孤立死防止危機管理は一定の条件下にある誰もに起こり得る事態として万が一の最悪場面を思い描く想像力

2012-03-11 10:54:06 | Weblog

 最近孤立死がマスコミによって取り上げられている。私自身は71歳の今日に至るまで生涯に亘って独身、市営アパートで単身生活を送っているから、孤立死に見舞われかねないケースのいの一番の対象ではあるが、私自身は孤立死、と言うよりも孤独死が最もふさわしい死の迎え方、人生の最終場面だと思っていて、そうあることを半ば望んでさえいる。

 例え発見が遅くなっても、孤立死、もしくは孤独死という性格上、そのような性格を際立たせることになるから、却って望ましい発見の遅れだとさえ思っている。

 但し関係者にとって発見が遅くなると人命に対する危機管理の点で問題が生じることになるから、私以外の孤立死防止の観点から言うと、一定の条件下にある誰もに起こり得る事態として「万が一」の場面を思い描く想像力が最も効果的な危機管理になるのではないだろうか。

 災害や事故の発生に万全の態勢で備えていたとしても、その発生の瞬間を予想していた人間は殆どいないはずである。多くが思いがけない瞬間に発生する。

 例えば車を運転していて、衝突事故を起こして相手の運転者や同乗者を死なせてしまう、あるいは歩行者を跳ねて死なせてしまったとき、その瞬間を予想していた人間は存在しないはずだ。

 また、車を運転していて衝突事故を起こされたり、道路を歩いていると信号無視の車や暴走車に跳ねられる事故に遭遇したとき、その瞬間を予想していた人間は皆無であろう。

 前以てその瞬間を予想できたなら、事故は防ぐことができる。自分の方に違反があった場合、死なずに済んだならの話だが、事故後にその違反を後悔することぐらいしかできない。どれ程悔やんでも、事故発生前に時間を戻すことはできない。

 但し、多くの自動車事故が大体が決まりきったいくつかのパターンで繰返し起きて、誰にとってもそれが起こり得る事態となっている以上、実際の数ある事故のシーンのどれもに自身も遭遇しかねない起こり得る事態として横たわっていると考えなければならないはずである。

 単にそのことを自覚しているか自覚していないかの違いしかないはずである。自覚していなかったとしても、事故を起こせば、いやでも起こり得る事態だったと自覚せざるを得ないはずである。

 地震の発生の瞬間がいつなのかは予知が確立していない現時点に於いては誰も予想することはできないにしても、地震の発生はどこでも起こり得る事態として予想し、それ相応に備える。備えを上回る被害に遭遇したとしても、何も備えをしていないよりは全体の被害は少なくて済むはずだ。

 様々な災害や事故が稀有な事例ではなく、誰もに起こり得る事態として共通化しているなら、そのことに対する備え、危機管理は起こり得る事態と把えて、万が一そうなった場合を思い描く想像力にかかっているはずである。

 それも最悪場面を思い描くことによって、その備え、危機管理は強固な姿を取る。

 若い母親が、あるいは若い父親共々心置きなくパチンコに打ち興じるためにパチンコ店の駐車場に停めた自家用車の中に幼い子供を何時間も残して熱中症で死なせてしまう事件が毎年のように1件か2件起きるが、車に残したなら、車中の温度が40度、50度と上昇して熱中症で死なせてしまう過去の事件を学習し、そういったことをしたなら、幼い子供の誰もに起こり得る事態となると万が一の最悪場面を思い描く想像力があったなら決して起きない事件であろう。

 親が幼い子供を部屋に残して出かけた場合、その子のそばにライターやマッチの類が置いてあったなら、火遊びに興じて最悪火事を起こし、子どもが焼死する事件はそのような条件下に置かれた子供の誰もに起こり得る事態だと、万が一の最悪場面を思い描く想像力が親にあったなら、ライターやマッチの類を子供の手の届かない場所に隠しておく備えをしてから出かけるに違いない。

 3月7日(2012年)、東京都立川市の都営アパートで90歳代と60歳代の女性親子が死後1カ月の、いわゆる孤立死の状態で発見された。死因は病死か衰弱死のいずれかだという。《高齢女性2遺体、死後1か月 東京・立川市》日テレNEWS24/2012/3/9 4:56)

 3月2日、地元の自治会長が郵便物がたまっているのに気付き、アパートを管理する東京都住宅供給公社を通じて立川市に連絡。

 5日後の3月7日、市の担当者が部屋の確認に来訪。遺体発見。

 司法解剖の結果、胃の中は空の状態。

 3月8日、記者会見。
 
 土屋英真子立川市高齢福祉課課長「住宅供給公社からの居住者の情報提供だったので、緊急性の判断を住宅供給公社がすると考えていた」

 次の発言はインタビューを受けてのことか記者会見の発言かは分からない。

 小室明子東京都住宅供給公社総務部長「(部屋に)入った結果、元気だったり亡くなっていなかったりするケースも現実にあります。その結果、住民の方とのトラブルもあったりするので、その選択は慎重に十分に状況を見極めながら行っているというのが実際のところです。

 今回、結果として遅れてしまったことは重く受け止め、残念で反省しております」

 要するに双方共に相手に責任を丸投げした。

 小室明子総務部長は何事も起きていなくて住民とトラブルになるケースがあるために無断入室は慎重にならざるを得ないと言っているが、安否確認優先、その結果の住民とのトラブルなら、止むを得ずとしてそのような対応策を取っているのだと、「お怒りはご尤もですが」と詳しく説明して納得を得る安否確認優先の危機管理は採用していないかったことが分かる。

 いわば安否確認よりも住民とのトラブル回避を優先させてきた。

 次の記事――《認知症の母と介護する娘か 市の対応遅れも 東京・立川市の孤立死》MSN産経/2012.3.8 12:21)は別の事実を伝えている。

 先月下旬、自治会長がアパートを管理する東京都住宅供給公社(JKK)に「母娘と連絡が取れない」と通報。

 住宅供給公社は2人暮らしであることなどを理由に立ち入り確認はせず、今月2日に立川市に安否確認の依頼をした。

 その結果、上記「日テレNEWS24」が伝えているように立川市は「住宅供給公社からの居住者の情報提供だったので、緊急性の判断を住宅供給公社がすると考えていた」として、住宅公社に責任を丸投げしたということなのだろう。

 3月7日午前、地域の民生委員が地域高齢者の相談窓口になっている市南部東はごろも地域包括支援センターを訪れ、「姿が見えない」と伝える。

 同日午後、立川市職員が訪問。

 記事は、市職員は宅配サービスの不在票の状況などから在宅していると判断、警察と消防に通報。2人の遺体発見。

 宅配サービスの不在票が遺体発見を手助けした形だが、このような外見的な兆候がなかった場合、どうしただろうか。 

 孤立死は全国的に既に珍しい事件ではなくなっていて、一定の状況を抱えた誰もに起こり得る事態となっている。東日本大震災に見舞われた被災地の仮設住宅でも孤立死は起きている。

 2人暮らしであっても、一人が病気で突然死し、一人が何かの理由で自分で食事を摂ることができずに衰弱死する前例、立川市でも2月に母親が突然死して、知的障害を抱えた幼い男児が自分で食事が摂れずに衰弱死し、死後1~2カ月後に発見という事件が起きている。

 別の「MSN産経」記事が、〈都営住宅では誰にも看取られずに死亡していたことが判明するケースが自殺も含めて、年間約400件ある〉という事態にまで至っている。

 自治会長が郵便物がたまっていると通報した時点で、そういった外見的兆候下では一定の条件下にある誰もに起こり得る事態が既に進行しているのではないかという万が一の最悪場面を思い描くことはしなかったのだろうか。

 万が一の最悪場面を思い描きながら、入室まで図らなかったとしたら、最悪である。万が一の最悪場面を頭から振り払うと同時に職務上果たさなければならない面倒をも振り払ったことになる。

 孤立死は一定の条件下にある誰もに起こり得る事態だと関係者だけではなく、そういった条件下にある当事者自身にしても自覚したとき、万が一の最悪場面を思い描く想像力が働いて、孤立死に備える危機管理の様々な手段を前以て講じる想像力へとつながっていくはずである。

 但し私自身は第三者に対してそういった想像力を働かすことはあっても、えらく迷惑な話だとは分かっているが、自分に対する備えはしないことにしている。

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