2008年末から2009年の年明けに東京・日比谷公園の「年越し派遣村」村長を務めた湯浅誠氏が内閣府参与と内閣官房社会的包摂推進室長を2月7日(2012年)付で退任したと《湯浅誠氏:内閣府参与を退任 年越し派遣村の村長》(毎日jp/2012年3月7日 20時30分)
退任申し出の理由――
湯浅氏「これまでの事業の実施にめどが立ち、一区切りついた」
要するに事業を立ち上げるところまで漕ぎつけた。あとは実施のみで、自身は実施スタッフとして必要としないから、退任するということなのだろう。
記事は退任についての藤村官房長官の記者会見での発言を伝えている。
藤村官房長官「首相官邸で縛られるより、もう少し自由に動きたい気持ちもあるのかと思う。今後とも大所高所からご指導をいただきたい」
湯浅氏にとっては窮屈な活動を強いられていたといったニュアンスを窺うことができる。にも関わらず、「めどが立ち、一区切りついた」と職務を満足な状態に持っていくことができたと言っている。
私は内閣府参与という言葉から、菅首相が原発事故を前にして原子力安全・保安院が信用できないからと自身の大学時代等の縁故で内閣参与を次々と採用していったものの、何ら役に立たなかった悪いイメージを頭に思い浮かべた。
役に立っていたが、管がそれを活用できなかったのかもしれない。いずれにしても菅自身の首相として発揮すべき、さらには原子力災害対策本部長として発揮すべき危機管理能力が満足に機能していなかったことが、少なくとも内閣府参与を役立つ存在とすることができなかったことを証明している。
いわばムダな存在としてしまったか、元々ムダな存在であったかのどちらかである。
このことから、湯浅氏の場合は本人が言っているニュアンス通りに内閣府参与としても内閣官房社会的包摂推進室長としても、与えられた職務に十分な力量を発揮した上での退任だったのだろうか、それとも藤村官房長官の発言が暗示するように窮屈な活動を強いられて、本人が言っていることと反対に満足な成果を上げることができなかったのだろうかと考えた。
また、「内閣官房社会的包摂推進室長」という言葉から、その役目としている「社会的包摂」とは社会的弱者という特殊な存在(かなり一般化しているが、あくまでも社会一般から見た場合の社会的な一般的存在と比較した特殊な存在という意味)を社会が一般的存在として受入れ、社会人として一般化することを意味しているのだろうと解釈し(特殊の存在のまま受け入れたのでは意味を成さない)、その仕組みの構築・推進を役目としているということだと考えたが、現実の社会を振り返ると、自殺者に関しは2009年より1177人減少したものの、2010年の自殺者は3万513人、14年連続で3万人を超えていることからも分かるように日本の社会は“社会的包摂”を機能させることができないままに推移してきた。
さらに孤独死に関しては年間どの位いるのだろうかと調べたところ、NHKが2010年に「無縁社会 孤独死3万2千人の衝撃」というスペシャル番組を放送したことがインターネット上に出回っている。この3万2千人は年間の数だそうだ。
非正規労働者の増加は職業面での“社会的包摂”から阻害されている状況を映し出しているだろうし、年間200万人を超えて増加の一途を辿っている生活保護受給者の存在は職業面や経済面での“社会的包摂”が停滞していることの証明でもあろう。
母子家庭等の経済的に貧しい家の子供が貧しさを受け継いでいく傾向にある貧困の連鎖に絡め取られた、このような存在に対して“社会的包摂”が全く麻痺状態にあることを物語っている。
「内閣官房社会的包摂推進室」が具体的にどのような対策に取り組んでいるのかインターネットで調べていると、うまい具合に湯浅氏自身が辞任について話しているHPに出会うことができた。
《【お知らせ】内閣府参与辞任について(19:30改訂、確定版)》(2012年3月7日水曜日)
詳しいことはこのHPにアクセス願うとして、先ず2010年3月5日に一度辞任、再任用された経緯と取り組んだ職務について書いていることを取り上げてみる。
〈2010年5月に再任用されたのは、同年3月の辞任時に提案していた複合的な困難を抱えた方の生活・就労一体型支援を、当時の鳩山総理が取り組むと決断されたからでした。それは現在、「パーソナル・サポート・サービス(以下PS)」のモデルプロジェクトとして現在25の地域で実施されています。
また、内閣府にPS検討委員会が設置され、制度化を検討しています。〉云々。
複合的な困難を抱えた方の生活・就労一体型支援のモデルプロジェクトを「パーソナル・サポート・サービス(以下PS)」名の下、現在25の地域で実施している。
同時に内閣府にPS検討委員会を設置し、制度化の検討に入っている。
湯浅氏が言っている「一区切りついた」とはここまでのことを言っているのだろう。
「制度化の検討」とは成果を上げる見通しがついたことからの次の段階として位置づけているはずだ。成果を上げる見通しがつかないまま制度化の検討をしても始まらない。
またこのことは“社会的包摂”の理念の発祥であるイギリスの成果に裏付けられているようだ。
〈イギリスではブレア政権時にこの理念が強調され、推進部局として「社会的排除局」が設置されました。そこでは各省の個別政策で社会的包摂理念に沿うものをかき集めて「社会的包摂政策」としてまとめあげ、それを発表することで、さらなる推進を促していったそうです。
同時に、ホームレス問題や子どもの貧困問題といった社会的排除の象徴的なテーマを順番に取り上げて、数年単位でそれらの課題に予算を重点配分していきました。その成果が、コネクションズ(イギリスで2001年に開始された13 - 19歳の若者を対象とする包括的支援制度だすだ。)やチルドレンズ・トラスト(危険な状態にある子どもの確認、予防的ケア、教育、保護を行う「地方子ども安全委員会」のこと)などの子ども若者支援体制の充実と2010年に制定された「子どもの貧困対策法」でした。
首相のリーダーシップで社会的包摂理念を政府全体として盛り上げつつ、特定の課題に対する集中的取組を進めました。〉・・・・・
だが、ブレア首相2007年6月27日辞任後の2008年9月15日リーマン・ブラザーズ破綻に端を発した金融危機が世界各国を深刻な不況に陥れ、なおかつギリシャの財政危機が引き金となった特にEU圏の不況が影響して、イギリス国民統計局は、2010年11月〜2011年1月に於ける16〜24歳若年層失業者数が前期比3万1000人増の97万4000人の過去最高を記録したと発表。
但し「16歳以上すべて」の失業率が8.0%であったのに対して、「16〜24歳」の失業率は20.6%にも上っており、これも統計開始以来、最高の数字となったとの記述がインターネット上にある。
2011年8月、イギリスの首都ロンドンで若者を中心とした暴動が起きている。この暴動はイギリス第2の都市バーミンガムを始めリバプール、 マンチェスターにまで拡大した。
この若者の敵意剥き出しの“非社会的包摂”性を持った高失業率はブレア首相が築いた“社会的包摂”を相殺して有り余る力を持っていたに違いない。
このことは同時に日本の“社会的包摂”の行く末を予見させる。
湯浅氏は書いている。〈私が関わった社会的包摂政策は、社会的排除を受けた人々に生活支援や就労支援(生活・就労一体型支援)を行い、生活再建・就労実現を目的とするものでした。それは「排除を生み出してしまうような社会」の本格的な組み換えを伴うものではなく、組み換えは生活・就労一体型支援を行う中で見えてくる諸課題を社会的・政治的に提言することで、徐々に雰囲気を醸成していくべきもの、と位置づけられています。この「控えめ」なスタンスが、「社会的包摂なんていう言葉は、ほとんど誰も知らない」という日本の現状を反映していることは言うまでもありません。〉――
目指すところは「『排除を生み出してしまうような社会』の本格的な組み換え」ではなく、「生活・就労一体型支援を行う中で見えてくる諸課題を社会的・政治的に提言することで、徐々に(“社会的包摂”の)雰囲気を醸成していく」ことだと言っている。
要するに“社会的排除”の意識を“社会的包摂”の意識へと変革していくということなのだろう。
「本格的な組み換え伴うものではな」いと言っていることは、総体としては“社会的包摂”か“社会的排除”かの状況の出来は主として経済を要件として変化するから当然のことと言える。
そうである以上、“社会的包摂”の雰囲気醸成にしても、経済に影響を受けることになるから、決して確実要素とはなり得ないあるいは砂上の楼閣となりかねない雰囲気の醸成と言える。
このことを逆説すると、全てではないにしても、多くは経済が約束する“社会的包摂”だということになる。
さらに言うと、主として不況が約束する“社会的排除”とも言える。
あからさまに言うと、多くがカネが絡むということになる。
湯浅氏が自由に活動できたかどうかは次の記述から見て取ることができる。
〈政府への要望
今回の辞任にあたり、最初の辞任時に書いた「内閣府参与辞職にともなう経緯説明と意見表明、今後」(2010年3月5日)を読み直しましたが、特に修正する部分はありません。参与という立場の性格が政府との一種の契約関係であり、政府との関係は水平的・部分的なものであること、政府の中にも外にもそれぞれの可能性と限界があること、官民関係はもっと頻繁に「出たり入ったり」できることが望ましいことなどについては、今でも同じように考えています。
できたことがわずかであること、できなかったことが多いことも、「隅(コーナー)のないオセロのようなもの」という感慨も、前回同様です。「私は政権にとって外部の人間であり、大きな方針やそれに基づく具体的な課題設定は、政府が決めるべきものです。それが選挙を通じて国民から国政を付託されている政府の責任でもあり、主体性でしょう。そして、その課題について個別具体的に協力するかしないかを判断するのが、私の主体性です」とも書いていました。したがって今回も、課題設定の主体性と責任を持つ政府に、これからのさらなる課題を要望しておきたいと思います。〉――
「特に修正する部分はありません」と書いているから、前回2010年3月5日付の「政府への要望」を読まなくとも、今回のものを読めば、用を足すことになる。
だが、前回と今回とで内容がほぼ同じだということは、政府は2010年3月5日以来、2012年3月7日の今日に至るまで要望を生かしていないことになる。
だから内容が同じ繰返しとなる要望となった。
湯浅氏は「政府との関係は水平的・部分的なものであること、政府の中にも外にもそれぞれの可能性と限界があること、官民関係はもっと頻繁に『出たり入ったり』できることが望ましいことなどについては、今でも同じように考えています」と書いている。
「政府との関係は水平的・部分的なもの」とは「非重層的・単発的」ということであろう。このことと併せて、「官民関係はもっと頻繁に『出たり入ったり』できることが望ましい」、そういった自由な重層的な関係、自由な持続的関係を築くことができなかった。
政府及び省庁の中の異なる各分野との望む通りの自由な連携ができなかったことを意味しているはずだ。
いわば政府にしても省庁にしても閉鎖的な部分があった。
このことは藤村官房長官の「首相官邸で縛られるより、もう少し自由に動きたい気持ちもあるのかと思う」の発言に符合する。
だから、「できたことがわずかであること、できなかったことが多い」という結果が生じた。
「一区切りついた」という発言に反することになる。
“社会的包摂”の意識変革だけでも成し遂げようと一人悪戦苦闘する姿が浮かんでくるが、経済が“社会的包摂”に関わる人間の意識に深く関係する基本的要件となっていることに向ける視線を少々欠いているようだ。
増税した消費税を財源として社会保障制度で以って貧困層の救済に努めたとしても経済が現在のような状況で推移したなら、“社会的包摂”は思い描いた程には底上げはうまくいかないことも考えることができる。逆の“社会的排除”の力が温存されて、“社会的包摂”を殺しかねない。く