八ッ場ダム建設継続は菅仮免参院選マニフェストで既に決定、前原の反対は馴れ合いのサル芝居

2011-12-24 11:04:19 | Weblog

 野田首相は昨日(2011年12月23日)、「政府・民主三役会議」を開催、「2009年衆院選マニフェスト」に従って2009年9月16日鳩山内閣発足と同時に国交相に就任した当時の前原誠司が認証式後の就任記者会見で公表し、鳩山首相自身も翌日、これを支持し建設中止とした群馬県八ッ場ダムの建設を継続、来年度予算案に必要な経費を計上することを正式に決定した。

 前原誠司は鳩山内閣を継いで発足の菅内閣でも国交相を留任、2010年9月の民主党代表選で再選され、2010年9月17日発足の菅改造内閣で外相に就任するまで、ちょうど1年間の任期を国交相として過ごしている。

 前原国交相辞任のあとを引き継いで2010年9月17日に国交相に就任した馬淵国交相が八ツ場ダム建設中止方針の撤回を打ち出した。

 国交相に就任してから20日近く経過した11月6日(2010年)午後の記者会見。

 馬淵国交相「私が大臣のうちは『中止の方向性』という言葉には言及しない。予断を持たず(ダムの)検証を進め、その結果に従う」(MSN産経

 「『中止の方向性』という言葉には言及しない」とは「中止の方向性」の議論は行わないということであろう。事実上の建設中止撤回である。

 馬淵国交相のこの八ツ場ダム建設中止方針の撤回は2011年8月26日当ブログ記事――《菅か前原か馬淵か、「八ッ場ダム」建設迷走の一番の悪者は - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で取り上げた。

 マニフェストは誰が内閣を運営しようとも、民主党政権の4年間の公約である。最初に看板を高々と掲げて、こういった政策を行いますと国民に約束した。

 また民主党は「コンクリートから人へ」を政治理念としていた。これは公共工事への投資よりも人への投資優先を謳った政治理念であるはずである。

 その象徴であった八ッ場ダム建設中止であったはずだ。 

 だが、馬淵は国交相に就任して12カ月そこそこで民主党が決めた八ッ場ダム建設中止であるにも関わらず、国交相の立場で中止撤回の方針を打ち出した。

 ここに矛盾が生じる。マニフェストに関係する政策の行方である以上、民主党全体で決めなければならない八ッ場ダム建設中止撤回であるか、最低でも内閣の名に於いての撤回でなければならないはずで、そういった撤回であった場合に於いてのみ所管大臣として代表して中止撤回を公表することが許されるはずだ。

 今回の建設継続も野田首相を交えた政府・民主三役会議での決定となっている。

 上記当ブログで書いたが、改めて2009年マニフェストの八ッ場ダムに関する箇所を取り上げてみる

 《2009年マニフェスト》 

 〈公共事業

  ○川辺川ダム、八ツ場ダムは中止。時代に合わない国の大型直轄事業は全面的に見直す。
  ○道路整備は費用対効果を厳密にチェックしたうえで、必要な道路を造る。
 
 《民主党政策集INDEX2009》 

 〈大型公共事業の見直し

 川辺川ダム、八ッ場ダム建設を中止し、生活再建を支援します。そのため、「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法(仮称)」の制定を目指し、国が行うダム事業を廃止した場合等には、特定地域について公共施設の整備や住民生活の利便性の向上および産業の振興に寄与する事業を行うことにより、当該地域の住民の生活の安定と福祉の向上を図ります。〉――

 実は馬淵国交相の、「予断を持たず(ダムの)検証を進め、その結果に従う」とした文言は菅仮免内閣の〈2010年民主党参院選政権政策(マニフェスト)〉に既に書き記されている。

 「中止の方針を表明している八ッ場ダムをはじめ、全国のダム事業について、予断を持たずに検証を行い、『できるだけダムにたよらない治水』への政策転換を一層進めます」・・・・

 前記当ブログにこのことについて、次のように書いた。

 〈検証を経た上で不必要と認めたダムは中止の方向に向けるとした政策を掲げているのみで、八ッ場ダムの建設中止の凍結を謳っているわけではない。

 もしここで既に八ッ場ダム建設中止の決定をも“検証”の対象としていたとするなら、この時点で2009年マニフェストの八ッ場ダム建設中止の政策を変更したことになる。

 だが、そんなことは一言も言っていないはずだ。〉――

 どうも情報を読み違えたようで、謝罪しなければならない。

 「『できるだけダムにたよらない治水』への政策転換を一層進めます」と、脱ダム宣言を掲げているが、だとしたら建設中止を決定をした八ッ場ダムを検証対象に含めなくいいはずだし、含めないことによって後段の「『できるだけダムにたよらない治水』への政策転換を一層進めます」の脱ダム宣言と整合性を持ち得るが、わざわざ「中止の方針を表明している八ッ場ダムをはじめ」と八ッ場ダムを検証対象に含めたことは巧妙な言い回しの中で、その建設中止決定まで検証の対象としていたということになるのではないだろうか。

 だが、菅仮免が2010年参院選マニフェストを作成した当時は(2010年6月17日マニフェスト発表記者会見)八ッ場ダム建設中止を宣言した前原が国交相を務めていて、中止の方針を打ち出した本人が中止撤回の方針を打ち出したなら、単なる政策ならまだしも、「コンクリートから人へ」の政治理念の象徴としてマニフェストに掲げた政策の変更である手前、矛盾を曝け出すことになるために馬淵国交相の出現を待たなければならなかったということであろう。

 いわば菅が主体となって策定した参院選マニフェストを受けて、前原を引き継いだ馬淵国交相が八ッ場ダム建設中止方針の撤回を打ち出したと解釈すると、馬淵国交相個人による、その権限もないゆえに許されないマニフェスト変更ではなく、管の、あるいは菅内閣全体の変更指示に従った建設中止方針の撤回ということになって、何ら矛盾は生じないことになる。

 尤も菅内閣の秘密裏の指示を受けた馬淵八ッ場ダム建設中止方針の撤回だとすると、国交相から外相に横滑りした前原一人が反対するのは新たな矛盾となる。

 前原は馬淵中止撤回方針を受けて、8月25日(2011年)次のように発言している。

 前原外相「国土交通相の時に八ツ場(やんば)ダム中止と言ったのにできていない、という話があるが、続けさせてもらえればやった」(asahi.com

 この発言は最近の建設継続に対する強硬な反対姿勢と矛盾する。上記ブログにも書いたが、「続けさせてもらえればやった」とは交代したのだから仕方がないと半ば方針撤回を認めるニュアンスの発言となるからだ。「続けさせてもらえなかったのだから、仕方がないではないか」という半ば容認の意味であろう。

 また、このように発言することによって、菅仮免参院選マニフェストの「中止の方針を表明している八ッ場ダムをはじめ、全国のダム事業について、予断を持たずに検証を行」うとした、最低でも菅内閣全体の意向としなければならない八ッ場ダム建設中止撤回に前原も含めることとなって、マニフェストの全体的決定という性格に添うことになる。

 しかし、この八ッ場ダム建設継続にマスコミや世間の目は2009年民主党衆院選マニフェストとの整合性に主として目が向けられ、マニフェスト違反だと批判の声が上がり、特に中止の方針を打ち出した前原の中止の不徹底に批判が集中した。

 この批判に対して2010年参院マニフェストに掲げたとおりに「中止の方針を表明している八ッ場ダム」を含めてダムとしてのその必要性を「予断を持たずに検証を行」った結果、継続が適切だいう結論を得たとすれば、何ら矛盾は生じず、反論は可能となるはずだが、政権交代の2009年衆院マニフェストが2010年参院選マニフェストよりも優越的位置を占めるためにおおっぴらに反論はできないのだろう、前原としてはダムの建設継続そのものに反対せざるを得なかった。

 《国交相と民主政調会長の発言要旨》時事ドットコム/2011/12/22-21:50)

 前原政調会長「(本体工事は河川整備計画の策定などを踏まえ、判断するとした)官房長官裁定を前田国交相が受け入れたのであれば、本体工事の着工は(現段階では)論理矛盾だ。無理やり(2012年度)予算案に入れるのであれば、党として反対する。国交省の予算は認めないので、閣議決定させることはできない。

 (23日の)政府・民主三役会議でこのことを伝える。最終的に予算案が閣議決定されるのは24日だ。それまでに事態の収束が図られる。最高意思決定機関である政府・民主三役会議でどのような決断をするかに尽きる。

 (自身の進退に関する質問に)政調会長として党内の意見を取りまとめ、最終的に官房長官裁定に従った。裁定の文面を読めば、本体工事を着工できないというのが私の結論だ」

 記事が伝えている前田国交相の発言。

 前田国交相国交省の政務三役会議で八ツ場ダムの事業継続を決定した。流域の1都5県の知事、地域の安全に責任を持つ自治体の長に電話で一報した。地元の町長にも連絡した。利根川水系には即効性のある治水対策が必要だ。ダムは8割方完成しており、あと6、7年で完成する。

 政権交代後、(当時の)前原国交相の下で(事業の必要性を検証する)有識者会議を組織した。(有識者会議とは別に)関東地方整備局に検討の場が設けられ、(事業継続が)妥当という結論を出した。検討プロセスに瑕疵(かし)はなく、最終的には有識者会議でダム続行が妥当という結論を出した。

 民主党の中にマニフェスト(政権公約)との関係で納得していない方々も大勢いる。マニフェスト通りの結果が得られなかったのは誠に残念だが、苦渋の決断をさせてもらった」

 民主党のマニフェストでありながら、民主党や内閣に諮りもせずに「国交省の政務三役会議で八ツ場ダムの事業継続を決定した」としている。少なくとも内閣に諮らなかったのは内閣が内々に追認している八ッ場ダム建設継続でなければならない。

 この内閣追認は最終決定の「政府・民主三役会議」を開催する前に建設継続を決定したこととして、前田国交相が「流域の1都5県の知事、地域の安全に責任を持つ自治体の長に電話で一報」していることが証明している。

 このことを読み取ることができない程バカではない前原のはずである。

 いわば既に内閣も追認している建設継続を野田首相を交えた「政府・民主三役会議」で前原政調会長も出席していながら、最終決定した。

 問題は果たして前原が事実反対していたかどうかである。

 前原政調会長の「政府・民主三役会議」後の記者会見。《政府・民主 八ッ場ダム建設継続決定》◇(NHK NEWS WEB/2011年12月23日 18時4分)
 
 前原政調会長「『政府・民主三役会議』の場で、幹事長、国会対策委員長、幹事長代行も含めて、党としては八ッ場ダムの本体工事の予算計上に反対であるということを繰り返し伝えた。1時間以上やり取りをしたが、政府の考えを変えるに至らなかった。

 事実上の最高意思決定機関は『政府・民主三役会議』であり、トップは野田総理大臣だ。党の立場で総理大臣を支えるということで構成している会議で、予算案は政府に委ねる形にした。

 マニフェストを守れなかったこと、政権交代の理念が骨抜きになったことは、国土交通大臣を1年間務め、政策調査会長をしている者として責任を感じるが、引き続き、キャッチャー役として野田政権を支えることには変わりない」・・・・・

 「事実上の最高意思決定機関は『政府・民主三役会議』であり、トップは野田総理大臣だ」は最初から分かっていたことで、分かっていながら、党として反対する、国交省の予算計上は認めない、閣議決定は不可能だ、政府・民主三役会議でこのことを伝えると、さも阻止できるかのような強硬姿勢を見せていたのである。

 ここにいかがわしいばかりの矛盾がある。

 「事実上の最高意思決定機関は『政府・民主三役会議』であり、トップは野田総理大臣」であるなら、自身に最終決定権はないのだから、見せなくてもいい強硬姿勢だったことになる。「『政府・民主三役会議』に最終判断を委ねます」で済んだはずだ。

 それをさも阻止できるかのように演じていた。

 菅仮免が2010年参院選マニフェストに謳い、馬淵が2010年11月6日事実上撤回したことが2011年12月23日になってそのまま決定した。

 前原の強硬な反対が野田内閣との馴れ合いのサル芝居でなくて何であろうか。


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