」を記載している。

 菅仮免が官邸からヘリで視察に出発したのは3月12日午前6時14分。

 到着は1時間後の3月12日午前7時11分。

 オフサイトセンターの機能回復は菅仮免出発より約3時間前の12日3時20分である。オフサイトセンターを中継して現地との間で情報共有は不可能だったのだろうか。

 政府事故調「中間報告」からテレビ会議システムをさらに見てみる。 

 〈東京電力本店及び福島第一原発に非常災害対策本部が設置された当初から、社内の「テレビ会議システムを通じて情報伝達・共有することが可能な体制が確立された。同月12日未明までには、オフサイトセンターとの間でも、このテレビ会議システムを通じて情報交換が可能となったが、このシステムは、ERCには接続されていなかった〉

 〈本店対策本部は、社内のテレビ会議システムを通じて、福島第一原発のプラントやその周辺にいた現場作業員らから免震重要棟に報告が上がるのとほぼ同時に、同じ情報を把握することができており、現場での対処方法等に関しても、このシステムを使って吉田所長らと協議を行っていたが、現場対処に関する最終的な判断は、基本的に、福島第一原発における最高責任者である吉田所長に委ねていた。〉

 東電は情報過疎・過小・錯綜に慌てふためいている首相官邸を内心嘲笑っていたのではないだろうか。

 《時論公論 「原発事故 危機管理の課題」NHK解説委員室ブログ/2012年2月28日)には次のような記載がある。

 〈今回現地以外で最も情報が集まっていたのは東電の本店。本店のオペレーションセンターは常に現地とテレビ会議システムで結ばれていた。今後緊急時にはすべての電力会社の本店と官邸との間で「テレビ会議システムがつながる体制を前もって作っておくべき。〉

 だとすると、オフサイトセンターに代わる組織としてなのだろう、菅仮免は情報の共有・一元化を図るとして、3月15日に東電本店に乗り込んで政府・東電統合対策本部を設置したが、また東電の「テレビ会議システムをERCに持ち込むといった発想を持つ者もいなかった」と経産省を批判するだけではなく、先ず菅仮免が為すべきだったことは政府・東電統合対策本部設置云々よりも首相官邸と東電本店との間にテレビ会議システムを設置することだったはずだ。

 理想を言えば、福島第1原発との間にも導入したなら、現場の情報はよりリアムタイムなものとなり、より直接的となったろう。

 それとも設置に何か障害があったのだろうか。但し障害に触れている記事を見かけることはできない。

 いずれにしても東電は福島第一原発との間の情報共有・情報疎通にテレビ会議システムを十分に活用していた。

 一方、首相官邸は活用できずに情報が上がってこない、遅過ぎると騒いでいた。

 情報伝達手段に対するこの認識の差こそ問題しなければならない点であると同時に、テレビ会議システム利用如何によって管の福島原発視察の必要性がどう転ずるかの検証もしなければならなくなる。

 混乱した状況の中でその混乱を収めることもできずに菅一人が頭を働かすことなく周囲の人間に当たり散らし、自分が何でも指示・判断しなければ物事は解決も進捗もしないとカッカしていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする