3月16日(2012年)参院予算委員会。林芳正自民党議員が高校無償化について平野博文無能文科相を追及した。
平野文科大臣は2012年1月13日の野田改造内閣での任命であって、野田首相は改造後の記者会見で「最善かつ最強の布陣を作るための改造」だと宣言している。
当然、「最善かつ最強の布陣」を構成する一人ということになる。だが、林議員の追及に意味の通らない、支離滅裂、しどろもどろを演ずるばかりで、満足な答弁ができない姿は「最善かつ最強の布陣」の内閣の一人にふさわしい、みっともない無様さを曝した。
このことは野田首相の任命能力の優秀性を証明する人事でもあろう。
林議員「与野党協議で高校無償化、所得制限をかけることができないではないかという、基本的なところがなかなか折り合いがつかなかったということを聞いております。
そこで文科大臣の、今日は集中の出席ではないのですが、お煩わせして来て頂きましたが、えー、なぜ、児童手当の方にですね、きちっと所得制限がかかる。えー、これ、この中学生までなんですね。一方で高校へ行った瞬間から、無償化の方は所得制限ができない。
それ、どういう考え方なんでしょうか」
平野文科相「あのー、もう先生も、えー、ゴメイ(?「ご承知」ということか)どおりだと思っていますが、今、あのー、3党で、幹事長会議の部分を受けまして実務者協議を、えー、頻繁にやっていただきました。
えー、実務者協議が、えー、折り合ってる部分、折り合っていない部分を含めて、えー、幹事長レベルに上げると、そういう、まあ、状況のもとで、政党間協議を真摯に受け止めたいと、こういうことでございました。
えー、そういう流れの中で、えー、今、えー、私どもが、えー、基本的に考えている、えー、所得制限に関する件ですが、ポイントだけ申し上げますと、家庭の状況に関わらず、すべての意志のある高校生、等々につきましては、安心して学べると、そういうことで、その教育費については社会全体が、えー、負担をすると、こういう考え方に、実は立っていると、こういうことが、えー、第一点でございます。
で、もう一つは、えー、高校無償化との、オー、無償化に於きましては、やっぱり制度開始時より、えー、恒久的な、ま、実施措置として、をしており、それを前提に、まあ、生徒が進路選択をしていると。
こういうことで、現金支給という考え方ではなく、制度として実行していると、こういうことでございます。
で、私学の高校生についても就学支援金についても、全てその授業料に充てられることが制度的に、まあ、担保されていると。こういうことで、えー、児童手当という、先生の、所得制限扱いだと、こういうことでございますが、えー、ちょっとそこは異なるものであると。こういう認識に立ってございます。
いずれにしましても、政党間協議を、えー、どういうことになるのかということを待って、えー、誠実に対応していきたいと、こういうことでございます」
林議員は児童手当は所得制限を設けたが、高校無償化に所得制限をかけないのはなぜかと、その理由を問い質した。端的に、これこれの理由に基づいて、あるいはこれこれの理念に基づいてかけないのが理想だと答えれば済むものを、満足に答えることができなかった。
意味が通じないことを回りくどく、また答弁に関係しない政党間協議まで持ち出してくどくどと述べている。
その簡潔明瞭さに感心する。
林議員「あのー、テレビのご覧の方はあまり意味が分からなかったんではないかと思いますが、まあ、私流に解釈しますと、えー、子ども手当の最初のときも、今みたいな、あの、みんなで社会でということをおっしゃっておられましたが、えー、結局児童手当所得制限付きになったんですね。
大臣、今いみじくもおっしゃっていただいたように、たまたま子ども手当を放っておくと法律が切れちゃう。で、児童手当、あのー、高校無償化の方は放っておくと、ずっと続いていくんで、折り合う必要はなかったと、端的に言うとそういうことだと思うんですね。
従って、今のまま、考え方のうちですね、社会でみんなで、えー、やると。みんな心配しなくて高校へ行ける。で、えー、非常におカネ持ちのですね、方にとって、その心配なく高校へ行けるというのは、これがないと、心配が出るんでしょうか」
平野文科相「 一般的に言いまして、やはり経済的負担を、やっぱり軽減していくと。えー、特に、イー、高校生が98%も高校進学していると、いうことで、いうことについては、だから、高校、あのー、おカネ持ちの、おカネ持ちの方についてと、云々ということについてよりも、私はあくまでもこの制度の趣旨云々と言うことを、言っておりますので、その、議員指摘のそのことだけを把(とら)まえますと、そういう点はあるかもしれませんが、私は、えー、制度・理念として、私は受け止めておるところでございます」
相手の質問に応じて高校無償化の制度・理念に高額所得者の子息に対しても無償化とすること、所得制限をかけないことがどう関わっているのか、その整合性を説明すべきを制度理念と所得制限をかけないことを別々に扱っているトンチンカンを演じている。
林議員「大臣は、まあ、行政におられるんで、法律に基づいて行政を執行するという立場かもしれませんが、今、私が議論したいのは、制度を含めてですね、法律を変えようじゃないかということをやってるんです。
従って、その今の制度に、法律に書いてあることを読めば、そういうふうになるんですが、その上の地点に立ってですね、制度がなぜ必要なのかという質問してるんですね。
従って、あの、高所得者の方が、この無償化がないと、高校に通うのに不安になる、というようなことがですね、実際にあるのか、もう一度お願いします」
平野文科相「今、えー、議員の指摘については、えー、高等学校等に於いて家庭の経済状況に関わらず、すべての意志のある高校生が安心して教育が受けることができるように、イー、したと、そういうことでございます」
ヤジ、自民党議員が委員長席に集まり、ほんのいっとき中断。答弁のやり直し。
平野文科相「高所得者の人が、おカネ持ちの人が、そのことによって不安になると、オー、いうことはないと思います」
林議員「あのー、最初からそう答えていただくとよかったと思いますが、不安になることがないんであれば、なぜ無償化にする必要があるんですか」
平野文科相「そこは、あー、おカネ持ちであろうが、えー、云々であろうが、えー、私は、えー、社会全体で支えていくと、こういう理念のもとにこの制度設計をしていると。
しかし、えー、一方では政党間での協議をやられていますから、結論を、えー、真摯に受け止めたいと、こういうことを申し上げております」
理念づけの理由を問い質しているのに対して理念を誰にとっても予定調和的な既存の価値観を備えているかのように発言している。
林議員「あのー、与党協議が打ち切られたんです。真摯に受け止めるとおっしゃっても、一番の打ち切られた理由がそこなんですね。
ですから、おカネ持ちの方がどうして、その無償化が必要なのかということがあまり伝わってこないんですね。我々も所得制限をかけて、その上のところは後で返さなくてもいいようなですね、給付型の奨学金にしようじゃないかと、ここまで、提案しているんですね。
その方が、余っ程、トータルの限られた財源を使うためにはいい政策だと、いうふうに思いますが、如何ですか」
平野文科相「まあ、あのー、この制度導入したときに、イー、付則の中にも、えー、ございます。えー、見直し規定もございますが、今、現、えー、時点に於きましては、私共は、この制度で以ってやらしていただきたいと、こういうことでございます」
何と説得力希薄な答弁なのだろう。単にこの制度でいくんだと相手の納得なしに言い張っているに過ぎない。
林議員「まあ、あのー、今、閣僚としての答弁ということで、まあ、法律が変わっていないから、その通りやるんだと、いうことで、極めて政治主導でないようなご答弁だったと思います」
(「授業料無償化の問題は別途やりたいと思います」と言って、農業戸別補償制度問題に質問を変える。)
高校無償化が「社会全体で支える」理念だとして所得制限を設けないということなら、「子ども手当」にしても同じ理念のもと発案し、スタートさせたのだから、その理念を死守すべきを、自公に妥協して所得制限を設けることにした。その非整合性を演じて平然としている。
要するに「社会全体で支える」の理念が衆参ねじれの数の力に負けたに過ぎない。理念などといっても、実現するも実現しないも、いざとなれば数の力をバックにしなければならない。
このことが菅無能首相には理解できなかった。2010年参院選に敗北すると、参議院数の逆転を「熟議」の機会となる「天の配剤だ」とまで抜かした。
数が劣る場での熟議は所詮、多くは妥協か後退しか招かない。
だが、高校無償化は恒久法だから、参院に於いて数が劣勢であっても政権交代しない限り守ることができる。その一方で現行の「平成23年度における子ども手当の支給等に関する特別措置法」は平成23年10月1日から平成24年3月31日までの時限立法であるために、続けるとなったなら、自公の協力を求めざるを得ず、妥協と後退の末に「社会全体で支える」理念を捨て、所得制限を設けることとなって「社会全体」が崩れた。
わけもわからないことを言うのみで、高校無償化の意義・理念を満足に説明して切り抜ける才覚を持たない平野文科相が野田首相が言うところの、「最善かつ最強の布陣」の一角を占めているということなのだから、「最善かつ最強の布陣」が聞いて呆れる。
高校無償化に於ける「社会全体で支える」とは親の経済力は要件から外して、すべての意志のある高校生のみを対象に無償化という名の同じ位置に立たしめる平等性を保障することを理念としているはずである。
親の経済力を要件とした場合、無償化という点での平等性は崩れることになる。その結果、親の経済力をバックに授業料有償の生徒をして優越的位置に立たしめるケースも生じる。
優越感に浸って無償化を受けている生徒を侮った場合、その子の成長にとって、あるいは社会化にとってよからぬ影響を与える可能性も出てくる。
【社会化】「個人が所属する集団の成員として必要な、規範・価値意識・行動様式を身につけること。」(『大辞林』三省堂)
逆に親の経済力をバックとすることができずに無償化の恩恵に与(あずか)る生徒は心理的な引き目を負わない保証はない。
当然、そこに心理的な差別のメカニズムが生じることになる。
いわば親の経済力の有無に関係なしに授業料という点で高校生全体を、特に心理的な面で平等の条件下に置き、心理的に平等な機会に立たしめるということであろう。
こういった平等性は一見、高所得者の子息には必要ではなく見えるかもしれないが、実際には高所得層の子息が囚われかねない、俺達は違うんだといった優越性の排除と、中低所得層の子息の授業料をタダにして貰っているという負い目を感じかねないそれとない、あるいは無意識のコンプレックスを排除するという点で、両者に必要な条件であるはずである。
高校無償化の理念を満足に説明できない政治家が無償化に関わる所管大臣を務めている。このことの国家財政の無駄は決して小さくないはずだ。