世論に逆らうのも政治であり、信念がそれを支えるが、説明責任という対価を条件とする

2012-03-29 12:26:39 | Weblog

 世論調査から言うと、消費税増税に半数以上が反対している。

 3月9日~11日(2012年)のNHK世論調査。

 野田内閣「社会保障と税の一体改革」の取り組み評価――

 「大いに評価する」  ――4%
 「ある程度評価する」 ――34%

 「あまり評価しない」 ――41%
 「まったく評価しない」――17%

 野田内閣消費税増税法案今国会成立目標賛否――

 「賛成」       ――27%
 「反対」       ――36%
 「どちらともいえない」――35%

 3月19、20日(2012年)共同通信全国電話世論調査。

 消費税増税賛否(「どちらかといえば」を含めた数値)
 「引き上げに賛成」――42・1%(前回2月中旬調査48・3%)
 「引き上げに反対」――56・0%(前回2月中旬調査50・6%)

 3月24、25日(2012年)産経新聞社・FNN(フジニュースネットワーク)合同世論調査――

 野田内閣消費税増税法案今国会成立目標賛否――

 「させるべきではない」――59・1%
 「させるべき」    ――38・2%

 平成27年度消費税率段階的10%引き上げ賛否。

 「反対」――52・4%(前回2月11、12日調査+3・5ポイント)
 「賛成」――43・2%(前回2月11、12日調査-0・3ポイント)

 かくかように反対の世論が半数以上を占めながら、国民世論の反対の荒波に逆らい、党内の反対の大合唱に対しては澄まし顔で無視して、増税を果たすべく今国会成立に向けてのっそりのっそりと、だが着実に歩を進めている。

 表面的にはそうは感じさせないが、これぞ不退転の権化というべき堅牢強固な姿と言うべきだろう。「不退転」を言い、「不退転」を守っているというわけである。

 その不退転の姿勢を支えているのは先進国随一の悪化した財政の再建をもはや先送りできない、巨額な赤字国債をもはや放置できない、このツケを将来世代に負わせるわけにはいかない、自身が首相のときに日本国家立て直しの先鞭をつけようという強い信念であろう。

 世間で広く言われているように財務省の口車に巧妙に乗せられているかどうかはここでは問題にしない。

 自身が頭に描いた、あるべき国の姿に向けて国家運営は成されるべきだとする信念、現在は国民が反対していても、結果として世のため国のためになると確信した強い信念が世論に逆らい、それをモノとはしない姿勢の原動力となっているはずだ。

 不屈の信念が野田首相をして世論に逆らわせている。石もて負われても、何時の日か必ずや再評価される日がくる。

 但し、信念を持って世論に逆らう以上、例え最終的に国民が理解しなくても、理解を図る説明責任を対価としなければならないはずだ。

 説明責任を対価とせずに世論に反しても私は私の信念を貫きます、不退転ですでは国民の選択を受けた意味を失う。

 果して野田首相は消費税増税に向けた自らの不退転、信念に説明責任を対価としてきたのだろうか。

 勿論、自らの信念の貫徹に向けて説明責任を対価とするためには信念の対象としている政策について説明可能な状態に置いておかなければならない。説明可能な政策とすることによって、初めて説明責任を果たし得る。

 この逆はあり得ない。

 自分は何が何でも正しいんだと言うなら、どう正しいのかの説明責任を負うし、説明可能な完全さを保持した状態で政策を固めていなければ、説明責任を果たすことができないということである。

 世論に受入れられている政策とは説明可能な完全さを保持している上に、国民が十分に理解できる状況で説明責任を果たし得ている政策ということであろう。

 現在、世論に逆らう形で不退転、あるいは信念の対象としている政策とは断るまでもなく、「社会保障と税の一体改革」であり、不退転、信念の対価としての説明責任を果たすためには、国民の結果的な理解・不理解は別にして、説明可能な状態に政策を固めておかなければならない。

 だが、ブログにも書いてきたことだが、そうはなっていない。「社会保障と税の一体改革」は完成した政策ではなく、当然説明不可能の部分を抱えていながら、しかも国民世論に逆らう形で自らの不退転、信念を貫こうとしている。 

 法案を国会に提出するという段階になっても、完成した政策ではないことを示す最近の記事がある。《【消費増税法案】低所得者対策、規模や財源は曖昧なまま》MSN産経/2012.3.28 21:38)

 「曖昧なまま」野田首相は不退転を貫き、信念を貫こうとしていることになって、まさに矛盾することになる。

 記事は逆進性について触れているが、2012年2月17日閣議決定の「社会保障・税一体改革大綱について」では次のように書いてある。

 〈所得の少ない家計ほど、食料品向けを含めた消費支出の割合が高いために、消費税負担率も高くなるという、いわゆる逆進性の問題も踏まえ、2015 年度以降の番号制度の本格稼動・定着後の実施を念頭に、関連する社会保障制度の見直しや所得控除の抜本的な整理とあわせ、総合合算制度給付付き税額控除等、再分配に関する総合的な施策を導入する。〉・・・・・

 但しこの給付付き税額控除は共通番号制(マイナンバー制)の本格稼働まで待たなければならず、それまでは「簡素な給付措置」を講ずるということだが、その〈給付財源について、政府はいったんは消費税増税による増収分から最大で年4千億円を充てる案を提示した。これに対し、民主党内からは財源の上積みを求める声が続出。消費税増税の税収の一部を増税による痛みの軽減にまわすのはおかしいとの指摘もあり、政府案は撤回に追い込まれた。〉云々と解説している。

 この不備も然ることながら、では代替策としてどのような財源を用意する予定なのかというと、記事は、〈政府・民主党は、国会で関連法案の審議が始まるまでに簡素な給付措置の具体案を詰める。〉と、これからのことだとしている。
 
 野田首相は自らの信念貫徹の対価としなければならない説明責任の対象政策としている「社会保障と税の一体改革」が説明責任を果たすことができない、いわば信念の対価とし得ない不完全・不備な状態に置いていることになる。

 要するに政策自体をしっかりと固めないうちに信念ばかり固めていったから、対価としなければならない説明責任が宙ぶらりん状態になっているということなのだろう。

 にも関わらず、国民世論に逆らって信念を貫こうとしている。

 記事は次のような不備も伝えている。〈具体的な給付対象などの詳細も積み残したままだ。〉・・・・

 消費税増税によって最も生活の皺寄せを受ける、それゆえに最も切実な問題となって跳ね返ることになる低所得層にこそ、先ず安心を与えるべき逆進性対策が疎かにされている。

 日本の財政状況を考えると、歴代の政治家に責任はあるとは言え、その財政健全化には消費税増税は止む得えないと考えている国民は多いはずだ。だが、反対する国民が過半数を超えている。

 それは所得に対応しているはずだ。増税は必要と思っても、生活を考えると反対せざるを得ない。

 そういった国民世論を考えないまま、国民世論に逆らう形で自らの信念を貫こうとしている。

 しかも信念貫徹の対価としなければならない説明責任を果たすための説明可能な政策の確立を待たずにである。

 何と矛盾した野田首相の「不退転」なのだろうか。

コメント
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