2017年8月14日、テレビ朝日『橋下×羽鳥の番組』で「終戦の日を前に考える『日本国憲法』SP!!」が放送された。MCが橋下徹と羽鳥慎一。コメンテーターとして8月15日に安倍晋三の代理で靖国神社に玉串料を奉納した自民党総裁特別補佐の柴山昌彦、自由党の玉城デニー、東京大学法学部卒の憲法学者の木村草太(37歳?)、タレント、エッセイストの小島慶子、フリーアナウンサーの新井恵理那、ジャーナリストの堀潤。
「国民の疑問1」として、「憲法はアメリカの押しつけ!?。GHQ案を当時の日本国民はどう思った?」のテーマが掲げられた。
先ず日本国憲法の成り立ちが振返られるが、番組でボードで提示されていた成立過程を画像にして載せておいた。
GHQのマッカーサーが松本烝治憲法改正案を(いわゆる松本試案)を拒否したのは周知のように大日本国憲法とたいして変わらなかたからとの説明がなされる。
番組では詳しく触れていないが、「憲法改正私案(一月四日稿) 松本丞治」(国会図書館)のページに条文が記載されている。
大日本帝国憲法第1章天皇 第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」に対して松本試案は第1章天皇第3条「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」、第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」に対して松本試案第11条は「天皇ハ軍ヲ統帥ス」と、天皇に付与している絶対性は殆ど変わっていない。
対して番組はキャプションで、「大日本帝国憲法天皇主権→日本国憲法国民主権」と変遷したことを示す。
次いで安倍晋三の2016年2月3日衆院予算委国会答弁の映像が流れた。
安倍晋三「そもそも占領時代に作られた憲法であって、時代にそぐわないものがある。私達の手で憲法を変えていくべきだと――」
実際の答弁を「国会会議録検索システム」から拾い出してみた。文飾は当方。
安倍晋三「そもそもこれは占領時代につくられた憲法である、時代にそぐわなくなったものもある、そして、私たちの手で憲法を書いていくべきだという考え方のもとに、私たちは私たちの草案を発表しているわけであります。さきの総選挙においても、憲法改正を目指すことは明確に示しているわけでございます」
番組はここで街の声を拾う。
67歳主婦「本当にマッカーサーが作った憲法で、(国民は)本当に何も言えなかったのかということが知りたいですねえ」
これは少なくても憲法成立過程に否定的な思いを抱いている意見であろう。つまり、「何か言うことができたら、占領憲法にならなかった」という思いが現れている。
73歳女性介護職「ある程度知ってたんじゃないですか。まるっきり全部が悪いんじゃないけど、日本国憲法ね、負けたからこそ、向こうの意見を聞かざるを得ない立場だったろうかなーって思うんですけどね」
この意見も占領軍憲法だとの意識があって、否定的な思いを抱いている。
25歳女性会社員「どうやって日本が受け入れたのとか、反発っていうのがどのくらいあったかということは気になりますよね」
同じく占領軍憲法ではないのかという意識を持たせている。
ここで番組は「アメリカの押しつけ?日本が主導?成り立ちから徹底検証!」と字幕で成立過程を問う。
木村草太「成立過程についてはここ(ボード)に書かれているとおりです。特に誤解されているのは1週間で作ったというところです(画像の赤線括弧してある箇所)。
GHQの案を作った作ったのが16日間ぐらいだったということで、文案のままでは使えないので、日本政府に渡され、先ず見本の枠を作るのですね、GHQと議論しながら、政府は草案というものを作っていく。
政府案ができるのが3月6日で、ここで勿論終わりではなくて、帝国議会で半年ぐらい議論を致しまして、11月3日に交付されたという手続きになっていて、流石にマッカーサーが作ったものをただ訳してできたものではないということを先ず押さえておかなければならない」
羽鳥慎一「当時の国民は好意的に受け止める声が多くいたのですか」
木村草太「ここは非常に、ちょっと微妙な話があるんですが、2月1日に毎日新聞のスクープというのがるんですが、政府の中で進めていた(松本)試案というのがスクープされちゃうんですね」
ナレーションが「松本試案が天皇主権の大日本帝国憲法とほぼ代わらない政府案であることが明らかとなり、国民は余りにも保守的、現状維持的と反発したこと、GHQが日本の自主的な憲法に見切りをつけ、独自の草案作成に踏み切るターニングポイントとなった」と解説。
木村草太「その1カ月後に国民としてはマッカーサーがどうのこうのという経緯を知らないままにいきなり政府案というのが3月6日に出るんですけど、それを見たら、国民主権としか見えないような内容になっているし、戦争を放棄するという条文があるということで、好意的な報道が特に多かったと言われていますね」
柴山昌彦「今ご紹介があったように毎日新聞のスクープがあって、GHQからダメ出しを喰ってしまった。なので、そういう過程でアメリカの関与が非常に深まったと言うことはやはり認識しておかなければいけないですし、国民主権を訴えておきながら、国民によるオーソライズ(国民による正当化)は1回もないわけですね。
この二つのことも我々はしっかりと記憶しておかなければならない」
安倍晋三以下自民党は戦前の天皇主権と殆んど変わらない松本試案がキッカケとなって、「アメリカの関与」が深まり、GHQ案という答を出すことになったということは決して触れない。これも一種の情報操作であろう。
柴山昌彦はこれ以後日本国憲法が国民投票で最終決定されていないことを以って、その正当性を否定しようとする。
柴山昌彦「国民投票を経て、決定されるものが本当の意味での憲法だと思います」
フリーアナウンサーの新井恵理那がGHQが憲法案を1週間で作り上げた、急がなければならない理由に疑問を示す。
木村草太が松本試案ではポツダム宣言の趣旨に添わないことをまず挙げてから、当時の国際状況を説明する。
ポツダム宣言の趣旨に添わないと言っていることはポツダム宣言が日本に無条件降伏を求めて占領を終了して日本から撤退する条件として掲げた一つである、「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」としていることを指しているのだろう。
日本と戦争したアメリカ、イギリス、オーストラリア、中国、ソ連等が全体で日本を統治するための極東委員会(日本を管理するために設けられた再考政策決定機関)ができたことを話してから、
木村草太「極東委員会の中で日本の憲法をつくりますということになりますと、ソ連とか中国の意向も入ってくるし、当時は天皇制に対して国際社会は非常に厳しい目を注いでいたわけですね。
天皇のもとに戦われた戦争ですから、天皇に責任を取らせなくてはいけない、天皇制は廃止すべきだとおっしゃってる国々もあった。そうした国々の意向が入ってくる前になんとかアメリカ単独占領中に遣りたかったという意向があって、10日間という非常に短期間でやった」
橋下徹が「憲法はプロセスの問題と結果の問題をちゃんとわけて考えなければいけない」と前置きしてから、
橋下徹「重要な点が抜け落ちているのは日本国憲法が交付される直前にGHQの上にある極東委員会がやっぱり日本が自主的に作った憲法とはいえないよねと、極東委員会も分かってるんです。
極東委員会、どうしたかと言うと、日本人の自主的な憲法にするために憲法改正について検討させるんだ、国会で検証させるんだと言うことを極東委員会で言ってますよね」
ここで番組はナレーションで橋下徹が言っていることを解説する。
橋下徹「そこでどうなったかと言うと、マッカーサーも極東委員会も国民投票でやってくださいよと言ってたのに、吉田茂は当時の国会と国民の状況を見て、『要りません』と、国民投票はしない日本国憲法であると言ったんですよ。
国民投票は絶対にやらなければいけないプロセスに」
以上の経緯についてネットで探したところ、国会図書館のサイトに記載されていた。
新憲法の再検討をめぐる極東委員会の動き(国立国会図書館) 1946(昭和21)年10月17日の極東委員会第30回会議において全会一致で承認された「新憲法の再検討に関する規定」(FEC-031/41)と、それを米国政府に伝える極東委員会事務局長の書簡、及び同封の議事録抄録。上記会議は、極東委員会の政策として、「憲法発効後、1年を経て2年以内に」、国会と極東委員会が新憲法を再検討することを決定した。 議事録抜粋には、「憲法再検討」決定について、日本国民への公表の時期と方法をめぐる意見交換がみられる。その結果、憲法公布より早い時期には決定を公表すべきでないとの見解を持っていた米国代表の主張が通り、実際に極東委員会の決定が公表されたのは、翌年3月20日のことであった。 マッカーサーは、1947(昭和22)年1月3日付け吉田首相宛書簡で、連合国は、必要であれば憲法の改正も含め、憲法を国会と日本国民の再検討に委ねる決定をした旨通知している。これに対する吉田の返信(同月6日付)は、「手紙拝受、内容を心に留めました」というだけの短いものであった。 |
上記経緯を簡略したものが以下。
衆憲資第90号 「日本国憲法の制定過程」に関する資料(衆憲資第90号) 昭和21年10月17日 極東委員会「日本の新憲法の再検討に関する規定」(昭和22年3月27日公表) 昭和22年1月3日 マッカーサー書簡(施行後1~2年以内の国会による憲法改正の検討・国民投票容認) 昭和24年4月20日 外務委員会における吉田首相答弁 「政府においては、憲法改正の意思は目下のところ持っておりません。」 (参考)・吉田茂『回想十年』資料11 |
要するにGHQ案を元にして国会で採決した日本国憲法はそのまま施行し、施行後1~2年以内に憲法改正の検討と改正した場合は国民投票にかけることを容認することで、憲法の当たり前の成立過程を取らせようとした。
ところが、吉田茂は昭和24年4月20日の外務委員会で憲法改正の意思なしと表明、結果的に国民投票も立ち消えた。
安倍晋三は番組が紹介した2016年2月3日の衆院予算委での憲法に関わる答弁以外にも様々に国会答弁している。
2013年4月25日の産経新聞インタビュー
安倍晋三「憲法を戦後、新しい時代を切り開くために自分たちでつくったというのは幻想だ。昭和21年に連合国軍総司令部(GHQ)の憲法も国際法も全く素人の人たちが、たった8日間でつくり上げた代物だ」
2016年2月4日衆議院予算委員会。
安倍晋三「日本が占領下にある中において、まさに当時は、GHQ、連合国の司令部がある中において、いわば当時の日本国政府といえどもこの意向には逆らえないわけでございます。その中においてこの憲法がつくられたのは事実であろう、こう思うわけでございます。そして、極めて短い期間につくられたのも事実でございます」
2015年3月6日衆院予算委
安倍晋三「そもそも、占領下において、短い期間において、占領軍の司令部において25名の方々によってつくられたのは間違いのない事実でございます」
番組の内容も含めてここで取り上げた国会図書館の記事を見る限り、文飾を施した文言は全て安倍晋三の情報操作ということになる。日本国憲法は「全く素人の人たちが、たった8日間でつくり上げた代物」でもないし、「占領軍の司令部において25名の方々によってつくられたのは間違いのない事実」という訳でもない。
また自民党総裁特別補佐の柴山昌彦が国民投票を憲法成立がオーソライズされる唯一の手続きとする考えから日本国憲法を否定していることも、憲法改正という手続きで国民投票にかける機会がありながら、吉田茂がそれを拒否したことを前提とすると、やはり情報操作の類いに入る。
安倍晋三は「そもそも占領時代に作られた憲法であって、時代にそぐわないものがある。私達の手で憲法を変えていくべきだ」と言っているが、時代に添う憲法草案が2012年の自民党憲法改正草案であるはずである。
だが、2015年5月27日の衆議院の平和法制特別委員会で「私たちは私たちの草案を発表しているわけであります」と答弁し、引き続いて、「この改正案については、谷垣総裁の時代に、自民党の多くの議員が参加をして議論を重ね、つくり上げたものでございます」と自民党の総意であるようなことを言っているが、2016年10月3日の衆院予算委ではまるで自身は草案作成に加わっていないようなことを民進党の長妻昭に対して国会答弁している。
安倍晋三「先ず事実誤認があります。(長妻を指差して)事実誤認がありましたので、それを先ず訂正したい・・・と思います。事実誤認と言うのはですね、(民主党議員席の方向なのか、顔を体ごと斜め左に向けて)私が自民党憲法草案を出された。どこに出したんですか。
世に出したのは私ではありません。谷垣総裁のときに出した、出されたわけでありまして、私が世に出した、これは事実ではなくて、先ずですね、今あなたが言われたような言い方をしますと、国民から誤解をされるんですね」
谷垣総裁の時代であっても、当時は前自民党総裁、前首相として、さらに憲法改正意欲豊富な保守政治家として、本人直接ではなくても、代理を遣わして憲法草案作成には深く関わり、世に出すのに一枚加わっていたはずだ。
安倍晋三の憲法観抜きの改正草案は考えることはできない。
上記発言は自民党憲法改正草案は9条2項を廃して「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」としているのに対して安倍晋三はその後9条1項と2項はそのままに3項を加えて、そこに自衛隊明記を謀っているから、その考えがあって自民党憲法改正草案に一歩距離を置く必要があったからだろう。
実際にはどの総裁時代に世に出そうとも、出した以上はその憲法改正草案に添う改正を行わなければならないはずだが、自身独自の改正を狙うために一種の情報操作を施した「谷垣総裁のときに出した」草案ということなのだろう。
この見方が穿ち過ぎだとしても、日本国憲法の成立過程を貶めるために様々に情報操作を行っていることに変わりはない。
巧まずして情報操作しているのか、企んで情報操作しているのか分からないが、どちらであっても、情報操作が得意な一国のリーダというのは極めて気をつけなければならない。