枝野12年3月1日国会答弁菅福島原発視察「総理を守る役割と国民益・国益を守る役割」使い分けの詭弁

2012-03-03 14:50:24 | Weblog

 3月1日(2012年)午後の衆院予算委員会。梶山弘志自民党議員が昨年東日本大震災3月11日発災の翌日3月12日の福島第1原発菅無能視察、その他を取り上げて、指揮官の立場として不適切・不必要・軽率ではなかったのではないかと当時の官房長官枝野チョー詭弁家を追及。対して枝野チョー詭弁家は国民益・国益なる尤もらしい言葉を持ち出して視察を正当化していたが、その詭弁を暴きたいと思って、質疑を文字に起こしてみた。

 但し梶山議員の質問は横着して要旨のみ。枝野の答弁のみを全文書き写すことにする。

 梶山議員「NRC(米原子力規制委員会)の福島原発事故に関与した議事録、民間事故調の報告書、政府事故調の中間報告、国会事故調の議事録がそれぞれ公表され、その結果を随時原子力の安全に反映させていく責務が政府にはある。

 一方で震災に関わる政府各会議の議事録が未作成だったことは日米の認識の差を浮き彫りにした。

 NRCの議事録には日本からの情報不足のため独自の判断が迫られ、3月21日の日米合同会議開催まで独自に情報を収集していたことが書いてある。

 なぜ3月21日までアメリカに対して的確な情報提供ができなかったのか。枝野経産相は当時官房長官として首相官邸に情報が集中していたと民間事故調インタビューに答えているが、詳細についての答弁を」

 枝野チョー詭弁家「えー、お答えをさせて頂きます。あのー、確かにですね、日米間の情報共有と言いますか、意思疎通が十分ではなかった、というキライがあります。

 それを踏まえてですね、21日以降、えー、合同、調査会議を設置しました。その結果として相当意思の疎通よくなったという経緯がございます。

 で、当初の段階に於いてはですね、情報共有がと言うよりも、あのー、十分に、まあ、私、官房長官という立場からもそうですし、それから官邸全体、あるいは保安院全体としてでもありますが、十分な情報の掌握や、その整理ができていなかった。

 えー、一方で、アメリカ側からはですね、もっと、その時点で発表したり公表したりしている事実関係以外にも何か、あー、政府中枢などは知っているのではないかと認識がおありになったのではないかと。

 そうしたところで、えー、認識のズレといいますか、そうしたことがあったこと。

 そして今、逆に経済産業省という立場で特に保安院が所管でございますので、保安院と、例えばNECですか、NRCとの関係についてですね、具体的にどういうベースでどういう遣り取りをしていたのかということはきちっと精査をしないといけないなというふうに思っています」

 言葉数は機関銃の銃弾のように次々と口から吐き出しているが、詭弁、巧妙な言い回しに終始している。梶山議員の質問の“なぜ”に直接的に正面から答えていない。梶山議員は日米合同調査会議設置までアメリカに対して3月21日までの的確な情報提供ができなかった理由を聞いた。

 対して枝野チョー詭弁家は、「官邸全体、あるいは保安院全体としてでもありますが、十分な情報の掌握や、その整理ができていなかった」とその理由の一端を説明しているが、なぜ「十分な情報の掌握や、その整理ができていなかった」の根本的な“なぜ”には一切答えていない。

 3月11日福島原発事故発生から3月21日までの10日間も官邸も保安院も情報の掌握・把握ができていなかった。保安院はさておき、官邸自体がそのような状態にあったということは大問題である。政府機関としての体裁をなしていなかった欠陥組織という謗りは免れることはできまい。

 情報を的確に運用し、活かすことができなかった根本的な理由はどこにあったのか。大震災からもうすぐ1年経つのである。枝野は危機管理当事者として、この根本的な“なぜ”に答を出していてよさそうなものだが、保安院とNRCとの関係について「具体的にどういうベースでどういう遣り取りをしていたのかということはきちっと精査をしないといけない」とこれからの検証に置いている。

 大体が第一に政府の問題であり、官邸の問題である。経産省及びその所管の保安院をどう情報統轄し、統轄した情報をどう処理し、活用するかは偏に政府トップの菅無能が他の閣僚の助力を得て果たすべき責任なのだから、“なぜ”という解明(=検証)の重点は政府・官邸に置くべきを保安院に丸投げする詭弁を用いている。

 答弁に立って質問に対する最初の言葉が「日米間の情報共有と言いますか、意思疎通が十分ではなかった、というキライがあります」と「キライ」だと、ちょっとした傾向で片付けていること自体がゴマカシで始まっている。

 2月29日(2012年)の「NHKクローズアップ現代 “原発情報”クライシス~日本は何を問われたか~」で、日本からの情報不足をNRCマグウッド委員は「事故発生直後はあらゆる手段を使って日本から情報を入手しようとしたが、正直ニュースで報道された以上のものはなかった」とインタビューに答えている。

 梶山議員は「官邸が情報の掌握・把握ができていなかったのはどこに問題があったからですか」と聞くべきだった。

 梶山議員「事故は初動が大切。初動如何で事故は大きくもなるし、収束にも向かう。国民に不安を与えるも与えないも初動にかかっている。原子力に関してもアメリカの技術を導入しているし、日米原子力協定も結んでいる。なぜアメリカら情報がないと言われる事態になったのか。情報開示を拒んだからなのか」

 枝野チョー詭弁家「あの当時の官房長官としての私の認識としても、それから今経済産業大臣として、まあ、一連の調査報告や今回質問を受けるということで保安院等に確認をいたしましたが、あー、持っている情報はアメリカと共有をした上でですね、できるだけの協力をいただくように官房長官としても指示をしておりましたし、少なくともそういう認識で仕事をしてというのが現時点での保安院から上がってきている報告であります」

 詭弁と矛盾に満ちた答弁となっている。「持っている情報はアメリカと共有をした上でですね、できるだけの協力をいただくように官房長官としても指示をしておりました」と言っていることは前の答弁と矛盾そのものの食い違いを見せている。

 官邸も保安院も情報の掌握・把握ができていなかったと言ったはずだ。いくら官房長官として指示を出していたとしても、掌握・把握ができていない情報をどう「アメリカと共有」し、「できるだけの協力をいただく」ことができるというのだろうか。

 先の「NHKクローズアップ現代 “原発情報”クライシス~日本は何を問われたか~」では、アメリカ・NRCからの支援の申し出に対し原子力安全を所管する独立行政法人の幹部が返信したメールの内容を伝えている。

 返信メール本文「私たちは事故の状況をよく理解しています。支援はありがたいですが、既に十分な業者を国内で確保しています」

 NHKの調査に応じた外務省幹部の当時の日本側内情について――

 外務省幹部「日本の原子力関係者は支援の受け入れに二の足を踏んでいました。受け入れるための準備に手間がかかることが予想され、面倒なことは勘弁してほしいとのことでした」

 「二の足を踏んで」いられる状況だったのだろうか。

 例え支援受入れに時間差が生じたとしても、収束までの時間の長さを考えた場合、申し出を受入れるべきだったろう。

 問題点はこれだけではない。独立行政法人幹部は官邸と相談せずに独断で断ったとしたら大問題である。常識としてアメリカからの申し入れを官邸や東電に通して、アメリカの支援は必要か否か確認してから返事を出さなければならないからだ。

 但しアメリカが最初は官邸に申し入れて断られたかしたために埒が明かないと見て直接独立行政法人に申し入れたという手順を踏んでいた場合、独立行政法人側が官邸や東電に通したとしても既に返事が決まっていたために断ったという経緯も疑えないことはない。

 NRCの報告書は政府間の情報ルートが確立できないために情報収集は個人の関係に依存せざるを得ない状況だったと指摘しているという。

 これは事実であろう。3月15日政府・東電事故対策統合本部設置まで政府東電間の情報共有一元化を組織化することができなかった。但し組織的には情報共有の一元化を図ることができたとしても、実際的に活用できたかどうかは別問題である。

 少なくともアメリカ側とは3月15日から6日後の3月21日日米合同調査会議設置まで情報共有の一元化を図ることができないでいた。

 マグウッドNRC委員「緊急時の協力体制が整備されていなかったので、情報の入手や支援を展開する方法がありませんでした。もし私たちの経験や専門機器を提供できていたら、事故後数日間に何らかの違いがあったのではないかと悔やまれます」

 国会質疑に戻る。

 梶山議員「日米合同調査会議開催以前にアメリカから直接支援の申し出があり、それを日本が断ったことがNRCの議事録に記載されている。それは事実か」

 枝野チョー詭弁家「あのー、少なくともですね、具体的な話として、どこかに来た話について、えー、それを断ったという話は承知しておりません。

 ただ、民間事故調の報告書によればですね、政府ではなく、独立行政法人原子力安全基盤機構、おー、に対し、支援の申し出があったことに対して、日本時間3月12日の夜8時過ぎに必要があれば支援をお願いしたいということで、具体的な、あの、支援の申し出に対しては、あの、今のところ必要はないと読み取れるような趣旨のメールで、回答したと、いうような、あー、記載がございます。

 で、えー、機構に対しては申し出として、機構として回答したということでありまして、今政府としてその遣り取りに、政府として関与していないかというが、確認をしておりますが、それについては関与していないということが、今までのところの報告でございます」

 先に「NHKクローズアップ現代」を用いて触れた箇所についての言及となっている。NRC議事録にはメールのコピーが記載されているのだろう。だが、メール自体も保存されているはずである。MRCの議事録に「私たちは事故の状況をよく理解しています、支援はありがたいですが、既に十分な業者を国内で確保しています」と記録されているメール文が枝野の詭弁の手にかかると、「支援の申し出に対しては、あの、今のところ必要はないと読み取れるような趣旨」となる。

 「今のところ」ではない、はっきりと支援は必要ありませんと断ったのである。

 メール本文と枝野の解釈は異質も異質、まるきり異質なものとなっているが、「読み取れるような趣旨」とすることで、文章を一言一句正確に取り上げなかったことをゴマカシ可能とすることができる。

 最後の「政府として関与していないかというが、確認をしておりますが、それについては関与していないということが、今までのところの報告でございます」にしてもなかなか巧妙な詭弁となっている。

 関与していないことの確認は「今までのところの報告」であって、あとになって関与していることが露見したとしても、のちの調査で明らかにされたと誤魔化すことができる。

 いずれにしても独立法人は「今までのところの報告で」はアメリカの申し出を政府に問い合わせも確認もせずに独断で判断して、独断で回答したことになる。

 何とも不自然な常識だが、いくら原子力に関係のある独立行政法人だとしても、直接官邸の相談に乗っていたのは原子力安全委員会の班目委員長であり、官邸と原子力安全委員会を差し置いて、その相談を受けもせずに一独立行政法人が昨日原発事故が発生したばかりの3月12日夜8時過ぎの時点で、「既に十分な業者を国内で確保しています」などと言えるだろうか。

 梶山議員「今あれこれ言って水掛け論になっても仕方がない。是非真相究明に努めて貰いたい。菅総理の第1原発視察について民間事故調の報告書には当時の枝野官房長官は絶対にあとから政治的な批判を受けるからと反対をしたが、菅総理はそれを振りきって視察したという表現が記載されているが、その発言は事実なのか」

 枝野チョー詭弁家「えーと、この12月未明の段階でですね、東電、あるいは原子力発電所の方から、十分な情報、例えばベントができないということです。

 なぜできないのかといった情報が入ってこないということの中で、事態の重要性を鑑みれば、誰かがしっかりと現実に行ってコミュニケーションのラインをつくってこなければならないと、まあ、いう認識を私は持っておりました。その場合行くとすれば、総理か当時の官房長官として私か、海江田経済産業大臣かで、あろうと、私は思っておりました。

 従って誰かが行くということについては、私も総理であるかなと。

 そしてその場合、政治的なリスクを考えなければ、あー、原子力について若干でも基礎的な素養を持っている菅総理が一番望ましいだろうと私も思っておりましたが、ただ、あのー、政治的なリスクとしてはですね、あのー、総理が官邸を離れるということについては、それがもし客観的に正しい判断だったとしても、批判をされるであろうと。

 おー、従って、そのことは官房長官として申し上げました。ただ総理は当時の菅総理は、あの、そうした政治的なリスクよりも、如何にこの原発の事態を収束させることの方が重要なんだと。だから、そういった要素のことは考えなくてもいいということで、えー、おいでになった。

 こういう経緯でございます」

 現場に直接行かなければならないという認識を枝野が持っていた。行くとすれば菅無能か枝野チョー詭弁家か海江田経産相のいずれかだと枝野は思っていた。

 ということは視察を発案したのは菅無能ではなく、枝野だということになる。その結果、「従って誰かが行くということについては、私も総理であるかなと」という発言が出てくる。三人の中から最もふさわしい人物として菅無能を人選したということである。

 但し菅無能を人選しておきながら、菅無能が行く場合は「政治的リスク」が生じるとするのは矛盾がある。政治的リスクがあるなら、最初から枝野自身か海江田経産相の2人に人選を絞ったはずだが、「政治的なリスクを考えなければ」という条件付きで管を入れ、「原子力について若干でも基礎的な素養を持っている」からと、一番望ましい人選としている。

 実際は菅無能の独断行為だったが、視察を枝野の発案だとすることで、管の責任を薄めようとする意識を働かせた虚構の疑いが濃い。

 菅無能を第一番の人選に入れておきながら、政治的リスクがあるとするこの矛盾は「総理が官邸を離れるということについては、それがもし客観的に正しい判断だったとしても、批判をされるであろう」という言葉によっても証明できる。

 「客観的に正しい判断」だと自ら認め、信念できたなら、「政治的リスク」は恐れないはずである。

 だから、「政治的リスク」を除外して総理の視察を敢行した。それが菅無能の「そうした政治的なリスクよりも、如何にこの原発の事態を収束させることの方が重要なんだと」ということなのだろうが、但し「客観的に正しい判断」だと押し通すだけではなく、「客観的に正しい判断」だとする根拠・理由を具体的・詳細に述べなければならない。

 野田首相は「客観的に正しい判断」だとして、不人気という「政治的リスク」を承知しながら、消費税増税に邁進しているはずである。

 だが、消費税増税の必要性の根拠・理由の納得できる具体的・詳細な説明を果たしていない。

 菅無能の視察が「客観的に正しい判断」だとする根拠・理由を以後の枝野発言に待つことにする。

 梶山議員「誰かが行く必要があったとしても総理が行く必要はないと思う。体を張ってでも止めるべきではなかったか」

 枝野チョー詭弁家「まあ、官房長官の役割というのは、内閣総理大臣を政治的に守るという役割と、勿論、国務大臣として、えー、国民益・国益のために仕事をすると、いう両面がある思っています。

 えー、時としてそれが矛盾をする場合もありうるというふうに思います。内閣総理大臣を守るという観点からは、あー、体を張ってでも止めるべきだったと思っておりますが、国民益・国益を守るという観点からは判断間違っていなかったと思っています」

 詭弁家だけあって、巧妙な言い回しを駆使している。既に触れたように批判されるという政治的リスクを敢えて冒すことを「客観的に正しい判断」だとして総理視察を敢行したはずである。

 その時点で「内閣総理大臣を守るという観点」も除外したはずである。「政治的リスク」の除外とはそういうことでもあるはずである。

 当然、「体を張ってでも止めるべき」という要素をも除外していなければならない。だが、ここでは質問者の「体を張ってでも止めるべきではなかったか」の言葉に乗っかって、「内閣総理大臣を守るという観点からは、あー、体を張ってでも止めるべきだったと思っております」と前言に反して調子を合わせている。

 「内閣総理大臣を守る」という思いも、「体を張ってでも」といった思いも思いつきの感想に過ぎないからだろう。

 国民益・国益を守ることと内閣総理大臣を守ることは基本的にはイコールでなければならはずで、常に一体としなければならない。国民益・国益を守ることが内閣総理大臣を守ることにつながり、内閣総理大臣を守ることが国民益・国益を守ることに反映していく関係が理想のはずだ。
 
 国民益・国益を守ることにならない内閣総理大臣を守る行為は矛盾そのものとなる。

 だが、時として国民益・国益に反して内閣総理大臣のみを守る状況が生じる。国民無視の政治と言われる現象がこれに当たる。

 枝野は「国民益・国益を守るという観点からは判断間違っていなかったと思っています」と言っているが、だとしたら、視察は菅無能を守ることに繋がるはずだが、批判が絶えない。

 視察が国民益・国益としてはっきりと見えてこないからだ。枝野は単に詭弁を駆使して、「国民益・国益を守るという観点からは判断間違っていなかったと思っています」と言うだけで、現在のところどのような国民益・国益だったのかの説明がない。

 枝野は以後の発言で説明しなければならないだろう。

 梶山議員「国民益・国益を考えても総理が行くべきではなかった。総理の権限を委任された官房長官が行くべきだった。菅総理視察の判断は今でも間違いはいないと思っているのか」

 枝野チョー詭弁家「総理大臣を守るという観点からは、あー、体を張ってでも止めるべきであったのではないかと思っておりますが、あー、原子力発電所の事故を如何に小さく、早く収束させるかという観点からは、菅総理が当時行かれたことは間違っていなかったと私は思っております」

 「菅総理が当時行かれたことは間違っていなかった」と信じるなら、「体を張ってでも止める」ことは無用で、「総理大臣を守る」ことに繋がっていかなければならない。

 当時の官房長官の立場からしたら、「総理大臣を守る」ことに繋げていかなければならない責任を有していたはずである。

 だが、下がり続けていた支持率は一向に上がらず、下がるばかりで、辞任に追い込まれていった。

 梶山議員「総理が最適任者ということだが、総理大臣が行かなければならないという意味なのか」

 枝野チョー詭弁家「あのー、11日の深夜から12日の未明にかけて海江田経産相を先頭にしてですね、えー、東電の・・・(聞き取れない。多分、常務のはず)の方、あるいは保安院の幹部、班目委員長にも途中からお入りいただいて、あの、相当な、おー、激しくですね、何とか情報をちゃんと上げてくるようにと、遣り取りをしていたにも関わらず、そして、えー、ベントをしないと、早くしないと、おー、大変になるかもしれないと、いう問題を共有して、それは当然の方(かた)も含めて共有していたにも関わらずですね、えー、なぜベントが行われないのかという情報すら上がってこないと、いう状況。
 
 まさに我が国にとって、えー、その時点で、早くベントを実施する、あるいは少なくともベントができないなら、なぜできないのかという情報を、ですね、保安院の方にあったり、あるいは政権の中枢がしっかりと掌握できると、いうことなしにですね、えー、まさに他のあらゆる手段(笑いを小さくふっと漏らす)がですね、本当に原発が爆発するようなことになったらですね、あの、対応ができなくなるというか、大変大きな被害をもたらすという状況の中にありました。

 従ってですね、現地で責任を持って、えー、判断をできる人間が行ってですね、ちゃんと情報が上がってくるようなラインを造り、現場の情報を把握するということが必要であったと。

 その際に於いてはその責任を持って判断をするということを含めて考えれば、勿論専門家であれば班目委員長にもご同行をいただいておりますが、政治的に責任を持てる立場として総理か官房長官か経産大臣かと、おー、誰かが行く必要があるだろうと。

 で、まあ、リーダーシップの在り方として、一番のトップはドンと構えて、上がってくる情報、しっかりと踏まえた上で、判断するのが、まあ、日本型の一般的なリーダーシップの在り方だということとして評価されるであろうということは、その当時から私も認識しておりましたが、ああした、まさに危機的な状況になりかねない状況の中にあって、むしろ最終的な責任と判断の権限を持つ者がですね、最前線で情報を把握をせざるを得ないと、いう状況の中にありましたので、私は色んなご批判はあろうかという思いますし、それから現地対応ぶりなどについてですね、あの、他にもちょっとやりようがあったのではないのか等というご批判は色々あろうかというふうに思いますが、総理があそこで原発に行って現地の所長等とコミュニケーションを取るという判断、そして実際、そのことによってですね、その後、吉田所長が、これもあの色々と客観的なご批判もあるかもしれませんけれども、少なくとも責任感を持ってですね、仕事に取り組まれて、えー、そして、えー、少なくとも一定程度適切なご判断をされたことが非常に信頼に足る人物であるとしっかりと判断・認識できたということを含めて、その後の対応に当たってですね、大変意義のあったことだと思っています」

 一気にペラペラと喋った。「ちゃんと情報が上がってくるようなラインを造り、現場の情報を把握するということが必要であった」という、それだけのことに「現地で責任を持って、判断をできる人間」が行く必要があった。

 これだけでは菅無能が直々に行く理由とはならない。枝野が単に菅でなければならなかったと言葉でつくっているだけである。

 そして菅視察の成果として、吉田所長が責任感を持って仕事に取り組んでいたために「非常に信頼に足る人物であるとしっかりと判断・認識できた」こと、「その後の対応に当たって」「大変意義」が生じたとことを挙げている。

 この成果を以てしても、菅無能直々の視察の納得いく理由とはならない。

 他の誰が行っても確認できる所長の人物像であるはずである。大体が内部に危険を抱えた原子力発電所の所長が責任感のない、信頼に足らない人物であるという逆説は許されないはずである。

 総理が直々に行って確かめなければならない事柄ではあるまい。「その後の対応に当たってですね、大変意義のあったことだ」と言っているが、この時点以降も情報は錯綜し、時に遮断し、実際にあったことなのかどうなのか未だ不明だが、東電の全面撤退の問題が浮上した際の混乱と、少し前に触れたが、視察から3日後に菅無能が東電本店に乗り込んで政府・東電事故対策統合本部設置して情報の的確な把握・共有等の一元化を図らなければならなかったことは枝野の「ちゃんと情報が上がってくるようなラインを造り、現場の情報を把握するということが必要であった」ことを満足に果たしていなかったことになり、その後の対応に意義があったとする言葉を無意味とする。

 当然、菅無能の視察は何だったのかということになる。
 
 「ちゃんと情報が上がってくるようなラインを造り、現場の情報を把握する」仕組みは政府・東電事故対策統合本部設置によって初めて緒に就いたのである。

 梶山議員「吉田所長が信頼に足る人物だと分かったということは認めるが、果たして総理が行く必要があったのか。視察によってベントが遅れたのではないかと疑問に感じている。今後こういう事故が起こったときのシュミレーションのためにも正確な検証が必要になる。総理が行ったんだから、次も総理が行くことになるのか」

 枝野チョー詭弁家「先ずベントに対する影響については、これは、民間事故調の報告書、あるいは政府事故調の中間報告書等で、あのー、特に政府事故調の中間報告書等で、私も初めて知ったことでございますが、そのー、原発の線量の問題であるとか、それから(東電と)県との遣り取りの中で、あの、避難を優先させた等という現地の、適切な判断ではないかと思いますが、そういったことが事情であったと、これは明らかになっている、あのー、総理が行かれたことが遅れの原因ではないということが私は明らかになっているというように思っています。

 その上で、私は、あのー、一般論として、あの局面であれば、あの、総理大臣の職にある者が行くことが適切であると申し上げているつもりはありません。

 あのー、同じようなことがまた起こってはいけないわけですが、もし、今の、オー、立場で、今の顔触れ、えー、あの時と同じような局面があったなら、私が経済産業大臣として私が行きます、ということを、そういうふうに強く申し上げたいと思います。

 これはまさに危機時に於いてですね、あのー、まさに、そのー、局面局面に於ける基本的なマニュアルや基本的な考え方は当然事前に準備しておくべきですが、その局面局面に於ける判断だと思います」

 語るに落ちるとはこのことだろう。詭弁に落ちると言うべきかもしれない。ベントの遅れは原子炉周辺の放出放射線量が高かったこと、住民避難を優先させたことが原因だったと最近公表された民間事故調や政府事故調等の中間報告書で知った。

 管原発視察時に知った情報ではなかった。ベントを直接指揮して行った吉田所長に直に尋ねなかったことになる。

 ベントの遅れと遅れの理由の情報が上がってこなかったことが発端となった総理直々の現場視察である。聞かないはずはないベント遅れの理由である。あくまでも状況証拠でしかないが、視察で何らかの遅れが生じたが、東電側にしてもその後のことを考えてそのことの情報を隠蔽した。だが、一度隠蔽すると、露見した場合、隠蔽の責任を問われることになるために、口裏を合わせて隠蔽し続けている可能性もある。

 そうとでも考えないと、枝野の説明は詭弁・矛盾だらけで理路整然とした論理づけができない。

 また、同じような原発事故が発生し、情報が上がってこないといった同じような局面が生じた場合は経済産業相としての自分が視察に行くと言っているが、今まで言っていた「政治リスク」の除外、菅視察は「国民益・国益を守るという観点からは判断間違っていなかった」と言っていたことをすべて無視した矛盾した詭弁発言となっている。

 最初の方で、「原子力について若干でも基礎的な素養を持っている菅総理が一番望ましい」と言っておきながら、「一般論として、あの局面であれば、あの、総理大臣の職にある者が行くことが適切であると申し上げているつもりはありません」とまで言っている。

 あくまでも、「国民益・国益を守るという観点からは判断は間違っていなかったとすることができるなら、総理の視察もあり得ます」と言うべきで、そう言うことによって発言全体に整合性を与え得る。

 多分、自身の発言の非整合性に気づいたのだろう。だから、「局面局面に於ける基本的なマニュアルや基本的な考え方は当然事前に準備しておくべきですが、その局面局面に於ける判断だと思います」と、その時の判断によって違いも生じるという趣旨で発言を軌道修正している。

 なかなか油断のならない男だ。尤も詭弁家であることが既に油断のできない人間に出来上がっていることを示す。

 梶山議員「総理と保安院との間の信頼関係が崩れたことから6名の内閣参与を任命したが、このことがまた情報錯綜・混乱の原因となった。新聞記事には原子力に専門家ではない内閣参与を任命するのはやめたほうがいいと枝野が進言していたと新聞記事にあるが、事実なのか」

 枝野チョー詭弁家「あのー、これもですね、先程官房長官として内閣総理大臣を守る、という観点からは、その、おー、色々な視点からですね、総理大臣のリーダーシップの在り方であるとか、危機管理の在り方について、政治的に、あるいは社会的に批判を受けることになるであろうと。

 従って、避けた方がよろしいですね、ということは何度か総理に申し上げました。ただ、あの、正にああした危機管理の状況の中に於いて、国民益・国益を守る観点から、どうであるのか、ということについては、あの、私は菅総理に意見を申し上げておりません」

 情報錯綜・混乱の原因ともなっているからと、「内閣総理大臣を守るという観点から」、「避けた方がよろしいですね」と申し上げた。だが、「国民益・国益を守る観点」からは「菅総理に意見を申し上げておりません」では「国民益・国益のために仕事をする」役割の放棄となって、最初の方で言っていたことと矛盾する。

 閣僚として総理大臣を守ることと国民益・国益を守ることは基本的にイコールでなければならないと書いた。そして菅総理直々の視察に関して枝野は「国民益・国益を守るという観点からは判断間違っていなかった」と断言している。

 当然、結果的にそうなっても、「内閣総理大臣を守るという観点」を優先させるのではなく、「国民益・国益を守るという観点」をより優先させて「避けた方がいいですね」と諌めるべきだが、そのような観点に立たなかった。

 詭弁家の詭弁家である所以がここに象徴的に現れている。

 梶山議員は海水注入問題等に関して班目原子力安全委員会委員長への追及へと移る。

 以上、枝野の狡猾なまでの詭弁家ぶりを書いた。菅の無能振りを同時に炙り出すことができたと思う。

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